麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
カテゴリ
全体
木下式音感教育法
しつけ
子育て
教育
お稽古事
親業
音楽
乳児
のぞみクラス
幼児
児童
名誉団員・卒業生
思春期・反抗期
自立について
運動
発達障害
保育園
楽院だより
我が家のこと
自分のこと
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
フォロー中のブログ
蛹の頃~さなぎのころ~
最新のコメント
ありがとうございます。女..
by k-onkan at 19:28
久しぶりにこのブログを訪..
by 藤本トモエ at 09:31
出演園児のお母様へ ..
by k-onkan at 06:33
一番こわいのは、マナ先生..
by 出演園児の母 at 10:48
昔、近所の顔なじみの飲食..
by k-onkan at 10:32
作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:子育て( 280 )

子育てが浄化する・・・・・・

卒業生がお母さんになって、楽院に通ってくると、私たちにいろいろなことを教えてくれます。 働くお母さんを持った卒業生ママは、お母さんが生前、「あなたは子育てに専念して」と遺した言葉を守り、わが子と過ごしています。

e0143522_746127.jpgわが子と十分に関わりながら、「自分も子どもの頃、お母さんに『こうして欲しかったのだ』という思いが湧きあがり、涙がでそうになる」と教えてくれました。きっと、卒業生ママは、子どもの頃の自分の気持ち―インナーチャイルド―とわが子を通して対話しているのかもしれません。

亡くなったお母さんの味方をするなら、私が知る限り、そのお母さんはバリバリ働きながらも、手作りの洋服を着せたり、休みの日には、家族ぐるみで出かけたり、働いていても、できることを精いっぱいしていらっしゃいました。土曜日のレッスンの後は、迎えにこられて、よく子どもたちの歌声も聞いてくださったものです。

当時、楽院には、保育園に通っているお子さんが少なかったこともあり、面接の際、まゆみ先生が「楽院に通わせるなら、引率はシッターさんではだめです。お母さんが、必ずレッスンを見てあげてください」と、今の時代なら、拒絶されそうなお願いをしましたが、忙しい時間をやりくりして、必ず、ママか一緒に働く伯母ちゃまが、窓からレッスンを見ていてくださったのです。それでも、働く親を持つ子供本人は、他のお子さんと比べて、寂しかったり、「こうしてほしい」「ああして欲しい」という思いが心の奥底にずっと残っていたのでしょう。

私は、「子育て」というのは、自分がしてほしかったことを、わが子にしながら、その時の負の思いや親への慕情を、弔うためのものなのかもしれないと感じています。自分の子どもを授かると、卒業生は、共通して、「自分がされていやだったこと」を強く記憶して、子育てにあたります。

三人姉妹の二番目だった卒業生ママは、小さい頃に「あなたは、可愛いだけでいい、良く食べていい子ね」と言われ、その通りにしていたら、いつしか、姉にも、妹に対しても自信を持てるものが、何もなかったという記憶があるようです。

3人姉妹を教えた私は、音楽に対する感覚や音感能力、そして、音楽的情感は、その2番目のお嬢さんが一番、あったと記憶しており、姉妹たちも、それに関しては一目おいていたはずなのですが、本人の記憶には、「何も期待されなかった」「何も希望を聞いてもらえなかった」と残っているようです。

そのためでしょうか。わが子を育てる上で、「どうしたいの?」「話合おう」と1歳の男児には、少し気持ちを尊重し過ぎている内に、男児はどんどん、身勝手になり、「これではいけない」とそれまでのやり方を改め、ダメなことはダメ、と言えるようになったと言います。

卒業生とその子供たちを見ていると、人間が親になるというのは、自分の親への感謝、そして、ときに、うらみつらみなど、負の感情まで、さらけ出して、自分を犠牲にしてわが子を育てる中で、気持ちを浄化させていくためのものなのかもしれない、と感じます。

確かに、自分の子供がいない私でさえ、多くの生徒たちを通して、「自分はこうして欲しかったのだ」「あんな風に扱って欲しかったのだ」と感じたことがあったのですから、お腹を痛めたわが子を通しては、もっと強く感じるはずです。


世の中では、子育てより、外で働くことの方が、女性にとって大事なことにいわれていることもありますが、子育てによって、女性が、自分の母に対して、気持ちを浄化したり、次の世代に、愛情を継承することも、女性にしかできない、大事な大事な仕事だと、私は思っています。
by k-onkan | 2017-12-06 23:45 | 子育て | Comments(2)

子育ては、ままならない!!

