麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子供の心が読めますか?

国民の休日があり2週間ぶりに授業があった火曜日。Yちゃんが、うれしそうに教室に入ってきて、「あのね、Kちゃんはね、麻奈先生が怖くて、音感来るの、嫌なんだって・・・」。とニコニコしながら妹の気持ちを代弁します。こう書くと、いじわるなように聞こえますが、自分も最近まで「先生が怖い・・・」とべそをかいていたので、壁にぶつかる妹に対して愛しさもあり、また、皆の注目を浴びているので、羨ましさもあるのでしょう。怖い私に言いつけたら、どんな反応をするのかも見ているようです。「仕方ないよね。音感の勉強をしたら、みんな怖いのよね。でも、麻奈先生のことを怖がった子は、Yちゃんみたいにおりこうにするから、楽しみにしていてね」

e0143522_0294351.jpg生まれた瞬間から、多くの人に構われ、その期待に応えようとする第一子に比べ、何か目につく行動、それも、悪いことでもしないと、大人の注目を集めない第二子は、わがままで身勝手に見えることが多いものです。大人も手をかけない後ろめたさから、下の子のわがままを容認することが多いのかもしれません。しかし、子供は本当はそんなことを望んでいるわけではありません。上の子と同じように、期待されたり、叱られたり、注目されたり、褒められたり、同じ扱いを望んでいたりするものです。

さて、Yちゃんの妹は、望クラスから音感クラスに移り、3回目のレッスンで大泣きをしました。泣けば要求が通ることに慣れているのかもしれません。けれど「泣く子のママは教室に入れません」「泣いていない子のママは中に入れます」。このルールを曲げたら、私が負けてしまいます。一度、子供との争いに負けたら、子供は二度と、尊敬の念は持ってくれません。「なぁんだ。先生より、私の方が強いじゃない」と思うからです。そこで、お母様には、教室の外で待っていただくことにしました。しばらくすると、泣き止んで勉強を始めるので、ママに入っていただこうとすると、これ見よがしに泣き始めるのです。遠まわしにママを責めているかのようです。この繰り返しで授業を終え、ママが「よくがんばりました」と抱きしめると、うらめしい表情をしてママの顔をみようとはしません。「なんで私を置いていったの??」と怒っているのかもしれません。しばらくは抵抗するのかもと思いながら見送りました。

楽院で、子供を良い子に育てる秘訣は、ルールを変動させないということにあります。どんなに、泣いてわめこうが、基準を易しくしたり、変えたりはしません。「やることをやる=おやつを食べる」「やることをやる=ママと一緒に帰る」なのです。やらないで、おやつが出ることも、ママと帰れることもありません。「絶対に守らせる」と決めたら、何があっても徹底しなければ、子供に教育はできません。甘やかされて育った三重苦のヘレン・ケラーを教えたサリバン先生ではありませんが、心を鬼にしなければならないこともあるのです。そうして、小さい頃に覚えたルールが自立した時の自分の価値観を形成するはずなのです。

その翌週もKちゃんは泣き始めましたが、外に連れ出した純子先生に「泣かないで勉強するなら、ママは出ていかなくていいのよ。がんばってやっていらっしゃい」と言われ、Kちゃんなりに妥協点を見つけたようです。大人の話を理解して、聞き分けることができるようになってきているのです。その後は、泣かずに一生懸命授業を受けることができました。そのKちゃんの顔は、自信に満ち溢れ、本当に穏やかな表情です。泣いたり、わめいたりして、自分の我を通すよりも、一生懸命勉強した姿を大好きなママに認められる方が喜びがあるのです。幸せそうな顔をして、ママと帰っていきました。お姉さんには申し訳ありませんが、泣かずに楽しく授業を受けられる日も近いと思います。なぜ、分かるかですって? 子供の目に書いてあるのです。「もういい子で勉強できるよ!」って。

小さい子供に主導権を握らせ、皆で気を使ったり、顔色を見て育てるのは、本人にとって幸せなことではありません。傍若無人な「裸の王様」になってしまいます。それよりも、素直に子供らしくできて「可愛いわね」「おりこうね」と褒められるほうが、どれだけ気分が良いでしょう。

