麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:楽院だより( 172 )

音感能力と小学校受験について

木下音感楽院は、「音感能力」を付けることを目的に、音楽教育を行なっています。「音感」という能力は、幼児期の限られた時期にしか身につかないことから、幼児部の間は、「休学」という制度がありません。それでも、「どうしても、小学校受験に力を入れたい」という方は受験の間は欠席して、試験が終わってから振替授業を行って、他のお子さんとの能力差を埋めたりしています。

e0143522_1922512.jpg何年かまえに、「大人のいうことをまったく聞かない」という3歳男児を預かりました。最初は望クラスの課題からはじめ、どうにか「物を学ぶルール」を身につけ、音感のレッスンになったところで、「小学校受験の準備をしたい」というご相談を受けました。当時、音感の勉強を始めたばかりで、まだ、歌唱力も音感も定着していない中で、1年以上、レッスンを受けられないなら、楽院に復学させることは、お子さんにとって、あまりに厳しいと思い、お断りしたことがあります。

そうした事例があることで、「楽院は、小学校受験をする人の復学を認めない」と思われてしまいそうですが、それぞれのお子さんが持つ『歌唱力』『音感能力』の定着度によって、対応は異なるため、個別にご相談をお願いしています。

中には、受験準備中であっても、楽院のレッスンを欠席しないために、受験塾を優先しながら、音感のレッスンを個別で行なっていく方もあります。それぞれ「小学校受験を最優先するか」「音感能力の取得を優先するか」は、ご家庭の判断です。楽院は、「どちらにすべきか」は申し上げませんので、お子さんにとって何が重要かを考えていただいた上で、ご決断いただいています。

しかし、実際は、ある程度の「歌唱力」「音感能力」がついているお子さんであっても受験準備のために、長く音感のレッスンを欠席されると、「全力投球する木下式のレッスン」を苦痛に感じるようになり、お子さん自身の希望で、「もう音感を勉強するのは、無理」ということもあります。

その理由は、受験のための勉強は希望校に入るための勉強で、最初はたいへんですがコツさえつかめれば、慣れることができます。しかし、統合型教育である木下式は、同時に、頭も身体も心も、耳も喉も目も鍛えるため、一度、離れると、再開が辛くなってしまうこともあるのです。

これまで大勢のお子さんの小学校受験を見てきましたが、個人的に、一番、幸せだと感じるのは、「実力で受かる希望校」「子どもの性質に合った学校」を選び、日常生活を変えずに規則正しい生活をしながら、受験をすることです。なぜか、そうした家庭のお子さんの方が、結果的にたくさん合格をいただいてくるため、単に学力だけでなく、子供の心や身体も見られていると感じます。

反対に、希望校から合格をいただいても、いろいろなことを犠牲にして背伸びして入学してしまうと、賢い子どもばかりいる環境が苦しくなったり、学校の勉強についていくための、塾通いと家庭学習の生活になって、ストレスで、追い詰められてしまうこともあるようです。

実際、受験のためだけを考えて生活したことで、「受験で求められる『指示に従うこと』ができるようになっても、自分から想像して考えて、行動したりができなくなった」という話もきくため、「何を目標に受験をするのか」「何を犠牲にしてもよいのか」等は、家族でよく検討することが大事だと感じます。

楽院は、それぞれのご家庭の方針にそって対応はしますが、楽院を続けることが、かえって、お子さんに負担になると感じれば、「他の音楽教室で楽しく、音楽と関わること」とお勧めすることもある教室かもしれません。
by k-onkan | 2017-12-07 23:22 | 楽院だより | Comments(0)

小さくても、責任は同じ!!

今日は学内の成果報告会でした。最近、成果報告会が、夜に開催することが多くなっています。幼い子どもが出演する音楽会が夜であることは、たいへん申し訳ないのですが、東京でオリンピックを行なうことになってから、首都圏はホールの確保が難しくなっているようです。

e0143522_12121615.jpg今回、幼児でありながら児童部に参加するお子さんと、未満児でありながら幼児部の斉唱に参加する「ちびっこたち」がいます。傍から見ると、「小さいのに、たいへん」「かわいそうに」と心配されるかもしれませんが、年齢が小さくても、そのクラスで一緒に勉強できている、ということは、歌唱力だけでなく、体力、気力も十分であると判断されてのことです。そのため、楽院では、「みんなより小さいから」といって、グループ内で特別扱いをすることはありません。特別扱いをしないと音楽会に出られない内は、音楽会の出演が時期尚早だということだからです。

