麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:児童( 414 )

同じなら平等なの!?

小学生の子どもたちは、木下音感協会創立40周年記念パーティーで演奏するため、毎週、土曜日にお弁当持ちで、練習を行っています。パーティーでは、男女がチームに分かれて、「スタンツ(余興)」も行なうことになりました。

e0143522_23534384.jpg男子班の中には、土曜日に小学校があって、あまり練習に参加できないお子さんがいます。合唱は、短い練習時間でできる曲目だけを出演させることになっていますが、スタンツは、一緒に参加できるように、瑠音先生が「その子用の持ち場」を考えたのです。しかし、それも、なかなか練習する機会がありません。

私たち大人は練習時間がなくても、「なんとか他の子と同じことをさせてあげたい」と思ってしまいますが、それが「自分だけ上手にできない」という劣等感になったり、消化不良を起こす原因になったりしては、いけないと思うことが、最近、増えてきました。

ちょうど、お母さんから、「学校を休んで練習に出る日を作った方がよいでしょうか?」との問い合わせをいただいたので、まず、子供本人に「出たいか、出たくないか」を確認していただくことにしたのです。

こどもの答えは「どちらでもいい」というものでした。「どちらでもいい」は、「出たくない」ではないので、もしかすると、「出てもいい」という意味だったかもしれません。しかし、出ることにしたら、自分の責任を果たすことを求められます。そして、いい加減なことをしてしまうと、一生懸命、頑張る他の子の足をひっぱり、子供たちの不満の原因になることもあります。そこで、今回は、「どちらでもいい」なら「それほど出たいとは思っていない」と理解して、「スタンツはムリに出さない」という結論に落ち着きました。

本人は、自分が参加しないことに、少し驚いたのかもしれませんが、「自分が出ない経験」をしてみないと、自分が「出たい」のか「出たくない」のか、想像することができるようにはならないと感じます。

もし、友達が楽しそうにダンスをする姿を見て、「やっぱり、ぼくもスタンツがやりたかったなぁ」という言葉が出たら、「そのことに気付いてくれて嬉しい」とお母さんから、伝えてほしいと思います。そして、「次は、『どっちがいい?』と聞かれたら、『どっちでもいい』ではなく、出るか、出ないか、どちらかに決めよう」とアドバイスをしていただけたらと思います。

もし、今回、特にコメントがなければ、本人にとって、学校もたいへん、楽院もたいへん過ぎず、ちょうどいい状態なのかもしれません。何しても大人はとかく、「他の子と同じことが平等にできること」にばかりに目をむけがちですが、子供本人が全力投球できる「限界」を見極めることも、大事なことだと思うのです。
by k-onkan | 2017-12-10 23:53 | 児童 | Comments(0)

叱られるうちが花!

成果報告会から1週間が過ぎて、児童部のレッスンがあったのですが、子ども達は普段通りの様子で、発表会の出来に悪びれることもない様子だったので、反省する時間を作りました。

e0143522_13384281.jpg「先週の発表で、舞台で何度も頭を振った人がいるんだけど……」というと、「見た、見た。知っている」との言葉が一部の男児から返ってきました。「どうして、あんなことしたんだと思う?」というと、「ピアノでミスをしたから、じゃないの?」との答え。さすが、子供は「自分もしそうなこと」を想像する力があるようです。

その子が舞台袖に戻ってきて、瑠音先生は「なぜ、舞台であんなに頭を振ったの?へんでしょ!」と注意したそうです。しばらくすると、私のところに憮然として態度でやってきて、「あれはぁ。本番なのに、間違えてごめんなさい、という意味で、頭を二回下げたんです!」と怒った口調で弁解にきたのです。

凸凹の気質が言わせているのだとしても、「自分は間違っていない」という態度に、私もカチンときたので、「キミが、たとえ、間違えても、そんなことはお客様には関係ない!間違えたなら、余計『ごめんなさい』の気持ちが分かるように丁寧に1回お辞儀をして帰ってきなさい。2回頭を下げたくらいで、『間違ったこと』は帳消しにはならない!!」と、伝えたことを、子供たちにも知らせました。

一度、演奏が終わってしまったら、どんなに後悔しても、取り返しがつかないから、きちんと練習して本番に臨まなければならないのです。他にも、歌詞をぽっかり忘れた子、ピアノで何度も何度も弾きなおした女の子もいたのですが、どちらも、普段、「集中すること」が苦手で、合唱などで、行儀の悪さを指摘されている子たちでした。「本番だけ上手にやろうと思っても、できないから、練習の時に、先生たちに言われたことを、もっと素直に受け止めなさい!」という話をしました。

