麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:児童( 382 )

生きているのが一番大事!らしい

妹と兄甥が「フォニックスの講習」に出かけている間、私は小2の弟甥Kの言動じっくりと楽しませてもらいました。朝から、日課である家庭学習とピアノの練習をするに当たり、ダラダラしながら、「いやだ、いやだ」と言って取り組む姿に、「一番、好きなことはなに?」と言っても「どれも普通」というため、「自分の意思で何かを考えたり、選んだりしていないのではないか? 何事もただ受け身なだけなのでは?」と気になり出しました。

e0143522_1891497.jpgそこで「Kちゃんは、いろいろなお稽古ごと、習っているでしょ?何が一番、好きなの?」と聞いてみました。数あるお稽古ごとの中で、唯一、Kが自分で選んだ「ダンス」というだろうと思っていましたが、「ダンスはふつう」というので、私の方がわけがわからなくなりました。

今度は、「じゃぁ、たとえ話よ。万一、お父さんとか、お母さんが病気になって、お稽古ごとを全部、辞めなければいけなくなったとするでしょ? その中で、一つだけ、続けられるお稽古があるとしたら、何がいい?」と聞いてみたのです。私は「大好きな純子先生に会える『音感』というのでは?」と思っていましたが、「水泳」という答えが返ってきました。

「えぇ?水泳? ダンスじゃなくて? うそでしょ? 毎週、あんなに水泳の前に、イヤだイヤだと言うのに?」と私の方が驚いてしまいました。すると、「だって、津波が来た時に、泳げなかったら困るじゃない。リズム感がよくても、生き残れないと思うんだよね」というのです。

「音感に来なかったら、会えないじゃない…」と不満をもらすと、「生きていれば電車の中や道で会えるよ。でも、泳げなかったら、もう会えない」と言われて、ただ、受け身で「イヤだ、イヤだ」と言いつつも、いろいろなことを考えている甥を面白く感じました。

そして、思ったことがあります。それは、「子どもに自由を与え、自分で考えさせること」も大事なことではありますが、それと同様に、「イヤだ、イヤだ」と言っても、いろいろな体験をさせたり、時に追いかけてでも、「やらせてほしい(構ってほしい)」と思う時が、子どもにはあるようなのです。なぜなら、「やらなくていい、自由にしなさい」と言った途端、「自分に対する愛が足りない(関心が薄い)」と怒ったりもするからです。

子どもは全てに「自由」を与えられるより、「不自由」や「窮屈」でも、誰かと一緒に、何かに取り組む経験も求めていますし、時に「恥ずかしいこと」「つらいこと」も経験するから、他者への思いやりや優しさも学ぶのかもしれません。そして、一番、大事なのは、元気でそこに生きていてくれることにこそ、感謝しなければと思わされた「生きていれば、会える」という言葉だったのでした。
by k-onkan | 2017-04-05 23:08 | 児童 | Comments(0)

北風と太陽、どっち?

今日は、兄甥Yが母子で「フォニックス(アルファベットの発音)の講習」に出かけたことから、弟甥Kを私が監督する役が回ってきました。しかし、自宅を出る前から、「飲みなさい」と言われた薬も飲まず、目は腫れて顔はパンパンにむくみ、アレルギーの重い症状が出た上に、出発時間も遅れて、妹の激しい雷が落ちる中で我が家にやってきたようです。

e0143522_2151367.jpg開口一番、「Kちゃんは、ぐーたらするのが、一番好きなんだ」と言い出しました。私もお休日はキビキビ動きたくないので、Kの言い分も分かります。しかし、預かった以上、私にも責任がありますが、逆境に挑戦するのが好きな兄甥と違って、弟は一筋縄ではいきません。

たとえると兄甥は「北風と太陽」の「北風」によって頑張りますが、弟甥は「太陽」を好む感じがします。そこで、「ムリに勉強もピアノもしなくていいよ。一日、ぐーたらしよう」と誘ってみました。すると、「まぁちゃんたら、ひどい」と怒り出しました。「なんで?」と聞くと「お母さんに、『ちゃんとやってない』ってKちゃんが怒られるよ。それに、まぁちゃんも『やらせてくれなかった』って言われると思うよ」というのです。

そこまで想像できるのなら、なぜ、サッサとやらないのかが不思議ですが、負けられません。「いいんじゃない?やりたくないんだから、やらなくても。それで、勉強もピアノもできなくても、自己責任でしょ……」と言ってみました。「やりなさい」といっても、「ぐーたらが好き」。「やらなくていい」というと「ひどい」と怒るのですから、いよいよKも、難しい時期に入りつつあるのかもしれませんが、弟妹は、こうした面倒なやりとりにこそ、自分に注目が集まり、愛情を感じている、というのもあるのかもしれません。

Kと問答をしても、仕方ないので、私は同じマンションに住む親戚に依頼された書面作りを叔父の家ですることにしました。すると、黙々と宿題をこなし始めました。やはり、「やりなさい」というより、大人が一緒に勉強したり、働いていることが、一番、効果的な「やることをやる」というメッセージかもしれません。

宿題とピアノを終わらせて、午後からは私の知人と花見に行くことにしました。その際に、「これから会う人はKちゃんも会ったことがあって、いろいろとお仕事をお願いしている方よ。だから、調子にのって、『麻奈先生もぐーたらなんです』とか『いつも、ワーワーうるさくて』とか言ってはダメよ。たとえ、本当のことでも、家族以外の人に、余計なことをいうとKちゃんがデリカシーのない子だと思われるからね。でももし、相手が『麻奈先生は厳しいんでしょう?』と言われたら、本当のことを言うのは、いいわよ」と念を押しました。

Kの言葉などなくても、私が「面倒くさがりで、うるさいこと」は友人なら知っていることでしょう。でも、大人と付き合う時の「暗黙の了解」のようなものは、知らせておこうと思ったのでした。勉強は嫌いですが、こうした心の機微は、だれよりよく分かるのが、Kの長所なのだと感じました。
by k-onkan | 2017-04-03 23:03 | 児童 | Comments(0)

暗闇のナイスガイはだれだ!

