麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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結局、こんな風になっちゃった!

音楽祭の特別練習で楽院では児童部と幼児部が一緒にレッスンをするようになり、面白いことがあります。それはどんなに低学年の子、つい最近まで幼児部だった子まで先輩らしい態度を見せることです。また幼児部の子は小学生の歌を聴き「音楽的な歌い方」を真似るようになってきます。これが合同練習の良いところです。歌詞の記憶などは、幼児部と低学年で競わせたりもしてみます。幼児部の子供たちは、これまで毎週、欠かさず練習したことなので、自分たちの記憶力を自信をもって誇示します。

e0143522_22184465.jpgレッスンの途中で小学生が悪い態度を見せたり、話を聞いていなかったり、無駄話をしていると、「みんなは、あんなお姉(兄)さんになっては、ダメなのよ」と幼児部の子供たちに言っています。幼児たちは「うんうん」と大きくうなづき、自分たちはもっと良い態度をして見せてくれます。

すると、高学年の女の子たちがなぜか「クスクス」と笑うのです。「なぁに!? 先生の悪口でも言っているの?」というと、「私たちも幼稚園のころ、散々、あんな風になったらダメよって言われていたのに、結局なっちゃった」とRちゃんが言うのです。なんと面白いことを言うのかと思い、思わず大笑いしてしまいました。

幼児部の子供たちは、私たちが少し厳しい声で「○○ちゃん」と呼ぶだけでビクッと態度を改めます。しかし、長年の付き合いがある児童部の子供たちは、よほど本気で叱らなければ、少しくらいの注意には全く動じません。自分たちが手をかけられ、可愛がられていることを熟知している自信、図々しさとでも言うのでしょうか。児童部の子供を本気にさせるためには、私たちも本気で厳しく取り締まらなければなりません。

「本番で失敗して叱られるのと、練習で叱られるの。どちらがいいと思う?」と聞いてみました。すると、幼児も小学生もみな「練習」と答えます。本番ではベストの状態になるように、厳しいことは今しか言うことができません。子供たちもそれをよく分かっているのです。

楽院の出演児には年中児もいて、とても体が小さい子が多くいます。そのため、オープニングなどは最前列に並ばせないと顔が全く見えなくなってしまいます。しかし、一番前で、行儀が悪い姿を見せては他の団体に申し訳が立ちません。実は、昨年、「楽院の生徒に行儀が悪い子がいて見苦しかった」とお叱りも受けたのです。今年は、そんなことがないよう、子供たちには「ピクリとも動いてはいけない。守れない子はお母様たちから見えない場所にする」と伝えてあります。無理な要求に見えますが、話して聞かせれば、年中児でも行儀良くできるのです。優しく言って聞かせるばかりでは進歩しないことの証かもしれません。
by k-onkan | 2009-01-31 19:37 | 幼児 | Comments(0)

子供はお母さん次第!

昨日から仙台に出かけました。午前中は、園の団体曲やオープニング、大合唱、フィナーレを指導し、独唱者の指導も行ったのですが、一番難しい曲を歌うCちゃんの練習に十分時間を取ることができませんでした。そこで、お母様の了解を得て午後の研修時間を使って指導することになりました。

e0143522_8294641.jpg他の子供は誰も居らず、大勢の先生たちが見る前で、東京から来た私に直接、指導を受けることは、子供のCちゃんにとって居心地が悪いのではと少し心配もしました。最近、何度も同じ注意を受けたり、大人に間違いを直されることを、極端に嫌ったり、抵抗を示して泣いたり、ふてくされたりする子が増えているからです。しかし、このCちゃんは他の子にはない根性がありました。長時間の指導も嫌がらず、一生懸命、「上手になろう」と言われたことを受け止め、練習に取り組んでいました。

2時間半の研修が終わったところへ、ご家族がCちゃんを迎えに見えました。「独唱に選んでくださって、ありがとうございます。子供は歌が大好きで、麻奈先生のこともよく話しています。昨日から、先生がいらっしゃると楽しみにしていました」とお母様。「木下先生が、素晴らしい声だと言って選ばれたのです。本番にその力が発揮できるよう健康に留意して東京にお連れください」とお答えしました。お話の中で、「この幼稚園に通わせた甲斐がありました」と言われましたが、園長先生にとってこれほど嬉しい教育者冥利につきる言葉はないと、私も嬉しくなりました。

