麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:お稽古事( 158 )

続ければ分かるようになる

とても嬉しいことがありました。それは週2回、通う年中の女の子が音感かるたの図柄を見て、「ド」「レ」と音名に繋げられるようになったことです。これまで、一生懸命、教えてきましたが、フィリピン出身のお母さんを持つSちゃんの家庭の会話は、ほとんどが英語で、その分、日本語の習得が難しかったのです。

e0143522_13122367.jpg音感かるたの説明では、指導者が「しかられ・たーの・シ」と手本を示せば、同じイントネーションと同じ口型で美しい声で真似をしますが、「そろそろ、記憶できたのでは?」と「しか…、何だった?」と二語先導を試すと、「しかなめ・らーの・シ」と、母音は同じでも、まったく異なる子音で意味のない言葉になってしまいます。

音感かるたは、「茶色のシカ」が「シ」と覚えるものではなく、「シカさんが泣いているのは、お父さんか、お母さんか、だれかに「叱られた」から泣いているから、しかられたのシ」なのです。そして、意味づけの語尾が音名「シ」を表しています。

大人であれば、「犬がド、カメはレ、小鳥がミ、ロボットがファ、パンダがソ、うさぎがラ、シカがシの印」と意味なく覚えることができるかもしれません。けれど、幼い幼児には、物事を関連づけて記憶させないと、記憶が定着しないのです。

そこで、「どろんこをして汚れているワンちゃん」「レスリングというおすもうごっこに似た遊びをしているカメさん」「電車ごっこをしながら、みんなであそぼうと呼んでいる小鳥」「ファントマという名前の怪人ロボット」「風船で空を飛んでいるパンダ」「ごっつんことらんぼうをするウサギ」「叱られて泣いているシカ」と、説明の中で、音名と同じ韻を持つ言葉を登場させています。

しかし、いつまでも、「どろんこ」「レスリング」「みんなであそぼう」「ファントマ」「そらまで」「らんぼう」「しかられた」という意味づけに直接、関連する言葉によって、思い出させていると、連想力や記憶力は伸びません。

そこで、「よごれている」「おすもうごっこ」「電車ごっこ」「怪人ロボット」「風船、パンダ」「ごっつんこ」「泣いている」という言葉から意味づけ語を答えるという、もう一段階、難しい課題が用意されています。

これを「想起語」と呼ぶのですが、親御さんのどちらかが外国出身のお子さんには、この用語の意味が分からず、連想できるようになるまで、とてつもなく、高いハードルなのです。「しかられた」を「しかなめた」、「みんなであそぼう」を「みんなであとろう」と言っている子どもには、想起語がどこからきた言葉かもわからないのは、当然です。

数か月前からピアノをはじめたり、週に2回、通っていただいたりして、少しずつ音感で使う日本語だけは、分かるようになってきて、音感かるたと音名が結びついてきたようです。せっかく、楽院に通ってくるからには、歌が上手なだけでなく、音感能力があって、音符の読み書きのできる子に育てたいと思っています。そして、そこは、バイリンガルでも、日本語が苦手でも、一度、お預かりしたら、関係なく伸ばさなければ、と頑張っているところです。
by k-onkan | 2017-06-21 23:28 | お稽古事 | Comments(0)

個性を大事にするということ

30年近く、幼児児童の音楽教室の運営に携わり、現代の子どもを見て、心配に感じていることがあります。それは、「女の子の能力が下がっていること」そして「男児は能力差が大きくなっていること」です。

e0143522_163175.jpg30年前、音楽を学ぶ女の子たちは、親元で手をかけられて、レッスンに通ってきたものです。たとえば、宿題を与えたら、自分できちんと消化できるのが女の子の特長でした。万が一、問題が解決できなくても、近くにいるお母さんが困難を乗り越える手助けをして、いつしか、自分でできるようになっていったものでした。

反して、子ども時代に、楽院のような厳しい音楽教室に通ってきた男児は、幼児期は一般のお子さんより、かなり手間がかかりましたが、男児は10歳を過ぎてから、自分の意思で学ぼうとする「伸び幅」のようなものがあり、結果的には立派な大人に成長したと感じています。

