麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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自分で考え身を守る!

数日前、テレビの番組で「アレルギーの恐怖」について放映されていました。ゼラチンアレルギーやラテックスアレルギーなど初めて聞くものもあり、他人事とは思えず食い入るように見てしまいました。実は、5歳の甥Yには劇的な食品アレルギーがあります。最初にその症状が出たのは、1歳2ヶ月頃でした。私が食べていた菓子パンの白い部分を小さくちぎって与えた後に急に様子がおかしくなったのです。顔が赤く腫れあがり、泣き叫びながら嘔吐するのです。「これは絶対におかしい」。妹が近所の病院につれて行き薬を投与され事なきを得ました。「何かのアレルギーに違いない」と言われたそうですが「検査をしないと特定できないが、原因物質を予測してから検査した方が良い。しばらく様子を見るように」とのことでした。

e0143522_2326381.jpgその数ヶ月後、6歳の甥K(弟の長男)と二人で千葉の祖父母(私の両親)の家に泊まりにいったのです。その朝、Yがピーナッツバターのついたパンを欲しがったので、一口与えた途端、様子が急変したそうです。驚いた両親は慌てて近所の病院に駆け込みましたが、「救急病院でなければ処置できない」と言われ、2時間車を飛ばし救急病院へ。そこで、「アナフィラキシーショック」との診断がくだり、「あと少し遅かったら危険だった。次は救急車を呼ぶように」と指導を受けたのです。これで原因が「ピーナッツ」であると特定されたのですが、思い返すと、私が与えた菓子パンにもピーナッツ成分が使用されていました。ピーナッツ自体を食べなくても、成分がふれたもの、空気中に散った粉にも反応することが分かりました。以来、妹夫婦は完全にピーナッツ断ちをし、私たちも甥がいる間はピーナッツ類を口にしなくなりました。一族の大好物であったピーナッツが甥の体質によって「忌まわしいもの」に変わった瞬間でした。

さて、甥に「アレルギー」があるからと言って、世の中の「ピーナッツ」をすべて排除するわけにはいきません。「ピーナッツを食べない自由」もあれば「食べる自由」もあるからです。言い換えると、「自分の身は自分で守らなければ!」ということでしょう。甥は母親が不在の時は自分で「成分が分からない物は食べない」「ピーナッツの入っているものは丁重に辞退する」などに気をつけさせられています。それでも、食い意地に負けそうになって、叱られることも多々ありますが・・・。

楽院には甥以外にもいろいろなアレルギーを持つお子さんがたくさんいます。小学生の特別練習など、全員におやつを出す時は、「みなが食べられるもの!」を心がけてはいますが、それでもよく見ると小さな文字で「同工場でピーナッツ製品を生産しています」と注意書きがあったり、子供が自分で成分を見て「苦手なものが入っているから辞めておく」と気づくこともあります。アレルギーがある子には不便で可愛そうですが、だからと言って全員一緒に禁止したりはしません。

先日、卒業生の保護者の方から、ビジネス界で流行っている大前研一氏の著書「「知の衰退」からいかに脱出するか?」を読むようにとお送りいただきました。まだ序文に目を通しただけですが、そこには「子供から大人まで、日本人がいかにものを考えなくなったか」が書かれており読み進めるのが恐くなっているところです。せめて、自分の身を守るため、自身の体に危険なものを知り、それを判断することが「考えること」につながればと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2009-02-28 00:00 | 幼児 | Comments(0)

お互いさまではあるけれど!?

