麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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きれいな色を作ろう

今日は午後、甥のYが遊びに来たので、屋内でできる遊びをさせました。私のところに子供がくると、それが親戚でも友達の子でも必ずさせることがあります。絵の具を使ったお絵かきです。学校や幼稚園ならともかく、家庭で絵の具を使わせるのは、汚されることや片付けることを考えると、お母さんたちは躊躇するようです。しかし、汚さないために与えないことより、汚さないように気をつけること。また汚したら、かたづけることを教えることが大事だと思うからです。

e0143522_1273436.jpg今はお絵描き以上に刺激的で楽しい遊びがあります。そのため、絵の具を喜ばない子も増えています。しかし、幼児期に自分で描いたり作ったりする経験をすることが、その子の人生を豊かにすることがあると感じます。幼児期に大切な感性教育として音楽があげられますが、それと同じくらい、自分で描いたり、作ったりする活動も大事だと思うのです。

甥は幼稚園ではお絵描きが好きな方で、自分が描きたいものを描き、本人は満足しています。しかし、妹は「赤が好きと言ったら、赤ばかり使うし、黒と言ったら黒だけで描く。色彩感覚が乏しい。頭が先行しているかも・・・」と冷静です。私が子供に混色をさせて一番、楽しいのは、偶然の中から美しい色が生まれ、「うわぁ~」と感激したり、発見があるからです。子供の絵は純真無垢で、知識が備わる前の方が上手いように感じます。概念ができあがると、面白みが失せるのでしょう。Yもその例にもれず、「赤と青を足すと紫になるんだよ。青と黄色は緑だよ」と自分の知識を駆使して絵の具に向かうため、出来上がった色は大人のように濃く渋い色になります。それを見ると、小学生だった自分を思い出します。

当時、3原色を使ったお絵描きについて学んできた両親が、家で私たち3人に画用紙を与え、絵の具を使わせたことがあるのです。妹はまだ幼かったのですが、何の知識がなくても絵の具を混ぜる中から美しい色をどんどん作り色鮮やかに塗っていきます。私と弟は、混ぜれば混ぜるほど黄土色や茶色のような美しくない色になってしまいます。それに気づいている両親の様子を見ると、益々、やる気は失せ、以来、絵は苦手です。

今のYは、その頃の私に少し近いように見えます。「赤と青は紫」「「青と黄色は緑」と混ぜますがあまりきれいな色が出ません。そして、混ぜれば混ぜるほど、予定外の色になります。途中で投げ出してしまわないようにルール違反を覚悟で助言をしてみました。

「青と黄色は緑だって言うけれど、緑だって、いろいろな緑があるでしょ? 春の葉っぱはきれいな黄緑だし、冬になれば緑も濃いでしょ? 同じ青と黄色でも量を変えたらぜんぜん、違う緑ができるから、実験してみたら?違う緑ができたら、塗ってみたら?」。そして、もう一つ、「似たような色が近くにあると、お互いの良さが目立たなくなるから、似た色は離してみたらどうなのかな?」と余計なことも言ってしまいました。創作活動の中で大人が口出ししたり、手法を教えるのは、ルール違反かもしれません。さてさて、大垣先生はなんとおっしゃるでしょうか・・・。
by k-onkan | 2009-03-31 23:27 | 幼児 | Comments(12)

耳を澄まして

昨日、保護者のSさんより「コピーライターの糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」の中に毎日更新されるエッセイーがとてもよいのでぜひ読んでください」と紹介がありました。「素直である」というのは、かんたんなことじゃないです」で始まるその文章は、習い事や職人仕事を覚える秘訣のように聞こえますが、実は私たちが生きる上で一番、必要なことに違いない。そんな風に感じたのでした。

e0143522_033655.jpg内容はこんな感じでした。「「素直である」というのは、かんたんなことじゃない。「素直である」ためには、なにが必要なのか。なにも必要じゃない。「素直である」ために、どんな準備があればいいのか。どんな準備もいらない。なにも必要としなくて、どんな準備もいらない。だからむつかしい。(中略)ひとつだけ、「素直である」ことができるようになる方法がある。「耳の穴をかっぽじること」。耳で生きる、耳で暮らすことなんだ」