子供が大きな声で泣いたり、乱暴をしたり、人に迷惑をかける行為をすると、大人はつい要求を通してしまいます。けれど、これを容認すると、嫌な性格を助長するだけでなく、何歳になっても「脅し」によって、欲しいものを手に入れることを続けます。「泣いて喚いて音感を嫌がる」うちはまだ可愛いですが、「家出をされたくないなら夜間外出を許可して!」「学校を続けて欲しいなら携帯を買って(小遣いを値上げして)」となると、要求はとどまることを知りません。子供の教育もしつけも幼児期にしか間に合いませんよ。本当に。
by k-onkan | 2008-09-30 23:53 | しつけ | Comments(0)

感謝できる子育てを

私は、ふだん、3歳から19歳までの子供たちとつきあいがあります。子どもがいることで、救われるのは、大人が自分の未熟さを改善する機会を与えられることではないかと思います。私の場合は、子供といっても自分の子ではありませんが、音感を通して、かなり深く真剣におつきあいをしているので、いろいろな子供の気持ちを垣間見る機会が与えられていて、私はありがたい仕事をしていると感じます。

e0143522_22515357.jpg数年前、何かの本で読んだのですが、「若い頃、親に不信感を持ったり、嫌ったり、反抗することは、少なからずあるもの。しかし、30代、40代を過ぎても、まだ親に対する不満を払拭できないとしたら、その人には大きな問題がある。たとえ、どんなに立派な仕事をして成功していたとしても・・・」そんな意味のことが書いてありました。なんという本だかも、いつ読んだかも思い出せないのですが、つくづく、その通りだと年を経て感じています。

親が「○○してくれなかった」「もっとこうして欲しかった」「こんなことはされたくなかった」それぞれ、いろいろな不満もあれば、事情も異なります。数えたらキリはありません。しかし、不満の有無はともかく、私たちが、今、ここに存在しているのは、紛れもなく、両親がこの世に存在し、今の状態に育ててくれたからです。短所もあるでしょう。しかし、長所は親の努力によって形成されたものだと思います。若い頃は、「自分が嫌い」とか「もっと別の人間になりたい」などと思ったものですが、ある年齢を超えたら、「こうありたい」という自分の理想は、努力して自分が近づかねばと思うのです。

若い頃、母に「音感の先生なんか嫌!!」と言ったことがあります。その時、ふだん、穏やかな母がずいぶん、強烈に怒りを表したのです。私たちを育てたのは、生業である音感教育によってであり、それを否定することは、自分の親、また、自分自身をも否定することである。ふだん、穏やかな母にかなり本気で怒られたと記憶しています。

自分も大人になり、社会人になると、親の事情や気持ちが理解できるようになり、子供の頃、何も知らずに、不満や文句ばかり言っていたころよりは、親を素直に受け入れ、有り難味を感じるようになってくるものです。

平素、いろいろな親子関係を拝見しますが、自分の親御さん(子供の祖父母)を大切にしている方は、子育ても上手にされていると感じます。反対に、自分の親の批判をしているお母様は、どんなに、我が子に愛情をかけて育てていても、何らかの問題を抱えているように感じるのです。
自分と同じように、我が子も、いつか「うちの親は、自分を育てそこなった。あれもしてくれなかった・・・。これも・・・」と言われかねません。親への感謝を気持ちをもって、自分の子供と接すること。これは忘れてはならない、子育ての基本のような気がします。
by k-onkan | 2008-09-29 22:51 | しつけ | Comments(0)

主張することの難しさ

私は、子供の頃から、年下の面倒をよくみる子どもでした。人の世話ばかりやいて自分のことが手薄で叱られる・・・。よくいる典型的な長女です。自分の弟妹だけでなく、楽院で出会うよそのお子さんに対しても、よく面倒を見た方だと思います。これは、自分が幼い頃、父の下に通う生徒さん方から「先生の娘」ということで可愛がっていただいたためでしょう。「してもらったこと」を誰かにすることで、世の中はうまく回るのです。私にとって、自分がしてもらったように、小さな子の面倒をみることがあたり前でした。また、皆さんも「お姉さん」と慕ってくださるので、その期待に応えるために、一生懸命でした。

e0143522_22493813.jpgそんな私は、同年代の友人といても、やっぱり、気がつくと、世話役をしていることが多いのです。年齢が同じでも、長子タイプもいれば末っ子気質の人もいます。長子は年齢に関係なく人の世話をやき、末っ子タイプは、たとえ、自分が一番年長者でも、ちゃっかりと皆に世話をされていたりします。