私が以前から、「春休みにしたい」と思っていたことが新6年生のYくんと「ダイアログインザダーク」に参加することでした。異なる気質を持つYくんが暗闇を体験することで新たな経験になるのではと思い、私とYくんママ、4年の弟Kくんの4人で参加したのです。

e0143522_18361770.jpgこれまで、甥たちや友人、生徒を連れて参加してきた私には、これが4回目の「ダイアログインザダーク」でしたが、その時々「だれと」体験したかで暗闇の感じ方や印象、楽しさ、安心感が異なるものです。

仕事関係でお世話になっている年上男性と参加した時は、主導権を一切、取らずに静かに参加でき、不思議な気がしました。反対に、子どもを連れていると、常に、いろいろなことが気になってしまいます。特に、今回は4年生のKくんの行動と言動が気になり、かなり「口うるさいおばさん」になっていたと反省しています。

今回、実はとても申し訳ないことがありました。私は高学年の「口をきかなくなる時期」の子どもを持つ保護者には「ぜひ、親子で体験していただきたい」といろいろな場所でダイアログをお勧めしています。中でも長く楽院に通っているのに、無口で心を許しているかどうか、分かりづらい6年生のMくんには「ぜひ、春休みに体験してほしい」と思っていました。

この催しのどこかで、互いにすれ違うことができたら、同級生で共通の話題が持てるのではないかと日にちと時間帯だけ、合わせて申込んだところ、同じグループになってしまいました。その上、偶然、他2名の方がキャンセルされ、結果的に全員知り合いというグループで回ることになったのです。しかし、本来、グループ全員が知人の場合は、他の方法で申込みをしなければならず、本当に申し訳ないことをしてしまいました。

今回、全員知人というグループでまわって、はじめて「なぜ、ダイアログが知人は4人まででなければいけないか」を実感として理解しました。全員が知り合いだと気心が知れて安心ですが、その分、暗闇に対して大事な緊張感を薄れさせてしまうように感じたのです。

特に、子どもは知っている人ばかりだと、調子にのって大騒ぎをしたり、注意深さを失うこともあるようです。今回、よその方が参加されていたら、たいへんなご迷惑をおかけするところでした。次回は、楽院として申込み、いろいろな生徒を連れて参加できたらと思っています。

申し訳ない思いを持ちながらも、実は、これまでの4回で今回が一番、楽しく感じました。それは、全員が信頼している人で互いにニックネームで呼び合ったことで、自分が童心に返れたからでした。以前、アレルギーを持つ甥たちと来た時は、その心配から、暗闇で物を食べることも楽しむ余裕がありませんでした。また、大人の友人と参加した時には、「暗闇で自分の本質がばれたらたいへん!」という気負いのようなものがありました。

デリカシーがない発言をしたり、アテンドさんの話をきかず、うるさくして迷惑をかけても、気心のしれた生徒たちと、慈悲深いお母さんたちと、「今日、この時だけ」でニックネーム「まぁちゃん」と呼ばれ暗闇を進む経験は、自分が子どもに戻ったような気がしたのです。

今回、一番、嬉しかったのは、普段、無口でつっけんどんのMくんが暗闇では、素直で優しい「ナイスガイ」だったことでした。私が困って「誰がいますか?」というと「Mくんです」と手を触れるなど、助け舟を出してくれて、とても頼りになりました。でも、それは、暗闇の中だけで、外にでれば、いつもの無口なMくんがニヤッと笑うだけでした。

体験が終わり、地下鉄の駅に向かって歩くYくんとMくんの背中を眺めながら、私にはとても感慨深いものがありました。幼い頃のYくんはいろいろなものに拒絶反応があり、正直、同級生として付き合うのが簡単な相手ではなかったと思います。しかし、こうして二人が同級生として、共に成長したことで、互いに音楽を学ぶ「ライバル」として歌や聴音、ピアノを競いあえるようになったのです。

もし、どこかの時点でMくん親子が「一緒のクラスはイヤだ」と抵抗を示したら、Yくんに刺激されて、Mくんがこれほどまでに頑張ることはなかったかもしれないと思うからです。そして、すべては、偶然のめぐりあわせなのだと、感謝を感じたのでした。
by k-onkan | 2017-04-02 23:32 | 児童 | Comments(0)

音楽祭が終わり成長を感じる

音楽祭が終わってはじめての児童部のレッスンでした。先週末に我が家にやってきた女の子たちは懐かしそうに、「お礼の手紙」を持ってきました。そして、音楽祭以来、はじめて木下先生に会った5年生のYくんとMくんは木下先生から、「本番、素晴らしかったぞ」といって、髭をゴリゴリされて可愛がられていました。今の時代はこれも「パワハラ」だと言われてしまいそうですが、普段、簡単には褒めない木下先生から、ゴリゴリとされて喜ばれたので、二人とも迷惑そうな顔をしながらも、嬉しそうに見えました。

e0143522_21444022.jpg反対に、本番で失敗した子、いつも通りできなかった子には、木下先生は特にコメントを言いません。子どもたちは「何も言われず、叱られなくて良かった」と思う子もいれば、「声がかけてもらえず、寂しい」と思う子もいるはずです。しかし、本番でした失敗は、次の本番で頑張って忘れてもらうしかないのです。居心地が悪い中で、子供たち一人ひとりが、いろいろなことを感じていると信じています。

