麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:発達障害( 144 )

特性は受け入れてもルールは守って!!

2年生の凸凹っこは合唱の時に集中しきれずに、前屈したり、後屈したりと、よく動きます。凸凹っこの「特性だから」「運動が足りないから」など、見つければ理由はあるのですが、「合唱団の一員」として楽院に通っているからには、少しずつでも、改善する努力はさせたいと思っています。

e0143522_20534641.jpgレッスンが終わると、その子が木下先生に近づき「木下先生、いいですか」と話し出そうとしました。この子は、集団行動やコミュニケーションは得意でなくても、自分が好きな世界や専門的な事柄は、大人が驚くような知識を持っています。そして、それを大人に披露するのが大好きで、木下先生も、その子の話によく耳を傾けています。でも、私は、「合唱のときに、自分の責任を果たせない人は一人前じゃありません。だから木下先生に話しかける資格もまだありません。今日はお帰りなさい」と取り締まりました。

この子にとって、苦手なことや失敗を指摘されたり、何かうまくいかなかった際に、自分の心が平穏を保ったり、自己肯定感のバランスを取るために知識を披露することが、必要な行為なのかもしれません。それでも、集団の中は、その子一人だけの都合が優遇されることはあってはならない、このことを自分の責任は棚にあげて、権利だけ主張したり、他人のあげ足ばかり取り、知識をひけらかす大人になったら、心配です。

凸凹の特性は、私たちとは異なる感じ方、とらえ方をするという「事実」はありのままに受け入れても、大勢の人間が存在する社会(集団)の中では、障害の有無に関わらず、共通のルールを守らないと共存できないことは、必ず教えたいと思っています。さもないと、「特性だから」を言い訳に、「特別だからルールは守らなくていい」と勘違いさせてしまいかねない特性を、彼らは持っているように感じるからです。

半年前から、勉強を始めた発達障害を持つ6歳の男児は、入学前から、音楽に馴染みがあったため、音感で学ぶ課題に関しては何の問題もなく吸収できています。そのため、レッスンを見学するお母さんは、「音符の読み書きや聴き分けができるようになったこと」に安心しているように見えますが、私は、どんなに音楽だけ分かるようになっても、課題によってルールが変わることや、私の指示を忠実に守れないことが、すごく気になっているのです。これを改善しないと、「音楽ができれば、小さなルールはどうでもいい」という勘違いをして、社会に出すことになりかねないからです。
by k-onkan | 2017-09-07 20:53 | 発達障害 | Comments(0)

発達障害について思うこと

発達障害を持つ子どもが、世の中にとても増えていると言われ、いろいろな場所でそれらしき子どもに出会うことが多くなりました。その一方、木下式を教えていると、最初はそれらしきお子さんが少しずつ、その特性と折り合いをつけて、友達と学習できるようになることも目にします。そう考えると発達障害は「改善する」と感じ、「障害」と呼ぶことに、少々、抵抗も感じるのです。

e0143522_11394514.jpg私が子どもの頃は「発達障害」などという診断名はありませんでしたが、「それらしき子ども」はいたと感じます。ただし、親は現代のように医師に連れていくのではなく、親をはじめ、まわりの大人がそれぞれ一生懸命、子どもと関わり、結果的に「働く大人」に育て、社会へと巣立っていたように思います。

ただし、その間、「もっと配慮されるべきだった」「辛かった」と感じた当事者も多くいたことから、この10年ほど、「発達障害に理解を」「その子のありのままを受け入れて」と配慮を求められるようになった結果、一生懸命、子どもと向き合うことさえ、その子のトラウマになるのではと、戸惑いながら子どもと対峙してきたのも事実です。

しかし、最近、発達障害は神経発達のアンバランスが原因であり、治る障害だという医師も出てきたと知り、発達障害の有無に関わらず、子どもを伸ばす基本は、愛情をもって相手を観察し、「丁寧な子育て」「細やかな教育」が基本なのだと、初心に戻っています。

