麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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生きる気力のある子に育てる!

お習字の先生に「麻奈さんの文字には、時折、すばらしい字があるのだけれど、集中力が途切れるような所が見られるのです。最後の最後の点とか・・・ね。書は、書き始めたら最後まで気を抜かずに精神統一をして、真摯に立ち向かわなければ・・・。音楽と通じるものがあると思いますよ」と言われ、反省してしまいました。確かに、習字をしていると、面白いほど、集中できる時間と、惰性で書いている時があるのです。私たちが「子供たちがただ声を出し歌っていること」が分かるように、お習字の先生には、私の文字を見て、その心理状態まで分かってしまうのだと考えると、音楽も書も「芸術」と言われるものは、奥が深く本当に恐ろしいと感じます。

「音楽」と言えば、昨日の成果発表で消耗し、今日は雨の中、音のない状態でのんびりと過ごしてしまいました。音がでるもの全てがわずらわしくテレビもCDもつけずに雨の音に癒されました。夕方には、少し回復し、CDをかけられるようになりましたが、発表会の後には、必ず新たな反省があり、少しつらい気分になるものです。私一人で反省するのは、もったいないので、皆様にもお知らせしようと思います。

e0143522_2318912.jpg昔から、楽院は厳しいところです。子供であっても「ダメなことはダメ!」。特に、「できるはずなのに、できない、しない」などということには、特に厳しく注意します。「できる」ことを「しない」では、「できることなど何もなくなる」からです。昨日のリハーサルでも、そういうことがたくさんありました。昔の子は、木下先生に「ダメだ」と言われれば、素直に受け止め、「どうしたら良いのか」を自分で考え直し、それを自分の力にすることができました。けれど、最近の子は、叱られたことがないためなのでしょうか。木下先生に間違いやダメなところを指摘されると、真摯に受け止めるより「恨めしい表情」をするのです。もちろん、全員がそうではないのですが、そういう子は、年々、増加しています。たぶん、家庭で「小言」を言われることはあっても、正しく叱られていないのだろうと思います。

以前にも、書いたかもしれませんが、「叱ること」は「その子を正すこと」が前提の行為です。楽院では子供たちに注意をする時、「小言」ではなく、「その行いを正せ」という意味で叱ります。けれど、子供たちは「小言」に慣れているため、その差が分からず、家庭でするように涙を見せ、恨めしい感情を抱き、同じ過ちを繰り返します。これをされると、私たちはとても驚きます。「直す」ということが、子供の生活の中にないことを感じるからです。

本番前のリハーサルで、上手に歌えないところがあった子は、木下先生に「どこそこの部分がダメじゃないか」と叱られます。そういう「難関」は、必ず、平素の練習の時から失敗して注意されているところなのです。「事前に口型を作る」「気概をもって立ち向かう」「声を張るためには、ブレスを大きく取る」「ピアノの音を聴く」など、いろいろな注意を全て覚え正しく実行できる子は、徐々に改善され上手になっていきます。けれど、練習の度に前のレッスンのことを忘れ同じ間違えを続ける子には「○○は賢い子だが、定着ということがない。音楽は頭だけで処理できないのだ。時に努力や体で覚えることも必要だ!」「△△は先生の言うことをちっともきかないではないか。だからいつまでたっても上手になっていない!」と大目玉をくらいます。

リハーサルの後、「木下先生が怒った・・・」と泣きながら戻ってきた2年の女の子が「どうしたらいいの?」と半分恨みながら、純子先生を頼ってきたそうです。「木下先生に言われたことを注意すればよいだけではないの?どこがどうダメだったの?」と聞いたそうですが、「わからない」といってただ泣くばかりだというのです。その話を聞いて、「これはいけない!」と思い昼食後、時間があったので、楽屋で子供たち一人ひとりに自分の歌う曲の注意点を聞きました。

年中から、小学6年まで45人の独唱者、全員に一人ひとり「○○はどこを注意するの?」と聴いていきます。正しく答えられたのは、45人中、幼児が4人、小学生も10人に満たないのです。「歌う前に「ゴホン」ってせきをしてぇ・・・。最後の「しょ」の声が下がらないようにする」「『チラチラ』のところを大きく歌うの」「『なくのね』の『ね』は長くのばす」「『おなべのなかで』の「で」を高く長くする」・・・。自分が注意をされた部分に意識がある子は、年齢に関係なく、即答できます。けれど、学年に関係なく、「自分のこと」として受け止められない子は、「えっと、えっと・・・」と時間を稼ぎます。また「○○のところを注意する」と答えられても、具体的に「どのようにするのか」は答えられない子が多いのです。

本番の舞台の上に立ってから、考えたので失敗します。「Mちゃんは「ないでしょか」の「で・しょ・か」をはっきりと歌いなさい」「Yは、先へ先へと口を動かしてリズムに乗らないと高いところの声が出ないからね。歌詞も間違えないようによく考えて歌いなさいね」「Kちゃんは、かぜよの「か」の口を開けてから、たっぷりブレスを自分から取って歌えば、上手にできるからね」と。全員に注意されている箇所を再確認させ、具体的に「どうしたらよいのか」を知らせます。だからこそ、大きな失敗がなく、発表会が終わるのですが、こうして通訳が過ぎることが子供の「生きる力」を失わせ、ダメな大人に育つのでは??と心配になりますが、本番、失敗させるわけにはいかない私たちも必死です。私は、舞台袖で、電子ピアノでメロディーを弾きながら、木下先生は座席の一番後ろから、「速度などを合図」しながら、注意すべきところに「気」を送っているのです。

演奏会が終わって、卒業生のAがこんなことに気がついたようです。「先生たち偉いよね~。麻奈先生はずっと、子供と一緒にブレスしてたでしょ? 木下先生は、ずっと立って合図してたよね。みんな、舞台の上から、木下先生が見つからないと不安そうに探しているんだよね・・・」。ずっと昔から演奏会の度に行われてきたことに、気がつくのはやっぱり卒業生だけのようです。