さて、「お姉さんタイプ」は、人に物を教えることに動じません。自分の考えを主張することも、あたりまえのことです。その上、私は社会人になり、「先生」と呼ばれる生業につくと、人に物を教えたり、時にお小言を言うことも抵抗がないのです。時に「ズバッ!」とストレートにきついこともいうのは、皆さん、ご存知のとおりです。歯に絹着せて伝えると、真意が伝わらないこともあるからです。「今のお母さんのその態度、絶対にいけませんよ」などなど。

しかし、これは、楽院の中だけのこと。基本的には他人の行動に、文句をつけるほど、自分が立派な人間でないことが分かっているため、他人に自分の意見を主張したりするほど図々しくない。人に迷惑をかけなければ、他人のことには関わり合わない方が、トラブルが少ないと思ってきました。けれど、このブログを書くようになって、それでは、いけないのかも・・・と気持ちに変化がありました。友達に「世の中が変わってきているのだから、仕方ないじゃない。変わるものは変えられない。順応すべきでは?」と言われたのがきっかけでした。社会人として、きちんと仕事もでき、責任感のある賢い友人なのです。けれど、「他人のことに口を出すべきではない」と思って子供と関わるのは、たいへん危険なことなのです。主張すべきことは、主張できる人間でありたい。主張するのは、時に、面倒で、見て見ないふりすることが、どれほど楽なことかと思います。時に、人から嫌われることもあります。それでも、主張し続けることに意味があると思うのです。

論語に「人能(よ)く道を弘む。道、人を弘むるに非ず」という言葉があるそうです。人間が、正道(人としての正しい行い)を広めるのであって、自然に正道が人に広がるのではない」という意味だそうです。正しくないことがまかり通っているのを見てみないふりをしたら、それが、主流になっていってしまいます。決して、良いことは、自然発生的に生じないのです。残念ながら、子供たちに正しいことを知って欲しいと願っても、世の中には不誠実がまかり通っています。これまでの勝手気ままな教育のあり方によって、自分さえよければいい、お金がもうかればよいという風潮ができあがったのだと思います。

「カビのはえた米を商品として売って良いか、悪いか」と聞いたら、5歳の甥でさえ「だめ~」と言うはずです。しかし、「儲かるならいいじゃないか」という倫理観のない政治家もたくさんいるから、いろいろな問題がおきているのでしょう。いくら、世の中が変わろうとも、正論が正論でなくなる世の中で暮らすのは、あまりに辛いことではありませんか。
by k-onkan | 2008-09-28 22:49 | 教育 | Comments(2)

もしものために・・・

「もしも、お母さんが死んだら、誰の子にしてもらう?」何気なく聞いた一言で、涙を流して「いやだよ。死なないで」と抱きつく甥。「そんなに簡単に死なないから大丈夫よ。でも万が一のためにYの気持ちも聞いておかなくちゃいけないでしょ?」「お母さんがいい!」「それは、分かっているわよ、でも、まぁちゃんのお友達は、9歳の時、お母さんが亡くなったでしょ? そういうことが絶対にないとは限らないから、考えておこうよ」「どうして、うちの子じゃだめなの」「だってお父さんは仕事があって、ご飯を作ったり、世話をしたりできないわよ」「それでも、お父さんと一緒がいい」「じゃぁ、今のうちに、ご飯の炊き方とか、洗濯ぐらい、覚えておかなくちゃね」「うん。覚える」こんな会話をしているのを聞きながら、「お互いに大事にしなさいね。子供はお母さんを。お母さんは子供を・・・」と思います。感謝の気持ちを忘れるのは不幸なことですから。

e0143522_2165155.jpg5歳の子供に、「なんて残酷なことを言うのだ・・・」と思う人もあるかもしれません。けれど、子供を大切に真綿にくるんで、何の不安も与えず、ただ、豊かに育てることが必ずしも子供のためにはならないと強く感じるのです。最近の子供たちは、自分の意思もなく、ただそこにいて空気を吸っているように感じます。与えられるものを食べ、着せられるものを着て、やれといわれることをやり、自分からは何もする必要も感じない。そして、成長して、いざ助けがなくなると、何をどうして良いかも分からない。そんな風に育ててはいけないように思います。

