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作者について
木下式音感教育法認定講師
木下麻奈 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com イラスト:「ケイ&シュート」 By ケイイチ・シライ ネームカード
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最近、楽院には「検診で問題があった」と指摘されたり、発達のバランスが悪いことを心配して、楽院に入学するお子さんが増えました。木下式の連合学習は、音感かるたを用いて、言語、歌唱、聴音という三種の能力を芽生えさせるという理論体系が考案されていますが、これが発達のバランスの悪い子供に効果があるのです。これまで、幼児期には心配が多かった子も高度な能力を備えさせ、木下式の教育には絶対的な自信がありましたが、療育を専門とする現場で、どのような訓練が行われ、どんな成果があがっているのかも見学するべき、というアドバイスから、ボランティアという形の見学をさせていただいたのです。
昨日、出かけた療育園は実はご縁のある場所でした。なぜなら、楽院で預かる年長児Yくんが最初の診断を受けたところだったのです。昨日、お目にかかった先生の中に、初診に立ち合った先生が居られたので、私は音楽祭のチラシをお渡しし、Yくんが1500人の聴衆の前でオーケストラの伴奏で独唱するまでに成長したことをご報告しました。すると、「そんなことができる子にはとても見えなかった」と驚かれました。思えば、最初にYくんが楽院に体験授業に来た時は、不安そうな様子で何もしませんでした。きっと、いろいろな場所で能力を検査され、子供なりに抵抗を感じていたのかもしれません。しかし、レッスンを開始すると、回を重ねるたびにできることが増え、入学当初は、不可能と思われた集団レッスンもできるようになりました。昨夏には4泊5日、我が家で他の子と寝食を共にし、歌唱も聴音も同学年の子に負けず劣らず成長しました。できることが増えると、それだけ、自信が備わります。成功体験は1回ではなく継続して体験させるためにも、地道な努力が必要なのです。そして、それは、発達がバランス良くても悪くても、関係ないように思います。 療育園の教育は、子供たちが家庭で十分ではない、他人とのやり取りやメリハリある生活、善悪の区別や躾を教えられ、とても楽しそうでした。他人とのやりとりを覚えた幼児たちが次に求めていたのは知識です。子供たちは、黒板に書かれた文字や数字にとても興味を持ち、いろいろなことを質問していました。本当は、子供が興味を持ったその時、興味を満たす大人が存在し教育を与えることができれば、子供にとってこれほど幸せなことはないと思うのです。 さて、昨日、同学年のグループ療養を見学した私は楽院の年長児クラスを冷静な気持ちで観察しました。2時間近く私の目を見て、指先を伸ばして、難しい合唱曲に取り組む彼らは自信に満ち溢れています。「幼児だから」「発達が未熟だから」と教えることを遠慮することは、幼児の能力を過小評価することにつながると個人的に考えます。療育園の先生も言われましたが、楽院で他の子と同じことを求めていなければ、2年前の自信がない姿は今も変わっていなかったと思うのです。 Yくんをお預かりしてから、私は「Yくんは、普通の子」とお母さんにも、お祖母ちゃまにも言い続けました。なぜなら「Yくんが特別な子」との思いでいると、音感を教えに際し手加減する気持ちや、「これくらいできれば良い」と妥協してしまうと思えたからです。 それでも、最近、気づいたことがあります。実は、「普通の子」と言い続けた私が一番、遠慮があったということでした。数週間前、皆の中で、一人違う声を出すYくんに「コラッ!」と本気で叱ったことがあったのです。叱られて涙が止まらなくなったYくんでしたが、「泣くなら、帰りなさい」というと「嫌だ」と練習に参加する強さを身につけていました。