麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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祖母が教えてくれること
今日は、1月28日は母方の祖母が人生の幕を閉じた命日です。私はこの祖母の女の子の初孫であったため、たいへん可愛がってもらいました。祖母の100年にわたる人生は、私たちが教科書でしか知らない史実を生きぬいた時間でもありました。

祖母の晩年、私がよく聞いた話は祖父と一緒にフランスに留学した話でした。きっと、人生で一番、幸せだった頃なのでしょう。実際は、大戦や関東大震災など、辛いこともたくさん経験していました。特に、私と同年代で6人の子供を抱え、伴侶を病で亡くしたのは、たいへんなことであったと思います。その時、役に立ったのがピアノでした。NHKの美容体操の伴奏をしたり、大学のピアノ教授として子供たちを育てあげたのです。昔は、「何かあった時に、自分の身を助けるために」と子供に楽器を学ばせたものだったのです。

最近、ピアニストをする叔母から、祖母がいかに厳しかったという話を聞き、驚きました。なぜなら、私の人生で誰よりも甘かったのが平尾の祖母だったからです。そういえば、祖母は、私がどんなにピアノを弾けるようになっても、決して口出しをしませんでした。両親も、「甘い祖母に学ぶと遊び気分になる」とよその先生につけたということもありますが、祖母自身、私に嫌われたくなかったのかもしれないと思うのです。

物を教えるのは、真剣勝負です。特に自分の子供だからこそ、「この子の将来のため」と思うため、親は鬼になれたのでしょう。教える方も、教わる方も心の葛藤は相当であったと思います。私の場合は、祖母が鬼にならずとも、家庭に厳しい父もいたため、祖母が甘やかしてくれたことは、今、思うと私には必要なことであったのかもしれません。おばあちゃん子特有の甘さやとろさも、生きていく上で役に立つこともあったりします。

叔母がピアノを習い始めたのは、第二次世界大戦の直後だったようです。疎開先に姉二人を残し、東京に戻ったことで祖母に手ほどきする時間ができたのです。小豆島で親戚の元に残された母とすぐ上の伯母が戻るころには、幼い妹がピアノを弾けるようになっていて、その子とで、母達が荒んでしまい、祖母は慌てて二人にバイオリンを習わせたそうです。しかし、母の妹は妹で、どんなに寒い日でも、手が凍えそうになりながら、早朝からピアノの練習をするのは、辛いことであったと記憶しているようでした。

兄弟姉妹は同じ時代を経験しても、それぞれの育つ環境も異なり、両親に対する感情も異なるものです。それぞれの側からのストーリーは興味深いものがあります。誰よりも祖母に手をかけられた叔母は、田舎に預けられた母にうらやましがられていましたが、心の中では、期待されない母たちをうらやましいと感じることもあったのかもしれません。

今のように、子供全員、平等に同じことを与えるなどということは不可能であった昔のことですが、その環境ゆえに、それぞれ、人生を生き抜く力を与えられたのかもしれないと思います。今は、豊かになり、恵まれた分、私たちには苦境を乗り越える力がなくなってしまったのかもしれません。日本の暗いニュースは、私たちの生きる力を試しているのかもしれません。

さて、結局、叔母は、祖母の期待通りピアニストになりました。そして、「妹のために我慢して」と懇願された姉たちは、自分で人生を切りひらきました。やはり、幼児期にどのように育てられたかによって、人生の進み方が決まるのは、一理あると思います。そして、幼児期に子供と向き合う大人は、将来、生きる力を備えさせるためにも、生半可で、いい加減な気持ちではいけないのだとつくづく考えさせられた祖母の命日だったのでした。
by k-onkan | 2012-01-28 07:09 | 我が家のこと | Comments(0)
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