麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:教育( 500 )

夢を追っても期限つき・・・かも

最近、自分が年をとり、若い人が夢を追って努力する姿に、元気をもらうと感じる場面が増えてきました。若者が夢を実現するために一生懸命、取り組むのは尊いことです。でも、自分が長く生きたからこそ、分かるようになったことがあります。それは、夢は「願ったからかなう」というものではないことです。どんなに素敵な夢でも、間違ったタイミングに、間違った努力をしていたり、その努力が不十分であれば、夢は実現しないかもしれません。

e0143522_2255551.jpgそれでも、私は基本的に、子どもが「なにかやりたい」と言ったら、「やってみなさい」というタイプです。それは、私が想像力豊かで心配症な父親とその親族に育てられ、「何かをやりたい」と思うと、口に出す前に「できない理由」を突き付けられて、ほとんどのことを諦めた、聞き分けのよいタイプの子どもだったからです。

それでも、今思うと、心配症の親族に育てられたことで、「自分が絶対にやりたい」と思ったことは、どのように実現するかを、根回しや説得の方法を考えたものでした。また、「自分で宣言したこと」の責任は、自分が間違っていないことを証明するために、本気で腹をくくらなければならず、簡単には逃げ出せないというプラスもありました。けれど、若くて未熟だった頃は、「親に反対された」という恨みに、本当は自分の努力が足りなかったことを隠して、すべて、大人の責任にする無責任なところもあったと記憶しています。

そんな経験もあったから、子供の年齢が小さい間は、たくさん心配して、いろいろな知識を与え、ある年齢を超えたら、「自分で挑戦しなさい」と自由にさせたいと思っています。でも、自由を与える時には、伝えておきたいこともあります。それは、「自由に挑戦する期限を決めること」そして、その時がきても、夢がかなわない時には、「腹をくくって諦めて、他の道を探す」という選択を突き付けるのも、時に、親がしなければいけないことかもしれません。私にとっては「留学を切り上げて、家業を手伝って」と母に宣言されたのがその時期でした。

心配症で色々な行動を制限する親も、いろいろな道を見出して挑戦させる親も、金銭的な援助でただ見守り続ける親も、そこには異なる形の愛情があるのだろうと思います。でも、どんな方針の親御さんの子どもであっても、いつか、大人になるために、腹をくくらなければならない時がきます。

親にとっては「何歳になっても子ども」であっても、30代を過ぎたら、いつまでも、親に援助され「育てられる側」をしている場合ではないと感じるからです。30歳を過ぎたら、大人として―自分の子供がいなくてもー「育てる側」の責任を果たさなければならないと思います。30代に、自力の食い扶持を稼げずに、親の援助を必要としていたら、その子どもは、やがて、高齢の親の重荷となり、親子で共倒れになることもあり得るのです。幼児期、児童期にどんなに素晴らしい教育を与えたとしても、そんな大人に育ててしまったら、その教育は無駄だったと言わなければならないかもしれません。
by k-onkan | 2017-08-11 22:04 | 教育 | Comments(0)

思いやりは一方だけに必要なのではない

最近、格安航空にて、車椅子の乗客が乗車拒否された、という話が巷を賑わしているようです。私が30年前に暮らした自由と平等の国アメリカでは、どんな場所でも「車椅子であること」を理由に乗車や入店を拒否してはならないという法律があったと記憶しています。つまり、障害があっても健常者と同等の権利が守られているということだと思います。

e0143522_2055312.jpgしかし、そうした法律がある一方、私たち日本人とは決定的に感覚が違うことがありました。それは、「障害があるから」といって特別扱いをされたり、「弱者であること」を理由に無理を通そうとする人には出会ったことはない、ということです。

たとえば、アメリカで、障害を持つ人が車椅子で飛行機など、交通機関を使用する際には、事前に連絡をして、健常者の迷惑にならないように手筈を整えます。そうして準備していても、人を待たせる結果になり、大勢の好奇の目にさらされたりと、必ずしも、快適なことばかりではありません。

また、バスなどに乗る際には、早めに停留所で待ち、周囲の人が「車椅子でバスに乗る」こと、特別な器具の出し入れや乗り降りに時間を要することに、さりげなく気づかせる人もいます。それでも、時に急いでいる人の中には、文句を言う人もいるのです。「障害を持っている人」に平等の権利が約束されているように、他の人には、「迷惑に感じる自由」もあるということかもしれません。