私は楽院で平素、子供たちに発声を教えていますが、講習会になると、幼稚園教諭や音楽を専門に勉強した大人も教えることになります。そして、いつも思うこと、それは、大人に教えるのは、子供よりも何倍も難しいということです。大人はこれまでの経験や身に付けた知識がある分、素直に聞けない。つまり、耳の穴をかっぽじることができないのです。失敗するのが恥ずかしいため、先生より早く自己診断を下したり、間違いを分析したりしてしまいます。けれど、自己分析通りにできるなら、何も先生はいらないのです。できないから習っているのです。習っているからには、耳の穴をかっぽじって教えに耳を傾けねばなりません。反対に、子供は素直なものです。耳で聞き、聞こえたとおり自然にまねをします。頭を使うのではなく体得するとでもいうのでしょう。だからこそ、幼児期にしか身に付かないことは幼児期に与える方が容易なのだと感じるのです。

このエッセイを読み、先日の講習会の一コマを思い出しました。ある先生が、一生懸命、ピアノを弾きながら「もうひとつの言い方は?シシドシラ」といって実践するのですが、どうしてもピアノの音と言葉に一体感がありません。それは、ピアノ音にも自分の声にも全く耳を傾けていないからでした。何とか耳を傾けさせたいと思って、「この音から何を感じますか?」と聞くと、「シです」との答が返ってきたのです。確かに、彼女の弾いていたのはシの音でしたが、私が聞きたかったのは、もっとほかのこと。その音がどんな響きを持っているか? 力強いのか? 弱いのか? 高いのか? 低いのか? 乱暴なのか? 丁寧なのか? そんなことでした。自分の出している音の性格や個性、そういうものに耳を傾け観察する余裕がなければ、子供たちの声や状態を観察することができないからです。耳の穴をかっぽじって聞く。耳で生きる。耳で暮らす。それは本当に難しいことだと感じるのです。
by k-onkan | 2009-03-30 23:55 | お稽古事 | Comments(0)

おばちゃん、読んで!

小児病棟に通って、一番、切ないと感じたこと、それは、いろいろな病気の子が一つの場所に集まり治療を受けていることでした。大人の入院は整形外科、眼科、脳外科、耳鼻咽喉科・・・とそれぞれの科で病棟が分かれ、似たような病状の人が集まっているのです。しかし、小児病棟は、同じ部屋に眼科治療を受ける子もいれば、脳外科や内科など症状の異なる子がいるのです。

e0143522_22552773.jpg入院生活が長い子は病院に慣れています。Yと同じ病室にいた4歳のKちゃんもそうでした。純子先生とYを見舞っていると、近くにきて「この本、読んで。Kちゃんはまだ小さいから字が読めないんだよ」。4歳とは思えないほどはっきりとした言葉です。同じ病室の子と仲良くなるチャンスなので、「Yが読んであげたら?」そう勧めると二人で並んで本に向かいます。Yにとってお兄さんになるための予備練習かもしれません。

おしゃべり上手は賢い子といいます。正面からKちゃんを観察すると「オ」の口型がとても美しいのです。「Kちゃんはね。眠くなるお薬して、それから背中にチクッとしたんだぁ」。そう説明するKちゃんのあどけない様子に反して、彼の様子と説明からすぐに退院できる病気でないことがわかり切なくなってしまいます。知らない子なのですが、そこで出会ったのも何かの縁です。甥と一緒にプレイルームでお相手をしました。

保護者のいない子供がいれば、大人として手を貸すものだと私たちは思っています。特に、病院で生活する子は、健康な子供のように「ママじゃなくちゃ・・・」とは言いません。それほど、病院生活の中で、お医者様や看護士さんなど、他人に助けられることに慣れているのでしょう。Kちゃんも、物怖じせずに要求するところが子供らしくて可愛いのです。その上、「おばちゃん、おばちゃん」となついてきます。呼び名に少々、違和感はありましたが、実際、生徒ではないので「先生」と呼ばせるわけにもいかず、「おばちゃん」に徹することにしました。

