麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
カテゴリ
全体
木下式音感教育法
しつけ
子育て
教育
お稽古事
親業
音楽
乳児
のぞみクラス
幼児
児童
名誉団員・卒業生
思春期・反抗期
自立について
運動
発達障害
保育園
楽院だより
我が家のこと
自分のこと
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
フォロー中のブログ
蛹の頃~さなぎのころ~
最新のコメント
出演園児のお母様へ ..
by k-onkan at 06:33
一番こわいのは、マナ先生..
by 出演園児の母 at 10:48
昔、近所の顔なじみの飲食..
by k-onkan at 10:32
>「じぃじ」 凄いです..
by ha-i at 01:48
ばら組の保護者さま ..
by k-onkan at 17:06
作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2008年 04月 ( 33 )   > この月の画像一覧

可愛いですよね?

このブログが「木下式音感教育法」のホームページからリンクできるようになりました。これまで、保護者の方にだけ見ていただいておりましたが、どなたにも、お読みいただく機会ができました。それに伴って、このページのデザインも変わりました。

厳しく重い躾の話も、ケイイチ・シライが描くほんわか可愛い「ケイ&シュート」の素敵なイラストで柔らかな感じにしていただいています。著作権は全て、「Kei-Heart」にあり、無断転載や二次使用はできません。
e0143522_229178.jpg

ケイちゃんのイラストへのリクエストがありましたら、お知らせください。
by k-onkan | 2008-04-30 01:59 | 発達障害 | Comments(3)

そんなお金はいやだなぁ・・・

「Kと一緒にコンビニに行くと、何でも欲しいものを買ってくれるんだよ」。
子供たちの会話を聞いて、私はびっくりしてしまいました。楽院に通う子供たちは、みんなそれぞれに、何の不自由もない子供たちばかりです。他の子のお財布をあてにしなくても、必要なものは親御さんから十二分に与えられているはずです。とは言っても、子供なので、「欲望を抑える力」が弱いところがあります。心地よいこと、楽しいこと、面白いこと…。目の前に楽しいことがあれば、吸い寄せられてしまいます。よほど、普段から厳しく、「物事の善悪や家庭のルール」を徹底している家庭の子ならば、「ぼくはいいよ。そんなことをしたら、お母さんに叱られると思う」と言うかもしれませんが、「みんなもやっているんだから、固いことを言うなよ」と強く勧められたら、「ありがとう」と受け取ることもあるでしょう。

「あなたたちは、乞食じゃないのだから、友達が買ってくれると言ったからと、ホイホイついていって、買ってもらうのは、情けないことなのよ。第一、そのお金は、Kのお金と言っても、Kのお父様が一生懸命働いたお金であって、Kが自由に大盤振る舞いしてはいけない。それを利用して、あなたたちが無駄遣いするのも絶対にいけない」と厳しく言い渡しました。「買ってもらわなかったんだから、いいじゃない」と言うので、二度とそんなことを口にしたくなくなるよう、もっとうるさく説教してしまいました。

e0143522_0393260.jpg子供にお金のことを伝えるのは「品がないこと」と思われ、とても難しいものです。けれど、子供が社会性を持って、まともな常識を持って生きていけるようにするためには、避けて通れないのが、「お金の話」です。お父さん(またはお母さん)が一生懸命、働いて収入があって、そのお金で子供たちは、学校に行ったり、おけいこに通ったり、洋服を着たり、ご飯を食べている、住む場所がある、つまり、親に養われているということ。これは小さいうちから、知らせておかなければならないことです。『月の給与がいくらで、ローンにいくら払って・・・』と細かく言うと夢も希望もなくなってしまいますが、泉から水が涌き出るように、「お金が自然に出てくる」とか、「銀行がお金をくれる」のではないことを、年齢に相応な教え方で知らせておく必要があります。