さて、通訳されて上手にできた子供たちは注意が必要です。一生、大人の手助けを必要とするからです。これを読んで、もしかして、「うちの子?」と思ったお母さま、平素の生活を見直しましょう。子供に必要以上に手を貸していませんか? 自活できる大人に育てること、これが子育ての最終目標です。
by k-onkan | 2008-06-30 23:23 | 音楽 | Comments(8)

音を真剣に聴くと疲れます・・・

今日は成果発表会でした。子供が50人いればいろいろな子がいます。本番に弱い子、本番に自分の力を出せる子、我関せずな子、神経質な子、舞台にあがるだけで震える子、声の小さな子、ぜんそくで声が枯れている子、声の大きな子、美声の子、それぞれ異なる気質や声質を持っていますが、皆が勉強成果を発表して「上手になった」と褒められるようにしなければなりません。そこで、上手に聴こえるプログラムを組むことになります。ただ、機械的に学年順に並べ歌わせると、歌唱力のある年下の後で歌うことも出てきてしまいます。それでは、せっかくの勉強の成果を感じることができません。そこで、それぞれの学年をグループ分けして、その中で学年順にするのです。

e0143522_23162391.jpg「楽院の発表会は出番が分からないからお友達を呼べない。もっと早くプログラムを発表して欲しい」と言われたこともあります。実は、発表会の1ヶ月ほど前から、当日の順番を前後入れ替えながら熟考しているのです。しかし、真の最終決定は当日の朝、会場に出る20分前です。純子先生に「もう絶対に大丈夫ですか? 変更はありませんか?」と確認されドキドキしながら「ゴーサイン」を出します。「子供の歌唱力はいつも同じ程度なのでは??」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。練習を重ねていくと、意欲のある子は上手になり、反対に、美声や音楽的資質に恵まれても、先生の指導を素直に受け入れない子はなかなか、自分の「力」にならないのです。曲の難易度によって、容易に体得できるかできないかも異なります。練習せずに、上手に歌える曲は与えないので、成果発表を経験することで、新課題を克服していくことになります。木下先生に指導で上手にされたら、その注意を自分で覚え、体得し、それを本番発揮できる人に良い結果が出せるものなのです。舞台の上で、頭が真っ白になってはダメなのです。

今朝は、10時にリハーサルが始まり、すぐに「プログラムを直さなければ!」という事態が起きました。ある美声の女の子をプログラムの後半にしていたのですが、体調不良が続き練習が不足し自信のない歌声なのです。その子の前に歌う子たちは、簡単な曲でも繰り返したくさん練習しているので、自信に満ち「聴き栄え」がするのです。大急ぎで、瑠音先生が昼休みに楽院に戻り、プログラムの打ち直しと印刷です。変更せずに、そのまま演奏したら、その子だけが、下手に聴こえてしまうところでした。

演奏会の途中、「先生たちも、たいへんなの?」と5年生のNちゃんが瑠音先生に聞いたそうです。「あたりまえじゃないの。伴奏を弾く先生が間違ったら、歌う時にいやでしょ?そういうことがないように、先生たちも頑張っているのよ」と話したそうです。その話を聞きながら、若い頃の苦い経験を思い出しました。今から、18年前、美しい声と抜群の歌唱力のある4年生の女の子が「浜辺の歌」を歌った時のことです。途中で歌詞がすっぽり抜け落ちてしまったのです。何とか、途中から、持ち直したのですが、終わった後、「木下先生に謝りなさい」とお母さんに叱られて、そのお嬢さんが大泣きしている姿を見せられたのです。私は「事前に歌詞を伝えきれず間違えさせてしまったこと」がすごく悔やまれました。こういうことがないよう、楽院の成果発表は、リハーサルもみっちり行い、途中で歌詞も先導し、皆が楽しい気持ちで帰れるように、皆ですごく努力しているのです。それでも、歌詞を間違えたり、あがったりと、突然のハプニングがあるのですが・・・。

そうそう、今日、大勢訪ねてきた卒業生の中には、すっかり美しいお姉さんになったその時の子の姿もありました。そのためでしょうか。今日の発表会は、いつも以上に私が緊張しました。「子供に失敗させないように・・・。楽しい気持ちで帰れるように・・・。上手になったことが親御さんに分かるように・・・」。2時間、気を張り詰めて音を出していたら、すっかり頭が痛くなってしまいました。木下先生も朝10時からずっと音を聴いて疲れた・・・と千葉に帰っていきました。

ピアノ独奏もないと、私が気を抜く暇がありません。次回は、前田先生や山崎先生が気の張る「ピアノ独奏」を発表できるように、子供たちにピアノの練習を頑張って欲しいと思います。子供たちは「ご飯を食べたり、毎日、学校に行くように」楽院に通い、自分から意欲をもって「音楽が得意になりたい」「一生懸命取り組もう」と思っていないのかもしれません。けれど、楽院に通えることも、ピアノのレッスンを受けられることも本当に幸せなことなのです。どうか、楽院に通っているうちに、そのありがたさに気がつきなさいね。子供たち!!
by k-onkan | 2008-06-29 00:00 | 音楽 | Comments(0)

言葉を残そう!

e0143522_22185676.jpg「おかあさん、3と4は昔、けんかをしたんだよ。『ボクが先だよ』 『私が先よ』といって、3が勝ったから、1234・・・という順番になったんだよ」。
「どうしてそんなこと知っているの?」
「昔、生まれる前に、神様のところにいた時に、天から見て知っているんだよ」
「じゃぁ、お母さんのことも見ていたの?」「うん」
「ごめんね~。こんなお母さんで、びっくりしたでしょ?」
「ちょっぴり、いじめっ子だけど、悪いことをしたら怒ってくれて、いいことをしたら、やさしいお母さんがいいなぁと思って、Yはお母さんのところに来たんだよ」(え?いじめっ子??)