卒業生の女の子たちがお母さんになって、保護者として楽院に通ってくるようになり、気が付いたことがあります。それは、途中で修了した生徒と小学6年まで通い続け名誉団員になった卒業生の違いのようなものです。後者は、私たちとの付き合いが長い分、遠慮がないから図々しい、とも言えますが、彼らの方が自分の決断に腹が決まっていて、打たれ強いように感じるのです。

e0143522_14422270.jpg小学校の途中で修了した生徒は、自分がピアノや歌など、自分の責任を果たし、結果を出せば、先生から褒められ、満足できたはずです。しかし、中学生になるまで通った子どもたちは、「自分」以外の何かのために、理不尽な思いを多く経験しています。

たとえば、高学年になれば、合宿の班長を命じられ、下級生の面倒を見たり、スタンツの指導をしたりします。班員をまとめられないと「指導力がない」と叱られることもあります。どんなに「自分」だけがきちんとしていても、うまくいかないのです。自分以外の他の誰かのことも、考えることを求められていました。

また、音楽面では、年齢が大きくなるほど挑戦する課題も難しくなり、ときに、本番で思い通りに行かず、「その日のことは、一生思い出したくない」というほど絶望のどん底に突き落とされた経験もあるはずです。

男の子なら、声変わりを経験する子もいます。「自分が一番上手」だったはずなのに、世代交代をして、下級生に自分の座を譲ったり、ときに、下級生を応援する縁の下の力持ち的な役割を求められることになり、「自分、自分」と言ってはいられなくなるのです。楽院は少人数で小さな社会ですが、まるで、ミニチュアの大人の世界ほどシビアといえます。

こうした「負の経験」がある卒業生は、大人になって、さまざまな選択をする時に、迷いがありません。たとえ、迷ったり、間違えたとしても、気持ちを切り替えて、次の行動を考え、しなやかな気がするのです。また、ときに、負のスパイラルに陥ったとしても、結果的に、自分で向き合い責任を果たしていきます。

しかし、途中で修了した優等生タイプのお母さんは、「間違い」や「失敗」をとても心配します。しかし、子育てをしていたら、正しい答えは、一つではありません。また、最善を尽くしても、予測通りには行かないことばかりです。その時々、臨機応変に対応するしかないと感じます。


このことから、子どもの頃、学校で「優等生タイプ」だったママにとって初めての子育ては、いかに辛いかに気付かされたのです。なぜなら、「優等生」の人は、他人の迷惑になるようなことは、そもそもしないのです。でも、赤ちゃんはお母さんの意思とは関係ない場面で、大泣きして他人に迷惑をかけることもあるでしょう。泣き止んでほしくても、どうやったら泣き止ませるか分からなければ、外に出ることも怖くなるかもしれません。

けれど、赤ちゃんも、子育ても、自分がどんなに「きちんと完璧にしたい」と思っても、思い通りにはいかないものです。そして、わが子のために頭を下げて謝ることに慣れることができれば、どうにかなると思うのです。その間 赤ちゃんも成長し、言葉も通じるようになっていきます。それまでは、どうか、「自分の願った通りにならない」ことを、子育てを通して、経験してなれるしかないのかもしれません
by k-onkan | 2017-12-04 23:30 | 子育て | Comments(0)

一番、好きなのはお母さんだから!

4年前、はじめて、ある保育園に指導に通い始めた時に、スキンシップを求めてくる園児があまりに多く、とても不憫で、深刻な気持ちになったものでした。当事、母になったばかりの卒業生にその話をしたのですが、その時は「毎週、教えにくる音感の先生だから、子どもが懐くのでしょう?」と思ったようです。

e0143522_18512044.jpg卒業生がお母さんになって3年。最近、たまに公園で会うわが子とだ同年代の子どもから、「手をつないで」と言われたり、スキンシップを求められることが、かわいそうで扱いに困っているようです。そして、「初めて、あの時の先生の気持ちが分かった」と打ち明けてくれました。

子どもは、本当はよそのお母さんや音感の先生とスキンシップがしたいわけではないと思います。ただ、自分のお母さんがあまりに忙しかったり、心に余裕がなかったり、子どもに無関心であったりすると、子どもは、「誰でもいい」から構ってくれそうな人と関わりを持とうとするのかもしれません。