最近は、健常に生まれたわが子であっても、お母さんが自分の赤ちゃんと意思疎通ができずに、「可愛いと思えない」「優しくできない」という方も増えています。まして、発達障害による「難しい一面」を持った子どもに丁寧に手間をかけて関わることは難しいでしょう。でも、親子で関わることで、発達することは、たくさんあると思うのです。

子どもは社会の宝です。せっかく生まれてきた命を丁寧に大事に、細やかに育てることは、とても大事です。障害があってもなくても、私たちは、どこかにアンバランスを抱えて生きています。そして、その凸凹差を少しでも、小さくするために、いろいろなことを身に付けていくのだと思うのです。
by k-onkan | 2017-08-25 23:36 | 発達障害 | Comments(0)

あえて助けるべきでないことも・・・

最近、凸凹を持つ子どものお祖母さまから、「孫の進学について心配でたまらない」というご相談がありました。これまで支援級に通っていましたが、音感教育を通して、さまざまな能力も向上した姿を見ると、一生、支援級に通わせることに疑問を感じることから、現在、普通級を目指しているのです。

e0143522_16151123.jpg
4歳から音感を教えてきた私は、その子が、人一倍、手間や時間がかかっても、確実に、自分の能力を身に付けていくことを知っています。そのため、勉強に関しては、彼が納得がいく教え方をされる先生と出合えば、大丈夫だろうと、あまり心配はしていませんでした。

しかし、これまで慣れ親しんだ環境や人間関係から、新しい場所への変化や、「支援級」と「普通級」では、周囲の期待が天地ほどの差があることが、子供の心身や感覚に今後、どのような影響があるかはずっと気になっているため、お祖母ちゃまのご心配の気持ちもよく理解できるのです。でも、これまで8年楽院に通って身に付けた能力が、現在、どこまで、通用するかを見極めるいい機会だとも思います。

成人するまでにあと8年―。万が一、学校や行政、医師から「普通級は難しい」と判断されるなら、それを隠して普通級に通学するより、「大人になるための課題」を与えていただいたと考え、問題点を改善する方が、本人が大人になってからが、生きやすくなるかもしれません。

お祖母さまも、ご両親も、私たちも、順当にいけば、子どもより先にこの世を去るものです。助けてくれる大人たちがいなくなった後、その子が自分で考え、まわりの人の協力を仰ぎ、自分の力でどのように生きていけるかが、一番、大切なことではないでしょうか。

子供はこれから、中学、高校、大学、社会人へと成長する中で、プラスなこともあれば、マイナスなことも、必ずあるでしょう。本人が出合う全てのマイナスを、大人が先に取り除くことはできないものです。それよりも、その時々、子どもが心身ともに健康に目を向けながら、その都度、よく観察し、必要な側面支援したり、自分で解決すべきことは、自分で乗り越えさせることも、また、凸凹を持つ子供が大人になるために大切な練習になると私は信じたいと思います。
by k-onkan | 2017-08-21 23:58 | 発達障害 | Comments(0)

何人に増えてもすることは同じ

半年まえ、言葉がなかった年長の男児が音感かるたの訓練によって、「質問されたことをオウム返しではなく、答えること」を覚え、音符の読み書きを学び、音を聴き分けたり、音符の読み書きができるようになりました。それに伴って、ひらがなも読めるようになりました。以前は木下先生に「名前は?」と聞かれて「名前です」と答えていたのが嘘のようです。

e0143522_17202071.jpg長年、こうした子どもたちの成長を見てきたので、「障害があるからありのままでいい」とは思えず、「できる」と信じて関わること、必要なことに手は貸しても「特別扱い」せずにみんなで一緒に学び成長することの大切さを感じています。

現在、全国の公立小中学校では、「通級指導」を受けている発達障害の児童・生徒が9万人を越えたと言われています。この20年で、7倍以上に増えているようです。発達障害になる要因も増えているとはいえ、7倍とは、すごい人数です。

