麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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カテゴリ:自分のこと( 119 )

若い頃は本当に愚かだった・・・

甥の勉強を見るようになって、私は自分が中学、高校だったころのことをよく思い出すようになりました。恥ずかしながら私は「勉強好き」な子どもではありませんでした。でも、教え方が上手な先生に習うと何事もスムースに理解でき、それなりに恥ずかしくない成績を残すことができました。

e0143522_15392087.jpgただ、何かを学ぶ際には、なにがどう結びついてその結果、どうなるかが気になり、なんでもかんでも暗記して進めるタイプではなく、自分が大手の塾に向かないことにはすぐに気が付きました。みんなで一斉に理解して、同じことを「覚え学んでいくというペースに乗れないのです。

面倒くさいことですが、私に楽しく学ばせるためには、将来、どんな風に役に立つか、納得する説明が必要だったのです。当然、好きな教科と嫌いな教科の成績は格差がありました。また、先生の教え方が悪かったり人間性に疑問を感じはじめると、たとえ得意科目でもボイコットをしたり、相当、「いやな子ども」だったとの自覚があります。

受験英語を嫌った私はほとんど英語を話せないまま、アメリカに渡り大学付属の英語学校に通うことになりました。アメリカで暮らして分かったのは、すべての基本は言語にあるということでした。どんな隠れた能力を持っていても、その国の言葉が話せないだけで、下にみられるのです。5歳程度の英会話力だと当然、話しかけられる内容も5歳児とかわりません。語彙がないのですから。

私はそれが悔しくて「だれとでも英語で喧嘩ができるようになりたい」「政治でも、哲学でも自分が日本語で考えられることのすべてを論じられるようになりたい」と思ったものでした。私は珍しく時間を惜しんで勉強しました。新しい単語をたくさん覚え、書いて、読めるようになると、その単語が耳から入ってくるようになりました。でも、それが当たり前ではなかったのです。私よりもっと熱心に勉強していた大人の学生たちが「リスニングがとにかく難しく点数がとれない」と悩むのを目の当たりにして、私ははじめて、幼児期の聴覚訓練を与えられていたことに感謝したのです。

私に比べ、甥は素直に「やりなさい」ということを受け入れる子どもです。食卓でも「国語の形容詞も難しいんだ。英語だけでなくて、そっちも覚えなくちゃ…」と嘆いたかと思うと「お母さんも分かるか見ていて? 難しいでしょ?」と問題を出し始めたりと、勉強することを当たり前のこととして育っています。でも、その分、自分で「勉強の面白み」を感じたり、発見ができているか、というと、そこまでは到達していないのかもしれません。

そんな甥のはじめてのつまづきが英語であり、学年末試験は音楽祭の翌日でした。中学生の私なら、試験の日程を聞いた途端に家業の手伝いを大義名分に諦め、音楽祭だけ楽しく取り組んだことでしょう。反して甥は「指揮はちゃんとできるかな。心配だから今日、お風呂で一人で練習しちゃった。試験がうまくいっても、音楽祭の指揮がダメだったら困るなぁ。心配だ」と悩んでいます。

そんなストレスフルな一週間を過ごす甥の負担を少し肩代わりするために、短期集中”伯母塾”をしたのでした。願わくば、次回からは学校の授業と基礎英語だけで恥ずかしくない点数をとれるようになるか、友達に「壊滅的」と言われる前に、自分で「わからないから教えて」とSOSを出せる人になってほしいと思うのです。
by k-onkan | 2017-02-16 23:21 | 自分のこと | Comments(0)

にがい思い出・・・

楽院の生徒が、小学校の音楽会の伴奏を引き受けたことから、私たちも子ども時代に合唱コンクールの伴奏を引き受けたときの思い出がよみがえりました。e0143522_18525069.jpg
妹は中学3年のとき、先生の指名で課題曲の伴奏を弾いたそうです。当時、中3の受験時期でピアノを弾ける人は数えるほどしかおらず、妹が最初は他のクラスの伴奏も担当していたそうです。その後、伴奏者が弾けるようになって、交替するという方法を取ったといいます。