私たちは頑張っている人に、「大丈夫なの?」「無理しないで」「心配ね~」というと、相手から「わずらわしい」とか「過小評価された」と怒られたりすることがあります。きっと、相手の不安を煽ったり、言葉の中に隠れるねたみやそねみが相手を不快にして、怒らせるのかもしれません。親御さんは、いろいろな情報に惑わされるより、自分の考えに信念を持ってブレないことが大事だと思います。また子どもにも、「まだ小さいのに、頑張ってすごい」ではなく、「あなたならできる。信じている」と送り出してあげてほしいのです。

子供は、「かわいそうね」「たいへんね」と言われていると、いつしか、頑張っている自分が、損をしているような気がしたりしてするものです。しかし、実は、人より目立つ機会を早く与えられることは、幸運なことなのです。中には、「自分も出たかったのに」と不快に感じる人もいます。大勢の中から出演できているのだということも、子供が舞台に立つようになったら、伝える必要を感じます。

楽院では、舞台に立てるようになったら、「一人前」でもう赤ちゃんではありません。このことを、誰より、親御さんに理解していただく必要があるかもしれません。幼い頃から、「頑張ること」を当たり前として、訓練を受けた子どもは、一般のお子さんより、無理がきいたり、全力投球することが苦にならないのですから――。
by k-onkan | 2017-12-02 23:06 | 楽院だより | Comments(0)

上手になれば、それでいい・・・・・・

成果報告会が近づき、毎日、小学生が、ポツリポツリと、木下先生から歌唱指導を受けにやってくるのですが、中には、木下先生の熱い指導で、真剣になればなるほど、涙を見せる子どもがいたりします。そんな様子を見ると、「子供相手に、そこまで求めなくてもいいのに、かわいそうに……」と思う大人もいるでしょう。けれど、木下先生が注意しているのは、歌が下手なことではないのです。

e0143522_192417100.jpg本当は自分の力を持っているのに、それを出し切らずに、泣いて誤魔化そうとしたり、コホンと咳払いをして、病気のふりをしたりすることが「ダメ」と言っているのです。また、優等生タイプのお子さんのなかには、失敗して叱られることを嫌って、最初から挑戦しないようにする子もいます。

学校であれば、「失敗せずに得意な場面で、頑張って点数が取れれば、評価は高いかもしれません。しかし、楽院では、それを許されません。音楽を学ぶ上で、なんでも、苦労なくできることなど、何もないため、多少、不得手な事柄も、自分から「やろう」「乗り越えよう」という心持ちが必要なのです。

現在、楽院に通っているお子さんの中で、音楽の道に進むお子さんは、そんなにいるわけではないと思います。それでも、これほどまでに、真剣に音楽に向き合わせるか、それは、生きることにも、同じように向き合ってほしいと願っているからかもしれません。だから、子供時代を楽院で過ごした卒業生は、大人になって社会に出てから、「楽院に通わせてもらってよかった。役に立った」というのでしょう。

子ども相手に真剣に、「先生は、憎くて叱っているんじゃないぞ。キミが上手にならないと、先生が、お父さんやお母さんに「悪い先生だ」と思われるのは、いやだから、どうにか、上手にしてやろう、そう思っているんだ。本当は、どうでもいいんだぞ。先生の子どもじゃないんだからな」。

ここまで他人の木下先生に踏み込まれて、子供が心を開くと、その後は、本当に上手になるのです。すると、「こんなに上手にできるじゃないか」と帰っていきますが、次のレッスンでは、また、気弱な人に逆戻りしていたりもします。それでも、諦めずに、しつこく指導するのが、木下先生なのです。そして、木下先生は、子どもに嫌われることも、怖がられることも、恐れていません。上手にできれば、それでいいのです。
by k-onkan | 2017-11-29 23:23 | 楽院だより | Comments(0)

はじめてのハードル

5人で斉唱の練習をしていたときのことです。1人づつ、難しいところを歌わせたところ、変化がなかったため、居合わせた木下先生に「 こっちにきてごらん」と言われた4歳の男の子。そこで、泣きだしてしまいました。「怒っているわけじゃないよ。声を聞かせてって言っているのよ」というと、絶対に嫌だという意思表示に床に座り込んで大泣きしてしまいました。

e0143522_472118.jpgこの様子に「音楽会に出すのはまだ早いのかもしれない」と感じ、お母さんをがっかりさせてしまいましたが、今回は見合わせる方がいいとご提案しました。でも、男の子は、「頑張ったでしょ?なぜ、出られないの?」と言い続けていたようです。そこで、こんな風にご説明したのです。

