麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:保育園( 34 )

目を見て、話を聞いて!

「音感の先生は、台風や雨とやってくる」といわれるくらい、なぜか、火曜日は悪天候なことが多いようです。今日も「春の嵐が吹く」という気象庁のニュースで、いつもより早めに家を出たのですが、到着したらいつもと同時刻で、その頃にはすっかりいい天気になっていました。

e0143522_19505663.jpg3歳児にとっては2回目の音感のお稽古です。第一回目のお稽古では「名前を呼ばれたら、返事をすること」「物には名前があること」「色にも名前があること」を教えて、「音感教育」を行う準備を整えました。最初のレッスンから1週間、担任の先生にも名前を呼んだら目を見て返事をすること、クレヨンの箱から指示されたクレヨンを取り出して色を塗るなどの練習もしておいていただきました。

「おはようございます」と部屋に入ると、子供たちからも嬉しそうな挨拶の言葉が返ってきました。「すごい風だったわね~」というと「飛ばされそうになっちゃった」とか「雨はもう降っていなかったよ」など、月齢が大きく口が達者な三歳児が一斉に話しはじめました。

保育園に通うお子さんたちは、誰もが「自分の話を聞いてほしい」と思っているのか、我先に話しはじめると、他人が聞いていなくてもお構いなしで話し続けるように、私には見えます。自分のいいたいことを言えば、「誰かに聞いてもらったような気」になるのかもしれませんが、実際は一方通行です。自分の話をきちんと聞いてもらえないのに、相手の話に耳を傾けられるようにならないでしょう。

そこで、音感のレッスンを始める前に、一人づつ、話していい時間を作ってみました。「すごい嵐だったね。風は大丈夫だった?」「朝、雨は降っていたの?」「保育園には誰ときたの?」「自転車できたの?」「車は何色なの?」「誰が運転したの?」など、答えやすい質問を全員にしてみました。無口な子でも「誰と来たの?」と聞かれたら、「パパ」「ママ」と言葉が返ってきます。そして、まわりの子にも、「○ちゃんは誰と来たって?」「△ちゃんの家の車は、何色だって?」と質問をしてみるのです。すると、関係ない子も興味を持って話を聞くようになります。

全員にたった一言二言、話をさせるだけでも、結構、長い時間が必要です。しかし、子供たちに「目を見て自分の話を聞いてくれたから、次は麻奈先生の話も聞いてみよう」と思わせるためには、大切な時間です。実際に話を聞いた後では、前回以上に「音感かるたの説明」に目を輝かせてくれました。

しかし、可能であれば「音感の時間」に一人ずつ発言する時間を持つのではなく、毎日の家庭生活や保育園で親御さんや担任の先生方に、目を見て話を聞いてもらえていると、子供は満足して、「音感の時間」は心置きなく、音感に取り組めるにようになるはずです。

3歳児に質問をするときに、私が気を付けているのは、決して「どうだった?」などの曖昧な聞き方をしないことです。低年齢の幼児にはなるべく具体的で答えやすい質問を心掛けましょう。但し、幼稚園や保育園の先生は、「全員平等に話す機会を与える」と言われると、「同じ質問」を全員に平等にしがちなので、気を付けてください。

子供たちは同学年でもそれぞれ言語力や観察力、理解力に差があります。「すごい天気だったね」と言って「飛ばされそうなほど、風が強かった」という子もいれば、天気の良し悪しに気付かない幼い子もいるでしょう。大事なのは子供が答えたくなるような質問をすることであり、決して、先生が「答えてほしいこと」を言わせる質問であってはなりません。

保育園で音感を教えるようになって今年で3年。「音感教育」を行う上で、子供たちに身についていない能力をプラスするために世間話をしたり、いろいろな体操をさせたり、さまざまな工夫しながら気づいたことがあります。それは、保育園の先生も親御さんも、仕事で忙しいこととは思いますが、それでも「もっと目を見て、一人ひとりの話をよく聞いてあげてほしい!」ということです。子供たちはまわりの大人との会話や関わり方によって発達が促されます。どうか、子供が静かにしているから安心と放っておかないでいただきたいのです。

