麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:児童( 404 )

一緒に何かをする楽しさと尊さ

レッスンが終わると、老化予防にクラリネットやサクソフォンを演奏するのが、最近の木下先生の日課です。その時、小2の甥Kにはタンバリンをお願いしています。末っ子の彼は、運動神経とリズム感がよく、独特のノリが心地よく、大人の私たちが、甥が一緒だと演奏が楽しいのです。

e0143522_881983.jpgしかし、Kは本を読んだり、鉄棒をしたり、お友達と遊んだり、もっと他に楽しいことがあると、いい返事はしないのです。しかし、他の学友たちが「楽しそう…。オレもやりたい」と言い出すと、「タンバリンは自分の仕事だ」と言わんばかりに、一生懸命、叩くのです。こんな時、子どもであっても、大人と変わらない複雑な気持ちを持っていると感じるのです。

毎週、土曜日は、レッスンの後にいつまでも帰らずに遊ぶ小学生が数人います。友達が名残惜しくて、残っているのかと思っていましたが、大人と関わる機会も、求めています。

先日は、4年生のKくんは妙に私に絡み、わざと不快にさせることを言って、「デリカシーがない」と私にお説教をさせようと挑戦しているようでした。最近、学校行事や塾があり、お稽古のお休みが多く、十分に、話を聴いたり、お小言をいう時間が少なかったのかもしれません。

幼い頃から、関わっている私たち音感の先生には、生徒たちは良いところも、悪いところも見せているため、恥ずかしさもないのかもしれません。そのためでしょうか。昔なら、親にしかしなかったこと、言わなかった甘えや反抗を私たちに見せるのです。それだけ、心を許してくれている、とも考えられますが、本当は、家族の方と、踏み込んだ関わりをしてほしいとも思います。

最近は、合唱や合奏など、グループで活動するものの人気が低いと感じます。ですが、誰かと心を合わせて、何かをしたり、そこから学びあったりすることは、社会で孤独にならずに、他人と関わり生きるための土台ではないかと、感じています。

木下先生のクラリネットに合せて、3人でタンバリンを真剣にたたく子どもたちを見ていると、他人との親密な関わりを求めていることを感じます。けれど、現代人は、忙しく、家族であっても、一緒に何かをする時間がほとんどないのかもしれません。

わが家は、家業をしているから、ということもありますが、昔から、休みには、庭掃除や送辞など、「家族だから」という理由で半強制的に子どもも一緒に手伝わされたものでした。当事は、嫌で嫌で仕方なかったのですが、こういう時代になり、人間と人間の関係が希薄になるほど、まず、「親子」や「家族」の関係を見直さないと、今、育っている子どもたちは、将来、大人になって、寂しい思いをするのでは、と心配になってしまいます。

楽院に通う生徒たちは、適度に自分たちで、必要なものを私たちで代替して心のバランスを取っています。しかし、一般にはそれができないお子さんもいるはずです。「勉強」や「自立」も大事ですが、その根本には親子の絆や、絶対的な安心感など、子どもが求めているものの存在を忘れないでいたいものです。
by k-onkan | 2017-10-16 23:07 | 児童 | Comments(0)

木下先生は案外やさしい!?

子どもたちが少しでも、「作文」を書きやすいように、今日のお題は「木下先生について」でした。「厳しいとか、怖いとか、本当のことを書いても絶対に怒らないから書いてみよう」と伝えました。

e0143522_9235483.jpg低学年でスラスラ書く子は、「木下先生はちがうこえをだすと、おこられます。ぼくもくちのかたちをきをつけて、がんばろうとおもいます」など、自分の思いをかくことができますが、「木下先生のこと」と言われて「うーーーん」とうなってしまう子もいました。

余裕がある日は、杉山先生が、「木下先生はこわい?きびしい?やさしい?どう思うの?」と子どもに聞いて、作文を書く準備をしてくれました。子どもは、「うーーん。やさしい?」「いつ、そう思ったの?」「うみ」「うみで、なにをした時にそう思ったのかな?」とその子が、思っていることを、引きだしていました。

子どもの作文指導を家庭にお願いすると、お母さんが全部文章を考えて、書かせてしまうことが、ありますが、子どもが、自分の書きたいことを、紙面に表現できるように、考えをまとめさせる練習が、一番、大事であり、30年前の子どもの方が、作文が上手だったのは、こうした時間的な余裕がもっとあったからかもしれません。