最後に、子供たちに聞いてみました。「Kちゃんの歌、みんなはどう思った? すごく下手だった?」。丁度、午前中は学校があり、その場にいなかった2年生の甥について、子供たちに尋ねたのです。子どもたちは、不思議そうな顔で「別に~。いつも通りだったよ」という答えが返ってきました。

「でも、Kちゃんは、終わった後に、瑠音先生から、どつかれたのよ」と知らせました。子どもたちは、口ぐちに「なんで? 失敗していなかったのに……」と不思議そうな顔をしました。ピアノが思いのほか上手にできたと思ったKは、調子に乗って、独唱の時は、普段、注意されていた「口型」や「歌い方」を何一つしないまま、戻ってきたのです。お客様には気づかれないかもしれませんが、「教わったことや、言われたことをしないで戻ってきたこと」に瑠音先生は怒ったのです。

兄甥のYはKが叱られたと聞いて、「ボクも小さい頃、集中していなかったり、調子に乗って失敗したら、お母さんにどつかれたよ。Kちゃんは叱られるのが遅いくらいだ」と、叱られることが当然という口調で、慰めの言葉を口にしていました。

そして、それに対する瑠音先生の言葉に、私たちは妙に納得してしまいました。それは「なに言っているのよ。Kちゃんはこれまでは失敗しても『Kちゃんだから、仕方ない』って叱る気にもならなかったのよ。でも、叱れるようになったのは、やっと期待できるようになったということ。進歩なのよ」という話でした。

子供たちには、「お母さんが音楽会で失敗しても、成功しても、何も言わないのは、もしかすると、『期待されていないのかもしれない」という話をしました。すると、ピアノで何度もつかえた女の子が「うちは、叱られたよ」と嬉しそうに報告していました。

その言葉に、「でもね。あまりに、何度も何度も、同じ失敗していると、いつか、お母さんも「期待をするのはやめよう」と何も言わなくなることもあるから、叱ってくれる間は、まだ『気にしてくれている』証拠だから、早く結果を出せる人になってね」と苦言を呈したのでした。

音楽会を初めてご覧になった、0歳児の親御さんは、「芸事の世界は厳しい」と感じられたようです。なぜなら、舞台に立ったら、どんなに幼い子どもであっても、誰にも助けてもらえないで、自分でどうにかして戻ってこなければならないから、ということのようです。そして、その通りです。舞台に立ったら、自分しかいないから、生半可な気持ちでは出ていけないことを、楽院は教える教室です。そのため、一般のお教室の発表会のような華やかさはありません。

楽院を卒業した子どもたちが、打たれ強いのは、こうした場を定期的に与えられ、時に成功し、時に失敗する経験を通して、「自分の心」との向き合い方や、立ち直り力(レジリエンス)を身に付けたからだろうと思います。しかし、そこには、『子どもの出来』について、心底から応援したり、がっかりしてくれる親御さんの存在があることが一番大事です。それがないと、子供は失敗しても、「何も感じないまま」、時間と経験だけが過ぎてしまうこともある、このことを大人は忘れないようにしたいものです。
by k-onkan | 2017-12-09 23:37 | 児童 | Comments(0)

きっと、できるから!!

日曜日は恒例の津市の教室の指導にうかがいました。赤ちゃんクラス、シニアクラス、そして、音楽祭に推薦予定4年生のAちゃんのレッスンを行ないました。小さい頃から、K教室で音感を学んでいる女の子は幼い頃は音感が嫌いで、毎週、泣きながらレッスンに通っていました。でも、最近、とても頑張っているのです。

e0143522_19415925.jpg音楽祭が近づく中、この教室で「今回、音楽祭に推薦しても、なんとか乗り越えられるのでは……」と感じたのは、そのお嬢さんだけでした。ですが、本人にやる気がなければ、どんなにまわりが期待しても、よい結果は出ません。そこで、教室の先生から親御さんにお話いただき、家族で話し合っていただきました。

最初は「東京へ行くのは怖い」と言っていた女の子ですが、しばらく考え、自分で「東京へ行く」と決めたようです。そのためでしょう。私のレッスンでも細かいことを、求めても、一生懸命、対応する様子がありました。