その昔、保育園より幼稚園の子どもが比較的、大人の話を聞けたのは、家庭で自分の話を聞いてもらうチャンスが、保育園に預けられる働くお母さんの子どもよりは多かったからだと感じます。でも、今は幼稚園でも前後にお預かり時間を付けると、保育園並みの長さで、預かっていただける幼稚園もあり、「幼稚園だから安心」「保育園だから心配」ということはありません。それぞれの家庭で、わが子の話に耳を傾けたり、子供の話を興味を持って聞かないと、小学校に入っても、集団の中で、先生の話に耳を傾けられない子どもが育っていくかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-18 19:49 | 保育園 | Comments(0)

最後のお稽古、楽しかったね

今日は2年間、木下式を教えた保育園の年長児の最後のレッスンがありました。子どもたちは「今日が最後の音感だ」と言いながら、楽しそうに音感かるたや歌唱曲に取り組みました。前回で、音符書き教材がすべて終わってしまい、鉛筆を使う時間が余ったのです、「音感について好きなことを書く時間」にしました。

e0143522_19222174.jpg子どもたちから「おんかんかるたがたのしかったです」「たいそうがじょうずになりました」「のーとで100てんがとれました」「ぴあにかがじょうずになりました」「よもうがたのしかったです」「おとがわかるようになりました」「どれみふぁそらしどがじょうずになったのが、うれしいです」「たかいこえがでるようになりました。まなせんせいだいすきです。2ねんかんありがとうございました」など、可愛いメッセージがいっぱい集まってきました。その中には、お休みが多かった男の子の「おんかんかるたがじょうずになりたいです」というものもありました。

e0143522_22520129.jpgこの保育園ではピアニカに「音感かるたのシール」を貼っていただきました。そして、ふだん、音感のお稽古で歌う「音階記憶唱」や「おんぷをよもう」もピアニカでふく練習をしてきました。小学校に入って音楽だけは苦手意識を持たずに取り組んで欲しいとの思いからでした。そのため、多くの子どもたちがピアニカを弾けるようになったことを感想に書いており、私も嬉しくなりました。

お稽古が終わると、「2年間、お世話になり、ありがとうございました。ばら組からです」と一番、手のかかった男の子二人がプレゼントを持ってきてくれました。「子どもたちが描いた麻奈先生」がいっぱいついたカレンダーでした。帰り際、子どもたちに「また、いつか会えるかなぁ?」とか「今日は6時までいてよ」「まな先生、卒園式はくる?」などと言われ、とても感慨深いものがありました。

昨年は、音感が嫌で泣いていた子もいたため、担任の先生は「音感の時間は子どもたちにとって苦痛な時間ではないか」と悩んだこともあったそうです。しかし、2年間、木下式を受けた子どもたちは歌詞や言葉の記憶が早くなり、集中力の持続時間が長くなるなど、小学校に入学するにあたって自信が着き、日常生活で困ることが減ったそうです。

何より、嬉しかったのはそのクラスで月齢が小さく成長が遅かった子どもたちも、みんなと一緒に音感に取り組めるようになり、生活の中でひらがなや数字に興味を持って学ぶことを楽しめるようになったことだといいます。今では、この音感の時間は、子どもたちにとって、必要なことがたくさん詰まっていたと思えるそうです。

2年前は、どうなることかと思うほど、集団行動が苦手だった子どもたちが、今では、全員背筋を伸ばして、大きな口を開けて、一生懸命、歌うようになりました。その姿にとても感慨深いものがあります。この子たちを教えさせていただけた二年間は、私にとっても貴いものです。もう会えないと思うことは寂しいですが、「いつか、立派になって会いに来てね」と言ってお別れしました。
by k-onkan | 2017-03-14 23:21 | 保育園 | Comments(0)

保育園の3年間を振り返って…-3-

保育園には「楽しくて、容易でなく、親子で苦しい思いをするなら、幼児期の土台作りも好ましい生活習慣も諦める」という親御さんもいるかもしれません。しかし、それでは、将来、他人の役に立つ大人には育たないこともあるのです。「他人の役に立つ」というと弁護士や医師、政治家になると誤解されると困るのですが、誰かのためを願って行動できる人が「他人の役に立てる人」です。残念ながら、幼い頃に自分本位な育て方をされた人が成人してから性質を変えるには、かなりの覚悟と努力が必要です。だからこそ、幼児期に「非認知能力」を育てる幼児教育が大事だと思うのです。

e0143522_205842.jpg幼児を相手にする教育は、日によっては「やりたくない」とごねられる日も多くあります。どんなに幼児が好む指導法を考え、先生の言葉に耳を傾けたくなる教材が用意されていても、人間はロボットではないため、計算通りにはいかないものなのです。