けれど、昔もそうした特性を持つ子は大勢いたと思うのです。ただ、20年前の方がもう少し、大人が子どもに慣れていたり、子どもと関わる機会が多かったり、自分の特性の隠し方や付き合い方を覚える機会が多かったかもしれません。何より、「ちょっと変わった子ども」でも何か特技があれば生きられるおおらかさがもう少しあったと感じます。

楽院にも立派になった卒業生が大勢、顔を見せにきてくれますが、「子どもの頃の自分を考えたら、自分にも発達障害の特性はあると感じる」という子は少なくありません。しかし、「少し落ち着きがない」「人の話を聞かない」と注意されながら、それなりに、社会の中で特技を生かして活躍しています。彼らが子どものころの親御さんは、自分の子どもを支援クラスに入れたいとは思わず、できることをして、なんとか困らないようにさせたいと必死だったように思います。

前述のお子さんは、1年前は、「発達を判断するための検査が受けられない」ほど意思の疎通もできず、言葉もありませんでした。その子が、今年の検査では「4段階で一番軽い」という結果が出たといいます。1年間の発達を「成長」として喜ぶか、支援が少なくなるから困る」と考えるのかは、親御さん次第です。

けれど、発達障害がある子も、ない子も、楽院に通っている間は、私たちの「生徒」なので、何があっても発達させなければと思っています。発達障害がある子は特別な目で見られがちですが、彼らには特性による不便さもありますが、特性ゆえの「長所」もたくさんあります。

それは、不器用であっても、真面目に努力して、一度できるようになったことは簡単には忘れない、という長所です。こうした能力が定型発達のお子さんの励みになり、よきライバルになることもあるのです。世の中に、発達障害を持つ子が何人に増えても、これからも、楽院は特別扱いもしない代わりに、排除もせずに、これからも、子どもたち同士で、いい反応を起こさせ、成長させていきたいと思っているのです。
by k-onkan | 2017-06-23 23:17 | 発達障害 | Comments(0)

別人のように成長した!

恒例の津市の教室でレッスンがありました。その中で1年前に木下式のレッスンをはじめた年長児の女の子の指導をさせていただきました。一生懸命、集中して音感を学ぶその女の子の姿に、「木下式の効果はすごい」と、手前味噌ですが、思いました。

e0143522_20463339.jpgなぜなら、1年前、はじめて、この女の子とこの教室で出会ったときは、教室の前の路上で気が違ったかのようにギャーギャー泣き、凸凹の傾向を持つお子さん特有の「こだわり」を激しく見せたからでした。私自身、「こんな状態で木下式が教えられるのだろうか。音感教育よりも、まず療育などの専門家に救っていただいた方がよいのではないか」と、心配になるほど、それまでに出会ったことがないタイプの凸凹のお子さんでした。

1年経った今、当事の姿は別人のように、おだやかに音感のカリキュラムをこなしています。音楽を教える上での「意思疎通」には全然問題がありません。もしかすると、木下式の白黒はっきりした物言い、明確な指示、手順通りに進むレッスンなど、木下式ゆえの教え方が凸凹の特性でも学べる理由であり、もしかすると、幼稚園や他の教室ではまだ問題行動があるのかもしれませんが、少なくとも、音感を教える上では手間がかかりません。

以前、「木下式のように厳しいルールがある学習は、凸凹の特性を持つ子どもには、つらいだけなのではないか」と療育士の先生に言われたことがあります。しかし、長年、大勢の凸凹の特性を持つお子さんとおつきあいして思うことは、「規律がある」「善悪が分かりやすい
」ことで、凸凹の特性を持つ子は自分自身を守れているのかもしれないと思います。

もちろん、最初は「音感のルール」である「先生のペースで物事が進むこと」に慣れるまでは、泣いたり、嫌がったり、抵抗は示すものですが、一度、「そういうものだ」と受け入れられると手順通りに進むことは、かえって分かりやすいようです。

一つの場所で先生や友達と一緒に行動できるようになれば、他人と言葉で通じあえるきっかけになると感じます。特に、音楽が好きなお子さんは、それをどんどん伸ばすことで、他の科目や他の課題も連動して成長することがあると感じます。