今は早い時期から集団生活に入ることで、男女ともに、特有の個性が引き出されていないように感じるのです。女児は、男児に比べて、脳の発達が早い分、幼い頃に賢さやおしゃまな様子、おしゃべり上手で社交的なところがあったはずです。

男児は幼い頃、わからんちんな面があっても、真面目なところ、何か一つのことに熱中する面が、10歳以降に開花したのですが、そうした男女の個性が分からないまま、育つことの弊害は、これから少しずつ、教育の現場や就職時に出てくることかもしれません。

これも、「時代の流れ」で致し方ないこと、といったら、それまでですが、本来、子どもが持っている能力はできるだけ、引き出したいと思っています。それは、音楽を学ぶ上で何より大切になる、自分らしさ、個性になるはずですから――。
by k-onkan | 2017-06-12 23:30 | お稽古事 | Comments(0)

幼児期のおけいこ

大人のお稽古なら、「先生に失礼がないように」とか「対価に見合ったことを学ぼう」と自分を律して臨むかもしれませんが、幼児期のおけいこごとは、「幼児に無理のないこと」「できて楽しい」ことを用意していても、少しずつあがるハードルに「今日はやりたくない」「暑くて疲れた」など、頑張れない日もあるものです。e0143522_12554144.jpgそして、そんな時、一番、心が折れそうになるのは、わが子に「やりたくない」と大泣きされたり、抵抗される親御さんかもしれません。

特に、働くお母さんにとって一緒にいる時間に抵抗されると、「頑張りなさい」と強さを見せるより、「そんなにいやなら、もうやめていい」と受け入れてしまうかもしれません。しかし、子どもは勝手なものなので、後になって「どうして、あの時、きちんと、強制してでも、できるようにしておいてくれなかったの?」と親御さんを責める可能性もあるのです。

親にとって心が折れそうな子どもの「いやいや期」ですが、子どもたちは、さまざまな喜怒哀楽を通して、少しずつ、成長していくものです。そして、思うのは、「親御さん、負けないで」ということです。どんなに母子は一心同体でも、お稽古事を学んでいるのは子どもです。親子は別人格で、母の感じ方と子どもの感じ方は同じではない、このことを忘れないようにしたいものです。

お母さんは、わが子が叱られると、「どうしてダメなの?」と納得がいかないかもしれませんが、子どもは案外、「そうか」と受けいれ改善する努力をしていたりするものです。この時、お母さんが「うちの子を否定するなんて」とお稽古事を辞めたら、人間関係も、お稽古も、そこでおしまいになってしまいます。

先週、はじめての母子分離で大泣きした2歳10ヶ月の女の子は職員室まで行き、木下先生に出合いました。その翌週のレッスンでも「やりたくない」とお母さんにしがみついて泣きましたが、今回は情に訴えて、優しく諭すことにしました。「あのね。ママもパパも、したいことだけして、生きているわけじゃないのよ。ママにだってお料理したくない日もあるし、パパもお仕事に行きたくない日もあると思う。でも、Rちゃんのために、頑張っているんだよ。だから、Rちゃんも、やりたくない日も、頑張れるようにしなくちゃね」。

それでも「ママと一緒がいい」というので、「ママと一緒にお勉強していいのは、0歳と1歳まで!」。ここで文明の利器アイパッドの登場です。これまで撮りためたベビークラスの写真を見せて、「ほら、これが0歳の子。まだ、一人でハイハイもできないのよ。おやつもおっぱいを飲むから、ママが一緒なのよ。Rちゃんは、一人で歩けるし、おやつも食べるでしょ?」「こっちは、1歳の子。一人で歩けるようになったけれど、まだ名前を呼んで、『ハイ!』しか言えないの。Rちゃんは、上手にお話もできるでしょ?音感の勉強もできて、おりこうなのよね。今日は、好きなことからしてみない?」。少しだけ、譲歩をすると、納得して取り組み始めました。

「今日も泣くのか」と心が折れそうだったお母さんも、機嫌を直して頑張る女の子の姿を嬉しく思われたことでしょう。もしかすると、「毎回、機嫌をとってやらせてほしい」と思われているかもしれませんが、私は毎週、ご機嫌取りをして勉強させてはいけないと思っています。なぜなら、誰も機嫌をとる人がいなかった時に、自分ができないことを「誰も助けてくれなかった」と他人に責任転嫁をする癖がつくかもしれないからです。今回、私が、この子にご機嫌取りをしたのは、楽院の中で「一番、こわいもの」を見た翌週だからです。