最近、指導にいった保育園でも、「今日はやりたくない」というお子さんがいました。ちょうど、年中組で身体表現(音楽に合わせて、行進や駆け足、ジャンプをする課題)をしていた時のことでした。男の子に「走るときは手を腰にしよう!両手を下げて走るのは、格好悪いからダメ!」と指摘すると、それが気に入らなかったのか、以降、ずっと部屋の角に立ち続けたのです。

何度か、「ノートをするけど、一緒にやらない?」とか「次はかるた取りだけど、やらなくていいの?」と声をかけたのですが、絶対に首を縦には振りませんでした。普段、とても人懐こく、音感も喜んで取り組む男の子だったので不思議に思っていると、担任の先生は、「朝からお母さんといざこざがあって調子が悪いのです」と教えてくださいました。なんでも。お母さんは年長のお姉さんを連れて病院に行かれたそうなのです。

一日の全てのレッスンを終えて応接室にいた私のところに、その男の子が担任の先生に連れられて、やってきました。「来週はやります」と照れながら言っていきました。「どうしたの? お姉ちゃんだけ、どこへ行ったの?」ときくと「病院」と言う答えが返ってきました。「もしかして病院でもいいから、お母さんと一緒に行きたかったの? だから、怒っていたの?」と聞くと、「うん」といいます。子どもにとって、それほど、お母さんと一緒にいられる時間は貴重なのでしょう。私が「じゃぁ、来週は一緒に勉強しようね」と言ったたえ、男の子は安心して自分の教室に戻っていきました。

ただし、私が、「やりたくない」という子に、「今日は休んでもいい」と許すのは、「1回だけ」です。お母さんとの諍いがあって、男の子の気分が悪かったことは理解できます。しかし、それは、音感を教える「私のせい」ではありません。それを履き違え「今日はかわいそうな目にあったから、いいよ」と許していくと、「悲しいことがあったら、自分は何をしても許される」と思ってしまうかもしれません。

だから、いつまでもレッスンに参加しないでいると、「このクラスは音感を勉強するクラスです。やりたくないなら未満児の組へ行ってください」と厳しいこともいうこともあります。たとえ5歳児でも、「そのクラスの一員として、果たすべき責任はある」ことを教えたいのです。また、誰か一人でも「やらないこと」と許されていたら、他の子もそのうち、みんな「やりたくない」と言い出すでしょう。

幼児期に、自分の責任を果たす、人に責任転嫁をしないなどを教えるのは、すごく難しいことですが、同時に、とても大事なことだと思いいます。ですが、子どもが「ぼくは、音感は向かない」と「やらない理由」を持ってしまったら、どんなに効果がある教育でも、子どもの能力を開花することはできなくなってしまうのです。だから、せっかく、はじめた音感のお稽古は、向き不向きや、好き嫌いだけで判断することなく、その保育園に通う子どもには、「当たり前のこと」であり続けることを願っています。
by k-onkan | 2017-03-08 20:05 | 保育園 | Comments(0)

保育園の3年間を振り返って…-2-

木下式を初めて採用した保育園に、最初に足を運んだ日は、たいへん驚きました。それは、30名の年長児が全員、まるで自分の世界に閉じこもっているかのように受け身だったからでした。名まえを読んでも返事の声はほとんど聞こえない。色彩名を知らない子、ひらがなの読み書きを知らない子も多く、私の人生の中で、はじめてであった子どもたちでした。

e0143522_1520510.jpgそこで、最初にしたのは、それぞれが意識を持って音感かるたの意味づけ語を口ずさめるように、最大限の声で参加させることでした。きっと、子どもたちには迷惑なことだったでしょう。空想の世界に住んでいれば、傷つかないで済みますが、意識を持って生活すると、子どもたちには、年長児として知らないこと、分からないことがあまりに多くあったからです。そのため、全員が「歌うことが大好き」と思うまでの9か月の間は、「麻奈先生がコワイ」「音感の日は、保育園に行くのがイヤ」と抵抗する子も多かったはずです。