その中で最後まで練習では妹が伴奏を弾いていたクラスがあり、当日、「弾けるのかな。大丈夫かな?」と思ったようですが、自分から「大丈夫?代わろうか?」という押しの強いタイプではない妹は、誰からも「弾いて」と言われなかったので、そのまま、新宿文化センター大ホールで合唱コンクールは始まりました。

そのクラスの番のことでした。課題曲は伴奏の難しいところでつまずき、そのまま、伴奏は止まってしまったそうです。でも、歌は練習通り、無伴奏のまま、最後まで歌いきったのだそうです。当然、終わってから伴奏者は大泣きです。その帰り道、通りすがりの先生から「本番もキノシタが弾けばよかったのになぁ……」と言われ、妹にはなんとも言えない思い出になったそうです。

実は、私も高校1年生の時に似た体験がありました。高校最初の合唱コンクールの際に、クラスで「ピアノを習っている人」と問われ、私ともう一人が手をあげました。高校生の頃の私は、簡単な童謡の伴奏などは、楽院で手伝いでしていたので、学校の合唱コンクールの伴奏も、特別に難しいものではありませんでした。しかし、もう一人の伴奏者は「練習中」ということで、毎回、私が代行していたのです。

コンクールが近づいた頃です。いつまでも代行しているのは正しくないと感じて、「本番に弾く人が演奏した方がいいから」と交替しました。しかし、歌とピアノが合わないのです。女子校というところは、影響力を持つ女の子が「歌いにくいから、木下さんが弾いた方がいい」と発言すると、一気にまわりが同調して結局、私が二曲担当しました。伴奏を降りた生徒は合唱コンクールの後から、少しずつ不登校になり、その年のうちに高校を退学してしまったのです。この話は、今も思い出すと、なんとも嫌な気持ちが蘇ってきます。

私たちが、楽院の生徒には安易に伴奏を引き受けないでほしいと考えるのは、学生時代の「ほろ苦い思い出」が起因しているようです。学校という小さな社会で本番に大失敗をしたら、そのショックは計り知れないものがあります。また、大きな失敗はしなくても、クラスメートの信頼を失うのも、子どもには大問題でしょう。そんな問題に遭遇しないためにも、「ピアノを習っている」と言うなら、それに恥ずかしくない練習はしておいて欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2017-02-09 18:52 | 自分のこと | Comments(0)

うがいは声を出そう!!

1週間前の休日、調子が悪く一日、寝込んでしまいました。薬を飲んで回復したのですが、翌日のレッスンではすっかり声が出なくなっていました。木下式を数年受けた子どもであれば、特別に大きな声を出さなくても、自分で取り組み、普段通りの声を出してくれるのですが、1年目の年少児の中で、特に男児はいつもと違う私の声にり落ち着きをなくしてしまい、申し訳ない気持ちになりました。

e0143522_17574895.jpg私はこれまで、どんな風邪をひいても、扁桃腺が腫れても、声が出なくなったことがなく、喉が強いのが唯一の自慢でした。それが「音感かるたの説明」も声が通らず、模範唱も裏声しか出ず、「何かがおかしい」と思いましたが、週の途中に出張の予定があったため、歌唱指導はすっかり高齢の木下先生一人にお任せしてしまいました。

やっと耳鼻科で見ていただいたのは声が出なくなってから5日が経過したときでした。内視鏡で声帯にかさぶたができていることが分かり、それが高い声が出なくなった原因のようでした。「なぜ、声帯にかさぶた?」と思いましたが、ウイルス性の風邪によって急性咽頭炎になったからとのことでした。

これまで、子どもたちに「うがい、うがい」と言ってきましたが、うがいをする時は「最初はゆすぎ、その後、ガラガラと言いながら、最後は声を出す」と3回するのが大事なようです。うがいをしながら、声を出すと声帯の付近も殺菌されるようです。喉に自信があると思っていた私でも、いろいろな病気をいただく時期です。音楽祭の目前に、風邪やインフルエンザにかからないためにも、手洗いとうがいは、本当にまじめにやった方がよいと身を持って体験してしまいました。いろいろとご心配、ご迷惑をかけた皆様に深くお詫びします。
by k-onkan | 2017-01-27 23:53 | 自分のこと | Comments(0)

みなさん、ありがとう!