特に、「月に数回、通ってくる音感の先生」は、本来は緊張する相手であり、スキンシップを持ちたい相手ではないはずです。それでも、音感を教える際に、個々の人格を認め、一人ずつに向き合っているため、「構ってくれるだろう」と感じて、私の手に触れてきたり、足や身体にしがみついてきていたのかもしれません。

保育園に通うようになって4年。私も園児たちからスキンシップを求められることに、さほど、抵抗がなくなったように思います。それでも、日々、保育園で頑張る子どもたちには、親御さんやご親戚に愛情をかけられていて欲しいと願います。親御さんが不在の際には、日々の保育を担う先生たちと、十分に関わっていただき、たまに来る「口うるさい音感の先生」が子どもを抱いたりする必要がない方が、教育はしやすかったりするのです。
by k-onkan | 2017-10-03 23:19 | 子育て | Comments(0)

預けた方がマシ!

最近、「何度も同じことを言わせるな!いうことを聞かないやつは叩くんだ」と怒るお母さんの声を耳にする機会がありました。その後も長々と、淡々とお小言は続きましたが、私が不快に感じたのは叱っている事実より、お母さんの声に何の感情も感じられないことでした。

e0143522_1971227.jpg子どもが悪いことをするのは、子どもの仕事のようなものです。また、親がそれを諌めるのもまた、親の仕事です。ですから、たとえ、公衆の面前でも、親が子どもを叱ったり、注意することは、「親としての愛情があるのだ」と感じるかもしれません。でも、そのお母さんの叱り方に私が不快感を持ったのは、相手を支配しようとするその口調だったのです。

昔は、いろいろな場所で、お母さんが子どもを叱る場面を見かけたものです。ときに、お母さんは感情的になり過ぎて、はたから聞いて、気持ちがいい叱り方でないこともあったと思います。それでも、そこに「子どもをなんとかしなければ」という気持ちがあれば、お母さんの「一生懸命さ」を感じたものでした。

最近は、人前では叱らず、閉鎖的な空間で、八つ当たりのような叱り方をするお母さんが増えているように感じます。子ども以外、誰もいないため、過剰に叱り過ぎてしまったりすることもあり、それがエスカレートして、周囲から通報されるケースもあるようです。

私は長年、世の中で待機児童解消が叫ばれても、生まれて数年の「肌を離してはいけない時期は、お母さんと一緒にいて欲しい」と願ってきました。また、どんなに「いい保育園」が存在したとしても、それでも、子どもにとって、「お母さん」に勝るものはないと信じてきました。しかし、最近、街で見かける「お母さん」の姿に、「このお母さんに育てられるくらいなら、保育園に預けられた方が、子どもが発達を促され、幸せになるかもしれない」という母子がいることを知りました。

はじめての子育ては難しく、最初は誰にでもストレスがあると思います。それでも、子どもはお母さん唯一無二の存在として、愛を求めてくれます。どうか、子どもが母を愛し、母を求めている間に、「自分が生んだ子どもだから、親のいうことを聞いて当たり前」と思わず、子どもに親として、尊敬されるような努力をしてほしいと願うばかりです。
by k-onkan | 2017-09-04 07:26 | 子育て | Comments(0)

大人の忍耐が試されているー2-

ネットの新聞記事を見た直前、1歳8ヶ月の孫弟子のTくんのレッスンで、お母さんから、「食事の時に、何本もスプーンを使って困っている。『スプーンは1本だけよ』と言って分かるようになるのはいつごろですか?」と質問を受けたばかりでした。

e0143522_1211432.jpg私は、子ども自身が「スプーンは一本だけ」と自分で、ペラペラ言えるほど、言葉が達者にならないと、お母さんの「言葉の意味」を正しくは理解できないと思うと、お伝えました。「話す力」も「聴いて理解する力」も、どちらかだけが、一歩、先に身につくことはなく、双方が同時に発達していると感じるからです。そして、1歳8ヶ月の男児に食事のときに、スプーンを1本しか使わせたくないなら、「1本しか見せてはいけない時期」だと感じます。

これから、成長する上で、子どもに自分で「選ばせること」が大切になる時期もやってきます。でも、1歳8ヶ月は自分で選ぶ前に、「お母さんが選んで渡してあげること」も大事な時期です。子どもは、まわりの大人が、幼児期に選んでくれたことを土台に、将来、「どれを選ぶか」という価値観を備えてくと思うからです。