子供たちが発表会に出るようになると、必ず、「楽院長レッスン」があります。それまで、木下先生と馴染みのないお子さんであっても、顔を見せて、声を聞かせて、指導を受けます。つまり、「音楽会はお遊びではなく、真剣に取り組み」ことを知る最初のハードルでもあります。

長く通う児童部の低学年男児でも声を直されると、涙を流す子がいます。それほど木下先生は見た目にも雰囲気にも威圧感があり、「声が違う」と言われることは、とても「嫌なこと」かもしれませんが、事実です。でも、木下先生の教室に通っている生徒が、素直に指導を受けられない内は、どんなに本人が希望をしても、音楽会に出せないのです。

特に、斉唱は他のお子さんも一緒に出演します。お互いに、違う声を出さないように気をつけさせる必要があります。練習のときに、違う声を出すのは仕方ありません。ですが、それを指摘されることに、泣いて抵抗したら、何も教えられなくなってしまいます。

子供のおけいこごとは、お母さんから見ると、不憫でたまらないことも、たくさんあります。特に、学校やお稽古ごとで「正しい答え」を出すことが、当たり前だったお母さんには、子どものいろいろな行動が、たまらないかもしれません。でも、子育ても子どもの成長も、マニュアル通りにはいかないものです。

お母ささんから見ると、わが子が不憫に見えること、理不尽なことがあっても、子供は、それぞれの困難に立ち向かったり、ときに、気分変えて、次に進むことが、「レジリエンス」を育む一助になっていることも、心の片隅にとめておいていただきたいと思っています。
by k-onkan | 2017-11-16 23:03 | 楽院だより | Comments(0)

楽院の子供たちが仲良くできるのは

恒例の夏の「海の家」が終わって、大人たちはみんなホッと一息ついているところです。特に、パートナーの家業だからといって、目立たないように、でも、子供たちの送迎をして、一心不乱に砂に穴を掘り、海の中で子供たちの監督をしてくれる義弟には、感謝以外の言葉が見つかりません。

e0143522_1057691.jpg今回、途中から、電車で参加されたお母様は、「子どもが11人もいたのに、喧嘩もせず、始終おだやかだったこと」に驚かれていました。楽院の子どもたちは、小さい頃から一緒に育っていて、長所も短所も見せ合いながら、同じルールのもとに時間を過ごす経験をしています。そのため、少しくらいの諍いがあっても、長引いたり、誰か一人がつらい思いをすることはありません。何より、子どもたちよりもっと、怖いガキ大将のような大人が大勢います。それゆえに、子ども同士は、基本的には仲間意識が強いと感じます。

私や木下先生は、子どもたちの前で決して公平ではありません。男の子の目の前で女の子の味方をしたり、その横で、女の子を同時に応援したりします。子どもたちは自然に「先生たちは、自分だけの味方」ではないことを受け入れつつ、だからといって、「大事な時は助けてくれる相手」だと、分かっていくようです。このことが、分かれば、楽院の先生は、さほど怖くなくなり、対等に物を言えるようになります。但し、親御さんのように「自分だけ」を可愛がってくださったり、自分だけの都合で動くことはないので、自立していないと、居心地が悪いかもしれません。

ネットなどでよく、「一つの意見」を賛同されると、すべての考えを認められないと、納得がいかない大人を見かけます。ですが、Aについては賛同できても、Bについては違う考えを持っていたり、Cについては半分しか賛同できない、などということは、ざらにあるでしょう。また、考え方が平行線の場合は、どこまで話し合いをしても、解決せず、時間を無駄にすることさえあります。

楽院の子どもたちが仲がよくいられるのは、基本的な考え方が共通する親御さんの子供たちが、楽院に預けて下さっているから、だろうと思っています。たとえば、音楽の能力が高めたくても、わが子に厳しいことは体験してほしくない、という方は楽院には通ってこられませんし、音楽面の能力を求めても、多種の友達との関わりを否定される方は、楽院は向いていないと思います。

