麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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遺伝子ってすごいなぁ・・・

孫弟子たちを見ていると、「遺伝子のなせる業はすごい」と思うのです。なぜなら、初めて顔を見た時、それぞれが、とても「懐かしい顔」をしていたからです。

e0143522_15203024.jpg3歳のSちゃんはママの弟を女にしたのかと思ったほどでした。1歳8ヶ月のYちゃんは、お母さんの兄の子どもの頃、そのままでした。そして、現在、生後8ヶ月になるSくんは、お母さんの兄Tくんにそっくりだったのです。私は、ずいぶん、長く、赤ちゃんに叔父さんの名前を呼んでしまいました。ところが、最近、気づくと名前を間違えなくなっていました。そして、その理由は赤ちゃんの顔つきが変わってきたから、なのです。

赤ちゃんの伯父さんは、子どもの頃から、とても気の優しい男の子でしたが、とても気が小さく、私たち大人をとても心配させました。音楽祭で独唱をする前日は、必ず、木下先生のホテルの部屋に一緒に泊めて、「絶対にできる」と気を強く持てるように、預かっていた、といえば、どれほど、心配したかが、想像できるかもしれません。

その伯父さんにそっくりだったのが、Sくんです。生まれた当初はそっくり同じ顔だったのですが、最近、すっかり目力が強くなり、気も強そうになってきました。それは、声をあげて、お母さんに自分の欲求を知らせる態度から感じることなのです。そこには、自分が声をあげれば、両親のどちらかが応えるはず、という「絶対的な信頼」が育っていることを意味していました。

よく乳幼児期は、特定の人と「愛着の形成」をすることがいかに大切か、そして、それがその子どもの「自己肯定感」につながっていくと保育関係の本に記されています。そして、その内容を漠然と理解しているつもりでしたが、実際、近い遺伝子を持った二人の男の子の成長を通して、お母さんが常に手元で育て子の強さと、お母さんから離れ、幼いながらも不安だった子どもの気持を垣間見たような気がしています。

もちろん、お母様が子どもたちをとても愛していて、生活のためにお母様も仕事をしなければならなかったことは、理解していたはずです。それでも、やはり、忙しく働くお母さんを見て、我慢したり、寂しかったりした記憶はあるようです。何より、お母さま自身が「娘には仕事より子育てを大事にしてほしい」と強く願っていました。

最近、幼児や低学年の子どもたちに「根拠がない自信」や「挑戦する気持ち」が希薄になっていることが、とても気になっています。もしかすると、生まれて数年のご両親とのつながりにも、関係があるのかもしれません。弱った時に、お母さんやお父さんに抱きついたり、話を聞いてもらったり、何に挑戦する時には応援してくれる、そんな些細なことが、とても大事なことなのだと感じています。
# by k-onkan | 2017-10-15 23:19 | のぞみクラス | Comments(0)

早期教育は意味がない!?

最近、ネットで「アエラ」の「早期教育は意味がない、慶応医学部教授が指摘、その理由とは」と題されたインタビュー記事を読みました。赤ちゃんは、たとえ未熟児で生まれ保育器の中に入れられても、「脳の形や機能が作りあげられていくための遺伝子の“決定力”はとても強く、少々環境が悪くても、大事な部分はしっかりと作られていく」こと、また、「特定の勉強、科目が得意か不得意かは、生まれつき決められている」ことが記されていました。

e0143522_10553321.jpg確かに、大勢の子どもたちと出会うと、持って生まれた才能や遺伝子の力を感じることが、多々あります。しかし、医師が「得意か不得意かは、生まれつき決まっていて、最低限のことをさせていれば、環境も整っているから、褒めて育てればいい子になる」と言い切ってしまうことで「医師が言うなら、もう何もしない」という選択をする親御さんが出てきそうなことに、私は不安を感じてしまいます。

脳医学者の中には、脳の発達に合せた適切な時期があり、耳や目の発達を促す時期、身体の発達を促す時期、言葉の発達を促す時期があることを唱える先生もあります。つまり、環境要因で変わることがあることもまた、事実なのです。同じ分野を研究する医師であっても、研究の対象によって、世に訴える事柄は異なるのです。それぞれの意見をよく吟味して、「理解できること、できないところを、押さえて読む必要を感じます。

私もこの記事の中に書かれた、「遺伝子がいかに強い力を持っているか」「親がわが子を愛することが何より大事であること」、そして、「音楽の早期教育をすれば、誰もが音楽家になるわけでも、早くから運動をすればオリンピック選手になれるわけではない」という意見には賛同できるのです。

