麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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躾の第一歩はイヤ!と泣くときかも

毎週、授業前に踏ん切りがつかずに大泣きする2歳児の女の子がいます。その横でお母さんが心配そうに見守っていらっしゃいます。でも、私は、言葉が達者になった子どもが大泣きをしている時は、ただ優しく見守るのではなく、言葉をかけてなだめたり、あやしたり、諭したり、どうにか、涙を止めて、呼吸を整えられる援助をしてほしいとお話しています。

e0143522_20103551.jpg幼児が感情の波に流されて大泣きをすると、体力も消耗しますし、精神的にもとても疲れるからです。また、泣ききることで過呼吸になることもあるので、「本人が泣きたくて泣いているから」といって、子供はあまり、長く泣かせっぱなしにしていただきたくないのです。

一般にいう「ストレスを解消する涙」は、いい映画を見て感激して涙を流したり、登場人物に共感して涙を流したり、感動して泣いたりという涙です。しかし、子どもが「お稽古前に泣く」のは「苦手なことから逃れたい、でも、逃れられない」というジレンマで泣いているのです。

「泣くと疲れるから、はやく泣き止んで頑張ってきてね」「お稽古が終わったら、一緒にお弁当を食べようね」「帰りはボールプールであそぼうね」「お母さんもずっと、見ているからね」等々、子どもの落ち込んだ気持ちを切り替えたり、意欲を持たせたり、踏ん切りをつけさせる言葉など、お母さんの引き出しには、子どもを励ましたり、諭したりする「たくさんの語彙」を考えておく必要があります。

私が一番、気の毒に感じるのは、どんなに泣いても、何の助け船も出さずに、お子さんと一緒に途方にくれてしまう親御さんや、子どもを置き去りにしてしまう親御さんです。

たとえば、大人の女性が男性の前で、シクシクと感情的に泣いていたら、それは相手に何か訴えたいことがあるときや、慰めの言葉をかけて欲しいとき、ではないでしょうか。もし、一人で泣いてすっきりして、気持ちを新たに頑張るためなら、わざわざ、これ見よがしに誰かの前で泣いたりはしないと私は思うのです。

そして、わざわざ誰かの前で泣いている時に、目の前の相手が見ないふりしたり、無視したり、他のことをし続けて、泣いていることに気付かなかったりしたら、きっと「なんで少しくらい優しい言葉をかけてくれないの?」とか「他人の気持ちが分からない」「本当に気がきかないんだから」と感じるかもしれません。

子ども、特に女の子がお母さんを前に、これ見よがしに泣くのも、少しこれと似ているかもしれません。どうにか、お母さんに励ましてもらったり、慰めてもらったり、気分を変える手助けをしてほしい。だから、お母さんがうんざりするほどの声を出して、泣いているのかもしれません。

親元で大切に育てられた幼児が、王子様やお姫様のように、ふるまうのは当然のことです。それは絶対的に親から愛されているという確信であり、愛着が育っている証でもあります。しかし、そうした土台を育てたら、躾は絶対に必要です。

それは、社会にはどんなに子どもを愛する親であっても肩代わりできない「ルール」があること、どんなに子どもが泣いても、「ダメなことはダメ」なことがあることを教えることです。その最初の一歩が子どもがなんでもかんでも「イヤ」と言った時の親御さんの対応の仕方にあるように思うのです。
# by k-onkan | 2017-06-26 23:09 | しつけ | Comments(0)

壊滅的から脱した!?

「麻奈先生、Yの英語が壊滅的ですけど、いいのでしょうか?」と中学生の名誉団員が、恐る恐る私に教えてくれたのは4ヶ月前の音楽祭の頃でした。ちょうど、試験前で問題集に取り組んでいたようですが、その「できなさ具合」に、生徒たちは、「これで、いいの?」と心配し、「どうにかしてあげて」と私に知らせてくれたのだろうと思います。

e0143522_19324275.jpg甥Yが小学生の間は、幼児期の教育と家庭学習の「貯金」によって、塾に通っていなくても、学校の勉強で困ったことはありませんでした。中学生になってからは公立いうこともあって、家庭学習で恥ずかしくない成績を維持してきました。しかし、「英語」に関しては何の準備もせず、自分の力でどこまで、学校の授業についていけるのかの実験をしてしまった形となってしまったのです。