楽院にわが子を通わせてくださる親御さんは、いろいろな考えや価値観を持ちながらも、「わが子に音楽能力をみにつけさせたい」と考えると同時に「いろいろな人と関わり、自分で人生を切り拓ける大人になってほしい」と願っている方だから、子供たちも一緒にいて、居心地がいいのだろうと思います。

私たちと付き合いが長い高学年の生徒には、合宿や「海の家」で、「この子にはこんな特性があるから、気を付けてあげてほしい」とか「音楽面は素晴らしくてもこうした弱点があるから、カバーしてね」と、一般なら個人情報であり、短所に見えることも、子どもに隠し立てせずにきちんと説明して、理解を求めることがあります。

子ども同士の世界はシビアです。子どもは、誰かが特別扱いをされていると感じるとすぐに「ひいきだ」「納得がいかない」と文句を言いだします。でも、大人と違って、子どもたちのいいところは、それぞれの事情を理解できれば、お互いを助けたり、気を使いあったりもできることです。幼い頃、自分が配慮された子どもが高学年になって、後輩を配慮する立場になることもあります。そんな「順番とめぐりあわせ」が子どもたちの絆を強くしているのかもしれません。

楽院に入って途中でお辞めになるお子さんも存在しますが、それは、親御さんと楽院との考え方の基本に相いれないものがあったのだと思います。親御さんと楽院の考え方に相違がある中で、音楽の能力だけ求めて、通わせ続けると、最終的に、気の毒な思いをするのは、お子さんです。どんなに私たちが親身になったとしても、やはり子どもは、「親御さんの子ども」であり、その子どもの教育に責任を持てるのは「親御さん」しかいない、このことを忘れないようにしたいと思っています。
by k-onkan | 2017-08-07 23:42 | 楽院だより | Comments(0)

なんで、こんなに海は辛いの?

東京駅で、保護者のTさんと待ち合わせをして、特急に乗って、千葉の海の家へ出かけました。駅に着くとお迎えは、木下先生で、子どもたちはすでに、海に遊びに行った後でした。私たちも急いで着替え、海へいきました。

e0143522_14101587.jpgちょうど、純子先生が、お昼ごはんのカレーライスのなべを取りにいくということで、交替して子どもたちのいる海へ入りました。1年生のMくんは、海が初めてだったのか、誰彼かまわず、足をからめてつかまってきて可愛いのですが、波に乗る瞬間、自分の顔に塩水がかかるのが、怖いからのようでした。

「どうして、こんなに塩からいの?」と文句をいうので「海だからよ。海は塩水なのを知らなかったの?」と聞くと「塩水だって知っていたけれど、こんなに塩辛いと思わなかったよ」と怒っています。頭で知識として知るのと、体感して知るのでは、これほどまでに、違うのです。その子は何度も「どうして?どうして?」と不満を口にしていました。

普段、おとなしい2年生のIちゃんが、海女のように海に潜り、貝を拾ってくるのですが、どんどん、沖に向かっていくため、瑠音先生と義弟は、監督しながら、気が気ではなかったようです。普段、水泳教室に通っているため、泳ぎに自信があるのだと思いますが、人間に管理された「プール」と「海」は違います。どんどん沖にいってしまうことに、普段、自然と関わっていない怖さを感じたようです。

楽院でも、千葉でも、子どもを預かって海や川に入る時は、大勢の大人で常に人数を数えて、細心の注意を払って管理しますが、それでも、気が付くと潮の流れで全員で沖の方へと進んでいたりするものです。やはり、人間は生きる上で、自然を知ることは、関わることは、大事なことのように思います。

普段、合宿の川遊びでは、私がカメラを持っていることが多いので、「先生には絶対に水をかけないで」とうるさく言っています。そのためでしょうか。4年生のKくんは、既に海水の中にいる私に「麻奈先生にも水をかけてもいいの?」と聞いてきました。そんな心配ができるようになった反面、「麻奈先生は高齢だから、ぼくたちと一緒に公園へ行かないの?」と言って、私に「デリカシーがない」と怒らせようとしたりもするのです。男児は、4~5年の頃が一番、生意気で、私に抵抗する時期のようです。

さて、恒例の海で、毎年、必ず行うことが、砂浜にスコップで穴を掘って、子どもたちを埋めることです。海水を吸った砂はとても重いのですが、それを自分で砂を動かして脱出させます。大切に育った子ども達は、いつも誰かに守られて安全を見守られています。ですが、非常事態には自分一人で、なんと頑張って解決しなければならないこともあるものです。遊びの中で、「困難」から抜け出すことも経験させておきたい、そんな理由から、昔からある遊びかもしれません。思えば、私が幼い頃にも、親戚と一緒に海に行って、こんな遊びをしたものでした。