5歳になる甥が、プリントをしながら、こんなことを言ったそうです。子供には、大人ではとても思いつかない感性が誰にでもあるものです。そんな時、お母さんは、忙しい手をとめちょっと書き留めておくと、我が子が大きくなるころには本ができあがります。

私の母は、私たちが子供の頃、いろいろなエピソードを歌詞や文章にして書きとめていました。私が幼稚園に行くのを嫌がると「ようちえんってたのしいな たくさんともだちいるんだもん いじめっこもいるけれど なかよしさんだっているんだもん(幼稚園ってたのしいな)」。友達が車で出かけるのをうらやましがると、「歩くことの大切さが大事」と教えようと「歩いて歩いて行こう 雨が降ってもいこう かぜが吹いてもさぁいこう 地球は丸くて大きいが仲間がしっかりと手をつなごう(歩いて歩いていこう)」などの名曲を作ったといいます。私のものを勝手に使う弟のために「お姉ちゃま ぼくにもいっしょにさせてよね クレヨン折ったりしないから 一緒にお絵かきさせてよね・・・(ぼくにもさせてよね)」等など。母が詞を書き父が曲を作ったものがたくさんあり、楽院の子供たちに歌い継がれています。子供の頃は、よそと違う我が両親に「どうして??」と思ったこともありますが、今思うと本当に良い教育をしてもらったと思うのです。

子供が3歳の時にいったこと、5歳の時にいったことは、その年齢にしか言えないことです。しかし、大人は、日常の忙しさでつい忘れてしまったり、気にもとめなかったりしてしまいます。子供の時代は、今しかありません。我が子が発した愛おしい言葉やエピソードを忘れずに書き溜めておきましょう。いつか、きっと懐かしく思い出せるときがくるはずです。
by k-onkan | 2008-06-28 00:00 | 幼児 | Comments(0)

時代の流れに逆らいたい・・・

私は最近まで「楽院を信頼して、通わせてくださる方のお子様」だけに責任があるのだと未熟なことを考えていました。楽院の子に厳しいことをいって鍛えることも、ダメなことをダメということも、欠点を見つけ改善することも、「音感教育を行う」という「生業」の一部として精一杯努力して来たつもりです。でも、楽院でお預かりしていない「よそのお子さん」に対しては、愛情が足りないのか、単に口うるさいおばさんに見られたくないのか、自分から好んで注意したくないと考えていました。さすがに、道で危ないことをしていたり、みなで誰かをいじめていたら、「大人として」見ないふりはしませんが・・・。

e0143522_161456.jpgけれど、どんなに楽院の子を鍛え立派に育てても、子供たちが出ていく社会が悪かったり卑怯なことがあったり、常識が常識として通用しないとしたら、うちの子供たちのためにも、「よその子も見ないふりをしてはいけないのかも・・・」と強く感じるようになりました。私たちが子供の頃は、悪いことをすると、知らない人にも叱られたものでした。そういう正義感にあふれた大人らしい大人はどこにでもいたものです。

最近、どこのテレビをみても「おバカタレント」と呼ばれる人がたくさん登場します。そして「おばかも個性でいいじゃないか」と我が物顔です。どんなに「お」をつけても、中身が変わるわけではありません。本来、大学教授や弁護士、政治家などの職業の人たちと対等に軽口をかわすこと自体、いかがなものかと思うのです。こういう職種に就くためには、人一倍努力したり、専門を追求してその肩書きを得ている。それだけで尊敬に値するはずなのに、一緒に茶化しふざけることで、「おばかも弁護士もみな平等・・・」という方向性で、テレビが作られているのだとか・・・。

子供たちに、「勉強して立派な職種に就くより、勉強せずにテレビに出たり、楽してお金もうけができるなら、楽しそう!」。子供がそんなことを思わないように、立派な方には低劣な番組に出ていただきたくないなぁと思います。上から目線でも、高飛車でも、毅然とした態度でいていただきたいものです。人間は一生懸命努力をしても、望むとおりの結果が出ないものです。その努力さえしなければ、レースが始まる前に参加放棄したのと同じことだと思うのです。昔は、あんなに優秀だった「日本人」がどんどんダメになることは、「時代の流れ」だから仕方がないことなのでしょうか。悪いところまで行き着かなければ直らないとしたら、それは、とても悲しくさびしいことだと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2008-06-27 00:00 | 教育 | Comments(3)

家族を見直すチャンスかも~小学校受験について~

「小学校受験について」よく質問を受けることがあります。テレビなどで、公立校の様子を見聞きし、落ち着いて勉強できない様子が報道されたりすると、各ご家庭の教育方針e0143522_23181555.jpgに従って考えるのは大事なことだと思います。楽院では、事前に受験をすることが分っているお子さんには、入学時にお知らせいただき、年中児までに音感能力が定着するよう、ご家庭にも協力をあおぐことになります。能力が定着していれば、多少、欠席をされても問題はないのですが、能力が定着していない内に長期欠席をされると、絶対音感は身につかず、相対音感を訓練することになるからです。聴覚の臨界期である6歳に、近づけば近づくほど定着が難しくなります。楽院の入学可能な年齢が4歳6ヶ月までなのも、この理由によるもので、だからこそ、乳幼児期からの躾や教育の中で試験に臨める「意欲ある子」に育てていただきたいというのが、私たちの本音です。乳幼児期から家庭教育が行われ、ルールや規範を徹底された子は、朝から晩まで塾に通わなくても、平素の生活の中で「受験準備」をして乗り越えているように感じます。

