麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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あえて助けるべきでないことも・・・

最近、凸凹を持つ子どものお祖母さまから、「孫の進学について心配でたまらない」というご相談がありました。これまで支援級に通っていましたが、音感教育を通して、さまざまな能力も向上した姿を見ると、一生、支援級に通わせることに疑問を感じることから、現在、普通級を目指しているのです。

e0143522_16151123.jpg
4歳から音感を教えてきた私は、その子が、人一倍、手間や時間がかかっても、確実に、自分の能力を身に付けていくことを知っています。そのため、勉強に関しては、彼が納得がいく教え方をされる先生と出合えば、大丈夫だろうと、あまり心配はしていませんでした。

しかし、これまで慣れ親しんだ環境や人間関係から、新しい場所への変化や、「支援級」と「普通級」では、周囲の期待が天地ほどの差があることが、子供の心身や感覚に今後、どのような影響があるかはずっと気になっているため、お祖母ちゃまのご心配の気持ちもよく理解できるのです。でも、これまで8年楽院に通って身に付けた能力が、現在、どこまで、通用するかを見極めるいい機会だとも思います。

成人するまでにあと8年―。万が一、学校や行政、医師から「普通級は難しい」と判断されるなら、それを隠して普通級に通学するより、「大人になるための課題」を与えていただいたと考え、問題点を改善する方が、本人が大人になってからが、生きやすくなるかもしれません。

お祖母さまも、ご両親も、私たちも、順当にいけば、子どもより先にこの世を去るものです。助けてくれる大人たちがいなくなった後、その子が自分で考え、まわりの人の協力を仰ぎ、自分の力でどのように生きていけるかが、一番、大切なことではないでしょうか。

子供はこれから、中学、高校、大学、社会人へと成長する中で、プラスなこともあれば、マイナスなことも、必ずあるでしょう。本人が出合う全てのマイナスを、大人が先に取り除くことはできないものです。それよりも、その時々、子どもが心身ともに健康に目を向けながら、その都度、よく観察し、必要な側面支援したり、自分で解決すべきことは、自分で乗り越えさせることも、また、凸凹を持つ子供が大人になるために大切な練習になると私は信じたいと思います。
# by k-onkan | 2017-08-21 23:58 | 発達障害 | Comments(0)

目の前の幼児に責任がある

福岡にて、木下式を実践する保育園の指導に出かけてきました。今夏の東京は、雨が多く、とても涼しく感じますが、福岡空港を一歩でると、夏らしい暑さを感じました。1日目は、担任の先生が園児に実践する様子を指導させていただき、2日目は80名の保育士の先生が集まって、木下式の基本である「音感かるた」と「刺激度」を学びました。


e0143522_5492479.jpg木下式の教え方は、「教え方の型」や「手法」「手順」の取り決めがあるため、「自分らしさ」がないように感じる人もいるようですが、実は、本気で相手に、教えたい、伝えたいと思う時には、表面的になぞるだけでなく、内面的な気配りや配慮、強さも求められます。そして、その「さじ加減」を適時にするには、ロボットにはできないかもしれません。

今夏の私の「テーマ」は、「人間とロボットの違い」なので、木下式の指導法を教えながら、表面的に私の声色やイントネーション、間合いだけを模倣せずに、目の前にいる幼児たちの様子を見ながら、指導していただきたいことを何度も繰り返し伝えました。

木下式は、「先生」の発音や音程を真似ることで幼児が自分の聴覚の音高の基準を備えていきます。この時、「先生」の発音が曖昧であったり、音程が不正確であると、幼児もそれを真似ることになります。先生が高い声で話しかければ、幼児も自然に高く呼応し、低い声で話しかければ、低い声を返します。

このことが、分かると「声の高さは、人それぞれ、好みがあっていい」とは言えなくなるのです。なぜなら、幼児期の発展途上の子どもに「刺激」を与え、能力を引き出すためには、日々、幼児たちと過ごす先生の声に、気力があふれ、幼児が受け止め易い「高めの声」の方が、幼児に好ましい影響があるからです。

講習会が終わり、ある園長先生が、こんなお話をしてくださいました。禅宗の僧侶でもあるその園長先生は、インドから中国、日本へと伝わったお経は、サンスクリット語が元になっているそうですが、そこには、独特の音程(節回しやイントネーション)があるそうです。

そのため、お経にも音程のいいお経とそうでないお経があるのだそうです。たとえば、師匠の音程がよければ弟子も修行を経て、どんどんそっくりで上手になるといいます。反対に、音程が悪い師匠につくと弟子も同じような音程になり、木下式と一緒」ということでした。

「音程の良し悪し」が、聴覚の発達や言葉の発達、物事を受け止める能力にまで、影響するからこそ、木下式に関わる大人の型には、目の前にいる幼児に大きな影響を与えている責任を忘れずに、日々、声質や音程に磨きをかけて修行を続けてほしいと願っています。
# by k-onkan | 2017-08-20 23:47 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