その結果、小学3年生の後輩が一生懸命、Yに文法を教えたり、中学生の先輩から「英語は壊滅的なんだね」と残念なコメントをいただき、音楽祭を控えた週に、毎晩、英語の家庭教師に行ったのです。

1年間、なんとなくしか理解していないYの英語は、難しい単語や構文は丸覚えしていても、基本的なことが正しく理解できておらず、付け焼刃の勉強だけでは、学年末試験はたいした結果は出ませんでした。

1週間、甥の英語の勉強につきあい、「英語を正しく読まずに、ローマ字読みをしていること」「基本中の基本がわかっていない」という根本的な問題を解決することが先決だということになり、春休みは母子で「フォニックスの講座」を受講しながら、中1の復習ドリルを終わらせ、それまで毎晩、一人で聴いていた基礎英語は母子で聴くようにしたようです。

そして、新年度が始まってはじめての英語の定期テストです。「英語のテストは何点でご褒美を出す?」と瑠音先生からの悪魔の声です。それまでの悪戦苦闘を知っているので「80点以上で」と答えましたが、瑠音先生は厳しく「90点以上」でないと、ご褒美はないそうです。その結果は私からのご褒美は余裕ですが、瑠音先生からのご褒美は惜しい!という点数だったようです。

「英語ができない」といった時に、「やはり、塾の力を借りなければいけないのではないか」という提案もありましたが、「塾に行くための予習ができなければ、塾へいく意味はない」ということで、親子で努力して、壊滅的な状態を抜け出たようです。

木下式の音感教育にも通じることですが、子どもにとって未知の事柄は大人が懇切丁寧に手をかけて教えますが、最終的には子どもが自立的に、「知りたい」「やりたい」と思ったことが、自分でできるようにすることが、一番、重要です。これを忘れると、一生、大人の手が必要な人間に育ってしまうと思うからです。中2の甥の英語はまだまだですが、少しだけ大人の庇護から離れ、自力で授業を聞いて理解して覚える段階には近づきつつあるようです。
# by k-onkan | 2017-06-25 22:11 | 教育 | Comments(0)

いい報告はいつでも嬉しい

今日は、楽院の名誉団員であるZくんが、企業内で行われた「社内接客コンテスト」で優勝したお礼の挨拶に訪ねてくれました。一流企業の「優勝トロフィー」はかなり重みがあり社内コンテストといっても大きな催しであることが感じられました。

e0143522_17542177.jpg子どもの頃から、他人の後ろに隠れて自分が前に出たり、持っている力を100%出し切るタイプでなかったZくんの活躍は、木下先生にとって何より嬉しいことだったため、本人に優勝の賞状とトロフィーを持たせて、みんなで記念写真を撮るなど、私たちも調子にのって「やりたい放題」しました。

本人は、「子どもの頃から、こうやって賞状を取ってくる子どもだったら、大人になって、こんな恥ずかしい目に合わされずに済んだのに……」と恥ずかしがっていましたが、子どもの頃から、「いい声なんだからもっと頑張れ」と叱咤激励してきた木下先生の気持ちを忖度して、苦笑いしながら付き合ってくれました。

思えば、合宿のマラソン大会といえば、「来年こそは、ブービーから抜けよう」という「残念賞」の記念撮影に木下先生と写るのが恒例で、「来年は頑張りなさいよ」と声をかけても、「足が遅いのは何をしても遅いんだから、仕方ないじゃないですかぁ」と開き直り、私の怒りを増幅させる「一言」を絶妙なタイミングで言うのがこの子でした。そのZくんが大人になって、「まわりの期待」に素直に応えて優勝するための努力をして取ってきた賞状とトロフィーが嬉しくないはずはありません。

木下先生は、子どもたちにも「一流企業につとめている男の先輩が発声の練習にきたんだぞ」と伝えていました。そして、その話で高学年の男の子たちの目の色が変わったのです。