先日、ホテルのヒーローディナーショー(ウルトラマンや、何とかレンジャーが出てくるアレ!です)のチラシを目にした甥が「お母さん、これ行こうよ!」と無邪気に誘います。「1人1万円もするからダメ」というと「1万円ってたくさんなの?1なのに・・・」と言います。彼の中で数字の1は、一番小さい数です。そこに、万という知らない単位がついたので、どれくらいの価値かが分らないのです。妹が「1万円あると「たのしい幼稚園(子供の月刊誌)」が20冊買えるのよ。4人分なら80冊」。「えぇ?80」。Yは、毎月、この雑誌を買ってもらっているわけではありません。何か特別なことがあった時にご褒美などに買ってもらえることがあるのです。それを80冊と聞き、甥は自分の欲求を抑えることになりました。子供の要求を全てかなえるのが良い親ではありません。時に、あきらめること、我慢することを教え、しつけることが大事です。

お金には種類があります。「コインや紙幣!」ではありません。「良いお金」「悪いお金」です。こういうと、屁理屈を言う子供なら「1000円は、1000円だよ。使えば分らない」と言うかもしれません。でも、全然、違います。犯罪に関わる方法で得たお金や、人に恥ずかしかったり言えない方法で入手したお金は、体や頭脳を使って汗水をたらして得た1000円とは、貨幣価値が同じであっても、意味が違うことを教えなければなりません。

先日、こんなことがありました。年中の男の子のとても微笑ましい話です。年中になると、早い子でピアノが始まります。Mくんもその日からピアノが始まりました。まゆみ先生からピアノの課題を説明されながら、不安そうに「ぼくのうちは、この間、勉強机を買ったばかりだから、ピアノを買うお金はないと思うなぁ。置く場所もないし・・・」と言うのだそうです。「今、ピアノがないなら、当分はここで練習すればいいわよ」と言われ、少し安心したようでした。帰り際、お迎えのパパにその話をすると、「お金は、パパがどこかで拾ってくるよ」。するとM君が「拾ったお金で買ったピアノ、ぼくはいやだなぁ」。

M君は、理解力のある子です。自分ができないことがあると、悔しくて涙ぐんでしまうこともありますが、自分から一生懸命努力する子です。だからこそ、4歳でも自分の価値観や物事の基準を持ち始めているのでしょう。1週間後、「ピアノは、家族みんなで協力してお金を出せば買えることになったんだよ」と嬉しそうに報告してくれました。これから、時に、練習がつらくてピアノが嫌になることもあるかもしれない。でも、家族が君のために買ってくれたことを忘れないで一生懸命、勉強してね。

大人はつい、「子供だから・・・」と思いがちです。けれど、子供が純真だからこそ、本物や真実を見抜く力を持っていて、オチオチしていると私たち大人は負けてしまいます。子供に負けないように、私たちも努力しなくてはいけませんね。
by k-onkan | 2008-04-30 00:39 | しつけ | Comments(1)

思い通りになんかならない

社会に出て働けば、物事が思い通りに進まないことには多々直面することです。努力しても、むくわれなかったり、つまずいたり、あきらめたり、妥協したり、プライドを傷つけられたりすることも残念ながらあるものです。実は子育てもそれと同じくらい思い通りにならないものなのです。

子供の両親、特にお母さんは、愛する我が子が生まれ、赤ちゃんと過ごすことを「夢のような日々」と期待しているはずです。フワフワのほっぺ、プニョプニョの足。その横で眠りについたら、どんなに幸せだろうと私の母も思ったと言います。けれど、実際は、幸せからほど通かったそうです。安らかどころか、赤ん坊の私が熱がってジッとせず、けとばされたり、叩かれたり…。母乳をやれば噛み付かれて散々な目にあったと言います。

e0143522_15371215.jpg親は我が子がだからこそ、「思い通りになるもの」と思いがちです。しかし、そうは行きません。確かに小さい頃なら、「お母さん、お父さんが大好き」なので「褒められよう」「愛されよう」と親の言うとおりにもするでしょう。中には3歳の頃から、きちんと「自我」を持ち自分を主張するしっかりとした子(大人にとっては扱いにくい子)もいます。お腹を痛めた我が子とは言え、「別人格」です。我が子だから「こうに違いない」と思っても、違うことを考えていたり、又、その逆もあるでしょう。「思い通りにならなくて当たり前」と軽い気持ちでいた方が良いこともあります。