ようこそ先輩~ロボットアーム作り~

夏休みには、瑠音先生が仕事をする間、甥たちと自由に過ごす一日があります。昨年は、はとバスツアーに出かけましたが、今年は生憎の雨で遠出ができず、わが家で「工作をする日」となりました。

e0143522_13314434.jpg甥たちは二人とも工作が好きで普段から、廃材などでいろいろなものを作りますが、せっかくの夏休みに一日かけて作るなら宿題にもなるように、少し難しいものをと考え、ネットで「ロボットアーム」の作り方を見つけました。

ロボットという名称から、兄甥の理科の「物作り」の宿題になりそうな気がしたのですが、理数系が得意でない私には、専門的なことが分かりません。そこで、大学院でロボットの研究室を経て、現在は大手重工で研究員をする卒業生に質問を投げたのです。

「ロボットアームは、理解として、どんなことを学べるか?」という意味不明な私の問いにも、すぐに「物理、機構学、運動力学あたりでは?」との丁寧な回答がきました。その上、「ボクも一緒に工夫して何か作りたいですね」とわざわざ、我が家まで足を運んでくれることになりました。

質問から2時間後、先輩が到着した頃には、兄甥のロボットアームはほぼ出来上がり、動きが悪いところの微調整をしているところでした。弟甥は、自分で用意した「プラスチック製飛行機」があっという間に出来上がり、自分も「ロボットアーム」が欲しくなり、私が手伝うことになりました。

ネットで同じ動画を見て製作しましたが、それぞれの身体の大きさに比例したものが出来上がるので、巨人と小人のようなロボットアームとが出来上がりました。先輩は?というと、さすがプロです。ネットの作り方動画などは目もくれず、どんどん作っていきます。その上、親指はより人間の指の動きになるように、付ける位置が変えてありました。

何かに集中すると、それぞれ自分の世界に没頭し、無駄口をきかないのは男子の特徴かもしれませんが、それは、大人になっても同じようです。ただし、成人した先輩は、時々「物を作って一番、楽しいのは、動いたときなんですよね。ぼくもこれくらいの時に物を作るのが楽しかったですね」と私を楽しませるために、会話も振ってくれました。

先輩がいう通り、弟甥は自分のロボットが動くと分かった途端、喜んで装着して遊び始めました。段ボール製のアームで、いろいろな物を握ったり、持ち上げたりするので、提出前に壊れてしまうのではと心配になったほどです。

とはいえ、中学2年生と小学2年生が同じ作品を夏休みの課題として提出するのは、なにか釈然としません。そこで、兄甥は先輩からロボットの動きをグラフにする数式や、生物の関節についての説明を受けて、考察レポートを提出することになりました。また、弟甥の作品は、「工作」の宿題らしくロボットらしい色を塗るところまでして、完成となりました。

専門的なことを深く勉強している卒業生は中学生に分かるように、ロボットの動きを数式やグラフに表してくれます。どんなおもちゃにも数式で表せることがあることを知ると、その昔、理数系が苦手だった言い訳に「自分の人生に関係ある科目とは思えない」と言い放った中学生の自分の未熟さを思い出して恥ずかしくなってしまいます。

ですが、私たちが日々、使うスマホもパソコンなどの多くの便利なものは、理科や数学などを専門的に極めた人の手によって生まれて、私たちは活用しているのです。兄甥が説明を理解できたか、どうかは別として、若い間には、「得意なことだけ」に偏らず、いろいろなことに興味を持ってほしい、そして、自分で考えられる人になってほしいと、思うのです。

卒業生は、「ロボットを作ることは、人間を知ることになる」と教えてくれましたが、実際、弟甥と一緒にロボットの指を作ったことで、私たちに人間がいかに繊細な動きが可能な手指を持って生まれてきたのかを実感します。そして、それを同時に動かせることに「人間のすごさ」に感激しました。

これからはロボットや人工知能の時代で、ロボットがあれば人間は必要ないのでは、と錯覚してしまうニュースも多くなっています。ですが、やはり、人間は「人間にしかできないこと」を大切にしていかなければ、と個人的に感じました。

卒業生は、長年、ロボットに携わるなかで、「ロボットは、どこまでいっても、人間が作る範囲を超えられない。でも、自然からは、人間が想像する以上のことが、学べる。だから、人間がロボットに負けてしまうのはあまりに、残念」という考えで、とても共感が持てました。特に「人間のように答えることを覚えさせることはできても、人間が楽しいと感じることは教えられない」という言葉に、人間がロボットに負けない教育、自分で喜怒哀楽を感じ、そこから、考えることを大切にした教育をしなければ、と感じました。

一般に、難しいことを専門的に勉強する研究者は、頭がよい分、身体を使ったり、感覚を信じたりすることが、苦手な方が多いように個人的には感じますが、卒業生は、子どもの頃から自然の中で泳いだり、山の中で生活したり、など、身体を使う機会が多かったこともあり、頭と体と感覚のバランスがよく育ったのだろうと思うのですが、本人は、子ども時代のことはちっとも覚えていない、というのです。その話は、また今度、ぜひ、書いてみたいと思っています。