楽院では、音楽教育を通して「先生の目を見る」などの学ぶ姿勢や「先生の指示に従う」等の規律を教えます。また、音感かるたを使った言語訓練は、言葉がはっきりとして、声高位(話し声の高さ)が高くなるため、平素の話し方も鮮明になり、挨拶や返事がはっきりとできるなど、受験に有利だと考えて通われる方もいます。けれど、受験塾に通っても、楽院に通っても、「人任せ」の教育では成功しないと感じます。家族で一丸となって、お父さんの考え、お母さんの考え、子供に対する夢など、いろいろなものを含めた「家族のあり方や教育観」を見つめることが受験の意義なのだろうと思います。

「楽院に通えば受験は大丈夫」。30年近く前によく言われていたことです。実際、たくさんの生徒が私学や国立の名門校に合格してきました。昔の親御さんは良くも悪くも「先生に従う方」が多く「欠点」を指摘すると家庭で努力しくださったものでした。今のように、受験塾もたくさんなかったので、お母さまの努力、労力は相当なものでした。また、素直にアドバイスを聞き、自分も学ぼうとする真剣な方が多くいました。でも、今は、欠点を指摘すると親御さんに叱られるのが一般的なのだとか・・・。楽院は、それでも指摘する方ですが、昔に比べたらしなくなったかもしれません。

楽院の教育は厳しいですが、子供を社会に出すための「基本」だと思います。けれど、いくら、楽院に通わせて厳しい躾や教育を受けていても、家庭で子供に「好き放題」を許したのなら良い結果は生まれないと思います。大人は「試験の時だけ、何とか乗り切ってくれれば」と考えがちですが、子供には無理なことです。何事も平素の通り行動すると思っていて間違いはないだろうと思います。

長年、たくさんの子を見てきましたが、学ぶ意欲のある子は、一目みた瞬間に分かります。教える立場の人間が見て、伸びる可能性があるのは、「自分をわきまえられる子供」「素直な子供」です。どんなに記憶力が良く社会性があっても、大人をばかにした態度をとったり、生意気な言動が見られる子、頭でっかちで人の考えを受け入れられない面があると、伸び悩みが生じるからです。ですから、楽院では、多少、理不尽であっても、子供には「大人の言葉に従わせる」「ルールに従う大切さ」を教えこむのです。でも、若いお母さまには、抵抗があるようで、「キノシタほど高圧的な教室はない」と言われることも・・・。でも、教育をサービス業にしたら、良い結果は絶対に出ないことは、経験で知っているため、どうしても曲げられません。

「試験」と称して子供同士で自由遊びをさせたり、ケーキを食べさせたり、洋服の脱ぎ着をさせるなど、親の力の及ばないところで、「ふだんどのように育てられているのか」を見る試験が多いと聞きます。「何ができるようになっているか」より、学校に入ってから、どれだけ「先生の話を聞き進歩できるか」を見られているのでしょう。「受験する、しない」に関わらず、乳幼児期に両親がわが子の成長や教育について、お互いの考えを話し合うことは、家族の考えを理解する一助になると思います。受験の有無に関わらず、子供の将来のために考える良い機会だと思います。そして、受験に成功したからと、ゴールではないことを忘れないでいただきたいと思います。今度は、その学校の生徒としてふさわしい努力を親子で続けることが大事だと思うのです。公立に通おうとも、私立に通おうとも、意欲をもって学ぶことが楽しいと思えるようにすることが大事だと思うのです・・・。
by k-onkan | 2008-06-26 00:00 | 教育 | Comments(0)

喜怒哀楽をもって叱っていますか?

「幼稚園の先生より、絶対に麻奈先生の方が厳しい」と甥が言うので、ルネ先生と一緒に「厳しさの違い」を検証してみました。
「楽院の叱り方は「男らしい」のよね。今までニコニコしていたのに、何か悪いことをしたり、やったりした瞬間に「こらぁ!」って突然、怒鳴るでしょ?」
「剣道の時と一緒だよ。園長先生は、いつもは優しいけれど、剣道の時間はコラ!誰だ!って厳しいよ。剣道の時の園長先生と音感の時の麻奈先生が同じくらいの怖さだよ」。
「幼稚園の先生は厳しいけれど、声がおだやかで優しいから、震えるのは子供よりお母さんかも・・・」

e0143522_187337.jpg楽院の叱り方は、木下達也先生の直伝ですから、男らしいのだろうと思います。「ワッ」と叱って、できるようになったら、ほおずりして、自分のことのように一緒に喜ぶ!!いたってシンプルです。子供は叱られても、必ず、できるようにさせてもらうので、大きくなると、安心感もあり、心が満たされます。卒業した子供たちは、「たくさん叱られた子ほど、愛され、可愛がられた」と知っているので、「自分が在学中、どれくらい叱られたか」を思い出話で競います。もちろん、その時は、辛い思いもして、涙も流しているのですが、「正すため」に叱られていることが分かるので、ありのままの自分を受け入れる「ホームグラウンド」だと感じるのかもしれません。

最近、口調は優しく、はっきりときついことを言うという叱り方が主流のようです。大人は優しい言葉で、キツイことを言われることを「怖い」と感じますが、子供は、言葉の理解力が甘いので、いやみや反対表現などは、よほど、言葉に敏感で理解力のある子でないと、大人の真意を測りかねるかもしれません。子供相手の時は、その場の空気をガラっとかえて、その場にいる全員が「あ、怒った!」と気づかせます。「サッと着火して、鎮火させ、子供が行動を改めたら、いつまもでグチグチいわない」。こんな叱り方が効果的です。

子どもは、何度も同じ間違いをするものですが、口うるさくいっても、注意散漫になるだけなので、あえて「失敗をさせて」また叱るという繰り返しをします。「失敗させずに事前に注意したい」という親心もあるでしょうが、子供は自分が意識をもって行動したことしか身にならないものです。同じことをしたら「こら!」。いつまでも、グチグチ言わず、しばらく放置して、また見つけて叱る。この繰り返しです。