しかし、苦手なことでも、好き嫌いを感じる前の早期からコツコツ続けていくことで、とてつもなく、不器用で運動神経が悪い子が「人並み」の動きができるようになったり、何もしなかった不器用な子の中に入ると「運動が得意」と評価されることも、事実として見てきました。ですから「早期教育は意味がない」とは思わないのです。

しかし、この記事で何より一番、気になったのは、「現代の日本の実情を考えたとき、特殊な環境、病的な状態を除けば、子どもを育てる上で足りないものは何もないと思うのです。十分な義務教育が用意され、衛生環境もよく、いろいろな家族形態はあると思いますがほとんどの家庭では子どもたちは大事に育てられている。そのような状況では、環境要因で何か上乗せしないと後悔するというものはないと感じます。最低限のものを用意しなくてはと考えなくても、お子さんとの生活をごく普通に楽しんでいただければ、子どもが生まれつき持っている可能性を阻害することはありません」というところでした。

「特殊な環境を除けば」と書かれてはいますが、現代社会は、多くの親御さんが共働きで保育所に預け、親子の時間や会話も、家庭で教育することも難しい時代です。小学生になって、わが子が義務教育の内容を習得させるためにも、特別な手助けがないと難しい時代といえます。そういう環境で育つ子どもたちに「幼児期は、最低限のものさえ用意せずに、ごく普通に楽しめば問題ない」とは、私にはどうしても思えないのです。
# by k-onkan | 2017-10-14 23:54 | 教育 | Comments(0)

三歳児神話に根拠がなくても

その昔、「3歳児神話」というものがありました。それは、「子供の成長は3歳までが重要」「3歳までは母親が育てるべき」「3歳までは母親が育てないと子供の成長に悪い影響を及ぼす」という3つの考えです。しかし、アメリカの研究で、「3歳児神話は合理的な根拠がない」とされたことから、いつしか、日本でも「無理してお母さんが育てなくても問題はない」ということになっていったように感じます。

e0143522_20415294.jpg確かに、生みの親でも精神的な虐待をしたり、愛情のないお母さんがイヤイヤ、わが子を育てるくらいなら、保育士さんやお稽古事の先生など、子どもの気持ちを理解できる人が関わった方が、幸せなこともあるでしょう。だからといって、3歳前の子どもにとっては、どんな質のいい教育者よりも、愛情あふれる実のお母さんにかのうものはない、と感じています。

「3歳児神話に合理的な根拠がない」と言われてきましたが、みんなが、「悪い影響は何もない」と信じて、親から引き離して、大人の都合だけで育てられる子どもが増えれば増えるほど、「やはり、3歳児神話はあるのでは?」と感じることが増えています。でも、きっとこの問題は、子どもたちがもっと大きくなって、情緒や精神に問題が出てかから、「何かがおかしいのでは?」「こんな育て方は正しくなかった」と気づくときがくるのかもしれません。しかし、それでは、遅いと思うのです。

科学的には研究者がいうように3歳児神話に、合理的な根拠はないかもしれません。長年、大勢の子どもたちを見ていると、3歳までの間に、愛情のある親御さんにしっかり育てられてた子の精神的な強さや根拠のない自信は、幼い頃から親に助けてもらえず、なんとなく、不安なまま成長した子どもとでは、絶対に同じではないと感じるから、「合理的な根拠はなくても、『3歳児神話は無視できない』と感じています。
# by k-onkan | 2017-10-13 20:41 | 幼児 | Comments(0)

愛情ある親になるのは難しい…らしい

木下先生とまゆみ先生は、毎週、一日だけ、電車を使って外房から出勤する日があります。今日はその日だったのですが、「ひどいお母さんを見た」と言って、憤慨して帰ってきました。

e0143522_20251631.jpgそれは、東京駅の地下道で3歳になるか、ならないかの小さな子どもが大泣きしていたのだそうです。その先には、子どもを振り返りもせずに、どんどん歩いていくお母さんの姿があったそうです。お母さんに気付いて欲しい子どもはもっと大声で泣き叫ぶのですが、お母さんは、一人エスカレーターで先に行ってしまいました。そして、反対側で泣き叫ぶ子どもに「泣いていないで、早くきなさい」と言ったとういうのです。

幼い子どもと人混みの中を歩いたり、エスカレーターに乗るのに、手を放したり、目を放したりする親御さんがいることが、信じられませんし、幼い子どもと一緒の時は、咄嗟に助けられるように、至近距離にいない危険や不安を感じますが、世の中にはそうでない「親御さん」がいることを、木下先生もまゆみ先生もはじめて知ったようです。

