麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:児童( 388 )

中国語を習っています!

来月のおわりに中国から少年合唱団が楽院に来て、木下先生より日本語の歌の指導を受けることになりました。その際には、木下式の発声の手本として、楽院の合唱団も歌声を披露することになりました。

e0143522_16451897.jpg何分、1学期の終わりの平日なので、学校の合宿と重なり不在な生徒や家族旅行で参加できない子もいますが、中学生の名誉団員の力を借りて、参加できるメンバーを鍛え、中国の合唱団に負けないようにしたいと考えています。

言葉がなくても、音楽があれば交流できる、とよく言われますが、せっかくの機会なので、簡単なことは言えるようにしたいと考え、中国で生まれ育った先生から、中国語講座を受けることになりました。

今日は、その1回目のレッスンが合唱が終わってからありました。子どもたちは、中国語の挨拶や自己紹介を教えていただきました。先生からは「発音がいい」と言っていただいていますが、私たちは、「本当に?」「こんなんで大丈夫?」と思いますが、年齢が低く、既成概念が何もない、「わからんちん」の方が、素直に真似るため、上手のようです。

反対に中学生になると、「英語みたいな発音になっている」と指摘されて、恥ずかしそうに直しています。それでも、何度か、考え考え直すことで、身につくのが、「音楽を勉強した人」の耳、かもしれません。

せっかく、中国語を教えていただいたので、「中国語の歌」も歌えるように、「茉莉花」という謳を勉強しています。ちょうど、今から7年ほど前に、中国公演に北京に出かけた時にも、覚えた歌なので、私の記憶も蘇ってきました。

子どもたちは、音楽を通して、国際交流の体験もしています。卒業生の中には、合唱団で海外公演に出かけたことによって商社に務めることにした人もいます。子ども時代の何気ない体験が、子どもたちの未来に、何かのきっかけを与えてくれればと願っています。
by k-onkan | 2017-06-10 23:44 | 児童 | Comments(0)

喜怒哀楽はどこへいったの?

バランスボールがきて喜んだのは、のぞみクラスの赤ちゃんだけではありませんでした。小学生の子どもも「先生、やりたい」とせがみます。ですが、小学生のレッスンは、レッスン中にやることがたくさんあって、なかなか、一緒に遊ぶ時間は作れません。

e0143522_18192992.jpg途中、独唱の練習をしていた際に、自分の力を出し切れず、高音域の声を出す前に諦める女の子と、声の出し方が遅鈍な男の子に、全力を出すことと速く声を発することを教えるために、バランスボールを押したり、投げたりする相手をしました。

最近、小学生の子どもの相手をすると感じるのですが、発声でも、勉強でも、遊びでも、周囲と同じくらいの力は出しても、それ以上を出すことがなく、喜怒哀楽が薄いことが気になっています。

私も、子どもの頃は、平和主義でだれとも争いごとを好まず、力を出さない子どもだったので気持ちも分かるのですが、当事は、私のような子どもばかりではなく、意欲のある子、勝気な子、全力を出す子が、多くいました。今は全員が、同調して馴れ合いのようで、気になっています。

「今は、さとり世代だから」と言われたら、それまでですが、楽院の私たちは、音感のお稽古でも、遊びでも、虫取りでも、合宿でも、「やる」となったら本気が出せます。何事も、持っている力を全部、出さないと不完全燃焼のような気がするからです。

もちろん、相手と呼吸を合せて協調するなら、ボールを落とさないために、相手が取りやすい場所にボールを投げたり、相手がとれる速度を考慮することもあります。ですが、本気の自己主張や負けん気を示す時は、子ども相手でも、本気でボールを押し、ボールを捕まえるために、機敏にも動けます。音楽でも遊びでも、必要な時には、自分の持っている力を全部出せることも、大事だと思います。

泣いたり、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、本気でできるのは、子ども時代の特権です。もっと、いろいろな体験をして、心から、感じて欲しいと思った子どもたちとのひと時だったのでした。
by k-onkan | 2017-05-27 23:41 | 児童 | Comments(0)

それでも本気で向き合って!