木下式を学ぶ前は、言葉もなかったお子さんが、音感かるたを覚え、カラー五線譜に丸を書いたりする訓練をしている内に、ひらがなや数字を覚えられるようになったという例もあります。「音楽では生きていくための知識としてプラスにもならない」と思う方もいるかもしれませんが、音楽だからこそ、凸凹のある人の心が癒され、発達しやすいということもあるのではないか、と最近、つよく感じています。
by k-onkan | 2017-06-04 20:45 | 発達障害 | Comments(0)

一つの能力を伸ばすと他が伸びる

木下式のカリキュラムは、2~3歳のお子さんに無理なく、音感教育を行うために作られていますが、この訓練が発達障害を持つお子さんの「感覚統合」にも効果があるという理由から、一般の、「音感のクラス」とは別に「凸凹っこの感覚統合」を目的にした短期のクラスがあります。

e0143522_15443732.jpg音感のクラスは、聴覚訓練という見地から音感が確実に定着する4歳半までに訓練を開始することをお勧めしていますが、凸凹のクラスは小学生になったお子さんでも、木下式を受けることができます。

これまでも何人も小学生の凸凹っこが、このクラス体験に見えましたが、彼らにはある共通点がありました。それは、目の輝きが強く意欲があり、ハキハキと声を出すということでした。しかし、「ハイ」と自信をもって返事をしたからといって、こちらが想定する通り、理解しているとは限らないので、何を見て、何を考えているかを、観察しながら、凸凹を持つこでも「指示」が分かりやすいよう、キビキビとレッスンしています。

2~4歳児が取り組む「木下式のカリキュラム」は、一見、簡単そうに見えるかもしれませんが、聴覚、視覚、身体感覚を同時に使うため、年齢が大きくなればなるほど、難しいもののようです。

特に発達障害を持つお子さんは、両手両足を交差させて、音楽に合わせて行進したり、目と指を同時に動かしながら、ピアノの音を聴いて、口型を用意して、読譜するなどが、難しいようです。また、ピアノの前で立って話を聞いたり、歌を歌ったりする際に、足首や体幹がしっかり安定して育っていないと感じることが多くあります。そうした状態で、学校生活を送るのはたいへんだろうと想像します。

楽院では、音感教育を行うために必要な能力を育てるために、さまざまな運動器具を用意しています。中でも、凸凹っこに効果があるのが、ブレキエーション(うんてい)です。肩よりも高く手を伸ばして、5本の指を使って渡るうんていを行なうと、子どもたちの目線に気力がわくと感じます。

木下式の訓練で育つものがもう一つありました。それは、相手との「タイミングの図り方」です。指導者の「ハイ」という合図によって、タイミングを計って声を出すのですが、この時、自分のことしか考えていないと、タイミングがずれてしまいます。こうしたことを理解して、相手に合せることで、自分のことだけでなく、相手の存在も意識する習慣になるかもしれません。

このクラスは発達障害の特性を改善するための「療育的な課題」を改善することが目的ですが、歌を歌ったり、聴音書き取りをしたり、ピアノを弾くなどと学び、音楽を得意にすることで、他の能力が伸びたお子さんもあることから、途中で、能力が向上すれば、他のお子さんと一緒のクラスに参加されることもあります。体験授業は無料です。凸凹がある方でも、ご興味のある方は、ぜひ、一度、木下式を体験してみませんか。
by k-onkan | 2017-05-23 23:42 | 発達障害 | Comments(0)

共に生きるためには

楽院は、障害があるお子さんも、ないお子さんも、音楽の能力が同等になれば、一緒に勉強をさせてきました。この「区別しない」という事実は、文章にすると、耳に優しいものですが、一緒の空間にいる、というのは、きれいごとでなく、双方に努力を求め、実は、とても厳しいことだと感じます。

e0143522_20155252.jpg幼児期の子どもは、最初は、仲間の能力差には気づかないものです。でも、だれかが能力差に気付くと、その子を下に見始めることもあります。これは、私自身が3月生まれで経験したことですが、クラスの中で行動が遅い、できないことがある、泣いてばかりいることで、あっという間に「いじめられ役」になっていました。