音楽祭が終わると、次の行事は卒業式です。10年近く勉強してきた6年生が卒業して名誉団員になる会をするのですが、その際、五年生が在籍児の代表として「送る言葉」を述べるのです。私はYくんが音楽祭で素晴らしい開会宣言を披露したので送る言葉はSくんに言わせたいと思っていました。でも、「ピアノは本番もあがらなかった」というMくんですが言葉を話したり、歌を歌ったりする方が不得手で緊張すると知っているからです。でも、私が一方的に決めると抵抗を示すかもしれません。

そこで、「5年生が送る言葉を言うことになるんだけれど、二人のうち、どっちがしてくれる?考えて」と声をかけました。その後、二人で相談していたと純子先生が教えてくれました。Yくんは、「僕は音楽祭で「開会宣言」と「独唱」と二つ出番があったけれど、Mくんはピアノだけだったから、送る言葉はMくんでお願いします」と言ったそうです。私が内心、考えていた通りだったので、偶然だとは思いますが、Yくんの配慮に感激しました。

Yくんと言えば、今回の音楽祭で開会宣言や独唱で大活躍したことで、音楽以外の面で自信のある先輩に育ってきたと感じます。児童部には低学年で凸凹の気質を持つ男の子がいます。突然、何かが気になると、私たちが何をしていっても、お構いなしに質問したりしてしまうことがあるのです。それに気づいたYくんが、「今は純子先生は聴音をしているから、僕が見てあげるから、こっちに来て」と言って、面倒を見たりするのです。

また、「できました、できました」と声を出すので、「Yくん、丸をつけてあげて」というと、1年生の楽典のプリントの丸つけまで、して「ここが違うよ」と教えていたりします。確か、夏の合宿の時はもっと迷惑そうに面倒を見ていた記憶があるため、「ずいぶん、成長したなぁ」と嬉しくなりました。子どもたちは、それぞれ、音楽祭で独唱やピアノ独奏をして、うまくいった子も反省点があった子も、それぞれに一つ乗り越えた自信と安心で成長を感じます。そして、一つ終わったら、燃え尽きるのでなく、次の目標に向けて頑張ってほしいと思っているのです。
by k-onkan | 2017-03-04 23:42 | 児童 | Comments(0)

えぇ!一人で食べたの?

音楽祭のお疲れ休みの後、通常通りのお稽古が始まりました。週末に我が家にやってきた子どもたちも、ピアノや音感にとかわるがわる顔を見せます。レッスンから離れて楽しい時間を持ったので、いつもより親しみが増して、教室の中まで、おしゃべりにきたりしています。

e0143522_13115118.jpgそんな中、2年生の姉がいるJくんに「お姉ちゃんたちが麻奈先生の家で作ったクッキー食べた?」と声をかけると、「知らない。もらっていない」という返事が返ってきました。「えぇぇ?あんなにあったのに? 先生はJくんのお土産にあげたと思っていたのに…」と残念な気持ちになりました。

今の子どもたちは、とても恵まれている分、兄弟姉妹のことまで思いやる気持ちが薄くなってきているのかもしれません。また、わざわざ、分け合わなくても、一人ひとり平等に十分与えられるのが当たり前だからということもあるのでしょう。

当のお姉さんがピアノのレッスンに来たので、「クッキーは弟や妹にあげなかったの?」「だっていなかったもん」「じゃぁ、一人で全部食べちゃったの?」「食べちゃった」。子どもが一人で全部、食べてしまうと想定していなかったので、バターをたっぷり練り込んで生地を作ったのです。濃厚なクッキーを食べ過ぎて気持ち悪くならなかったのかと、私の方が心配になってしまいました。もっとしつこく「おみやげにしなさいね」と言うべきだったと反省したのです。

社会は子どものうちは、平等にものを与え、嫌なこともほとんど言わず、大切に育てます。でも、大人になって実社会に出れば、平等でないことばかりです。そして、そんな時、本当に「優しいかどうか」は、大切な要素だと思います。家庭の中で、きょうだいのうち、「いい思い」をした子がいたら、他のきょうだいにも、その気持ちをおすそ分けをする、そんな優しさを持てるように導きたいものだと感じました。
by k-onkan | 2017-03-02 13:11 | 児童 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒④

普段は、集団行動が多い楽院の子どもたちは、私の家に来ても「トイレに行ってもいいですか?」「次は何をしますか?」と指示を仰ぎます。合宿で山歩きをするなら、「全員、長袖、長ズボンが必須」で、忘れものをするとダメ出しがありますが、あくまで、集団活動の合宿だからなのです。

e0143522_0511931.jpg私の自宅を訪問している第は、「トイレに行ってもいいですか?」ではなく「トイレをお借りします」など、違う言い回しがあるはずです。また、公園に行く前に「ジャケットは来ますか?」などの持ち物確認をするので、「それぞれ体感温度は違うから、自分で考えなさい。今の服装で公園を走り回ったら、熱くならない?でも、動かなかったら寒いかもしれないけれど、どうする?」というと、「じゃぁ、一応、持っていきます。ジャケット、置く場所ありますよね?」「あるとは思うけれど、下見にいったわけじゃないからわからないわよ。それに、誰かが使っているかもしれないし」といってやっと自分たちで決めた格好で、出かけられることになりました。

私が「先生」だから、子どもたちは「~していいですか?」と聞くのかもしれませんが、すべて答えていると、指示待ち人間が育ってしまいます。その上、万一、寒かったりしたら、「麻奈先生が、着なくていいって言ったからおいてきた」と責任転嫁されそうです。子どもに「自分で考え、選ばせ、そして、その結果の責任を取らせる練習」が大事な気がしました。