叱られる時は、「怒」の感情だけでなく「哀」を見せるのも有効です。私が子供のために、涙を流して、泣いて叱ったのは、合宿で高学年の女の子たちが下級生にスタンツを教える際に、隠れて辛くあたったと聞いた時でした。子供たち全員を大広間に集め正座させ、こんな話をしました。「先生たちは、物を教える時、確かに厳しいと思うわよ。でも、その前に、一生懸命、何度も、何度も繰り返し丁寧に教える努力をするわよね。その後で、本気を出せなかったり、できるのに、やらない子は厳しく叱るでしょ?でも、なにも教えないで、「だめじゃない!なんで、できないの? 」と辛くあたったりしたことは、一度もありません。小さい子が、お姉さんがきついから、自分の班に帰りたくない。幼児班にいきたい」という班にした班長も副班長もひどすぎる。先生は情けなくて、悲しい」と泣いて叱りました。いじめた子、いじめられた子、関係ない子も含めて全員を叱りました。もうずいぶん、前のことです。

いじめてしまった子は泣きながら、「でも、うちのお母さんもこうやって私にものを教えるから、それがいけないことだなんて思わなかったの・・・。ごめんなさい」と反省しました。
「どれほど、情けないか」、先生が泣いて「哀しさ」を表現したので、子供もかなり反省していました。うそ泣きをするつもりでしたが、本当に情けない気持ちになり、涙は自然に出ました。子供にとって「大人に泣かれる」ほど辛いことは、ありません。でも、いつも、この方法を使うと「ママはすぐ、涙で脅す!」と言われてしまいます。泣くほど情けない悪いことをした時のために、使わずにとっておいてください。

子供が嫌いなのが「無視の刑」です。一生懸命、ご機嫌をとって話かけてきます。小さい頃、生意気だった私もよく母に「無視の刑」にあわされました。「あれ?口きかない。たいへん、何を怒っているのだろう?」自分以外の人にも感情があることを考えます。でも、これも、あまり、学年が大きい子にすると、「卑怯もの!」自分の言いたいことも言わず黙るなんて!正々堂々と戦ってよ!」と言った6年生の女の子もいましたっけ。

喜怒哀楽が激しいと「子供っぽい印象が強いですよね。ということは、喜怒哀楽は、子供には必要なのだと思います。最近、喜怒哀楽の表情が乏しい子が増えています。親が平素の生活の中で、喜怒哀楽を示して子供に接するのは、とても大事なことです。楽院の先生がどんなに厳しくても、嫌いにならないのは、喜怒哀楽がはっきりと表現され「いつ喜んでいて、いつ怒っていて、いつ哀しんでいて、いつ楽しんでいるか」が分かるからだと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2008-06-25 18:16 | しつけ | Comments(1)

子供に絶対に教えて欲しいこと

e0143522_22472767.jpg金美齢著「戦後日本人の忘れもの」を読みました。その中で「戦後教育の落し物」として、「親が子供をしつけ、保護し、教育する立場にある」「人は人を助け、人から助けられ生きていく」等など良いことが随所に書かれていました。また、台湾人であるのに、私たち日本人以上に日本についての見識があり、自分が日本人であることに喜びを持たなければいけないのだと深く反省させられました。その中に、「家のルールを守らせれば、社会のルールを守る人間になる」と書かれていました。金美齢さんを真似て、「楽院で守らせるルール」を箇条書きにしてみます。ご家庭でも、似たようなことがないか、冷静に観察していただきたいと思います。そして、見つけたら、毅然とした態度で「○○ちゃん、やめなさい」と叱っていただきたいと思います。子供が大人になった時に「自分の規範」を持てるように、先生や親がいなくても「してはいけないこと」だと身につくまで、地道にコツコツと教え続けることが大事だと思います。

1・唾をはかない
どんな理由があっても、子供につばを吐かせてはいけません。友達や親、他人に対してつばを吐いたら、私なら、お尻を出してその場で「ピン」と叩きます。子供同士の喧嘩や、威嚇、やつ当たりの表現で口からペッと唾をはくのをみたことがありませんか? 人として「他人を敬う精神に欠けている」と思います。目上の人、友人、目下の人、だれが相手でも、絶対にさせてはならないことです。特に、親や先生に対して、つばを吐く時は、「尊敬の念」を持っていない証です。それに、大人が道で「ペッ」と唾を吐くのを見て、愉快な気持ちになる人はいないと思います。子供のうちに「つばをはかないこと」を教えましょう。

2・うそをつかない・人のものをとらない
昔から「うそつきは泥棒の始まり」といって「小さな嘘」を見逃すと、大人を侮り、どんな大事件を引き起こさないとも限りません。親として、教えなければならない最低限のことです。世の中は、自分を中心に回っているわけではありません。しかし、大事にされすぎた子供は、自分の思い通りになるのが当たり前だと思ってしまいます。人のおもちゃだろうが、公共のものだろうが、自分のことだけ考えて使います。人のものを借りる時は、「かして」と言うこと。公共のものを独り占めしたりせずに他人の気持ちも考え行動する子に育てましょう。

3・卑怯なことはしない
卑怯なことをしても、「勝ったもの勝ち」などという若者もいます。しかし、卑怯な手段で、何かを手に入れたり、盗んだお金で買ったものなど、本来は何の意味もないと思います。人が自分のことだけを考え、卑怯なことをして暮すと世の中は悪くなります。弱いものいじめも卑怯ですよね。喧嘩をするなら、正々堂々と!!と思います。

4・大人に口答えしない・すぐに返事をする
子供と大人はどちらが偉いか!といったら、自活して、自分の面倒を見られる大人が偉いにきまっています。けれど、子供は「子供である」というだけで、大事にされるため、「大人に口答えしたり、生意気な言動をしたり、返事をしなかったりすることがあります。これは見逃してはいけません。「呼ばれたら返事をしなさい」「大人に言われたことを素直に聞きなさい」。これは幼児期に平素の家庭生活で教えましょう。年齢が上がり、思春期になるころに、自我が芽生え、口をきかなくなったりする時もくるでしょうが、幼児のうちは、大人に不遜な態度をとらせないように育てましょう。「自分に自信がないから、子供を叱れない。子供に尊敬されない」といわれる親御さんがいます。ならば、自分が努力をしてでも子供の規範とならなければ、子供は何を目指して成長すれば良いのでしょう。