発展途上国の子供が目が輝いているのは、必ずしも、幸せではないから、いつ何があってもおかしくない状態だから、自分で生きようとしないと生きていかれないから・・・。けれど、今の日本の子供は、気がつくとドロンとした死んだ魚のような目をしていることが多く、自分から、何か得ようという貪欲さがある子は本当に少ないように思います。

昔は、戦争があったり、大家族だったりして、子供の生活の中にも、「人の生死」が身近にあったといいます。現実の世界に「死」が存在し、それを受け入れるチャンスもあったのです。今は、核家族で身近に老人もいなければ葬式もなく、現実の「死」に直面する機会がないにもかかわらず、テレビの中では簡単に人が死に、そうかと思うと、他のチャンネルでまた活躍している。そんな不自然なものを見て「人の気持ちを考える豊かな子に育て!」という方が無理な気がします。

親友の子供は、弟が3年生と兄が4年生の時に母親を失いました。「子供たちは、一度も口に出したことはないが、「母親がいてくれたら良かったのに・・・」と思うことは、たくさんあったはず。それでも、順応して育つ子供たちはすごい底力がある」と父親が感心します。親戚もいない異国の地で父子3人、力を合せて暮らすという試練によって、何の不自由なく暮らす子供よりも、他人の気持ちを感じる優しさとたくましさがあります。父親が苦労して、自分たちを育てる姿を目の当たりにしているので、思春期を迎えても、きっと、たいした反抗期はないかもしれないとまで思います。

「子供のため・・・」と思って大事に育てるより、将来、子供が地に足をつけて暮らせるような育て方をすることが大事だなぁと思います。そのためには、世の中にある悲しいことや、つらい話もきちんと伝え、自分の思い通りにはならないことや、見えない力に対する畏敬の念も教えておくべきなのでしょう。

うちの妹は、5歳くらいの時に、母に「ママが死んだらどうする・・・?」と聞かれ、「ママよりやさしくて若くてきれいな新しいお母さんなら、それでもいい」と言ったそうです。やっぱり、母親にとって、女の子より男の子が可愛いのは当然かもしれません。女の子はシビアでキツいのかもしれませんね。だからといって、男の子を、ママの可愛いペットに育ててはいけないのですが…。
by k-onkan | 2008-09-27 21:07 | しつけ | Comments(0)

おみやげくれる人!?

楽院の子供に「厳しい」と思われている私ですが、友達の子とつきあう際には、また別の顔があります。さて、こう書くと、「生徒には厳しいのに、友人の子には優しいの?」とブーイングがあるかもしれませんね。生徒には責任があり、平素から教える中で、「やることをやっていれば大丈夫。麻奈先生は上手にするために厳しいだけ」という信頼関係もできあがっています。もちろん、これは、泣かずに授業を受けられる年になった子供に限定されますが・・・。けれど、数年に1回、会うか会わないかの友人の子にとって、私は、何の関係もない「ただのおばさん」なのです。そんな相手から、いきなり、お小言を言われたり、正論をふりかざされては、子供も面白くないはずです。どんなに母親が学生の頃、親しくしていた友人と言っても、子供には何の関係も相手なのですから。

e0143522_23374048.jpg私は、友人の子には必ず「手みやげ」をもっていきます。アメリカ人の子にも、オーストラリア暮らしの子でも、日本人の子にでも・・・。子供にとっては「おみやげをくれる優しい人」と受けがいい方かもしれません。プレゼントは、その子に対する「好意」を簡単に表わすアイテムです。もちろん、分不相応な高価なものや、親が眉をひそめるような品の悪いもの、下劣なものは選びません。友人が「もらって害がない」と受け入れ易いもの。小さいうちは、「ぬいぐるみ」や「ミニカー」「知育教材」。大きくなったら、親が喜びそうな知的なもので、かつ子供も喜びそうな「本や図鑑」「実験教材」などです。