子供がたくさんいると、知らない間に病気をもらってくることがあるものです。一緒に生活する大人は、なるべく早く気がつくよう「観察眼」を養わなければと思います。音楽会や受験などの特別な行事の前だけでなく、平素から我が子の体の様子を観察していると、「鼻が出てきたら熱がでる兆候」とか「お腹をこわしたら体調が落ちている」など、お母様にしか分からないサインが存在するはずです。病気にしない努力も親御さんの大切な仕事だと思うのです。

e0143522_1181542.jpgとはいえ、万全を期して管理しても、幼稚園や学校、お教室など、人が多いところに行くと病気の感染は避けられません。また、水疱瘡やはしか、おたふく風邪などは子供のうちにかかっておいた方が良いとも言われます。とはいえ、悪びれずに「うつして当たり前」という態度や、「○○ちゃんのせいでうつった」と責め立てるのも感心できることではありません。

病気の感染で思い出すのが、4年前に行ったオペラ「しらゆきひめ」の時のことです。実は、特別練習の期間にあるお子さんが「おたふく風邪」にかかっていたことが分かりました。そのお母様から「皆さんに申し訳ない。オペラを台無しにしたらどうしよう」と連絡がありました。すぐに連絡網で「おたふく風邪」が流行ったこと。皆にうつる可能性があり、自分がうつす側にもうつされる側にもなり得るため、各家庭で健康管理をしていただくこと。子供同士の回し飲み、回し食べを禁止すること。予防接種が済んでいない人は、すぐに受ける」など協力をお願いしました。それでも、お医者さまの話では「潜伏期間中にうつっていれば効果がないかもしれない」とのことでした。案の定、年齢の低い子供や体力の弱い子供から1週間交代で次々と発症していきました。幸運なことに高学年の子は免疫と体力があり、うつらずにすんだのです。

なんとか本番に全員が舞台を踏めるようにと祈りました。なにしろ楽院のオペラは、振り付けの先生に、幼児から中学生まで出演者全員に見せ場があるようお願いして動きができています。どんなに年齢が低い子でも全て同じ動きをする子は一人としていないのです。それぞれが異なる動きや振りがあって構成されています。自分の代役などどこにもいないのです。

さて、「おたふく風邪」に悩まされながら、「うらみっこなし」で本番には全員そろったのですが、本番当日、こんな出来事が起こりました。それは、一番最初におたふく風邪にかかったQさんのお母様の顔を見るやいなや、ベテランママIさんが「おたふくになっちゃったわよ。Q菌にやられて!」と苗字に「菌」をつけて楽しそうに言うのです。その場にいた私たち大人も子供もみな凍りついてしまいました。その一言がどれだけ、Qさん親子を傷つけるか想像しない言動だったからです。

3人兄弟を育てたベテランママのIさんは、悪気はなく場を明るくするための冗談だったのかもしれません。それでも「他の子に申し訳ない。うつった人に申し訳ない。先生たちにも迷惑をかけてしまった」と深く気にするQさんにその言動は思慮深いとは言い難いものでした。自分の態度や言動が人を不愉快にすることがあることを、大人の私たちは考えなければと思います。なにしろ、QさんからうつったIさんも確実に次の子供たちにうつしてしまっているのです。誰か一人を責めるべき事ではないと思うのです。

さて、「しらゆきひめ(平成17年)」はおたふく風邪に悩まされたので、翌公演「シンデレラ(平成19年)」では事前に予防接種のお願いをして何の病気も流行ることなく事なきを得ました。音楽祭の時期には、毎年必ず流行するインフルエンザ対策を早めにお願いしています。それでも病気になってしまうこともあるでしょう。楽院は心情的に頑張ってきた子供の気持ちを考えると、「みなを出してあげたい」と思っていますが、単なる知恵熱か、大病なのかの判断は保護者の方にお願いすることになります。お互いに嫌な思いをしないように、他人への配慮と思いやりを忘れず、また、無責任な行動をとらないよう気をつけたいものです。
by k-onkan | 2009-02-27 01:18 | 幼児 | Comments(0)

それでも挨拶は基本!

