麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:お稽古事( 154 )

大人ほど子供はつらくないかも・・・

あるお母さんから他の教室でのお子さんの様子についての悩みをうかがいました。その教室では10人の幼児が一緒に数学系の課題に取り組むそうですが、話をきけない子どもたちが授業についていけない、とのことでした。

e0143522_12162966.jpg担当の先生に相談したところ、「話をきかない子はそのままで進みます。できるようになるまで、このクラスを受講してください」との回答にお母さんの気持ちが弱ってしまったようです。

木下式は「親が子どものために」と作られた教育法です。そのため、子どもが嫌がっても「追いかけて」でもその日にやるべきことは最低限させるのが楽院です。昔の親は子どもが嫌がっても「必要なこと」と思えば、親が本気で関わったものだったからです。しかし、ほとんどの教室や幼稚園、小学校はそういう場所ではありません。現在、楽院で口うるさく同じことを反復しているのも、よその教室や幼稚園、学校で、「口うるさい人」がいなくても、自分から取り組めるようにするためです。

幼児期であれば、「好ましい友達のいる教室」や「教え方の上手な先生」を選んで、お稽古事に通えるかもしれません。しかし、実際、幼稚園、小学校に入れば、それが私立であっても、いろいろなクラスメートがおり、中には経験が浅い先生もいるはずです。どんな環境でも、他人に責任転嫁せずに、わが子が自分から吸収できる人に育てるために、「幼児期の限られた時期」にできる経験は、多い方がいいと感じています。

また、見ている保護者は、心が折れそうでも、本人はその時間を結構、楽しんでいたりもするものです。大人は「何も身についていない」と思うと「時間の無駄」と思いますが、家庭で、10人の子供から受けるのと同じ刺激を与えるのは、難しいものです。また、ある日突然、自分から「一生けん命、やろう」と思う時期がくるかもしれません。

楽院は追いかけてでもやらせる教室ですが、だからといって、何どもかんでも、無理強いしてやらせることが、正しいとは思わないのです。本人の気持ちが入っていないと、表面的に取り組んでいても、何も吸収されていないこともあるからです。

実は、私は木下式を指導する際、場所によって、変えている姿勢があります。それは、楽院なら預かったお子さんには、その日の内にやるべきことは最低限、やらせますが、保育園で指導する際は、「やりたくない」という子には無理強いをしないようにしています。その日は、あえて「見ないふり」をしてあげると、子供が「自分もできそうだ」と確信をもった時に一緒に参加するようになったりするからです。

能力差がある中で、「自分から取り組むため」には、「他の子と対等にできる」と子供が自信を持てる時だけなのです。だからこそ、同じことを繰り返し、丁寧に指導することは、先に吸収した子どもには余裕になり、後からついていく子どもは、他の子に追いつく時間を与えられているのだと感じます。

話をきかない子は置いていかれるお稽古事を「続けるべきか」「辞めるべきか」は、親御さんの考え次第です。しかし、最初は優秀だと思っていたお子さんが途中で息切れしたり、最初は遅れていても、後から本気を出していい結果を出す子どももいることから、途中の出来、不出来にはそこまで一喜一憂しない方が、よいと個人的には思います。そして、どんな紆余曲折があっても辞めずに続けた人が、結果的には一番、力がついているものなのです。
by k-onkan | 2017-04-14 23:13 | お稽古事 | Comments(0)

教育成果は家庭の力次第!!

同じ手法で同じ時に同じ教育を与えたからといって、全ての子どもの結果が、同じにはならないのが教育といえます。たとえば、タネの内に平等に栄養のある土を入れ、水をやって、深く根を張らせても、それぞれのタネには性質の違いがあるでしょう。また、それぞれのタネができるまでの環境、どんな種類で、どんな培養をされたか、その後の世話の仕方によって、せっかく出た芽もまっすぐに育たないこともあります。

e0143522_1991615.jpgたとえば、嵐にあって枝が折れそうになった時にすぐに固定してもらえる環境に育つ木もあるかもしれません。反対に、適時の保護がまったく得られない木もあるでしょう。それぞれ、どんな大木に育つかは、それぞれがたどった道によって違うと感じます。ただ言えることは、タネの時期から十分な栄養を与えられ、大地にしっかりと根を張ることができた木であれば、多少、嵐に枝をゆさぶられても、最後は必ず、太陽へ向かって堂々と枝を伸ばしていくだろうということです。