5・自分のすべきことを一生懸命させる
ご褒美や報酬について書いた時に触れましたが、自分のために勉強をできる環境にあることを幸せだと思える子に育てましょう。「親が命ずるから」「先生が怖いから」「ご褒美に釣られて」「親が期待しているから」という理由で勉強する子は、自我が芽生えた時に、「誰のために生きているのか」について悩みます。自分から意欲をもって生きられるように幼児期に教えましょう。

6・大人を尊敬する
「親と子」「先生と生徒」は対等ではありません。親しさのあまり、馴れ馴れしい口を聞いたり、失礼な態度を取るような子供が多くなりましたが、ダメなものはダメです。今は社会にでても、上司の言うことを素直に聞けずに、数ヶ月で退職する新卒社員が多いとききます。幼児期に「親子」や「先生と生徒」の関係で、リスペクトの精神を教えましょう。これがなくなったから、日本人は、学ばなくなったのだといいます。その責任は私たち大人にあると思います。社会は自分ひとりで成り立っているわけではありません。自己を主張しても、人と協調するためには、不遜な態度は禁物です。「勉強ができれば生意気でもいい」わけではありません。「人間として可愛がられる子」に育てなければと思います。

こういうことを基本に、平素の音感授業を行っています。人の答えを見て書かない。友達にいじわるをしないは「ひきょうなことをしない」。友達の声を聞くは「自分のすべきことをする」。先生の指示に従うことは、「大人を尊敬する」に通じるものです。こうしたことを家庭生活でも教えられている子は、音感授業も、抵抗なく受けることができます。反対に、家庭で自由に暮らす子には、「音感授業」は苦痛が多くあるように感じます。

最後に・・・
あまりに当たり前で書き忘れたことがありました。「あいさつをする」です。でも、これまで書いたこと全ては、子供に教える前に、私たち大人が、本当に実行できているか自分を見つめる必要がありますね。私は子供とつきあって、気をつけるようになったことがあります。それは、「子供は、周りにいる大人がした通りのことを真似ている・・・」と感じさせられることが多いからです。大人が身勝手な行動をして、子供に「やめなさい」といっても、効果は、ありません!!良いお手本が示せるように、大人自身が自分の生活も見つめなければと思います。

そういう私も、今週はまだお習字の練習をしていませんでした。一生懸命、生きる姿を示すことはたいへんなことだと思います。でも、やっぱり、大切な人生です。一生懸命生きたいと思います。
by k-onkan | 2008-06-24 00:00 | しつけ | Comments(0)

餌付け? ご褒美? 楽院のおやつ

e0143522_21595969.jpg楽院は、幼児部の間、おけいこの後に「おやつ」があります。甘いもの、塩味のもの、そして、麦茶です。この「おやつ」は「子供が頑張ったご褒美」です。楽院のおけいこは、皆さんがおっしゃるとおり、長いし厳しいし疲れます。体力的にも、頭脳的にも、です。脳を使い、目を使い、耳を使い、喉も使い、全神経を集中しての1時間~3時間。特に、声を出すと疲労します。私たちもレッスンが終わると、甘いものが欲しくなります。のどもかわきます。大人の私たちでさえ、そうなのですから、子供にもおやつを出します。「こんなに頑張ったから、おやつを食べてもいいわよね」。そんな優しい気持ちでもあります。いつも優しい親御さんからではなくて、一緒に頑張った厳しい先生からの「おやつ」に意味があるのです。

よそで「物が食べられる」ということは、心を許した証でもあります。「同じ釜の飯を食す」という表現がありますが、それぞれの家庭の子供としてではなく、一緒に頑張った友達と「同じおやつ」を食べることで連帯感も生まれます。15年ほど前になりますが、絶対におやつを食べないお子さんがいました。物を習う際に、「心を許さない。素直になれない」ことは致命的な欠陥です。小さい頃から通いながら、音感が身につくのに、人の何倍もかかったものです。おやつだけでなく、授業中も、素直に受け入れない頑固な面があったからです。

親以外の人に心を許せる素直な子もいれば、そうでない子もいます。「一生懸命、頑張らない人にはおやつがこないのよ」と言いますと、泣きそうになりながら「食べるぅ~」と頑張る子は可愛いです。「おやつに釣られる」というと言葉が悪いですが、たった3歳~5歳の子供たちです。「おやつ」に釣られて欲しいと思います。「1切れ1万円のカステラ」もあるようですが、身分相応という言葉があります。働かざるもの、食うべからず。自分で働いて贅沢ができるようになってからにして欲しいかも・・・と思います。

「こんなおやつ、いらない」といった子もいました。きっと高価なおやつを食べるご家庭なのでしょうね。「ケーキは○○のものじゃなくちゃ」という子もいました。でも、これは、子供としては「可愛い気」はありません。「食べなくてもいいけれど、そういうことは言ってはいけない」と教えた気がします。そんな子も、心を許せば「こういうのも、おいしい」と喜んで食べたりするようになります。餌付けではありませんが、心の距離を計るバロメーターになります。

20年ほど前の未就園児の子のお母様にこんなエピソードもありました。最初の授業が終わっておやつを出した時のことです。その子がおやつを口にいれたとたん、教室のドアが開き、お母さまが走って入ってこられ、「何を食べたの?出しなさい!」子供の口を検閲します。口の中のものが、飴でないことが分かると、安心して教室から退室されました。楽院は、2歳児に飴を出したりはしませんが、おやつのお盆が廊下を通る時に、気軽に「おやつは何ですか?」と聞いてくださったら・・・と思います。お母様が、人付き合いが苦手だったのでしょうが、いきなり口を開けさせられた子供の驚きよう、そして、他の子供たちや私たちの方が動揺したことが忘れられません。

