麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:親業( 17 )

子供のため、ってなんだろう?

いろいろな時代の生徒や保護者の方とお目にかかったことで、「子どものためを考える親御さん」も時代や背景、育った環境によって、感じ方、受け止め方の違いが生じると感じます。たとえば、子供が日常的につらい思いをしないように問題を全て取り除く過保護ともいうべき優しさも「子どものため」と感じる方もいると思います。

e0143522_6565625.jpg私にとってはつらいことは、問題にぶつかった時に、自分になすすべがないことに感じるので、「いざという時に、悲しみや苦しみに折り合いをつけられるように、乗り越え方を模索してくれることが「子どものため」になると感じています。

また、「子どものために」と親が口うるさくいうのが、「正しい」と思う人もいれば、「自分で考えられるようにする」ことに重点をいて、「どうやったら、口うるさく言わなくても、分かるか」を子どものために考えことが「子どものため」と感じる人もいるでしょう。

実際、子供たちは口うるさくされてばかりいると、何か問題があった時に、「どうせ、お母さん(お父さん)が言ってくれるだろう」とか「また始まった」と、大事な言葉も耳に入らず、ただ受け身でいることもあります。

時代が変わり、世の中が便利になり、考え方が自由になればなるほど、選択肢が増え、その中から、自分でしっかりと考え選び、問題が起きた時に解決する方法を模索したり、物事を想像する力が、益々、求められると個人的には感じます。

何も考えずに大人の言葉を素直に受け止め従うのではなく、大人の言葉を吟味して、そこにどんな意味があるかも考え、困難があった時に自分で解決する方法を考えるしなやかさも求められそうな気がします。

物事は常に変化して動いていくものです。その中で、力強く生きていくために、「子どものためになること」は、一つではありません。そして、親御さんが、「わが子のために」とすることは、何であってもいいと思います。ですが、「わが子のため」と念仏のように唱えて、日々、決まったお小言をいうのではなく、大人の行動が、どのように「わが子」のためになり、どんな影響を及ぼしたり、役に立つのか、深く考える必要があるのかもしれないと、思ったりするのです。
by k-onkan | 2017-05-03 23:55 | 親業 | Comments(0)

いつの時代も音楽があった

このゴールデンウィークは、昔、楽院に通った生徒や保護者の方とお目にかかることが多くありました。20年近く前に楽院を巣立った卒業生は、10年後に遊びにくると「楽院の先生たちがやさしくなった」と言い、10年前に楽院に通った卒業生がやってくると「今はこんなに優しいの?」といぶかしがります。しかし、どの時代も通った生徒は共通して、「小さい頃は音感の先生がすごく怖かった」という共通認識があるのが、面白いところかもしれません。

e0143522_6185076.jpg20年前に楽院に通ってきた保護者は、「わが子のために、楽院のレッスンが必要」と腹を決めて通うタイプの親御さんたちが多かったように感じます。それだけ、お互いに真剣に「お預かりした子どもを教育する」ことをしており、楽院に預けながらも、家庭でも教育に対する理想や責任をもって、子育てをする時代だったように感じます。

時に、親が頑張り過ぎて、ボタンのかけ違いが生じることもありましたが、親が間違っていれば、子供が容赦なく抵抗して、親子の関係を微調整したのも、この時代だったの親子の特徴だったかもしれません。

10年前に楽院に通ってきた保護者は、「音楽によってわが子の人生を豊かにしたい」という願いとともに「子どもが喜ぶことをさせたい」というタイプが増えました。子どもに「できないこと」などがあっても、親御さんが家庭で手を出すことは少なく、「子ども」は物事を自分で解決する時代になりました。

この時期は、「ゆとり」といわれる時代に重なっていましたが、楽院の生徒たちは、オペラ公演、外国公演など音楽を通して自分たちの力を120%、発揮するという機会に多く恵まれ、その分、私たちも長く深く関わる機会があり、世の中は「ゆとり」でも楽院は多くの行事があり、子供とともに多くの困難を乗り越えた時代でもありました。

