麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
カテゴリ
全体
木下式音感教育法
しつけ
子育て
教育
お稽古事
親業
音楽
乳児
のぞみクラス
幼児
児童
名誉団員・卒業生
思春期・反抗期
自立について
運動
発達障害
保育園
楽院だより
我が家のこと
自分のこと
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
フォロー中のブログ
蛹の頃~さなぎのころ~
最新のコメント
出演園児のお母様へ ..
by k-onkan at 06:33
一番こわいのは、マナ先生..
by 出演園児の母 at 10:48
昔、近所の顔なじみの飲食..
by k-onkan at 10:32
>「じぃじ」 凄いです..
by ha-i at 01:48
ばら組の保護者さま ..
by k-onkan at 17:06
作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:教育( 497 )

何をしたいかは自分次第!

数日間、ネット上で「返還型奨学金(学資ローン)の滞納率の高い大学の偏差値を調べてみた」と題した記事が回ってきました。内容は、国立大学や有名私立を出た人の平均年収は全体的に高く、偏差値が低い大学出身者が全体的に低いことから奨学金を返済するのが難しく滞納率がより高くなるということのようです。個人的には「みんなが大学に行くから自分も……」という理由で、奨学金を借りてまで大学へ行ったら滞納者が増えるのは当然だと感じます。

e0143522_0253361.jpg本来、義務教育ではない大学に行く際には、本人によほど「学びたいこと」「成し遂げたい夢」がなければ、「大学卒業証書」だけにはあまり意味がないと年寄りは思います。でも、実際は「皆も大学へ行くなら、自分も後4年、就職までの時間が欲しい」という気持ちも分かるのです。私も若い頃には、一日も長く学生でいたいと思った未熟ものだからです。しかし、年をとった今だからわかるのは、まっとうな学生は18歳から22歳までの貴重な時間を有意義に過ごすことができていたということです。

奨学金という名の学資ローンの元本は税金です。それを滞納したり、踏み倒す人が増えたら、制度そのものが続かなくなっていくでしょう。お金を借りてまで大学に行って安定した収入が得られる人がわずかなら、無理をして大学に行くより手に職をつけるなど、自分にしかできないことを見つける方が、生きる上で役に立ちそうにも感じます。

一般に「手に職を付ける」というと、「ならば中卒でいいのね。うちの子は漢字も計算も苦手で、いくら教えてもできないから、中卒ならそれでいい」という意見も耳にしたりします。しかし、たとえ、大学に行かないからといって、小学校の勉強はしなくていい、というわけでもありません。この国では何の仕事に就くには最低限、小学校で学ぶ「漢字や計算」は必要だからです。

そして、何があっても、「わが子を大学まで行かせたい」と考える家庭ならば、子供が小さい内から「自分から楽しく好奇心をもって学ぶ習慣」「コツコツ地道に勉強する習慣」を親子で意識する必要があるのかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-24 00:25 | 教育 | Comments(0)

同じ教育を受けても・・・・・

子どもの頃は悪いことをして叱られてばかりだった子が大学を卒業して立派に成長しているとの報告を受けることもあれば、小さい頃は優秀だったのに大学に行った後にフラフラしているとの噂が耳に入ることもあります。こうした違いに、「同じ教育を与えたのに難しい……」とのご意見をいただくことがあります。

e0143522_13112639.jpgですが、私には思い当たることがあります。それは同じように楽院に通って、同じ教育を受けているように見えても、それぞれの家庭の考え方は異なるものです。楽院の「音楽教育」に魅力を感じて、音楽の能力の成果だけを求める方もあれば、「躾がしてほしい」「小学校受験に有利」との考え方もあります。また、オペラや音楽祭などの舞台に魅力を感じる方もあれば、音感を通した「人間としての教育」に共感される方もあります。同じ教育を受けても、その目的が異なれば、その結果が異なるのは当然かもしれません。

木下式は、親が自分の子どもが「生きていくため」に作られた教育です。そのため、一般の音楽教育よりは、厳しいところがたくさんあります。そして、そこには、単に音楽だけでなく、いくつかのメッセージがあります。それは、親は先に逝くものなので親がいなくても①身の回りのことを自分でできること、②心身ともに強いこと、③与えられた場で責任を果たせる力を持つ、④自分にしかない能力を持つ⑤自分の考えを持つ、などです。