これをもっと、身近な例に言い換えましょう。たとえば、楽院のような音楽教室に通ってくる際には、同じように幼児期から通ったとしても、家庭に音楽を聴く習慣があるか否か。ピアノの練習を毎日させられるかどうか。子どもに日常生活を規則正しくさせられるか否か。親の言葉に耳を傾けさせられる家庭かどうかによって、結果的に、子供の音楽能力に差が生じることがあります。

また、せっかく通わせながら、親御さんが「これが何の役に立つのかしら?」と疑問に感じたら、残念ながら、その子どもはあまり伸びません。これは、「通うからには、すべての言葉を信じる信者になりなさい!」という意味ではありません。自分の子どものためを思って選んだはずのお稽古ごとを、親御さん自身が信じられないのに、子供が素直に教えを吸収できるはずはないと思います。

どんなお稽古ごとでも、「いいとき」もあれば「悪いとき」もあります。その中で、子どもを進歩させるには、その責任は「教室だけ」にあるのではなく、そこに通う家庭、そして、親御さんのサポートも、大きな影響があることは忘れないでいただきたいと思うのです。
by k-onkan | 2017-01-11 23:07 | お稽古事 | Comments(0)

親御さんも一緒に頑張ろう!

楽院の成果発表会を終えた翌日、私は恒例の三重県の教室へ指導に出かけました。その教室では1週間後に、発表会を控えています。歌唱指導をする前に、子どもたちにピアノも聴かせていただきました。音楽会の前は、家庭で練習するのと異なる緊張感を持たせることで、歌も本気で取り組む一助になればと思ったのです。

e0143522_16515452.jpg前日の楽院の発表会でも同じことが言えますが、自分で「腹を決めて」真剣に取り組む子もいれば、「大人に言われて取り組む」という受け身な子もいるものです。その中で、それぞれに最大限の能力を発揮できるようにしないと、教える意味がないと、感じるのです。

弾きはじめてすぐに間違える子がいたので、「音楽会の1週間前に、そんな状態でいいの?先生がかわいそう」と話しました。子どもは「音楽会の出来」は「自分だけのこと」で本番、上手にできても、下手であっても、誰にも迷惑をかけないと思っているものです。けれど、音楽会というものは、指導する先生の指導力を見せる場なのです。先生がどんなに一生懸命でも、子どもが練習を嫌い、本番に失敗するのは、「先生に失礼」だと感じます。

最近、子どもに「できないなら、音楽会に出なくていい」とか「一生懸命、頑張らないならやってはいけない」というと泣いて抵抗を示のですが、実は、私たちは子どもを泣かせたいのではなく、「一生懸命、練習して、なんとか、できるようにする気概」を見せて欲しいのです。

子ども時代に「やる時は全力を尽くし一生懸命頑張ること」を教わったかどうかは、後の人生を左右すると感じます。という私も、子供時代は本当に怠け者だったと記憶しています。だからこそ、子供時代に叱られて矯正されたことが、大人になった今、役に立っていると感じるのです。少なくても、大人になったら、何かに取り組む時は、全力を尽くせるようになったと思うからです。

さて、子どもに「中途半端はいけない!」と注意する時、私たち大人は子ども以上に真剣である必要を感じます。先生は、子どもたちの能力を引き出すために、最大限の努力が必要ですし、親御さんには、わが子の成長に興味を持って、小さな進歩を喜び、怠け心を見抜き、上手にできたら、「親バカ」と言われても、自分のことのように喜んでいただきたいと思うのです。お稽古ごとでの、親御さんの役割はただ月謝を払うのではなく、専門教育を通して、わが子の躾や教育を共に担っているのですから。
by k-onkan | 2016-12-11 23:50 | お稽古事 | Comments(0)

幼児期はお母さんが必須!