説明をしてみると、「おやつ」にいろいろな意味合いはありますが、基本的には、「おやつ」は子供のおけいこに対するご褒美です。ですから、その後、「泣かなかったらミニカー」「喫茶店でアイス」は二重取りです。子供は賢くて、「今日のおけいこ、いつもより、がんばったでしょ?」とか、「お母さんも疲れたでしょ?一緒にアイスクリーム食べよう」と上手に親御さんを誘導する姿を見かけます。でも、考えていただきたいことがあるのです。

ご両親は、何のために、だれのために「音感」の授業を受けさせているのか? ということです。幼児のおけいこごとにしては、「高額な月謝」を捻出し子供に勉強させ、その上、勉強する子供に親御さんがご褒美を出す・・・。何かおかしくはありませんか? 子供が小さいうちに、親が自分の本心としっかりむきあわないと、子供の「考え違い」を増幅させる結果となります。おけいこや勉強は、親のためにしている。ご飯を残さずに食べることもお母さんのため。そんな考えを持つ子に育ててはいけないと思います。

子供は親のために生きているのでしょうか? 
せっかく、この世に生を受け生まれてきたのです。子供たちには、一生懸命生きて欲しいと思います。どんな育ち方をしても最終的には本人の責任になる時がきます。真綿に包み、大事に育て、勉強だけさせるだけでは、子供のためにならないこともある・・・。最近の嫌な事件が教えてくれます。人間としての「規範(行動や判断の基準となる模範)」を教えましょう。残念ながら「勉強」が全てを可能にする「オールマイティのカード」ではないのです。ご褒美や報酬も、ただ、機械的に与えるのではなく、お互いの感情や心、思いやる気持ち、お財布の状態を見ながら、上手に活用したいものです。心の中に、1本筋が通っていれば、細かいことは、臨機応変でいいのだと思います。
by k-onkan | 2008-06-23 00:00 | しつけ | Comments(0)

ご褒美があるならペナルティーも・・・

最近、「賢いお金の使い方」や、「子供に経済観念を持たせるために」などの記事を良く見かけます。それだけ、お金に対する意識が高くなっているのだと思います。確かに、お金はないと困りますし、大事なものではあります。しかし、全てをお金に換算するのは、どうなのかしら? 私たちはお金のためだけに働き、生きているかしら? それ以外に、心の豊かさも求めていないかしら?

e0143522_22591231.jpgもちろん、お金は湯水の如く出てくるわけではありませんから、経済観念にある子に育てるため、我慢させることも必要です。けれど、あまりに小さいうちから、全てをお金に換算させて考えるのは、いかがなものかとも思います。ものの価値が分からない内は、1円玉も10円玉も子供にとって同じものかもしれないと思うからです。

子育てセミナーの時、こんな話を聞きました。何事にも一生懸命取り組む年中の女の子Yちゃんの話です。授業中も、「一番になりたい」と意欲を持って取り組む利発な子ですが、少し行動が遅いところもあります。知的レベルと同等の反射性や運動能力を養わなければ・・・と、最近は、厳しいことも多く要求しているお子さんです。そのYちゃんが「お父さんは、働いてお金をいただいているのでしょ? ならば、私も家のお手伝いをしたら、お金がもらえるの??」さすがは女の子です。男の子はそんなことにはまだまだ気がつきません。

Yちゃんのおうちでは、お手伝いがお駄賃制なのだそうですが、最近は、自分から「これをやったら、いくらくれるの?」と要求するようになり、お母様は困っておられるようでした。子供だけでなく、私たち大人もですが、「欲求」というものはとどまることをしりません。成長とともに欲しいものはどんどん高額になっていきます。一番最初の価格設定には熟慮が必要です。

報酬対価は、貨幣価値が分からないうちは、低くて良いと思います。子供は「3+2」は「5」と分っても「30円+20円」が分からないことはよくあります。分からないうちは、自分の報酬でお小遣いをやりくりするようにはなりません。報酬は低くて問題ないと思います。子供は日々成長しているので、突然、大人が驚くような口を聞くことがあります。その反面、5歳児の稚拙さも残しています。こうしたことを見逃さずに、正しく指導しなければと思います。

「○○家第○条」ではありませんが、家族の一員としての規範を細かく決めておくのも大事なことかもしれません。堅苦しいとは思いますが、子供さんが賢いなら、大人も事前に心の準備をしておかないと、あっという間に言い負かされる時がきます。もちろん、「お役所の規則」ではないので、子供の心や優しさなどを加味して温情があっても人間らしくてよいと思います。

お手伝いの報酬も、何かを頑張ったご褒美も、「自分のためになること」で与えてはいけないと思います。報酬やご褒美は、「お父さんの靴を磨く」「新聞をとってくる」「お母さんのお手伝い」など、自分以外の「人のためになること」がお手伝いではないでしょうか。また、日ごろお世話になっている親の肩をたたいて、「いくらくれるの?」といったら、情けなくて叱ってしまうかもしれない・・・と思います。ふだん、世話をしているのだから、思いやりの気持ちであって欲しいと思うからです。そんなことなら、「しなくていいわ!!」という気持ちになってしまいます。

お手伝いで気をつけることは、「家族の一員としてすべきこと」なのか「お手伝い」なのかの線引きだと思います。「自分が食べたお皿をさげる」。これは、当たり前のこと。「テーブルをふく」「みなが使う場所をきれいにする」は自分も使っているのですから、家族の一員としてすべきことです。ご褒美についても、同じで、「おけいこをがんばる」「ご飯を残さず食べる」。これも自分のためで、して当然のことです。ご褒美には該当しないと思うのです。「何かを成し遂げた」「できなかったことができるようになった」なら、ご褒美があっても良いと思います。