そして、今、「両親が働きながら、よりよい教育を与える」という時代になり、益々、通ってくる生徒の保護者の存在を感じる機会が減ってきました。子どもにできないことがあったら親御さんに報告するよりも、気づいた大人がどんどん解決しないと追いつかない、そんな時代です。10年前にようにオペラ公演や海外公演など、きらびやかな体験を共にするのではなく、わが家で一緒に料理やゲームをしたり、合宿以外に、千葉の海に連れていったり、遠足をしたり、そういう体験が益々「貴重」になっているようです。

20年前の生徒なら「合宿以外で、音感の先生と時間を過ごす」などと聞くと「よくそんな怖いことをさせる」と思うかもしれませんが、子供たちは「音感の厳しい先生」ではなく「構ってくれる大人」として私たちを認識しているかもしれません。言い換えると、私たちの真の怖さにまだ気づいていないともいえます。

時代が変わって楽院の役割も変わっていますが、一つ絶対に変わらないことがあるとしたら、いつの時代であっても、音感教育を通して、最大限、子供の能力を引き出すためには、どんなこともする覚悟であること、かもしれません。また、楽院に通ってくる家庭は、どんな時代でも「音楽」を通して子供を幸せにしたいという願いをもち、それぞれの時代の幸せな子どもたち、なのかもしれません。
by k-onkan | 2017-05-02 23:16 | 親業 | Comments(0)

男児は将来に期待できるから・・・・

最近「男児はいってもきかない」「しつけをしても無駄」という意味あいのメッセージを持つ漫画やツイートなどをよく見かけるようになりました。確かに男児は女児に比べると話は聞いていないことも多く、自分だけのルールがあって、女性には理解できないこともあるかもしれません。

e0143522_8531892.jpg思えば、子供の頃、2歳下の弟が、まさしく、そんな様子でした。2~3歳の頃はスーパーやおもちゃやで欲しいものがあると、いきなり床に寝転がって泣きわめき、「ほしい、ほしい」が始まったものでした。母が慌ててガムを買おうとしても、いっこうに泣き止みません。当事、なぜか弟の気持ちがよく理解できた私は「そっちじゃなくて、ガンダムが好きよ」と母に教えて泣き止ませていたという話を聞いたことがあります。

未就園のころは叱っても分からない子犬のような存在だったので、母も弟のいうことを受け入れていましたが、いつまでも、躾をしないわけにはいきません。幼稚園から低学年にかけて、私の記憶の中の母は、よく泣きながら弟を追いかけて叱っていたことを思い出します。

身内の肩をもつようで恐縮ですが、子供の頃は迷惑をかけた弟も、教育の現場には実によくいるタイプで、男の子特有のやんちゃと可愛さを持っていました。しかし、同時に、「話をきかない、落ち着きがない、女の子に比べて遅れている」など、育てる側にはがっかりするような性質も多々ありました。まさしく「男児とは、そういうもの」というタイプです。

もし、弟が今の時代に生まれ、今の時代のお母さんに育てられ「言ってもきかない」「教えても分からない」「他の子と違う」と諦められたら、すぐに普通級から支援級に入れられていたかもしれません。それほど、男の子を社会に出せるように育てるのは、難しいこと、ともいえるかもしれません。

女児に比べると、興味のない話には耳を傾けない男児を女親が育てるのは、思考回路が異なり、とてもたいへんです。けれど、「違うから仕方ない」とあきらめたら、「ダメなことはダメ」さえ教えることができなくなります。結局、大事なのは「どれだけ本気か」を見せられるかどうか、かもしれません。