それでも、東京に行って木下先生の指導を受けるには十分ではないことを私は知っています。木下先生は、自分から学ぼうとする子どもには、どんどん新しいことを要求するからです。そのため、指導を受ける前に「これで合格点」ということは絶対にありません。

このお嬢さんが、初めてのレッスンで、少しでも嫌な思いをしないように、私もできる限りのことを教えておきたいと、指導にも力が入りました。「東京に行ったら、木下先生が言うことを、その場で直せるように頑張ってね。言われたことを直せると、次にもっと上手になるように教えてくれるから……」と説明しました。

「あなたが、K先生から教わったことができないと、「ちゃんと教えていない」と言ってK先生が叱られることもある。麻奈先生が叱られるのは、いいけれど、先生はK先生が叱られるのは申し訳ない。だから、ふだん、教えてくださるK先生のために頑張ってほしい」と伝えました。

そして、最後に、音楽祭に出るなら、絶対にレッスンの途中で涙をこぼさないこと。木下先生に教えてもらって泣くのは、「自分はダメだ」「もう教えてほしくない」という意味であることを伝えました。女の子は、私の言葉を真剣に受け止めていました。最後に、「ありがとうございました。さようなら」と帰っていきました。
by k-onkan | 2017-11-27 19:42 | 児童 | Comments(0)

負の経験も子供の権利!!

土曜日は、朝から児童部の特別練習が始まりました。木下音感協会40周年のパーティーで、合唱団が歌うからです。本部である楽院で育った子供として、恥ずかしくない状態で、出演させなければなりません。歌が上手でも、行儀が悪いなどは、あってはならないことなので、いつも以上に厳しく取り締まっています。

e0143522_5441275.jpg特別練習が始まると、親御さんにときどき、説明することがあります。それは、木下音感楽院は、「練習さえ参加すれば、誰でも平等に出演できる教室」ではない、ということ。一生懸命取り組むお子さんと、いつも、ぼんやりと放心しているお子さんが、「同じ時間、練習した」という理由だけで、同じ扱いをすることが、平等ではありませんし、多年齢の集団には能力差があって当然なのです。

また、学校行事や他のおけいこで、練習に参加する時間が短いと、出られる曲目が減ります。名誉団員ともなれば、学校帰りに練習にきても、サッと新曲も歌えるのですが、低学年のお子さんは、練習を何度も重ねて、やっと覚えることがたくさんあるからです。

必然的に、「この曲は、出られないグループ」「次の曲は、出なさい」と子どもを区分けします。親御さんはわが子が、「出らないグループ」に立っていると、恥ずかしいとか、練習に参加させているのに不甲斐ないなど、いろいろな思いが錯綜するかもしれません。

でも、子供たちは、「難しい曲は、出らなくても仕方ない」と思っていることもありますし、反対に、「どうにか、先生に認められて、出してほしい」と発奮する子もいます。親御さんから見ると、「恥ずかしい思いをさせられた」「嫌な思いをさせられた」と感じることも、子どもの権利です。

言い換えると、親御さんが、先走って、わが子に嫌な経験をさせないように、排除していくと、その子どもには、嫌な思いというのは、どんな感情が湧くのか、恥ずかしいとはどんな気持ちなのか、悔しいとはどんな感覚なのか、何一つ感じさせないまま、成長させることになってしまいます。

自己肯定感の足りない大人が増えていますが、その一つに、効率よくいい教育を与えられ、結果を出してきた人がいるようです。でも、生きていたら、嫌なこと、悔しいこと、悲しいことは、たくさんあります。そうした負の感情と付き合うことは、面倒ですが、紆余曲折を経て、体験することで、分かることがあります。

楽院は、生徒たちの音楽能力を引きだすためであれば、見た目には音楽と関係ない事柄まで、全力を尽くして、取り組む教室です。しかし、どんなに他人の私たちが、躍起になっても、子供たちは、それぞれの家庭で育っています。

いろいろな教育機関に「月謝を払って手をかけられているから、後は何もしなくていい」ではなく、忙しい御家庭であっても、子供たちに手をかけたり、話を聞いたり、時間を共有したり、を省略してしまうと、親御さんに対して、寂しい気持ちを持ったまま、大人に育ってしまうのではないか、と心配です。学力も能力も大事です。でも、「心の成長」にもっと目を向けてほしい、と思うことが最近、とても増えているのです。
by k-onkan | 2017-11-19 23:43 | 児童 | Comments(0)