今回の「格安航空で、乗車拒否。自力で階段を登らされた」というニュースを「ひどい」と感じるか、何の連絡もせずに車椅子で搭乗口に来て、対応した航空会社に同情するかも、また、アメリカ流に考えると、それぞれの自由だといえます。ですが、個人的には私は後者の気持ちなのです。

飛行機の中は、特別な環境です。万が一、非常事態が起きたら、乗客も非難の手伝いを求められることもあります。そのため、車椅子の人は飛行機の中で、座れる場所も決まっていたと記憶しています。そうした非常事態も想定した上で、飛行機会社は、乗客の安全を守らなければなりません。

「チケットを買ったから乗る権利がある」ではなく、サービスを受ける側も、サービスする側も、互いに気持ちよく関われるように、弱者であっても、人間としての最低限の礼儀は重んじられるべきでは、と思う出来事だったのでした。
by k-onkan | 2017-06-29 23:03 | 教育 | Comments(0)

壊滅的から脱した!?

「麻奈先生、Yの英語が壊滅的ですけど、いいのでしょうか?」と中学生の名誉団員が、恐る恐る私に教えてくれたのは4ヶ月前の音楽祭の頃でした。ちょうど、試験前で問題集に取り組んでいたようですが、その「できなさ具合」に、生徒たちは、「これで、いいの?」と心配し、「どうにかしてあげて」と私に知らせてくれたのだろうと思います。

e0143522_19324275.jpg甥Yが小学生の間は、幼児期の教育と家庭学習の「貯金」によって、塾に通っていなくても、学校の勉強で困ったことはありませんでした。中学生になってからは公立いうこともあって、家庭学習で恥ずかしくない成績を維持してきました。しかし、「英語」に関しては何の準備もせず、自分の力でどこまで、学校の授業についていけるのかの実験をしてしまった形となってしまったのです。

その結果、小学3年生の後輩が一生懸命、Yに文法を教えたり、中学生の先輩から「英語は壊滅的なんだね」と残念なコメントをいただき、音楽祭を控えた週に、毎晩、英語の家庭教師に行ったのです。

1年間、なんとなくしか理解していないYの英語は、難しい単語や構文は丸覚えしていても、基本的なことが正しく理解できておらず、付け焼刃の勉強だけでは、学年末試験はたいした結果は出ませんでした。

1週間、甥の英語の勉強につきあい、「英語を正しく読まずに、ローマ字読みをしていること」「基本中の基本がわかっていない」という根本的な問題を解決することが先決だということになり、春休みは母子で「フォニックスの講座」を受講しながら、中1の復習ドリルを終わらせ、それまで毎晩、一人で聴いていた基礎英語は母子で聴くようにしたようです。

そして、新年度が始まってはじめての英語の定期テストです。「英語のテストは何点でご褒美を出す?」と瑠音先生からの悪魔の声です。それまでの悪戦苦闘を知っているので「80点以上で」と答えましたが、瑠音先生は厳しく「90点以上」でないと、ご褒美はないそうです。その結果は私からのご褒美は余裕ですが、瑠音先生からのご褒美は惜しい!という点数だったようです。

「英語ができない」といった時に、「やはり、塾の力を借りなければいけないのではないか」という提案もありましたが、「塾に行くための予習ができなければ、塾へいく意味はない」ということで、親子で努力して、壊滅的な状態を抜け出たようです。

木下式の音感教育にも通じることですが、子どもにとって未知の事柄は大人が懇切丁寧に手をかけて教えますが、最終的には子どもが自立的に、「知りたい」「やりたい」と思ったことが、自分でできるようにすることが、一番、重要です。これを忘れると、一生、大人の手が必要な人間に育ってしまうと思うからです。中2の甥の英語はまだまだですが、少しだけ大人の庇護から離れ、自力で授業を聞いて理解して覚える段階には近づきつつあるようです。
by k-onkan | 2017-06-25 22:11 | 教育 | Comments(0)

何をしたいかは自分次第!