大人は、なるべく、子どもに機嫌よく「いいこと」を吸収してほしいと願っているものです。そのため、情に訴えたり、話して諭すだけで、理解させようとしがちです。けれど、幼児期の子どもが求めているのは、喜怒哀楽の感情を含めて、相手をしてくれる大人であり、ときに、怖い思いをしても、一緒に乗り越えてくれるなら、トラウマになどなりません。大人がいつも優しい顔、甘い顔を見せてしまうと、子供は「この人は、何をしたら、怒るのだろう」とわざと、反対のことをしたり、指示に従わなかったりして、相手を観察することもあります。そして、こうした、いろいろな感情ややりとりもまた、幼児期のお稽古事には、大事な学びなのかもしれません。
by k-onkan | 2017-06-09 23:53 | お稽古事 | Comments(0)

継続は力・・・それしかない。

お稽古事で一番、大事なのは休まずに続けること。これは、昔からよく言われてきたことです。芸事でもスポーツでも、何ごとにも共通点があると思いますが、壁にぶち当たって、そこで、「もういや」と放り出したら、そこまでです。

e0143522_803415.jpg「一度、はじめたことは最後まで続ける」、これは、我が家のお稽古ごとに対するスタンスです。現在、中学2年になる甥は、今も合気道とピアノの勉強を続けています。小学生の時に習っていた水泳と体操は1級になるまで継続し、中学進学とともに終わりにしたようですが、今でも、走ったり、泳いだりは彼の得意なことです。現在は陸上部の中長距離選手として大会に出られるように、計画的に練習をしています。

実は、兄甥は決して運動神経がいいタイプではありません。生まれてすぐから観察してきた私たちは、スポーツマンの義弟ではなく、運動が苦手な「木下家の血」を濃く受け継いでいると感じ、申し訳なく思うことが多くありました。

また、斜視が重く、対象物が二つ見えたことでボールなど、動くものも好んで近づいたりはしなかったこともあり、センスだけで見ると、決して、「運動向き」ではなかったことは、素人でもわかりました。それでも、諦めずに継続していれば、他人より進歩が遅くても、他人より多少、格好が悪くても、いつかできるようになります。

子どもを「諦めずに通わせる」ためには、通っている子ども以上に、応援する親御さんの意欲がなくならないことが大事に感じます。「わが子他の子より目立たない」「才能がありそうな気がしない」「他のものが魅力的に見える」など、親御さんが目移りする理由も、たくさんありますが、「子どもに力をつけること」を目的に、親御さんの心がぶれないことを願うばかりです。
by k-onkan | 2017-05-25 23:46 | お稽古事 | Comments(0)

大人ほど子供はつらくないかも・・・

あるお母さんから他の教室でのお子さんの様子についての悩みをうかがいました。その教室では10人の幼児が一緒に数学系の課題に取り組むそうですが、話をきけない子どもたちが授業についていけない、とのことでした。

e0143522_12162966.jpg担当の先生に相談したところ、「話をきかない子はそのままで進みます。できるようになるまで、このクラスを受講してください」との回答にお母さんの気持ちが弱ってしまったようです。

木下式は「親が子どものために」と作られた教育法です。そのため、子どもが嫌がっても「追いかけて」でもその日にやるべきことは最低限させるのが楽院です。昔の親は子どもが嫌がっても「必要なこと」と思えば、親が本気で関わったものだったからです。しかし、ほとんどの教室や幼稚園、小学校はそういう場所ではありません。現在、楽院で口うるさく同じことを反復しているのも、よその教室や幼稚園、学校で、「口うるさい人」がいなくても、自分から取り組めるようにするためです。

幼児期であれば、「好ましい友達のいる教室」や「教え方の上手な先生」を選んで、お稽古事に通えるかもしれません。しかし、実際、幼稚園、小学校に入れば、それが私立であっても、いろいろなクラスメートがおり、中には経験が浅い先生もいるはずです。どんな環境でも、他人に責任転嫁せずに、わが子が自分から吸収できる人に育てるために、「幼児期の限られた時期」にできる経験は、多い方がいいと感じています。