これは、「好きなようにさせて、何があっても放っておく」とか、「好きなようにさせて失敗したら、後で大人が尻拭いをする」ということではなく、「Aを選んだら、こんな可能性があるかも。Bだと、この場合はいいけれど、違う場合は邪魔かも。Cは風邪をひくかもしれない」など、大人が考えつく可能性を知らせた上で、自分でABCを選ばせるという練習です。その結果、寒いなら公園の中を走る、自分で取りに戻ってくる、友達から借りるなど、なるべく大人が肩代わりせずに、自分で解決策まで考えるように仕向けるのです。

楽院は、音楽を教えるので、「まわりの様子を見なさい!空気を読みなさい!今、自分が何をすると、一番、まわりと合わせられるか、よく感じなさい」と教えます。けれど、だからと言って、自分の考えを持たない指示待ち人間や、人のいいなりでブラック企業で心が折れるまで、助けを求めない人間に育てたいわけではないのです。まわりとの協調を考えつつ、自分の意思はきちんとあり、それを発言できる人に育てたいと思うのです。

公園で遊んだあと、上級生たちはもっと子ども同士で遊びたくなったようです。「もっと遊んでもいいですか?」というので、「どうぞ。でも、先生たちは温かい部屋に帰って、クッキーを作ってお茶にするよ」と伝えました。子供たちは、私たちに公園で遊ぶのを待たせ、クッキー作りにも参加したかったのかもしれませんが、時間には限りがあります。ほとんどの子どもが「公園で遊ぶ」ことを選んだので、Cちゃんと赤ちゃんとママたちで帰ってきました。

そこへ「せっかく麻奈先生の家に来たから、麻奈先生の家でしかできないことをしたいです」と言って3年生が帰ってきました。二人でクッキーの型抜きを楽しみました。途中、何度か、一人、ふたりと代わる代わる「手芸が始まったら、呼んでね」と確認に来ていましたが、私は、一度、子供たちに任せたので、自分で考えて帰ってくるまで、呼び戻すつもりはありませんでした。すると、不安になった子供たちは「そろそろ帰ろう」と戻ってきました。その頃には、クッキーが焼きあがっていました。

その後は、フェルトで花を作り、ブローチやピン止めにつける手芸をしました。それぞれの個性が表れていました。普段、平日の日にはじっくり「好きなこと」をする時間がないかもしれませんが、女の子は、手先を使って何かを作る作業が大好きなので、勉強の合間に、好きなことをする時間、自分が大好きなことをする時間も大切だと感じました。

それぞれのイベントが楽しく、時間はどんどん経っていきます。夕食の出来上がりを考えると、お迎えの時間を1時間遅くしていただかなければならなさそうです。そこで、それぞれお母さんに連絡するように伝えましたが、だれも「自分」で電話をして時間を遅らせてもらう役目を引き受けたがりません。

お母さんから「いいの?先生にご迷惑でしょう?なぜ、そんなことになったの?」とか質問されることがいやなのかもしれません。私が携帯で電話して、代表のお母様に伝言を回していただいたのですが、連絡がつかないお祖母ちゃまには子どもに「連絡して」と伝えたのですが、「大丈夫、いつも待っていてくれるから」と言ってそのままになってしまったため、お祖母ちゃまに大きな迷惑をおかけしてしまいました。どうぞ、お家でしっかり注意してあげてください。

一日の終わりに女の子には宿題を出しました。「今日のことを書いて先生に頂戴ね!」。すると、「今書いていい?」という子が出てきました。「もし、本当にありがとう、とかまた呼んでくださいと思う人は、それを先生に伝えないとわからないでしょ? 何が楽しかったか今度は何がしたいのか、それとも、もう二度ときたくないのか? じっくり考えてから書いた方がいいと思うわよ」。

別に子供からお礼状がほしいわけではないのです。ただ、大人になって誰かに何かをしてもらったら、「ありがとう」と手紙に綴ったり自己表現できる女性になってほしい、その習慣作りをしたいだけなのです。子どもたちの性質は、2~3歳から教えている私が一番よく知っています。歯の浮くようなお世辞の感謝の手紙が来たら、「本当はそんなこと思っていないでしょう?」とからかってしまうかもしれません。

中には、「先生、作文用紙で次のお稽古の時ですか?」という子もありましたが、これも、個々人の自由です。宿題のように作文用紙に書く子もいれば、はがきで送りたい人もいるかもしれない。便箋に書く人もいるかもしれない。家に帰ったらすっかり、忘れて書くことを忘れるかもしれません。でも、「次はいつ、こられますか!?」という人は、先生が「また呼んであげたい」という気持ちにさせてみて!」と伝えたのです。さて何が出てくるか、今からとても楽しみなのです。

普段の音感のレッスンや、合宿で生活をともにすれば、たいていのことはお見通しです。でも、今回は、音感では目立たないのに、それ以外は点数が高かったCちゃんの隠れた一面を見つけられたこと、そして、夏の合宿よりは、それぞれに成長していたことを確認できたことが、何よりの収穫でした。これで「女の子たちとの一日」のご報告はおしまいです。
by k-onkan | 2017-03-01 23:51 | 児童 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒③