ふだん私を煙たがるYですが、Kちゃんに取られると妬けるようです。そこで、2人並べて「おまえうまそうだな」という男の子に人気の「恐竜の本」を読み聞かせました。読み終わると、「今度はKちゃんが自分で読む。なんて書いてあるか教えて」と最初のページを開きます。私の言葉通り、鮮明に復唱をする様子に「言葉を受け止める力と具現化に長けているから賢いのだなぁ」と、春休みによその子供を観察してしまいました。

後から、Kちゃんの面会にきたお父さんの話し声を聞く機会がありました。「おむつを替えるとおなかの傷に触るから、痛いの。おむつを替えるのはいやだよぉ」と泣いて嫌がるKちゃんに、お父さんは子供扱いせず、大人の言葉で説明し納得させ、おむつを替えていました。遠くから見えたお父さんの口元は、Kちゃん同様、美しい「オ」の口型を形作っていました。子供は親を真似て学ぶのだと確信しながら病院を後にしました。退院後、妹が教えてくれたのですが、Kちゃんのお母さんも、とても語尾がはっきりしてKちゃんそっくりの語調であったといいます。「子供の言葉も声も、一緒にいる大人次第!」そんなことを再認識するKちゃんとの出会いでした。Kちゃん、元気になって早くおうちに帰れるといいね!
by k-onkan | 2009-03-29 19:48 | 幼児 | Comments(0)

来なくていいよ・・・

1ヶ月ほど前、妹から相談がありました。それは、「Y(5)が目の治療のため、入院する際の病室をどうするか?」という話でした。Yは怖がりで、夜中になると、自分のベッドから両親の部屋に移動してくるそうです。そんなYが病院のベッドで親不在で泊まれるのかとの心配からでした。

e0143522_1025623.jpg私は家族の問題なので、妹と義弟、そして当人である甥が納得できる方法を考えたらいいと思いながら、「一人で寝かせないですむ方法があるの?」と聞いてみました。すると、「個室があって、親も一緒に寝起きすることができる」といいます。我が家で、一番、病院にお世話になっている私は、「個室ベッドの差額」が驚くほど高額であることを知っていました。けれど、頭ごなしに「もったいない」とか「大部屋の方がさびしくないし、子供もいろいろ学べる」と正論を言うのも気の毒です。そこで、「どうしたいのか」「何ができるのか」を一緒に考えることにしました。

妹夫婦の総意は「怖がりのYが手術を伴う入院をするのは心細いだろう。親がついていられるなら、ついていてやりたい。しかし、個室のための出費は簡単に出したい額でもない」とのことでした。「それで、Yはなんて言っているの?」「本人に聞いたら、来てほしいというに決まっているから、まだ聞いていないの」といいます。つまり、本人から「親はいなくても良い」という言葉を引き出せれば、親の悩みはなくなるようでした。そこで、「そんな簡単なことなら・・・」と私がYと交渉することにしました。

「Yが入院する時、お母さんに一緒に泊まって欲しい?」「うん。欲しい」「そうね。でも、お母さんが泊まると○○万円かかるの。○○万円ってね、Yが17歳になるまでの誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント、全部のお金なの。Yはお母さんに泊まってもらって、17歳までプレゼントを我慢できる?」そう聞くと、しばらく考えていたYがうっすらと目に涙をため、少し不満そうに小声で「来なくていい」と言います。私の誘導にのったとはいえ、Yが自分で決めたことです。こうして、心置きなく(?)大部屋の入院が決まりました。

この話を聞き、「子供にお金の心配をさせるなんて可愛そう」「親が何としても捻出すべきだ」と思われるかもしれません。それぞれの家庭の価値観、教育観、経済力によって異なるでしょうが、「親であってもできないこと」が存在することを、子供に教えておくことは大事なことだと思います。