幼稚園でいじめられる経験をすると、その後も、長くそこから抜け出せないと個人的には感じます。「いじめる側もいじめられる側」も表裏一体です。幼稚園の頃、「いじめる側」だった子が、小学生になったら「いじめられる側」になっていた、というのもよくある話でした。反対に、いじめられていた私は、自分より弱い弟に同じことをしていじめて、よく叱られたものでした。自分がやられたことは、誰かにしてしまいたくなるから、私は子供たちを「いじめる方もいじめられる方」にもしたくないのかもしれません。

障害を持つ子も、どちらかというと「いじめられる側」になりやすいものです。それでも、楽院の集団の中で、みんなと一緒に頑張れるように育てるのは、どんなハンデがあっても、音楽を学ぶ上では、平等であることを知ってほしいからです。

もう一つ、ハンデを持っていることで、必要な配慮はしても、だからといって、その子を「特別扱い」をしてはいけないと感じる理由があります。それは、障害を持つ子本人が、いつしかそれを利用して、「自分にやらなくてもいい理由」を付けることも覚えていくことです。

たとえば、「目が悪いから」「足が悪いから」というと「かわいそう」と許されることをしると、できることも「~だから、できない」と最初からあきらめる癖がついてしまうこともあります。

私自身、長年、いじめられる側に甘んじたことで、卑屈な自分をイヤだと思っていた時期がありました。だから、自分のまわりの子どもには、なるべく、そうならないように、できることはしたいと思っています。

卒業した子どもたちが、「楽院では、先生たちが厳しい以外の友達関係は平和だった」と感想を述べます。当時を思うと、親御さんの中には、「この子と一緒のクラスにはしないでほしい」とか「あの子ばかり、特別に手をかけて」と不満に思っていた方もいないわけではないと思いだします。しかし、当の子どもたちは、「平和だった」「楽しかった」という感想を持っているのですから、子どもたちのことは、守れていたのだろうと思うのです。

これからの世の中は、益々、いろいろな人との共存が不可欠になり、「差別」をしてはいけない社会になっていくことでしょう。でも、差別をしないためにも、されないためにも、お互いに努力は必要で、それは、どちらか、一方だけの努力でも、我慢でもあってはならないと感じています。
by k-onkan | 2017-05-07 23:13 | 発達障害 | Comments(0)

不可能なことなんか、ない!

半年前、言葉が出なかった凸凹の気質を持つ男の子は、半年間、木下式の訓練をしたことで、言葉が出るようになり、オウム返しもなくなりました。何より「音楽」がとても好きなので、自分の名前に反応をしなくても、音名や音感かるたの名称、そして、カラー五線譜の記譜の場はどんどん理解していきます。

e0143522_1753591.jpg誤解がないように書きますが、私は「自分の名前が分からないのに音符が書けるのです。すごいでしょ?」と言いたいわけではありません。願わくば、健常児も記憶するのが難しい「間音」が書けるなら、自分の名前にも反応してほしいと思っています。しかし、これまであまりに長く「わからない子」「反応しない子」として扱われてきたこの子には、とにかく「好きなこと」「わかること」「興味を持てること」に反応する喜びを知らせながら、普通のことにつなげていきたいと思っています。

数か月前、このお子さんがクラスに入ったことで、「楽院は音感を教える場で、療育の場ではない。わが子のクラスにこの生徒を入れないで」という理由から楽院をお辞めになった方もありました。どんなに高い音楽能力を持っていても、それほど、すごい状態だったのです。

そして、残念なことかもしれませんが、発達障害を持つ人たちが社会に対してどんなに「理解してほしい」「ありのままを受け入れて」と訴えても、あまりに非常識な行動をしたり、「言ってもわからない」としつけもしないまま放置されれば、周囲に迷惑がられて排除されることは事実なのです。今、楽院で私にできることは、預かった生徒の能力を伸ばし、少しでも、迷惑だと思われないように育てることだけです。お母さんにも世の中の厳しい現実を受け止めていただき、一緒に頑張る約束をしました。