今年、最初に埋められたのは1年生のMくんです。前日、おにぎりを持たせた途端、あっと言う間に砂浜に落とし、お菓子を渡せばお菓子も落とし、スイカを与えると、「タネがある果物は食べられない」と言う受け身な姿に「もっと、自分のことを自分でさせなければ」と切実に木下先生は思ったようです。

砂に埋められたMくんは、これまでの子どもたちのように、泣いて必死になって砂を動かすのではなく、すぐにフーッと言って諦めてしまいます。この姿は、私たちにも初めての体験でした。これまでの子どもは自分の無力さに悔し涙を流したり、必死になって砂の中でもがいたからです。 

でも、Mくんは、あまりの重さには「一人では無理」と思ったのでしょう。すぐに諦めて動かなくなってしまいました。木下先生は、「これを使え」と言って、特別に小さなスコップを渡したのですが、意味のない場所にやみくもに触れて砂を周囲に飛び散らせるばかり。スコップを使いこなすのも慣れないと難しいのでしょう。

これまで、何度となく砂に埋められた経験がある先輩たちは、「お腹のところを掘れ」「腰を動かして」と声をかけていますが、すぐに「フー」と休んでしまいます。みんなで「頑張れ」「腕をつかって、突っ張って腰を動かして」と最後まで全員で見守り、どうにか、脱出できました。

次は初参加の4年生のKちゃん。しっかり者ですが、体力より知力で勝負するタイプなので、最初は「私は結構です」と言っていましたが、「オンカンで、やらないという選択肢はない」と気づくと、度胸を決めて埋まりました。砂の重さで途中、少し涙目になっていましたが、頭を使って、どこの砂を動かせば、自分が自由になるかを考えながら、掘っていました。

これまで、なんどとなく木下家の「海の家」を経験している子は、砂の重さを経験しています。でも、新参者ばかりが埋められる姿を見ると、「オレも埋めてほしい」「もっと深くしても大丈夫」と軽口をきいてしまいます。でも、いざ、深い穴に埋められると、涙目になりながら、必死の形相で砂から脱出を試みます。普段、生意気な子が無駄口もきかずに、一心不乱で取り組み、健気でかわいい姿を見せる時間でもあります。

それぞれの性質や気質に合せて、穴の深さを調節しつつ、「オンカンでやると言ったら、やらない選択肢はない」という言葉通り、全員が砂から脱出を経験しました。そして、最後は、卒業生のY先輩と中二の甥Yで、「ゆうちゃん対決」をしました。「若さと筋肉がある若者にはかなわない」と言いながらも2歳の娘に勇姿を見せるために頑張り、先輩とYはほぼ同時に脱出しました。可愛かったのは、その姿を見ていた2歳のAちゃんが、自分も穴に埋まって自主的に砂から脱出する練習をしていた様子でした。

海の後は、子どもたちが公園で遊ぶ間に、木下先生ご自慢の千葉のお刺身を用意し、「新鮮なお刺身は、美味しいぞ。残すヤツは、もう二度と来るな」と言われ、普段、偏食の子どもも、全員、残さず食べる様子に「来てよかった」「楽しかった」という子どもたちの気持ちが表れていました。食事を終えて、瑠音先生の車と私たち電車組、そして、直接、お迎えに来られたご家庭の3つに分かれて帰京しました。子どもたちは、どの子も海で真赤に日焼けした顔に、たくさんの思い出を胸に親御さんのもとへと戻っていきました。
by k-onkan | 2017-08-06 23:08 | 楽院だより | Comments(0)

今年も海で子供と一緒!!