以前なら、涙を止められない自分にパニックするのが当たり前であったのに・・・。私は、「やっと、Yくんを普通の子供扱いできた」と胸のつかえがおりたように感じたのです。 Yくんに大きな変化が変わったのは、それ以後です。目線も行儀も格段とよくなりました。本気で叱る大人が存在するのは、子供を成長させる上で欠かせないことです。但し、本気で叱るためには、十分に労力をかけて教え、信頼関係を築くことがとても重要です。ただ、闇雲に叱っても、子供は反省しないのですから。 今日は都下にある国立のT療育園にて、発達障害のグループ活動のボランティアに参加してきました。実際の活動時間は1時間強で、授業のみを考えると、楽院の方が長いのですが、活動のための下準備や入念な打ち合わせなど、一日がかりのプログラムでした。平素、盛りだくさんの課題と長時間の音感授業をする私ですが、慣れていることの方が容易であることを再認識する機会となりました。
療養園のグループ活動に参加して、一番に感じたことは、子供たちは、人懐こくて可愛い子供ばかりということでした。一般に、発達に未熟な子供たちは、口をきかなかったり、他人に警戒したりしますが、今日の子供たちは、初めて会う私にも興味を持って近づき、話かけたり、挨拶をしたりしていました。一般に、「療育を受ける」というとマイナスイメージがありますが、今日、出会った子供たちはみな幸せそうに見えました。なぜなら、わが子を心配して足を運ぶ親御さんの愛情が感じられたからでしょう。指導する先生は、1年間の成果が現れて、やっと落ち着いてきたと話されていましたが、一見すると、どこにでもいる普通の子供のように見えます。中には、幼稚園から、「療養に行く必要はないのでは?」と言われる子もいるそうです。実は、平素、幼稚園、保育園の子供を大勢、拝見する機会がある私にも、今日、出会ったお子さんは、多少、落ち着きはなくても扱い方次第で、普通に物を教えられるお子さんのように見えました。 実際、幼稚園や小学校という社会に出ると、もっと大きな問題を抱える子は大勢います。しかし、親御さんが希望しなければ、何の手立てもないまま、放置されてしまいます。幼稚園の先生は、問題行動を起す子供と比べると「療育に通う必要がないのでは?」と思うのも、私には理解できます。もっと深刻な子は、本当にもっと深刻だから・・・。 今日のプログラムで感心したのは、年齢の近い子供同士がうまく関わる方法を教えることに、一番、重点を置いていた点でした。子供、一人ひとりに「名札配り」「おやつ配り」「人数報告」など、いろいろな係を与えて、子供に責任を持たせ、他人との関わり方を教えていることでした。障害の有無に関わらず、今の子供たちは、特定の大人としか話ができなくなっていると感じていたからです。 幼児期の子供は、親や先生という大人が存在すると、大人に話しかけて、問題を解決しようとします。同年齢の友達のことは、相手にせず、自分を中心に考えてしまいがちです。しかし、小学校という社会に出たら、同年代とうまく関われるかが問題です。いろいろな能力を持ち、良い小学校に通っていても、自分が困った時に意思表示ができなかったり、自分の考えを人に伝える力がなければ、生き抜く力にはなりません。 楽院は、「音楽教室」なので、「先生と子供」の関係がほとんどです。時々、一緒に勉強する同じクラスの子供同士で、声をかけたり、注意させたりを練習しますが、そこに力点を置くことはできません。歌唱力をつけ、聴音能力を高めるなど、在籍中に責任を持って教える事柄が決まっているからです。それに必要な範囲で、子供同士の関わりを補助します。しかし、こうしたコミュニケーション能力を育てる工夫が、今の子供たちには、もっと必要な気がします。 幼稚園やおけいこでできない分は、やはり、家庭で、親子間で、兄弟間で、気をつけて行う必要があると感じます。家でお商売でもしていれば、子供は自然と、他人とのやりとりを生活の中から、覚えるかもしれませんが、よほど、意図的に親御さんが、手本を見せて、よその人と口を聞く場面を与えなければ、現代社会で、子供の表現力、コミュニケーション能力を高めるのは、難しいかもしれません。 