また、見ている保護者は、心が折れそうでも、本人はその時間を結構、楽しんでいたりもするものです。大人は「何も身についていない」と思うと「時間の無駄」と思いますが、家庭で、10人の子供から受けるのと同じ刺激を与えるのは、難しいものです。また、ある日突然、自分から「一生けん命、やろう」と思う時期がくるかもしれません。

楽院は追いかけてでもやらせる教室ですが、だからといって、何どもかんでも、無理強いしてやらせることが、正しいとは思わないのです。本人の気持ちが入っていないと、表面的に取り組んでいても、何も吸収されていないこともあるからです。

実は、私は木下式を指導する際、場所によって、変えている姿勢があります。それは、楽院なら預かったお子さんには、その日の内にやるべきことは最低限、やらせますが、保育園で指導する際は、「やりたくない」という子には無理強いをしないようにしています。その日は、あえて「見ないふり」をしてあげると、子供が「自分もできそうだ」と確信をもった時に一緒に参加するようになったりするからです。

能力差がある中で、「自分から取り組むため」には、「他の子と対等にできる」と子供が自信を持てる時だけなのです。だからこそ、同じことを繰り返し、丁寧に指導することは、先に吸収した子どもには余裕になり、後からついていく子どもは、他の子に追いつく時間を与えられているのだと感じます。

話をきかない子は置いていかれるお稽古事を「続けるべきか」「辞めるべきか」は、親御さんの考え次第です。しかし、最初は優秀だと思っていたお子さんが途中で息切れしたり、最初は遅れていても、後から本気を出していい結果を出す子どももいることから、途中の出来、不出来にはそこまで一喜一憂しない方が、よいと個人的には思います。そして、どんな紆余曲折があっても辞めずに続けた人が、結果的には一番、力がついているものなのです。
by k-onkan | 2017-04-14 23:13 | お稽古事 | Comments(0)

教育成果は家庭の力次第!!

同じ手法で同じ時に同じ教育を与えたからといって、全ての子どもの結果が、同じにはならないのが教育といえます。たとえば、タネの内に平等に栄養のある土を入れ、水をやって、深く根を張らせても、それぞれのタネには性質の違いがあるでしょう。また、それぞれのタネができるまでの環境、どんな種類で、どんな培養をされたか、その後の世話の仕方によって、せっかく出た芽もまっすぐに育たないこともあります。

e0143522_1991615.jpgたとえば、嵐にあって枝が折れそうになった時にすぐに固定してもらえる環境に育つ木もあるかもしれません。反対に、適時の保護がまったく得られない木もあるでしょう。それぞれ、どんな大木に育つかは、それぞれがたどった道によって違うと感じます。ただ言えることは、タネの時期から十分な栄養を与えられ、大地にしっかりと根を張ることができた木であれば、多少、嵐に枝をゆさぶられても、最後は必ず、太陽へ向かって堂々と枝を伸ばしていくだろうということです。

これをもっと、身近な例に言い換えましょう。たとえば、楽院のような音楽教室に通ってくる際には、同じように幼児期から通ったとしても、家庭に音楽を聴く習慣があるか否か。ピアノの練習を毎日させられるかどうか。子どもに日常生活を規則正しくさせられるか否か。親の言葉に耳を傾けさせられる家庭かどうかによって、結果的に、子供の音楽能力に差が生じることがあります。

また、せっかく通わせながら、親御さんが「これが何の役に立つのかしら?」と疑問に感じたら、残念ながら、その子どもはあまり伸びません。これは、「通うからには、すべての言葉を信じる信者になりなさい!」という意味ではありません。自分の子どものためを思って選んだはずのお稽古ごとを、親御さん自身が信じられないのに、子供が素直に教えを吸収できるはずはないと思います。

どんなお稽古ごとでも、「いいとき」もあれば「悪いとき」もあります。その中で、子どもを進歩させるには、その責任は「教室だけ」にあるのではなく、そこに通う家庭、そして、親御さんのサポートも、大きな影響があることは忘れないでいただきたいと思うのです。
by k-onkan | 2017-01-11 23:07 | お稽古事 | Comments(0)

親御さんも一緒に頑張ろう!