基本的に男児は、女性にはくだらないことにしか見えないことが好きで、女性がニコニコ笑っていると、安心する生き物のように感じます。そんな男児にお母さんがニヤニヤしながら、1回か2回注意したところで、心に響かないのは当たり前かもしれません。そんな状態で、「何度も言ったけれど、きかない」とあきらめたら、その男児は、とてもかわいそうな気がします。本来、親が教えておくべきことを、放棄されたように、私には見えるからです。

この連休は、二人の30代の男性卒業生が、私たちのパソコンを治してくれることになっています。プロとして専門知識を持って立派に社会で活躍する二人を私は感心するばかりです。でも、彼らもまた子供の頃は「女児と比べて……」とか「全然、話を聞かないが大丈夫か?」とお母さんをはじめ、まわりの大人たちにとても心配をかけた時代があったのです。そして、彼らのお母さんも「男の子だから、言ってもムダ」とはけっして、思わず、その時々、できることを最大限、されていました。

男児育ては、まじめで優等生タイプのお母さんには、心が折れそうになることが多くあります。それでも、男児はいつかお母さんに「子供の頃は、困らせられたけれど、大人になったら、立派になった」と豹変する可能性も持っています。それを信じて、あきらめずに、関わってほしいと思うのです。
by k-onkan | 2017-04-30 23:37 | 親業 | Comments(0)

親でなくていいと言っても・・・・・

数日前、「経済的な理由で育てられない子」を里子として引き取って暮らすある家族の話がテレビで放映されました。里親のもとで愛情をかけられ、なおかつ、生みの親のことも小さな頃から真実を伝えられ、里子という事実を受け入れながら生活する姿を見ると、血のつながりがなくても愛情で結びつけられた家族が、これからは増えていくと感じます。

e0143522_20391323.jpgそんな中、ツイッターで「幼児にとって愛着を形成することは重要だが、愛着は親でなくとも問題はない」という考えを知りました。前述のテレビのように生みの親でなくても、それ以上に子どもを愛して守り、一緒に過ごしてくれる人であれば、他人の里親でも愛着は形成できると思うのです。けれど、「親でなくても問題はない」といっても1日に何回も交替する保育士さんや、月3回の音感のレッスン時しか会わない私とでは、愛着の形成はできないと感じます。

保育園に教えにいくと、帰り際、必ず、子供たちが「あ、麻奈先生だ」と言って、手に触れたり、抱きついたりしようとします。三年前にはじめて保育園に教えに行った頃は、たまらなく抵抗がありました。なぜなら、子供たちが本当に求めているのは、月に数回しか会わない私の抱擁ではなく、親御さんとのスキンシップであると痛感していたからです。

保育園指導も3年になると、「とりあえず、誰でもいいから甘えさせてほしいのだろう」と感じるので、来れば受け入れるようにはしています。但し、保育園で一人に触れることを許したら全員が触れたがるのも、覚悟の上です。中には、胸に顔を押し当ててくるほど、寂しがりやの男の子もいて、不憫になります。個人的な経験ですが、親御さんから家庭で十分にスキンシップを受けて満足している子どもは、そこまで他人の私に遠慮なく抱きついてきたりはしないものだからです。

愛着の問題を言われると、「親ばかりに責任を押し付けられても」と逃げだしたくなる気持ちになるかもしれません。それでも、やはり縁あって親子として一緒に暮らせているなら、わが子を受け入れてほしいと願うばかりです。先のテレビ番組の中では、里子に出た男の子も、生んだお母さんも、分かれる時は、とても切なそうでした。どんなに里親家族に愛されていても、自分の親と離ればなれになることは、子供にとってやるせないものでしょう。そして、それが、一日にたった8時間~11時間でも、母を求める時に手に入らない距離にいるのは切ないものなのではないでしょうか。
by k-onkan | 2017-04-19 20:39 | 親業 | Comments(0)

お稽古ごとは子供が主役!