楽院に通いながら、比較的に素直に物事に取り組むと、こうしたことを当たり前のように受け入れられ、大人になっても、いろいろな場面で結果を出してくると感じます。もしかすると、親御さんが「こうあって欲しい」と夢見た姿と同じではないかもしれませんが、本人は「自分のやりたいこと」を見つけ、充実した人生を送っているように見えるのです。

反対に、長く楽院に在籍していても、親御さんが「努力や練習などしなくても、結果が出せる天才のような人間に育てたい」と現実離れした考えを持っていると、楽院の本質的な考えとは差があり過ぎて、子どもが自分の道を探すのは、難しそうに感じます。

昔は、「楽院に通いたい」といわれても、根本的な考え方や異なる価値観を持つ方は、面接でお断わりしていた時代もありました。価値観や考え方が違う中で、お子さんをお預かりすると、その成果に差が出ることを知っていたからだと思います。

現代は、「やりたい」と言われる方に広く門戸を開いていますが、通学の途中で考え方や価値観に相違を感じる際には「他のお教室を探していただいた方がよいのでは?」とご提案することもあります。結局、同じ教育を与えても、その成果は側面支援する親御さんの関心の高さ、家庭と教育現場の共通した価値観や考え方、そして、親から子への社会的相続によって、子供の成果は、良くも悪くも変わる、ということかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-12 23:08 | 教育 | Comments(0)

英語も音感も、基礎が大事!

一般的に幼児教育を受けたり、小学校受験の準備をしたりした子は、公立小学校であれば小学3年までの予備知があると言われています。反対に、「ゆとり教育」が終わった今、何の準備もせずに小学校にあがったら、授業の進み具合が早く、単元ごとに確実に理解するのは、子どもだけの力では難しいと感じます。

e0143522_1628677.jpg幼児期の子どもには、「堅苦しい勉強などさせるべきではない」という考え方もあると思いますが、最近の幼児は、「タブレット」や「DVDレコーダー」などの機器も上手に操れる賢さを持っています。せめて、入学前に「先生の話を聞く」「自分の名前の読み書き」や「数字の数え方」程度は、興味の中で知らせ、小学校に送り出した方がいいと感じます。

さて、幼児期からさまざまな教育を受けて公立校に進み、小学6年生の後半に、模擬試験などを受けて受験勉強の真似事をした甥Yは、公立中学でも苦労せず良い成績を取ってきています。しかし、一科目だけ、壊滅的なものがあります。「英語」です。

学年末試験の二週間前に、「Yの英語が壊滅的」と楽院の生徒たちに知らされ、毎日、英語の勉強に付き合ったのですが、根本的な事柄に理解できていない上で、日々、難しいことを覚えているため、「耐震偽装の高層マンション」のような状態に仕上がっていたのです。

「こんなことなら、もう少し早く、英語の勉強を無理なく始めさせておくべきだった」と思いましたが、本人が英語に興味を示さなかったため、「中学校になって授業で習うようになったら、自分で学ぶだろう。幼児期から児童期と家庭学習で身に付けた力だけで、子どもがどこまで自力で新しい科目を習得できるか見てみよう」という気持ちで静観してきました。

その結果、英語は「壊滅的」でちょっと勉強しても、平均より少し上にしかならなかったことから、家庭で毎日、「親子一緒」にラジオの基礎英語を聞いて勉強すること、そして、文法ドリルを日課にすることとなりました。また、春休みには「フォニックスの講習」を受けることにしました。フォニックスはイギリスの小学校で読み書きを教える方法ですが、Yが英単語を記憶するために、ローマ字読みの誤った発音をすることがずっと気になっていたからでした。

講習の初日は弟甥を私に託し、親子で講義を受けにいきました。アルファベット一つひとつにストーリーがあり、その発音を教えていただくのが、とても分かりやすく面白かったそうです。そして、「字を覚えたての子どもがひらがな見つけると読もう、読もうとする気持ちがよくわかった」とのことでした。瑠音先生も英単語を読みたいと思って、街中で英単語を探しながら帰ってきたそうです。