今日から楽院の選抜児童は千葉の木下先生のところで「海の家」のお泊りです。まだ、合宿から1週間も経たないのに、もう子供たちと付き合おうというのですから、よほど子供が好きだと思われても仕方ありません。でも、木下先生にとっては、合宿で特に厳しく鍛えてきた男の子たちを可愛がって遊ばせるのが目的なのかもしれません。海の家では、「合唱の練習」などの修行的なことはありません。せいぜい、砂浜に埋めて自力脱出くらいでしょう。

e0143522_12551411.jpg今年は男子6名女子3名と大所帯の「海の家」です。現地で卒業生ファミリーも合流予定です。参加者は合宿よりも早い時間に、楽院に集合して、瑠音先生の車と有志の保護者所有の車、2台に分乗して出かけていきました。私が楽院までお見送りに行くと、子どもたちから、「麻奈先生はいかないの?」との声があがりました。私は、出張や諸々があるので、一日だけ電車で日帰りの予定です。

女の子たちには、「一番、怖いのはまゆみ先生だから、叱られないように気を付けて」と送り出しました。女の子たちも、小さい頃からピアノを習っているので、「知ってる」と言って出かけていきました。楽院では、木下先生や私など、分かりやすく激しくわかり怒るタイプが怖がられますが、本当に一番こわいのは、静かで穏やかで我慢強い人を怒らせた時です。

子どもたちが出かけた後は、お母様たちと、近所でお茶をさせていただき、合宿であったブログには書けない「いろいろなこと」や個人的な出来事などをお話しました。生徒たちは、合宿で起きたいい出来事も、わるい出来事も、それなりに親御さんに報告していると知って、とても安心しました。もちろんその中には子どもなりに「これは、お母さんにしていい話」「これはしない」と決めているはずです。

そして、これは、本人がお母さんには報告しなかった話のようです。女子班の班長はマラソン大会のゴール直前にハーハーぜーぜーとお腹を押さえて、具合悪そうに涙を流して帰ってきました。楽院では、いつもしっかりしていて、弱みを見せる機会が少ない女の子なので木下先生はとても心配しましたが、私は、具合が悪くなった理由がなんとなく想像できました。

それは、予想に反して下級生に負けて、精神的に参ったのだろうということでした。そんな時は、みんなで大騒ぎするより個別に看護師の先生に見ていただいた方が、女の子たちは落ち着きやすいように思います。

マラソン大会が終わって、朝食を取って帰り支度をしてさよならコンサートも終わって、バスに乗り込んでしばらくして、私にポツリと「負けたのが、○ちゃんだったから、いいことにする。○ちゃんは頑張っていたと思うから」と自分に言い聞かせ、心を納得させている姿がありました。

お母様には、そのエピソードの更なる裏話をお聞きしました。なんでも、今年は合宿に向けて、母娘で走っていたのだそうです。お母さんより速く走れる自分に、「今年は、結構、いい線にいけるかも」と思っていたようなのですが、お母様が、膝を痛めて一緒に走れなくなって、お母様はとても申し訳なく思っていらっしゃいましたが、ここで子ども本人に「申し訳ない」と謝る必要はないと思います。ですが、次回の機会には、最初から自転車等を使って、最後まで練習に付き合ってあげていただけるようお願いしました。

子どもを応援するために、親子で一緒に走るのはとても貴いことです。でも、もっと大事なことは、親御さんが怪我をしたりしないこと。そのためには、大人が文明の利器を使ってでも、最後まで付き合ってあげた方がいいと、個人的には感じます。

もちろん、親御さんがスポーツマンタイプの元陸上選手などで走るのが特技であれば、子どもと対等に走るのも、いいでしょう。でも、運動が得意でない大人は、本気になった子どもには絶対に敵いません。子どもは「お母さんだけ、自転車でずるい」というかもしれませんが、それでも、途中で、親子で練習を止めるよりは、最後まで付き合ってくださったことの方が、親子で何かを協力したといういい思い出になるように思うのです。
by k-onkan | 2017-08-05 23:53 | 楽院だより | Comments(0)

事故なく帰ってきました!

合宿では5日間を通して、班の友達と協力できるように班ごとに「チェーンリング」を集め、その数を競います。「いいこと」をするとリングは増えて、悪いことをするとリングは減ってしまいます。リング班長が首からぶら下げているペンにチェーンをつけて貯めていきます。そして、最後の朝に、お互いのリングの数を発表して、リングの数が多いグループが賞品を手にします。
e0143522_1321167.jpg
リングがもらえるのは目立って力を発揮したり、合唱で木下先生に褒められたり、小さい子に優しくしたり、誰かのために頑張っている姿を見かけるなど、特別な時です。反対に、「話を聞いていない、勝手な行動をする、騒ぐ、いじわるをする」など等が減点の対象です。

その中で、先生の手伝いをした後に、「手伝ったから、リングを頂戴」とねだる男の子がいました。「リングが目的」でいいことをするのは、あまりに打算的です。「リングねらい」にいいことをするのは、ダメとお断りしました。