最近、「ママカースト」という言葉をよく聞きます。若くない私には、正確には分かりませんが、ママ同士の上下関係を表した言葉なのだろうと想像しています。でも、お母さん同士が仲間外れをしたり、誰かを排除することは、子どもの社会のいじめや仲間外れにつながるのではと、少し心配になります。

e0143522_20301668.jpg一般に教育の現場―幼稚園や学校、お稽古ごと―ではお母さん同士の付き合いには介入できません。最初に「誰それくんのお母さんです」と紹介したら、その後は双方のお付き合いです。中には、「事前に相手の素性を知らせて、楽院に間に立って、知らせて欲しい」との考えもあるようですが、昨今は個人情報を遵守するお約束があるため、「○○くんはどういうお子さんで、どのような経緯で同じクラスになる」などのご説明はできないのです。

子どもたちは、音感の訓練を通して、互いの長所、短所を受け入れて、互いを真似たり、協調して音楽を学んでいきます。子供たちの関係を良好に保つためにも、ぜひ、親御さん方には上手に付き合っていただきたいと願っています。

けれど、仲良くしていただきたいからといって、相手の言葉にすべて同意して、受け入れていただきたいというわけではありません。ご自身がどうしても受け入れがたい時は、「ごめんなさい」とやんわりと、お相手に伝えていただけたらと思います。

また、同意できない内容のお話にになったらその場を離れるなど、子どもの友達のご家族と波風を立てずに付き合う方法を見つけていただくことが、将来、お子さんが、いろいろな人のいる社会で生きていく際の手助けになるかもしれません。
by k-onkan | 2017-03-16 20:23 | 親業 | Comments(0)

親も成長していくもの

一週間前、ネット上で「ファミレスで子どもが騒いでも注意しない親は非常識」と若い女優さんがつぶやいた途端、「自分のことを言われているよう」と過敏に反応して、「非常識と感じる人の方」が責められている様子を見かけました。

e0143522_12535143.jpg確かに、一生懸命、子どもの相手をしているつもりなのに、わが子がいうことを聞かずに非常識だと責められることは新米ママにはたまらないことなのかもしれません。けれど、「責められた」と感じる人がいるからといって、「ファミレスで親が一緒にいるのに、子どもを騒がせるべきではない」という事実にも目をつぶってしまうと、子どもは善悪が分からないまま、育つことになります。新米ママは躾が難しくていろいろ大変だと思いますが、それでも公共の場ではわが子の行動を本気で止める努力はしてほしいと思うのです。

この騒動を見て思い出したことがあります。それは、今から3年ほど前のことになります。「お母さんがしつけができずに、公共の場でも、お教室でも荒んだ態度をする六歳児がいる」ということで、楽院に体験に来たことがありました。

その日も、お母さんのいうことをきかず、駅から裸足で「誰のいうこともきくものか」という態度でした。しかし、持っていたおもちゃで一緒に遊ぶうちに、その子が大人のいうことがきけないのでなく、大人が誰もこの子の気持ちを理解して受け止めたり、可愛がったりしていないと感じました。楽院に通っていた間、お母さんとのスキンシップがいかに大事か、本当は子どもが「いい子にしたいこと」を、お母さんに理解いただき、母子関係は少し改善されたように見えました。

どの親御さんのところに生まれてきた子供も、最初は誰もが社会に受け入れられるような「いい子に育ちたい」と思っているものです。しかし、親御さんが、子どもの行動を止められないと、子どもが悪態をついたり、友達に乱暴したり、物を取ったりする子に育ってしまうこともあります。

親になるということは、ただよい人で誰とでも親しくして、敵を作らないだけでは済まないように思います。時に、わが子を守るためには他の人を敵にすることもありますし、周囲に挑んでいく強さも求められます。何より、わが子が社会で愛されるためにわが子をきちんと叱れるのも大事な要素だと思います。

新米のママは、「しつけが難しい」「子育てがたいへん」と思われるかもしれません。けれど、親になった以上、受け身で助けを持つだけでなく、自分から子育てを学ぼうとしたり、助けを求めたりするなどの努力です。子どもがいうことを聞かなくて辛いのは、お母さん以上に、誰からも認めてもらえない子供なのですから。
by k-onkan | 2017-01-24 23:59 | 親業 | Comments(0)