働くお母さんを持つ子どもは、お母さんの仕事がお休みの日に、「お稽古ごと」に通うことになります。お母さんの貴重な休日に、なるべく有意義に過ごすためには、仕方ないことではありますが、大人の側には工夫と思いやりが大切です。

e0143522_1131933.jpg最近、入学した3歳の男の子も、レッスンの日は、午前中に他のお稽古事に行って、お昼寝の後に「音感のレッスン」をしています。そのため、最初は必ず「お母さん、お母さん」と泣いてお母さんを横に求めます。

普段、保育園で生活するお子さんは、「レッスンだから」といって無理をして「母子分離」をしないようにしています。どんなに「いい保育園」に通っているとしても、子供にとっては毎日が「母子分離」なので、休みの日まで、お稽古事で「母子分離」をさせるのは、あまりに不憫だからです。

大人の都合だけ考えれば、一刻も早く「やるべきこと」をやって、帰った方が楽かもしれません。けれど、お稽古ごとは、本人の気持ちを無視しても、決して、いい結果は生まれないのです。

そこで、多少、開始時間が過ぎていても、「お母さんに抱っこしてもらっていいわよ。すぐにやらなくていいから、泣くのをやめよう」とご機嫌を取ながら、少しずつ授業に引きこむようにしています。

また、保護者の方には、お子さんが気持ちよくお昼寝から目覚めるための「甘いもの」の用意をお願いしています。音感のレッスンで、「無理にお母さんとひき離されない」と分かり、自信が持てれば、自然にお母さんと離れられることは、長年の経験で分かっています。

一般に幼い子どもが、「お母さん、お母さん」と泣いてすがる時は、新しい場所や人、課題が不安な時です。そして、幼児期の教育は、「子どもがしたいこと」ではなく、親が「子どものために選んでいること」なので、「親御さんがいなくても大丈夫」という自信が持てるまでは、親御さんの応援が欠かせないと思っています。
by k-onkan | 2016-12-01 23:29 | お稽古事 | Comments(0)

素直に直すのは物を学ぶ基本

毎月、恒例の三重県の教室に指導に伺いました。2歳のクラスから始まって、小学生の指導をメインに行いましたが、一つ、気になることがありました。それは、この教室に限ったことではないのですが、日本全国どこで、教えても、子どもたちが物を習った時に、素直に受け止めて、直すこと」が難しくなったと感じることです。相手が子どもであっても、その子自身の個性があるので、何から何まで、大人の言いなりになって欲しいと願って言っているわけではありません。ですが、物を習う基本は「素直に聞く」ことなのです。

e0143522_12333687.jpg中村勘三郎さんの言葉で「型があるから型破り、型がないのは形無し」と言うものがありますが、どの世界でも大事にする「型」があります。木下式の発声なら、歌う以上、正しい音程は絶対であり、そのためには、母音(口型)に忠実でなければなりません。そして、一度、正しい声で歌えるようになれば、異なる母音を持つ言語でも難なく歌えるようになり、その時、はじめて、日本語の口型から、離れても、美しい響きを作れるようになると感じます。

子どもにとって、「素直に聞く」「言われたことをその通りにすること」が難しいのは、子どもの世界に「絶対」に従わなければならない相手がいないことも一因かもしれません。たとえば、家庭で「ダメよ」と言われても、大人が見ていないところなら許されるとしたら、「ダメ」と言われても、やったもの勝ち」ということになります。でも、音感のレッスンでは、「いわれたこと」をしないと、終わらせられません。なぜなら、10回中、いつでも同じことができなければ、「定着」したことには、ならないからです。