数日間、ネット上で「返還型奨学金(学資ローン)の滞納率の高い大学の偏差値を調べてみた」と題した記事が回ってきました。内容は、国立大学や有名私立を出た人の平均年収は全体的に高く、偏差値が低い大学出身者が全体的に低いことから奨学金を返済するのが難しく滞納率がより高くなるということのようです。個人的には「みんなが大学に行くから自分も……」という理由で、奨学金を借りてまで大学へ行ったら滞納者が増えるのは当然だと感じます。

e0143522_0253361.jpg本来、義務教育ではない大学に行く際には、本人によほど「学びたいこと」「成し遂げたい夢」がなければ、「大学卒業証書」だけにはあまり意味がないと年寄りは思います。でも、実際は「皆も大学へ行くなら、自分も後4年、就職までの時間が欲しい」という気持ちも分かるのです。私も若い頃には、一日も長く学生でいたいと思った未熟ものだからです。しかし、年をとった今だからわかるのは、まっとうな学生は18歳から22歳までの貴重な時間を有意義に過ごすことができていたということです。

奨学金という名の学資ローンの元本は税金です。それを滞納したり、踏み倒す人が増えたら、制度そのものが続かなくなっていくでしょう。お金を借りてまで大学に行って安定した収入が得られる人がわずかなら、無理をして大学に行くより手に職をつけるなど、自分にしかできないことを見つける方が、生きる上で役に立ちそうにも感じます。

一般に「手に職を付ける」というと、「ならば中卒でいいのね。うちの子は漢字も計算も苦手で、いくら教えてもできないから、中卒ならそれでいい」という意見も耳にしたりします。しかし、たとえ、大学に行かないからといって、小学校の勉強はしなくていい、というわけでもありません。この国では何の仕事に就くには最低限、小学校で学ぶ「漢字や計算」は必要だからです。

そして、何があっても、「わが子を大学まで行かせたい」と考える家庭ならば、子供が小さい内から「自分から楽しく好奇心をもって学ぶ習慣」「コツコツ地道に勉強する習慣」を親子で意識する必要があるのかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-24 00:25 | 教育 | Comments(0)

同じ教育を受けても・・・・・

子どもの頃は悪いことをして叱られてばかりだった子が大学を卒業して立派に成長しているとの報告を受けることもあれば、小さい頃は優秀だったのに大学に行った後にフラフラしているとの噂が耳に入ることもあります。こうした違いに、「同じ教育を与えたのに難しい……」とのご意見をいただくことがあります。

e0143522_13112639.jpgですが、私には思い当たることがあります。それは同じように楽院に通って、同じ教育を受けているように見えても、それぞれの家庭の考え方は異なるものです。楽院の「音楽教育」に魅力を感じて、音楽の能力の成果だけを求める方もあれば、「躾がしてほしい」「小学校受験に有利」との考え方もあります。また、オペラや音楽祭などの舞台に魅力を感じる方もあれば、音感を通した「人間としての教育」に共感される方もあります。同じ教育を受けても、その目的が異なれば、その結果が異なるのは当然かもしれません。

木下式は、親が自分の子どもが「生きていくため」に作られた教育です。そのため、一般の音楽教育よりは、厳しいところがたくさんあります。そして、そこには、単に音楽だけでなく、いくつかのメッセージがあります。それは、親は先に逝くものなので親がいなくても①身の回りのことを自分でできること、②心身ともに強いこと、③与えられた場で責任を果たせる力を持つ、④自分にしかない能力を持つ⑤自分の考えを持つ、などです。

楽院に通いながら、比較的に素直に物事に取り組むと、こうしたことを当たり前のように受け入れられ、大人になっても、いろいろな場面で結果を出してくると感じます。もしかすると、親御さんが「こうあって欲しい」と夢見た姿と同じではないかもしれませんが、本人は「自分のやりたいこと」を見つけ、充実した人生を送っているように見えるのです。

反対に、長く楽院に在籍していても、親御さんが「努力や練習などしなくても、結果が出せる天才のような人間に育てたい」と現実離れした考えを持っていると、楽院の本質的な考えとは差があり過ぎて、子どもが自分の道を探すのは、難しそうに感じます。

昔は、「楽院に通いたい」といわれても、根本的な考え方や異なる価値観を持つ方は、面接でお断わりしていた時代もありました。価値観や考え方が違う中で、お子さんをお預かりすると、その成果に差が出ることを知っていたからだと思います。

現代は、「やりたい」と言われる方に広く門戸を開いていますが、通学の途中で考え方や価値観に相違を感じる際には「他のお教室を探していただいた方がよいのでは?」とご提案することもあります。結局、同じ教育を与えても、その成果は側面支援する親御さんの関心の高さ、家庭と教育現場の共通した価値観や考え方、そして、親から子への社会的相続によって、子供の成果は、良くも悪くも変わる、ということかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-12 23:08 | 教育 | Comments(0)

英語も音感も、基礎が大事!