お母様にお目にかかって、なぜ、Cちゃんが長い指導を泣いたり、嫌がったりせずに一生懸命、取り組めるかが分かったような気がしました。子供の成長を心から喜び、「独唱に選ばれたことが有難い。嬉しい」と言葉で表現できるお母さんが存在することが、Cちゃんに意欲や気構えを持たせて、注意に対しても真摯に受け止め「上手になろう」という素直さ、やる気を作り出しているのでしょう。

音楽祭で独唱に選ばれる園児は、出演児の約1割です。「東京のコンサートホールでオーケストラの伴奏によって、一人で歌うこと」は、一生に一度しかないチャンスだと思います。この経験を忘れられず、音楽の道に進む子もいますが、たいていは二度とはない機会です。このチャンスを我が子のために「嬉しい」と喜べるお母さんの子は一生懸命、頑張ることでしょう。反対に、感心を示さなかったり、素直に喜んでいただけないと、子供には「選ばれた喜び」が感じられず、練習も他人事になってしまいます。

毎年、視察が終わると、「なぜ、自分の子が選んでもらえなかったのか」「選ばれなかったから、意欲が持てないのだ」と直談判に来られるお母様もいらっしゃるようです。木下先生は音楽家の耳で、「一人で舞台に立ってオーケストラと向き合っても、重責に耐えられる歌唱力がある子を選んでいます。幼稚園の平素の訓練で歌唱力や意欲が身についた子供は、人が見ていても、見ていなくても、意欲、集中力、好ましい学習姿勢で取り組んでいる子供と言えます。地道な反復訓練で、手を抜いたり、無気力だったり、気分散漫な子供では、独唱という「チャンス」はめぐってきません。

最近、「もっと、認めてくれたら自分も力を発揮できるはずなのに能力を出す場所がない。社会が悪い」という意見を耳にします。けれど、簡単だと思うこと、くだらないと思うこと、つまらないと思うようなことも一生懸命取り組んだ人にだけ、「能力を発揮する場」はめぐってくるのだと私は思っています。独唱児もそうでない子も、そして、指導する私たちも、こんなご時世に東京の音楽祭に参加できる幸せに感謝しなければと思うのです。

数日前、インフルエンザで学級閉鎖になり、指導が延期になった園もあります。せっかく、手にした音楽祭に出場するチャンスです。病気で台無しにならないように、皆様に健康管理をお願いしたいと思います。少々、乱暴ですが、「本番は、熱があっても出るつもり」でいてください。「熱があっても出よう」と思う子は病気になりません。自信がなかったり心配があると、気持ちが弱ると病気にもなるようです。病は気からといいます。1500人の観客の前でそれぞれが最大限の力を発揮できますように・・・。
by k-onkan | 2009-01-30 23:25 | 教育 | Comments(0)

子供だって別れはつらい

楽院の子供たちは、保護者の方が教育方針に賛同して、「是非、我が子にこの教育を受けさせたい」と考え、通い始めた子供たちです。才能のある子を選抜して楽院に入学を許可するわけではないため、結果的には、長く継続した人が能力を身につけることになるのです。

e0143522_09461.jpg最近は、親の意思より、子供の意見を尊重することが多く、「子供が気に入ったので入学させます」と言われる保護者の方も珍しくありません。しかし、本来、子供の行動に責任を持つ立場にある保護者の考えによって教育は与えるべきだと思っています。決して子供任せにして良いような安易なものではないのですから。

保護者の意思によって楽院に通い始めるということは、保護者の都合で辞めなければならない時も出てくるものです。世の中は思い通りに行くことばかりではありません。仕事の都合や転勤、引越し等の家庭の事情によって、お別れしなければならない時もあるものです。

「何かあったら辞めよう」とダラダラと通っている子なら、言葉通りに受け止めることができますが、一生懸命頑張っていた子、楽院を好いてくれた子が辞める時には、なかなか、かける言葉が見つからないものです。子供も導き方次第でこんなに賢くなるということを、木下式によって体験したからには、どこに行っても、一生懸命、吸収できる子に育ててあげて欲しい。これまで「通ってきた期間」を否定せずに、プラスにしていって欲しい。そんな風に思います。