長く関わる人間関係を育てよう

数日前に「普通の子にも支援が必要」という話を書いたところ、ツイッター上で、多くの方から反応をいただきました。現代に生きる子供と関わる機会がある人は、「子どもの異変」に気付いていらっしゃるということなのでしょう。

e0143522_18353632.jpgその中に「健常に生まれているから大丈夫」という見逃しに、親が気付かない場合は、どうしたらいいのだろう。特別、大きな問題や事故が起きない限り、見逃されていくのかもしれない。とは言え、今はわが子以外の成長、発達を気にしていられないから、わが子にできることを探そう」というコメントがありました。

私も個人で自分ができることは限られていますが、近くにいる甥をはじめ、自分の生徒にはなるべく気を付けて時間を共有して、世間話をするようにしています。生徒の保護者には、「いいお稽古ごとや、塾に通う以外の時間を大事にしてほしい」とお伝えしています。

子どもの内は、学校での成績の評価に重きがおかれます。しかし、大人になって社会に出ると成績や偏差値よりも、自制心、最後まで頑張る力、意欲などの非認知能力は、人間としての気遣いや優しさなどが、評価を受けることもあります。こうしたことは、一緒に暮らす親御さんとの関係に影響を受けていることが多いと感じます。黙々と言葉も交わさず働いて、わが子の心の変化も感じ取れない大人であってはならないように感じます。

親御さんが忙しく、時間的な余裕がないと、「あれも教えていない、これも……」とつい口うるさくなってしまうかもしれません。けれど、うるさくし過ぎると、かえって子どもに気持ちが伝わらないこともあります。余裕を見つけて、親子一緒に、お金ではなく、身体や心を使って何かをする時間を大事にしたいものです。

そして、最終的には子供が自信を持って親から離れして外に羽ばたけるようにすることが、大事です。つまり、親がいなくても自分で判断できる子に育てることです。そのためには、家族の中だけで子育てするのではなく色々な人の目線も大切であり、子どものためには、親御さんも社交的であった方がいいかもしれません。また、親戚の付き合いとか地域の集まり、一見、面倒そうな時間に、勉強をするより、大切な気づきや学びがあります。

実は、私の両親は、大勢の人と関わる仕事をしている割には、人見知りもあり、好き嫌いも多いかもしれません。そのため、幼稚園時代の私の記憶には、よそのこわいお母さんから「自分のママを守ってあげないと!」と思うほど頼りなかない新米ママでした。その分、社交的だったのが、若い頃に、フランスに留学していた祖母に可愛がられたため、私は両親よりは、外に出ることが、苦になりませんし、よそでいろいろなことを学ぶ機会があったかもしれません。

子どもは、「親だけ」の力で育てることは不可能です。親戚や知人との冠婚葬祭のお付き合いの際も子供に人間関係を説明するなど、意図的にいろいろな人と関わらせることをしたいものです。特に、お葬式は、繊細な行事ですが、「子供に関係ない、子供は自分のことだけやればいい」と隔離せずに、「人間の生死」とも向き合う機会を与えたいものです。

結局、自分を振り返ると、子供時代に「うるさいなぁ」と思った祖父母や親戚のお小言が、今の自分に生きていると感じます。こう書くと「親戚がいない人はどうしたらいいのか?」とご批判をいただくかもしれませんが、遠くの親戚よりも近くの他人といいます。お稽古や塾などでも、先生をはじめ、まわりの方を見極め、価値観が異なる際には、適度に距離を置きながら、わが子が長く付き合える人との関係を多方面にめぐらせてあげてほしいと思うのです。
by k-onkan | 2017-01-12 23:32 | 親業 | Comments(0)