子どもたちは、最初は、1回、2回と、いい声を出しても、3回、4回と継続する内に、集中力が途切れ失敗します。通常なら、そこで、「次は頑張って」と許されるのかもしれませんが、木下先生ほどではありませんが、私も一般の先生よりはしつこい性質なので、「もう一度、もう一度」と繰り返し「できるようにならないと、先生は終われない」と子どもが観念するまで付き合います。この繰り返しが、子どもの力になっているのですが、大人の世界には、「予定」というものがあって、時間が押してしまったりして、ご迷惑をかけてしまいました。でも、「時間」を無視しても、「この人は、本気だ」と思わせないと、子どもに負けてしまうこともあったりするのです。
by k-onkan | 2016-11-27 23:32 | お稽古事 | Comments(0)

地道にやると結果がついてくる

二週間後の発表会に向けて、ピアノの試聴会を行いました。出演者の親御さんに楽院まで来ていただき、評価を書いていただくのです。子ども達はこの「試聴会」で音楽会に向けて、本気になり、二週間でどうにか形を付けてきます。

数年前から、練習もしなくていいピアノ教室が人気だと聞きますので、子どもの音楽会の本番前に何度も人前で弾かせたり、保護者を呼んで試聴会をする教室は、珍しいのかもしれません。しかし、本当に何かをできるようになるためには、なんとなくただ取り組むより、「上手になりたい」という意識を持つことが必要です。最初は「弾けるようにならない」と思っていた曲が、長い月日をかけて、できるようにしていくことで、音楽だけでなく、他にもいい効果があると感じます。

e0143522_12123457.jpg最近、とても感心するのが、楽院の男の子の方がまじめにピアノを練習することです。従来、男の子と女の子を比べると、男の子が圧倒的に不器用で、その指の動かし方は、「上手になるとは思えない」という動きだったおのでした。反して、女の子は、小さいものや細かな作業が得意だったものですが、最近は、小さい時期に手先を使う機会を少ないと女の子でも、不器用さを持ち続けてしまうこともあるため、生活が変わったことで、男女の特質も変わってきていると感じます。

結局、素質の差はあっても、毎日、コツコツ、練習したら、指は動くようになります。大事なことは、自分の持つ能力の限界まで、力を発揮する機会があるか、ないか、ということかもしれません。「頑張ること」は、習慣にないと、とてもたいへんですが、小さい頃から、当たり前にしていると、「頑張ること」は心地よいことになることもあるのです。
by k-onkan | 2016-11-26 23:10 | お稽古事 | Comments(0)

声は意欲を表すもの!

今日は、合気道仙元館の「演武会」と「合気道グランプリ」の参観に出かけました。この道場では甥兄弟が幼い頃より合気道を学んでいます。中学1年の兄甥は今でも大人に混じって稽古に励んでいますが、今回は中学校の部活動のため、小学1年の弟甥Kだけが演武会に参加させていただきました。

e0143522_18401654.jpg合気道は心を合わせて、気を合わせて型を学ぶものであり、本来、勝敗を競い合う種目はないそうです。しかし、大勢のお子さんが通ってくる中で、勝ち負けの判定をつけることも大事なこと、ということで、4年前より「合気道グランブリ」が行われています。

出場者は二人一組で、攻撃側と防御側としていろいろな型を実践します。師範の先生が旗によって勝敗を判断されると、負けた子どもの中から「ウワァ」という泣き声があがる場面もありました。一生懸命、頑張っても願いがかなわないことがある。世の中には自分より秀でた人の存在もある、など、生きていれば必ず遭遇する感情を、子どものうちに経験できるのは、とても大事なことだと感じました。

途中、指導者の先生は、「声を出せ! 声を出せ!」と何度も言われていました。声は、その人自身を表すものであるため、自分から声を出すということは、意欲の表れでもあるのでしょう。確かに、力強く美しい技を見せる人は、子どもも大人も声の出し方も反射的で美しい響きが感じられました。

ただし、気になったこともあります。それは、世間一般に、声を出す習慣がない人が増えたことから、小さいお子さんは、「大きな声を出すこと」は喉をしめて無理にがなり声を出すことだと勘違いしやすい傾向にあることです。武道で求められる「いい声」は決して、喉をつぶした大声ではなく、お腹の底から無理なくいい声を出すことだと感じました。