数日前、2歳半の甥Kを伴って、近所のドラッグストアに行きました。空いていたので、Kに「お店の人に、「綿棒はどこですか?」って聞いてきて」と伝え、私は近くで見守っていました。2歳でも、一人前と認められたことがうれしかったのか、早速、「めんぼう、ろこですか?」と店員さんに聞きます。Kの幼児音交じりの不鮮明な言葉が、よその人に通じるか心配しましたが、ちゃんと綿棒のある場所に導いてくださいました。ただし、Kが小さな幼児だったため、「赤ちゃん綿棒」の場所を教えられました。 こういう時、子供に口を聞かせるより、大人同士でやりとりするほうが、簡単です。しかし、将来、外で口がきける子供に育てるためにも、大人にお任せではなく、自分で口をきいたり、説明したりする機会を与えるべきだと再認識する療育園の活動だったのでした。 今回、音楽祭において合唱団の子供たちが挑戦するバッハのカンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」は、昨年の大震災で犠牲になった方のために歌って欲しいと作曲家の先生から楽譜が送られてきたものです。この曲はとても有名ですが、神が天上から降りて溢れんばかりの慈悲と愛を与える様子を音楽にしたかの如く、よどみなく流れるメロディーは子供にはとても難しいのです。 音楽に深みを生むためには、年齢の低い子供だけでなく、卒業生の力も借りたいと思っていましたが、皆、忙しいのか、良い返事は誰からもありませんでした。そんな中、大学1年になる双子の卒業生M兄弟が練習に参加することになりました。彼らの母上は、幼稚園教諭をしていた頃に木下式と出合い、その魅力から認定講師となり、現在、長野県で音感教室を主宰しているのです。3人の子供たちは、みな幼児期から片道4時間かけて高速バスで楽院までレッスンに通ってきていたのです。特に下の二人は、3年生ごろまで通い続け、長野でもピアノの勉強を続けており、声変わりした後も、よく歌うのです。昨年から、関東の大学に通っていると聞いていたため、助けを求めたのです。 見知らぬお兄さん二人が楽院にやってきたため、子供たちは、「あの人たちは誰?兄弟?一緒に歌うの?」と大はしゃぎです。1時間と短い時間でしたが、練習に参加してくれたことで、バッハの出来上がりが楽しみになりました。長く楽院から離れていても、こうして音楽を通して、つながることができる、一緒に歌う仲間になれるのが、音楽の持つ素晴らしい力なのです。 今日は、1月28日は母方の祖母が人生の幕を閉じた命日です。私はこの祖母の女の子の初孫であったため、たいへん可愛がってもらいました。祖母の100年にわたる人生は、私たちが教科書でしか知らない史実を生きぬいた時間でもありました。
祖母の晩年、私がよく聞いた話は祖父と一緒にフランスに留学した話でした。きっと、人生で一番、幸せだった頃なのでしょう。実際は、大戦や関東大震災など、辛いこともたくさん経験していました。特に、私と同年代で6人の子供を抱え、伴侶を病で亡くしたのは、たいへんなことであったと思います。その時、役に立ったのがピアノでした。NHKの美容体操の伴奏をしたり、大学のピアノ教授として子供たちを育てあげたのです。昔は、「何かあった時に、自分の身を助けるために」と子供に楽器を学ばせたものだったのです。最近、ピアニストをする叔母から、祖母がいかに厳しかったという話を聞き、驚きました。なぜなら、私の人生で誰よりも甘かったのが平尾の祖母だったからです。そういえば、祖母は、私がどんなにピアノを弾けるようになっても、決して口出しをしませんでした。両親も、「甘い祖母に学ぶと遊び気分になる」とよその先生につけたということもありますが、祖母自身、私に嫌われたくなかったのかもしれないと思うのです。 物を教えるのは、真剣勝負です。特に自分の子供だからこそ、「この子の将来のため」と思うため、親は鬼になれたのでしょう。