人間の親らしさ

「動物の親が理想」と言っても、実際は、私たちは人間で、「動物の子育てを目標にして」と言っても、具体的ではありません。そこで、もう少し私が思う「親らしさ」を考えてみました。

e0143522_0321134.jpg第一に子供が幼い内は、自己を多少、犠牲にしても子供を守る努力をしたいと思います。たとえば、夜中に、眠くても起きて授乳をしたり、自由な時間を我慢して、子供と一緒に過ごすなどはしたいものです。もちろん、お母さん自身がきついこともあるでしょう。そんな時には、助けを求められるように、日ごとから感謝を忘れずに、家族や親戚、まわりの人との良好な関係を心がけたいものです。「親兄弟だから助けてもらうのが当然」という態度だと、段々、誰も手を貸してくれなくなってしまいます。

第二に、「社会で子供が叱られないよう」に、なるべく、ルールや礼儀をしつけます。それでも、子どもは、よその人に叱られることがあります。そんな時、教えきれなかった親の責任として、一緒に「申し訳ありません」と頭を下げるのも大事かもしれません。無暗に親がまわりに喧嘩を売ると、その社会で生きる子供の立場が無くなることもあるからです。万が一、自分の子が不当に叱られたと思うなら、相手に力があっても、きちんと意見や考えを主張して、子どもを守る必要があります。

第三に、外の社会では、わが子の味方でいたいものです。たとえば、自分の子のおもちゃがよその子に取られそうになったら、一方的に「貸してあげなさい」と譲ったり、子どもと一緒に途方に暮れるのではあなく、「ごめんね。これは○○が使っている。もし、使いたいなら、この子に『貸して』って聞いてみて?」と説明していただきたいのです。

お母さんの中には、自分が我慢するように、子どもにも我慢を強いるお母さんもあります。もしかすると、とても謙虚でお友達としては最良の女性かもしれませんが、子どもから見ると「親なのに、なぜ、よその子の味方ばかりするのか」と納得がいかないかもしれません。

たいてい、優しいお母さんは、ご自身がよその人に親切にするように、わが子にも、友達と仲良くしてほしいと感じるようです。しかし、もし、わが子にも優しい人であってほしいなら、自分の子の心が満たされているか、よく見極める必要があります。人間は自分の心が満足できていない時に、人に優しくするのは難しいと思います。

第四は、贅沢をさせなくても、子どもの生活はなるべく安定させたいものです。大人の世界にも、いろいろな事情があり、想定外の苦労や困難はつきものです。それでも、生活の安定が、子どもの健全な成長には、大きな影響があります。大人の都合ばかりを優先して、子どもの生活環境をコロコロと変えない方がいいと感じます。

最後に、子どもが大人になった時に、突き放すための準備を始めましょう。教育でも、しつけでも、親御さんが信じるものを選ぶべきだと思いますが、親の好みや流行ばかりを考えるのでななく、将来、一人立ちするために役立つ力をつけたいものです。

一番、大事なことは、将来、子供が巣立った後に、親が抜け殻にならないように、たとえ、子どもに全力を尽くしても、親御さんの楽しみや生きがいは失わないでほしいものです。子どもの親であっても、一人の人間として、自己実現できる大人でいることも、子どもにとっては、「親らしいこと」なのかもしれません。
by k-onkan | 2016-11-02 23:30 | 親業 | Comments(0)

親らしいってどんなこと?

