麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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2008年の感謝を込めて

2008年も最後の日となりました。木下式は、一年中、音楽祭、講習会と年中行事があるため、何かに追われるようにあっという間に1年が過ぎていきます。そんな中、今年を振り返ると、特別なことがありました。それは、10月の日中友好演奏会に尊敬する櫻井よしこ先生をお招きできたことでした。

e0143522_2312449.jpgそのきっかけは、このブログにありました。2月に書き始めた当初は、まさか、毎日書き続けることになるとは自分でも予想もしていませんでした。「音感」以外でもいろいろなことに興味を持ち、気づき、感謝できるようになったのもブログ効果かもしれません。

私の拙文を毎日読んでくださる方、書き込みをしてくださる方、感想をくださる方、励ましのメールなど、多くの方々に支えていただき、何とか2008年12月31日まで、書き続けられることができました。ありがとうございます。また、私の硬い文章に、可愛らしい挿絵を提供してくださるケイイチ・シライ氏にも深く御礼申しあげます。

皆様、よいお年をお迎えください。
by k-onkan | 2008-12-31 23:08 | 発達障害 | Comments(0)

誰の修行!?

甥が泊まりに来ている間、一番、家事がはかどらないのがピアノの練習をしている時です。とは言っても、家でまで「麻奈先生」をするつもりはないので、本人が問題なく「3回づつ弾く」ことができていれば、口出しはしません。しかし、楽譜と違うことを弾いたり、ごまかしを見つけたら「3回!というのは真面目な3回よ。勝手なことを弾いていると、バイエルがお墓から出てきて『だれだ? 私の曲を間違って弾いているのは?」って叱られるわよ」と注意することもあります。

e0143522_2252112.jpg妹は耳が良かったため、人が弾くのを聞き覚え自分で譜読みをすることを好みませんでした。その反省からか、甥にはあえて手を貸さないように見えます。そのため、悲壮な顔をして楽譜を見ている甥の姿をよく見かけます。平素、私も口出しをしないようにしていますが、泊まりに来ている間は別です。同じ部屋で繰り返し間違いを聴かされるのは精神衛生上、良くありませんし、私といる時は、甥の「ピアノの練習」「プリント5枚」の監督責任は私にあると感じます。彼はこれらを「修行」と呼んでますが、修行をさせられているのは大人の私の方かもしれません。

さて、ピアノの上達の近道は、「難しいところ」「問題があるところ」を抜き出して練習することにあります。曲の中で、遅くなったり、間違えが増える場所があったら、そこが難しい場所なのです。子供は間違えようが、止まろうが、最初から最後まで通して弾くのが好きなものですが、間違う場所、難しい場所こそ、多めに練習することが良い練習と言えます。

私も子供の頃、いろいろな先生からそのように指導されたものです。が、真面目なタイプではなかったので、それが苦行のように感じられ苦手でした。どうも、甥も同じタイプのようなので、一緒に「頭の使い方」や「曲の理解の仕方」を考えさせ効率よい練習方法を伝授します。細かい練習が嫌いだった私が、それでも、練習の仕方を身につけたのは、たまに、祖母や母にいい加減な練習を見つかって、監督されたからだと思うからです。小さい内に十分、手をかけられれば、その内、自分でもできるようになるはずです。もちろん、手の出しすぎは禁物ですが・・・。
by k-onkan | 2008-12-30 22:52 | お稽古事 | Comments(0)

子供がいると温かい

楽院が仕事納めを迎え、妹から「数日、預かって欲しい」と言われ、甥が私の家にきています。平素、「子供がいると自分の時間なんか持てない。子供がいない人は自己犠牲が足りない」と責められているので、「数日なら良いわよ」と気軽に引き受けてしまいました。

e0143522_15175293.jpg子供がいると、「大人の時間」は圧倒的になくなります。自分一人なら適当に済ませる食事も、1日3回、野菜や肉もバランスよく食べさせることを考えなければなりませんし、喜んで食べるものを与えていないと「お母さんの家に帰りたい」と涙ながらに訴えられてしまうこともあります。「私だって、一生懸命やっているのよ」など切れようものなら真夜中に「帰りたい攻撃」にあうでしょう。二人きりの時の叔母と甥の関係は、互いに気を使いながら、お互いを観察して過ぎていきます。