数年前まで、「ハイ」「ありがとうございます」などを大きな声で言っても、それが表面的であまり感心できないことがありました。それは、「挨拶ができる」「返事ができる」ことが、「受験で有利になるから」等、不純な動機によるものだったからかもしれません。ところが、最近、表面的にさえ挨拶や返事をしない子供が増えてきました。こちらが「おはようございますは?」「ありがとうは?」「返事は?」と求めないと、自分からは決して口を開きません。小さな子供だけでなく小学生も、いえ、もしかすると、大人でさえそう感じるようになり心配しています。

e0143522_21373553.jpg音楽祭が終わって、メールやコメントで感想や感謝の言葉をいただきますが、残念ながら口に出して言ってくださった方は少ないのです。子供は親がする通りにするものです。どんなに「Sくん、挨拶しなさい」と口を酸っぱくして言っても、そのお母さんが自信を持って口を開かなければ、子供にだけ挨拶や返事を求めることはできません。

もう15年ほど前になりますが、Iくんという賢い男の子がいました。幼い頃から、木下先生を怖がりよく泣いていましたが、成長して、畏敬の念に変わったようです。記憶力が良く優秀だったので、4年生ごろには、天使のこえ合唱団の「挨拶」や「曲目紹介」を任されていました。ある音楽会の朝、通りを挟みI君に会ったそうです。木下先生に気づいたIくんは、一緒にいた両親が無言であったのに「木下先生、おはようございます」と挨拶をしたと言います。その声は、平素、挨拶や曲目紹介をする時のように口型を整え、高く大きな声だったといいます。木下先生はその爽やかな行動に喜び「Iは挨拶ができて、見事だ」と褒めたそうなのです。

それ以降、I君のお父さまは木下先生を認めると「おはようございます」「ありがとうございます」と息子のI君のような挨拶をされるようになったのです。「親は子供の鏡」の反対の事例ですが、相手が子供であっても良いところを真似するのは大切で、このお父様は偉いと思います。大人はつい「大人だからしなくていいのだ」「自分が習っているわけではないから」と変な理由をつけたり、気づかないふりをしてしまうことが多いからです。

就職活動をする卒業生が、「楽院に通ってよかったことは、声が大きいため、発言する時に自信があるように見られること。たとえ、手が震えていたとしても、自信があると言われる」。声の大きさと高さは自信のバロメーターであり、「挨拶や返事」はその人の人柄や育ちを表現する基本だと思っています。大人の私たちが、きちんとした挨拶や受け答えを忘れないでいたいものです。
by k-onkan | 2009-02-26 09:19 | しつけ | Comments(0)

ウチより厳しい!?

朝起きると冷たい雨が降っていました。(あぁ、これで今日の登山遠足はお休みね・・・)そう思いながら出かける準備をしました。今日は5歳の甥が通う幼稚園の遠足の日でした。この幼稚園は年少の頃から自分で着替えをさせ、給食は残さず食べるよう指導して、「最近忘れられた良い教育」をする幼稚園なのです。今日の遠足は、高尾山に登って勤行(ごんぎょう)を行うことになっていましたが、「さすがに3日も続く雨なので中止になるだろう」と甘く見ていました。

e0143522_1141633.jpg
出勤してきた瑠音先生に「登山は中止だったでしょ?今日は通常保育なの?」そう聞くと、「雨でも中止にならなかった」というではありませんか。楽院も厳しいと思っていましたが、ここの幼稚園も相当なものです。雨の日に登山を決めた園長先生からはこんな説明があったそうです。「雨という不便な状況の中で合羽を着て登山をすることで、いろいろな工夫が生まれます。だから行くのです」とのことでした。これを聞き、木下先生も「そうだな。子供たちは、先週から今日の心の準備をしてきたのだ。雨だからと言って登山を中止にすると、やる気や意欲も失ってしまう。良い幼稚園だなぁ」と感心しました。

瑠音先生はお兄さんも通わせたというベテランママさんに「途中で雨がひどくなって引き返してお迎えが早くなることはあるのかしら?」と聞いたそうです。すると「雨だから、時間をかけてゆっくり歩いて帰りが遅くなることはあっても、早くなることはないから」とのことでした。

3時半に新宿駅までお迎えに行くと、「昼過ぎには雨があがり、みんなで元気に正座をして勤行をした」という報告と共に、拍子ぬけするほど元気に帰ってきたそうです。瑠音先生は、「全然たいへんなことをじゃなかったみたい。雨だったから、いつもは乗らないケーブルカーも使っているし・・・」と連絡がありました。大人の過保護が子供の力を失わせているだけなのだと、思い知らされる話でした。