数年前、アメリカに住む親友(アメリカ人)に「麻奈は物をくれる人だって、子供たちが思っているのだけれど・・・」「迷惑なら、やめるけれど?」「子供たちは喜んでいるし、私は気にしないけれど、麻奈はそれでいいのかと思って心配なの」と言われました。「私が子供たちのことを気にかけていることが分かればいいわ」そう思いました。

子供にとって大人の人間関係や、他人の気持ちを汲み取るのはとても難しいことです。それより、「○○をしてくれる人=自分を思ってくれる人=信頼」という図式が成立しやすいようです。よく自閉症や発達障害のある子供は、一般の子のように「親」という概念が自然に生まれないため、最初は便利な存在として親を認めさせ、それから、信頼関係を構築すると聞いたことがあります。何年かに1回会うママの親友は、子供にとっては、その程度の間柄だと私は感じます。

先日、親友の旦那さまと子供たちと食事をしたのですが、その時も、やはり手土産を持って出かけました。「ドラえもん」の学習漫画「天体」と「植物」です。子供のプレゼントに漫画はいかがなものかしら?とも思いましたが、オーストラリアで生まれ育つ子供たちに「日本語を忘れさせたくない」と41歳の若さで亡くなった親友が心配していたことを思い出し、漫画であっても日本語を読み続ければ、いつか興味を持つようになるかもしれない。それなら、堅苦しくないものが良いのだろうと、ドラえもんの学習漫画を購入することにしたのです。しかし、国語が苦手とは言っても、5~6年生の子に、「1年生のこくご」「2年生の漢字」では気を悪くするかもしれない。男の子なら、理科がいいかしら? あれがいいか、これはどうだろう」と思いをめぐらします。手土産を選ぶ時間に、相手に対する「思い」が込められるのです。それが、プレゼントの大事なことかもしれません。最初は、あまり興味を示さなかったのですが、食事も終わり、大人たちの話に花が咲いた頃、部屋の隅で一生懸命、二人で読んでいました。

帰りがけに「おばさんのこと、忘れないでね。困った時には、絶対に助けてあげられるような偉い人になるから!!」 と一人ずつ、ギュッと抱きしめながらお別れしました。とは言ってみたものの、「偉い人って、どうやってなれるのかしら?」 
by k-onkan | 2008-09-26 22:35 | 幼児 | Comments(1)

怠けものには努力!

私は、小さい頃から、好みがはっきりとした子供でした。自分の興味があることには、集中力を発揮しますが、苦手なことは、全然、理解しようとしない。女の子には珍しいタイプだったようです。「女の子は親の言うことを素直にきくもの」と思っていた母にとって、かなり扱いにくい子供だったのでしょう。

e0143522_17231326.jpg幼稚園や学校で、担任の先生が変わるたびに、「どのように育てたいか」という質問の欄に「一生懸命取り組む子になって欲しい」と書かれていました。それほど、何事に対しても煮え切らない「子供」で、母が思い描く「女の子」とはかけ離れていたのでしょう。母は、私にやる気を持たせるために、お説教をしてみたり、泣き落としをかけたり、いつも、頭を悩めていた姿を思い出します。けれど、今大人になって分かることがあります。それは、何事にも一生懸命取り組む優等生タイプの子どもは、数えるほどしかいないということ。そして、それ以外の子は、あきらめずに気長に付き合う必要があるのだということを・・・。

私自身、どんなに母がいろいろな手を使っても、自分がやりたいと思うものにしか、身が入りませんでした。ピアノは、「うちの子に生まれたのだから、やらなければならないもの」として認識していたので、イヤイヤでも続けていましたが、先生にはずいぶん、失礼な生徒であったと思います。

私は長いこと、「自分は勉強ができない」と思っていました。けれど、中学生になって、塾と出合い勉強が楽しくなりました。そこは楽院に負けないほどのスパルタ塾でした。その頃の私は、思春期の真っ只中、自分のやるべきことを一生懸命やるより、どうやって「せずに済ませるか」に頭を使う子でした。口も達者だったので、ばかではなかったでしょうが、努力することの大切さは理解していませんでした。親があんなに身を粉にして働いても、自分はどうやって怠けて楽をするかを考える、今の若者と大差はない状態です。