お風呂も用意だけして「どうぞ」というわけにはいきません。我が家のお風呂場は、全面がガラス張りで隣の空き地に面しているため、暗くてとても怖いのです。窓に映る木々の影は想像力のある子供にはお化けに見えるそうです。結局、一緒に入るのですが、自分のことは二の次になります。甥に保湿クリームをつけたら、自分につけるのを忘れてしまう・・・。そんな自己犠牲があるのだと実感しています。後でゆっくり入り直そうなど夢の話。「寝る前のお話の時間」「夜のトイレ」「歯磨きチェック」など等。合宿よりたいへんです。合宿ではご飯が3回出てきますし、後片付けやお風呂の掃除もありませんから。

普段から子供と共に生活していれば、上手な手抜きもあるのかもしれませんが、お互いに気負いがあって、疲れてしまいます。不謹慎ですが、「仕事をしていられるのも子供がいないから!!」と有難く思う反面、「一人で寂しいなら、ぼくがもう少し居てあげようか?」と子供にまで気使われると、「不自由でも子供がいる幸せ」もあるのだと感じます。

とはいえ子供にとって最愛の人は母親です。ちょっと目を離すと自分でダイヤルを回して「ぼくがいなくて、さびしくない? すぐに帰るから、待っていてね」と母にささやいていたりもします。将来、たくさんの女性に良い顔をする調子の良い男になるのでは?と余計な心配をしたり、それが世の中の男性特有のものなのか・・・。みんなに愛されようと「可愛いボクちゃん」は今日も奮闘中です。子供は、身勝手に生きる私に本当にいろいろなことを教えてくれます。
by k-onkan | 2008-12-29 15:16 | 幼児 | Comments(0)

親も子も哀しい・・・

e0143522_1551266.jpg毎日、偉そうなことを書く私にも反抗の時代はありました。他人には分からなかったかもしれませんが、母には扱いにくい娘でした。もちろん、今でも「麻奈は勝手で扱いにくい」と思っているでしょうが、若さにはパワーがありもっと残酷でした。外にでると、模範的な良い娘でも、家に帰ると精神的に不安で泣いたりわめいたり、弟にもよく「また、きちがいをやっている…」と呆れられたものです。人のことは良くわかるのでしょう。

穴があったら入りたいことは、今も鮮明に覚えています。だからこそ、反抗期の子供に寛容なのです。子供は大人を傷つける術を良く分かって残酷です。それでも「反抗期なんてそんなもの」と受け入れるのは、自分の経験があるからです。そして、それをしている本人が一番、どうしたら良いのか分からないのだということも感じるからです。

いろいろな親御さんの相談に乗りますが、「私の言うとおりにすれば、うまくいく」などと思っているわけではありません。これは、個々人が自分で我が子のためを思って考え、失敗する経験の中から最良の方法を見つけなければ、「自分の親を乗り越えたい」という子供の欲求に応えたことにならないからです。それでも相談にのったりアドバイスをするのは、いろいろな考え方、見方があって、親御さんの考えだけで子供の気持ちを推し量ることができなくなっているから、そして、悩んでいるのはお母さま一人じゃないことに気づいて気持ちを軽くしていただきたいから。

「自分の子供じゃないから、無責任なことが言えるのだ!」と言われればそれまでですが、小さな頃から真剣に向き合った子供は、多少のボタンの掛け違えがあっても、必ずいつか収まるべきところに収まると信じられます。どれだけ時間がかかるかは、それぞれの子供次第ですが・・・。

そんな私が、中高生の子たちと接する時、気をつけていることがあります。それは、子供に「嫌われたくない」とか、子供に媚びる様子を見せたら大人の負けだということです。反抗期であっても、子供は冷静に大人を観察しています。自分は、子供より長く生きていて、子供よりはものを知っていると自信をもって向き合うことです。子供を落ち着かせるために「正論も言えない、傷つくことも言わない、子供の要求を全て通す」では、事態を悪化させるだけだと思います。お互いを傷つけることになっても、多少、嫌な気持ちになっても、子供に嫌われても、その子の道を誤らせないためには、憎まれ役を引き受け、真正面から向き合う大人も必要だと思うのです。子供の気持ちを理解することも必要ですが、無理難題の全てを受け入れ、思い通りにすれ反抗期が終わるというわけではありません。「ダメなものはダメ」「できないことはできない」。社会に出るためのルールを教える最後のチャンスです。