さて、ここの園長先生は年に数回、保護者を集めたセミナーを開かれています。先日も「前にも聞いた話もあるかもしれませんが、同じことを何度も繰り返し聞くことによって理解につながることがある」と話されたと言います。それを聞いてきた瑠音先生は、「ブログも同じことの繰り返しでも、心配しなくても良いのかも・・・」と言うのですが・・・。
by k-onkan | 2009-02-25 23:08 | 教育 | Comments(0)

人がいっぱいで驚いたよ!

今日は年中児のクラスがありました。先週は「音楽祭のお疲れ休み」だったので、音楽祭の後、初めての授業でした。子供たちは、「オープニング」と「カスタネットによるリズム奏」にのみ出演したのですが、「300人の中の1人」としてでも、大舞台を経験したことで子供に大きな変化が見られます。年中のAちゃんは、「小学生のお兄さんたちと一緒に練習したから、本番も同じ(人数)だと思ったら、舞台にすごくいっぱい人がいて驚いちゃった」と教えてくれました。何かあるとすぐ涙を見せて自己防衛をするTくんは音楽祭を経験して凛々しい顔つきになりました。子供なりに「次は、もっといろいろな演目に出演できるようになりたい」という目的意識を持ったのかもしれません。

e0143522_23154828.jpg私たちは初参加の子供たちの変化を強く感じます。しかし、子供たちの話を聞いたり、作文を読むと、何度経験してもいろいろな思いがあることを教えてくれます。とても微笑ましいので紹介したいと思います。「「明日への歌」が終わってほたるの光が流れたら、今年の音楽祭はもうこれで終わりなんだとさびしくなって涙が出てきちゃった(年中児)」「今年は9回目の音楽祭です。さすがに、もう慣れて緊張しないだろうと思っていたのに、自分たちの出番が近づいてきたらドキドキして、「ピッチを高く」「弟の声をきく」などの注意も考えられなくなりました。何回経験しても緊張するんだなと思いました。それでもふだん通りにできるのはたくさん練習をしたお蔭だと思います。木下先生にたくさんレッスンをつけてもらって良かった。(小学5年女)」「ぼくは音感に通っているから、毎年、生のオーケストラの伴奏で大きな舞台で歌える。これは音感に出合ったおかげです。音感と出合って本当に良かった(小学4年男)」「開会宣言がはじまる前はとてもドキドキしたけれど、言っている間は緊張しませんでした。袖に戻ると先生に褒められ嬉しかった(小学2年女)「私の独唱を聞いてお父さんは涙が出たそうです。音楽を好きでないお父さんが、私が歌った曲を歌うようになりました。独唱ができて良かったです(小学4年女)」「聴音部門に出る前に、他の友達は「今年は2回目だから、全然緊張しない」と言っていましたが、みんなが100点を取って自分だけ間違ったら恥だと思うとますます緊張してしまいました。間違えなくて本当に良かったです(小学6年女)」

今日のクラスでもう一つ嬉しいことがありました。それは、Kくんの顔つきが立派になってきたことです。Kくんは小学校受験のため、長期欠席をしていました。2年前のオペラでは他の子と一緒に忍耐強く取り組んでいましたが、楽院から離れている間に、「手指を動かさずに姿勢良く立つこと。何事も全力投球で取り組む」ことが彼の日常から消えてしまったようでした。何とか元に戻したいと、音楽祭の「オープニングとカスタネット」に出演させることにしたのですが、「出演させるのが可愛そうなのでは?」と思うほど、体がモジモジしてしまうのです。本人に悪気がなく、注意を受けると恥ずかしさから、益々落ち着きがなくなるという悪循環が生じていました。「Kくんは「モジモジしている自分」と「ピンとして一生懸命頑張る自分」のどっちが好き?」と聞くと「ちゃんとした方!」そう即答するのです。きちんとしたいのに、その術を忘れ一番ショックなのは誰でもない本人です。現在、補講を行う中で、「ちゃんとした自分」を取り戻しつつあります。子供は何事も簡単に吸収しますが、忘れてしまうのも本当に早いものです。良い習慣を持続するためには、大人が良く観察して導かなければと感じます。「やればできる」と信じていると、いつの間にできなくなっていることは本当に良くあることなのです。
by k-onkan | 2009-02-24 23:15 | 幼児 | Comments(0)

恐いものは必要!