「自分の子には親らしく接してほしい」と卒業生に言った際に、「親らしいって?」と問い返されたので、考えてみました。それぞれの家庭で、異なる親御さんに育てられているため、「親らしさ」のイメージは、家庭によって違うのでしょう。特に、仕事を持つお母さんの子供は、お母さんのイメージは家庭にいるより、外で一生懸命働く姿がかもしれません。

e0143522_02531.jpgとりあえず、私が「親らしい」と思うのは、「動物の親」です。生まれてすぐの動物の子は、親から見放されたら死んでしまうため、親は一生懸命、子どもの命を守り、敵が来たら、自らを盾に子を守ることもあります。子どもは親のそばにいれば安心できる、そんな存在に「親らしさ」を感じます。

命を守るために、自分は食べなくても餌を与えるトリや、乳を与える哺乳類の動物にも「親らしさ」を感じます。子どもが大きくなったら、餌の取り方を教え、親から離れても生きられるようにします。私は、親が子どもの命を絶対的に守ろうとする行為に「愛」を感じます。

大事な時に、自分を守ってくれるなら、いちいち、「愛の言葉」をささやかれなくても、子供は親に愛されていると感じるように思います。親という存在には、ときに身勝手で理不尽なこともたくさんあります。それでも、外の敵に攻撃された時に、自分のことのように威嚇したり、怒ったりしてくれたら、それだけで「これが自分の親で、絶対に自分を守ってくれる」と信じられるように思うのです。

反対に、子どもが弱って助けを求めている時に、親が冷たく突き放したり、強く悲しんでいるときに、親がバカにしたり、周囲から責められた時に、親まで一緒に責めたりしたら、「親として」は信頼できないように思うのです。

人間は、動物より複雑な感情を持っています。そのため、わが子を愛しいと思いながらも、皆から愛されるわが子に嫉妬を覚えることもあるといいます。それでも、人間も動物の一種なら、自分の子孫が長く生き残れるように、強く温かく、育てていってほしいと思うのです。
by k-onkan | 2016-11-01 23:57 | 親業 | Comments(0)

大人が変われば子供も変わる

先週、楽院の卒業生であり、娘を通わせるお母さんから、「どうして、うちの子だけ、音感かるたが覚えられないの?」と質問を受けた話を書きました。かつて木下式を受けたお母さんなので、「どうして、木下先生が音感かるたを作ったのか」「楽しく興味をもって、ドレミを簡単に覚えさせたいと願ったから」であることを伝えました。

e0143522_15133152.jpgそして、「パンダが青い風船を持っているのが『ソ』よ」と教えたというお母さんに、「子どもは、パンダが風船を持っているかるたを『ソ』とは決して覚えられないこと。このかるたには、『パンダちゃんが風船を持って空を飛んでいますね。みんなも空が飛べたらいいですね。だから、このかるたは、『そらまでとぼうのソ』と言いますという説明があって、はじめて、パンダが風船を持っているかるたを『ソ』と理解できるようになること』を教えたのです。

どんなに、楽院で、私たちが幼児に興味を持って楽しく音感かるたを覚えさせたいと願っても、家に帰って、お母さんから「毎週、音感で、ちゃんと先生の話を聞いているの?」と叱られたらレッスンがイヤになってしまいます。かつて生徒であったからこそ、そのお母さんには、冗談を交えながら、でも本気で伝えました。

反省したお母さんは、一週間、優しくかるたの練習をしたといいます。その結果、「クイズのように工夫して教えたら、楽しんでやるようになり、以来、自分から、『あ、今日、ピアノの練習をしてなかった!やらなくちゃ!』と意欲的になった」といいます。「自分が変われば相手が変わる。そんなシンプルなことなのに、忙しい毎日で気長にが一番、難しい」との報告がありました。

確かに、いろいろな工夫をして、気長に取り組むことが、教育をする上で、一番、大事なことであり、難しいことなのかもしれません。それでも、お母さんが、自分の体験を通して、子どもへのアプローチを変えるだけで、子どもの意欲が変わることを、体験を通して理解できたことが大事だと思うのです。

なぜなら、これからは、「うちの子は、全然、覚えない」ではなく、「大人のアプローチによって、わが子が変わること」を知った上で、子どもと関われるはずです。決して、何か問題が生じても、「子どもだけの責任にするお母さん」には、ならないと思うからです。
by k-onkan | 2016-10-16 23:12 | 親業 | Comments(0)