さて、いつも兄甥の影で自分だけで成果を出すという機会が少ない次男にとって、兄が不在の演武会は、自分が主人公になるよい機会となりました。甥が目をパチパチとさせ、唇を噛み占めるのは、物事に真剣に取り組んでいる証拠です。普段、私には見せたことがない男らしい真剣さを垣間見ることができました。た。但し、他の人が競技に取り組んでいる時に、女の子と楽しく手遊びをしていたり、大勢の女の子とおしゃべりをする姿に、「兄甥にはこういう不真面目なところはなかった」と大いに反省する会でもあったのでした。
by k-onkan | 2016-11-13 23:39 | お稽古事 | Comments(0)

物を習う時には守るべきことがある

最近、誰かに「やりなさい」と言われても、ただ聞くだけで通り過ぎる子どもが多くなったような気がします。世の中に「指示待ち人間」が増えて、「自分の力で考えること」を大事にするようになった分、たとえ、「いいアドバイス」を聞いても、「それをするか、しないかは、本人の自由」ということなのかもしれません。

e0143522_19284475.jpg日常の生活なら、「誰に言われたか」によって、「やったり、やらなかったり」するということもあるのですが、「物を習う場所」で先生から「やりなさい」と言われたことをやらないということは、教わっても、上手にはならないのです。

たとえば、本格的に音楽の勉強に取り組んでいる人なら、人前で発表する時に、「音程を外さない」「間違えない」などは重要なことです。趣味であれば、まわりの人が多少、聞き苦しくて、迷惑でも「趣味だから」と言い訳が立つでしょう。しかし、プロとして活躍する人で「楽しければ、下手でもいい」ということはないように思うのです。

物を習う際には、「型」があります。それを忠実に守らないと、絶対に上達はしないものです。音楽でもスポーツでも基本の型を身につけるのは、なにより大事なことなのだと思います。それが、できるようになって初めて、自分流の何かを生み出せるようになるはずなのです。しかし、最初から、自分の好きなように滅茶苦茶を許されたら、決して何もできるようにならないはずです。

木下式で教える発声も、幼児に音程正しく歌わせるためには「母音を忠実に守る」という教えがあります。これを守らないと習得できない声の響きがたくさんあります。一般の方は、「どんな口型でも、メロディーがあっていればそれでいい」と思われると思いますが、この教えを忠実に守った子と、そうでない子どもでは、その後に取り組む他の課題の習得にも差が生じてしまうのです。

ですから、子どもであっても、「音感を勉強するために、この教室に来ているなら、口型は絶対に、先生の指示を破ってはいけない」と、半強制的に守らせることもあるのです。そうしないと、親御さんとお約束している歌唱力、音感能力、そして、集中力などを、身につけさせられないからなのです。
by k-onkan | 2016-10-19 19:24 | お稽古事 | Comments(0)

長所を伸ばし、短所とも付きう!

保育園で、音感を教えていて面白いと感じるのは、開始当初、まったく音感に興味を示さなかった子が、毎週の反復から理解できるようになると、「もっと先生に認められたい」と私に必死で頑張る姿をアピールするようになることです。反対に、最初に「できる、できる」と積極的だった子が、反復や手直しなどの細かい作業に飽きると、手を抜いたり、やっているふりをしている内に、後から頑張った子に負けてしまったりすることもあります。ちょうど、昔話の「ウサギとカメ」のような状態です。

e0143522_19535465.jpg木下式は、幼児期の子どもが興味をもって、音楽の基本を学ぶために「音感かるた」が用意されています。このかるたの意味づけに幼児が興味をもてるように懇切な丁寧「説明」もあります。その上、先生の模範唱(手本)があるのですから、「言葉の意味」が理解できれば、楽しくないはずはないのです。もし、最初に興味を示さなかった子がいるとしたら、それは、「かるたの説明」に出てくる単語が理解できなかったり、声を出すのが苦手だったりしたのだろうと思います。反復訓練は、そうした苦手意識を解消するのに、十分な時間といえます。