「親が我慢してでも子供には苦労させたくない」という考えもあるでしょう。その結果が、親の苦労をいたわる優しい子に育てば良いですが、たいていは、親の苦労も知らず、「お金は湯水のごとく涌いて当たり前、もっともっと・・・」と不満ばかり口にする自分本位な人間に育つことが多いように感じます。わが子を自立できない大人に育てることほど、その子にとっても親にとっても不幸なことはありません。

春休みになって、入院の日、甥は弱々しい声で「どうして、ぼくだけ手術するの?しなくちゃいけないものなの?」と泣き言を言いながら出かけていきました。しかし、きれいにキャラクターで飾りつけされた病棟の様子に気分が華やぎ、すっかり楽しい気持ちになったようです。小児病棟にはいろいろな病と闘う子供がいて、みな健気な姿を見せていました。目の手術に個室を考えた私たちの方が申し訳なく、恥ずかしい気持ちになるほど切ない小児病棟でした。
by k-onkan | 2009-03-28 10:01 | 幼児 | Comments(2)

高い声が好きな理由

今日、卒業生のお母さまYさんのレッスンがありました。そして、「木下式で訓練する『かるた』は、なぜ高い声で話さなければならないか」について話していた時に思い出したことがあります。もう何年か前のことなのですが、M幼稚園で昔つとめていた教諭に久しぶりに出会ったことがありました。その先生は、幼稚園を退職し、その後、福祉の仕事をしているということでした。

e0143522_1014365.jpg「木下先生、お久しぶりです。私は今、老人介護の仕事をしているのですが、木下式で勉強したことが、とても役に立っているのです。母音を意識してはっきり高い声で話すと、おじいさん、おばあさんたちと意思の疎通がうまくいくんですよ」。自分も年をとってきた木下先生は介護の話に「老人福祉に木下式かぁ・・・・。いやだな」と苦笑いをしていましたが、私は妙に納得がいったものです。意思の疎通をはかろうと思ったら幼児でも、老人でも声は高くないと伝わらないと思います。自分の思いが伝わらないと子供は泣き、老人はストレスを感じるでしょう。

いつの頃からか、テレビでニュースを読む女性キャスターの声が低くなったと思いませんか。これは夜遅い時間に仕事で疲れた世の男性が、高い声のニュースを聞くと疲れてしまうので、癒し作用のある低めの声が好まれるのだと聞いたことがあります。世の男性にとっては低い声の方が需要があるのでしょうが、乳幼児や老人を低い声で癒すと、ぼんやりしてしまいます。

木下式は子供たちに語りかける時には、必ず、低い声でぼそぼそと話してはいけないという鉄則があります。それは、幼い子供にとって低い声や通らない声は受け止めにくく、意識を芽生えさせられないのです。深夜のニュースならともかく、幼児教育は話声位(話す声の高さ)を高めなければなりません

高い声で話す理由のもう一つは、子供の声域を高めるためです。ここ何年も子供たちの声が低くなり、新しい童謡はどんどん声域が下がっています。それだけ、高い声を出さなくなっているのです。高い声で話しかけられると子供も高い声で答えます。反対に低い声の母を持つ子は、低く話すので、高い声では歌えません。そういうことを改善するために、木下式には「音感かるた」があるのです。高い声の子は覇気があり意欲もある子です。反対に、弱い声しか出せない子は引っ込み思案で自己主張も弱いのです。全ての子供からやる気を引き出すには、指導者は高い声で説明をして、子供たちが自然と高い声で答えるように仕向ける必要があります。

そう伝えると、「そういうことも、みんな、木下先生が考案されていたんですね。10年間、子供を引率し外から授業風景を見て何でも知っているつもりでいましたが、いろいろなことに意味があったのですね・・・」としみじみ言われました。私たちも保護者の方が木下式のことを分かるように、お知らせしなければいけないのだなぁと思ったものでした。
by k-onkan | 2009-03-27 23:49 | 木下式音感教育法 | Comments(3)