難しい、でも頼もしいのが女の子

最近、木下先生に「話が通じるのも、気がきくのもKちゃんだけだ」と褒められている4年生の女の子がいます。小さな頃から賢い子ではありましたが、大事な時に気弱な面が出るため、これまでは、今ひとつ、評はは高くなかったのですが、夏の尾瀬合宿で班長という大役を果たして、私たちと対等に口をきける、自信のようなものが出てきたのでしょう。

e0143522_17495069.jpg楽院に通う目立つタイプの女の子は、木下先生に褒められて自信が持てるようになると、女性から見ると「かなり感じが悪い風」に仕上がっていくという成長過程があります。

ちょうど、「木下先生に認められているのだから、他の女の先生の言葉に耳を傾けなくても大丈夫」という雰囲気でしょうか。その家庭で、一番の権力を持っている男性に可愛がられている娘が陥りやすい「落とし穴」ともいえます。ですが、同性である女性から見ると、「考え違い」も甚だしく見えます。

実力主義は楽院の方針ですし、褒められることで、子どもは伸びていきます。伸びてくると、チャンスも増えていきます。いろいろな機会を与えることは、私たちの判断でさせていることなので、その結果、感じが悪くなれば、歯に衣を着せずに、「その物言いは、どうかと思う」とか「それは、感じが悪い」「そろそろ、いい加減にしておきなさい」と大人として、叱ることになります。

現在、子供たちが、12月の発表会のために、独唱や独奏に取り組んでいます。そして、1年間の進歩を感じる子どもには、音楽祭の出場チャンスが与えられます。最近、木下先生の評価が上がっているこの子は、作文に「独唱に出られるように頑張りたい」と書いていたので、私は念のため、オーケストラの楽譜を用意しています。その話を耳にしたらしいKちゃんが、「出るんですね?」と当然のような物言いをしたのです。

「最近、期待されているから、独唱は出られて当たり前」と思わせてはいけないので、「音楽祭に出すかどうかは、発表会の出来を見て、木下先生が決めること。麻奈先生はKちゃんが「最後の音楽祭で独唱にでられるように頑張りたい」と書いていたから、自分の責任を果たしているだけ。楽譜があっても、上手に歌えなかったら、木下先生は出してくれないと思うわよ。木下先生に「出してやろう」と言わせるのは、あなたの責任!」と伝えました。賢い子なので、すぐに余計なことを言ったと気づき、「頑張ります」と態度を改めました。

「感じが悪い」と思っていたのは、私だけでなく、瑠音先生からも、「合唱のとき、他の子が独唱をしている時の態度が調子に乗っていて、かなりイヤな感じを醸し出している」との報告がありました。楽院での生活態度は、そのまま、学校や塾、他のお稽古ごとでも、同じであることが多いものです。

特に、楽院以外の場所で、女の子の社会は用心が必要だと感じます。取り越し苦労ならいいのですが、最近は、小学生でも「ラインいじめ」もあると聞きますし、小学校で、クラス全員から総スカンを食らったりして精神的に追い詰められたら、辛いだろうと、心配症の私は想像してしまいます。

女の子の賢さは、同性には「厭らしい」とか「感じが悪い」と思われるものです。しかし、女の厭らしさは、女の賢さでもあり、だからこそ頼りにもなるので、私は、全否定するつもりはありません。正直を言えば、自分もその道を通り過ぎて、たくさんの大人に迷惑をかけてきたので、女の子たちの成長過程を否定することは、自己否定につながってしまうのです。

そのことを頭で理解はしていますが、とにかく、この時期の女の子は「面倒くさい」のです。ないがしろにすると傷つき、強く出ると反発することもあります。放任すると見捨てられた騒ぐ等々、とにかく賢いゆえに、大人の手薄なところを攻めてきます。でも、この時期を誠実に乗り越えると、本当に頼り甲斐のある優しい女性に成長するのも、経験上、分かっているので、面倒でも負けないように戦わなければと思っています。

子供の頃は楽院が苦手で、私のことも、木下先生のことも、怖くて怖くて、ビクビクと顔色をうかがっていたこの子にも、ついに、「女の子として自分に自信を持つ時期が来た」とその成長を感じながら、今後、どれだけ、生意気になって、どれだけ悪い態度を私につきつけてくるのか想像が想像を呼び、今からドキドキしているのです。
by k-onkan | 2017-11-11 23:12 | 児童 | Comments(0)

努力に勝るものはない・・・かも!!