わが家にやってきた小学生の女の子たちに「させたいことリスト」の一つに「0歳児をもつ卒業生ママの赤ちゃん」と交流することがありました。子供を持つお母さんになってから、乳幼児の特性を知ったのでは遅いと感じるからです。そこで、毎週、楽院に母子同伴の「望クラス」に通ってくる卒業生ママYちゃんとAちゃんにお願いして、0歳児の男女にも遊びにきていただきました。

e0143522_061350.jpg初めて出会う先輩に、6人の女の子たちが自己紹介をしました。「名まえ、学年、楽院に何歳から通っているか、得意なこと」などを披露して、「よろしくお願いします」とあいさつしていました。数年前、私が社会人のための「話し方教室」に通った際に「大人になっても人前で話すのが苦手な人がこんなにいるのだ」と知り、機会を見つけ練習させてきたので、ずいぶん慣れて、自分の個性を出せる子も出てきたように感じます。

その後は、楽院の先輩であり0歳児のママたちも「私は~です。Tのママです。Tは1歳2か月です。私は2歳から楽院に通っていました。子どもの頃、私は体力がなくて、合唱の時、よく木下先生に叱られていました。○○というあだ名で呼ばれていました」「私は~です。1歳のYのママです。子どもの頃は、歌より音感やピアノが得意でした」など後輩たちにお話してくれました。

その後、私は子供たちに赤ちゃんと関わる際の大事なお話しました。「赤ちゃんの近くに居る人は、赤ちゃんの目線の先に何があって、何を見ているか、何をしたがっているかを感じること。一緒にいる先輩は、赤ちゃんに怪我をさせない責任があること。そして、自分の担当の赤ちゃんじゃなくても、近くにいたら、必ず、赤ちゃんのことを観察して危険がないように気を付けること」というと、「だったら、抱っこしてあげればいいじゃない!」という言葉が返ってきました。

子どもたちの気持ちも分かりますが、赤ちゃんたちは1歳になって「ハイハイ」や「アンヨ」ができるようになったので自分の自由が謳歌したいのです。お姉さんたちがどんなに優しくても、抱っこされて束縛されたら、泣いて嫌がるでしょう。赤ちゃんの居心地が悪くならないように自由をゆるしながら、危険がないように見守り、友達を叩く、髪をひっぱるなどいけないことをしたら、「メ!」と注意しながら一緒に遊びます。

自慢に聞こえると恐縮ですが、楽院の生徒は、同年代のお子さんと比べれば、小さな子どもと関わる機会が多くあります。合宿や音楽祭で、年下の幼児と関わったり、お世話をするチャンスがあるからです。そのため、小さい子に出会うと女の子はみんな「可愛がりたい」という欲求はあるようです。

赤ちゃんたちは、毎週、私がレッスンしているので私の顔をちゃんと覚えているようです。いつもと違う場所でも、私だと分かっているようです。その上、ママたちが卒業生なので「先生、ちょっと、お手洗いに行ってもいいですか」と赤ちゃんを置いていきます。最初はママがいないことに気付かず、お姉さんたちと楽しく過ごしていたTくんは、途中で、急にママの不在に気づき「ママー」と不安そうな声を上げました。

あわてたのは三人の二年生組です。一斉に、後ろから、「ママはトイレだよすぐに帰ってくるから泣かないでー」と多重音声で話しかけています。でも、Tくんの不安は収まりません。私は床にしゃがんでTくんの真正面から目を見て「Tちゃん、ママはトイレ! すぐに戻ってくるから、先生と待ってて!」と単語一つひとつを区切って、高めにはっきり伝えると、Tちゃんは言葉を理解して、落ち着きました。「赤ちゃんに何か言いたい時は、3人で一緒に後ろから、いくら騒いでもダメよ。ちゃんと目を見て、短い言葉で、はっきりと」と教えました。

最近は、保育士さんの中にも「言葉が分からない0歳児の担当になることを嫌がる」という方も多いと聞くことがあります。ですが、0歳児でも、ちゃんと言葉は理解できるのです。ただし、言葉をわかるように育てるには、文章の中から単語の抜き出しがしやすいように、身の回りの物の名称を教えたり、御本を読んだり、話しかけたりしたうえで、赤ちゃんが好む「高めの声」でコツで、単語を抜出やすい話し方が必要なのです。保育士という資格を持つ人であっても指示の出し方のまずさが、赤ちゃんが言葉を理解できない原因であることを知らない人もいるということかもしれません。

自己紹介が終り、落ち着いたところで、私たちは赤ちゃんを連れて公園に行って遊びました。一緒に滑り台をすべってあげたり、楽しいひと時となりました。家に戻ってからは、グループに分かれて、水彩絵の具でお絵描きの相手もしました。お姉さんたちは自分の担当の赤ちゃんの画用紙にいろいろなイラストを描いて見せていました。その中でAちゃんは二人の赤ちゃんに一枚ずつ、名前と可愛いイラスト入りの作品を描いてあげていました。

赤ちゃんたちは、大勢のお姉さんに囲まれて、緊張していたようです。が、お姉さんたちが手芸を始めると、0歳児だけで自由に水彩を楽しみ始めました。きっと、大きな子どもたちがいなくなり、年齢の近い同士で、自由に筆を使えるようになって、ホッとしたのかもしれません。

夕方になり、赤ちゃんたちは眠くなる時間で、帰っていきました。みんなで記念写真をとって、玄関まで見送りにいきました。おうちに着いたYちゃんママからは、「みんな可愛かった上に、今の私より子供とも遊び上手で、自己紹介も上手なお利口さんたちで、自分の鈍さを反省しています」というメッセージが届きました。

Tくんママからは、「久しぶりに小学生の相手をしている麻奈先生を見て新鮮でした。『みんなも小言を言われているのね』なんて失言してごめんなさい。先生の子どもに伝えたいという情熱を改めて感じました」と恥ずかしくなるメッセージをいただきました。でも、実際に私は、小学生の子どもたちと一緒にいると、本当にたくさんのお小言ばかり言わされているため、「失言ではなく、本当のことだから気にしないで」と伝えたのです。