たとえば、男性なら、会社で部下を仕込んで良い結果を出そうと躍起になって叱咤激励しても、全ての部下が素直に良い結果を出せるとは限りません。10人いたら10人が違う個性を持っています。優等生タイプで素直な部下もいれば、身勝手でわがままな部下もいるでしょう。高い要求を出すと、それをこなしてどんどん、ステップアップできる人もいれば、ほめて、はげまして、気を使わないと、仕事ができない人もいるでしょう。異なる個性を持つ人の能力を引き出すのは、大人相手であっても難しいことです。上手に能力を引き出せば、部下は益々結果を出せるでしょう。けれど、上司が能力を引き出す努力をせずに、文句だけ言っていると「上司が悪いから自分は力が発揮できない」などと陰口をたたかれてしまうかもしれません。

子供も同じです。たとえ我が子とは言え、自分とは、異なる個性を持つ子の長所を最大限、発揮させるのは、難しいことです。よかれと思って手を出しすぎて意欲を喪失させてしまいますし、自由にさせてばかりいると、とんでもないことをするのが、子供というものです。適度に手を出し、適度に突き放し、自分のしたことに責任を持てる子に育てたいものです。親子関係には、「移動の季節」はありません。親子で相性が悪くても一生、子供の交換も親の交換もできないのです。それならば、お互いの長所を認め合い、良い人間関係の中で、親として、子供に伝えたいことを知らせていきたいものです。
by k-onkan | 2008-04-29 15:27 | しつけ | Comments(0)

土足厳禁、子供の世界

いじめを苦に愛する我が子が死ぬことも、わが子が原因でよその子が死ぬことも、絶対にあってはならないことです。私も子供の頃、「死んだ方がまし」と思ういじめにあいましたが、「家族が泣いて悲しむ姿」を想像すると、それはしてはいけないと思いました。「誰かのため」を思うことが、自分自身の癒しとなったのです。

いじめっ子になるくらいなら、人の痛みのわかるいじめられっ子が良い。いや、いじめを苦に自殺でもされるなら、いじめる方が・・・。など、いろいろな考え方があるものです。
しかし、子供のいじめを見たり、体験すると、「いじめられたら、いじめる」「いじめたら、いじめられる」という悪循環を感じます。人は一方的にいじめられ続けたり、いじめ続けたりできるものではないのでしょう。

「いじめっ子」にも「いじめられっ子」にもならずにすむように、子供の様子を観察してあげること。弱っていたら何も言わずに抱きしめてあげること。勝ち負け以外にも人生に価値観があること。子供が愛されていると実感できる愛情を与えること。不要な人間だと思わせないこと。そして、親より先に死んではいけないことを教えること。相手の子供の心も思いやること。を教えましょう。

親にとって、我が子がいじめられている(いじめている)という事実は、衝撃的で、また、自尊心も傷つきつらい体験です。認めたくないかもしれません。しかし、一番つらいのは、毎日学校に行く本人です。いじめにあった子は、共通して、親に「あなたも悪いんでしょ?」と言われたことが、何より辛かったと言います。誰よりも親が嫌いになったと…。

e0143522_15382097.jpgいじめられる原因は確かに、本人にもあるでしょう。けれど、一番弱っている時に、身近な人に自分を否定されたら大人でも逃げ場を失ってしまいます。中には、学校に行かせたいあまり「あなたにも否があるんだから我慢して、やり過ごしなさい」という親もいるでしょう。無理に学校に行かせることは、親まで自分の辛さを理解していないと絶望することもあります。そんな時は休ませてあげて欲しいものです。いつまで、休むのか、その先、どうなるのか、不安も多いですが、子供が逃げ道をなくして、もっと深く傷ついたり、人間不信に陥るよりはずっとましです。

子供社会から、はじき出されたら、本人の「辛い気持ち」を理解した上で、いじめた子には、自分と異なる考え方や感じ方をしていることを教えましょう。自分以外を受け入れる習慣を持たせないと、いつまでたっても孤独です。人のせいにしたり、何かのせいにするのをやめましょう。人の気持ちを思いやったり、人のために働ける人には、必ず、周りが協力してくれます。

わが子が可愛いいのは、当たり前ですが、「立ち木の陰から見る」と書いて「親」です。どんな「いじめ」にあっていたとしても、子供の世界へ土足で踏み込んではいけません。子供の世界は子供のものです。親が良かれと思って、いじめの解決に乗り出すと、かえって悪い結果が出ることもあります。子供は、自分の親には、他人の欠点のみを報告するものです。我が子の話を100パーセント鵜呑みにして、苦情を言ったら、実は、自分の子供が、ひどいいじめをしていたという話もありました。