学校の先生には「その単語を覚えて、なんか意味があるのですか?」屁理屈をこねると、たいていは生徒の顔色をうかがって、強いことをいわずにしっぽを巻いて逃げてしまいます。言い負かす自信がなかったのかもしれません。けれど、その塾の先生は、「グタグタと余計なことを言わずに、覚えなければいけないものは覚えよ!理由なんかない!」と一喝する先生でした。宿題がやっていないと、「ビシッ」とものさしでたたかれます。今だったら、「体罰!」と騒がれるかもしれませんが、あの時、「屁理屈をこねずにやることをやる!」と、家族以外に教えられなければ、今の私はなかっただろうと思います。皆さんが怖がる楽院ですが、私には「自分の家」で、皆さんほどの緊張感も恐怖はなく、世の中をなめきっていたのだと思います。

塾には、私の何倍も勉強に時間を使っているのに、できるようにならない人もたくさんいました。決して、怠けているのでも不真面目なわけでもないのです。ただ、「できるようにならない」のです。自分でいうのも何ですが、やればすぐにできる努力ではない「何か」が自分にあることを知りました。親の言うことを聞かない「困ったちゃん」でしたが、これが幼児期の教育の差であったと、幼児期にあきらめずに一生懸命、教育してくれた母のお蔭なのだろうと思います。

さて、そんな母ですが、妹が小さい頃には仕事が忙しくあまり構えなかったようです。ある時、本を読んでいた妹が「これ、なんて読むの?」と聞くと、「知らないわ。自分で調べなさい」と言われ、「大人のママが知らないことを、私が知っている必要はない」と思ったそうです。我が子には聞かれたことを即答できるようにしたいと、子供の頃の不勉強を取り返しています。結局、人生は、怠けていても、どこかで、努力させられるようにできているのだと思えてなりません。
by k-onkan | 2008-09-25 17:23 | 教育 | Comments(0)

キノシタの時代がくる??

先日、音楽大学の学生が論文で「音感教育」について書くので見学をさせてほしいと見えました。授業が終わり、木下先生が「なぜ、うちに見学に来たの?」と聞くと、「音感教育と言ったら、木下式が有名だから・・・」とのことでした。他には有名バイオリンメソードや大手楽器の音楽教室に見学に行く予定だそうです。「え、有名なの??」と私たちの方が驚いてしまいます。

e0143522_22152313.jpg一般の見学者の感想に必ず言われることは、「子供とは思えない」と「なぜ、子供の並び順番をちょこちょこと変えるのか?」ということです。「子供とは思えない」というのは、小学生になっても座って授業を受けられない子もいるという一般の現状で、年中、年長児が、3時から6時まで休みなく、授業を受けるのです。子供とは思えないと言われるのも無理ないことかもしれません。

そんな中で、唯一、子供らしい場面が、先生によって「並び」を変えられることなのかもしれません。楽院の集団授業では、先生の近くから、1番。2番・・・と信頼がおける順番に並んでいます。つまり、確実に、正しい声を出してくれる子供の順番です。しかし、それでも、子供ですから、気が散ったりすると、失敗して、一番うしろにやられてしまいます。すごろくの「1回休み」ではありませんが、油断していると、1番の座は維持できません。子供たちには、緊張感が生まれ、いつでも、真剣に取り組もうとします。

お手本の子がしっかりしていれば、2番、3番、とそれを真似て上手に歌っていくことができます。けれど、最初から、つまづきがあったり、何度もやり直しをしたりしてしまうと、子供の授業の進行に無駄な時間ができてしまいます。木下式は、常に、子供が、一番良い状態で、授業に集中できる工夫が随所に隠されているのです。

さて、最近、遊びに来た卒業生が「今にキノシタの時代が来るよ」「だって、こんなにすごいことしているのだから」と言ってくれるのですが、「それって、どんな時代???」と思います。キノシタが世の中に認められるためには、木下式を勉強した子供たちが胸をはって「子供の時に、木下式を勉強した」と言えるような大人になってくれることだと思っています。世の中が求める基準が低いからといって、楽院以外で、手を抜くようなことをしていると、良い結果は生まれないと思うのです。