楽院の成果発表会を終えた翌日、私は恒例の三重県の教室へ指導に出かけました。その教室では1週間後に、発表会を控えています。歌唱指導をする前に、子どもたちにピアノも聴かせていただきました。音楽会の前は、家庭で練習するのと異なる緊張感を持たせることで、歌も本気で取り組む一助になればと思ったのです。

e0143522_16515452.jpg前日の楽院の発表会でも同じことが言えますが、自分で「腹を決めて」真剣に取り組む子もいれば、「大人に言われて取り組む」という受け身な子もいるものです。その中で、それぞれに最大限の能力を発揮できるようにしないと、教える意味がないと、感じるのです。

弾きはじめてすぐに間違える子がいたので、「音楽会の1週間前に、そんな状態でいいの?先生がかわいそう」と話しました。子どもは「音楽会の出来」は「自分だけのこと」で本番、上手にできても、下手であっても、誰にも迷惑をかけないと思っているものです。けれど、音楽会というものは、指導する先生の指導力を見せる場なのです。先生がどんなに一生懸命でも、子どもが練習を嫌い、本番に失敗するのは、「先生に失礼」だと感じます。

最近、子どもに「できないなら、音楽会に出なくていい」とか「一生懸命、頑張らないならやってはいけない」というと泣いて抵抗を示のですが、実は、私たちは子どもを泣かせたいのではなく、「一生懸命、練習して、なんとか、できるようにする気概」を見せて欲しいのです。

子ども時代に「やる時は全力を尽くし一生懸命頑張ること」を教わったかどうかは、後の人生を左右すると感じます。という私も、子供時代は本当に怠け者だったと記憶しています。だからこそ、子供時代に叱られて矯正されたことが、大人になった今、役に立っていると感じるのです。少なくても、大人になったら、何かに取り組む時は、全力を尽くせるようになったと思うからです。

さて、子どもに「中途半端はいけない!」と注意する時、私たち大人は子ども以上に真剣である必要を感じます。先生は、子どもたちの能力を引き出すために、最大限の努力が必要ですし、親御さんには、わが子の成長に興味を持って、小さな進歩を喜び、怠け心を見抜き、上手にできたら、「親バカ」と言われても、自分のことのように喜んでいただきたいと思うのです。お稽古ごとでの、親御さんの役割はただ月謝を払うのではなく、専門教育を通して、わが子の躾や教育を共に担っているのですから。
by k-onkan | 2016-12-11 23:50 | お稽古事 | Comments(0)

幼児期はお母さんが必須!

働くお母さんを持つ子どもは、お母さんの仕事がお休みの日に、「お稽古ごと」に通うことになります。お母さんの貴重な休日に、なるべく有意義に過ごすためには、仕方ないことではありますが、大人の側には工夫と思いやりが大切です。

e0143522_1131933.jpg最近、入学した3歳の男の子も、レッスンの日は、午前中に他のお稽古事に行って、お昼寝の後に「音感のレッスン」をしています。そのため、最初は必ず「お母さん、お母さん」と泣いてお母さんを横に求めます。

普段、保育園で生活するお子さんは、「レッスンだから」といって無理をして「母子分離」をしないようにしています。どんなに「いい保育園」に通っているとしても、子供にとっては毎日が「母子分離」なので、休みの日まで、お稽古事で「母子分離」をさせるのは、あまりに不憫だからです。

大人の都合だけ考えれば、一刻も早く「やるべきこと」をやって、帰った方が楽かもしれません。けれど、お稽古ごとは、本人の気持ちを無視しても、決して、いい結果は生まれないのです。

そこで、多少、開始時間が過ぎていても、「お母さんに抱っこしてもらっていいわよ。すぐにやらなくていいから、泣くのをやめよう」とご機嫌を取ながら、少しずつ授業に引きこむようにしています。

また、保護者の方には、お子さんが気持ちよくお昼寝から目覚めるための「甘いもの」の用意をお願いしています。音感のレッスンで、「無理にお母さんとひき離されない」と分かり、自信が持てれば、自然にお母さんと離れられることは、長年の経験で分かっています。

一般に幼い子どもが、「お母さん、お母さん」と泣いてすがる時は、新しい場所や人、課題が不安な時です。そして、幼児期の教育は、「子どもがしたいこと」ではなく、親が「子どものために選んでいること」なので、「親御さんがいなくても大丈夫」という自信が持てるまでは、親御さんの応援が欠かせないと思っています。
by k-onkan | 2016-12-01 23:29 | お稽古事 | Comments(0)