子供の世界には、子供のルールがあります。子供の気持ちは変わりやすく、けんかしていたと思ったら、メールのやりとりをして交流を深めていたり、大人から見ると、何が起きたか分らない、驚くような変わり身の速さです。子供の「大嫌い!」は、実は「仲良くして欲しい」という気持ちの裏返しだったりもします。反対に、仲良しだと信じていたら、人のいないところで、いじめられていたりすることもあります。何事も観察です。立ち木の陰で見守って、どうしても「危険」な時には初めて、親が「危ない!」と子供たちに直接、声をかけてあげて欲しいものです。我が子に良かれと思ってしたことから子供の「信頼」を失墜することがありませんように・・・。
by k-onkan | 2008-04-28 02:23 | 幼児 | Comments(5)

人生の先導理論

久しぶりに楽院にきた優等生の先輩Yちゃん(中3)に、「先生のブログ、毎日読んでるよ。最近、面白くない!もっと、これは、誰のことだ!って分るようなのを書いて!!それから、ちゃんと、学校から帰ってきて見たら更新されているように早い時間にアップしてね。最近、時間が遅いでしょ・・・」とダメ出しをされてしまいました。子供の時、あんなに私を怖がって泣いていたのに、今では私よりずっと怖いです。頼もしいやら恐ろしいやら・・・。「これって**のことだ」と分るように書くのは、人を傷つける恐れがあるので書けないので、「**のことじゃないかなぁ?」と想像して読んでくださいね。

木下式には、未知の事柄を教える「先導」という手法があります。最初は、歌詞や言葉の全体を全て教える「全先導」です。初めてでも不安な気持ちにならずに安心して取り組めるのです。けれど、いつまでも、全部教え続けると、子供は自分で考えなくなってしまいます。そこで一部だけ知らせ、残りを自分で考えさせる「部分先導」を用います。そして、最後に、一切、手助けを与えない「無先導」があります。つまり思考のひとり立ちです。この方法を地道に反復しながら、積み上げるので、木下式を学んだ子供たちの記憶力や思考力は良いのです。これを木下式の先導理論と言います。

e0143522_1539107.jpg子供の成長のプロセスにも似たようなことを感じます。親が全て与え、教え、手を貸し、どうすべきかを考え、模倣させる幼児期、親の手助けを与えられながら、自己を形成する児童期、そして、思春期は親の言うことを100パーセント受け入れるのではなく、自分で考え思い悩み、今にくる自立の時を待っているような気がします。

私の手元には、思春期で迷った子たちの思い出がたくさんあります。それぞれが立派な大人になった時に、嫌がらせ(笑)をするためにとっています。Aが我が家に短期ホームステイした時、毎日必ずパパに送ったファックスレター、Jが名誉団員になるため真剣に自分の考えまとめた作文、学校で叱られたHを励ますために書いた「お叱りの手紙」。タイムカプセルではありませんが、みんな私のパソコンのデータの中に隠してあります。

今、迷っていることは、大人になるために、必要なことです。これまで、大事に育ててくれた両親の意にそわないこともあるでしょう。けれど、自分の意思や希望をつらぬくために、「親の言うことだけ聞く良い子」から卒業するための儀式です。これをきちんとやらないと、人生の無先導の時期は到来しません。言うことを聞かなくなった子供を見るのは寂しいことです。不安もあるでしょう。小さい頃の可愛い面影を考えると涙がこぼれてしまうかもしれません。でも、これは、悲しいことではなく、子供の成長の証だと思います。小さい失敗も必要です。小鳥のひなも、飛び立つまでに何でも、試験飛行して失敗します。親は子離れ、子供は親離れ。将来、立派な社会人として一人立ちをするための第一歩です。
by k-onkan | 2008-04-27 23:57 | 幼児 | Comments(0)

必要な我慢と必要ない我慢

わが子がどんなに可愛くても、「何でも許される」と勘違いさせるような育て方はいけません。人間は一人で生きられるものではありません。必ず、人と関わったり、助けたり、助けられたりして生きているのです。人の助けを得られないような自己中心的な子供を育てることは、個性尊重ではなく、社会不適応者を作ることになってしまいます。だからこそ、時に我慢もさせなければなりません。