木下先生について書いた作文で、一番、「やられた!」と思ったのが、4年生の女の子の作文でした。それには、こんな内容が書かれていました。「木下先生は、違う声を出すと、厳しく、小さい頃は「またきた」と思うと怖くて、とてもいやでした。でも、大きくなって、美しい音楽を作るために厳しいのだと、分かってきて、いい先生だと思うようになりました。合宿の時、木下先生が杉山先生にアイスクリームを買ってあげているのを見て、優しいところもあるんだなと思いました」と書かれていました。

合宿の帰り道、子どもたちは途中のサービスエリアにある公園で遊んだり、買い物をしたり、遊び時間を楽しみますが、杉山先生は昼食をとり記念写真を撮ったら、木下先生を連れて、自家用車で先に帰路についています。先に楽院に戻り、「ただいまコンサート」の準備をするためです。その帰り際に、「純子先生に買ってやってくれ」と私にアイスクリームを頼む姿を女子班は、見ていたということのようです。

そんなことをすっかり、忘れていた木下先生は、「アイスクリームなんか、買ってないぞ」と言いだし「買っていましたよぉ。忘れちゃったんですか?」と不満そうな女の子を見ながら、こうした、面白い会話ができる子が、自分の考えを外に出せると、面白い作文になるのだぁと思ったのでした。
by k-onkan | 2017-10-08 23:22 | 児童 | Comments(0)

小学生の作文に思うこと

小学生のクラスでは、時間があると、「作文ノート」に作文を書かせます。その中で、最近、心配になることがあります。それは、「自分で考えて書くこと」ができない、という子が増えていることです。そして、それは、勉強に力を入れているはずの私学や国立の小学校に通う子どもだったりするから、不安を感じるのです。

e0143522_973954.jpg「音感の教室なのに、作文を書かせるのは、なぜ?」と思われるかもしれませんが、自分の中に「考えや思い」がないと、音楽を通して何かを表現することは、かなわないといえます。「何を考えるのも、個人の自由」ですが、「考え自体がない」となると、外に向かって表現するものは、何もないことになってしまいます。

30年前は、学校の作文の指導がもっと充実していて、指導の上手な先生が多く、子どもたちももっと、面白い体験をしていた、のかもしれませんが、今と比べ、子どもの作文は、もっと面白いものでした。

普段、合唱で注意されている子が、案外、いろいろと観察していたり、面白いことを書いたりするのを、私たちも楽しませてもらったものでした。しかし、15年ほど前から「学校で文章を書く練習をしなくなったの?」と思うほど、「てにをは」の使い方の間違いなどが多く、年齢にふさわしい文章を書く子、自分の言いたいことを伝えられる文章を書く子が減ってきました。

ですが、これからの時代は、テストで記憶力を試すこと以上に、エッセーや作文などで、試験をされることも増えていくと感じます。私学の小学校には、毎日、絵日記や日記を書き、保護者にコメントを書かせるところもありますが、それが、文章を書く積み重ねになっていくのだろうと思います。

共働き家庭が増え、親子が関わる時間が減り、文字を書くよりメールでなんでも伝え合う時代だからこそ、毎日、数行でも子どもの文章に目を通して、お母さん、お父さんと何かを伝えあう「交換日記」などが大切であり、それが、子どもの文章力を高めるかもしれない、そんなことを思った子どもたちの作文でした。
by k-onkan | 2017-10-07 23:05 | 児童 | Comments(0)

みんな一度は通る道!?

先週は、秋分の日で、児童部のレッスンはお休みだったため、2週間ぶりのレッスンとなりました。そんな日は、子どもが「音感を辞めたい」と言い出す時期です。「なぜ、そんなことが分かるか?」それは、私にも子どもの頃があって、土曜日に、「お誕生日会」や「お出かけ」に誘われるたびに、「土曜日は休めないお稽古ごとがあるから(それも自宅で)」というのが、とても嫌だったからです。そして、一度でも「自由な土曜日」を経験したら、翌週からレッスンに行くのがつらいのです。

e0143522_1255522.jpg私が、レッスンをしていると、数名のお母さんが私に手招きの合図をくださり、「外でレッスンを嫌がっている子がいる」ことを伝えてくださったのです。2年生のその男児は、とてもいい声をしており、木下先生に最近、期待されています。でも、本人はそんなことには気付かず、幼い頃のまま、意欲があるのか、ないのか、分からない様子です。