一般的に幼児教育を受けたり、小学校受験の準備をしたりした子は、公立小学校であれば小学3年までの予備知があると言われています。反対に、「ゆとり教育」が終わった今、何の準備もせずに小学校にあがったら、授業の進み具合が早く、単元ごとに確実に理解するのは、子どもだけの力では難しいと感じます。

e0143522_1628677.jpg幼児期の子どもには、「堅苦しい勉強などさせるべきではない」という考え方もあると思いますが、最近の幼児は、「タブレット」や「DVDレコーダー」などの機器も上手に操れる賢さを持っています。せめて、入学前に「先生の話を聞く」「自分の名前の読み書き」や「数字の数え方」程度は、興味の中で知らせ、小学校に送り出した方がいいと感じます。

さて、幼児期からさまざまな教育を受けて公立校に進み、小学6年生の後半に、模擬試験などを受けて受験勉強の真似事をした甥Yは、公立中学でも苦労せず良い成績を取ってきています。しかし、一科目だけ、壊滅的なものがあります。「英語」です。

学年末試験の二週間前に、「Yの英語が壊滅的」と楽院の生徒たちに知らされ、毎日、英語の勉強に付き合ったのですが、根本的な事柄に理解できていない上で、日々、難しいことを覚えているため、「耐震偽装の高層マンション」のような状態に仕上がっていたのです。

「こんなことなら、もう少し早く、英語の勉強を無理なく始めさせておくべきだった」と思いましたが、本人が英語に興味を示さなかったため、「中学校になって授業で習うようになったら、自分で学ぶだろう。幼児期から児童期と家庭学習で身に付けた力だけで、子どもがどこまで自力で新しい科目を習得できるか見てみよう」という気持ちで静観してきました。

その結果、英語は「壊滅的」でちょっと勉強しても、平均より少し上にしかならなかったことから、家庭で毎日、「親子一緒」にラジオの基礎英語を聞いて勉強すること、そして、文法ドリルを日課にすることとなりました。また、春休みには「フォニックスの講習」を受けることにしました。フォニックスはイギリスの小学校で読み書きを教える方法ですが、Yが英単語を記憶するために、ローマ字読みの誤った発音をすることがずっと気になっていたからでした。

講習の初日は弟甥を私に託し、親子で講義を受けにいきました。アルファベット一つひとつにストーリーがあり、その発音を教えていただくのが、とても分かりやすく面白かったそうです。そして、「字を覚えたての子どもがひらがな見つけると読もう、読もうとする気持ちがよくわかった」とのことでした。瑠音先生も英単語を読みたいと思って、街中で英単語を探しながら帰ってきたそうです。

さて、2020年からは公立小学校でも3年生から英語の時間が始まり、5年生には科目として学ぶようになると聞きます。感覚と雰囲気だけで物を覚える小2の弟甥は、今から少しずつ、英語に興味を持つ素地を作っておかなければと思い、自分も英語の勉強を再開しようと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-04-04 23:20 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て-3-

教育の特集の後は、地方で増えてしまった「猫」の話になりました。それは、ご主人と死に別れた女性が飼い始めた1匹の猫が始まりでした。「不妊手術はかわいそう」「外に出さないのはかわいそう」ということで、気づくと最初の妊娠、数か月後には子猫が出産し、1年半で家の中の猫は37匹に増えて、生活が破綻してしまったという話をしています。

e0143522_14495985.jpgその話しぶりから、その女性がとても優しい方だというのはよく分かります。けれど、「かわいそう、かわいそう」という優しさの結果、行政のお世話になって手術費用を出していただいたり、動物を保健所で処分されたり、生活が破たんして生活保護に頼る状態になるくらいなら、最初に心を鬼にしてでも「手術をするか」「外に出さない」などの対応が必要だったとも思うのです。

「ねずみ算」という言葉がありますが、動物の繁殖力は凄まじいものがあります。何かを育てるなら、その前に知識が必要だと感じます。最近、日本の各地で、外来種の生物が和種の生物を食べて、生態系が変わってしまっているという話を耳にします。「大きくなりすぎて、自分では飼えない。でも、殺すのはかわいそうだから」と川や池に捨てた生物が、人間にも危害を加える危険な生物として、恐れられているという問題も多いようです。何かを育てる、ということに関して、私たちは決して無責任でいてはいけないのだと思うのです。