大阪出張の前日、楽院のある新宿区上落合付近では近隣の火事の影響で2800戸が停電するという出来事がありました。それはちょうど、恒例の保育園指導から楽院に戻ったころのことでした。楽院には非常灯の下で年少児たちが音の聴き分けをしながら復旧を待つ姿がありました。しかし、いっこうに電気は通じず、非常灯もあと30分で切れると言われ、レッスンは早めに切り上げ、生徒をお返ししたのです。私たちスタッフも電話をはじめ、エアコン、パソコンも使えないため、早めに帰宅したのですが、それが、あとでたいへんなことになるとは思いもよりませんでした。

e0143522_19302125.jpg翌日、新幹線で名古屋を過ぎたころでしょうか。私はハッと「CDを持ってこなかった」と気付きました。CDとは音楽祭の本番でオーケストラが、どんな音色でどんな風に演奏するかの音源が記録されたもので、音楽祭の事前に、幼児たちにオーケストラの音色に慣れさせるためにとても重要です。数日前まで「指導に持っていくもの」として職員室の私の机に用意してありましたが、停電の暗闇の中で、手巻きランタンで灯りをとっていたため、すっかりCDの存在は抜け落ちてしまいました。

新幹線の中から慌てて楽院に電話して、CD製作を担当した音響の会社から、音源がメールで送れないかを問い合わせてもらいました。急なことで、大勢の方にご迷惑や無理をお願いしながら、なんとか私たちが幼稚園にいる間に、音源は届き、現場の若い先生がCDにしてくださいました。忘れてきたものが、再生できたことに私も木下先生もホッとすると同時に、「なんと便利な時代になったのだ」と驚きました。

大勢の人に私のミスを救っていただきましたが、こういう時に、誠実にしっかりと対応してくださるかどうかが、分かるものです。残念ながら、一般には困った時にお願いをしても「時間がないから無理です」「それは契約には入っていない」とむげに断られることもあるでしょう。

私は、自分が不完全でいつミスをするか分からないという思いがあるので、できるだけ、万が一の時は、自分にできることは手を差し伸べ、最善を尽くしておきたいと思っています。それが自分が困った時に助けてくださった方に、いつかまわりまわってお返しできるかもしれないと思うからです。

社会にはいろいろな仕事があります。自分で起業をする人もいれば、サラリーマンとして誠実に勤め上げる人もいるでしょう。そのどちらであっても、私が願うのは、「仕事」は人間の思いやりの上に成り立つものであってほしいということなのです。
by k-onkan | 2017-01-19 23:29 | 自分のこと | Comments(0)

あけましておめでとうございます

謹んで新春のお慶びを申し上げます
輝かしい新年を迎え
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます


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昨年は孫弟子をはじめ、012歳のお子さんたちが多く通ってくださるようになりました。
この時期のお子さんたちを教えれば、教えるほど、人間の基本は、乳幼児期が土台になると感じます。
今年も、大勢のお子さんたちから、学ぶことを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いします。
by k-onkan | 2017-01-01 00:00 | 自分のこと | Comments(0)

伯母では、ダメですか?

妹の子である甥たちから見ると、私の続柄は、「伯母」です。けれど、小学1年のKには、この「オバ」という響きがどうしても気にいらないようなのです。小さい頃は、私が「私はあなたの伯母」と教えると、「オバァ?」「おばぁ…ちゃん?」と言って、よく私に嫌がらせをしていたものでした。その度に「よくも言ったね…」と追いかけると、大笑いをして喜んだものでした。

e0143522_21404911.jpgしかし、小学生になると、この「伯母」という呼び名を実際に使う機会が出てきました。それは、夏休みも終わりにせまった週末でした。甥兄弟が我が家に泊まりがけで遊びにきたことがありました。甥は、そのことを一行日記に書いたそうです。しかし、どうしても、「おばさんの家に泊まりにいきました」とは書けず、「音楽の先生の家に泊まりに行きました、と書きたい」と言ったそうです。「

甥も楽院の生徒の一人なので「音感の先生の家に泊まった」というのは、満更、嘘ではないのですが、私たちには「それは、何か変でしょう?」と感じ、「親戚の家ならば、どう?」と妹が手を打ったのでした。結果、夏休みの宿題の一行日記には、「しんせきのいえにとまりにいきました。たのしかったです」と書かれていました。