数日前、テレビの再放送番組で「大晦日に子供ののしつけをする神様(?)」がいる地方の話を見かけました。名前と地方をはっきり覚えていなくて申し訳ないのですが、姿は「なまはげ」に似た鬼のようなお面をつけた神様(?)で、毎年、大晦日に子供がいる全家庭をまわるのだそうです。その子の目の高さまで腰をかがめて悪いところを説教したり、叱ったりするため、子供には恐い存在だということでした。
e0143522_1343950.jpg
小さな子が泣きながら「もう友達を叩いたりしません」「兄弟げんかはしません」と約束すると、背中に丸もちを乗せられます。これがその地方のお年玉の原型なのだそうです。生意気な口を聞いた子供たちが「恐いもの」の存在によって、心を改める姿がなんとも可愛いのです。もう一つ、感心したのは、子供たちは中学生になると、叱られる側から叱る側をサポートするようになることでした。それぞれの家に先回りして、家族にその子供に「注意して欲しいこと」「最近した悪いこと」などを聞いて回るなどの手伝いをするのです。地域で「かみさま」の力を借りて皆一緒に子供のしつけができることは素晴らしいことだと感じます。

さて、その番組を見ていて、毎年、合宿で行う「お化け大会」を思い出しました。楽院のお化け大会も、ふだん、自分の思いが何でもかなう子供たちに「怖いもの」の存在を知らせ、「いい子になる」ことを誓わせるために行う行事です。お化け大会を恐がるのは、実は女の子より男の子です。ふだん悪いことやいたずらをする子供ほど、恐がります。名誉団員のHくんが、高学年だった時に、「どうして、ぼくたちにこんな恐い思いをさせなければならないのですか?」と聞かれたことがあります。「想像力を育て、まちがっても人を傷つけたり、あやめたりする恐ろしい人間にしないため。あとは、何にも負けない強い人にするため・・・」と答えたら、「こんなことをしなくても、人を殺したりそんな恐ろしいことはしませんよ・・・」と震えていたものでした。そんなHくんが中学生になって、お手伝いにきて、「お化け役」を果たしてくれました。恐がりの人にとって、実は、暗闇で長時間子供を待つ方がはるかに恐いのです。Hくんは時に迷子になりそうな後輩をさりげなく誘導しながら、「お化け」に扮する優しい先輩に成長していました。

「優しい子供に育てるためには、優しく扱うべき」と思いがちですが、大人に必要以上に優しく大切にされると鼻持ちならない子に育つことが多いと感じます。本当に優しい子は、身近に恐いものの存在があり自分を律することを知っていると感じます。人を叩かない子に育てたいのならば、「叩かれることが痛い」ことを教えなければなりません。人の痛みが分からない子は、簡単に人を傷つけたりしてしまいます。悪いことをした時には、お尻の一つも叩いて痛さを教えるのも時には必要だと思うのです。社会に出て、恐い目にあわないように、親が恐さ、厳しさを知らせておくのもまた、一つの愛情だと思うのですが・・・
by k-onkan | 2009-02-23 23:51 | しつけ | Comments(0)

遺伝子の不思議!?