これまで、女の子たちには「声が出ないまま、お母さんになって、子育をてすると、子供が低い声になったり、調子っぱずれになってしまうよ」とか、「女の人の声は低いより、高い方が魅力的」など、発声練習にモチベーションを持たせることができたのですが、成長とともに声変わりを経験する男児は、「声がいいこと」は子ども時代の特権で、大人になってから「プラスになること」などないと思っていたのかもしれません。立派な会社に務めるようになっても、声を出す機会があること、そして、はっきり話せることで評価が高い場面もあると知り、後輩たちの良い刺激になったと思います。

子供時代に学んだことは、いつか、どこかで、何かの役に立つはずです。そして、子どもの活躍は何歳になっても嬉しいものです。そのことを信じて、今やる気を出す子も、今すぐに出さない子も、含めて、これからも叱咤激励していこうと思っています。
# by k-onkan | 2017-06-24 23:48 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

何人に増えてもすることは同じ

半年まえ、言葉がなかった年長の男児が音感かるたの訓練によって、「質問されたことをオウム返しではなく、答えること」を覚え、音符の読み書きを学び、音を聴き分けたり、音符の読み書きができるようになりました。それに伴って、ひらがなも読めるようになりました。以前は木下先生に「名前は?」と聞かれて「名前です」と答えていたのが嘘のようです。

e0143522_17202071.jpg長年、こうした子どもたちの成長を見てきたので、「障害があるからありのままでいい」とは思えず、「できる」と信じて関わること、必要なことに手は貸しても「特別扱い」せずにみんなで一緒に学び成長することの大切さを感じています。

現在、全国の公立小中学校では、「通級指導」を受けている発達障害の児童・生徒が9万人を越えたと言われています。この20年で、7倍以上に増えているようです。発達障害になる要因も増えているとはいえ、7倍とは、すごい人数です。

けれど、昔もそうした特性を持つ子は大勢いたと思うのです。ただ、20年前の方がもう少し、大人が子どもに慣れていたり、子どもと関わる機会が多かったり、自分の特性の隠し方や付き合い方を覚える機会が多かったかもしれません。何より、「ちょっと変わった子ども」でも何か特技があれば生きられるおおらかさがもう少しあったと感じます。

楽院にも立派になった卒業生が大勢、顔を見せにきてくれますが、「子どもの頃の自分を考えたら、自分にも発達障害の特性はあると感じる」という子は少なくありません。しかし、「少し落ち着きがない」「人の話を聞かない」と注意されながら、それなりに、社会の中で特技を生かして活躍しています。彼らが子どものころの親御さんは、自分の子どもを支援クラスに入れたいとは思わず、できることをして、なんとか困らないようにさせたいと必死だったように思います。

前述のお子さんは、1年前は、「発達を判断するための検査が受けられない」ほど意思の疎通もできず、言葉もありませんでした。その子が、今年の検査では「4段階で一番軽い」という結果が出たといいます。1年間の発達を「成長」として喜ぶか、支援が少なくなるから困る」と考えるのかは、親御さん次第です。

けれど、発達障害がある子も、ない子も、楽院に通っている間は、私たちの「生徒」なので、何があっても発達させなければと思っています。発達障害がある子は特別な目で見られがちですが、彼らには特性による不便さもありますが、特性ゆえの「長所」もたくさんあります。

それは、不器用であっても、真面目に努力して、一度できるようになったことは簡単には忘れない、という長所です。こうした能力が定型発達のお子さんの励みになり、よきライバルになることもあるのです。世の中に、発達障害を持つ子が何人に増えても、これからも、楽院は特別扱いもしない代わりに、排除もせずに、これからも、子どもたち同士で、いい反応を起こさせ、成長させていきたいと思っているのです。
# by k-onkan | 2017-06-23 23:17 | 発達障害 | Comments(0)

跳ぶうさぎにはほど遠くても

最近、2年生の甥Kは、母である瑠音先生から久々に大目玉をくらいました。なんでも、1ヶ月後にせまった成果発表会に曲を、「間違っていたから、もう一度、弾きなさい」と言うと、「なんで、やらなくちゃいけないんだぁ」と突っ伏して泣いて抵抗したようなのです。その姿に瑠音先生は大激怒!!。

e0143522_17174673.jpg「Kちゃん、にぃにが2年生の時は、ピアノも勉強も、今のKちゃんの3倍はやらせていたよ。にぃには、どんな時でも、泣きながら最後までやった。でも、Kちゃんは、たくさんやらせるとすぐに、怒って泣くから、最小限しかやらせたことは、ないのよ。それなのに怒って泣いて嫌がる人は、もうやらなくていい!!」。