一般では、子どもの自発性が大切といいますが、「音感を付ける」「歌唱力をつける」時間は限られています。意欲のない子どもが本気になるのをいつまでも待つ時間はありません。そんな理由から、楽院では、幼い頃から、さまざまな刺激を与え、子どもが自分から意欲をもって取り組むように、促しています。また、小学生になって合唱団に入ったら、低学年でも口型なども細かく指摘される機会が増えていきます。

男の子は、木下先生がいよいよ本気で向き合うようになった時期に、「音感のレッスンがない土曜日」を経験したのですから、「音感に行きたくない」という気持ちは、自然の流れともいえます。

隣の建物の柱に隠れたその子に、私は、「とりあえず、外にいて、事故にあったりすると、心配だから中に入ろう」と教室の中にいれましたが、ロビーで「恥ずかしいから入れない」と中に入ろうとしません。教室の子どもに迷惑がかかるので、まゆみ先生とバトンタッチをしました。しばらく、大人たちに説得され、どうにか、望クラスまで入り、その後もまゆみ先生に諭されて、どうにか、ピアノのレッスンが始まりました。いつものことをやり始めたら、ずいぶん、気持ちは落ち着いたころです。

私は、ことを荒立てないために、しばらく、見ないふりをしましたが、最後にいつも通りに個人発声を行いました。その時に、「木下先生はね。キミの声を素晴らしい声だと思っているのよ。甥のKよりもいい声なのよ。でも、ダラダラしていたり、口型を「直せ」と言っても、直さないと、上手にならないでしょ?だから厳しいことをいうのよ。嫌いだから言っているわけじゃないのよ」と説明しました。

「甥Kよりいい声だと思っている」と聞いて、一瞬、目が輝き、驚いたような顔をしています。「音感は、楽しいことばかりじゃないけれど、上手になるためには、先生に注意されたことを、直さないと上手にならないよ。「直せ」と言われるのが、イヤだからやめたいと言う人は、大人になっても、嫌なことがあったら、すぐにやめる人になってしまうんじゃないかと、先生は心配なの……」

その頃には、ずいぶん、落ち着き、大人の話も素直に耳に入るようになったようです。心に余裕が出ると、とたんにいつもの悪い癖で歌うため、「キミのその口は、「エ」じゃゃないのよ。『この口を直せ!』と注意する先生が悪いの? 直さない自分が悪いの?」と聞くと「自分」と照れ臭そうな返事がかえってきました。

「音感は何年、勉強している?」「3歳からだから。4567…。5年も通っているのよ。お父さん、お母さんが、そんなに長く通わせてくれているんだから、上手にならないと、かわいそうでしょ? 最近、少し褒められるようになったのに、「辞めたい」と言われたら、仕事を頑張っているお母さんはがっかりだと思う。せめて、もう少し、先生たちから「上手」と言われるようになるまでは、続けなさいね」。

片道1時間以上通う場所から、お祖母ちゃまと連携で通わせたお母さんにしてみたら、中途半端な時期にやめさせたくないと、思うことでしょう。これが、数年前なら、お母さんも「通がたいへんだから、辞めてくれてよかった」と思ったかもしれません。しかし、いろいろなことができるようになり、やっと安心した頃の「辞めたい」は、お母さんにショックだっただろうと思います。

でも、これが、親子が互いの気持ちを見せ合う大事な機会なのかもしれません。働くお母さんにとって、子どもが「いきたい」というお稽古事に通わせ、経済面で応援することはできますが、小さい頃に「お稽古がいやだ」と泣く子を一生懸命、なだめたり、諭したり、という経験は、なかったはずだからです。

3歳から5年、嫌がることもなく、ただなんとなく、連れてこられて、その場で、やることをやってきた男の子が、はじめて自分の「やりたくない」という気持ちを持ったこと、これも、また、成長なのだと思います。しばらくは、「いきたくない」「頑張って」「辞める」「辞めないでほしい」というやりとりは、続くかもしれませんが、これも、みんなが、一度は通る道、だと思います。子どもが、お母さんに甘えて、本心を言えることもまた、大事な親子関係の構築だと思います。お母さんには、疲れすぎずに付き合っていただきたいと思っているのです。
by k-onkan | 2017-09-30 23:03 | 児童 | Comments(0)

嫌われても真実を伝える!