子供の頃から楽院の様子を垣間見てきた私は、手をかけてている子供が事情で辞める時の指導者の気持ちを知っています。その反面、この仕事をする以上、避けて通れない「よくあること」でもあるのです。そうは言っても、その子供にとっては、初めてのお別れです。慎重でなければと思います。

もし、子供が悲しんだら、親も一緒に悲しんであげて欲しいと思います。大人は自分の心を整理するために、「続けていたら、きっと大変だったから辞めて良かったのよ」と励ましとも、負け惜しみとも取れる言葉で、気持ちの切り替えを促したりしてしますが、一生懸命、取り組むよう仕向けられてきたのは他ならない子供です。簡単に心を切り替えられないこともあるかもしれません。それでも、仕方ないこととして受け入れさせるためには、親は子供の心をよく見守り、それに寄り添わなければと思います。

子供が悲しむ期間は、それぞれ異なり大人の尺度で測れるものではありません。まったく悲しまないと思っていた子が深く傷ついたり、反対に、どんなショックを受けるだろうと心配した子供が案外、立ち直りが早かったりするものです。しかし、どんな別れも悲しいものには変わりありません。他人の気持ちを理解できる子に育てるためには、まず、大人が心を察していたわることをして見せなければと思うのです。
by k-onkan | 2009-01-29 23:59 | お稽古事 | Comments(0)

体で覚えただけでは怖い!

独唱練習をしている子供たちが、曲に慣れて惰性で歌うようになると、急に歌詞を間違えたり、忘れたりするようになります。ピアノの発表会前にも良くあることですが、一定時間、練習をすると、体が動きを覚え意識なくても演奏できるようになります。けれど、そんな時にふと気がつくと、自分が何をやっていたかわからなくなり、間違ったりすることがあるのです。

e0143522_8413178.jpg頭を使って覚えるより、体に覚えこませる方が楽なものです。指揮者が曲を記憶する方法に「音」や「メロディーの流れ」ではなく、音楽の構成や強弱から、どのように手を動かすかを体に記憶させるという記憶術(イーゴル・マルケヴィチ氏)があるのだと、先日、指揮者の山田和樹先生が話してくださったのですが、「音楽を音で覚えず動きで覚えること」に最初は抵抗があったそうですが、使ってみると、とても便利なのだとか。体が一度、覚えてしまうと、何が起きていても、やると決めたことは勝手に動いていくからなのだそうです。まさに「体に覚えこませる」ということなのだと思います。

「指揮法」は音楽を学んでいない人には関係ない話に感じるかもしれませんが、私たちが日常、行うことで体が自然に動き処理していることはたくさんあるように感じます。例えば、通勤の途中に、無意識でバッグから定期入れを探し、改札を通っていたり、洗濯物を洗濯機に入れたら、深く考えずに洗剤を戸棚から出して入れていたり・・・。ふと気がついて「あれ?やったかしら?」と思うことはよくあると思います。

体が覚えたということは、それだけ、反復してきた証でもありますが、そんな時の油断が、おそろしいミスを引き起こします。独唱の練習で、子供たちが、今、陥っているのは、こんな心の油断かもしれません。これまで歌い込んで体が覚えて、何も考えなくても、「まぁまぁ」歌えるようになり、一つひとつを頭で考え歌わなくても、体任せで歌えるようになってくる。そんな時に、突然、緊張したり、スポットライトの中に立ったり、「上手にやろう」と身構えたりすると、わけが分からなくなってしまいます。練習をたくさん積んでも、こんな落とし穴があるから、常に緊張感が必要なのです。体で覚えることと同様に、意識を持って取り組ませる必要があるのです。

楽院が音楽会や公演のために、特別練習をはじめると、必ず、「こんなに練習する時間が必要なんて・・・」とか「子供なのにかわいそう」と言われることがあります。けれど、舞台に立つという責任の下には、大人も子供もないのです。舞台の上では、どんな突発的な出来事があるか分かりません。そんなことも含めて、実力を出し切るためには、練習をして、それをやりぬく意欲が必要なのです。たいへんだからこそ、その後に心地よい達成感があるのだと思うのです。
by k-onkan | 2009-01-28 23:58 | 音楽 | Comments(0)

手をかけたから愛しい!