18歳でアメリカに留学した際、ホストファミリーとの会話は全て「筆談」でした。自分で文章が作れてもアメリカ人のような発音ができず、また、相手が話す言葉も流暢過ぎてお互いにさっぱり分からなかったからでした。「アメリカ人の子供はみんな自然に英語を話すようになる。アメリカに行けば自分も・・・」。そんな甘い考えであった私もさすがに焦りました。せっかく親元を離れ手にいれた自由なのに、うかうかしていたら「強制退去」を命じられてしまいます。当時の私にとって移民局よりも恐いのは自分の親でした。いつ兵糧攻めにあわせられるやもしれません。一日も早く英語を身につけ大学に入学する資格、アメリカ人と同等の英語力を手にいれなければならないと思っていました。

e0143522_1561817.jpg語学学校で基本を丁寧に学び、1年も経つと英語で考えることは当たり前になりました。一人暮らしの交渉や他人の揉め事の仲裁など、人の世話をやけるほど英会話が得意になりました。ところが、最近、その力が劇的に落ちたと指摘されてしまいました。「英語に関する仕事でなければ毎日使う機会もない。仕方ない」と言い訳をしても事実は事実です。何とかしなければなりません。そんなことから、毎晩、英語の文章を音読するようになったのです。1ヶ月が経過し、そろそろ成果を試したいと思い、久しぶりに親友のデビに電話しました。音読の効果でしょうか。会話がとても弾みました。

途中、電話の向こうで11歳の娘フェリシアの声がしました。赤ちゃんの頃から知っている子ですが、「おしゃべり上手は賢い子」の言葉通り頭の回転の速い子です。そのフェリシアについてデビがこぼします。

「最近、フェリシアが私の言うことをいちいち訂正するの。私が『紫色の・・・』と言うと、『これは紫でなくてラベンダー』って。どこで、あんな風になったのかしら?」それを聞いて笑ってしまいました。「あんな風っていうけど、間違いなく貴女の子って感じがするけれど? 彼女の口ぶりは貴女そっくりじゃない!?」「え、私に似ているの? そんなこと、言われるまで気づかなかった。私に似ているなら仕方ないわね」。

現在、高校でスペイン語圏の学生に英語を教えるデビは、昔から語学のセンスに長けていました。学生時代は、私たちの文法や発音の誤りを決して見逃さず必ず訂正してくれたものです。「誤りはその場で正せ」は教育の鉄則であり、たくさんいた日本人留学生の中で、比較的に高い英語力を保つことができたのはデビのお蔭だったと思っています。フェリシアがデビの言葉の一つ一つを訂正するのも、母と同じ特性を受け継いでいると嬉しくなってしまいます。とはいえ、小さなことまで一々指摘されるデビはお気の毒です。願わくば、フェリシアの指摘が長所として認められるような職業を選べることを願うのですが・・・。
by k-onkan | 2009-02-22 23:55 | 自分のこと | Comments(0)

ブログの女王を目指して!?

昨年2月から始めたこのブログですが、気がつくと、どこにいても毎日必ず更新するのが私の日課となりました。何事も長く続かない私にしては上出来だと思っています。最近、このブログに新しい機能ができ、「1日に何回アクセスされているか」が分かるようになりました。現在、一日平均120回ほど閲覧されているようです。音楽祭など特別な行事の時には、アクセス数が250以上になることもあるのです。未熟者の私の言葉に耳を傾けてくださる方がそんなに存在することが急に恐くなったりもするのです。

e0143522_05094.jpgそんなことから先日の音楽祭の後、「もう辞めてしまいたい・・・」と泣き言をもらしてしまいました。すると、S幼稚園の園長先生より「3日に1度でいいから長く続ける方が、毎日書いて1年でおしまいにするより良かった。ここで辞めるのは、何事にも妥協しない木下式らしくない!」とお叱りを受けてしまいました。確かに、「木下式の理解を深めるため」に始めたブログです。そんなに簡単に辞めてしまうわけにはいかないでしょう。名誉団員も「たいへんでも続けていてこそ麻奈先生らしい!」と励ましてくれます。たくさんの方に、励まされて支えられ続いているのです。

今日は、中学受験のため、長期欠席していたN君が1年ぶりに楽院の授業に出席しました。たった1年、会わなかっただけなのですが、彼は背も体も一回り大きくなり変声期を迎えまるで別の人のようでした。それでも時折見せる笑顔には、幼い頃の面影が見え隠れして、とても懐かしく感じました。

N君のお母様が、「うちでは気づくとパソコンの画面に「キノシタのブログ」が開かれていて(3人きょうだいの)だれかが必ず読んでいるみたいですよ」とおっしゃっていました。卒業したり、社会人になったりで、遠く離れた人たちが、私のブログを通して楽院のことを懐かしく思ってくださるなら、こんなに嬉しいことはありません。どうせならブログの女王でも目指してみましょうか・・・!?
by k-onkan | 2009-02-21 23:58 | 発達障害 | Comments(0)

嫌われものでもいい!!