赤ちゃんを連れて電車や車で移動するのは、たいへんな時期に、後輩たちのために来てくださって、「卒業生はありがたい」と感謝の気持ちでいっぱいです。そして、この経験が、赤ちゃんたちの次回のお稽古にどんな変化として、現れるか、今から楽しみにしてます。
by k-onkan | 2017-02-28 00:06 | 児童 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒②

楽院のレッスンの時は「勝手なおしゃべりはしない」と教えているため、何か質問しても、適切に答えられる子が少なくなっていると感じていました。わが家で行う課外体験は「授業」ではないので、なるべく自由にさせて、「自分で考えさせること」「自分の意見を引き出すこと」に重点を置くことにしました。ところが、「なんでも好きなことを言っていい」となると、2~3年生の子どもたちは止まることなく自分のことを話だします。「あのね、今、Dちゃんがしゃべっているでしょ?どうして人がしゃべっているのに話し始めるの? 先生は聖徳太子じゃないから同時に全部聞けないわよ」。

e0143522_1921586.jpg毎週、保育園に指導に出かける私には、この様子に馴染みがあります。それは、保育園で生活する子供たちが「自分の言いたいこと、聴いてほしいことを話し出すと、他の人が話しているのを遮っても話し続け、友達の話は聞かない」状態です。その上、「話を聞いてほしい」という時期の子どもは、女の子といっても、男の子のように思いついたことを自由に口にするため、デリカシーのない発言をしてしまうことも多々あるのです。

たとえば、二人いた赤ちゃんの担当グループを決めると「あぁ、良かった。泣かない方の子だぁ。泣くと面倒くさいもん」と口に出したりします。「もし、Aちゃんがだれかに『よかった。Aちゃんじゃなくて、だって、Aちゃんはうるさいもん』といわれたらどう?」「いやだ」「赤ちゃんだって、一緒よ。赤ちゃんが泣くのは、場所に慣れていないからなのに、そんな風にいわれると、赤ちゃんのお母さんだって、「いやな子ね」と思うでしょ?言葉には気をつけなさい」。簡単に他人に言ってしまう言葉を、「もし自分が言われたらどうだろう?」と置き換えて考える練習や相手の気持ちを考えることは、普段の日常生活の中で、採り入れなければと感じたひとときでした。

わが家に生徒がくる時は目に余ることがない限り、先生としてではなく「子供の頃から彼らを知る1人の大人」として寛容に接し、自由な発言や行動を許しています。よく「うるさいことや厳しいことを言う人より、何もいわない人が一番こわい」と子どものころ、聞かされたものですが、自由な環境によって自分の本質とそ良し悪しまで浮き彫りにされることが、こわいのかもしれません。

女の子を大勢預かると、子供時代に両家の祖母に「食べ方」「姿勢」「歩き方」「言葉づかい」など、口うるさく言われたことを思い出します。当時は煩わしく思いましたが、子どもたちを見ていると、「うるさく言ってくれた人がいてくれたこと」に感謝の気持ちが湧きました。

夕食のときに、お味噌汁の豆腐をおわんに口をつけて「シュッ」と吸った子がいたのです。それが、結構、頼りにしている賢い子だったので、「今、何か動物が獲物をシュッと飲み込んだみたいな音がしたんだけど。まさか、お椀に口をつけてお豆腐を吸ったんじゃないわよね。ほら、お豆腐だって、ちゃんとお箸でつかめるでしょ?」と、間接的にやんわりと非難しました。お行儀は私立の小学校で建学の精神などとともに、いわれている子供の方がいいと感じます。最近の公立では「勉強のこと以外」は先生が指導していけないことになったので、家庭で意識的に気を付けないと、女の子なのにどんどん乱暴な言動や行動を知らない間に、身に付けていくこともあると思います。

そんな中、音感ではあまり目立たないCちゃんが一人黙々と赤ちゃんの面倒を見たり、クッキー作りや手芸を指示通りにこなしていきます。一度で私の説明を理解して、なんでもすぐにこなします。まわりが楽しくなって、大はしゃぎをする中で、よけいなことは一切、言わないのですが、卒業生ママの前で自己紹介する時は、誰よりも文章がうまく工夫がありました。「この子に、こんなにいいところがあったのだ」と嬉しくなりました。

そして、益々楽院で教える「声を出して自分を表現する」ということができれば、もっと評価があがると改めて感じたのです。現時点では、まわりの女の子が、ぐいぐいと自分をアピールしてくる中で、あえて声を出す必要がないと感じて、家庭でだけ本当の自分を出しているのかもしれません。

公立小学校に通っている女の子は、自分の居場所がないこと、友達との関係に不満がある子が多いようです。2年生のBちゃんは、「学校の友達とは趣味も合わないし、うるさい人が多いし、知っていることも違うんだもん」といいます。私は、「うるさいのがいやなの?でもこのAちゃんも相当うるさいと思うけど、それはいいの?」「だって、Aちゃんはそういう性格だって知っているから」「よかったね。Aちゃんがうるさくてもいいらしいよ」。たぶん、これは楽院の友達は長い年月をかけてお互いを知りあって受け入れた相手ですが、小学校の友達は親しくなる以前に、授業中に騒がしかったりするのがいやだと言っているようなのです。

Bちゃんは私が通った近所の小学校に通っています。そのため、近くの公園に遊びにいくと、同級生に出会いました。すると、「Bちゃん、一緒に遊ぼう」と声をかけられたのです。すると、Bちゃんは困った顔をして、「ムリ」と言い放ったのです。「あのね、「ムリ」だけでは嫌な感じがするでしょ? こういう時は『音楽教室のお友達と一緒だから、今日はムリなの。また今度ね』と言うのよ」と教えました。どんなに合わないと感じる相手でも、お互いを不愉快にしない物言いを教える必要はあると思いました。