今日は、木下先生と純子先生と、熊谷市にある妻沼幼稚園まで指導に出かけました。そこで、素晴らしいものを拝見したのです。妻沼幼稚園は「妻沼聖天山歓喜院」に併設された幼稚園です。聖天様は日本三大聖天のうちの一つに数えられ、日本でも有数の格式の高い名刹です。埼玉の小日光という別名もあるそうです。御本殿は国の重要文化財に指定され、本殿の外壁にe0143522_23502796.jpgは、豪壮華麗な彫刻が施されているのです。現在、保存修理の大工事が行われているのですが、ご院主様である園長先生のお計らいで、工事中の御本殿を見学することができました。昔の塗料を分析して、当時と同じように復元した彫刻は、色鮮やかでとても素晴らしいものでした。本来なら、御本殿の屋根近くにあたる場所ですので、下から見上げてしか拝めない彫刻を修復工事をする職人さんほど近くまで寄って拝見することができ、その素晴らしさと細かな作業にたいへん驚かされました、昔は、便利な道具もないのに、職人さんの腕だけで、あれだけのものが作れたのだと感心してしまいます。今、同じものを作ろうと思っても、できないだろうと思うのです。たくさんの職人さんが、修復に携わっていましたが、手をかけ出来上がった時の感動はひとしおであろうと思います。

12月に公開学習を担当した妻沼幼稚園の子供たちですが、講習会から1ヶ月が経過しました。子供たちはどんな成長をしているのか、それとも、終わって緊張が解き放たれてしまったか、そんな不安を持って、うかがいましたが、子供たちは、以前、拝見したときよりも、目の輝きや態度が立に変化していました。指導する先生たちも、公開学習を経験して真剣な取り組みがあるのだと思います。やはり、大人が真剣になれば、子供はどんどん良くなるのです。

9月から数ヶ月、幼稚園に通い、直接、指導をさせていただいた私にとっても、馴染みがある子供たちです。私に「上手になったところを見せよう」とする態度が微笑ましく感じました。子供には、教育を与え賢くすることで生まれる可愛さもあると感じます。これは、木下式によって生まれた賢さであり、可愛さであると感じます。

さて、よその園に出かけ楽院に帰ってくると、「うちの子供たちはもっと可愛い」と実感します。毎週、責任を持って指導する子供たちなので、可愛くて当然なのですが、毎週、出会っているからこそ、「これもできるようにしなければ」「もう少し、こうあって欲しい・・・」と厳しい要求が多くなります。そんな中、一瞬、離れることで、「やはり、うちの子ほど私の指導を感じて、言葉無くても意図を汲み取る子供たちはいないかも・・・」と再認識することができます。お母様方も、お子さんに対して、要求ばかりが見えるようになったら、少し離れた場所から見ていただきたいと思います。可愛さを再認識できるようです。不思議ですね。

楽院の火曜日クラスの中で、最近、弟妹が入学したお姉さんたちがいます。この子らは、弟妹が勉強を始めたことで、「お姉さんとして上手でいなければ」「もっとしっかり頑張ろう」という意識が芽生えたようです。5歳の子供にも、守らなければならないプライドがあるのです。私たち、大人も負けないように頑張らなければというパワーを頂いたりしています。
by k-onkan | 2009-01-27 23:50 | 教育 | Comments(0)

一生懸命、やっているもん!

一週間ほど前、行儀や口型をいつまでも直さない年長のAちゃんに、「先生の言うことをきけないなら、覚えるまでお泊りをしていったら?」と言った時に、助手の先生に「お泊りはいや!ママと一緒に帰りたい。一生懸命、やっているもん!」と泣きながら怒ったという話を聞きました。今日、そのAちゃんのクラスの合唱練習があったので、子供たちと話をしました。

e0143522_0243279.jpg「みんなは一生懸命やっているのに、麻奈先生に叱られてばっかり!と思っているでしょ?でも、口の型や行儀を直さないと、どんなに一生懸命歌っても、違う声が出るの。みんなは、一生懸命やっていれば、違う声を出してもいいと思う?」

そう尋ねると、子供たちは、お互いの顔を見合わせています。下手なことを言って、自分に矛先が向けられるのは嫌なものです。どう言うべきか、子供なりに計算しているのが表情から見てとれます。「違う声はまずいけれど、一生懸命、歌っていれば、少しくら違う声はしょうがないのでは? 自分だって、たまに違う声が出ることもあるし・・・」。そんな風に思っているのかもしれません。