反対に、すぐに理解できた子は、「新しいこと」「面白いこと」に挑戦するのが好きなタイプなので、細かな微調整をしながら、同じことを繰り返すことが修行のようにきついのだろうと思います。適度に、励ましながら、そうした子にも、反復を求めることで、一つのことに、じっくり向き合う習慣を育てています。

そういう私も、子供のころは、目新しいもの、面白いものが好きで、一つのことにじっくりと取り組むことができないタイプでした。ですが、音楽の勉強をすると、好むと好まざるとに関わらず、「じっくり向き合うこと」を求められます。その習慣は、音楽以外でも、結構、役に立っていると感じます。

それぞれに、「要領のよいタイプ」もいれば「じっくり時間をかけて向き合うタイプ」もいて、それぞれの個性として受け止めていますが、「要領のよいタイプ」には、少しでも苦手なことに誠実に向き合うことを覚えてほしいですし、「じっくり向き合うタイプ」には、時に、瞬間的に考え、行動しなければならないことを教えたいと思っています。

二つは相反することのように見えますが、実は音楽にはどちらも必要な事柄です。パッと瞬間的に理解することを求められる時もあれば、じっくり向き合って深く取り組むことも大事です。そして、それは、音楽だけでなく、自分の人生を生き抜くためにも、求められることだったりするのかもしれません。
by k-onkan | 2016-09-13 19:53 | お稽古事 | Comments(0)

願えばかなう、わけではない

毎月恒例の津市の教室のレッスンに出かけました。1年間、勉強したお子さんたちにも年末の教室内の音楽会で独唱を発表させたいということでした。ところが、私のレッスンを数回しか受けていない生徒さんは、「怖いのか優しいのか」分からず不安なのか、何を聞いても照れ笑いをして、質問は首を振って答えて、まったく話しません。こういう時、私は「ちゃんと話しなさい」とか「返事をしなさい」と、いきなり注意したりはしません。ただ静かに見守るのは、やさしいからではなく、その子が、普段、どんな家庭で、どんな親御さんから、どのようなことを教わっているかを知りたいからなのです。

e0143522_192593.jpgレッスンを始めると、その照れ笑いはもっと増えていきます。私のレッスンで緊張して泣く代わりに、笑っているように見えました。私は、よその生徒さんは泣かせないように、我慢の限界の寸前で、交替させ、レッスンを行い、なるべく優しい声でレッスンをしました。それでも、「できるまでやめない」ということが現代の子どもには「厳しく辛いこと」なのです。

一通りのレッスンをしたところで、教室の先生に「楽院なら発表会で斉唱されないだろう」ことを伝えたうえで、日曜日を返上してレッスンに来た子供たちに独唱の曲を選びました。もちろん、子供たちにも「曲をもらったから音楽会に出られるは思わないように」伝えました。

ちょうど、間もなく閉会するオリンピックですが、オリンピックにも「予選」があり、そこで負ければ本選には、出られません。音楽会も、練習しても本番に出られるかは、まだ決まっていないことを話しました。音楽会に出たいと思う人は、、普段、練習している課題にもっと耳を使って集中するように約束しました。

世の中には「子供にそんな厳しいことを言わないでほしい。社会に出たら、厳しいことばかりなのだから」という大人も多くいます。けれど、子ども時代に「願えば夢はかなう」と信じさせられ、社会に出たら理不尽なことばかりでは、子供は大人になって病気になってしまうかもしれません。子供のうちに、いろいろな禁止事項があったり、少しは厳しいことも体験したりすることは、脳の発達にも重要ですが、何より、大人になって、自由が増えることを、心待ちできるかもしれません。

レッスンが終わって、「これで終わりにしますね。最後にいうことがあるよね。言葉を話さない人は、絶対に歌が上手になることはないの。だから、挨拶も返事もしっかりしようね」。子供たちは、最初に入ってきたときとは別人のように「ありがとうございました。さようなら」とはっきり言って、帰っていきました。でも、挨拶と返事の習慣が身に付くかどうかは、日々の生活環境と親御さんの援助次第なのですが・・・・・・。
by k-onkan | 2016-08-22 23:02 | お稽古事 | Comments(0)