さて、2020年からは公立小学校でも3年生から英語の時間が始まり、5年生には科目として学ぶようになると聞きます。感覚と雰囲気だけで物を覚える小2の弟甥は、今から少しずつ、英語に興味を持つ素地を作っておかなければと思い、自分も英語の勉強を再開しようと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-04-04 23:20 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て-3-

教育の特集の後は、地方で増えてしまった「猫」の話になりました。それは、ご主人と死に別れた女性が飼い始めた1匹の猫が始まりでした。「不妊手術はかわいそう」「外に出さないのはかわいそう」ということで、気づくと最初の妊娠、数か月後には子猫が出産し、1年半で家の中の猫は37匹に増えて、生活が破綻してしまったという話をしています。

e0143522_14495985.jpgその話しぶりから、その女性がとても優しい方だというのはよく分かります。けれど、「かわいそう、かわいそう」という優しさの結果、行政のお世話になって手術費用を出していただいたり、動物を保健所で処分されたり、生活が破たんして生活保護に頼る状態になるくらいなら、最初に心を鬼にしてでも「手術をするか」「外に出さない」などの対応が必要だったとも思うのです。

「ねずみ算」という言葉がありますが、動物の繁殖力は凄まじいものがあります。何かを育てるなら、その前に知識が必要だと感じます。最近、日本の各地で、外来種の生物が和種の生物を食べて、生態系が変わってしまっているという話を耳にします。「大きくなりすぎて、自分では飼えない。でも、殺すのはかわいそうだから」と川や池に捨てた生物が、人間にも危害を加える危険な生物として、恐れられているという問題も多いようです。何かを育てる、ということに関して、私たちは決して無責任でいてはいけないのだと思うのです。

そして、それはペットだけでなく、人間であっても同じだと思うのです。たとえば、子どもが何かの障害を持っていたり、外国出身で日本語が苦手だったり、それぞれにいろいろな事情はあることと思います。しかし、将来、自分にできることをして生きていくためには、「かわいそう」だからと先延ばしするのでなく、今、しなければいけないこと――不妊治療か、療育なのか、教育なのか、という違いはあっても、育てている大人が責任をもって、見極めていくしかないと、思ったのでした。
by k-onkan | 2017-03-28 14:50 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て-2-

「スパルタ幼稚園」のVTRの後、子育て中の女性芸人から「小学校に入ったら、嫌でも勉強するのに、幼児の内から、させるのはかわいそう」という意見が出ました。しかし、そこには、自分の子どもと幼児期に教育を受けた子どもたちの差が不安で仕方ない、という気持ちも見え隠れしていました。

e0143522_14233042.jpgその不安からなのか、「子供時代に親子でたくさん遊んだ人の方がいい大学に進んでいるという話がある」との言葉が出ました。確かに、私も「親子でたくさん遊んだ人が、優秀になる」ということに納得がいきます。しかし、この「遊ぶ」という言葉で大人は誤解してはいけないことがあります。

一般に「遊び」というと、「子どもの好きなこと」と考えてしまいますが、実は賢い子の「遊び方」は好奇心や興味が刺激され、自ら創造したり、深く思考したりする遊びであることが多いと感じます。

たとえば、「親子で遊ぶ」としても、高い料金を払ってレジャー施設で遊んだり、海や山近くのホテルで設置された器具で遊ぶのではなく、大自然の中で自分の身体や頭を使ってさまざまな体験をしたり、屋内で親子で何かを作ったりして遊ぶのとでは、同じ結果はでないかもしれません。

途中、「池上さんが子どもの頃はどんなことをしていましたか?」という質問が出ました。難しいニュースを易しく解説できる「池上彰」氏は賢い大人の代表ともいうべき存在です。その池上さんがどんな子ども時代を送ったか、会場は興味津々だったと思います。

「私の子供の頃は正反対で、まったく勉強はしていません。外で遊んでばかりいました。暗くなったら、本を読んでいました」との答えが返ってきました。この答えに「自分で本をスラスラ読めるようになっていたこと」そして、長野出身の池上氏の子ども時代の遊びは、今と違って、自然の中で好奇心をもって、いろいろなことを体験から学ぶことができただろうと感じました。