小さな頃に、良い教育、良い環境、豊かに育った子供は、親が「打出の小槌」を持っているように思っていることがあります。また、その親も、「うちは特別だ」と思いがちです。けれど、親離れ、子離れは、誰にも平等におとずれるものです。親の意見と異なることをしたがるのは、自立の第一歩です。その時期はあって当たり前で、ないのが大事なのではなく、どのように乗り越えたかが一番大事だと思うのです。
by k-onkan | 2008-12-28 15:51 | 思春期・反抗期 | Comments(0)

積み木くずし

昔、「積み木くずし」という本がありました。有名な俳優夫妻のお嬢さんが、反抗期で家庭内暴力を重ね、そこから立ちなおるまでの話でした。本が売れると、テレビ番組の映画になりとても有名になったのですが、それが逆効果だったのでしょうか。結局、その娘さんは30代の若さで薬物中毒で亡くなったと記憶しています。

e0143522_12584886.jpgちょうど、弟の反抗期に付き合っていた頃の母は、「こんなすぐに本を出したら、この子がかわいそう・・・。まだ立ち直ってないに違いないのに」とよく言っていました。反抗期を乗り越えるのが一朝一夕ではないことを良く知っていたから出た言葉でしょう。「反抗期」は、いうなれば、それまでの教育の方法や家族関係、夫婦関係等、子供に関するすべてを家族で反省する時間なのかもしれません。反省することが多ければ多いほど、長く続くように感じます。辛いのは子供だけでも、親だけでもありません。反抗する子供も、そのきょうだいもたいへんなのです。

小さい頃は、親の言うことをよくきく「いい子」であっても、子供が成長すると自分の主張を通そうとします。動物の世界に「子離れ・親離れ」の儀式があるように、人間にもそういう時期があって、大人になる上で必要なことです。けれど、親にとって子供はいつまでも子供。愛しい我が子に背かれ、どうしたら良いかわかりません。「あんなに良い子だったのに・・・」「こんな悪い子は自分の子ではない」。女親にとって、我が子は分身なので「思い通りにならないことは、裏切り」にさえ感じるものでしょう。

私は反抗期に入った子供たちとも、つきあいがあります。見てて感じるは、「親だけに反抗する」のが良い反抗期です。楽院の私たちや、よその大人には、礼儀正しく接したり、挨拶ができるなら、社会に対して「よそいきの顔」を持っている証拠で、出口は遠くありません。子供が乗り越えたいと思っている相手は「自分の親だけ」だからです。

心配しなければならないのは、家庭や社会に関係なく、大人すべてに反抗的な態度をとってしまう子供です。自分がうまくいかないことの全てを人のせいにするわがままさを兼ね備えています。何が正しく、何が正しくないのかを見失うほど、心がさまよっているのでしょう。そういう状態になったら、「恥ずかしい」とか「世間体が」などと言っている場合ではありません。家庭内で穏便に解決するのは、危険です。人の助けを借りるべきだと思います。

実は、子供がこういう状態になるのは、親御さんが社会的に偉かったり、有名であることが多いように感じます。大人の建前と本音を感じ取って、それに反抗しているのかもしれません。世間に対しても、親御さんが完璧でないことを証明したいという欲求があるからこそ、隠せば隠すほど派手に反抗します。子供が反抗するのは、子供だけのせいではありません。そういう子供に育てた親にも絶対に責任があるのです。けれど、「親の心子知らず」で、甘えるだけ親に甘え、自分では何の努力もせずに、親を思い通りにするために反抗する子供には、「家から追い出す」という荒療治も必要かもしれません。子供と対峙するためには、強い信念が必要です。

「うちの子は、そんな反抗心はないから大丈夫!」と思ったら、心配してください。反抗しないのは生きる気力を失っているからかもしれませんから。親のいいなりでいた方が楽で、自分からは何もしない。考えない。したいことさえ見つからない。これほどの不幸はありません。親に反抗してまで、自分のやりたいことを見つけられる子供は、幸せなのです。少なくとも、ニートや引きこもりにはならないはずです。

親の言うことを良く聞き、勉強ができるけれど、他人と上手く付き合うことができない子が増えています。どんなに優秀でも社会人としては致命的です。他人とうまく付き合えなければ、社会生活はできません。「パソコンのネット株で生活できるから大丈夫」と考え、無理に学校に行かせる必要はないと考える親も多いと聞きますが、人間は一人では生きていけません。親がいなくなった時に、子供がたくましく生きられる力をつけてあげることが、教育の本当の理由です。学歴や肩書きも時に役立ちますが、一番大事なのは、心が鍛えられているかだと感じます。これは、学習と同じに幼児期や児童期でなければ教えられないことかもしれません。