脳医学の瀧靖之先生は、好きなことを伸ばすことで、脳の他の部分まで伸びることがあると教えてくださいました。この子には、音楽が何より「好きなこと」であり、「心に響くこと」であるので、木下式のカリキュラムをどんどん詰め込むことで、もしかすると、日常のことにまで、波及するような気がするのです。

数か月前は、音感かるたの名称「しかられたのシ」を真似るだけだった子が、今は、「シシシシしかられた」のメロディーを聴いて、「しかられたのシ」と答えるようになりました。きっと、すぐに、音名で識別できるようになるでしょう。半年前は、言葉も出なかった子が、そんなことができるようになるのです。可能性を大事に伸ばしていきたいと思います。

凸凹を持つ子の得意なことを伸ばすことに関しては、以前、読んだ「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」が素晴らしい書物でした。「あなたの息子は16歳になっても、自分で靴ひもを結べるようにならないだろう」という医師の言葉を、跳ね返したのは、母の愛情でした。息子が好きな世界を見つけ、それをとことん学べる環境を整えました。それと同時に、社会と関わる努力も決して否定しなかったことが、「いずれ、ノーベル賞候補となる」と言われるジェイコブに育てたのです。

障害あると、言っても通じない、しつけをしてもしつけができない、と大人はあきらめたくなることばかりかもしれません。けれど、それは、もしかすると、大人が「その子が分かる方法」で教えていないから、かもしれません。凸凹を持つ子に必要なことは、「丁寧な子育て」と言われますが、それは、凸凹がなくても、年齢の低い子ども、誰にでも必要なことだと私は思うのです。
by k-onkan | 2017-04-27 23:52 | 発達障害 | Comments(0)

立場が違うと正解も違う!

昨日のブログで「凸凹っこの減らず口は集団レッスンでは止める」ことを書きました。それは、家庭で許されることでも社会では許されないことがあることを、知らせたいからです。けれど、一つ、誤解していただきたくないことがあるのです。それは、もし、私たちに、十分な時間がある際には、「1対1」で本人の話を聞くこともあるということです。

e0143522_21481855.jpgお稽古事や学校などの場は、家庭とは存在意義が異なるものです。そのため、特定の子どもが一人だけ、勝手な話を続けると、授業に支障があり、他の生徒から反感を持たれることもあります。私が「凸凹っこ」の誤った言動をキビキビつむのは、他の生徒が不公平を感じさせないためでもあります。

だからといって、家庭では、私がレッスンで取り締まるようにわが子の私語を禁じたり、姿勢を正させていただきたいわけではありません。家庭では子供が話したいことを十分に発言でき、親御さんもそれに耳を傾け、楽しい時間を過ごしたり、スキンシップをとったり、忙しいお父さんと遊ぶ時間も大事だと思います。

子供も大人も、自分の希望がかなえられていないのに、他者のルールだけに従うのは難しいものです。大人が「わが子にこうあってほしい」と願うのと同様に、子供も「お母さん、お父さんにこうあって欲しい」という思いはあるはずです。そして、正解は場所や状況、人間の立場によって変わることもあり、決して正しいことは一つではないと、子供以前に、親御さんには忘れないでいただきたいと思うのです。

これまで、大勢の凸凹の気質お子さんと関わっていますが、その中で一番、劇的に発達をしたと思うYくんは、とても恵まれていたと感じますそれは経済的な余裕以上に人間に恵まれていたと思うのです。わが子のことを思う両親をはじめ、両方の祖父母に親戚、そして、信頼できる幼稚園、小学校、そして、親子二代で通う教室に通えたのは、とてもラッキーでした。

その中には、怒るとこわいけれど、いつも自分のことを考えくれるお母さん、寡黙なところがあって少し怖いお父さん、いつも面白いことをいって笑わせるお祖父さん、無条件で進歩を喜んで甘やかしてくれるお祖母さんたち、厳しいけれど分からないことがあったら絶対に分かるようにフォローする先生、それぞれには異なる役割と関わりがありました。