「楽院の厳しさに比べたら、学校で叱られるのなんか、なんともない」と小2の男児。そのお母様は「変な度胸だけつけてしまって・・・」と嘆かれていました。この話、どこかで聞いたことがある・・・と思っていましたら、「オリンピックのプレッシャーなんて、齋藤先生のプレッシャーに比べたら・・・」という金メダリストの石井選手の言葉でした。「楽院のプレッシャーに比べたら・・・」と思って、何か、大きなことを成し遂げるのかしら?と期待しつつ、そのためには、やっぱり、日ごろの努力が大事だと思うのです。
by k-onkan | 2008-09-24 22:14 | 幼児 | Comments(0)

知らなければいいの?

最近、「知らなかったから」とか「誰も教えてくれなかった」と言い訳をする子供を見るたびに、自分の行いを反省させられます。大人の私たちが、そういう姿を見せているから、子供がそれを学んでいると思うからです。「できない言い訳をするより、すべきことをする!」当然のことですが、なかなか、実行するのは難しいものです。私も子供のころは「だって」「でも・・・」と言って、よく親に叱られたものでした。いまだに、何かあると無意識に言い訳を見つけようとしていて、まだまだ修行が足りない証拠です。それでも、言い訳をしないように心がけてはいるのですが・・・。

e0143522_19365740.jpg9月は、学生時代に仲良しだった友人の命日のある月です。前にも書いたかもしれませんが、私がアメリカでよく面倒を見ていただいたお姉さんです。2年前、永住先のオーストラリアから、子供たちを連れ日本を訪問中、突然亡くなったのです。今の私と同い年で、早すぎるお別れでした。子供たちも10歳と11歳で、まだママの存在を必要としていました。日本の祖父母の下で最愛のママのお葬式を経験する。一緒だったママが帰りにはいない・・・。そんな様子に涙が止まりませんでした。

子供たちが乳飲み子の頃から、毎年、帰国すると、必ず、顔を見せに来てくれました。オーストラリアで育ったので英語を話すのですが、日本語はママの話し言葉を真似ているので、女言葉で、それがとても可愛かったものです。毎年、「今年は、どこに連れて行ってあげよう」と考え、品川水族館に行ったり、一緒にホテルに滞在したりしたものです。その年は、連絡がない・・・と思っていた矢先の訃報でした。

毎年、9月になると、友人が帰ってきそうな気がします。今年も、1ヶ月ほど前から気になっていました。ちょうど、満2年で3回忌に当たり、命日も記憶していたので、ご主人のご実家にお供えを送らせていただきました。けれど、「なぜ、お供えを送る前に、皆に声をかけてくれなかったの・・・」と友人から、お叱りを受けてしまいました。「何かをしてあげたい」という気持ちは、人に強制すべきものでも、されるべきものでもないと私は思っています。「何かしたかったのに知らなかったから、だから、何もできない」。それは、そんなに知りたかったわけではなかったのかも・・・と思うのです。

お葬式や法要は、残された家族が、大切な人を思い集まり癒されるためにあると感じています。古臭いとか、無駄だという人もいますが、そういう場があって、故人の存在を大切に思ったり、死に対する畏敬の念を持つのも事実です。子供には、自分の心に正直に、言い訳をせずに、自分がしたいことができる主体性のある大人になって欲しい。そう思えてなりません。
by k-onkan | 2008-09-23 19:37 | 自分のこと | Comments(0)

水飲んでいますか

最近、伯母と近くの温泉に出かけました。ここは、マッサージやリフレクソロジーがあり、食事をする場所もあって、その上、子供は入場不可という癒されたい大人のための「ぜいたくな空間」です。さて、そこでリフレクソロジーの施術を終えた時のことです。

e0143522_912458.jpg「何箇所かリンパの流れが悪いようですね。水は飲んでらっしゃいますか」。確かに飛び上がるほどの痛みがある箇所がありました。「はい」と答えますと「お茶やコーヒーでなくて水ですよ」「はい。飲んでいます」。授業前後には声がスムーズに出るように、自分では結構飲んでいるつもりだったので、自信をもって答えました。ところが、「2リットルは飲まないと悪いものを流してくれないのです・・・」といわれ、「それほど飲んでいませんね」と恥ずかしくなってしまいました。私が「飲んでいると思っている量」と、「飲むべき量」が圧倒的にかけ離れていたからです。自信を持って「飲んでいます」と言ってしまい、穴があったら入りたい気持ちになりました。