「じゃあね。みんなのママが、一生懸命、御飯を作ってくれたのに、美味しくないものが出来たとするでしょ?どう? 食べたい?」「食べたくない」「でも、ママは一生懸命作ったのよ? 食べないの?」「食べられない」「そうね。一生懸命も大事だけれど、食べられないと困るよね。お歌も同じ。一生懸命、声を出しても違う声を出したり、メチャクチャの口の型をしたり、一人だけお行儀が悪いと、ダメなのよね。上手になるためには、先生に「やりなさい」と言われたことをちゃんと聞いて、その通りすることなの。自分勝手な歌い方をしている人は、いつまでも上手にならないから、先生に叱られるの。先生の言うことを聞いてね。分かったかな?」子供たちは、身近なご飯の話に、少し楽しい気持ちで、「一生懸命」以外に「結果」も必要であることが分かったように思います。

子供たちの一番、身近な欲望が食欲で、一番大好きなのがお母さんだから、「お母さんのご飯」を引き合いに出して説明したのであって、決して、お母さまの料理の腕前にケチをつけようとか、子供たちから「うちのママもこの間、失敗したのよ・・・」と面白い話を聞きだそうとしているわけではありませんから、ご理解くださいね。でも、確かにこうした雑談の中で、子供たちが面白い話も聞かせてくれるのですが・・・。
by k-onkan | 2009-01-26 00:23 | 幼児 | Comments(0)

ドドドドどろんこだ!?

音楽祭のオープニングには、必ず「音感教育のための歌唱曲「ドレミはみんなの仲良しさん」を歌います。木下式を学ぶ子供たちが必ず歌う「ドドドドどろんこだ、レレレレレスリング・・・」というあの曲です。入学してすぐは最初から全部、正しく歌えるわけではありませんが、先生が手本(模範唱)を聞かせ真似させ・・・、その繰り返しと反復から徐々に正しく歌えるようにするのです。一つひとつの音程に耳を傾けながら、歌唱曲を訓練する中で、自分の耳に、音程の幅や音高の基準を作っていきます。これが歌えるようになれば、たいていの童謡は吸収して歌えるようになるのです。だからこそ「音感教育のための歌唱曲」という副題がついているのだと思います。反対に、この曲を歌えない内は、簡単そうに聞こえる「チューリップ」や「めだかの学校」なども調子を外すことになります。

e0143522_23373610.jpgさて、私たちきょうだいは、物心ついた時から、まわりに音感教育を受ける生徒がいて、この「ドレミはみんなの仲良しさん」を歌うのを耳にしていました。もちろん、自分たちも子供の頃、歌ったはずです。そのため、「♪どろんこだ」は「♪どろんこだ」で、なぜ「どろんこ」なのか。「どろんこでなければ、どうなのか?」等、疑問に感じたこともなければ、格別に難しいと感じたこともありませんでした。それほど自然に受け入れたのでしょう。

身につける困難さがない分、「どうして、木下達也の考案した体系でなければ子供に音感が身につかないのか?」「どうして、このピッチで先導をすべきなのか?」など深く考えたりする必要もありませんでした。気がつけば、そこのあったのですから。ただ、師匠が「この方法しかないのだ。こうだ」と手本を見せるので、「そういうものなのか…」と従ってきました。それでも、「やり方が違う」「間合いが違う」「心が違う」とお叱りは受けてきたのですが・・・。

さて、この歌唱曲を子供ではなく、一般の大人の生徒さんに教える中で、面白い発見をしました。大人とは言え、音楽の予備知識や、音高の基準を持たない人に、この曲を正しく歌わせるためには、木下式で体系づけられた「タイミング」「先導のピッチ(高さ)」「ハンドサイン」「間合い」を忠実に守らなければならないということでした。その中の、一つでも駆使しないでいると、お約束のように調子を外すことになるのです。これこそ、木下先生が子供を教える経験の中から、この教育が生まれ、より効果的な方法が体系づけられた証拠でもあるのです。私は、今それを大人の生徒さんを通して追体験させていただいていると感じています。