教える方も、教わる方も心の葛藤は相当であったと思います。私の場合は、祖母が鬼にならずとも、家庭に厳しい父もいたため、祖母が甘やかしてくれたことは、今、思うと私には必要なことであったのかもしれません。おばあちゃん子特有の甘さやとろさも、生きていく上で役に立つこともあったりします。 叔母がピアノを習い始めたのは、第二次世界大戦の直後だったようです。疎開先に姉二人を残し、東京に戻ったことで祖母に手ほどきする時間ができたのです。小豆島で親戚の元に残された母とすぐ上の伯母が戻るころには、幼い妹がピアノを弾けるようになっていて、その子とで、母達が荒んでしまい、祖母は慌てて二人にバイオリンを習わせたそうです。しかし、母の妹は妹で、どんなに寒い日でも、手が凍えそうになりながら、早朝からピアノの練習をするのは、辛いことであったと記憶しているようでした。 兄弟姉妹は同じ時代を経験しても、それぞれの育つ環境も異なり、両親に対する感情も異なるものです。それぞれの側からのストーリーは興味深いものがあります。誰よりも祖母に手をかけられた叔母は、田舎に預けられた母にうらやましがられていましたが、心の中では、期待されない母たちをうらやましいと感じることもあったのかもしれません。 今のように、子供全員、平等に同じことを与えるなどということは不可能であった昔のことですが、その環境ゆえに、それぞれ、人生を生き抜く力を与えられたのかもしれないと思います。今は、豊かになり、恵まれた分、私たちには苦境を乗り越える力がなくなってしまったのかもしれません。日本の暗いニュースは、私たちの生きる力を試しているのかもしれません。 さて、結局、叔母は、祖母の期待通りピアニストになりました。そして、「妹のために我慢して」と懇願された姉たちは、自分で人生を切りひらきました。やはり、幼児期にどのように育てられたかによって、人生の進み方が決まるのは、一理あると思います。そして、幼児期に子供と向き合う大人は、将来、生きる力を備えさせるためにも、生半可で、いい加減な気持ちではいけないのだとつくづく考えさせられた祖母の命日だったのでした。 よく年齢の幼い子供に物を教えたり、知識を与えようとすると、「小さいうちから勉強させてかわいそうに・・・」と言う人があります。けれど、私は、妹に第二子が生まれてから、自信を持って言えるようになりました。それは、人間に育てるために幼児期からこそ教育すべきといういことです。
幼児に何も教えずに、勝手気ままを許し続けたら、動物のように育ってしまいます。自分の気分のまま、物を投げたり、叩いたりするかもしれません。兄姉というライバルがいる下の子は人一倍、気性が激しいところがあります。だからこそ、一日も早く、物の道理を理解させなければなりません。そのために、教育が必要なのです。言葉が分かるようになれば、他人の気持ちも理解できるようになり、イライラも収まるからです。学習と言っても、難しい先取り教育を推奨しているのではありません。身近な物の名前を教えたり、興味のあることをとことん、繰り返すのも良いかもしれません。子供が喜ぶことを、親が喜んでつきあうだけで、子供は学習を楽しいものを認識します。身近な兄姉がしている難しいことも、遊び感覚で真似できるのは第二子の強みです。 2歳6ヶ月になる甥Kは、最近、少し、大人の言うことが分かるようになり、癇癪を起したり、転がって怒る時間が減りました。これまでは、自分の気持ちを相手に伝えられず、自分だけがのけ者のような気持ちだったのかもしれません。最近は、「言っている意味が分かったんだよ」と言ったり、人間らしい様子が出てきました。 児童館などで、おもちゃを取るお友達がいると、「このお友達はずるいことをするから、もう一緒に遊ばない」と、大人がびっくりするようなことを言ったりします。相手の子も、「ごめんねって謝ったんだから一緒に遊ぼうよ」。2~3歳の子供同士でも言葉のコミュニケーションは可能なのです。 