どんなに幸せそうに見える家族にも、大きさや種類は異なりますが「積み木くずし」は存在します。どんなに幼少より良い教育を与え、良い環境を与えたとしても・・・。それが、大人になるための避けて通れないことだからです。大事なことは、そこから家族が逃げずに向き合うこと。子供が大人になるための、親がしてやれる最後の大切な教育なのかもしれません。
by k-onkan | 2008-12-27 11:56 | 思春期・反抗期 | Comments(0)

大事なものを失う前に

今年も残すところ、わずかになり、きっと、何かとお忙しいことでしょう。2月の終わりに何となく書き始めたこのブログですが、こんなに長く書き続けられるとは、正直、私自身も思ってはいませんでした。何しろ、本当はすごく飽きっぽい性格なのですから。そんな私がここまで書き続けることができたのは、「毎日、楽しみに読んでいます」という励ましのメールや個人的な感想を送ってくださる皆様のお蔭なのです。本当にありがとうございます。

e0143522_1214960.jpg私がこのブログを始めたのは、言葉で説明しないと分かっていただけないことが、たくさんあると気づかされたからでした。それまでは、「きちんと、やるべきこと=子供に教育成果を出すこと」さえしていれば、見ていてくださる方は見ていて、木下式の良さを理解し賛同してくださるのだと信じていました。クドクドと説明したり、多くを語るのは言い訳がましくスマートじゃない、押し付けがましいとも感じていました。けれど、世の中の常識が変わり、個々人がしたいようにすることが一番良いという風潮になると、昔から継承されていることや常識、良識は失われていきました。そういうものを大事にしてきた木下式の本質は、益々、理解されにくくなりました。どんなに熱心に音感を身につけさせたいと思っている保護者の方でも、木下式や楽院の本質的な教育理念は理解されずに終わってしまうこともありました。

楽院に10年通った生徒や保護者は、楽院の良さを理解してくださるでしょう。子供の頃、泣いて嫌がっていても名誉団員になる頃には、物事の意味が分かるようになり、自分があるのは、「木下式のお蔭」などと言ってくれるようになります。そのため、木下式の暗黙のルール-何が良くて何が悪いか-もまるで家族のようにあうんの呼吸で理解します。しかし、入学して間もない人々にそれを求めるのは無理なことです。どんなに熱心に音感を身につけさせたいと考える保護者でも、泣いて嫌がる我が子を見れば、「厳しくせずに、音感だけ身につけてもらえないかしら・・・」と一度くらい思われたことでしょう。けれど、高度な能力を身につけるために避けて通れないことが、厳しいこと、苦しいこと、辛いことを乗り越えることなのです。

初めて子供を育てるお母様は、平和的に優しく穏やかに大事に子育てをしたい。それが子供にも自分にも一番、良いことと考えられるかもしれません。けれど、私たちは、長年、いろいろなお子さんを拝見した経験から、子供というのは純粋な分、悪いものにも染まり易いことを経験上、知っているのです。子供を褒め過ぎると、鼻持ちならない身勝手な人間に成長すること。何でも寛容に許していると、責任を持って取り組むことができない子に育つこと。子供の喧嘩に親が口を出すとわがままで身勝手な態度を改めないまま社会に出すことになるなど等。

日本の国は、戦後、アメリカ流の考えを取り入れる内に、アメリカ以上のとんでもない国になりつつあります。個人主義を大事にするあまり、親は子を育てない。先生は生徒を叱れない。交通ルールはあっても守らない。正しいことより損をしない方が大事。お金があれば何をしても良いなど等。子供に絶対に教えたくないことがまかりとおっています。失って初めて、昔の教育に存在した厳しさや道徳、倫理観の大切さに気づき始めているようです。大事なものを失ってからでは遅すぎます。そんなことにならないように、微々たる力でも、できることをし続けたい。そのためにも言葉にして伝えていかなければ、そんな風に思うのです。
by k-onkan | 2008-12-26 23:59 | 教育 | Comments(0)