最近、小学生の子どもたちと関わっていると、「昔と変わったなぁ」と感じることがあります。それは、「ダメ」と言われていることでも、「やったもん勝ち」みたいな感覚です。もちろん、私たちが子どもの頃も、「怒られると分かっていても、自分が律せず、やってしまうこと」はあったろうと思います。ですが、もっと、大人を侮っているような違和感があります。

e0143522_1515723.jpgもしかすると、子どもたちは、「とことん、親しい誰かと戦いきる」という経験を親子でする機会がないのかもしれません。なんだか「大人は、うるさいこと言ったって、最後は、どうぜ、受け入れるだろう」という諦めのような気持ちを感じます。

確かに、「やめなさい」と言っても、子どもが「やりたい」と思えば好きなようにするのかもしれませんし、戦っても押し切られるなら、無駄な労力を使うのは、大人も疲れるのかもしれません。それでも、幼児から児童へと成長過程では、たくさん、親に叱られたり、「ダメなことは、絶対にダメ」を知らされないと、子どもは「何が正しいのか」を知らないまま、根なし草のように育つのではないかと心配になってしまいます。

子どもたちの「惰性のような取り組み」と毎週、付き合いながら、きっと、「子供だけのせいじゃないのだろう」と推測しています。それだけ大人たちも忙しく、余裕がないから、子供に誠実に対応しきれないのかもしれません。

もちろん、「最近の子どもたちは……」と、全体的な変化はあっても、その中で、家庭で大人にとことん向き合ってもらっている子供たちは、やることをきっちりやる習慣を失ってはいません。だから、余計、子どもたちの中に、「格差」を感じるのかもしれません。

大人も忙しくて、生活がたいへんで、子どもに向き合う余裕はないのかもしれません。それでも、できれば、子どもの成長や行動、心の変化にも目を向けていただきたいと思うのです。子供が大人になればなるほど、親子で向き合う機会はもっと、減っていくでしょうから――。
by k-onkan | 2017-05-18 23:50 | 児童 | Comments(0)

やっておいてよかった!

4~5歳の頃、レッスンの度に「鉛筆で丸を書くことが疲れる」という男の子がいました。とてもいい声を持ち、音も分かるようになったのにそれを書き取ることが、すごくたいへんでした。音感教育を受けて音感能力を身に付けても、それを書いたり、読んだりすることができなければ、完全な能力とはいえないかもしれません。

e0143522_1927539.jpg当事、私は音感のレッスンができるようになって欲しいという気持ち以外に、「音感で行う「音符書き教材」で自由自在に丸や線を書けなければ、小学校で学ぶ国語や算数で、ひらがなや数字を書きうつすことは、もっと難しくなる」とい強い心配がありました。

子どもにとって、頭でわかっていることが、書き表せないほど、自分に自信を持てないことはありません。そこで、子どもだけが頑張らなくていいように、毎日、取り組める「うんぴつ」の教材を作ったり、身体を動かす機会を作っていただいたり、お母さんにもご協力をいただきました。

その結果、音感のレッスンでは、聴音書き取りのノートはどうにか、こなせるようになっていきました。でも、忙しく働くお母さんには、「このままで小学校へ行ったら苦労する」という私の言葉はさぞ、プレッシャーだっただろうと思います。

それから二年が経過して、以前に比べれば、楽院の聴音書き取りでは、かなりスムーズに鉛筆を操っているように見えます。「小学校でも人並みにできていれば」と願って、お母さんにうかがうと、「それでも、たいへんな思いをしている」ということでした。

幼児期に親子で努力しても、それでも、たいへんな思いをしているのですから、何もしていなかったら、と想像すると、たいへんなことに感じます。当事、辛そうだったお母さんが、「やっておいてよかった」といってくださることは、私にとって、何よりホッとする出来事なのです。

字を書いたり読んだりは、頭の出来だと思われがちですが、実は、目の運動や身体の発達と関係があるとよく聞きます。わが子が、字の読み書きができるから、安心ではなく、無駄な動きや余計な負担がないか、頭ばかりでなく、身体もバランスよく使いこなせているか、観察することが、大切だと感じています。
by k-onkan | 2017-05-11 23:25 | 児童 | Comments(0)

元気そうでよかった!!