楽院の卒業生に、音楽的な能力以外で「楽院に通っていてよかったことは?」と公開質問をしました。いろいろな解答があり、とても興味深いので、ここでご紹介したいと思います。「オペラや音楽祭で大きな舞台を経験したので自分は人より本番が強いと思う(中学3年Fくん)」「声が大きいので自信があるように見える。緊張していても落ち着いて見える(大学3年Gくん)」「念願の幼稚園の先生になり、子供に真正面から向き合える。それは、キノシタで先生たちに真剣に向き合ってもらったことで自然にできるのだと思う(幼稚園教諭21歳Yさん)」「楽院の実力主義で雑草魂を身につけたと思います。叱るにはエネルギーがいります。自分は楽院関係で愛情をもってたくさん叱ってもらって感謝しています。(23歳Hさん)」「「甘え」や「妥協」を許さない先生方から伝わる真剣さに「集中力」や「緊張感」を引き出された。“できるまで終わらない”指導に愛情を感じ、つらい練習に挑み上手くなりたいと意欲が湧きました。「忍耐力」や「根性」が身につき「達成感」を知りました。今更ながら両親と先生に感謝したいです(20歳Cさん)」

e0143522_2339430.jpg卒業生の言葉を見ると、楽院が伝えたいとする「何か~価値観~」を子供たちはちゃんと受け止めてくれていたのだと思います。叱ることも、注意することも、長時間、厳しいレッスンをすることも「子供のため」と自信を持てないと子供に足元を見透かされてしまいます。保護者に対しても同じです。保護者の方からの「もっと甘くして欲しい」「自分の子供だけには厳しくしないで!」という願いを全て受け入れると楽院の価値観が壊れてしまいます。「木下式の教育理念」に賛同する親御さんのお子さんだけしか入学を許可しない理由はここにあります。それでも、在籍中、親子ともに紆余曲折はあるでしょう。なぜなら、誰も「叱られたり、注意されたり」が好きな人はないからです。

親にとって自分の子供が大切なのは当たり前です。「よい子に育てたい。優秀に育てたい。苦労はさせたくない」等など、希望はたくさんあるでしょう。しかし、本当に「我が子のため」を思うなら「嫌われ役」になることを恐れないことが一番、親がしなければならないことだと思うのです。卒業生がくれたどの賛辞をとっても、木下先生をはじめ、楽院のスタッフが「嫌われること」を恐れなかったからの結果です。

「叱るにはエネルギーが必要です」と書いた子も小学生の時は叱られるのが嫌いだったに違いないのです。その時は、「愛情である」とは気づかず「どうして、自分ばかり?」と思ったかもしれません。その愛情に気がつくのは、楽院から離れ社会に出て「自分のために叱る人」がいなくなった時だったかもしれないのです。

「真剣に向き合ってもらったから、自分もそれができる」と言った子も、多感な時期には「うるさいなぁ。よその先生はそんな面倒なことを言わないのに・・・」と思ったかもしれません。「うるさくされずに育ち、面倒を回避することが当たり前だと思う人」の存在を知って初めて、自分の中にある「物事に真剣に向き合うことを大切だ」と思う価値観が理解できるのです。

最近、子供にうるさいことを言わない親が増えてきました。「うちの子は言わなくても分かる」との過大評価も、「言っても聞かないから・・・」という諦めも、親として「しなければならないこと」を放棄していると感じます。本当に子供のためを思う親は、嫌われても「言うべきことは言う」べきなのです。大人が真剣に心を割って話せば、子供も耳を傾けるでしょう。それでも、子供は聞かないかもしれません。だからといって、最初から「言っても聞かない」と、話しもしないのでは、「大人は及び腰で自分たちから逃げている」と思われても仕方ないのです。