子供が欲しがるからといって、何でも与えると、本当に「欲しいもの」が何か分らなくなります。我慢させるとストレスになると思うかもしれませんが、我慢には二つあります。「必要な我慢」と「必要のない我慢」です。「必要のない我慢」はさせてはいけません。病気なのにトイレを我慢させるのは、「必要のない我慢」です。けれど、何かから逃れるために「トイレ、トイレ」というなら我慢させなければいけません。これは「必要な我慢」です。

トイレと言えば、こんなことがありました。H子ちゃんは、毎週、レッスンの途中で何度も「トイレに行きたい」と言うのですが、本当に行きたいようには見えませんでした。そこで我慢するように指導しました。すると、翌週、そのお母さんから、「うちの子は、生理的欲求を我慢させたくない」とお話がありました。そこで、家庭の方針に合わせ、H子ちゃんだけは、トイレに行くことを許すことになりました。年長になり、受験の時期となりました。学習能力はまったく問題がなかったのに、残念な結果を持ってきました。後から分ったのですが、試験時間中、ずっとトイレにこもってしまい、テストを受けることができなかったそうです。緊張したり、たいへんなことがあると、いつでも、トイレに行っていたので、受験という緊張感の中で、トイレに行かずにはいられなかったのです。習慣とは恐ろしいものです。「こんなことなら、トイレを我慢する習慣をつけさせておけばよかった」とお母さんがとても悔やんでいました。今から、17年ほど前の話です。

e0143522_1544440.jpg「必要な我慢」「必要ない我慢」の基準は、家庭の教育方針によって異なります。例えば、我が家は「音楽」を生業としているので、ピアノの練習は、毎日絶対にしなければならず、終わるまで夕食になりませんでした。つまり、「必要な我慢」だったのです。けれど、「音楽は必要ない」という家では「ピアノを練習すること」はまったく必要ない我慢でしょう。同じように、受験をする家の子は、「受験勉強」は必要な我慢です。受験しない子にとっては、必要ない我慢になります。無意味に我慢させるのではなく、「必要かどうか」を見極め、徹底することが大事です。子供に、その家の方針や信念は、はっきりと理解できることは大事なことです。お母さんの気分によって、今日「我慢したこと」が、次の日は「我慢しなくて良い」となると、『お母さんの顔色』が全ての基準になってしまいます。家庭の方針は、一本、筋が通っていることが大切です。
by k-onkan | 2008-04-26 22:51 | しつけ | Comments(3)

スキンシップが大事!

今日は、年少組の授業がありました。みんな、まだ赤ちゃんで、先生の目を見ることがとても難しいです。一人が、こちらを向いたかと思うと、違う子がよそ見をします。注意すると、プンとふくれて怒ったり、泣いたりしてしまいます。年長だったら、「コラ」の一言で、姿勢を正してくれますが、勉強を始めたばかりの年少児では、そうはいきません。自分の感情をコントロールしたり、大人の話を理解して自分を律することが難しいからです。こちらは、ニコニコしながら(内心、気が狂いそうになりながら)、諭したり、なだめたりを繰り返します。もちろん、度が過ぎたら年少児でも叱りますが、最後にはやり遂げた気持ちにして、楽しい気持ちで帰れるようにします。

子供に教育を与えたり、躾をすること、良い環境を整えることは、とても大事なことです。けれど、年齢相応に子供らしく、甘えたり、泣いたり、ぐずったりすることも受け止めてあげてください。「愛されている」と確信させるためにはとても重要なことだからです。どんなに恵まれていても、抱っこ一つもされたことがないのではかわいそうです。

うちの家族は、スキンシップの好きな家族です。父方の男性は、皆、動物の親が子供にするような甘噛みをして可愛がってくれました。母方の祖母は、フランス帰りだったので、抱きしめたり、ほおずりをしたり、あの時代の人としてはとてもオープンな(変わった?)人でした。子供の頃は、恥ずかしかったのですが、自分も甥や姪ができると自分がされたような可愛がり方をしていました。

e0143522_1825449.jpg楽院の男の子たちも、上手にできた時など、木下先生にヒゲをこすりつけれたり、噛み付かれたりして可愛がられています。子供たちは「うわぁ〜。やめろぉ〜」と抵抗しますが、結構嬉しそうにしています。この間、千葉に泊まりに来た先輩も、久しぶりに「ヒゲ」をされて、嬉しそうでした。言うべき時に正しいことを率直に伝える信頼ある親子関係を築くには、物質的な愛や教育的な配慮、良い環境だけでなく、親子のスキンシップも大事したいものです。
by k-onkan | 2008-04-25 23:31 | 幼児 | Comments(0)