瑠音先生が、突然、切れると、私や木下先生さえ、恐れるほどこわいのです。事後報告で話を聞いても神妙な気持ちにさせられるのですから、その場にいた兄甥はさぞかし、震え上がったことでしょう。しかし、一度、怒らせたら、これまで、沈黙していたことも一緒に出てきたようです。

「お父さんが、毎日、楽しくて会社に行っていると思っているの?お父さんだって、会社に行きたくない日だってあるのよ。でも、子どもが二人いて、ちゃんと育ててるために働かなければいけないから、Kちゃんたちのために頑張っているんじゃないの!?お母さんだって、ご飯を作らなくていいなら作りたくないわよ。そんな人は、もう知らない!!!」と自分の部屋に閉じこもったそうです。しばらくして、ピアノを練習したKが「お母さん、ごめんなさい」と謝りに来たそうです。

その後は、こんな話になったようです。「『うさぎとかめ』に出てくるうさぎの中には、休むウサギもいれば、跳ぶウサギもいるのよ。Kちゃんは、カメはもっと遅いからと、お休みをしてしまうウサギよ。そういうウサギは、頑張っているカメに負けてしまうのよ。ニィニは、跳ぶウサギではないけれど、休まないウサギよ」。実は、陸上部で頑張る兄甥からも「Kは、僕よりスペックは高いけれど、努力をしないから……」と、やんわり非難されていたようです。

「幼稚園の時は水泳が、一緒のクラスだったXくんは選手コースで頑張っているから、どんどん、Kちゃんより上手になっているでしょ? Xくんは跳ぶウサギなのよ」。数年前、Kも選手コースのお誘いをいただいたことがありますが、「お母さんがやって欲しいならやる」といって「お母さんのため、ではなくて、自分でどうしたいかを決めなさい」と言われ、「やっぱり、たいへんだからやめる」と辞退したのでした。

兄甥がいうように、第二子は、第一子より、器用で運動神経もよく、感覚も優れています。しかし、なぜか、感覚が優れていると、自分の力を出し惜しみするのか、最小限の努力で乗り切ろうとしているように見えるのです。

心配症の兄なら、大事なことがある前日は、「大丈夫かな、ちゃんとできるかな」と不安で、最後の最後まで、練習したり、復習したりするのですが、楽天的な我が家の血が濃い弟甥は、「大丈夫、大丈夫」と言って大事な場面で、結果が出せないことが多くあります。

これからも「休むウサギ」のまま、努力をしないで方針なのか、少しは兄を真似て努力することを覚えるのか、それは、分かりませんが、とりあえず、その日は、いつもは「Kちゃんはいい」と遠慮する家族一緒のランニングに参加して、尾瀬の3キロマラソンの練習をしたようです。

心配症の兄は努力家で、多彩な弟は無理強いすると逆切れするタイプです。それでも、「弟が嫌がるから」と言って瑠音先生が最低限は諦めずに、継続させるのには理由があります。それは、三人きょうだいの末っ子として、自分がピアノも水泳も泣いて嫌がった時に、「そこまで嫌がるなら、やらせなくていい」と根負けした父に、心密かに「泣いても、怒っても、ちゃんとやらせてくれたらよかったのに」と少し恨んでいるからなのです。

どんな性質であっても、同じ親の子である兄弟は、特定の子だけが評価されたり、特定の子だけが問題児扱いをされることで、兄弟間に軋轢が生まれたり、親を恨んだりするということを私たちは経験から知っているのです。特に、瑠音先生の子どもの頃に姿形も性質も、何から何までそっくりなKゆえに、せめて、たまに休んでも前に進むウサギに育てる努力をしているのでしょう。
# by k-onkan | 2017-06-22 20:38 | 我が家のこと | Comments(0)