1歳8ヶ月の子育ては、いい日と悪い日が、交互にやってきて、心休まる暇がない、大人に忍耐が求められる時期です。なにより、子どもに厳しくばかりしても、意味のない時期とうことを、忘れずに子育てをしていただきたいと思います。とはいっても、私は、そういう時期でも、悪いことをしたら「ダメ!」と短く低く怖い声を聞かせ、子どもに「ギャー」と泣かれますが、親以外の人に「ダメ」と言われる経験も大事だと思っています。
by k-onkan | 2017-09-02 23:09 | 子育て | Comments(0)

大人の忍耐が試されているー1-

先日、ネットで、「1歳8ヶ月の男児がすぐに泣いてばかりで自立心がない。何度いっても分からない」という父親の投稿記事を目にしました。1歳8ヶ月が泣かずになんでも自分でできて、大人の話が一度で分かったら、「子育ての苦労」などないと感じます。言い換えると、1歳8ヶ月は歩けるようになったとはいえ、生活面では、まだ何も一人ではできないから、泣いたり、騒いだりして自分の気持ちを訴え主張するのです。

e0143522_11475172.jpgさて、そんな時期だということを知らず、「将来、自立した人間に育ってほしい」という希望を持つお母さんの中には、乳幼児のこの時期に突き放して育てようとする方に出合うことがあります。でも、本当に将来的に自立した人間に育ってほしいなら、乳幼児期は、きっちりと、手をかけて育てる必要があります。

よく言われることに、「子育てには「身体」を離してはいけない時期、「手」を離してはいけない時期、「目」を離してはいけない時期、「心」を離してはいけない時期がある」というフレーズがあります。

生まれたばかりの子どもは身体を離してはいけない時期です。ハイハイを覚える前までの時期でしょうか。それが過ぎると、子どもは自分から動いたり、歩こうとしたりして、自由を楽しむようになります。でも、子どもが自由に動けるからといって、物事のルールや危険なことを知らないので、親にとっては「手を離してはいけない時期」です。

この時期に、親が手を離してしまうと、自ら危ないことや人に迷惑をかけるか行動をしてしまうこともあるでしょう。そして、それが、冒頭の投稿にある「1歳8ヶ月ごろの子ども」の特徴だと感じます。少しくらい、家族の言っていることが理解できるようになったとは言っても、子どもの口から出るのは身近な単語や二語文くらいです。その子を相手に「一度、言ったら分かるはず」と信じることの方が無理だと、個人的には感じます。

この時期に、身近な大人が、一人の人間として子どもとしっかり向き合い、身の回りのことを知らせることで、更に、大人の言葉やまわりの事柄が理解できるようになります。それが、早くて2歳過ぎごろでしょうか。この時期、ドレだけ、言葉を交わすかで、その子自身が、どれほど、ペラペラとよく話せるようになるかが、左右されます。

そして、子どもが、ペラペラ話せるようになって初めて、大人が「それは、やってはダメよ」「それはやっていいよ」など、遠くから指示を出せるようになるのです。手を離して目を離さない時期です。それでも、時々、赤ちゃんのように、泣いたり、ぐずずることもあるでしょう。これは、子どもが、まだ完璧に一人立ちできるほどは、成長していないということであり、そんな時は、お母さんの手や身体に密着させて、子どもの心を受け止めてほしいと思います。

この時期、ずいぶん、生意気なことも言えるようになりますが、まだまだ、「ダメよ」と言われて、一度で聴かない時期でもあります。それは、「ダメ」と言う大人の言葉に、「どうして?」「なんで??」と理由を知りたがる時期が来るのです。この言葉に「大人のいうことは、無条件で従え」というのは、とても危険なことです。それは、「自分で考えることを放棄させること」になるからです。

親御さんにとって、「親の言葉を一度で聞く」のは、大切なこともありますが、いつでも、無条件で従わせることは、必ずしも、正しいことではないかもしれません。親であっても「これでいいのかな?」と自分で考える子が、将来、自立した人間に育つことになるからです。

また、子どもが「一度で言うことを聞かない」という大人にとっては、「同じように見えること」かもしれませんが、幼い子どもにとっては、一つひとつの事柄が別のことに見えて「やってみていること」もあると思います。子どもは、いいことも悪いことも含めて、いろいろな体験をすることで、物事を理解していくことをわすれないようにしたいものです。
by k-onkan | 2017-09-01 23:45 | 子育て | Comments(0)

みんなで協力して育てる時代!