兄甥は幼い頃から本を読むことが好きで、漢字を覚えるのも早く安心していたのですが、最近、物事の説明が論理的でないことが気になってきました。反対に幼い頃は、あまり本を読まず、漢字も決して得意でなかった弟甥がテレビの情報や人づきあいのうまさから、話し上手になっているのは、とても不思議です。

e0143522_23341669.jpgしかし、運動系の課題は兄甥より弟甥に才能がありますが、不器用な兄の方がまじめに努力するので、ピアノも陸上も練習をして、必ず結果を出し信用ができるのです。運動のセンスもあり、聴覚がいい弟は、「楽譜をきちんと読まずに、聞き覚えでピアノの曲を消化している」と最近、ピアノの先生によくお叱りを受けており、それぞれに、長所ゆえの短所があって「プラスとマイナス引き分け」のようです。

大人はわが子の選択肢を増やすために、幼い時期にいろいろな才能や可能性を見出してやりたいと思うものです。しかし、才能があることで努力しない例もあれば、コンプレックスゆえに努力して結果を出すこともあるので、何がプラスに転じるかは、誰にもわかないものです。

しかし、一つだけ忘れてはならないことがあると感じます。それは、どんなに「苦手」で「嫌い」で「簡単にできないこと」であっても、それに挑戦する機会や継続する場面が必要であることです。継続していれば、いつか、できるようになってそれが得意になることもあるからです。

最近、家族が、脳の疾患でリハビリを始めた方から、その「トレーニング」が音感のお稽古を始める準備クラスで幼児たちにさせる課題と同じという話を伺いました。音楽の勉強をするためには、それ以前に、手指や身体の訓練、言葉を発したり、記憶することが、欠かせませんが、脳疾患のリハビリでも、自分の身体や感覚を操る訓練が脳を鍛えるということでしょう。

子供たちが将来、どんな道に進むかは、だれにも分かりませんが、子どもの将来の選択肢が少しでも広がるように、それぞれが持つ長所も短所を受け入れつつ、鍛えられるところを鍛えていくしかないのかもしれません。
by k-onkan | 2017-11-05 23:33 | 児童 | Comments(0)

声変わりも成長と発達だから!!

高学年になった男児は少しずつ声が出にくくなることを感じているようです。合唱団にも、つい数か月前には堂々とボーイソプラノを聞かせていたのに、少しずつ、声が出にくくなっている6年生がいます。

私が子ども時代は、成長全般がもっと遅かったため、楽院に通っている間は可愛い男の子の声で、卒業してしばらく経ってから大人の声に変わったものでした。しかし、今は、早い子は5年生で変声期に入ることもあるため、私たちも声変わりで気持ちが荒れる男の子に寄り添うことができることが、救いかもしれません。

子供の頃から、合唱団の団員として、歌ってきた男児にとって変声期は、一番、ショックな出来事です。何より、女の子より美しいボーイソプラノが、突然、低いおじさんの声に変わるのです。そのショックは、女性の私たちの想像をはるかに超えているのでしょう。

e0143522_16212459.jpg現在、中2の甥も、5年生の夏休みが終わると、どんどん声が低くなっていきましたが、その隣で、軽々と弱声で高い声を出す弟に、「止めてよ。涙が出そうなほど悲しくなるんだから」と怒っていたことを思い出します。変声期がきて3年、やっと声が落ち着き、自分が想定する声と、自分の喉から出る声が合致して安心して歌えるようになったそうですが、そこまで、心中、いろいろあったことでしょう。

さて、現在、楽院で一番の美声を誇る6年生も、最近、声にひっかかりがあるようになってきました。合唱の練習で「違う声がするぞ。だれだ!?」と近づくと、「Yじゃないか」と言われることに、一番、驚いているのは、本人です。

男の子の声が変わることは、まわりの親御さんやお祖母さんも、ショックを受けることでしょう。しかし、嘆いても、子どもの声に戻ることはなく、声変わりも子どもの成長として受け入れて、静かに見守ってあげていただきたいと思っています。
by k-onkan | 2017-11-04 23:19 | 児童 | Comments(0)

子供の変化に気づいて!