現在、年少から年長まで3学年に音感を教えていますが、どこの学年の子どもも、音感かるたの意味づけを覚え、音符の読み書きが分かるようになって歌うことに自信が持てるようになると、自分から音感に参加するようになります。すると、もう「麻奈先生がコワイ」とはいなくなります。もちろん、あまりに目に余るワガママをすれば、時々、厳しい声で叱ることはありますが、何を注意されているか、分からず怖いということはないはずです。

特に、今年、卒園する年長児は、2年間音感を教えたため、遠慮なく私に言いたいことを言い、「来週で、音感が最後だね~」と世間話をしたりします。音感を教えはじめた頃に、「麻奈先生がコワイ」「音感が嫌い」と言った子ほど今、私に懐いていると感じます。きっと、違う声を出す度に、「その声はダメ」と本当のことを伝えながらも、最後まで諦めずに教えたからではないかと思うのです。同級生に比べると、発達が遅かった子も含め、全員が音符を書いて、楽譜を読んで人前で歌う楽しさを知っています。

子供たちが音感の時間を楽しみにしてくれるようになって、私も保育園で教える時間も心が折れそうにはならなくなりました。実は、相手が子どもでも、イヤだと思っている相手に踏み込んで教えるのは、相当なストレスがあります。ただ、依頼をいただいたプロとして指導する責任があるから、心が折れそうでも投げ出せないのです。

私にとって保育園のお子さんの指導も凸凹っ子の指導にも共通点があります。それは、望んでいない相手をt閉じこもった世界から、こちらに呼び戻して、音感のレッスンに参加させることです。どちらにも一日も早く、わかる楽しさを知らせ、褒める機会を作り、自己肯定感を高めさせ、子どもの生きる土台を作ることを目的にしています。

本来、「教える」という仕事は、相手が興味や好奇心を持って、教わることを望んでいることが、一番、好ましいと感じます。しかし、幼児期の習慣づけや土台作りは、子供が望んでいないことがほとんどです。なぜなら、他にもっと楽しいことがたくさんあるからです。それでも、人間形成のため、教育やしつけをする必要があるから、大人にとっても、子供にとっても、多少は苦しいのは当然です。長年、いろいろな子供を教えてきた私が到達した結論は、「簡単に心地よく、効果がある教育やしつけ」など、残念ながら、存在しないということでした。
by k-onkan | 2017-03-07 23:18 | 保育園 | Comments(0)

保育園の3年間を振り返って…-1-

保育園の指導に出かけるようになって3年が経過しました。その間、保育園の持つ課題を感じながら、私は「345歳児に音感教育をして、子どもたちは音符の読み書きをはじめ、音楽の基礎を身につけました。

e0143522_1420370.jpg「認可保育園」は役所によって園児が割り当てられるため、たとえ、保護者の考え方や教育観が異なっても受け入れなければならない「応諾義務」があります。言い換えると、同じ保育園で育つ子どもであっても、しつけや教育に対してまったく考え方が異なる園児と一緒に育っていくのです。

「それの何が問題なのか?みんな違って、みんな自由でいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、幼児期は人間の土台をつくる時期です。善悪の区別や人に対する思いやり、友達との付き合い方などを学びます。その時に、大人に共通した考えがないというのは、実はすごく不安があるのです。

なぜなら、友達を押しのけても、友達のものを取り上げても、友達を傷つけても、先生が「子供を傷つけてはいけない」という考えに縛られ、何も言えないと、善悪の区別は教えられないからです。また、保護者の方も「子どもが悪いことをしたら、叱って欲しい」と思う方もいれば「保育園が嫌いになるから、悪いことをしても嫌な気持ちにさせないで」という方もあります。すべての保護者の希望をかなえようと思うと、結果、「何もしない」ことになってしまうかもしれません。

そんな環境の中、私は木下式を教え始めたのです。教育に対しても「小学校の準備は幼児期が大事」と思う保護者もあれば、「勉強なんて小学校に入ってからでいい。幼児期は遊ぶだけでいい」という保護者があるのですから、音感教育に対しては「音楽は情操教育になるから、ぜひやってほしい」「音楽で就学準備ができるのは好ましい」と考える方もいれば、「とにかく保育園を嫌がる原因になることはしないでほしい」と感じる方もあったことでしょう。