愛しいクリスマス

子供の頃、サンタさんの存在を信じていましたか? 私が小さい頃、うちは、屋根も煙突もない小さなアパート暮らしでしたが、毎年、クリスマスツリーを飾っていました。赤い帽子と白いひげのおじいさんも、ちゃんと夜中にやってきました。目を開けて見ていたことがあるので、本当です。

e0143522_1026283.jpgただ、一つだけ難を言うと、うちのサンタは世の中より一日遅れてプレゼントを届けにくるのです。プレゼントを手にするのは26日だったので、友達に「麻奈ちゃんの家のサンタさん、一日、遅いなんて変!!サンタはイブの夜中に来るはずなのに・・・」と言われたものです。けれど、母に「25日がクリスマスなんだから。サンタさんがその日に来て、全然、問題ないじゃない!?」と言われると素直に信じる可愛い子でした。

プレゼントは、私が手紙に書いて頼んだ「きれいな緑色と水色のビー玉」「果物のかたちのビーズセット」などではなく、「補助なし乗れるようにしたいから自転車」とか「時刻を読めるようにするために腕時計」などで、大人の意図が感じられるものでした。少しピントがずれたサンタさんでしたが、寝ぼけた目で目撃したので、本当にいるのです。合宿で真剣に「お化け」に扮する木下家ですから、当然、サンタの扮装も、本気でしたでしょう。今考えると、子供が気づくように、気配までさせたのかもしれません。

子供の頃は、よその家と比べ、変わったところがある我が家がとても嫌でした。それでも、今思えば、季節の行事を家庭でしていただけで感謝すべきだったのかもしれません。妹が生まれた直ぐ後に、木下式が世に認められ、多くの幼稚園で採用されるようになると、生活に余裕ができた分、家族らしい行事はお正月だけになりました。妹には、パパサンタの思いではないかもしれません。そう考えると、少しくらい変わっていても「クリスマスの思い出」があった私は幸せなのかもしれません。

アメリカに住んでいた時、クリスマスほど寂しさを感じる日はありませんでした。それは、どんなにホストファミリーと仲良く、プレゼントを用意して家族同然に過ごしても「やはり、自分はよそものなのだ」と実感する日であったからかもしれません。遠くに離れた自分の家族を懐かしむ、そんな日でもありました。

最近、やっと真の意味で「クリスマス」を楽しめるようになりました。子供の頃は、「クリスマス=サンタさんにプレゼントをもらう日」でしたが、大人になったことで自分が人に何かを与えられることの幸せを感じられるようになったからです。誰かのために何かをしたり、与えたり、何かを伝えたい相手がいて、話を聞きたい相手がいる。たぶん、それだけで十分な充足を感じ神様に感謝できるのです。
by k-onkan | 2008-12-25 23:53 | 発達障害 | Comments(0)

クリスマスイブの幸せ

今日24日は、冬季講習会の最終日で、午後は、来年の音楽祭のための指揮者講習がありました。講師は、木下式が世に送り出した指揮者、山田和樹先生です。和樹先生は、幼児期に愛知県しらぎく幼稚園で木下式と出合い、その後、お父様の転勤で関東に住居を移され、東京の楽院に中学生まで通った生粋の音感っ子です。

e0143522_22462986.jpgその和樹先生が指揮者講習をするということで、皆、とても楽しみにしていました。指揮を習うのは各幼稚園で子供の指導実績を最も認められた教諭、つまり、その団体の代表者です。和樹先生は、若い幼稚園教諭相手に、面白おかしく音楽の楽しさと、同時にその厳しさも教えてくださったのです。

「24日のクリスマスイブに、今時、こんなにたくさんの人間を拘束するのは、木下式だけ! けれど、皆さんは、こうやって拘束され勉強させられる幸せを噛み締めてください。僕も子供の頃、クリスマスや正月休みもなく拘束され、渋谷パルコの前で歌うとか、音楽祭のための練習だと言って集められ、長時間練習させられたものです。けれど、今考えると、それが本当に幸せだったと思う」。せっかく集まった幼稚園の先生たちに、ぜひ、一生懸命勉強して欲しいというエールでしょう。

和樹先生は「指揮を見ると、その人がどういう人か分かる」と言います。「本当は子供が好きじゃないのでは?」「この曲、本当は好きじゃないでしょ?」「生活に疲れているのでは?」「最近、楽しいことありましたか?」など、言い当てて、「この音楽には、こんな意味があって、その楽しさやストーリーを自分の指揮によって子供に見せてあげる。それが指揮である」「子供の出来が悪かったらそれは、100パーセント指導者の責任・・・」等など。指揮の手法だけでなく、指導者として大切なこともたくさん伝えていかれました。和樹先生は多くの研鑽や経験によって、会うたびに進化しているといつも感心させられます。