残念ながら、今の時代に都市部に住んでいる子どもが、池上さんと同じような遊びをしたいと考えたら、参加費を出して大自然の残る無人島などで、監督者についていただき、サバイバル経験でもしないと難しいと感じます。

そう考えると「幼児期はただ、遊んでいれば大丈夫」ではなく、この時代を生き抜くために、必要な能力は、幼稚園、学校にお任せではなく、それぞれの家庭で考えるべきことだと感じます。そして、大事なわが子だからこそ、「子どもだからかわいそう」と優しく囲い込むだけでなく、親がいなくなった時に、社会の世話にならずに、自分で生きられる力だけは、つけるつもりで、教育はしておくべきだと、やはり、強く思ったのでした。
by k-onkan | 2017-03-27 23:17 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て―1―

最近、連絡がなかった卒業生から、「テレビで楽院みたいな幼稚園を特集しているから見て!」というメッセージが入りました。それは、テレビ東京系で放映されていた池上彰氏の番組で、紹介されていたのは運動系で厳しいと有名なB幼稚園と、文化系で規律を重んじている幼稚園でした。双方の幼稚園ともによく雑誌などで紹介され、私も知っている園でした。

e0143522_13165881.jpgそれぞれの園長先生は、「全員ができるまで諦めさせない挑戦意欲、できたという成功体験」などのキーワードを言われ、保護者はしっかりと考えを持ってそれぞれの幼稚園に通わせていることが分かります。しかし、スタジオの人からは「スパルタだ」「子どもがかわいそうでは?」「勉強は小学校からすればいいのだから」という意見が出てきます。

私が平素、幼児に音感教育をしながら強く感じていることがあります。それは、子どもというものは「みんなができること」は自分もできるようになりたいと願っていることです。その特性を生かしていたのがB幼稚園で全員が取り組む「三点倒立」でした。これは誰もができる種目だそうで、これにクラス全員で取り組み、「失敗する人がいるとやり直し」という挑戦を繰り返し、成功体験を育んでいるとのことです。

通常「できる子とできない子」がいると大人は「できない子がかわいそうだから」といって、できる子にもさせないようにするという考えに陥りがちです。本当に教育をするなら、できない子を「できるようにする」ことが大事なのだという園長先生の考えに、強く同意できました。

一部の大人の中には子供たちに競争をさせて一番とビリを意識させることは、「できる子が、できない子をバカにしていやな性格になる」と考えを持つ人がいます。しかし、この幼稚園では「できる子どもたち」が三点倒立ができずに、「他の子どもたちに迷惑をかける芸人さん」にできるコツを教えていました。楽院の生徒たちにも共通するところが、ありますが、できるようになるまでの苦労や厳しさを経験した人は、簡単に弱い人、できない人をバカにはしないと感じるのです。

手前味噌ですが、木下式にも、誰にでも覚えられる「音感かるた」と「歌唱曲ドレミはみんなの仲良しさん」があります。この課題は、「耳が聴こえない」「喉に障害がある」などの事情がない限りは、誰でもできるようになる課題なので、これを卒園までに習得させることで、歌上手な子どもを育てているのです。

私は、幼児期に何をさせたいかは、個々の家庭の自由だと思います。けれど、小学校に入って授業についていくための「話を聞く力」とか「本が好きになる努力」「鉛筆を持つ器用さ」「強い身体」だけは、どんな方法でも、家庭で育て、送り出してほしいと思っています。なぜなら、小学校に入った時にあまりに他の人と差があると、それだけで、「学習に対するやる気」も失せてしまうと思うからです。
by k-onkan | 2017-03-26 23:04 | 教育 | Comments(0)

聴覚を生かすために必要なこと

音楽祭が終わり、ビデオ編集や機関誌作りなどの傍ら、中1の甥Yの壊滅的な英語を改善するプロジェクトの再開です。英語の試験の後、出張先から「どうだった?一緒に勉強した甲斐はあった?」と電話をすると、「あったと思う。これまでは時間が足りなくて、最後は勘を頼りに適当な答えを書いてたけど、今回は3分も時間があまって、その上、最後の30秒に前の晩に復習した慣用句を思い出して書いた。リスニングがよく分かるようになった」と明るい声の報告がありました。

e0143522_23534141.jpgところが、妹と答え合わせをすると最初の一問目から「これはbe 動詞をいれなければいけないのでは?」とか「those boys はhimじゃなくthem って、まぁちゃんに教わっていたのに……」とミスを指摘されたようです。「せっかく、いい気分だったのに、お母さんたら追い詰めないでよ!」と友達と遊びに出かけていったそうです。