同じ過ちをしないために

私と妹は6年の年の差があります。間に弟がいるとはいえ、小学1年生と新生児では、親子ほどの差がありました。たくさんの大人に囲まれ育った私は、年齢の割にとても大人びており、母が働いていて忙しかった分、自分が母親のような気持ちで、妹に接していました。文字通り、子供だった私にとって、「甘やかすことが後々、本人のためにならない」などとは思いもよらず、「自分がして欲しいこと」を妹にし続けてしまいました。未だに「どこか人を頼っているように感じるのはそのせいかしら?」と反省することしきりです。

e0143522_7272371.jpg人間の感情は複雑なものです。「愛しい小さな妹」と思う反面、それは小さくも可愛くもない自分のコンプレックスとして表れました。「誰からも愛される小さい妹」と「そうでない自分」という位置づけです。「自分がして欲しいことを妹にする」という行為の裏には、自分がそれを求める心が隠れています。その気持ちを妹に注ぎ、周囲の大人の「よく面倒を見て偉いわね」という賞賛の言葉によって自分の心を安定させていたのかもしれません。

けれど、思春期になった私の心は荒れていました。愛と憎は紙一重の感情です。たくさん愛しているからこそ、反動で反対の気持ちを感じ、そんな自分を嫌いになるという悪循環です。可愛がっては意地悪をし、意地悪をするとまた申し訳なくなり可愛がる。長期にわたって学校で陰湿ないじめにあっていた私には、精神的に不安定なところがあり、妹にも可哀相なことをしていただろうと思います。

「愛されていない自分」などと表現すると、「こんなにたっぷり愛を注いだのに」と両親は嘆くことでしょう。確かに、「教育法を作ってくれた」「縄跳びを教えた」「自分たちのために歌を作ってくれた」「社会に出て困らないように育てた」というのは究極の愛ですが、子供に必要なのは親の愛だけではありません。社会に出て困らないためには、家族以外の人からも認められる必要があります。今の私からは想像できないと思いますが、当時の私にはそうした自尊心が足りていなかったと思います。

さて、もうすぐお兄さんになる甥と下の子の年の差は、私たち姉妹と同じ6年、その上、干支まで同じだそうです。将来、「よく気がつく面倒みのいい兄」と「わがままな末っ子」になってしまうのかも?と想像して、「お兄さんとして、赤ちゃんを守らなければならないけれど、必要以上に全て譲る必要はないのよ」と教えています。一番大事なことは、赤ちゃんも大切であるけれど、自分自身も大切にできること。そんな風に思います。
by k-onkan | 2009-03-26 23:59 | 自分のこと | Comments(1)

人を喜ばせる幸せ

5日間におよぶ講習会が終わりました。運営委員長をはじめ、受講生の皆さま、お疲れさまでした。講習会の最後には、今年の音楽祭のビデオを鑑賞しました。参加された方の感想文集もお渡ししました。(木下式のホームページ上からダウンロードできるようにしましたので、ごらんください)。感動してくださった方の期待を裏切らずに、次回は、もっと良い音楽祭にしたいものです。そのスタートはこの4月からです。音楽祭が近づいてから慌てることがないよう、日々の積み重ねを大切にして欲しいと思います。

e0143522_1332043.jpgさて、講習会の会期中、世の中はWBCの日本優勝に賑わい、その経済効果は560億円になるのだそうです。不景気な話ばかりの中にあって明るいニュースはありがたいものです。毎日、流れる不景気な話で財布の紐はかたくなる一方です。無駄遣いを推奨するつもりはありませんが、使わないことにだけ固執すると、大切なことにさえ出せなくなりそうで心配です。

夕方、アメリカの家族から「昔から親交のあるパレスチナ出身の友人I氏がローカルニュースに出ていた」との知らせがありました。早速、ホームページで調べると「廃業したレストランの再建を試みるI氏。30名の人間が再雇用の予定」ととりあげられていました。それはオレゴン州ユージン市で27年続いた有名なカフェのことでした。昨年10月、旧オーナーが賃貸料を払えなくなり急に閉鎖されたのだそうです。ある日、出勤すると47名の人の職がなくなっていたといいます。