素直に直すのは物を学ぶ基本

毎月、恒例の三重県の教室に指導に伺いました。2歳のクラスから始まって、小学生の指導をメインに行いましたが、一つ、気になることがありました。それは、この教室に限ったことではないのですが、日本全国どこで、教えても、子どもたちが物を習った時に、素直に受け止めて、直すこと」が難しくなったと感じることです。相手が子どもであっても、その子自身の個性があるので、何から何まで、大人の言いなりになって欲しいと願って言っているわけではありません。ですが、物を習う基本は「素直に聞く」ことなのです。

e0143522_12333687.jpg中村勘三郎さんの言葉で「型があるから型破り、型がないのは形無し」と言うものがありますが、どの世界でも大事にする「型」があります。木下式の発声なら、歌う以上、正しい音程は絶対であり、そのためには、母音(口型)に忠実でなければなりません。そして、一度、正しい声で歌えるようになれば、異なる母音を持つ言語でも難なく歌えるようになり、その時、はじめて、日本語の口型から、離れても、美しい響きを作れるようになると感じます。

子どもにとって、「素直に聞く」「言われたことをその通りにすること」が難しいのは、子どもの世界に「絶対」に従わなければならない相手がいないことも一因かもしれません。たとえば、家庭で「ダメよ」と言われても、大人が見ていないところなら許されるとしたら、「ダメ」と言われても、やったもの勝ち」ということになります。でも、音感のレッスンでは、「いわれたこと」をしないと、終わらせられません。なぜなら、10回中、いつでも同じことができなければ、「定着」したことには、ならないからです。

子どもたちは、最初は、1回、2回と、いい声を出しても、3回、4回と継続する内に、集中力が途切れ失敗します。通常なら、そこで、「次は頑張って」と許されるのかもしれませんが、木下先生ほどではありませんが、私も一般の先生よりはしつこい性質なので、「もう一度、もう一度」と繰り返し「できるようにならないと、先生は終われない」と子どもが観念するまで付き合います。この繰り返しが、子どもの力になっているのですが、大人の世界には、「予定」というものがあって、時間が押してしまったりして、ご迷惑をかけてしまいました。でも、「時間」を無視しても、「この人は、本気だ」と思わせないと、子どもに負けてしまうこともあったりするのです。
by k-onkan | 2016-11-27 23:32 | お稽古事 | Comments(0)

地道にやると結果がついてくる

二週間後の発表会に向けて、ピアノの試聴会を行いました。出演者の親御さんに楽院まで来ていただき、評価を書いていただくのです。子ども達はこの「試聴会」で音楽会に向けて、本気になり、二週間でどうにか形を付けてきます。

数年前から、練習もしなくていいピアノ教室が人気だと聞きますので、子どもの音楽会の本番前に何度も人前で弾かせたり、保護者を呼んで試聴会をする教室は、珍しいのかもしれません。しかし、本当に何かをできるようになるためには、なんとなくただ取り組むより、「上手になりたい」という意識を持つことが必要です。最初は「弾けるようにならない」と思っていた曲が、長い月日をかけて、できるようにしていくことで、音楽だけでなく、他にもいい効果があると感じます。

e0143522_12123457.jpg最近、とても感心するのが、楽院の男の子の方がまじめにピアノを練習することです。従来、男の子と女の子を比べると、男の子が圧倒的に不器用で、その指の動かし方は、「上手になるとは思えない」という動きだったおのでした。反して、女の子は、小さいものや細かな作業が得意だったものですが、最近は、小さい時期に手先を使う機会を少ないと女の子でも、不器用さを持ち続けてしまうこともあるため、生活が変わったことで、男女の特質も変わってきていると感じます。

結局、素質の差はあっても、毎日、コツコツ、練習したら、指は動くようになります。大事なことは、自分の持つ能力の限界まで、力を発揮する機会があるか、ないか、ということかもしれません。「頑張ること」は、習慣にないと、とてもたいへんですが、小さい頃から、当たり前にしていると、「頑張ること」は心地よいことになることもあるのです。
by k-onkan | 2016-11-26 23:10 | お稽古事 | Comments(0)