さすが、英語は壊滅的だっただけのことはあります。あれほど同じことを再三再四、教えたにも関わらず、Yの「忘却曲線」は定着には至っていないようです。ですが、実は内心ほっとしたのです。なぜなら、たった一週間、私と一緒に勉強しただけで、テストの点数が大きく跳ね上がったら、地道な努力を怠るようになるかもしれません。

その昔、私自身、幼児教育によって培った短期記憶を使ってテストの前に瞬間芸のように勉強していい点数を取ってしまったことで、後から、そのつけが回ってきてしまいました。内容が簡単なうちは、瞬間芸の勉強で対応できても、内容が難しくなると、付け焼刃の勉強ではなく、地道な努力ができることが、何より大事になります。

今年の音楽祭の「音感部門」では、2020年から小学3年から英語が必修科されるというお話をさせていただきました。音感教育によって、鍛えた聴覚は英語の勉強をする際に子音を聴き取る一助になるといわれています。しかし、耳で違いを聴くためには、「英単語」を知っている必要があるのです。つまり、鍛えた耳を生かすためには、知識を習得する努力も、忘れないようにしないと、せっかくの耳が生かせないということになります。

兄甥には英語の導入で苦労をさせてたので、地道な努力が苦手なのに自尊心が強い弟甥Kは今から少しずつ、家庭学習で英単語を教えていかなければと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-02-22 23:53 | 教育 | Comments(0)

何でも基礎が大事!

甥の英語の家庭教師をはじめて二日目、つくづく感じたことがあります。それは、どんなことでも「基礎基本」が大事であり、それをないがしろにして難しいことを学ばせても混乱が大きくなるばかりということでした。

e0143522_194944100.jpg甥は中学に入るまで、英語に関しては、一切の先どり教育をしていません。公立中学で特別に大人が手を貸さなかったら、どんな状態になるのか、私たちも軽い気持ちで様子見をしていたということもありました。

他の教科は家庭学習と社会体験、そして、幼児期の音楽教育の成果―短期記憶と集中力―によってさほど勉強せずに恥ずかしくない点を取ってきたのに、英語だけは「壊滅的」と楽院の友達から指摘を受ける状態でした。中学校に入って毎日、午後9時に欠かさず基礎英語を聞いていたそうですが、それだけでは甥は英語の習得ができなかったようです。

私は自分の経験から語学を学ぶというのはすべてを丸暗記するのではなく、お互いに伝えたいことがあって、文章中の単語から全体のイメージを把握できるようになって楽しく習得するものだと思っています。ところが、甥は幼児教育を受けたゆえの記憶力の良さによって英語の基礎「Be動詞」と「一般動詞」の違いを自分の中で整理できないまま、どんどん、新しいことを記憶してきたようです。

そのため、「この難しい文章の答えがあっているのに、なぜ、こんな簡単な文章に残念なミスがあるの?」と驚かされることが多いのです。これでは基礎工事がいい加減なまま、華やかな高層ビルを建てるようなものです。そこで最初の最初まで戻って復習をはじめました。

子どもが何度も似た間違えをすると、「なぜ、毎回、同じ間違えをするのか。もっと気をつけなさい」と注意したくなるものです。すると、子どもは「間違え」が見つからないように一人で答え合わせをして、正しい答えを書きうつして勉強を終わりにしてしまいます。けれど、私は「間違ってもいいから、とにかく問題をやりなさい。そして、やったら見せなさい」を徹底しました。

同じ種類の間違えが多いということは、その単元を勉強すれば、ミスは減るのです。つまり、ミスが同じというのは、「いいサイン」です。反対に、どこもかしこも間違えるなら、すべてが難しいというサインで、もっと簡単な段階まで戻る必要を感じます。