木下先生は、毎年、600人の子供の声を聞いて音楽環境や家庭環境、性格を見抜き、音楽祭の出演種目を見極めます。私は、最近、幼稚園の先生の「音感かるたの説明」を聞くと、「この人には表面的なところがあるから、変な男性にだまされてしまうのでは?」など、余計な心配ができるようになりました。それぞれの専門分野をきわめていくと、もっと深くいろいろなことが見えるようになるのかもしれないと感じます。

講習会の後は、久しぶりに私を訪ねてくれた卒業生二人を連れてクリスマスカラーで染まる街に出かけました。クリスマスイブを私と一緒に過ごしてくれる中学生が二人もいる幸せを私も噛みしめています。Merry Christmas! 良いクリスマスをお過ごしください。
by k-onkan | 2008-12-24 22:05 | 音楽 | Comments(0)

本当にできるの?

昨日、文部科学省は2013年度の新入生から適用する高校の新学習指導要領案を公表しました。小中学校の「脱ゆとり」を踏襲し、英語は単語数を500増の1800語とする。「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記されたそうです。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙いであり、文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明しているそうです。しかし、教諭の英語力や生徒の理解度はばらつきが大きい上、大学入試は従来通りとみられ、現場からは効果を疑問視する声も出ているとのことです。

e0143522_20301638.jpg現在、全国の木下式の実践園から教諭が集まり、講習会で勉強をしています。教諭全員に木下式を正しく理解させ、それを正しく幼児相手に実践させるのは本当に難しいことです。たった一つのことを教えるのにも、いろいろな方向から「この方法だったから分かるのでは?」「これがダメなら、あちらは?」と思案して伝えています。それでも、100人いたら100人全員にそれが伝わるとも限らないのです。

音感教育を実践する上でいかに良い子供を育て上げるかが腕の見せ所ですが、一にも二にも、教える人自身にその能力が身についている、つまり、自分の体に内臓されていなければならないのです。英語を英語で教えるにも相当の英語力と言語の専門知識、そして個々人の研鑽が求められると思うのです。さて、この実施は2013年。本当に実施されるのか、見守っていきたいと思います。
by k-onkan | 2008-12-23 20:30 | 教育 | Comments(2)

大人なのに・・・

今日は、公開学習があったので新宿文化センターで一日を過ごしました。その帰り道のことです。5歳の甥を連れて二人で大きな交差店を渡っていた時のことです。突然、猛スピードの自転車が私の真横で、急停車したのです。幸い私にはどこも痛みはありませんでしたが、甥を連れていた左側から自転車が入ってきたので、「大丈夫だった? なんともない? 指は5本ついている? 足はある?」

e0143522_22445668.jpg冗談のようですが本当にそういって確認しました。それほど、取り乱したのです。子供は驚くと何がなんだか分からず、その時は、痛く感じないこともあるものです。甥も私の大声に驚いたのか、すぐには返事をしません。その間に、「ごめんな」と言って、自転車は走りすぎていきました。私の歩幅より狭かったため、真横から追突されることを免れたのでしょう。けれど、「もし、あと一歩、甥が前にいたら・・・」。そう想像するだけで震えがきてしまいます。

さて、私たちは、信号の青シグナルで渡っていたのに、どうして、いきなり、自転車が突っ込んでくるようなことがあるのでしょう。「赤は止まれ、緑は進め」。子供でも分かる当たり前のルールを無視する人がいると考えると、世も末だと思うのです。師走で先を急いでいたのかもしれません。それでも、何車線もある車道のど真ん中を自転車で猛スピードで信号無視で走り抜けることはとても非常識な行動です。これでは何のために交通ルールがあるか分かりません。

さて、これが、年若いティーンというなら、若者がいきがって、非常識なことをしたと思うかもしれませんが、ぶつかってきたその男性は60代前後の人でした。「どうして、赤なのに、行っちゃったんだろうね?」そういう甥に、私は、何と答えて良いかわかりませんでした。子供が、「大人だって!」と言わないような世の中であるべきだと思うのですが・・・。いつどこで、子供が見ているか分からない。そう思うと、自分もいつでも、子供に見られても良い行動をしなければと思うのでした。
by k-onkan | 2008-12-22 22:44 | しつけ | Comments(0)