お母さんの言葉を信じて、大人に曖昧な情報を話してしまう素直な2年生の男の子もいれば、「麻奈先生は、どうして、ぼくのいうことを理解してくれないのか」と怒りで涙を流す男の子もいます。

e0143522_21374311.jpgそれは、小学生のレッスンが終わって、みんなで合宿や海のアルバムを見ていたときのことです。千葉の砂浜で、砂に穴を掘って埋められた子どもたちが、水を吸った砂の重さに驚きながら、自力で砂を掘って、脱出したときの思い出話をしていました。

初めて穴に埋められた男の子と女の子では、脱出の際の対応が女の子の方が逞しく強く、男の子は、すぐに涙を見せたり、諦めたりして、男の子の方が弱い!という話をしていると、突然、横から、「麻奈先生は、自分が女だからといって、そんなことを言うなんてひどいです」と2年生の男の子が言い出しました。

「ひどいと言われても、先生は、自分が女だから、女が強いと言っているのではなく、昔から、子ども時代は男の子の方が病気がちで弱いと言われているし、実際に、自分が教えていて、女の子の方が強いと感じることが多い」というと、「先生は、科学を信じるんですか?ぼくは科学を信じていません」と、突然「科学の話」にすり替わってしまいました。

いつもなら、「もう帰る時間だから、帰りなさい」というところですが、時には、最後まで、付き合った方がいいかと思い、「キミは、科学を信じているんですか?」と、もう一歩、会話を進めました。すると、「ぼくは、科学を100%信じていません。信じるのは、自然だけです。麻奈先生はどうですか?」というので、「すべてを信じているわけではないけれど、信じていないわけでもないです」というと、「どれくらい信じているか、だいたいでいいから答えを言ってください」と言い出しました。

「わからないものは、わかりません」というと、「どれくらい信じているか、当ててください」というので「考えても当てられないし、そんなことはしたくないです」というと、「占いでもいいから、言ってください」。「わからないものは、わからないし、答えがないものもある」というと、自分の言いたいことの筋がそらされたと感じたのでしょう。ウーという声を出して、怒りで涙が止まらなくなりました。それでも、話は続けたいようです。

「キミが科学を信じないのはキミの勝手だし、麻奈先生の言葉を信じないのもキミの自由です。でも、麻奈先生の考えをキミのいう通りに変えることもできません。麻奈先生の考えは、麻奈先生の自由です。もし、キミが大人になって、「子ども時代も、女の子より男の子の方が強い」という研究をしてそれを証明してくれたら、先生はキミに「ごめんなさい。間違っていました」と謝ります。でも、今は、麻奈先生が、自分で子どもを教えていて、子どものうちは、女の子の方が強いと感じているので、なんと言われても考えは変わりません」というと、「科学を信じるんですか?」とまた、元の質問に戻り、堂々巡りになってしまいました。

凸凹の気質を持つお子さんにとって、「自分が信じていないことを信じる人がいること」や「自分が信じていることを否定されたりすること」は、納得かないのかもしれません。しかし、自分と他人は、異なる考えを持っています。そして、それは、怒りに任せて、誰かに変えさせることはできません。このことを子供のうちに、受け入れていないと、大人になってから、いろいろな問題に直面するように感じます。

子供相手に、理不尽なことを言っているのかもしれませんが、自分には、自分の自由があるように、相手にも、相手の自由があること、そして、時に、「曖昧なこと」でも曖昧なまま受け入れなければならないことも、子ども時代の経験の一つとして、怒らずに体験できるようになってほしいと願っています。

子どもと議論すると、時に、堂々巡りで面倒くさくなることがあります。そんな時、「そんなにいうなら、あなたの考えでいい」と、お茶を濁す大人もいるかもしれません。けれど、凸凹の気質がある相手だからこそ、「認められないことは認められない」と伝えないと、これからの人生で、自分の意見を正しいと信じたら、誰にでも押し付けられると、思い込みかねません。そんなことから、怒りで泣く男の子に、「これ以上は話し合いにならないから、帰りなさい」というまで、お付き合いさせていただきました。

子どもに軽い気持ちで嘘の情報を知らせることも、子どもが外で困りますが、大人によって「なんでも、自分の考えた通りになる」と思わせてしまうことも、同じくらい、心配なことだと感じた小学生男児たちとの、やりとりだったのでした。
by k-onkan | 2017-09-10 21:24 | 児童 | Comments(0)