保育園での指導を終えて最寄駅に行くと、そこで懐かしい顔をみつけました。3月に保育園を卒園した1年生のKくんでした。卒園が近づいた頃、最近、設立された私立の小学校に通うというお話は聞いていたのですが、保育園時代は、クラスの中で一番、背が高かったKくんですが、新品の制服と鞄を身につけ、とても小さく見えました。

e0143522_18173394.jpgKくんは、タクシーから降りた私を見つけて「あ!」と言って、懐かしそうに近づいてきました。「今、学校の帰りなの?」ときくと、「はい」「誰か、お迎えに来てくださるの?」というと「お父さんが迎えにきます」という答えが返ってきました。「学校は楽しい?」ときくと「楽しいです」「クラスはいくつあるの?」「AとBです」。

保育園時代は、大人にも友達に話すような、幼児の話し方だったのが、すっかり、「です・ます」を使って話す子になっていました。私立小学校は、それだけ、行儀やしつけに重点を置いている、ということなのでしょう。そして、その中でも、楽しそうに頑張っている様子に嬉しくなりました。

「気を付けて帰ってね。またね」とお別れをした後も、何度も何度も振り返りながら、ニコニコと手を振って歩いていきました。たった2年とはいえ、自分で音感を教えた生徒はかわいいものです。

でも、この子もまた、音感をはじめた頃は高い声が出すことが、苦手で「音感がある日は保育園に行きたくない」と嫌がったお子さんだったのです。でも、嫌がるほど抵抗を示すお子さんほど、コツをつかむと、音感でどんどん自信を表すようになります。その結果、誰より、成長を見せることもあるようです。

幼児期に鉛筆を持ったり、注意深く見たり、聴いたり、考えたり、する予備練習をして、小学校にあがるのと、まったく何もせずに、小学校で勉強を始めるのでは、大きな差があります。このお子さんが、楽しそうに私立校に通っている様子を見ることができ、私は、とても微笑ましい気持ちで、帰路につくことができたのでした。
by k-onkan | 2017-05-10 23:16 | 児童 | Comments(0)

そろそろ叱られどきかな?

楽院はカレンダー通りにレッスンを行っているため、ゴールデンウィーク最後の土曜日も授業がありました。学校や家庭の行事で数名の欠席者がありましたが、それ以外は元気な顔を見せてくれました。それでも、世の中はゴールデンウィークなので、子どもたちはなんとなくお休み気分のようでした。

e0143522_20394238.jpg
中でも、連休に千葉の祖父母や純子先生から可愛がられた2年生の甥Kは、なんとなく惰性で発声に取り組むため、その姿に、「可愛がってもらったのだから、人一倍、頑張らないといけない」と腹が立ってしまいました。最近、大人の事情が分かるようになり、日々、生意気になっていくと感じています。その上、言動も大人顔負けな発言をするため、そろそろ「叱られどき」なのかもしれません。

思えば、兄甥Yが、木下先生の逆鱗に触れて、叱られたのも小学2年生の頃でした。自分に自信を持てるようになり、愛されていることを確信できるからこそ、少し生意気が過ぎたり、過剰に甘えたりする姿を見せるのかもしれません。兄甥は甘えから涙を見せて叱られましたが、弟Kは斜に構えて、打ちこまない姿に、今にガツンとやられるだろうと想像して、胸が痛くなります。

甥兄弟の姿は、どちらも自分が子どもから大人へと発達する過程で経験した姿です。未熟さから思い違いで大人に生意気な態度をしたり、過剰に甘えたりして、大人から叱られた自分と、甥たちの姿は重なります。

そして、それを感じているのは、私だけではありませんでした。兄甥Yも「そろそろ、じぃじに叱られる時機なんじゃないの?」と思っているようなのです。これまで、末っ子ゆえの可愛さと調子の良さだけで、みんなから可愛がられてきたKですが、だからといって、叱られないと油断しているとガツンとされるのが、わが家です。

子ども時代は、楽院に通う仲間から「お父さんが、木下先生じゃなくて本当によかった」と言われたものです。でも、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、大人になった今でも、間違ったことをすると「ガツン」と言ってくれる存在があることは幸せなことだと思っています。

なぜなら、本当に怖いのは、自分が間違っていても、考え違いをしていても、みんなが何もいわない環境は、自分だけの判断で、道を切りひらく必要があります。ときに、自分をコントロールできずに、大きな失敗をすることもあるかもしれません。

もちろん、大人になったら、いつまでも親や先生から学ぶより、失敗からも学ぶべきでしょう。それでも、大人になっても「怖いもの」にハッと気づかせることも、また、大事なことだと、子どものころ、たくさん叱られた私は思うのです。
by k-onkan | 2017-05-06 23:37 | 児童 | Comments(0)