公立の小学校に通っている楽院の生徒は、間違いなく成績は上位のはずです。小さい頃から早期教育を受けた『貯金』があるのですから、普通に授業を聞いていれば、いい成績を取るのは当たり前でしょう。そのため、できない人の気持ちが分からず、迷惑に感じることも多いのかもしれません。

また、高学年になると班長や委員などいろいろな役割をいただいてくるようです。そんな時「なぜ、自分ばかり係をしなくちゃいけないの?」という不満も感じてしまうかもしれません。しかし、仕事が回ってくるのは「できるから」です。その中で、あまり「やっていますアピール」をすると、女の子の世界では、煙たがられたりいじめられたりする原因になることもあります。

誰かから当てにされるのは嬉しいことです。しかし、責任も生じます。そのため、つい「まわりの人が全然、やってくれない」と不満や愚痴を口にしたくなるのでしょうが、一度、引き受けるなら「自分が必要とされていること」に喜びをもって取り組んだ方がいいと感じます。また、本当に手伝ってほしいなら「これをやって」と何をどう手助けしたらいいか、相手に分かるように、言葉で伝えることも大事です。また、本当に「やりたくない」「できない」と思うなら、先生に「今回は他のことを頑張りたいので、できません」と自分の考えを言える女性になって欲しいと感じたので、子供たちにやんわりと伝えました。

家族であっても、言葉が足りないと誤解があったり、理解し合えないことがあります。まして他人ならなおさら、きちんと言葉で自分の気持ちを伝えられないと、誤解が軋轢の原因になることもあるでしょう。一般的に8歳から10歳は子どもが言語に対して、敏感になる時で、敬語を使いこなせるようになる時期でもあります。だからこそ、家庭でも、よその人と関わるための言葉づかい、分かりやすい説明ができているか、気を付けてみる必要があるのだと、再認識したのでした。
by k-onkan | 2017-02-27 19:21 | 児童 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒!①

土曜日の今日は、楽院の児童部の女の子たちをわが家に呼び、合宿でする「楽しいところ」だけをギュギュっと凝縮した一日、課外保育をしました。子どもたちには「お楽しみ会」かもしれませんが、音楽を教えるのが、年々難しくなる女の子たちに「私が今、教えられることを小言つきで教えておこう」と思って企画したのです。

e0143522_13444611.jpg思えば、幼い頃、とても頑張り屋だった生徒の反抗期が悪化して我が家に家出をしてきたのは17歳のとき、約10年前のことでした。現在、小学生の女児たちが反抗期に突入して、万一、何かあった時に、夜中に繁華街に探しにいったり、我が家で預かって更生させたりする自信がありません。ですから、在籍中にできることの全てをして楽院を卒業させたいと思っているのです。

社会人になったその卒業生は、今でも合宿を手伝いに来て後輩たちのお世話をしてくれます。そして、言うのです。「麻奈先生に迷惑をかけた自分が言うのもなんだけど、自分が心配するほど、今の楽院生はダメ!!だって、あんなに情熱的に木下先生が指導しているのに無気力でいられるなんて信じられない……」と。

そんな話から、「先生は7年後にあなた達を探しにいける気がしないし、1ヶ月預かって毎日、お弁当を作って高校へ通わせる自信もない。だから、今のうちにシッカリしてほしい」。お見送りに来てくださったお母さんと子どもたちを前に、その話をすると、Dちゃんが、「大丈夫ですよ。先生、いつも元気ですもん!」とつっこみが入ります。

「麻奈先生は2歳の頃から教えているみんなの良いところも悪いところもよく分かっているから、どんなことをしても、「自分の生徒」だと思って受け入れると思う。でも、瑠音先生は、男の子を育てているでしょ? だから、女子が変なことをすると、「こんな女の子が息子の彼女だったら、どうしよう?」という見方もしていると思うよ。まして、よその人ならもっと厳しく見られているかもしれない」。

「もしかすると、『別に誰かのお嫁さんに選んでもらわなくてもいいもん!』と思っている子もいるかもしれない。でも自分の兄弟が彼女を連れてきた時に、家に入ってきても挨拶はしない、行儀は悪い、食べたら食べっぱなしだったら、どんな気持ち?」「それは絶対にいやだ~」「だったら、自分もそうならないように気を付けなくちゃいけないよね」。

女の子だけが男性から選ばれることを想定して躾をすることは「女性軽視」とお叱り受けるかもしれませんが、私は「男の子選び」についても、女の子にヒントは与えています。「姿形が格好が良くても他人に優しくない男性は彼女にもやさしくない」「お金がたくさんあっても、忙しくて一緒にいられないかも」「親兄弟の悪口をいう人は、いつか、あなたの悪口もいうと思う」など、公立の小学校では絶対に教えられないことを子どもたちに伝えています。男の子を持った母でも、女の子を持つ母でもない私にとって「男女同権」とは、双方、お互いさまです。まして、生徒は男女どちらも可愛く、不幸になってほしくないと思っています。

この一日で、本当にいろいろなことがあり、お迎えを一時間延ばしていただいても、あっという間で子どもたちは、もっと遊びたかったのかもしれません。細かなエピソードは、これから、小出しにブログに載せていく予定です。今後の子育てのヒントや注意点が見つかればといますが、自分の子どもの話となると、顔から火が出そうになったり、穴があったら入りたくなって卒倒するエピソードもあるかもしれません。娘を怒りたくなることもあるでしょう。しかし、どうか、怒らないでいただきたいのです。親のいうことをきかなくなる思春期までに、どうにか改善したり、教えられればいいのですからーー。