二日続けて、6時間つきあった帰りがけ、「明日はもう来てくれないの?」という甥の不安な声に、「もう少ししっかり教えないと悔いが残る」と思い、音楽祭を5日後に控えながら、趣味の家庭教師をもう少し続ける決心をしたのでした。
by k-onkan | 2017-02-14 19:48 | 教育 | Comments(0)

うさぎでもかめでもいいけれど・・・

数日前、未満児のクラスでの出来事です。歌唱曲「ドレミはみんなのなかよしさん」で「ラララ…」と歌っている途中で突然、3歳のNくんが「あとどれくらいで終わるの?」と喋り出しました。他の子が一生懸命、歌っていたので、「途中で喋ってはいけない!」と厳しい声で伝えると、「ギャー」と歌声をかき消すように泣き出しました。なんとか最後まで歌いきって他の子に「静かに待っていてね」とお願いして、暗い部屋に一緒に入りました。

e0143522_1943924.jpgNくんは部屋の中でも大声で「暗い部屋はいやだ~」と騒ぎ続けるので、「静かにしなさい」と一喝しました。そして「みんなが頑張っているときは、ぼくも頑張りなさい。疲れているのは、キミだけじゃない!」「うん」「うん、じゃなくてハイ!」。そう伝えると、見違える態度になりました。ただし、これは私の前だけの表面的なもので、今後も甘えを許してくれる人の前では、わがままを通すのかもしれません。

お稽古が終わった時にお母さんたちに「暗い部屋に入れるのは、いじめているのではないこと」をお話しました。お母さんたちは「まだ3歳なのに……」と思われるかもしれませんが、「三つ子の魂百まで」と言って3歳頃の習慣は一生、続くものです。わが子が将来、大人になった時に、「自分は好きなことだけしたい」と働かなくてもいいのか、それとも、人並みには頑張ってほしいのかは、それぞれの家庭の考え方次第です。

幼児期から、特殊な教育を受けた子は「ウサギとカメ」のウサギになりやすいとお話しました。私は父が一生懸命、「なんとか音感をつけたい」と幼児教育を施したのに、残念ながら、「ウサギとカメ」のウサギのように努力を怠った自覚があります。だからこそ、甥や生徒たちをそうしたくないと家庭教育や躾に口出しをしているのかもしれません。

数年前、「いつやるの?」「今でしょ?」で有名になった塾講師の著書の中で、「自分は「ウサギとカメ」のウサギだから、いざとなったら間に合うと思っていた。しかし、東大には、『飛ぶウサギ』がたくさんいた」という言葉を見つけました。その時、はじめて私は「ウサギには種類」があると知ったのです。

そして、現在読んでいる「下剋上受験(産経新聞出版)」の桜井氏は「うさぎとかめ」の「カメ」にたとえていました。「頑張れないうさぎが多いのは周知の事実であるが、それでもカメは動かない。なぜなら、カメが動きだしても、一斉にウサギが頑張ったら、カメの努力は一瞬にして水の泡であることを、ほとんどのカメが知っている。だから、ウサギはいつまでも寝ているのだ。そして、カメたちも、ウサギに追い抜かれた仲間を見て「そら、みたことか」とバカにする。しかし、受け入れ人数が多い受験の世界では、一匹のカメが無謀な走りによって目的を達成することも可能であり、カメが頑張っても、ウサギの居場所が減るほどの果敢なカメは多くないのだ」と。


幼児教育を実践していると、「幼児期に特殊な教育を受けられる子供の誰もがウサギになる可能性を持っている」と感じます。しかし、同じ教育を受ける中で、油断するウサギもいれば、地道に頑張るうさぎ、そして、ぴょんぴょん飛び跳ねるうさぎもいます。その差は、幼児教育よりも、家庭環境や親御さんとの関わり方、生活習慣にあると感じます。ということは、結局、ウサギでもカメでも、向上心を持って努力し続けられた人が、最後は目標を達成するということなのでしょう。
by k-onkan | 2017-02-04 19:43 | 教育 | Comments(0)

勉強以前の学びがある!