一般的に、子供というものは、基本、大人が決めたことを受け入れていきます。たとえば、親御さんと一緒に過ごしたくて離れたくなくても保育園に来たら、置いて行かれるでしょう。中にはすんなり受け入れる子もいますが、いつまでも大泣きを続けたり、荒れて友達に八つ当たりする子もいるのは当たり前のことなのです。そして、毎日、保育園で働けば、日常茶飯事なのでしょうが、部外者の私には、泣き続ける子供の声が不憫で、本当に心が痛んだものでした。

ほんの一言、お母さんが子供を思って、声をかけてくだされば、保育園で寂しくても自己肯定感を持って頑張れたりすると思うのです。でも、少し優しくするともっと離れ難くなったり、到着前からうるさくなることから、子どもに説明もなく置いていく方も多いようです。置いていかれた子どもは、大好きな親御さんに裏切られたという不満から、保育園中に響く声で泣くのです。

子供が泣きたい時は、「泣きたいだけ泣かせてあげて」と親切のように、言う大人の方もいますが、「いい映画を見てストレス解消に泣く」のと、「置いていった親御さん」を恋しがって泣くことは同じ涙ではありません。幼い子の「大泣き」には悲痛なまでのSOSが隠れていると感じるのです。泣いている原因を解消せずに、泣かせっ放しにすることはネグレクトのように感じられ、私には、それが一番苦痛だったのでした。

最初は、保育園に置いて行かれることに泣いて抵抗を示していた子も、いつしか諦めて泣かなくなっていきます。親御さんや先生は、「聞き分けが良くなり、いい子になった」と喜ばれるかもしれませんが、私には、諦めたんだと感じます。親御さんに期待することも、親御さんと一緒にいたいと希望することも、「もういいや」と思ったのだと思うと、せっかく、縁あって親子に生まれたのに、と寂しくなるのです。

もちろん、子どものことを一番に考え、泣く子を抱きしめたり、説明したり、親代わりをして、きちんと土台作りをする保育園もあるでしょう。けれど、そのためには、応諾義務があっても保護者にきちんと「園の方針」を自信を持って打ち出せる責任者が存在して、保育士の先生たちも、自信をもって忠実に園長の言葉を守れることが、大前提だということに気付かされました。
by k-onkan | 2017-03-06 23:18 | 保育園 | Comments(0)

待機児童が減ったら幸せにはなれるの!?

インターネットの記事などを見ていると、年齢が低いうちから保育園に通わせることが、子どもにとって「いいこと」と考える人がかなり存在するようです。集団での活動を楽しめるようになる4歳以降ならともかく、生後2ヶ月から「社会性」や「自立」を目指して集団生活を始めることは、「なんと不憫なことか……」と心配を通り越して憤りさえ感じてしまいます。

e0143522_2028043.jpg私がそう考えるのは、理由があります。0歳から1歳半ごろまでは、「特定の大人――親もしくはそれに準ずる人――」と愛着を形成することがとても大事です。この時期に、しっかりと親子で愛情と信頼を育まないと、後で、「愛着障害」などの問題が起こることがあると言われています。そういう問題点が分かっているはずなのに、「3歳から保育園に入園するためには、なるべく早めに保育園に預けた方が有利な仕組み」であったりします。せっかく、縁あって子どもの親になれたのに、愛着の時期に親子が離れるのは、どんな事情があるにしても、とても寂しいことに私には感じられるのです。

保育園は10人の子どもがいたら10個のおもちゃがあるところです。これは、保育園の本来の設置目的が、「保育に欠ける家庭の子を預かること」にあり、親元で与えられる一人一個を保育園でも用意しているということでしょう。反対に、「3個のおもちゃを10人で順番で譲り合うことを学ぶ」のは、長年、教育を行う幼稚園の管轄でした。しかし、これを冷静に考えると、保育園にいる10人の幼い園児たちは教材や用具だけでなく、「10人の大人の手と愛情」が何より一番、必要なのです。

先日、ある保育園の指導にうかがうと、3歳児のクラスの29人の内、約半数が「インフルエンザ」にかかり、出席者は16人だけでした。私が音感を指導する間、二人の先生が補助につき、大人3名で16人の3歳児と関わったことになります。単純に計算すると、「大人1人が5人強の3歳児」を見たのです。