そして、それはペットだけでなく、人間であっても同じだと思うのです。たとえば、子どもが何かの障害を持っていたり、外国出身で日本語が苦手だったり、それぞれにいろいろな事情はあることと思います。しかし、将来、自分にできることをして生きていくためには、「かわいそう」だからと先延ばしするのでなく、今、しなければいけないこと――不妊治療か、療育なのか、教育なのか、という違いはあっても、育てている大人が責任をもって、見極めていくしかないと、思ったのでした。
by k-onkan | 2017-03-28 14:50 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て-2-

「スパルタ幼稚園」のVTRの後、子育て中の女性芸人から「小学校に入ったら、嫌でも勉強するのに、幼児の内から、させるのはかわいそう」という意見が出ました。しかし、そこには、自分の子どもと幼児期に教育を受けた子どもたちの差が不安で仕方ない、という気持ちも見え隠れしていました。

e0143522_14233042.jpgその不安からなのか、「子供時代に親子でたくさん遊んだ人の方がいい大学に進んでいるという話がある」との言葉が出ました。確かに、私も「親子でたくさん遊んだ人が、優秀になる」ということに納得がいきます。しかし、この「遊ぶ」という言葉で大人は誤解してはいけないことがあります。

一般に「遊び」というと、「子どもの好きなこと」と考えてしまいますが、実は賢い子の「遊び方」は好奇心や興味が刺激され、自ら創造したり、深く思考したりする遊びであることが多いと感じます。

たとえば、「親子で遊ぶ」としても、高い料金を払ってレジャー施設で遊んだり、海や山近くのホテルで設置された器具で遊ぶのではなく、大自然の中で自分の身体や頭を使ってさまざまな体験をしたり、屋内で親子で何かを作ったりして遊ぶのとでは、同じ結果はでないかもしれません。

途中、「池上さんが子どもの頃はどんなことをしていましたか?」という質問が出ました。難しいニュースを易しく解説できる「池上彰」氏は賢い大人の代表ともいうべき存在です。その池上さんがどんな子ども時代を送ったか、会場は興味津々だったと思います。

「私の子供の頃は正反対で、まったく勉強はしていません。外で遊んでばかりいました。暗くなったら、本を読んでいました」との答えが返ってきました。この答えに「自分で本をスラスラ読めるようになっていたこと」そして、長野出身の池上氏の子ども時代の遊びは、今と違って、自然の中で好奇心をもって、いろいろなことを体験から学ぶことができただろうと感じました。

残念ながら、今の時代に都市部に住んでいる子どもが、池上さんと同じような遊びをしたいと考えたら、参加費を出して大自然の残る無人島などで、監督者についていただき、サバイバル経験でもしないと難しいと感じます。

そう考えると「幼児期はただ、遊んでいれば大丈夫」ではなく、この時代を生き抜くために、必要な能力は、幼稚園、学校にお任せではなく、それぞれの家庭で考えるべきことだと感じます。そして、大事なわが子だからこそ、「子どもだからかわいそう」と優しく囲い込むだけでなく、親がいなくなった時に、社会の世話にならずに、自分で生きられる力だけは、つけるつもりで、教育はしておくべきだと、やはり、強く思ったのでした。
by k-onkan | 2017-03-27 23:17 | 教育 | Comments(0)

とあるテレビ番組を見て―1―

最近、連絡がなかった卒業生から、「テレビで楽院みたいな幼稚園を特集しているから見て!」というメッセージが入りました。それは、テレビ東京系で放映されていた池上彰氏の番組で、紹介されていたのは運動系で厳しいと有名なB幼稚園と、文化系で規律を重んじている幼稚園でした。双方の幼稚園ともによく雑誌などで紹介され、私も知っている園でした。

e0143522_13165881.jpgそれぞれの園長先生は、「全員ができるまで諦めさせない挑戦意欲、できたという成功体験」などのキーワードを言われ、保護者はしっかりと考えを持ってそれぞれの幼稚園に通わせていることが分かります。しかし、スタジオの人からは「スパルタだ」「子どもがかわいそうでは?」「勉強は小学校からすればいいのだから」という意見が出てきます。