「誰かのために何かをする」ことによって、自分の心が温かくなる・・・。「こんなことを言う私が古いのかしら?」とも思いますが、対価の有無ではなく、「人のために何かをして感謝されることの心地よさ」も教えなければなりません。偉人といわれる人々は、「自分の利益やもうけ以外の何か」を深く追究したからこそ、語り継がれていると思うのですが・・・。

何にしても、子供に知恵がついて「あの手この手」を駆使してきたら、大人もそれに負けない「あの手この手」を考える必要があります。「約束したから」とかなえることも大事ですが、子供に非を見つけた時には、約束を反故にするペナルティーがないと、子供にばかり都合の良い「約束」になったのでは公平ではありませんよね。私たち大人だって、突然、税金が高くなったり、諸事情でパンやバターが高騰したり、理不尽な目にあうのですから。子供の要求が「大人なみ」になったら、理不尽なことも教えなければと思います。世の中、子供の都合のよいようにばかり回っているわけではないのですから・・・。
by k-onkan | 2008-06-22 00:00 | しつけ | Comments(3)

お金の計算できるかな? ~尾瀬合宿に向けて5~

合宿の最終日に小学生にはお小遣いを持たせます。合宿中は、全員分集めて、宿泊所のフロントに預かっていただいています。何年か前に、「麻奈先生、お財布は!?」と帰りのバスで子供に聞かれ、「あ、忘れてきちゃった!」と大慌て!!以来、子供たちが「先生、お財布ちゃんと持ってきましたか?」と心配そうに確認してくれます。ありがたいことです。

e0143522_21352695.jpg去年は、日光江戸村に出かけたので、特別にお小遣いは「1500円」でした、それぞれの財布を首にかけ班行動をさせました。1年生から6年生まで一律、1500円なのですが、低学年には「多いかな」と思う反面、観光地でカキ氷を食べると350円、おうちにお土産のお菓子の一つも買うと1050円で、もう手元には、100円しか残りません。1年生に1500円が多いと思われるご家庭は、少なめに持たせてくださるようです。各家庭のルールに則って減らす分には構わないと思います。その時には、「うちは、小学1年生には1500円持たせる主義ではないから・・・」と話して聞かせておいていただきたいと思います。本人が知らないと、自分のお金がなくなった!と大騒ぎして揉め事になる恐れがありますから・・・。

男の子は、家にお土産を買うことなど考えずに自分の好きな高いものを何か一つ買う傾向があります。江戸村なら、刀セットだったり、印籠だったり、「そんなもの、本当に欲しいの?家に帰ったらゴミになってしまうのでは?」というものを喜んで買ってきます。バスの中で、それぞれ見せ合って大はしゃぎです。海賊が宝をみせびらかしあう雰囲気でしょうか。男のロマンなのかもしれませんが、女の子には理解あまりされません。

反対に女の子は、「どこでみつけたの?」というようなチマチマとしたものを見つけてきたりします。「これは、おじいちゃんに」「これはおばあちゃんに」と家族の顔を思い出して買う姿を見ると、必要のないものでも、喜んで受け取ってあげて欲しい・・・と思わずにはいられません。高学年になると出費を最小限に抑えて、カキ氷を友達と半分づつ食べて、後は貯金するというしっかり者もいます。この「半分」のために揉め事が起きることも多々あります。350円を200円と150円で分けて、150円の子が少なめに食べることもあります。でも、気の優しい子は、自分がお金を出したのに「一口、頂戴」と取られていることも・・・。そういう時には、「乞食じゃないんだから、やめなさい。自分のお金でちゃんと買って食べなさい」と叱ることもあります。きっかり175円づつにする子もいますが、おつりが分からなくて、「先生・・・」と呼ばれ、代わりに計算させられることもあります。ふだんお財布と相談してお金を使う経験はあまりなさそうです。

今年は、観光地にはいかないので、お小遣いもカキ氷が1回買えるくらいにする予定ですが、「100円で何が買えるのか」「何がいくらくらいする」など、普段の生活の中で興味を持たせることは必要だと思います。東京で買い物するより、観光地の方が同じものでも、高い!などに気づくことは大事なことです。

特に、初めて、お財布を持つ新1年生にはコインの種類や数え方を教えていただかなければと思います。子供たちが買い物をしている店を覗くと、必ず「麻奈先生、○○ちゃんが足りないって言われているよ・・・」。「200円も足りないなら、あきらめて他のものにしなさい」と言う場合もあれば「考えに考えたのに計算を少し間違えて30円足りないのかな」ということもあります。どちらにしても、同じTシャツを着た楽院の子供たちが、店に迷惑をかけているので、良識の範囲で補填したり、あきらめさせたりしています。

そうそう、消費税の存在も子供たちには、混乱のもとです。最近は税込み表示になりましたが、昔は、ちゃんと計算したのに消費税分が足りないということがよくありました。「先生、400円と600円のものは1000円のはずなのに1050円だって・・・」と泣き付かれて「来年は、消費税分の小銭も持たせた方が良いのかしら」と考えたこともあります。税込み表示になって私は本当にありがたいです。

幼児部にはお金は持たせません。自分で管理して使えませんし、何でもかんでも、小学生と同じことをさせればよいというものではないからです。でも、「お兄さんたちがアイスクリーム買っている・・・」ということには気がつくので、小学生がお買い物をしている間には、屋形船に乗ったり、買ってもらった「みたらし団子」を食べたりしていました。幼児部はそれで充分、楽しめます。小学生は、「ボクたちは小学生だから、自分の財布からお金を出して食べることができて、特別なのだ」と先輩になることの喜びも感じられるようです。
by k-onkan | 2008-06-21 21:37 | 発達障害 | Comments(0)