通常に比べると、かなり手厚く一人ひとりの話を聞き、それぞれに必要な援助を与えることができましたが、実際は園児6人に大人1人を配置できるのは1~2歳児であり、3歳児は園児20人に保育士1人が配置の基準です。毎回、音感の指導にいくたびに、それぞれの子どもが「麻奈先生、麻奈先生、ボクだけを見て」というオーラを出して接してくるのは、当然のことかもしれません。

この3年間、毎週、保育園で指導をして確信を持ったことがあります。それは、園児の中で、「社会性がある子」は、家庭にきちんとした会話がある子どもであり、0歳児より保育園に預けられ同級生とじゃれあってきた子どもは、「言葉以前のコミュニケーション」で関わっていても、大人が求める言語力のある社会性はあまり身についていないことが多いと感じます。

特に、「教えること」を生業とする私が心配なのは、保育園で育つ子どもは「大人から物を教わる」より子ども同士を見て人の真似をして「できた」と錯覚し初期教育を習得しづらく育っていると感じることです。とはいっても、私がどんなに「保育園ばかりになること」を反対だと思っても、それが日本中の大勢のお母さんの希望であれば、今後も幼稚園は減り、保育園が増えていくことでしょう。でも、それが子供の幸せにつながっていかないのは心配です。

これからの保育園は、いくつかの方向へ進むと言われています。スケジュールをすべて管理するお仕着せ教育、英語や音楽など専門的なことを施す目玉保育、日々の生活を教える生活教育、何もさせず遊びが教育などです。どこの保育園がいいかどうかは、それぞれの親御さんに判断をお任せするとして、どんな種類の保育園でもイキイキと過ごせる子に育てられるのは、家庭で親御さんがどのように関わるか次第です。そして、私がいろいろな「保育園」を見て思うことは、どんなに「いい保育園」であっても、「いい先生」であっても、子どもにとって親に勝るものはない、これだけは保育者も親も絶対に忘れてはいけないということです。

幼児たちが通うのが幼稚園であって、保育園であっても、子ども時代は「生きて何か知ることが楽しい」と感じられるよう、好奇心を伸ばせる環境に育ってほしいと思います。また、幼児期は好奇心だけ伸ばせばいいと就学時に「文字も読めない、数も知らない、学校の勉強に最初から苦手意識を持つようなこと」だけはしないでほしいと願っています。学校の勉強は、できる子には楽しいものですが、最初につまずくと、嫌いになってしまいます。そして、嫌いになると、非行に走ったり、問題行動を起こしやすくなってしまうのものだからです。

子どもにとって幸せなことは、待機児童をなくして親から早期に離されることより、遊び心や好奇心を大切にしながら、将来、働く大人になるための基礎教育を「楽しく学べる人に育てること」が、これからの時代に重要なことではないかと、私は思うのですが……。

by k-onkan | 2017-02-10 20:28 | 保育園 | Comments(0)

頑張っていること、忘れないで!

お正月休みが明けて、久しぶりに保育園の指導がありました。子どもたちは、「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と元気いっぱいです。それぞれの学年で、お正月をまたいだ成長を感じました。その中で、3歳児クラスには、少し荒れていたお子さんもありました。お正月休みで、両親と一緒の時間が楽しければ楽しいだけ、親御さんと離れる際に悲しかったり、保育園の生活に馴染めなかったりしているのかもしれません。しばらくは、子ども自身が気持ちを調整する時間が必要かもしれません。

e0143522_19581727.jpg保育園に教えに行くようになって子どもたちが不憫に感じることはよくあります。お母さんとの別れ際、「いかないで~」と言ってギャーと泣き続ける子を見かけた時。お母さんの前ではいい子なのに保育士の先生に凄まじいわがままで抱きついて甘える様子を見たりする時。子どもたちは、本当は他の誰でもなくお母さんに受け入れて欲しいはずなのに、とりあえず、誰でも構ってくれる人に、愛情をかけてもらおうと、私にさえスキンシップを求めるときなどです。