一般の2歳6ヶ月としては、若干、発達が早いかもしれませんが、年の離れた兄と対等になることを望むKには、自分の成長の遅さがはがゆくてならないようです。「ボクはいつになったら、ニィニになれるの?早く5歳になってYになりたい」と兄を呼び捨てにして、自分の成長をアピールします。 数日前、ロビーで遊んでいたKが、「我輩は猫である」の暗誦をすると、保護者の皆さんから、「すごーい」「どうやって教えたのですか?」と驚きの声が上がりました。しかし、これはKが特別なのではありません。幼児教育の世界では、「2歳児は天才」と言われ、誰もが知る事実として、驚くべき吸収力、記憶力を持っているのです。 あるお母様が、「こんなことができれば、ひっかいたり、動物みたいな行動もおさまりますか」と質問されました。自信を持って言えますが、学習することで、言葉を理解して、自分に表現力が身につけば、間違いなく乱暴はしなくなるはずです。気にいらないことは口で説明できるようになるからです。幼児が泣いたり、怒ったり、乱暴したりするのは、大人に気持ちを伝えられない自分の未熟さにイライラしているからかもしれません。 口を聞けない幼児にも、感情はあります。一緒にいる大人が気持ちを汲み取ることも大切ですが、それ以上に子供自身に表現力を備えさせることが大事だと感じます。教育は、他人さまより優秀な人間に育てるためにするものではありません。教育は、人間を人間らしくさせるために、あるのだと、Kは教えてくれるのです。
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昨日、出かけた療育園は実はご縁のある場所でした。なぜなら、楽院で預かる年長児Yくんが最初の診断を受けたところだったのです。昨日、お目にかかった先生の中に、初診に立ち合った先生が居られたので、私は音楽祭のチラシをお渡しし、Yくんが1500人の聴衆の前でオーケストラの伴奏で独唱するまでに成長したことをご報告しました。すると、「そんなことができる子にはとても見えなかった」と驚かれました。
療養園のグループ活動に参加して、一番に感じたことは、子供たちは、人懐こくて可愛い子供ばかりということでした。一般に、発達に未熟な子供たちは、口をきかなかったり、他人に警戒したりしますが、今日の子供たちは、初めて会う私にも興味を持って近づき、話かけたり、挨拶をしたりしていました。一般に、「療育を受ける」というとマイナスイメージがありますが、今日、出会った子供たちはみな幸せそうに見えました。なぜなら、わが子を心配して足を運ぶ親御さんの愛情が感じられたからでしょう。
音楽に深みを生むためには、年齢の低い子供だけでなく、卒業生の力も借りたいと思っていましたが、皆、忙しいのか、良い返事は誰からもありませんでした。そんな中、大学1年になる双子の卒業生M兄弟が練習に参加することになりました。彼らの母上は、幼稚園教諭をしていた頃に木下式と出合い、その魅力から認定講師となり、現在、長野県で音感教室を主宰しているのです。
祖母の晩年、私がよく聞いた話は祖父と一緒にフランスに留学した話でした。きっと、人生で一番、幸せだった頃なのでしょう。実際は、大戦や関東大震災など、辛いこともたくさん経験していました。特に、私と同年代で6人の子供を抱え、伴侶を病で亡くしたのは、たいへんなことであったと思います。その時、役に立ったのがピアノでした。NHKの美容体操の伴奏をしたり、大学のピアノ教授として子供たちを育てあげたのです。昔は、「何かあった時に、自分の身を助けるために」と子供に楽器を学ばせたものだったのです。
幼児に何も教えずに、勝手気ままを許し続けたら、動物のように育ってしまいます。自分の気分のまま、物を投げたり、叩いたりするかもしれません。兄姉というライバルがいる下の子は人一倍、気性が激しいところがあります。だからこそ、一日も早く、物の道理を理解させなければなりません。そのために、教育が必要なのです。言葉が分かるようになれば、他人の気持ちも理解できるようになり、イライラも収まるからです。