最終的にマラソンで第1位から第3位まで独占した男子班は、減点ポイントが多かったにも関わらず、ポイントを稼ぎ、総合的には、「男子班」の勝ちとなったのですが、問題は、その後です。ご褒美を渡した途端、食事中にも関わらず、大騒ぎをする1年生。それを注意しない班長に「やっぱり、男子班にご褒美は出したくない」ということになりました。せっかく、チームで競いあってご褒美を与えたのに残念ですが、急遽、個人で頑張った子のご褒美とすることにしました。

まず、5日間、まったく泣かなかった幼児部の3人に与えました。その後に、男子班で「誰が一番、頑張っていた?」と聞くと、「音楽班長!」という声があがりました。確かに5日間、とても頑張ったのですが、最後の日にネットで見たという「下ネタの歌」を歌っているのを私に見つかったので、「どんなに音楽を頑張っても、下ネタは全てを台無しにする!」ということで、珍しく、音楽班長にご褒美はありませんでした。「俺は?」「デリカシーのない発言が多いからダメ」「Mくんは?」「うるさいからダメ」等々、それぞれ何かしら欠点がありました。

その後、「Kちゃん!」という声があがりました。私は「麻奈先生の甥だから、贔屓したって思わない?」と確認しました。すると「2年生なのに頑張っていたから、贔屓じゃない」というのでKに与えました。そして、今年は去年より頑張っていた2年生の男子に与えました。

女子班では、初めて参加したのに大人の手を煩わせなかった女の子や、影で頑張った班長、副班長、そして、最後に残った一つは、マラソン大会で入賞するのは想定外だった総班長に与えました。

さて、今年の子どもたちとの5日間の生活では、ネットの恐ろしさを強く感じました。今回、6年生の男児がYOU TUBEで「下ネタ」の歌を覚えたという話にも驚きましたが、昨年は6年生の女児がネットで知らない男性から話しかけられて困っていると聞いて、「軽はずみなことはダメ」と注意したことを思い出しました。高学年になると、大人が知らない間に、いろいろなことができるようになり、情報網も広がっていくものです。「うちの子に限って」は禁物かもしれません。

さて、子供たちは、無事に帰京し、楽院にて「ただいまコンサート」を行い、親元に帰ることができました。ここに、合宿に際して、ご協力くださった皆様に御礼申し上げます。
by k-onkan | 2017-07-31 23:17 | 楽院だより | Comments(0)

先生も早くおうちに帰りたい・・・かも

4日目の午前中は、曇り空の中、ジョギングをして、その後は合唱練習をしました。尾瀬に着いてから断続的に雨が降っていますが、昼過ぎに一瞬、太陽が出たのを利用して、川遊びに出かけました。前日までの雨で増水した川で遊ぶのは危険ですが、宿舎の中ばかりで体力を持て余しているため、浅瀬がある場所を探していただき、19人の子どもたちに、8人の大人が立ち入れる場所を制限し、一緒に川の中に入りました。子どもたちが川に流されたり、事故に合わないように細心の注意を払って、浅瀬で水遊びを楽しみました。

e0143522_2337624.jpg合宿も4日目にもなると、男女共に互いに協力したり、面倒を見る余裕が出てくるのですが、最初の数日は自分のことに精いっぱいで他人のことまで目を配る余裕はありませんでした。特に、高学年の男子は「自分が面倒を見ると決まった子」以外は、同じ班なのに、まったく関わろうとせず、現代社会で人に思いやりを育んだり、協調することを知るのは、本当に難しいと感じています。

楽院に通う男子は、音楽に関しては、真剣に取り組んでいます。普段、どんなにふざけていても大事な時には格好いい自分でいたい、という思いがあるのでしょう。しかし、「自分のことをしっかりできる」から、小さい子の世話をしたり、優しくすることが、難しいようです。できる子は、できない子の気持ちは、よく分からないということもあるかもしれません。

午前中の合唱が終わると、6年生の副班長が「言ったのに忘れるのは、自己責任」と班長に言っている声が聞こえてきました。1~2年生に「持って帰れ」と言ったレインコートが置きっぱなしにされていたようです。そこで、「学校の合宿は自己責任かもしれないけれど、楽院の合宿で低学年の忘れものは自己責任ではなく、班長と副班長の責任」という話をしました。