さて、通常、音楽を教える仕事をするとその世界の人としか出会わないことが多いものです。しかし、楽院で学んだ生徒の中には、異業種で活躍する人も多くいます。子ども時代に、音感を学んだことに恩義を感じてくださり、いろいろな世界の先輩が、こうして集まり、いろいろなことを教えてくださるこの環境こそ、私や甥たちが父から与えられた財産なのだと感じています。
# by k-onkan | 2017-08-15 23:29 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

面倒だけど頼りになる女の子

先日、小中学生の娘を持つお母さんたちと、お話をする機会があり、「女の子は面倒くさい」という話になりました。言葉通りで、単純明快な息子たちに比べ、娘は「言うこととやること」が異なったり、周囲を観察して損得を考えたり、大人の気持ちを忖度して行動したりと、同年代の男児に比べるとかなり複雑です。

e0143522_23384591.jpgでも、難しい時期の娘と、きちんと向きあい、母娘で乗り越えることが、その後の生き方に関わりがあるように思います。私は、自分でお腹を痛めたわが子はいないのですが、娘のような大勢の女生徒たちから、「女の子の賢さと面倒くささ」そして、「女の子と真っ向勝負する気概」を経験する機会を与えられました。楽院は、2歳から中学、高校、大学、大人になるまで直接的、間接的に関わるため、家族に近い感覚があるからかもしれません。

その女の子たちが、私に教えてくれたことは、女の子は程度の差はあっても母を乗り越えて巣立つもの、ということでした。母娘の難しい時期に対峙することを避けて、娘だけを社会に送り出すと、同性の人とうまくいかなかったり、自分に自信が持てなかったりすることがあります。場合によっては、母を極端に嫌って、一生、お互いを避けてしまう母娘の関係もありえるかもしれません。

お母さんにとって面倒くさい相手ですが、娘の「構ってほしい」という気持ちの裏返しということもあるため、面倒でも逃げない方がいいと感じます。また、母娘は冷静になれないからといって、子どもをよく知る他人に娘の相手を託すことも、あまりお勧めできません。娘の「お母さんと向き合いたい」という気持ちを無視したことになり、かえって、娘の気持ちを逆上させるからです。

心理学的には、女性は共感されるのが好きなものですが、この難しい時期だけは、へんに下手に出たり、共感すると、火に油を注いでしまうこともあります。生意気でも、面倒くさくても、真っ向から勝負を受けて立つこと、そうして、関わった母娘が、後で気付くと、お互いの一番の理解者になっているかもしれません。

私の母は、私と比べると、身体も小さく、たくましいタイプではありませんでしたが、私が思春期で難しい頃には、わたしの減らず口にも負けずに正面から対峙してくれました。当事は親が一番、傷つく言葉を選び、母に向かったこともありますが、それでも、最後まで受けてくれました。これが、私が難しい年頃の女の子に勝負を挑まれたら、受けて立つ理由です。それが、遠い昔、未熟だったころに、大勢の人生の先輩方に、生意気なことを言って、挑戦をしかけたことへのお詫びであり恩返しだと思っているからです。
# by k-onkan | 2017-08-14 23:37 | 思春期・反抗期 | Comments(0)

明るい声の女性に助けられた話

夏休みらしく、友人と映画を見て、お茶を飲んでいた時のことです。隣の席に座ったカップルのお嬢さんがいまどき、珍しいほど、高くよく通る声でした。店内はやや混雑していて隣同士の席が近かったこと、そして、女性の声があまりによく通る美声だったため、聴き耳を立てなくても、話の一部が耳に入ってくるほどでした。

e0143522_7154052.jpgそのお嬢さんは幼稚園か保育園の先生で、弟妹がいるご長女で、世話好きなことなどが次々と耳に入ってきたので、一緒にいた友人と慌てて、他の話題をはじめました。いまどきは、内向的で声を出すことが苦手な人も多く、一緒にいてもスマホのタイムラインを使って会話をするなど、声も出さずに互いにあまり踏み込まないことが多い中、このお嬢さんはその店内で際立っていました。

大事な時や、自分を主張する時に、自信をもって声を出せることは確かに大事な能力です。また、幼稚園や保育園で子どもと対峙するには、このお嬢さんのような声は理想的といえます。しかし、場所が変わると、「騒々しい」と思われたり、自分の個人情報がまわりにもれてしまったり、なにごともバランスが大事だと勉強になりました。

実は、木下式で幼児に「いい声を出すこと」を推奨する私も、若い頃は、公共の場で無意識で大きな声で話し、友人から「シー」と注意されたりすることがあったものです。今、声を出すことを教えている子どもたちには、大きな声が出せるようになったら、音量調整の機能を身につけることを教えなければと再認識しました。

お店を出てしばらく経って、そのお嬢さんが走って、追いかけてきてくれました。私が忘れた紙袋をわざわざ届けてくださったのです。このお嬢さんは、明るい声の通り、外交的なだけでなく、隣から漏れ聞こえた通り、他人のために動くことを厭わない優しい女性だったことに、なんだか、ほっこりした気持ちになりました。
# by k-onkan | 2017-08-13 07:10 | 自分のこと | Comments(0)