生きているのが一番大事!らしい

妹と兄甥が「フォニックスの講習」に出かけている間、私は小2の弟甥Kの言動じっくりと楽しませてもらいました。朝から、日課である家庭学習とピアノの練習をするに当たり、ダラダラしながら、「いやだ、いやだ」と言って取り組む姿に、「一番、好きなことはなに?」と言っても「どれも普通」というため、「自分の意思で何かを考えたり、選んだりしていないのではないか? 何事もただ受け身なだけなのでは?」と気になり出しました。

e0143522_1891497.jpgそこで「Kちゃんは、いろいろなお稽古ごと、習っているでしょ?何が一番、好きなの?」と聞いてみました。数あるお稽古ごとの中で、唯一、Kが自分で選んだ「ダンス」というだろうと思っていましたが、「ダンスはふつう」というので、私の方がわけがわからなくなりました。

今度は、「じゃぁ、たとえ話よ。万一、お父さんとか、お母さんが病気になって、お稽古ごとを全部、辞めなければいけなくなったとするでしょ? その中で、一つだけ、続けられるお稽古があるとしたら、何がいい?」と聞いてみたのです。私は「大好きな純子先生に会える『音感』というのでは?」と思っていましたが、「水泳」という答えが返ってきました。

「えぇ?水泳? ダンスじゃなくて? うそでしょ? 毎週、あんなに水泳の前に、イヤだイヤだと言うのに?」と私の方が驚いてしまいました。すると、「だって、津波が来た時に、泳げなかったら困るじゃない。リズム感がよくても、生き残れないと思うんだよね」というのです。

「音感に来なかったら、会えないじゃない…」と不満をもらすと、「生きていれば電車の中や道で会えるよ。でも、泳げなかったら、もう会えない」と言われて、ただ、受け身で「イヤだ、イヤだ」と言いつつも、いろいろなことを考えている甥を面白く感じました。

そして、思ったことがあります。それは、「子どもに自由を与え、自分で考えさせること」も大事なことではありますが、それと同様に、「イヤだ、イヤだ」と言っても、いろいろな体験をさせたり、時に追いかけてでも、「やらせてほしい(構ってほしい)」と思う時が、子どもにはあるようなのです。なぜなら、「やらなくていい、自由にしなさい」と言った途端、「自分に対する愛が足りない(関心が薄い)」と怒ったりもするからです。

子どもは全てに「自由」を与えられるより、「不自由」や「窮屈」でも、誰かと一緒に、何かに取り組む経験も求めていますし、時に「恥ずかしいこと」「つらいこと」も経験するから、他者への思いやりや優しさも学ぶのかもしれません。そして、一番、大事なのは、元気でそこに生きていてくれることにこそ、感謝しなければと思わされた「生きていれば、会える」という言葉だったのでした。
by k-onkan | 2017-04-05 23:08 | 児童 | Comments(0)

北風と太陽、どっち?

今日は、兄甥Yが母子で「フォニックス(アルファベットの発音)の講習」に出かけたことから、弟甥Kを私が監督する役が回ってきました。しかし、自宅を出る前から、「飲みなさい」と言われた薬も飲まず、目は腫れて顔はパンパンにむくみ、アレルギーの重い症状が出た上に、出発時間も遅れて、妹の激しい雷が落ちる中で我が家にやってきたようです。

e0143522_2151367.jpg開口一番、「Kちゃんは、ぐーたらするのが、一番好きなんだ」と言い出しました。私もお休日はキビキビ動きたくないので、Kの言い分も分かります。しかし、預かった以上、私にも責任がありますが、逆境に挑戦するのが好きな兄甥と違って、弟は一筋縄ではいきません。

たとえると兄甥は「北風と太陽」の「北風」によって頑張りますが、弟甥は「太陽」を好む感じがします。そこで、「ムリに勉強もピアノもしなくていいよ。一日、ぐーたらしよう」と誘ってみました。すると、「まぁちゃんたら、ひどい」と怒り出しました。「なんで?」と聞くと「お母さんに、『ちゃんとやってない』ってKちゃんが怒られるよ。それに、まぁちゃんも『やらせてくれなかった』って言われると思うよ」というのです。

そこまで想像できるのなら、なぜ、サッサとやらないのかが不思議ですが、負けられません。「いいんじゃない?やりたくないんだから、やらなくても。それで、勉強もピアノもできなくても、自己責任でしょ……」と言ってみました。「やりなさい」といっても、「ぐーたらが好き」。「やらなくていい」というと「ひどい」と怒るのですから、いよいよKも、難しい時期に入りつつあるのかもしれませんが、弟妹は、こうした面倒なやりとりにこそ、自分に注目が集まり、愛情を感じている、というのもあるのかもしれません。