これまで、似たような光景を何度も見てきた私には、「親だからといって、わが子を大事に抱いたり、目を見て愛情たっぷりにあやしたり」ができない残念な親御さんの存在は、「珍しくない話」です。しかし、「親が愛情をもって子どもに接するはず」と信じている年老いた両親は、「こんな育て方をする親が存在するなら、他人がいくら、一生懸命、教育しても、その程度では変わらないのかもしれない」とかなりがっかりしたようでした。

私は、愛情が薄いお母さんが悪いというより、「愛情ある親になるための準備や予備訓練のようなものが、親になる前に必要なのでは?」とも感じています。子ども時代は「自分が頑張れば評価」されてきた人が、親になってわが子を愛することで、子供を側面支援することは、簡単なようで難しいことのように見えるからです。これから、母になる人、すでに母になった人には、できれば、愛情のある親御さんになって、ほしいと、願わずにはいられません。
# by k-onkan | 2017-10-12 20:23 | 親業 | Comments(0)

東京合同音楽祭の視察が始まりました!!

来年、2月の「第40回東京合同音楽祭」で、木下式の音楽祭の歴史は幕を閉じることになります。父と視察旅行に出るのも、これが最後かもと思うと、感慨深いものがあります。この25年、音楽祭の視察に関わってきましたが、その間、園児も保護者も、本当に変わったと実感しています。中でも、一番、強く感じ変化は、残念なことに、日本の子供が全国的に幼くなっていることかもしれません。

e0143522_1930015.jpgそれを感じるのは、木下先生が一人ずつ声を聴き、園の代表として「独唱」に選ぶときです。以前なら、各園を訪ねると、「自分こそが選ばれたい」と目をキラキラ輝かせて、待ちわびる園児が多くいました。そして、独唱に選ばれると、自己主張があったり、おしゃべり上手であったり、素晴らしい美声を持っていたり、音楽的な感性が豊かだったり、集中力があったり、いい意味で目立つものがあったのです。

しかし、最近は、「何のために東京から講師が来て、なんのために、一人ずつ発声をするのか」をわからないまま、気づいたら、選ばれてしまっているように見えることが、増えてきました。そのため、家庭に帰ってから、親御さんに「練習がたいへんだから、出たくない」と独唱を辞退するケースも出てきたのです。

今年は、最初に視察に行った地域で、独唱曲を渡した途端に、「出たくない」と涙が止まらなくなってしまった園児もいました。男の子は、とてもいい声だったので、「なんとか、園で指導して、出演させてあげたい」と木下先生は考たのですが、どんどん、涙がひどくなる様子に、「これでは本番が(きちんとできない可能性があって)心配」と選から外したのでした。

今の時代に育つ子どもは、子どもらしく無邪気に自信を持って挑戦できるように育つことが、難しい環境で生活しているのかもしれません。もちろん、10~20年前にも、選抜されてしり込みする子どもはいました。しかし、園長先生や担任の先生から、「代表に選ばれたことが素晴らしい」「あなたなら、できる」などと諭されて挑戦し、最後は「園の代表」として責任を果たし、巣立っていったものでした。

しかし、何より、残念に感じることは、みんなで「一つのもの」を作り上げることが、難しい時代になったことかもしれません。幼児期に音感教育を受けた子どもたちは、どの子も歌が好きで、声を出して歌いますが、その中に、ピアノの音や友達の声を聴かずに歌う子どもが増えているのです。

私が子どもの頃に比べると、現代に暮らす子どもたちは、自由を尊重されているということかもしれませんが、何かをみんなで作り上げる時や、社会で一緒に生活する時には、「ルール」が存在して、「いいこと」「いけないこと」の絶対的な基準は決して無視してはならないのです。

そして、音楽で一番、大切なことは、自己主張、そして、自分の演奏と同時に伴奏や他の人の演奏が聴ける「耳」です。しかし、今は、子どもがそれぞれ、好き勝手に行動するのが、普通で、どんなに指導者が注意しても、右の耳から左の耳へと抜けているように感じることもあります。

こうした時代の変化の中にあっても、第40回の東京合同音楽祭が、木下式の特長である「お腹の底から生き生きとした声」「幼児とは思えない舞台マナー」のまま、幕を閉じられるように、木下先生は今年も老体に鞭打って、各地の登録園に、音楽祭のための視察指導に出かけているのです。
# by k-onkan | 2017-10-11 23:19 | Comments(0)