知人が所有するアパートで、「赤ちゃんの夜泣きがひどい。自分も、子育てをしたから、赤ちゃんが泣くのは仕方ない。だがあの泣き方は尋常ではない。虐待なのではないか」と、住人から相談があったといいます。

知人は、地域の子育て支援に出向き、どうしたらいいか、相談した上で、不動産業者の立会のもと、お母さんに、「地域の子育てセンター」を紹介して、「できることがあったら言ってくださいね。近くに住む者として、手を貸すつもりはあるから」と諭して、お母さんは何度も涙を流したという話でした。

e0143522_19462760.jpgその話を聞いて、「話を聞いて、諭したからと言って、安心せずに、しばらくはよく観察した方がいいと思う」とお話しました。もし、本当に、「虐待」であって、他人から責められたと感じて、もっとひどく子どもに当たる可能性も皆無ではありません。もし、本当に虐待であっても、通報もせずに悲しい事故が起きたら、そのショックは図り知れません。

その反面、若いお母さんが初めての子どもを相手に、どうしたらいいか、分からず、赤ちゃんが泣いていても、どうすることもできないこともあるでしょう。私の身近にも、お腹を痛めて子どもの母親になったのに、言葉を話さない赤ちゃんとの意思の疎通ができず、親族に預かってもらった話は聞いたことがあります。

これからの時代は、親が家庭だけで子育てをするのは、限界があるのだろうと思います。家族や隣人、地域の人や行政など、気軽に「たすけてください」と言えるようなコミュニケーション能力、そして、子ども時代に、小さい子どもと関わる機会は、絶対に必要だと、再確認した出来事でした。
by k-onkan | 2017-08-24 19:45 | 子育て | Comments(0)

動物から人間に・・・・・・

よく育児書などで「幼い子どもが悪いことをした時には、子どもの気持ちを理解してまず、受け止めてあげて」という言葉を見かけます。子どもにも尊厳があるので、なんでもかんでも頭ごなしで叱って支配してはいけない、ということだろうと、理解できます。だからといって、「善悪の区別」を教えなかったり、子どもの好き放題の全てを許していいというわけではないように思います。

e0143522_18463587.jpgしかし、世の中にはこうした育児書などの言葉を信じて、幼い子どものしたい放題を許し、その結果、親御さんをはじめ、誰のいうことも聞けない子に育ち、外に出すと、よそのお子さんに怪我をさせたりなど、「何をするか心配で外にいけない」とお母さんの心の負担になるほどの事案が増えています。

個人的には、「頭ごなしに叱ってはいけない」というのは、子どもが「人間らしく」成長して物事を複雑に考えられるようになってからのことではないか、と思います。まだ、年齢が幼く、善悪の区別もなく、心の赴くまま、興味を持ったものに近づき、気になったものに触るうちは、本能のまま動く、動物のような存在なので、「いいこと」をしたら、高い声で派手に褒め、悪いことをしたら、「コラ」「ダメ」と瞬間的に怖い表情と低い声を出して、知らせる方が、子どもにも分かりやすいと感じます。

大人の厳しい声で、「していること」を止めたり、「泣いたり」など、なんらかの反応があって、それから、「気持ちを受け止めること」ではないか、そんな話をしたところ、男女ともに「同じかどうか」という質問を受けました。

基本的に、生まれて数年は、男女であっても、同じように教えるでしょう。しかし、女児は、脳の分化が早い分、発達も早いため、「動物の調教」のように「いいか悪いか」を教える時期は、早く過ぎて、「どうして、それをしてはいけないか」「なぜ、するのか?」など、丁寧な説明が必要になります。反対に、男の子の中には何歳になっても「余計な説明をされるより、「やるならやる」「やらないならやらない」。はっきりしてほしい」というタイプもいます。

甥兄弟は、男児ですが、大勢の大人の話を聞いたり、他の人の都合を理解したり、など、生活環境の中から、男の子にしては説明を理解したり、他人の気持ちに寄り添ったりが、得意な気がします。けれど、そんな甥たちも、最初の頃は、「髪の毛をひっぱったら、引っ張り返す」「かみついたら、かみつく」と、動物のように身を持って教えていた時期もあるのです。
by k-onkan | 2017-07-05 23:44 | 子育て | Comments(0)