私が平素、幼児に音感教育をしながら強く感じていることがあります。それは、子どもというものは「みんなができること」は自分もできるようになりたいと願っていることです。その特性を生かしていたのがB幼稚園で全員が取り組む「三点倒立」でした。これは誰もができる種目だそうで、これにクラス全員で取り組み、「失敗する人がいるとやり直し」という挑戦を繰り返し、成功体験を育んでいるとのことです。

通常「できる子とできない子」がいると大人は「できない子がかわいそうだから」といって、できる子にもさせないようにするという考えに陥りがちです。本当に教育をするなら、できない子を「できるようにする」ことが大事なのだという園長先生の考えに、強く同意できました。

一部の大人の中には子供たちに競争をさせて一番とビリを意識させることは、「できる子が、できない子をバカにしていやな性格になる」と考えを持つ人がいます。しかし、この幼稚園では「できる子どもたち」が三点倒立ができずに、「他の子どもたちに迷惑をかける芸人さん」にできるコツを教えていました。楽院の生徒たちにも共通するところが、ありますが、できるようになるまでの苦労や厳しさを経験した人は、簡単に弱い人、できない人をバカにはしないと感じるのです。

手前味噌ですが、木下式にも、誰にでも覚えられる「音感かるた」と「歌唱曲ドレミはみんなの仲良しさん」があります。この課題は、「耳が聴こえない」「喉に障害がある」などの事情がない限りは、誰でもできるようになる課題なので、これを卒園までに習得させることで、歌上手な子どもを育てているのです。

私は、幼児期に何をさせたいかは、個々の家庭の自由だと思います。けれど、小学校に入って授業についていくための「話を聞く力」とか「本が好きになる努力」「鉛筆を持つ器用さ」「強い身体」だけは、どんな方法でも、家庭で育て、送り出してほしいと思っています。なぜなら、小学校に入った時にあまりに他の人と差があると、それだけで、「学習に対するやる気」も失せてしまうと思うからです。
by k-onkan | 2017-03-26 23:04 | 教育 | Comments(0)

聴覚を生かすために必要なこと

音楽祭が終わり、ビデオ編集や機関誌作りなどの傍ら、中1の甥Yの壊滅的な英語を改善するプロジェクトの再開です。英語の試験の後、出張先から「どうだった?一緒に勉強した甲斐はあった?」と電話をすると、「あったと思う。これまでは時間が足りなくて、最後は勘を頼りに適当な答えを書いてたけど、今回は3分も時間があまって、その上、最後の30秒に前の晩に復習した慣用句を思い出して書いた。リスニングがよく分かるようになった」と明るい声の報告がありました。

e0143522_23534141.jpgところが、妹と答え合わせをすると最初の一問目から「これはbe 動詞をいれなければいけないのでは?」とか「those boys はhimじゃなくthem って、まぁちゃんに教わっていたのに……」とミスを指摘されたようです。「せっかく、いい気分だったのに、お母さんたら追い詰めないでよ!」と友達と遊びに出かけていったそうです。

さすが、英語は壊滅的だっただけのことはあります。あれほど同じことを再三再四、教えたにも関わらず、Yの「忘却曲線」は定着には至っていないようです。ですが、実は内心ほっとしたのです。なぜなら、たった一週間、私と一緒に勉強しただけで、テストの点数が大きく跳ね上がったら、地道な努力を怠るようになるかもしれません。

その昔、私自身、幼児教育によって培った短期記憶を使ってテストの前に瞬間芸のように勉強していい点数を取ってしまったことで、後から、そのつけが回ってきてしまいました。内容が簡単なうちは、瞬間芸の勉強で対応できても、内容が難しくなると、付け焼刃の勉強ではなく、地道な努力ができることが、何より大事になります。

今年の音楽祭の「音感部門」では、2020年から小学3年から英語が必修科されるというお話をさせていただきました。音感教育によって、鍛えた聴覚は英語の勉強をする際に子音を聴き取る一助になるといわれています。しかし、耳で違いを聴くためには、「英単語」を知っている必要があるのです。つまり、鍛えた耳を生かすためには、知識を習得する努力も、忘れないようにしないと、せっかくの耳が生かせないということになります。

兄甥には英語の導入で苦労をさせてたので、地道な努力が苦手なのに自尊心が強い弟甥Kは今から少しずつ、家庭学習で英単語を教えていかなければと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-02-22 23:53 | 教育 | Comments(0)