自分を光らせるために…

楽院では、子供たちのそれぞれの「長所」と「短所」を見極め、短所はとことん改善し、長所はさらに伸ばすことを心がけています。子供相手だからこそ、小さいうちに短所があれば「妥協せずに」改善します。そのため、辛い思いをした人もたくさんいるでしょう。

「子供は「光るところがあること」が大事だ」。木下先生がよく言うことです。楽院では、2年に1回オペラ公演をしています。主役だけではなく、全ての子に見せ場があるようにと配慮がされています。それでも、主役級の役をもらった子は、期待と責任があります。2000人の観客が入る大舞台とプロのオーケストラに物怖じすることがないように、そして、皆の期待に押しつぶされないように特訓です。主役は華やかに見える分、人の何倍もの努力が必要です。たった一人の失敗が舞台全体をダメにしてしまう。そういう不安もあれば、格好良いところを見せたい。そういう欲求も子どもなりにあるでしょう。昨年のドキュメンタリー番組(ドレミは子育てだ!)でも紹介されましたが、そういう子に対する木下先生の指導や取り組みの情熱は生半可なものではありません。子供の「光りそうなところ」を見つけ、何とかそれを光らせるべく磨くのです。

2~3歳の小さい頃なら、おけいこを嫌がらないようにご機嫌とりも言いますが、年齢が大きくなると、良いところを「良い」と本人に直接言って、褒めるより、皆のお手本にするという形で能力を誇示させます。光るところがあるほど、鍛えられるため、子どもたちは、「認められたこと」より「叱られたこと」を印象深く覚えているようです。期待されている子に限って、子ども(親御さんも)は「自分ばかり厳しくされている」と思うようですが、年齢が上がってくると、「叱られている=期待されている」のだと分かるようになります。木下先生は鍛えている時、どんなことを考えているか分かりますか? 「良いところがあるはずだ。何とか皆にそれを知らせたい」。「光ること」を信じて取り組んでいるのです。どんなに、その子に欠点があっても、その悪いところが消失するまで取り組みます。

子供を育てていると、長所よりも短所が目についてしまいがちです。特に女性の私たちは、長所か短所のどちちかに極端に目が行く傾向があるので、気をつけなければなりません。まして、お腹を痛めた我が子なら、なおさら、冷静でいられないものでしょう。長所も短所も冷静に見つめられることが大事です。短所ばかりに目がいき、長所を認めてもらわないと、子供はいじけてしまったり、自分の能力を発揮できなくなります。また、長所だけを認め育てると、鼻持ちならない子になったり、人の気持ちを思いやれない協調性のない子になったりもします。

大事に育てた我が子の短所を他人に指摘されることは辛いことです。だからと言って、親があきらめたり、投げ出したりするわけにはいきません。自分の子だからこそ分かる「良いところ」があるのです。短所は短所として謙虚に認め、良い部分は信じ続けること。これは親だからこそ、できることなのです。

e0143522_124795.jpg小さい時に、「こうすべきだった」という後悔は誰にでもあるものです。しかし、手遅れだからと諦めるのではなく、不足している箇所は、気がついた時に改善することが大事です。アメリカでは、社会人になってから大学に復学したりする人もたくさんいます。子育ても、教育も、芸術もなにかを一つのことを深く追求して成し遂げようとすることは、「問題を一つ解いて正解をもらうこと」より、ずっと難しいことなのだと思います。

子供の頃は楽院が大嫌いだった子が、どんどん楽院が好きになり、中には卒業してからも顔を出す子もいます。それは、楽院で「どんなに「ダメだ!」と短所を指摘された子も、必ず、良い結果を出すべく努力させられ、自分の能力を披露させ、人から認められる機会を与えられていたからなのだと思います。外の世界で「光輝く自分」を発揮するためには、楽院で木下先生が情熱をもって教えたのと同じくらい、努力して、自分磨きをしなければなりません。みんな、ちゃんと努力していますか?
by k-onkan | 2008-04-25 00:01 | 幼児 | Comments(2)