本当に怖いのは「楽院など管理された場」ではなく、自由を許されたときの子どもです。本心を語り、思ったままを口にして、普段通りの癖が露呈します。子どもたちが、現時点で、間違った行動するのは、その子どもだけの責任ではなく、それを許してきた私たち大人にも責任があります。

おもえば、我が家に家出してきた卒業生も、小学校の高学年から中学生の間に、「難しい私学に通っているのに、こんな知識が足りていない」とか「他のお子さんに比べて、これが経験不足ですよ」とよく、お知らせしたものでした。それは、お子さんを叱っていただきたいからではなく御家庭で、お子さんに時間をかけて教えてあげていただけたらと思ったからでした。でも、いつも子どもが叱られただけで、根本的な問題は解決しないままだったから、我が家に助けを求めてきたのだと思うのです。どうか、お母さん方には「うちの子に限って、そんなことはしない」と思わず、平常心で現状を受け入れていただけたらと思っています。
by k-onkan | 2017-02-25 23:42 | 児童 | Comments(0)

女の子の無意識を賢くするために

私が幼児教育の世界に関わってきた年数は、私の年齢とほぼ同じです。幼い頃は幼児教育を受ける側として、学生時代は幼い子どもたちの先輩として、成人してからは指導者として関わってきました。そんな私が、最近、とても気になっていることがあるのです。それは40年前には存在した「賢い女の子」が今の時代にあまりに少なくなってきていることです。

e0143522_2171558.jpg私が子供時代の女の子はお母さんや親戚のお姉さんなど真似をして鏡の前で自分を見たりする遊びに興じたものでした。しかし、今は女の子にとって、真似をする対象を探すことが極端に難しくなっています。幼い子どもは男女問わず、基本的に真似をして学ぶものです。特に、脳の発達が早い女の子は、自分より年上、大人の真似を好む子どもが多くいたものでした。

でも、幼稚園、保育園に長い時間、滞在しているお子さんは真似をする相手は担任の先生、もしくは、同級生で目立つ子、強い子ではないかと思います。友達のの行為が「いいことか、悪いことか」は二の次で、刺激のあること、目につくことを真似ていきます。だれかが乱暴な口をきけばすぐに乱暴な言葉が蔓延しますし、人の物をとる子がいれば、自分も取り返すでしょう。手を出す子をみれば自分も手を出すように育っていきます。もちろん、先生は注意しているとは思いますが、子どものいざこざは日常茶飯事であり、すべてを大人が監督するのは、実質的には無理があるでしょう。そんな中で行儀よくしつけられている子は、静かに誰に迷惑をかけることなく、自己主張もせず過ごしていることもあるのです。

もっと「、女の子たちの能力を伸ばすことをさせたい、年上の人との関わりを大事にさせたい」と考えていたところ、「女の子が年上の真似をしたら生きづらい。同学年の中で生きるのだから」という意見をいただきました。でも、子どもたちは、幼稚園、保育園を卒園した後、ずっと同級生と平等に生きていけるわけではありません。

残念ながら、小学校で勉強が始まると「できる、できない」という不平等に出合います。そこに女の子特有のグループの付き合いや、誰が主導権をとるかなど面倒なことが起きてきます。誰もが主導権を取れる子になる必要はありませんが、だれかに従う側であっても「自分で考えて、自分で選んで、したいことをできるようにする」ためには、同級生だけでなく、年上の人から学ぶ知識やいろいろな体験による自分の考えが必要だと思うのです。

女の子は本来、器用な生き物だと思っています。一つのことをじっくり時間をかけてこなす男性と比べて、洗い物をしながら料理をしたり、料理をしながら子どもの会話を聞いたり、同時に二つ以上の物事を処理できるのは女性ならではの特性だと思います。ですが、現代社会ではそうした特性を伸ばすためには、私たちが子どもの頃とあまりに環境が異なり、自分が「当たり前にできたこと」をわが子にできるように育てるのが難しいのです。

手を洗おうと思って蛇口に手をかざせば、水が自然に流れ出て、車のドアは自動開閉、部屋のドアは小さい子どもでも簡単に動かせるレバーがついていて、今やドアノブの存在を知らない子どももいるかもしれません。小学校でHBの鉛筆がなくなりつつあるのは、手指の力が弱く筆圧が出ず、子どもたちが書いたものが見えないからです。私たちの便利になってありがたいことも増えた分、私たちが子どもの頃、あたりまにできたことを、できるようにするのが、難しい。特に、女の子たちにその弊害が出ているように感じるのです。

そんなことから、音楽祭のお疲れ休みの土曜日に、高学年の女児を集めて、課外体験学習をすることにしたのです。一日の予定は、食事やお菓子作り、赤ちゃんを連れた先輩との交流、フェルトを使って手芸をします。毎年、尾瀬合宿の飯盒炊爨で、女子班はカレーライスを作っているので、今回は生地こねてピザやクッキーを焼いたり、パスタを茹でることに挑戦します。

また、夜ごはんには、お米を洗ってご飯を炊き、みそ汁作って、ハンバーグと目玉焼きを焼いたり、ほうれん草のソテーをいためたり、粉ふきいもを作ろうと思っています。子供時代に野菜の皮をむき、包丁で切ること。そして、食材を焼いたり、炒めたり、茹でることができれば、あとは工夫次第で料理はいくらでもできるようになると、自分自身の体験を通して感じます。現在、私は2日後に向けて、材料を用意して大掃除しているところです。
by k-onkan | 2017-02-23 12:52 | 児童 | Comments(0)