数日前から、小学校での子供の暴力行為が、年々、凄まじく増えている話を見かけ、私自身が小中9年間に亘って「いじめられっ子」だったことや、現在、中学2年の兄甥が小学生になった当事に、「いじめられた事件」を思い出してしまいました。

e0143522_212161.jpg自分自身の経験から、「一度、いじめられたら、学校ではなるべく目立たずに静かに我慢すること」しかできないと感じていました。そして、外にいる親や親族ができることがあるとしたら、子どもの社会に属するよりずっと前から、その日のために能力や知恵を付けておくこしかないように思うのです。

私と気質の似た兄甥も、幼稚園に入ると「たたかいごっこ」が苦手で、毎日、メソメソして、帰ってきたものでした。その姿を見て、幼稚園でいじめられていた私のことをと重なったのか、父から「いじめられないように、合気道を習え」と、レッスンに通うことになったのです。それ以外にも、「いじめられないためにはスポーツや勉強が人並みにできることも大事」と感じていたので、幼児期から意識して人並みに、何でも満遍なくできるようにすることは、心掛けていました。しかし、そのことが特別視され、かえってまわりから反感を買ったこともあるようです。

小学校に入学すると、毎日、消しゴムがなくなったり、ノートに「死ね」と書かれたりしてくるようになりました。当事、小学1年生で「死ね」と書く子供がいることに私たちは強くショックを受けたものでした。私の子ども時代は中学生になってから耳にした悪い言葉だったからでした。

そんな中、事件が起きました。小一の三学期のある日、11人の同級生が校庭にある高い遊具の上から甥を突き落とし小さな怪我を負ってきたのです。担任から経緯を説明がありましたが、妹には腑に落ちないことがたくさんあったようです。

それは、担任が、甥自身に突き落とした友達を諭すように指導されたこと、そして、その場にいた11人の内、実際に手を出していないお子さんの保護者には、事実も連絡をしないという方針であったこと、また、「他の子がYくんほど発達していないから、いじめられてしまう」というニュアンスが伝えられたことでした。

妹は、「教育の現場で働く者」として、学校の指導に納得がいかず、直接、校長先生にお話をさせていただいたようです。同時に、甥自身も、「もう学校は行きたくない」「担任の先生からの電話も出ない」と、はっきりと自分の意思を表明していました。

私も父も「何のために、合気道を習っているのか」と不甲斐なく思いましたが、「合気道を習っているボクがやり返したら怪我をさせてしまうから」とやり返すことはありませんでした。1週間ほど、学校を休み、気が済んだので、また、学校に行くようになりました。

結局、いじめ防止のために始めた合気道は、低学年の間は出番はありませんでしたが、高学年になって支援級の女性の先生が身体の大きい凸凹っ子が暴れて困っていた時に、後ろからその子を抑えて、合気道が役に立ったという話を聞きました。

その話を聞いた合気道の先生から「合気道は、人をあやめることもできる武術なので、気を付けるように」とのご注意を頂きました。もし、自分なら「自分より、大きい人も倒せるなんて、すごい?」と調子にのってしまうところですが、甥には「自分が他者を制する力を持っていること」を実感した瞬間に、諌めてくださる指導者が存在したことに、深く感謝したのです。

私たちは、誰にでも「いじめられたら、やり返せ!」といいたいわけではありません。しかし、大声で泣いたり、思わずやり返したりなど、相手に対して「これ以上はやめて!」という意思を見せられる強さは大事だと思うのです。

もちろん、わが子がいじめられないためにも、「いじめっ子」を育てないという考えも大事です。しかし、実際は、大人の世界にも存在する「いじめ」を、子供の世界だけ否定するのは、無理があると感じます。「自分と違うものを排除しよう」とする感覚は人間には、だれしも持っているものかもしれませんし、子供は大人のする通りを見ていて真似るものです。いじめられっ子は、いじめっ子が好ましい指導によって、改心するまで待つ余裕はありません。自分に近い子供が、学校で、理不尽な目に合っていないか、気づく大人でありたいと思っています。
by k-onkan | 2017-10-30 21:01 | 児童 | Comments(0)

子供の問題行動はだれの責任!?