どんなに保育園で美味しい給食を用意してくださり、きちんとした教育環境があって、素敵なおもちゃがたくさん用意された最良の環境であっても、素晴らしい場所だったとしても、それでもなお、未就学の幼児にとっては、「親と一緒にいる時間」が一番、嬉しく、幸せなことだと思うのです。こういう幼児たちの小さな我慢の積み重ねを見かけているゆえに、「保育園がたくさんできて、子育てが楽になればいい。保育園に預けるのは、子どもの発達にとってもいいことだ」と無条件で、信じ込まないでいただきたいと思うのです。

どんなにいい保育園で愛情にあふれている保育園でも、先生たちが素晴らしい人格者であっても、それでも、幼児は環境の変化を受け入れること、親から分離させられることに、幼児は泣くのです。それほど、子供にとって、親は絶対的な存在で、愛着の対象なのだと思います。

もちろん、子どもたちは、どんな環境にもそれなりに柔軟に対応して、それなりの楽しみを見つけ、逞しく育っていきます。親がつらくないようにと言って、「保育園に預ける間は、子供が嫌がらないように楽しいことばかりさせて、しつけもせずに、悪いことをしても注意もしないでほしい」となると、その子が、近い将来、小学校に入る時に、かえって困るだろうと感じます。親と離れて不憫な分、小学校で、それ以上に、不憫にならないように、親元で育つ子が当たり前にできることはさせておきたいと思いながら、音感教育をしています。

保育園で育つ子の中には、とても賢くて他人の気持ちがよく分かる子も多くいます。だからといって、「保育園でもいい子に育つ」と安心し過ぎて、子どもの気持ちを顧みない親御さんにはならないでいただきたいと思うのです。保育園で育ったいい子が、学校に入ってから、自分を出せないこともありますし、これまで「いい子に育っている」ということは、それなりに子供も多くを我慢をしてきているはずです。ご両親が働いている時間、子供たちも保育園で、ただ遊んでいるだけでなく、親から離れていることを耐えて頑張っていることを、忘れないであげてほしいのです。
by k-onkan | 2017-01-10 23:52 | 保育園 | Comments(0)

病気でもお母さんと一緒が嬉しい!

定期的に指導にうかがっている保育園で、今年最後のお稽古がありました。先週、この園ではウイルス性の胃腸炎が流行したとのことで、音感のお稽古もお休みとなりました。園児の半分以上が欠席になるほど大人数の園児が感染すると、二次感染が起きないための配慮が必要なのでしょう。

e0143522_1945157.jpg働く親御さんにとって、子どもが病気になると仕事を休まなければならず、死活問題だと思いますが、子どもたちには、ひとときの貴重な家庭保育の時間だったようです。特に年少クラスでは、普段、みんなの和を乱しがちな男の子たちが、とても落ち着き幸せそうだったことが印象的でした。たとえ、病気であっても、大すきなお母さんと一緒に過ごす時間は男の子にはとても重要なのでしょう。

反対に、普段しっかりしている女の子が家庭でお母さんに甘え過ぎたのか、刺激的なことが足りなかったのか、病後だからなのか、わかりませんが、いつもより、ぼんやりしていたように感じました。

年中、年長の子どもたちは、お休みになる前の生活発表会を経て、それぞれに成長を感じられました。1年前は身勝手な行動で、まわりとの諍いが多く、みんなと一緒にお稽古ができなかった女の子が落ち着いていたり、理解力が不足していた子が、隣の子に教えている姿が見えるようになり、人間としての進歩があるようです。

幼児教育の世界に身を置くと、「賢い子は飽きやすく、遅れている子は諦めやすい」という事実があります。しかし、木下式の訓練は賢い子にも地道な努力を求め、遅れている子には諦めずに取り組み続けることを教えます。このことが、音楽以外の能力を伸ばすことにつながっています。

さて、新年があけると、音感のお稽古は、残すところ3ヶ月です。年長児には就学に向けて、年少・年中児は新たな成長に向けて、どこまで伸ばせるか、心ひそかに期待しているのです。
by k-onkan | 2016-12-20 23:43 | 保育園 | Comments(0)

全ての子どもに配慮を!