私たち大人の中にも、完璧な人間など誰一人いないのは、毎日のニュースを見れば分かるでしょう。大人として恥ずかしい事件ばかりです。それでも私たちが、なんとか社会人として一応やっていけている裏には、子供の頃、悪いことをしたり、間違ったことをする度に、「それはいけない。こうあるべきなのだ」と教え示す大人が存在したからだと思うのです。

今の子供は可愛そうです。そういう当たり前のことを言ってくれる大人が少なくなっているのですから。「全ての子供を愛情を持って叱って欲しい」などと難しいことを言っているのではありません。せめて、自分の子供だけは、「分かっているはず」と思うことでも何度も多方面からいろいろな例や自分の体験を知らせ、社会人として、同性として、異性として、大人が持つ知識を伝えておかなければならないと思うのです。

子供が問題を起こしてから、「もっとちゃんと伝えればよかった」と思ってももう遅いのです。私たち持つ価値観を次世代に伝えていくこと。それが、育ててもらった人への恩返しであり、伝統、歴史、芸術、知識、教育、常識、価値観を後世に伝える手段なのだと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2009-02-20 22:09 | 教育 | Comments(0)

理論は後からついてくる

木下式の講習会では、「教諭が即、各園で実践できること」を目的に研修をしています。そのため、「理論体系」を事細かに教えるよりも、幼児たちが日々学ぶ「音感かるた」の説明や、幼児の発声の手直しに必要な「模範唱」、幼児の道先案内となる「先導」など、初心者であっても、何とか「見よう見まね」でできるようにすることが大切です。

e0143522_125596.jpg若い女性の教諭が多い幼稚園では、勤続年数は平均して3年から8年くらいです。そうした環境の中で、常に先生の出入りがあっても指導技術の向上を図り、レベルを維持することが重要なのです。そのためには、実践方法を体得するまで覚えさせる以外ないのです。

先日、東京の講習会を初めてご覧になったある園の理事長先生が「理論よりも実践が最初なのですね」とたいへん驚かれました。しかし、「即戦力になる教諭を作らなければ」と考えている私たちには、当然のことです。なぜなら、実践できるようになれば理論も理解できるようになるものだからです。たとえば、本屋には難しい理論書がたくさん並んでいます。そうした本を読んだだけで、そこに書いてあることができるでしょうか。頭が理解しても体現するためには、それに見合った体の反射性や動きが必要です。つまり、体に覚えさせなければ、出来ませんし、できなければ真の意味での「理解」にはならないのです。

先日、それと良く似た話をジャズピアニストであり作曲を教える先生からうかがったのです。「自分ができるようになれば、説明や仕組み、理論は後から必ず分かるようになります。まず、頭で考えるよりも早く、目で見たら正しい位置に指が移動するまで覚えこませなさい。そのためには、同じことを回数をこなして反復するしかない。そのうち、必ず、頭より先に指が動くようになる。いくら、理屈や法則をノートに書き写しても時間の無駄。書いたり読んだりしただけでできるようになるなら、みんな高額の理論書を何冊も買って読むでしょう。しかし、実際は読んだだけでは何もできるようにならない・・・」。

この話を聞いて、木下式の研修が「理論より実践」に重きをおく理由とまったく同じであることがわかります。音感かるたを説明する用語には、「断定用語・連想用語・思考用語」があるとか、断定用語は「年齢が低い幼児にも適した速度で懇切丁寧に諭すように語り掛けるもの」と頭で分かっていても、実際に、2~3歳の子供の心をひきつける「断定用語による説明」はなかなかできません。しかし、できるようになった人は、「適した速度とは?」「懇切丁寧とは?」が実践を通して分かるようになってくるのです。
by k-onkan | 2009-02-19 23:58 | 木下式音感教育法 | Comments(0)