ネットで、2年前の記事が回ってきました。それは、「2014年度に全国の小学校で起きた児童の暴力行為は前年度比572件増の1万1468件と4年連続で増え、過去最多を更新したこと」を文部科学省の問題行動調査として、発表したものでした。

e0143522_18553729.jpg小学校での暴力行為の内訳は「児童間の暴力」が最も多く、その次は「教師への暴力」、「器物損壊」となっています。小学校で問題行動が増えた背景については「同じ学校で繰り返し暴力行為が発生したり、同じ児童が複数回暴力行為に及んだりする」「感情のコントロールがうまくできない児童が増え、ささいなことで暴力に至る」との回答があったようですが、この翌年の2015年は、1万7千件に増えているそうなのです。

中学、高校の問題行動が減り、その分、小学校に増えたことから、問題を起こす子どもの気持ちに寄り添って、早期にカウンセリングなどで対応することが大切と記されていましたが、子供が荒れる原因の多くは、親子関係が良好でなかったり、家庭内で子どもの尊厳が保たれていないなどもあるように、個人的には感じます。本来、子どもが認められたい、愛されたいと願う相手は、両親をはじめ、親族です。但し、その家族が、機能していないと、子どもは諦めて家庭の外に愛情を求めたり、荒れたりするように思うのです。

「荒れた小学校」の話を耳にすると、幼児期に音感教育を行なうことの意義を感じます。幼児期の音感教育は、小学校就学にあたり、「学習の土台」を育てることができるからです。先生が前に立ったら注目する、先生が話している間は、静かに聞く、先生の指示を理解する、先生の指示に従うなど、大人にとっては当たり前のことでも、子どもは知らされていません。そして、これができない子に、小学校で学ぶ内容を習得させるのは、無理があると思います。

よく「幼児期は十分に遊ばせてあげたい。小学校に入ったらいやでも勉強しなければいけないから」という意見を耳にしますが、小学校で授業内容を無理せず理解するためには、事前に、学ぶことに好奇心が育っている必要があります。また、文字や数字の存在も、多少は知っていて「ぼく、それ!知っている」と言えることが大事です。

子どもは、「今日から小学生」と言って、いきなり「ヨーイドン」で勉強に向けて猛ダッシュできるわけではありません。もし、傍から見て、「勉強ができる!1」と思われるお子さんは、就学前から時間をかけて、学習する準備がしてあったはずなのです。 「学校」という勉強する場で、勉強もできず、スポーツも得意でない子どもが、まわりから一目置かれるためには、問題行動を起こす以外ないかもしれません。そう考えると、すごくかわいそうな気持ちになります。

思えば、私が、小学校1年の時のクラスにも力で人を従わせる、乱暴な男児がいたことが思い出されます。1年生とは思えないほど身体が大きくて、新任の先生も言いなりだったことは、大人になった今でも、覚えています。目を合わせたくないほど苦手な相手だったのに、不思議なことに、クラスで唯一、フルネームを覚えているのは、その男児の名前なのです。

その後、1年も経たない内に、転校していきましたが、今思うと、いろいろな方面から、苦情があったのかもしれません。しかし、私が6年、通った小学校では、後にも先にも、問題行動をした生徒は、その1件だけでした。それが、1年間で1万7000人も問題行動を起す小学生が増えているとしたら、それだけ、心が寂しい子どもが増えたということでもあるかもしれません。
by k-onkan | 2017-10-25 23:54 | 児童 | Comments(0)

小学生も、おもしろい・・・・・

小学生の子どもたちには、レッスンの合間に、作文を書かせる機会を設けています。その中で文章を書くことが苦にならない子どもは、どんどん書きますが、面倒なことを好まない子は、数行で終わらせてしまうため、先日は、「麻奈先生に質問したいことを書いていい」と言ってみました。

e0143522_123737.jpg質問の文章は、短くて済むため、低学年の子どもたちが、たくさん文字を書いていました。「麻奈先生に、どんな質問をしてもいい」と言った手前、作文ノートにその答えを自分で書かなければならず、時間を取られていますが、子どもが他の人に好奇心や興味を持つのは、大事なことなので、時間を見つけて、答えを書きこんでいます。

なぜか、同じ質問が複数の子からあり、それは、「麻奈先生は、学校をずる休みをしたことはありますか?」とかいうものでした。「楽院のオペラの練習の時や音楽会の翌日などは、まゆみ先生に「風邪です」と学校に電話してもらってズル休みをしたことがあります」と書きました。

他にも、同じ質問があったのは、「土曜日の午前中は何をしていますか?」とか「日曜日は何をしていますか?」などがありましたが、音感を教える以外に、音感の先生が何をしているのか、まったく想像がつかないのだと、感じました。