努力は自分のために・・・

私は、18歳の頃から、「音感の先生になって、一生懸命、指導しよう」と優等生的に考えていたわけではありません。どちからというと、毎日、何を一生懸命やるというわけではなく、やらなければいけないことなので学校へ行き、ピアノを触り、友達と本について語ったり、美術館をめぐったり・・・、ちゃんと働いている大人から見ると「無駄な時間」を過ごしていた高校生でした。親からは、「目的意識がない」とよく叱られ、また嘆かれていたことを覚えています。しかし、時間を無駄にしている自分自身も「決して良い気持ち」だったわけではありませんでした。小さい頃は、音感の先生になろうと思っていたのです。だんだん、それが現実として近づいてきて、「自分の意思ではないのではないか?」「他の選択肢がある人がうらやましい。自分の人生のレールが人によって作られているのでは?」と「心を決める」ことを躊躇していました。心の中には、「何か考えなければ」でも「どうしたら良いのか分らない」という不安感が漂い本当に気鬱だったことを覚えています。学生だから「勉強だけしていれば良い・・・」と言う人もいましたが、学校を出た後の自分を考えると、「これといった目標もなく、皆の期待通り、たいした努力もせずに、音楽大学に進学するのは嫌!」でも、何も見つからず、周りが信じる通り、音感の先生になるのはもっと嫌だと逃げ出したい気持ちでした。「何か自分が心からやりたいことを見つけなければ」と思い、そのころ、合唱団の英語指導をしていた方のご両親の住むオレゴン州に留学することになったのです。こう言うと、いとも簡単に「アメリカに行った」ように感じますが、「あの父」に土下座をしてアメリカに行きたいとお願いしたのです。

合唱の時、「いかに木下先生が怖かったか・・・」と卒業生がいろいろなところで書き込みをしていますが、合唱の時の木下先生が「24時間営業で父」なのです。もちろん、ふだんは優しい人ですが、悪いことをしたり、怠けたり、ずるいことをしたり、他人に迷惑をかけたりすると人一倍厳しい人でした。特に、教育に従事するため、わが子には厳しかったのです。卒業生は、皆一度は「殴られた」と言いますが、我が家の「殴られた」という定義でいくと、「触った」「かすった」程度です。合唱団で本当に「殴られる」ほど期待されてしごかれた人は数えるほどしかいません。思いが強いほど厳しくしこむのです。そんな父ですから、何でも、望んだからと言ってわがままが通るわけではありませんでした。何か、したいことがあるときは「父から許可」を得なければなりません。アメリカ留学のお願いは「パパに伝えておいて・・・」で済まず、「自分でお願いしなさい」と言われ、真夜中に土下座をしてお願いしました。自分で土下座までして行ったアメリカだったので、それまでの人生の中で、一番努力をしました。何事も、自分のために「やる気」にならなければ、身にならないのだと強く感じます。

e0143522_15414057.jpg「音感の先生」になって18年、最初から、自分の仕事として、誇りをもって、取り組めたわけではありません。「どうして?こんな紙芝居みたいなかるたをやるの???」と思うか、「音感を教えることが私の人生のやるべきことなのだ」と思うかで、全然、意味が違うものなのです。自分に「やる気」がないうちは、どんなに技術だけ磨いてもダメなのです。好きこそものの上手なれ。子供のおけいこと同じですが、自信が持てるまで継続して、「苦労をして」「努力をして」「困難を乗り越え」初めて、好きになり、打ち込めるようになるのです。

今、「やりたいこと」が見つからなくても、いつか、あなたが一生懸命打ち込める「何か」が見つかります。それまで、あきらめたり、くさったり、安易に楽な道に流されたり、卑怯なことをしたり、ずるいことをしたり、なまけたり、人のせいにしないでください。そうすれば絶対に道は開けるのですから。
by k-onkan | 2008-04-24 01:46 | 自分のこと | Comments(3)

「うたれ強い子」にしないで!