そして、こんなことを思い出しました。あるクラスで、「お子さんを歩かせていますか」とお母様に伺ったことがあるのです。そのお母様も「歩かせています」といわれましたが、「行進」する様子から、年齢にあった距離を歩いているとは、どうしても思えず、「1.5キロは歩ける年頃なのですが、それくらい歩いていますか」とお話すると、そのお母様はとても素直に「歩かせ方が足りないのですね。私がもっとがんばります」と理解してくださったのです。リフレクソロジーのお姉さんも、私の足に触れ、水の飲み方が「全然足りない」と感じたのでしょう。自分が「している」と思うことが、「している内に入らない」。すぐに即答するのではなく、人の話しをもっと素直に聞かなければいけないのだと反省してしまいました。

さて、話は変わりますが、子供に忍耐力や精神力を持たせるためには、体力は欠かせません。体力がないと、すぐに疲れ、途中で投げ出したくなったり、涙に逃げてしまうことがあります。体力をつけるためにと「運動教室」に通う方もいますが、ふだんの生活の中で、歩く習慣を持つことが大切です。一定速度で歩くことは、自分の中にリズム感を持つための基本となります。音楽の三要素(メロディー・ハーモニー・リズム)の中で、「リズム」は、脳の「運動連合野」を使うと言われています。音楽は脳のさまざまな部分を一時に使わせる教科なのです。(音楽は一般的に右半球で処理されていると言われていますが、運動野は左半球にあります)(参考:「教育と脳」著 長江誠司)

すばらしいリズム感を持つジャズピアニストから、こんな話を聞いたことがあります。「私たちは、バッグの中で何かを探していても、人と話しながらでも、一定の速度で足を前に出し歩いている。これは、自分の体内にあるリズム感の基本となるものであり、一定の速度で歩くことができれば、誰にもリズム感を身に着けさせることができる」というのです。ただし、不整脈であったり、一定の速度で歩けないと、訓練してもリズム感はあまり改善されないとのことです。

最近、楽院で行う「身体表現」や「カスタネットによるリズム奏」などのリズム訓練で、自分から足をあげたり、叩けない子が増えています。昔は、子供というものは、音楽を聴くと、自然に体が反応しリズムに合わせて叩くことができたものです。しかし、あまりに便利になり、何でも、大人がしてしまうと、本来持てるリズム感さえ身につかなくなってしまいます。それは、自分では何もしないまま大人になることに等しく、どんなに賢く良い学校に通っても、「自分から努力する」「忍耐を持って取り組む」という精神力がないと、何事も長続きはしません。体力は大切ですね。私ももっと水を飲んで歩かなければ・・・。
by k-onkan | 2008-09-22 23:59 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

脳の休日

最近、自宅にピアノがきたので、趣味でピアノを練習することが多くなりました。簡単には弾きこなせないような曲を選び、少しずつ練習するのは、難しいゲームを克服するような面白さがあります。ピアノを弾いている間は、筋肉をたっぷりと使い汗だくになるのですが、脳は休んでいるような感じがします。癒されているのでしょうか。無の世界というか、日常のわずらわしさから開放され、ストレスも消え、おだやかな気がするのです。体が覚えて行うことは、脳をさほど使っていないということなのかもしれません。ボケ防止にはならないかもしれませんね。

e0143522_0491519.jpgとはいえ、実は私も、楽院の子の例にもれず、ピアノの練習は好きではありませんでした。できないことをできるようになるまで忍耐強く練習することは、子供にとっては苦痛です。長子だったので、親には特にうるさく監督されましたが、今となっては、それが、私自身の精神修養であったと感じることはよくあります。

大人になった今でも、何かを勉強したい!新しいことを知りたいと思えるのは、小さい頃の経験によるものかもしれません。子供のころに、それに気がついていたら、もっと、立派な人になっていたかもしれない・・・と思うと、申し訳ない気もするのですが・・・。
by k-onkan | 2008-09-21 23:10 | 音楽 | Comments(0)