そんな中で、小2の甥Kの質問は近しい存在だけに、痛いところをつくものばかりでした。「なんで、麻奈先生は、歌詞を忘れた時に、両手を頭に乗せるのですか?」「どうして、麻奈先生はうそみたいなことをいうんですか?」「なんで、麻奈先生は、こわいんですか?」「麻奈先生は日曜日に何をしますか?」「麻奈先生は、ご飯はどうしていますか?」「なんで麻奈先生はひどいことを、言うんですか?」

親戚ゆえに、私の軽口や辛辣な言葉を批判的に思っているようです。その上、日曜日に一人で何をしているのか、ご飯をちゃんと作っているのかまで、心配されたようで、恥ずかしくなってしまいました。

歌詞を間違った時に、両手を頭にやるのは「失敗しちゃったぁ」のポーズです。嘘みたいなことをいうのは、Kの反応が面白いので、つい言ってしまう悪い癖です。生徒たちが騒いだり、注意してもいうことを聞かない時には、恐ろしいほど怖くなれます。

日曜日は、お掃除をしたり、のんびりしたり、英語の映画を見たり、お友達と神社やお寺巡りをしたりします。晩御飯は、まゆみ先生が作ったお惣菜を持ち帰ることもあれば自分で作ることもあります。最後の「なんでひどいことを、いうの?」には、数か月前に女性議員が、秘書の男性に「バカなのかぁ?」と罵倒した音声が流失して問題になりましたが、甥に「悪い言葉を使わないで」と注意されたような気がしました。

でも、一つだけ、言い訳をすると、真面目に頑張っている子、一生懸命、やっている子には「ひどいこと」など言いません。やればできるのに、真剣にやらずに、わざと私たちを挑発する男児、何をいっても感じないふりをして、一向に自分を変えなようとしないと、女の先生だからと侮られないように、かなり、辛辣なことを言っていますが、誰にでもいうわけではありません。

赤ちゃんの頃は、あんなに可愛かったのに、小学校の高学年ともなると、一部の子どもはかなり、生意気になるものです。その時に、いつまでニコニコと優しい顔を見せているだけでは、子どもの心に響かないこともあるのですが、それを甥が理解するまでに、まだまだ長い時間がかかるだろうと思います。

他には、「いつピアノを始めたの?」「いつから、歌が好きになりましたか?」「木下先生に叱られたことはありますか?」「どこに住んでいますか?」など、「そんなことに興味があるの?」と思う質問ばかりでしたが、その中に、大人がするような質問があり、感心ました。それは、小学3年生のCちゃんのものでした。

「麻奈先生は、セレヘメ…(口型エの発声課題)とオトモロ…(口型オの課題)とカマラヤ(口型アの課題)の中で、何が一番得意ですか?」「麻奈先生は、発声で間違ったときに、いろいろなたとえを教えてくれるけど、どうやって考えているんですか?」「麻奈先生は、どのぐらいで歌がうまくなりましたか?」「麻奈先生が教えるときに気を付けていることはなんですか?」

「セレヘメもオトモロもカマラヤも、どれもお手本ができるように気を付けて歌っています。でも、一番、簡単なのは、セレヘメです」「普段から、色々なことをよく観察して、覚えておくことで、教える時に自然に思い出します」「先生は子供の頃、声を出すのが嫌いだったので、歌もそんなに上手ではありませんでした。でも、5年生ごろには好きになっていました」「教える時は、Cちゃんが違う声を出さないように、気を付けて教えています。それでも、違う声が出ることも……。頑張って!」

そう書き込んでいたら、1年生の男児が「木下先生の子供だから、最初から上手だったにきまってる」というので、驚きました。実は私は歌うことが好きだったわけは本当にないのです。教えこまれて、刷り込まれて、ようやく自分が気づいたら歌うようになったのは、小学校の高学年の頃だったような気がします。

子どもたちとのやりとりは、いろいろなことも観察できて、今の子どもの世界を教えてくれて、本当に面白いと感じます。ですが、子ども嫌いの大人や、子どもとの関わりを面倒くさいと、思う人には、たとえ、自分の子どもの言動でもわずらわしいものかもしれない-----。

そんなことを考えると、寂しくなりますが、人づきあいが好きな私は、これからも、子どもたちの言葉を面白がっていきたいと思っています。
by k-onkan | 2017-10-23 23:01 | 児童 | Comments(0)