大人も子供も、弱っている時や、叱られた時は悲しいですよね。
叱られて、子供が、いじけて隠れて泣いている時、恨めしい顔をしている時は、それに負けないくらい厳しくしたり、恐くするのではなくて、優しい声で呼んで、ひざにのせて、「なぜ、ママが叱ったのか」「なにがどのように、いけなかったのか」を子供が分る言葉で、聞かせて「ママが叱った理由がわかった? もうやらないでね」と諭してあげてください。子供が、「わかった」と言ったら、じゃぁ、「ごめんなさいをして、ママと仲直りをしようね」とやさしくいいます。「ごめんなさい」と言ったら、心を込めて「ぎゅっ」と抱きしめてくださいね。キツイ言い方で「ごめんなさいって言いなさいよ!」と強制すると、意固地な子になってしまいます。

自分の過ちを許してもらえる方法は、相手に嘘のない「ごめんなさい」をして、二度と同じ過ちを繰り返さないこと。これは、大人同士でも、子供相手でも、同じことです。
お互いに、相手を許せずに、無視したり、怒鳴りあったり、恨んでいると、心がすさんで、「相手が悪い」と人のせいにして、「なぜ、注意されたか」という一番大事なことが分らなくなって、ただの喧嘩になってしまいます。ママを恨んだり、人に八つ当たりしたり、自分の不愉快な気持ちを「他のもの」のせいにしてしまいます。そんな悪い態度をしていると、どんどん可愛げがない子になってしまいます。犬ではありませんが、幼児期には、「この人(親)に従っていれば安心」と思わせる、安心感や包容力が大事です。小さい時に、愛と厳しさを同じくらいたっぷり与えていれば、大きくなってから、問題を起すことはまず、ありません。「甘い愛だけ」「厳しいだけ」では、子供は欲求不満になってしまいます。
甘いものばっかり食べたり、辛いものばっかり食べたりしていると、飽きてきませんか?
厳しさの中に愛があふれていること。これが、子供をまっすぐに育てる秘訣のような気がします。

e0143522_15424146.jpg叱られた時に、いじけるのも、目に涙をためるのも、子供の心の中は、悲しみであふれています。そういう時に強い言葉で突き放されると、「大好きなママ」なのに自分の気持ちを分ってもらえない!」と自暴自棄にさせてしまいます。大人だって、強く言われると、反抗したくなってしまいませんか? 自分の気持ちに立って、話を聞いてくれる人に、心を開きたくなりませんか? 子供も一緒です。

楽院だって、「あんなに厳しいじゃない!?」と思うかもしれませんが、一つだけ、皆さんが忘れてしまいがちなことがあります。それは、厳しくする前に、丁寧に、一つひとつ、手間を惜しまず、繰り返し反復して、手を変え品を変え、一つのことを教え定着させるという共同作業を行っていることです。そして、自信が芽生え信頼関係ができてから、厳しくするのです。また、子供が究極に弱っている時には、ひざにのせて、慰めたり、励ますこともあるのです。だから、厳しい要求に応えてくれるようになるのです。

厳しく叱られることに慣れて、開き直る子の強さは、「うたれ強い」だけなのです。それは、本当の強さではありません。本当に強い子は、優しさの中に強さを秘めています。そういう子は、素直に「ごめんなさい」が言える子です。

謝罪をすることは負けではありません。お母さまが、「悪い」ことをしたと思ったら、子供相手でも、他人でも、先生にでも、心から謝る姿を子供に見せましょう。相手に頭を下げながら、見えないところで、舌を出すような姿は必ず、子供に感じ取られてしまいます。「子供は親の言う通りにはしないが、親のするとおりにする」。仏教系の園で見た標語ですが、本当にその通りだと思います。

最後に、ここに書いた叱り方は、たくさんある叱り方の一例で、子供がまだ小さくて物事の善悪を知らないころの叱り方です。もう少し大きくなって、人間として許せないこと。(人を傷つけること。危険なこと。だますこと。ひとのものを盗る)など、将来の人間性を左右するような悪いことが発覚した時には、ひざに乗せて諭している場合ではありません。そういう時には、ちゃぶ台をひっくり返すような怖い「お父さん」に登場して欲しいものです。最近は、お父さんが優しくなって、お母さんが本当にこわくなってしまいましたが、本当は、その逆が理想なのですが・・・。
by k-onkan | 2008-04-23 23:57 | しつけ | Comments(2)