以来、「私は、Kちゃんの何?」と尋ねるたびに、「親戚」という答えがかえってくるようになりました。しかし、「親戚」にもいろいろな種類があり、私は紛れもなく「伯母」なのです。その響きをそんなに恥ずかしがるなら、もっと小さい頃に「伯母ちゃま」と呼ばせておくべきだったと思いますが、後悔は先に立たず、です。

思えば、私にはじめての甥が生まれた時、私はまだ30歳になったばかりでした。そのため、、「オバちゃま」と呼ばれることには抵抗があったため、家族が呼ぶように「まぁちゃん」と教えたのです。しかし、だんだん年をとってくると、そろそろ「まぁちゃん」と大きな声で言われる方が恥ずかしくなってきて、いっそのこと「伯母」と呼んでくれたらいいのに、とも思います。中学生になり、私より背が高くなった兄甥Yも私を呼ぶのが恥ずかしいらしく、どこでも「麻奈先生、麻奈先生」と呼ぶため、気づくと施設の先生が、いろいろな年齢の子どもたちを引率して出かけているような風情なのです。

そして、思い出したのです。その昔、祖母たちも、私たち孫に「おばあちゃま」と呼ばれるのを嫌って、「たぁたん」とか「おかあさま」と呼ばせたものでした。けれど、年々、年下の従姉妹たちが増えると、徐々に、「おばあちゃまでいい」というようになっていきました。しかし、私たちは、長年、呼び慣れた名前以外の呼び方は、気恥ずかしく最後まで、小さい頃と同じ呼び方をしたのでした。私を「伯母」と言えない甥を見ながら、その昔、祖母たちが「もうおばあちゃんと呼んでいい」と言った気持ちも少し理解できたりするのです。
by k-onkan | 2016-10-04 21:41 | 自分のこと | Comments(0)

へんな電話がかかってきた?

最近、時々、我が家に変な電話がかかってきます。それは、中学1年の甥Yが英語の会話テストの前日にかけてくるものです。初めて、「フフフ、ヘロー」という怪しげな電話がかかってきた時には、低い男性の声に本気で「変な人からの電話?」と疑ってしまいました。それが、Yが英語の教科書を読み上げている声だと、気づいたのはしばらく経ってからでした。

e0143522_1673865.jpg年長のころに、一緒にアメリカ人家庭に滞在したときには、もっと素直に耳から入ってくる発音が真似できたはずなのに、「なぜ、こうも不思議な音声を発するのか?」と不思議な気持ちになりました。中学生の男児ともなると、和性英語の知識と照れも手伝って、へんな発音にさらに拍車がかかるのかもしれません。しばらく相手をして、どうにか、言っていることが英語らしく聴こえるようになったところで、「ありがとう。またね」と電話は切られました。

甥の相手をしながら、中学1年のころには帰国子女の同級生がいたことを思いだしました。彼女は、初めての英語の時間に、ネイティブの発音を披露し、以来、男子から「バリボー」というあだ名で呼ばれ、からかわれていたものでした。

日本人の中学生男子には「volleyball」はバレーボールでしかありませんが、英語を話す人にとっては、「ヴァリボー」に聞こえたのでしょう。最近は、小学生から、英会話を習う子もいるので、今の時代では、理解されない話しかもしれませんが、きっと、同級生は学校の英語の時間がさぞ苦痛だったことでしょう。

さて、これからの時代は、母国語の理解を深めたら、外国語もじっくり勉強しなければ、自分の夢や希望を叶えることは難しくなってきます。私にとって「甥の英語をもう少し、なんとかする教え方を考える」という新たなチャレンジがみつかったような気がしています。
by k-onkan | 2016-09-25 23:05 | 自分のこと | Comments(0)

いろいろな見え方がある

週末は、1年生の甥Kと純子先生の家にお泊りにいきました。小さな頃から、祖父母の家にいくと、「ぞうの国」に行っていたKは、小さい頃は、「ぞう使いになりたい」と言うほど象が好きでした。しかし、象使いになるには、タイに渡り象使いになる修行をしなければなれないと聞いて、「象使いはいい」と決めたようです。

e0143522_1822143.jpgぞうの国には、「日本で初めて、母象による子育てをされている二頭の象」がいます。そこに、よその動物園から「子育て」を委託されもう一頭、子ゾウがいるので、現在、2歳と3歳の小象が絵を描いたり、いろいろな芸を披露しているということで、出かけることになったのです。