教える相手が「素人の大人」ということで、もう一つ発見がありました。大人は子供のように有無を言わせずに従わせたり、厳しくしたりはできません。その分、私に心を許して全てをこちらにゆだねてくださるまでにとても時間がかかります。けれど、心の壁が取り除かれ、私の先導、ハンドサインなどの指導にもたれかかることができるようになって、初めて上手になるということです。

そう考えると、理不尽ではあっても、子供には「先生に絶対に従うこと」を最初のルールで教えることに意義があると感じます。大人は知識がある分、自分のやり方を押し通しますが、レッスンを重ねる内に、少しづつ、自分をゆだねるようになってきます。そうして初めて、指導者が主導権をもって教えられるのです。おけいこごとの基本は、先生に従うことが、鉄則だと強く感じるのでした。
by k-onkan | 2009-01-25 23:36 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

叱られないと上手にならない!

「叱られると気分が悪くなる。だから、楽院を辞めたい」とある男の子が口にしたという話を聞き、微笑ましく思っています。それは、その子が成長した証でもあるからです。最近、親子や先生と生徒、友人同士でも、争いを避けるために、互いの心に踏み込まないように、嫌なことも言わず、距離をおいてつきあう人間関係が増えました。厳しいことも、苦々しいこと、面倒なことを言わなければ、一見、平和に見えますが、その関係は、緊張感もなく、とても表面的な関係に感じます。お互いを深く理解するために、時には本当のことを言い合ったり、苦言を呈したり、ぶつかりあうことも大事だと感じます。

e0143522_2318439.jpgお稽古事でも同じです。子供が小さい内に「厳しいことを言いたくない。子供を傷つけるから」という人もありますが、傷つけない関係で、子供を良くすることはできません。全てが生ぬるい環境で、自分を律して向上させられるような立派な人間は大人にだって数少ないはずです。それが子供ならなおさらです。人を真剣にさせるためには、ダメな時に「ダメ!」と言うことが大事だと感じます。「まぁ、いいか」と間違いを放っておいたり、寛容に受け止めていると、それで良いことになってしまいます。

私たちは、もちろん、入学してすぐの子供たちに厳しいことを言うわけではありません。最初は、機嫌よく授業を受けられるようにと気も使いますし、ご機嫌も取ります。心を許していない内に、厳しいことやうるさいことを言っても、受け入れられないからです。そして、お互いに慣れたら、少しづつですが、前の週より翌週が上手になるように、細かな注意を促していくのです。そう考えると、厳しいことや本当のことを言えるようになったのは、お互いの距離が縮んだ証でもあるのです。

最近、叱られない子は上手にならないと確信する出来事がありました。Aちゃんは、家庭に音楽環境もあり、声も美しく、その上、第二子であり、とても恵まれています。けれど、とても気が強く、先生の注意を素直に受け入れることが苦手です。何度同じことを注意されても、あまり真剣に受け止めていないのか、「ハイ」と返事をしながら、また同じ間違いを繰り返します。このいい加減な状態を放置しておくわけにはいきません。ついに、木下先生から「口の型を直すか。独唱を辞めるか。それとも、お泊りか!?」と厳しく言い渡され観念して涙を見せました。そして、少し先生の注意を聞く気持ちにもなってきました。

時に、心の奥深くに隠した本心を引きずり出したり、本気にさせるために、叱ることも必要なのだと感じます。その時は、叱られて嫌な気がしても、一番大事なことは、上手になって進歩することなのです。それに、叱ってくれる人がいるのは幸せなことなのだと思います。大人になるとなかなか、誰も本当のことを言ってくれなくなりますもの・・・。
by k-onkan | 2009-01-24 23:18 | お稽古事 | Comments(0)

可愛くないのは誰のせい!?

最近、望クラスから音感授業に進級したS君は子供らしい可愛い男の子です。子供らしくふざけることもありますが、「指先を伸ばす、目を見る、耳を傾け声を真似る」などにも一生懸命応えてくれます。さて、こんな良い子のS君ですが、授業で頑張った分、帰り道にお母さまにわがままをぶつけて困らせると言います。授業には緊張感があるため、知らず知らず我慢して頑張ってしまう分、優しいお母様にわがままをぶつけているのでしょう。

e0143522_22491119.jpgさて、もし、自分のお子さんだったら、どうしますか?「よそで良い子にするストレスを自分にだけぶつけ、本当の姿を見せられる相手は私だけ。受け止めてあげなければ・・・」と思いますか?「麻奈先生が怖いから、我慢しているのだ。かわいそうに…」。それとも、「先生の前で良い子にできるのなら、私の前でも良い子にして欲しい」と思うでしょうか。