Kと問答をしても、仕方ないので、私は同じマンションに住む親戚に依頼された書面作りを叔父の家ですることにしました。すると、黙々と宿題をこなし始めました。やはり、「やりなさい」というより、大人が一緒に勉強したり、働いていることが、一番、効果的な「やることをやる」というメッセージかもしれません。

宿題とピアノを終わらせて、午後からは私の知人と花見に行くことにしました。その際に、「これから会う人はKちゃんも会ったことがあって、いろいろとお仕事をお願いしている方よ。だから、調子にのって、『麻奈先生もぐーたらなんです』とか『いつも、ワーワーうるさくて』とか言ってはダメよ。たとえ、本当のことでも、家族以外の人に、余計なことをいうとKちゃんがデリカシーのない子だと思われるからね。でももし、相手が『麻奈先生は厳しいんでしょう?』と言われたら、本当のことを言うのは、いいわよ」と念を押しました。

Kの言葉などなくても、私が「面倒くさがりで、うるさいこと」は友人なら知っていることでしょう。でも、大人と付き合う時の「暗黙の了解」のようなものは、知らせておこうと思ったのでした。勉強は嫌いですが、こうした心の機微は、だれよりよく分かるのが、Kの長所なのだと感じました。
by k-onkan | 2017-04-03 23:03 | 児童 | Comments(0)

暗闇のナイスガイはだれだ!

私が以前から、「春休みにしたい」と思っていたことが新6年生のYくんと「ダイアログインザダーク」に参加することでした。異なる気質を持つYくんが暗闇を体験することで新たな経験になるのではと思い、私とYくんママ、4年の弟Kくんの4人で参加したのです。

e0143522_18361770.jpgこれまで、甥たちや友人、生徒を連れて参加してきた私には、これが4回目の「ダイアログインザダーク」でしたが、その時々「だれと」体験したかで暗闇の感じ方や印象、楽しさ、安心感が異なるものです。

仕事関係でお世話になっている年上男性と参加した時は、主導権を一切、取らずに静かに参加でき、不思議な気がしました。反対に、子どもを連れていると、常に、いろいろなことが気になってしまいます。特に、今回は4年生のKくんの行動と言動が気になり、かなり「口うるさいおばさん」になっていたと反省しています。

今回、実はとても申し訳ないことがありました。私は高学年の「口をきかなくなる時期」の子どもを持つ保護者には「ぜひ、親子で体験していただきたい」といろいろな場所でダイアログをお勧めしています。中でも長く楽院に通っているのに、無口で心を許しているかどうか、分かりづらい6年生のMくんには「ぜひ、春休みに体験してほしい」と思っていました。

この催しのどこかで、互いにすれ違うことができたら、同級生で共通の話題が持てるのではないかと日にちと時間帯だけ、合わせて申込んだところ、同じグループになってしまいました。その上、偶然、他2名の方がキャンセルされ、結果的に全員知り合いというグループで回ることになったのです。しかし、本来、グループ全員が知人の場合は、他の方法で申込みをしなければならず、本当に申し訳ないことをしてしまいました。

今回、全員知人というグループでまわって、はじめて「なぜ、ダイアログが知人は4人まででなければいけないか」を実感として理解しました。全員が知り合いだと気心が知れて安心ですが、その分、暗闇に対して大事な緊張感を薄れさせてしまうように感じたのです。

特に、子どもは知っている人ばかりだと、調子にのって大騒ぎをしたり、注意深さを失うこともあるようです。今回、よその方が参加されていたら、たいへんなご迷惑をおかけするところでした。次回は、楽院として申込み、いろいろな生徒を連れて参加できたらと思っています。

申し訳ない思いを持ちながらも、実は、これまでの4回で今回が一番、楽しく感じました。それは、全員が信頼している人で互いにニックネームで呼び合ったことで、自分が童心に返れたからでした。以前、アレルギーを持つ甥たちと来た時は、その心配から、暗闇で物を食べることも楽しむ余裕がありませんでした。また、大人の友人と参加した時には、「暗闇で自分の本質がばれたらたいへん!」という気負いのようなものがありました。

デリカシーがない発言をしたり、アテンドさんの話をきかず、うるさくして迷惑をかけても、気心のしれた生徒たちと、慈悲深いお母さんたちと、「今日、この時だけ」でニックネーム「まぁちゃん」と呼ばれ暗闇を進む経験は、自分が子どもに戻ったような気がしたのです。