ぞうの国で暮らす象たちが芸を仕込まれてショーをさせられていることを、「人間が虐待している」という人もいるようです。しかし、ぞうの国で生まれた二頭の小象は、生まれた時から、この動物園にいます。千葉の田舎の動物園で生きる動物たちには、莫大な食費や人権費が必要です。奇特な人の寄付によって運営されているわけではない動物園なので、園長さんはいろいろと工夫して動物たちの居場所を工面する商売上手です。

先日、井の頭公園にいる象が亡くなったというニュースを聴きました。遠い異国から、はるばるやってきて60年という長い年月を、たった一頭で一生を終える象もいることを考えると、野生の生活とは違っても、群れで暮らし、子を産み育て増えていく象たちの方が幸せそうに、私には感じられます。

象たちが日本で、問題なく暮らすために、タイから来た象使いが大勢いて、共同生活を送っているようです。「野生の生活とは違う」と言われたら、動物園の生活は、確かに違いますが、それは、人間とともに暮らすペットの犬や猫も、本来の野生の姿ではないように思えるのです。

日本の国で生まれた象さたちが、日本で生きていくために、芸を覚えてショーをすることを虐待といって、動物のために悲しむ人がいることも、理解はできますが、出稼ぎにくるタイ人の方々は、象の世話をすることで、タイにいる家族の生活を支えているでしょう。象に芸をさせるのを辞めて、山の中に放したら、幸せかといったら、食べ物が探せず、飢え死にしてしまうかもしれません。

一つの事柄には多方面からの物の見え方、考え方があり、答えは一つではないように思います。考え方の違う方と、議論をすると並行線で、決してお互いに理解をし合える結論はでないように感じますが、それでも、「みんながやっているから」とか「そういうものだから」と何も考えずに、受け入れたり、否定するのではなく、いろいろなことを、深く考えていたいと思ったのでした。
by k-onkan | 2016-09-04 23:19 | 自分のこと | Comments(0)

甥兄弟と1日旅行へ<2>

普段、家の車で旅をする甥兄弟にとって、バスでよその人と一緒に参加するツアーは、はじめての体験でした。こうしたツアーは、それぞれの観光地で自由行動になるのですが集合時間は厳守です。中学1年生の兄甥は、年齢も大きく、小さい頃から私と二人で電車や飛行機で出かけた体験も多いため、公共の場やよその人との関わりも心得ていますが、家族と共に行動することが多い弟甥は、バスの中でも結構、気ままに過ごしていました。自分の車の中でするように、テーブルを出して朝食を食べ終わると、当たり前のようにテーブルをしめたのですが、それが、前の席の年輩の女性には、振動として伝わったのでしょう。次に目があった時に、不快そうに睨まれたように感じました。

e0143522_15553666.jpg特別に注意を受けるほど、迷惑をかけたつもりはありませんでしたが、兄甥と私はその人から「マイナスな雰囲気」を感じ、弟甥に行動に気を付けるように目配せで知らせましたが、弟甥はマイペースです。そこで、アイパッドを使って「テーブルを何度も動かすと、前の人に迷惑がかかるから、静かに気をつけて使いなさい」と知らせました。声を出していけない状況では、アイパッドやスマホはとても便利です。

公共の場には、「子どもだから」と大目に見たり、「かわいいね」と優しくしてくださったりする大人も多くいますが、そうでない大人も存在します。そして、それこそが社会なのだと思います。親やまわりの大人から尊重されて、大事に育てられた子どもは、つい「どこでも何をしても許される」と思ってしまいがちですが、社会では通用しないこともある、弟甥にはこのことを知る良い機会となったと思います。

一日旅の途中、兄甥は何度となく「Kちゃんって人間として、『どうなの?』って思うことが多くて、よく分からないよ」と口にしていました。「ぼくはお母さんが「しなさい」ということなら、そうしたけど、Kちゃんは言われたことはしないし、知ったかぶりをするし……」。「Yはお母さんの言葉には本当に素直だったね。でも、Kちゃんは、はっきりとした自分があって、自分で決めたことをする人なんじゃないの?」と中立を保ってはみたものの、長子の私は、実は兄甥の気持ちのほうが理解できます。