子供たちに愛情を注ぐ

最近の悲しいニュースといえば、幼い姉弟を残し、若くしてこの世を去った元アナウンサーで歌舞伎役者の妻の訃報でしょう。同じ病気を持つ人の支えになりたいと入院中もブログを書き続け、最近、そのブログは英語に訳されていると聞きました。

e0143522_22264957.jpgその歌舞伎役者が子どもたちを、通称「夢の国」、千葉県にある遊園地に連れて行ったことが写真に撮られ、「こんなにすぐに遊びに行くなんて亡くなった方がかわいそう」との批判を受けているという話をネットで目にしました。

私は、幼くして母を亡くした姉弟の「父親役」だけでなく、「母親役」までこなそうとするこの役者の気概が切なくもらい泣きしそうになりました。それは、故人の忘れ形見である姉弟に愛情を注ぐほど、この役者さんの故人への愛情の深さを感じるからです。同時に、誰かを「かわいそう」と言いながら、誰かを強烈に批判する力の恐ろしさも感じます。

若くして病気になり、夢半ばでこの世を去った女性は確かに気の毒です。けれど、その女性は最後の最後まで、母として妻として、精一杯、生きられたと思うのです。それを、誰かが「かわいそう」というのは、とても失礼な気がします。

また、不憫なのは亡くなった本人だけでなく、一番必要な時期に母を失った子どもたち、妻を失ったご主人も十分につらいことでしょう。ひとときの悲しみを忘れ、親子で「夢の国」を楽しんだことは、きっと故人にとって悲しみより、むしろ、喜びを感じられたかもしれません。

芸能人は私生活を公にするのが当然のように言われますが、ここまで、すべてを暴かれることが、当たり前だと感じない心でいたいと、個人的には思うのです。そして、何より、亡くなった女性の大切な忘れ形見たちが、ゴシップのタネにされたりせずに、心穏やに成長できることを、願わずにはいられません。
by k-onkan | 2017-07-02 22:26 | 子育て | Comments(0)

働くお母さん、負けないで

働くお母さんにとって、幼児のお稽古ごとを継続させるのは、つくづく難しいものだと最近、感じています。働くお母さんは、毎日、幼い子どもの心の浮き沈みに付き合っているわけではありません。そのため、貴重な休みの間に、子どもの癇癪や抵抗に出合うと、負のパワーに心が折れそうになってしまう、その気持ちも理解できます。

e0143522_20542956.jpg専業主婦のお母さんを持つ子どもであっても、自分のお母さんが他のことに目を向けると「もっと構ってほしい」「もっと遊んでほしい」「もっともっと」と全身で愛情を求めるものです。それほど、幼な子が母を求めるのは、凄まじいパワーがあると感じます。

そのパワーを全身全霊でぶつけあうのが、子育てかもしれません。どんなに、お腹を痛めたお母さんであっても、「わが子が可愛くて、愛しくて、大好き」と心の底から思える日もあれば、「どうして困らせることばかりするの?」と途方にくれる日も多くあり、心が折れそうになるといいます。

まして、家族のために忙しく働き、わが子と一緒の時間が少ないお母さんは、子どものわがままや心の機微に振り回されたり、対応することに免疫が多くないように感じます。たまの休みに、子どもが凄まじい勢いで、泣いたり、怒ったり、抵抗したりすると、ただ、ただ途方に暮れてしまうのかもしれません。

それでも、せっかく、「何かのお稽古ごとをはじめたり、教育を受けさせたい」と一度は思ったなら、子どもが泣いても、簡単に心を折られることなく、お母さんに頑張ってほしいと願っているのです。

なぜなら、今は「お稽古、イヤだぁ」と泣き叫んだ子どもでも、後になって、「もっと音楽ができたら、良かったのに」とか、「あの時、嫌がっても、最後までやらせてくれたらよかったのに」などと、大きくなってから、親を責めたりするのが子どもだからです。

今、子どもが「イヤだ、イヤだ」と泣くからと、短絡的に、すぐにやめさせてしまったりしないでください。子どもの「イヤだ、イヤだ」は「ママと一緒にいられないこと」をイヤだと言っているだけで、実は、「お稽古」がイヤだ、とは限らないのです。その証拠に、お稽古が終われば、すっきりとした顔で何かをやり遂げたと思って、堂々とした態度で帰っていくのです。但し、その自信を得るためには、いろいろ、たいへんなことや疲れることがあるから、お稽古前にグズグズ言って、お母さん「頑張ってきなさい」とエールを送って欲しいのかもしれません。
by k-onkan | 2017-06-30 23:52 | 子育て | Comments(0)