今回、一番、嬉しかったのは、普段、無口でつっけんどんのMくんが暗闇では、素直で優しい「ナイスガイ」だったことでした。私が困って「誰がいますか?」というと「Mくんです」と手を触れるなど、助け舟を出してくれて、とても頼りになりました。でも、それは、暗闇の中だけで、外にでれば、いつもの無口なMくんがニヤッと笑うだけでした。

体験が終わり、地下鉄の駅に向かって歩くYくんとMくんの背中を眺めながら、私にはとても感慨深いものがありました。幼い頃のYくんはいろいろなものに拒絶反応があり、正直、同級生として付き合うのが簡単な相手ではなかったと思います。しかし、こうして二人が同級生として、共に成長したことで、互いに音楽を学ぶ「ライバル」として歌や聴音、ピアノを競いあえるようになったのです。

もし、どこかの時点でMくん親子が「一緒のクラスはイヤだ」と抵抗を示したら、Yくんに刺激されて、Mくんがこれほどまでに頑張ることはなかったかもしれないと思うからです。そして、すべては、偶然のめぐりあわせなのだと、感謝を感じたのでした。
by k-onkan | 2017-04-02 23:32 | 児童 | Comments(0)

音楽祭が終わり成長を感じる

音楽祭が終わってはじめての児童部のレッスンでした。先週末に我が家にやってきた女の子たちは懐かしそうに、「お礼の手紙」を持ってきました。そして、音楽祭以来、はじめて木下先生に会った5年生のYくんとMくんは木下先生から、「本番、素晴らしかったぞ」といって、髭をゴリゴリされて可愛がられていました。今の時代はこれも「パワハラ」だと言われてしまいそうですが、普段、簡単には褒めない木下先生から、ゴリゴリとされて喜ばれたので、二人とも迷惑そうな顔をしながらも、嬉しそうに見えました。

e0143522_21444022.jpg反対に、本番で失敗した子、いつも通りできなかった子には、木下先生は特にコメントを言いません。子どもたちは「何も言われず、叱られなくて良かった」と思う子もいれば、「声がかけてもらえず、寂しい」と思う子もいるはずです。しかし、本番でした失敗は、次の本番で頑張って忘れてもらうしかないのです。居心地が悪い中で、子供たち一人ひとりが、いろいろなことを感じていると信じています。

音楽祭が終わると、次の行事は卒業式です。10年近く勉強してきた6年生が卒業して名誉団員になる会をするのですが、その際、五年生が在籍児の代表として「送る言葉」を述べるのです。私はYくんが音楽祭で素晴らしい開会宣言を披露したので送る言葉はSくんに言わせたいと思っていました。でも、「ピアノは本番もあがらなかった」というMくんですが言葉を話したり、歌を歌ったりする方が不得手で緊張すると知っているからです。でも、私が一方的に決めると抵抗を示すかもしれません。

そこで、「5年生が送る言葉を言うことになるんだけれど、二人のうち、どっちがしてくれる?考えて」と声をかけました。その後、二人で相談していたと純子先生が教えてくれました。Yくんは、「僕は音楽祭で「開会宣言」と「独唱」と二つ出番があったけれど、Mくんはピアノだけだったから、送る言葉はMくんでお願いします」と言ったそうです。私が内心、考えていた通りだったので、偶然だとは思いますが、Yくんの配慮に感激しました。

Yくんと言えば、今回の音楽祭で開会宣言や独唱で大活躍したことで、音楽以外の面で自信のある先輩に育ってきたと感じます。児童部には低学年で凸凹の気質を持つ男の子がいます。突然、何かが気になると、私たちが何をしていっても、お構いなしに質問したりしてしまうことがあるのです。それに気づいたYくんが、「今は純子先生は聴音をしているから、僕が見てあげるから、こっちに来て」と言って、面倒を見たりするのです。

また、「できました、できました」と声を出すので、「Yくん、丸をつけてあげて」というと、1年生の楽典のプリントの丸つけまで、して「ここが違うよ」と教えていたりします。確か、夏の合宿の時はもっと迷惑そうに面倒を見ていた記憶があるため、「ずいぶん、成長したなぁ」と嬉しくなりました。子どもたちは、それぞれ、音楽祭で独唱やピアノ独奏をして、うまくいった子も反省点があった子も、それぞれに一つ乗り越えた自信と安心で成長を感じます。そして、一つ終わったら、燃え尽きるのでなく、次の目標に向けて頑張ってほしいと思っているのです。
by k-onkan | 2017-03-04 23:42 | 児童 | Comments(0)