一般にはいろいろな人がいるので、「親は苦手だから子育てに関わらせたくない」とか「親戚づきあいが嫌」という考えの方もいるようです。しかし、子供の成長と発達に関してだけ考えると、家族の仲がいい、協力して目的に向かって力を合わせられることがマイナスになることはないと感じます。

こう書くと、「身近に祖父母や親戚がおらずに、頼れる人が誰もいないから、うちの子供はもうダメ、発達はしないんだ」とあきらめる人がいるのではと心配になりますが、子供にとって必要な「厳しさも」「甘さも」「優しさも」「面白さも」すべて大事なことを忘れずに、関わっていれば状況に合わせて、子供も成長していくのでは、と感じます。何より、家庭と社会の価値観が異なることを知らせるためには、親御さん自身がそのことを忘れないようにすること、かもしれません。
by k-onkan | 2017-04-22 21:47 | 発達障害 | Comments(0)

子供の言動に要注意!

低学年に高いIQと凸凹の特性を持つ男児がいます。彼はレッスンの際、みんなで話をしている時に、自分の興味がある話題へ導いたり、何か指摘されると、自分を正当化するために、難しい言葉を使ったりします。私たち大人「幼い子が使う難しい単語」につい感心してしまいますが、ほんの少しでも感心したり、同意すると、「ということは、すべてぼくが正しいということですね」と違う結果へと転がっていきます。

e0143522_19182948.jpgネット上で出合う揚げ足取りや、一般によくいる「モンスターペアレント」などは、まさしくこのタイプで、人の揚げ足をとり、喧嘩をふっかけたり、自分のルールで自己を正当化して迷惑をかけたりしています。しかし、私は将来、生徒にそんな大人に育って欲しくはありません。そこで、子供の減らず口に気が付いたら「今はその話ではありません」「そういう意味ではありません」等、一つずつ「誤解」をつぶすようにしています。

先日、メロディーを種々の音符で五線譜に記す「旋律書き取り」をしていた時のことです。
その男児は他人の何倍もの時間をかけて音符を黒く塗りつぶすのです。私は「そんなにいつまでも塗らないでもっと短く切り上げて!」というと「僕はじっくり丁寧なことが好きなタイプなのです」といい出しました。

自分の時間にじっくり丁寧にやるなら、好きにして!と思いますが、グループで速さを競って聴音する時間に、「丁寧が好きだから」とちっとも急がないのは、あまりに他の人の迷惑です。「みんなが待っていてくれるのだから、早くしてください!」。そう言ってもいっこうに自分を変えるつもりはないようです。そこで、私がピアノを弾く速度をあげてみました。すると、時間内に書き終わらなくなり、「ウウウウ」と恨めしい声を出し私を非難しはじめました。

このまま、私に「不当な目にあった」と恨みだけ持たせるのもいけないので、説明を試みました。「じっくり丁寧が好きと言うけど、例えばあなたのお父様が「3月31日まで」の仕事を丁寧に4月5日までかけてやったら、どうなるか分かる? 次の仕事はなくなることもあります」「つまり、無職ってことですね」「無職の話などしていません。限られた時間ででき上がらないと意味がないこともあるってことです」「いい加減にやっていいということですね」「違います。世の中には丁寧にやっても、3月31日までにきちんとできる人がいるのです。だから、丁寧だから遅くていい!のではなく、少しは急ぐ努力をしなさい」。

凸凹の気質を持ちIQが高いと、IQが低くても苦労するお子さんとは、また違った面倒やご苦労があると感じます。しかし、わが子の様子をよく観察して、子供があらぬ方向へ進まないように、大人もしっかり、見極める必要があるのは、凸凹の特性を持つ子どもの保護者だけではありません。どんな子供にも、勘違いや間違った言動はあるものです。また、自分を正当性して、他人に責任転嫁をするのも、「子ども」の特性かもしれません。親だからこそ、子供の言動を観察して、気づいたら、現行犯で正していきたいものです。
by k-onkan | 2017-04-21 19:18 | 発達障害 | Comments(0)