大人の言葉は重い

小学生のレッスンが終わると、2年生の男の子が私のところにやってきて、「あのね、うちのマンションの真上を北朝鮮のミサイルが飛んでいったんだよ」と言うのです。北朝鮮のミサイルが発射され、東日本にJアラートが鳴り響いたという話は10日ほど前にあったと思いますが、首都圏の真上を通過した話など聞いたことがありません。

e0143522_20473681.jpg男児の話は女性の私が聞くより、男同士がいいと思い、「木下先生に聞いてごらん」と回しました。すると、「誰がそんなことを教えたんだ? 先生はちゃんと新聞を読んでいるけれど、そんな話は聞いたことがないぞ」と憤慨する声が聞こえてきました。仕方がないので男児に「その話は誰に聞いたの?」と聞くと、「ママが言っていた」と自信のある答えが返ってきました。

ちょうど、お迎えにいらっしゃったママに、「お子さんがマンションの上を北朝鮮のミサイルが通過したと言っていますが…」と伺うと、「ごめんなさい。いつまでも起きないので、私がそう言いました」。

起床時間に、サッと起きない子どもに、お母さんは思わず「早く起きなさい。北朝鮮のミサイルが頭の上を通るよ」と伝えられたのを子どもが「自分の家のマンションの上」と思ったのか、お母さんが大げさに話したのかは、分かりませんが、低学年の男の子は、お母さんの言葉を絶対的に信じるものです。


相手が子供だと思うと、大人はつい「これくらいならいいだろう」とごまかしたり、軽い気持ちで嘘を言ったりすることがありますが、それを信じて外で自信を持って、発言することで、本人がまわりから信用をなくすこともあります。子どもに、「嘘やほらを吹いてほしくないと願うなら、大人が気を付けなければと思うできごとだったのでした。
by k-onkan | 2017-09-09 20:46 | 児童 | Comments(0)

優しさにも種類がある!?かも

今は、学校でも病院でも「本当のこと」を言うより、耳に優しいことを言うことの方が多いと感じます。それだけ、筋違いなクレームや理解しあえない案件があるのだろうと想像します。その反面、「耳に優しい言葉だけでは満足できない人が存在することは、忘れないようにしたいと思っています。

e0143522_19213042.jpg現在、通ってくる保護者の中には、その昔、楽院で勉強した人がいます。彼らは、楽院では「本当のことをいうのが親切」だということを知っています。そのため、「きれいごとや歯に衣を着せたりせずに、自分にだけは本当のことを言ってほしい!」と言われることもあり、
何が親切で何が優しさなのかは、本当に相手の受け止め方、感じ方次第だと感じます。

最近、瑠音先生が「甥たちは、兄弟どちらが、優しいか」という話をしていました。それは、甥たちが、「将来、お母さんが年をとってアルツハイマーになったら」を前提に「もし、ご飯を食べさせたばかりなのに『食べさせてもらっていない。お腹がすいた』とお母さんが言ったらどうするか」という話をしていたようです。

この話をしていた瑠音先生は「自分のことが一番大事な兄甥Yは『お母さんが食べたいなら、食べさせればいい』というと思う。でも、弟甥は私の身体を心配してくれる気がする」と言っていたのです。

本人たちに、直接、訪ねると、案の定、兄甥は「お母さんが食べていない。食べたいというなら食べさせるよ」という答えが返ってきました。反して、弟甥は「Kちゃんはちゃんと、『お母さん、ダメだよ。朝ご飯はさっき食べたでしょ。お腹をこわしちゃうから、もうちょっと待ってね』と説明する」という答えが返ってきて、それぞれの性格をよく表していると感じました。

はたからみると、本人が望む通り与えることが優しく、与えない方が優しくないように見えますが、身体のことを考えると、食べたいだけ食べさせることが、優しさとは限りません。これは、アルツハイマーのご老人だけでなく、成長途上の幼児でも、同じことで、本人のいいなりになることが優しさに感じることもあれば、いいなりになることで、わがままを助長するから「ダメ」ということに優しさがあることもあります。

最近、いい年になった私は、「本当のことをいうこと」以上に、余計な敵を作り過ぎたくない気持ちもあるのですが、それでも、「麻奈先生のいところは、真実を言ってくれるところ」という生徒の言葉を信じて、「耳に優しいこと」より「ホントウのこと」を伝えるべき相手にだけは、伝えることが私の優しさだと信じて、信念を貫こうと、思ったのでした。
by k-onkan | 2017-09-05 19:20 | 児童 | Comments(0)

夏休みが終わった!!