本当に我が子のことを考えるのなら、「先生の前とお母さんの前の姿が180度異なるのはいけない」と教えなければと感じます。子供は見ていないようで、「誰に可愛くすべきか」「誰にわがままを言ってよいか」を観察しています。先生に可愛くできるなら、お母さんにも可愛くすべきなのです。子供がわがままな姿を見せるのは、それを大人が喜んで受け入れることを知っているからするのだと思うのです。

もう10年くらい前になりますが、「Wちゃんは外で良い子にする分、本当の姿は私にしか見せられません。だから、わがままは全て受け入れてあげたいと思っています」と3歳の息子を持つお母様が言われました。その子はとても優秀な子でしたが、自分の思い通りに物事が運ばなかったり、友達とうまくいかないと、突然、切れて手がつけられなくなるという一面をいつももっていました。それは、高学年になり反抗期に入ると、益々、ひどくなり、さすがのお母様も「ちっとも可愛くない!!」と嘆いていたものです。

子供の立場で考えると、3歳の時に受け入れたことは、10歳になっても大人になっても受け入れられると信じています。小さな子供の要求は、「公園に行きたい」「お菓子を買って」と叶えられるものですが、年齢が上がるに従って要求も大きくなります。その全てを親が叶えられるわけではないかもしれません。いつか、「NO」という時がくるのなら、早いうちに「無理なことの存在」を教えておかなければならないと感じます。年齢が小さければ、それが習慣になり容易に受け入れられますが、大きくなってからの「ダメ」は拒絶だと感じることもあります。

子供を可愛く育てるか否かは、まわりの大人次第だと感じます。大人に媚びる子供に育ててはいけませんが、世の中に自分より「強いもの」「怖いもの」「偉いもの」が存在することを知らない子は大人に横柄な態度を取ったり、反抗的な態度をしたり、失礼な言動をしてしまいます。けれど、それは、その子供が悪いのではなく、「教えなければならないこと」を教えずに、そんな態度を許している大人に原因があるのです。愛すべき子供に育てるためには過剰に愛を与えることだけではいけないのだと思います。
by k-onkan | 2009-01-23 22:48 | しつけ | Comments(0)

良い教育なのに・・・

先日、ある先生が知人の方に「木下式が素晴らしい」と話したら「そんなに良い教育なら、なぜ広まらないの?」と質問されたそうです。私は、この教育は子供に実践させるよりも、指導する先生が真摯に自分を見つめ、省みて、その上で研鑽しなければ実践できない、自分に厳しい教育だから、多くの人には受け入れられないのだろうと思っています。

e0143522_134076.jpg美味しいと評判のお菓子やお酒などの商品が、有名になり、百貨店に出店するようになると大量生産が始まって、しばらくすると、味が落ちてくると感じることがありませんか? 木下式もこれと同じで、適当に多くの団体が実践すれば有名にはなるでしょう。しかし、それは、木下式が目指す方向ではないのです。少数であっても、きちんと研鑽をつんだ指導者が子供のために実践して欲しいという木下先生の願いがあるからです。

もし、いろいろな制約がなければ、もっと多くの園が木下式を採用したいと言われることでしょう。私が子供の頃には、登録園は全国に100園近くあったのです。けれど、教材だけ入手して実践していなかったり、木下式の名前だけ語ったり、指導者とは名ばかりの教諭が、表面的に実践することを木下達也先生は嫌ったのです。そのため、この教育に賛同して、真摯に子供のために指導者を養成して実践すると約束できる園以外には辞めていただいたのです。

実践幼稚園のほとんどは地方にあります。遠くから、年に3回、講習会に教諭を勉強に出すのは、経済的な負担も軽くはありません。また、音楽は感覚的なことを多く要求される科目であるため、他の講習会のように伝達で人に教えることもできないという難しさがあるのです。この教育が本当に良いと評価されるのは、木下式を受けた子供が立派な社会人になって、この教育の良さを証明していくこと。それが木下式が広まることにつながるのだろうと思います。
by k-onkan | 2009-01-22 23:31 | 木下式音感教育法 | Comments(0)