いろいろな場面で甥兄弟を観察しながら、「確かにKは心配かも」と思うことは多々ありました。Kは、とても可愛くチャーミングな子どもですが、不機嫌になると、とてつもなく冷淡なところを持ち合わせています。楽しかったり、嬉しかったりすると一緒にいてこちらまで幸せな気持ちになりますが、気にいらないことがあれば別人のように変貌します。また、不機嫌になるポイントは本人にも分からないのかもしれません。その姿は、「まるで、父が子供だったら、Kのようだったのでは?」と思うほどです。

「アイスクリーム作り」に興奮してニコニコにしていたかと思うと、15分の冷却時間に、だんだん不機嫌になっていき、「にぃに。やめてよ。さわらないで。うざい。嫌い」と冷たい言葉で兄甥に八つ当たりをします。兄甥も兄甥で6歳年下の弟をわざと怒らせるように、ちょっかいをかけます。協力しあっていたかと思うと、諍いがあり、諍いがあったかと思うと仲良くして、二人でいると本当にうるさいのですが、これこそが、兄弟で共に育つということなのかもしれません。

甥たちを見ていると、私自身が子供時代に弟妹にしたことを思い出して、恥ずかしくなることばかりです。甥たちと一緒に過ごしながらも、喧嘩ばかりしつつも、問題に直面すれば、協力していた子供時代の弟妹との原体験を、懐かしく感じる旅となったのでした。
by k-onkan | 2016-08-17 23:54 | 自分のこと | Comments(0)

甥兄弟と1日旅行へ<1>

「台風で中止?」と思った割には朝からいいお天気でした。バスの中で食べられるようにサンドイッチを用意して、支度をしているところに、弟甥が「荷物はどうやって持つの?」と聞きにきました。ふだん、自動車での移動が多い甥たちは、荷物を最後まで自分で管理する機会が多くないため、自分で持つという意味で「手!」と伝えたつもりでした。

e0143522_22465068.jpgすると、弟甥は「自分が必要なもの」だけを選んだ「本」と「傘」だけを持っていました。「リュックは?」と聞いても「これだけでいい」というのです。兄甥に「そんなお風呂にいくような格好ではダメでしょ?」と言われていましたが、「いい」という弟甥に私も無理強いをしませんでした。

後からそのリュックに自分のおやつも入っていると気づいた兄甥から、「ボクには、Kちゃんの言っている意味が分かったよ。『背中で』って言わなかったからリュックを持ってこなかったんだよ」と言われてしまいました。「おやつも財布も携帯も置いてくるなんて、役立たずだよ」と兄甥に注意されていましたが、弟はまったく気にしていませんでした。

バスに乗って20分も経過すると、子供は飽きるものです。弟甥も「何時に着くの?」と何度も聞くので、「バスガイドさんに、『最初の目的地に着くのは何時ですか?』と聞いてごらん」と伝えました。すると、「聞いてくれないなら、知らなくてもいい」という答えが返ってきました。小さい頃は、何事にも物怖じせずに、よその人に質問して愛想がいいと思っていた弟甥がすっかり、無愛想な小学生になっていました。反して、中学生になった兄甥は、カメラを向けると愛想笑いができる「調子のいい感じ」になっていました。

そんな甥たちと、ブルベリーを狩り、白糸の滝で冷たい水を感じ、まかいの牧場でバーベキューとアイスクリーム作り、最後に天然記念物の富士山の洞窟で、天然の氷を体感して、帰ってきたのでした。

自分で「リュックサックを置いていく」と決めた弟甥は、洞窟内が「0度」であっても、絶対に「寒い」とか「リュックを持ってくればよかった」とは言いません。妹は「氷穴の中で寒くないように」と長袖も入れていたそうです。しかし、弟甥は、自分が決めたことの結果は、どんな失敗があっても、「失敗」だとは認めずに、「大丈夫」と頑固なまでに、自分を通すのでした。<つづく>
by k-onkan | 2016-08-16 22:45 | 自分のこと | Comments(0)