夏休みが終わり、甥たちが「夏休みの宿題を提出した」という報告を聞き、私の方がホッとしてしまいました。休みの間、職員室で毎日、フーフー言って宿題を終わらせる姿を見ていたからでしょう。

e0143522_206164.jpg
夏休みの宿題に手を貸すべきか賛否両論があると思いますが、子供が自分で、考えて対応できるためには、「初めての課題」には多少の大人の手助けが必要であり、共に考えたり話し合う過程に学ぶことがあると思います。

現在は分かりませんが、10数年前はアメリカの学校では、「親が手伝ってでも宿題をさせなければならない」というルールがあったと記憶しています。たとえ、ほとんど、親がやったとしても、子ども任せにして、「わからないまま」にしてはいけないということ、それほど、アメリカの子供たちの学力低下に目を向け、向上させるために力を入れているのだろうと、理解していました。

最近は、日本も働く親御さんが増えて「夏休みの宿題」を手伝う人がいないことから、「夏休みの宿題を提出するか否か」がその後の別れ道だと聞くこともあります。こうした理由から、最近は、夏休みの自由研究や工作を一緒にしてくれる教室もあるようです。

今回、私が中学2年の兄甥に意識を持って手伝ったのは読書感想文でした。通っている公立中学校では、国語の成績は良い方だときいていたのですが、一緒に映画を見たり、同じ小説を読んだ時の「要点のまとめ方」や「登場人物を通して作者が伝えたいメッセージ」のとらえ方が曖昧で、理解力、読解力が足りないのでは、と気になっていたからです。

中学校の課題図書は、その時期の子どもたちが、悩みそうなことが凝縮されたストーリーで、人生の半分以上が終わった私には、決して面白い話ではありませんでした。ありがちな親との意見の相違や、思い通りに進まないことへのいら立ち、生きることへの絶望、淡い恋心、家族の悩みなど、「これでもか」というほど、いろいろな問題が登場します。その複雑な設定を読んで、中学2年の男児が、作者が伝えたい「テーマ」を見つけるのは、とても難しいだろうと感じました。

なんどか、その本を読み、ストーリーの中で、甥自身が、「自分の気持ち」と重なりそうな箇所を見つけて、登場人物の行動を自分を比較したり、共通点や相違点を探して、なんとか、結論に到達させました。これほどまでに、1つのストーリーについて、深く考えたことは、なかったかもしれません。

「中学2年になってまで、宿題の手伝いがいるのか」と思われるかもしれませがんが、私も妹も、夏休みに一度だけ、母にじっくり、「読書感想文」を手伝ってもらった記憶があります。母に手伝ってもらうと、面倒な作業が多く、時間もかかり、二度と「手伝って」とは言わなかったと思いますが、たった一度でも、大人に一緒にとことん関わってもらうことで、コツが分かり、次からは「助けはいらない」と思ってくれることを願っているのです。

夏休みの宿題を、親御さんに手伝ってもらうか、親戚に相談するか、塾やお教室、そして、学童の先生に助けていただくかは、分かりませんが、相手が誰であっても、子ども時代に一つのことを、とことんじっくり考える時間を持つことが、夏休みの宿題の意義なのだと、思ったのでした。
by k-onkan | 2017-09-03 20:04 | 児童 | Comments(0)

水の事故に思うこと

毎年、夏になると、悲しい水の事故が起きます。今年はとある保育園で4歳のお子さんが溺死したという悲しいニュースがあり、ただただ、「もっと水に対して危機感を持って」と願うばかりです。亡くなったお子さんには、とても気の毒なことですが、若き保育士たちも一生背負っていくには重すぎる十字架です。できれば、時間を戻して、「水の事故」について、もっと口を酸っぱくなるまで指導できなかったのかと、思えてなりません。

e0143522_21291360.jpg幼児19人の水遊びに大人がたった2人。これは保育園がいくら人手不足だと言っても、もう少し、大人を配置できなかったのだろうかと感じます。楽院の夏合宿も、小学生19人と川遊びにいきましたが、引率者は6人もいました。それでも、サンダルを流されたり、子どもが一人で自由に動き回ったりすると、多すぎると感じることはありませんでした。