6年生ばかりのクラスなら、先生に言われて、それをしなかったら自分の責任かもしれません。しかし、楽院は縦割り班で、今年、初めて児童部として参加した子には、知らないことがたくさんあります。その子たちに「忘れものは自己責任」というのはかわいそうです。

「班長がお父さんだとすると、副班長はその班のお母さんです。自分たちの子どもが忘れものをしたときに、『自己責任だ』という親はりにひどい。忘れものをするなら、しない方法を考えるのが、班長と副班長の責任」と伝えました。

6年生も「なるほど」とその場は、納得したと思ったのですが、問題はその後です。合宿所でも、川でも、「お母さん、Mくんをお願いね」「そっちは、お父さんがやって」と言い合っていることに気付きました。「単なるたとえ話だったのに、そのまま、呼び合って」と小ばかにされたような気がしましたが、それでも、笑ってしまいました。

夜は小雨がぱらつく中、前日に中止になった花火大会の花火をあげて、キャンプファイアーも無事に行うことができました。雨が本格的に降り出す前にキャンプファイアーを終えるため、合唱もスタンツも駆け足で行いましたが、先生たちが、毎晩、夜遅くまで練習した「先生のスタンツ」も、今年は中止としました。

部屋に入って、寝る支度と帰京の準備をしていた時に、女子班の班長が、「班長がこんなに大変だと思わなかった。何度、言っても、誰も聞いてくれなくて……」。4日目になって疲れて限界が近づき、少しずつ不満もたまってきたのでしょう。「でも、これで、お母さんの苦労が分かったでしょう? お母さんは、こうやって子どもの世話をしながら、ご飯も作って、洗濯もして、お仕事もしているのだから……」。

合宿最後の晩になり、「早く家に帰りたい」という子もいれば、「全然、寂しくない」という子も多くいるようですが、私たち大人に限界が近づいています。明日の朝のマラソン大会を無事に終えて、早くおうちに帰りたいのは、子どもたちだけではないようです。
by k-onkan | 2017-07-30 23:37 | 楽院だより | Comments(0)

簡単なことは知っておこう!

朝からボタボタという雨の音で、残念ながら、尾瀬の山登りには出かけることができませんでした。代わりに午前中は合唱練習、午後からは屋内版インディアンハイク、はがき書き、その後、合唱練習やスタンツの練習をしました。夜になっても雨は一向に止まず、花火大会の代わりに、お楽しみ会をしました。

e0143522_23485365.jpg今回の合宿で気になったのは、小学生の子どもたちの中に、何も考えずに「なんで?」「どうして?」と口にする子どもが増えたことです。しかし、よく考えると、3歳になる前から長時間の集団生活をしてきた子どもは、親御さんに「なんで?」「どうして?」と尋ねて、好奇心を満たすという経験は少ないかもしれません。

3歳頃は、何度も同じことを、「なんで?」「どうして?」と尋ね、理由づけを求める時期です。同じのことを何度もしつこく尋ねるため、大人は「前にも教えたじゃない」とうんざりしますが、これが、子どもの好奇心を育むことになります。しかし、こうした経験がないまま、子どもたちは、いろいろな塾やお稽古事に通っていると感じます。

私たちは、子どもたちの知識や特殊技能と、知らないことやできないことのギャップに驚かされています。たとえば、ピアノは弾けるのに、自分の髪の毛を3つに分けて編むことが、すごく難しかったり、生意気な口をきく年頃なのに、自宅の住所も知らない子どもが何人もいました。

「お手紙書き」のはがきは、表面に住所を書いたものをご用意いただいているのですが、無地のはがきを持ってきた子がいたので、「住所は自分で書きなさい」と促すと、「電話番号は分かるけれど、家の住所は知らない」「○○駅まで、連れていってもらえば帰れる」という答えが返ってきました。

震災から6年、喉元を過ぎると熱さを忘れるといいますが、親子が離れている時に災害にあわないとは、言いきれません。「万一のとき」を想定して、どうするかを相談したりしておくことも大事な気がします。その基本は、小学生なら自分の家の住所や電話などの連絡先を諳んじていることかもしれません。

さて、3日目の夜は、益々、激しい雨が降っています。明日は、何ができて、何ができないか、まだわかりませんが、子どもたちが、みんなで楽しく協力できるように、最善を尽くしたいと思っています。
by k-onkan | 2017-07-29 23:47 | 楽院だより | Comments(0)