「下剋上受験(産経新聞出版)」の中には、中学受験で教わる「特殊算」がたくさん登場します。「つるかめ算」や「仕事算」で、中学受験をしなかった私も、この本を読んで、「特殊算は、中学で習うことを英語を使わずに解く方法だったのか…」など、面白い発見をしています。

e0143522_20451659.jpgこの中で、作者が娘さんに「仕事算」を教えることに苦労する場面がありました。仕事算というのは、「ある仕事をするのに、Aは12日、Bは18日かかります。この仕事を最初 は2人で6日間した後、Aが1人ですると、Aは仕事を始めてから何日間で 終わらせることができますか」という問題です。しかし、小学生の子どもは仕事をしたことがないので、仕事に対して漠然とした理解しかありません。

そこで、「仕事量とは、なにか?」を問うと、「わからない」と言う答えが返ってきました。そこで、身近な物事に置き換え理解させようと「芝生を刈る面積や、ペンキ塗りの面積や、ブロックを積む量」などの例を出したのです。ところが、娘さんからは「芝生を刈るってどういうこと?」「ブロックって誰かが積んでいるの?」と驚くべきことが飛び出しました。お父さんは、「算数以前の問題だ」と愕然とします。

娘さんから「電柱の上の電気は朝になると、誰がどうやって消すの?」という質問があったことから、父親は「朝になるとすずめが飛んできて、止まるあたりにスイッチがあるのだ」とためしに言ってみました。すると「へー。考えた人、すごいね」と言い出し、「信じてどうするんだ」とあきれながら、益々「中卒の流れ」を変えなければとの思いを強くするのです。

作者は算数の問題を見た時に、公式だけ覚えて、正しい答えを書き難関中学を目指しても、その文章が言わんとしている内容を理解したり、算数の面白みが分からないまま、ただ記憶して解答することは、何かが間違っていると感じたようです。

そして、それこそ、私が、普段「音感」を教えながら、子どもたちに感じている不安でもあります。木下式を実践して、「歌が歌える子」「音が聴き分けられる子」を育てることができますが、生きるための「当たり前の経験」があまりに少なく、「このまま、大人になって、果たして社会に出ても大丈夫なの?」と不安です。たとえ、塾に通って偏差値の高い難関中学に入れたとしても、高学歴で社会で使えない人材に育ったら目もあてられません。

私たち姉妹は決して、勉強が好きなわけでも、偏差値が恐ろしく高い学校出身でもありません。しかし、どこで誰に習ったかは覚えがないですが、無意識に「知っていること」が人より多くあることが、今、こうして仕事ができている理由だと思っています。そして、これこそが、両親が私たちに与えてくれた「学校の勉強以上に大事なもの」だったのでしょう。

せっかく、面白いことを読んだので、小1の甥Kに同じ質問をしてみました。「Kちゃんって芝刈りって知っている?」「芝生って?」「お庭にある草みたいなの」「草が伸びるっていうのは知ってるよ?」。「千葉で見たことあるし……」

「ブロックって知っている?おうちの周りにある塀とかの…」「知っている」「あれは積むんだけど、どうなっていると思う?」「セメントっていう土みたいなのを混ぜて、大工さんみたいな人(左官屋さん)が塗ると思う」という答えが返ってきました。Kは、正直、学校の勉強が大好きなタイプではありませんが、自分のまわりで起きていることに興味があり、私たちが知らない間に、いろいろなことを吸収しているのかもしれません。

そこで、最後に、「電信柱の電気は夜ついて、朝になると消えるでしょ?どうやって消えると思う?」と聞くと「自動でしょ?」と、当然のような答えが返ってきました。そこで、私も作者を真似てためしに「違うよ。朝になるとすずめがチュンチュンと電線に乗るでしょ?そこにスイッチがあるのよ」とまじめな顔で言うと、「え。そうなの?」と一瞬、信じそうになりましたが、その後、私の顔色から「うそでしょ!」と気づいたようです。後から、「お母さ~ん、まぁちゃんったら、僕に変なことを教えるんだよ。電信柱の電気はスズメがちゅんちゅんって言って消すのよ!だって……おかしいよね」。大人のくせに嘘の情報を信じさせようとした私を責める甥に、「無意識の知識は育っている」と少し安心したのでした。
by k-onkan | 2017-02-03 20:44 | 教育 | Comments(0)