何より、この事故で一番、残念なことは、幼児たちがプールにいる間に、監督の大人がその場を離れて、片づけを優先したことです。幼児たちにとって「いいこと」より「きれいに片づけられた施設」の優先順位が高い保育園だったのかと、勘ぐってしまいます。

楽院は、これまで、40回近く夏期合宿をして、山や川に子どもたちを連れていっています。その間、事故を起こさないで来られたのは、長年、合宿に引率してくださった山登りのプロやボーイスカウト経験のある方々が、子どもに危険が及ばないように、いろいろなシチュエーションに対応できるマニュアルを作り続けてくださったからです。もちろん、マニュアルだけに頼ることは、危険であり、一緒にいる大人が観察眼や勘を働かせて子どもを監督することが一番、大切なことです。

自然は人間には、計り知れないいろいろなことを教えてくれて、とても貴いものですが、一方で、侮ってしまうと、手痛いしっぺ返しがあることもあります。そんなことをわすれずに、川や海、山と付き合っていかなければと、今年も、思い知らされる事件でした。
by k-onkan | 2017-08-28 21:29 | 児童 | Comments(0)

結果と向き合おう

ご自身も楽院の卒業生であるお母さんが、夏休み明けのレッスンで木下先生から、「息子を甘やかし過ぎ」と注意を受けたようです。

e0143522_2103772.jpg実は、お母さんは私のブログで「海のお泊り会」の様子をご存知だったので、砂浜で手渡されたおにぎりやお菓子をすぐに落としてしまったり、「タネのある果物は食べたことがないから、スイカは食べない」と言ったり、砂に埋められるとすぐに「フー」と悲しい溜息をついて、大人が手を貸すのを待っていた姿を木下先生が不甲斐なく感じたことはすでにご存知でした。そして、「最後まで、子どもが何かをやり遂げるまで待っていなかったこと」はとても反省されていたのです。

でも、子どもが一人で何もできない姿は、大昔に生まれ育った木下先生には、「親御さんの甘やかし」に感じたのだと思いますが、両親ともに忙しく働き、普段は、保育園(学童)や祖父母に預けられる、現代の子どもたちは、忙しい大人の時間で動いているため、「最後まで何かをやり遂げるまで待ってもらう経験」がないようです。

親御さんが手元に子どもを置いて、育てた時代であれば、小学生になった子が一人で何もできなければ、一緒にいるお母さんやお祖母ちゃんが大切して手を貸し過ぎたということもありますが、現代の共働きの子育ては、大人が多忙な上に、そのことが不憫にならないように、家庭でも保育園でも、生活を整えることで、結果的に子どもが「一人ではできないことがある」という事態に陥っているともいえあそうです。

ご家族が甘やかしたのか、最後まで子どもの行動を待てないかは、「同じ事象ではない」かもしれませんが、小学生になっても一人では何もできないように育つという結果は、厳しい言い方ですが、同じです。

共働きのお子さんの多くは、親御さんがたいへん忙しく、その間、保育園や学童に預かっていただくことになります。保育園や学童保育では、働く親御さんの子どもたちが不自由な思いをしないように、みなが平等に、いやな思いをしないように生活を整えられています。

たとえば、子どもが万が一、食べ物を落としても大丈夫なように、余分を考えて用意するかもしれません。そのため、「落としたらもうない」ということもたぶん、ないでしょう。「保育料を払っているから食べられて当たり前」と言われたらそれまでですが、「食べ物を大切にすること」「落としたら、無くなることがあること」などを経験する機会がないまま、子どもは成長していきます。

これが、家庭で起きた出来事なら、数に限りがあれば、家族で分けて食べるなどを経験して、「落とさないように気を付ける」とか、「食べ物を大切にすること」を考える機会があるかもしれません。

現代の子育ては、甘やかしているようで、実は早期から子どもを集団生活に置き、一見、自立させているように見えながら、個々の子どもの発達や成長を観察して、それぞれに適した時間を費やすという大事なことができていないことが、多いようです。

昔は、子育ての失敗は、「甘やかし」が原因でしたが、現代の子育ての心配は、親が子どもときちんと向き合う時間を持てないことにあるように思えます。親御さんが働くことも、人に預けることも、それぞれの自由です。ただし、選んだことには結果があります。その結果に目をそむけずに、子育てやわが子に向き合っていかなければと思うのです。
by k-onkan | 2017-08-27 23:59 | 児童 | Comments(0)