最近、保育園の先生が言われる「教育」と私が考えている教育の違いを感じることがありました。それは、ある保育園で、「音符書き教材」をしていた時のことでした。木下式の教材は子ども任せの活動にならないよう、一つ一つ大人が「できているかどうか」を確認して丸をつけるのですが、その保育園では「早く書ける子」が待ちぼうけを食らっているように感じたのです。

e0143522_18305730.jpg木下式は、幼児期の子どもの能力を最大限、引きだすために、幼児が解答を書くや否や、指導者は素早く赤で丸をつけます。大人の素早い行動から、幼児は「もっと、早く書こう」と競争心をもって、取り組むようになるからです。

ところが、その保育園では、「話を聞いていない子」「手がかかる子」に大人の手がかかり、きちんと先生の話を聞いて、正しい答えを書いている子は、意欲を失うほど、長く待っています。

私は、「まず、頑張った子を先に認めて丸をつけてほしい」とお願いしました。話を聞いていない子や手がかかる子は、少しぐらい待っても、その後、じっくり丁寧に教えてあげた方がいいと感じます。まず「頑張っている子」を認めないと、「きちんと話を聞くより、やらない方が先生に構ってもらえる」と思わせてしまうかもしれません。

最近の日本は、弱者ばかりが優遇されるような印象を受けます。ですが、「弱い」というだけで全てが許され、最優先されるのが当たり前になったら、「弱ければ何をしてもいい」と思いかねません。それでは、頑張っている子が頑張る理由を見つけられず、好奇心も意欲も失ってしまいます。大勢いる子の中で、先生がまず「頑張っている子」を認めたら、「自分も早く、丸をつけてほしい」と、手がかかる子も、自ら話を聞き意欲的になることもあるのです。

こうした考え方の違いは、もしかすると、保育園が福祉の観点で生まれているからかもしれません。3年前、はじめて、保育園指導に行く前、私は保育士の資格に必要な「児童心理学」の教科書を読んだことがあります。そこには「弱者に対する配慮」が多く書かれていたように思います。たとえば、弱い子が傷つけられた際、どのようにトラウマにさせないかなど、です。けれど、友達を傷つけてしまった強い子の指導や配慮については一切、書かれていませんでした。

大人の手が必要なのは、「弱い子」だけではありません。「強い子」「発達が早い子」「理解力がある」と思われている子も、大人が十分に目をかけていない間に、できることが、できなくなっていることもあるのです。幼児期は、月齢が大きくても小さくても、理解力があってもなくても、それぞれが大人の目を求めていることを、忘れないようにしたいものです。
by k-onkan | 2016-12-13 18:30 | 保育園 | Comments(0)

歌が上手になると他も伸びる

定期的に指導にうかがう保育園で、嬉しいことがありました。8か月前に、音感教育をはじめた時は、かるたの説明に登場する単語が理解できず、興味を示さなかった月齢の小さな年少児が、かるたの意味づけを覚え、音符書きができるようになり、音程よく歌えるようになってきたことです。

e0143522_016497.jpg一般の方は、「音程がよくなったからと言って、それにどんな意味があるの?」と思われるかもしれません。けれど、30名という大人数の中、月にたった3回のお稽古を8か月、受けて音程がよくなる子どもは、集団の中で大人の指示を聞き、自分に必要な情報を意欲的に聴くことができるようになったということなのです。つまり、「音感教育」で成果が表れたら、日常生活の発達や成長も比例しているのです。

幼児教育で大切なのは、成績などに表れない「聴く力」や「最後まで頑張る力」、「自分から挑戦しようとする力」などの「非認知能力」を身につけることにあります。木下式も、「自分の耳を正しく使いこなせるようにする訓練=歌が上手になる訓練」を通して、音楽以外の能力を高めているのです。

残念ながら、一般の親御さんは、目に見えない能力より、「算数の成績がいい」とか「知能が高い」とか「学力テストで何位か」などの結果に一喜一憂されますが、長年、子どもたちを教育して、成果を感じるのは、「非認知能力」がある子どもが、最終的には好ましい結果を出すことが多いのです。

8か月前は、私の登場を、迷惑そうにしていた子どもたちが、今では、火曜日の音感の時間を楽しみにし、歌うことを喜んでいる姿があります。こうした変化を見る度に、幼児は気が変わらいやすい生き物であり、一度、「いや」と言ったものを、後から、とても好きになる可能性があることを、大人は忘れないようにしなければと思っています。
by k-onkan | 2016-11-22 23:14 | 保育園 | Comments(0)