現在、アメリカは、日本以上に不景気な状態にあります。そんな中、新たにレストランの再建を試みるのは簡単なことではないでしょう。現在、I氏は2軒のレストランを所有しています。アメリカ人にはない独特の思いやりと気遣いによって、市内で1、2位と評判の店です。とはいえ、この時期に経営不振で閉めた店を再開することは容易なことではありません。パレスチナから移住して四十年、身を粉にして働いたI氏の持論は、「自分の作る料理を人が喜んでくれることが最良の幸せであり、それが仕事から得られるもの」。日本に帰って、仕事の理想と現実に悩んでいた私たちにそう話してくれたのはI氏でした。第二の故郷であるユージンで、30人の人たちの雇用先を提供するため、そして、昔からあるランドマークを失わないために、店を再開する話に、自分も気弱なことばかり言っていてはいけないなぁと思ったのでした。
by k-onkan | 2009-03-25 23:34 | 自分のこと | Comments(0)

愛とマジックを信じて

5日間ある講習会を山にたとえると、検定試験と公開学習がある中日が一番頂点です。後半は一歩一歩確実に下り坂をおりてくるだけです。気をつけなければならないのは、油断して足をすべらせたりしないこと!?

e0143522_1281178.jpgさて、何とか無事に講習会4日目が終わり、夕方から青山のNHK文化センターに出かけました。山田和樹先生の「あなたもマエストロ」という指揮の講習が7時から9時過ぎまであったのです。最終日の今日は、受講者全員がクインテット(ピアノ、バイオリン1・2、ビオラ、チェロ)を振れるという贅沢な講習でした。私はエルガーの「威風堂々」の有名なメロディー部分を振らせていただきました。持ち時間8分間の中、自分の思い描く曲想を伝えるために、自分で歌ったりしながら伝えます。

さて、その結果はと言いますと、公開学習で楽院児を思い通り操るように簡単ではありませんでした。こう見えて、結構、気弱なところがある私は初対面の人に自分の意思を上手に伝えられないところがあります。また、相手が子供ではなく大人、それも演奏を生業にしていると思うと、指摘するのも申し訳なく、言いたいことが言えないのです。自分の出したい音色と違っても、止めるタイミングを逃して、和樹先生から「言いたいことがあったら、先に進まず、もっと早く止めて指摘すること。言いにくいことや間違いに気づいたら、それを伝えてあげる方が親切なのだから」と指導がありました。つい最近、私も木下式の講習会で教諭に同じようなことを言ったばかりなので恥ずかしくなってしまいました。

和樹先生は言います。「指揮者は孤独。たった一人で何も持たずに敵地に乗り込み、何回かのリハーサルで本番を迎え、すばらしい音楽を作る。そのために、そこに何があるかといったら「愛」なのだと。相手を愛する気持ち、それは、必ずしも自分を好いてくれる相手でなく、自分の敵、戦争だったら自分を撃ってくる相手をも愛する、そんな愛。99パーセントの愛に魔法が加わると、人に感動を与えることができるのだ」と。

私が音感を教えるようになって今年で20年目になります。木下式を勉強する園児ならば、たとえ一期一会の相手であっても、相手の心をつかみ自分の思い通りに指導できるという自信があります。しかし、それは、子供たち全員が「しかられた~のシ」という木下式の愛と魔法でつながり意思の疎通が図れるからなのです。

さて、明日は講習会最終日です。音楽を専門に勉強していない幼稚園教諭にとって、ピアノを弾きながら先導をしたり、幼児の問題点を見つけ模範唱によって、手直しをすることは、とても難しいことだろうと思います。しかし、少なくても相手は自分の敵ではなく、1年間、自分が担任する可愛い子供たちです。その子らのために、幼稚園に勤める間は、どうか一生懸命、勉強して欲しいとそんな風に思ったのでした。
by k-onkan | 2009-03-24 23:59 | 音楽 | Comments(0)

桜を咲かすために・・・!

今日は講習会の中日で検定試験がありました。三期講習会で全課程を受講した教諭は、音感かるたの説明、歌唱曲の先導や模範唱などの実技試験を受けることになります。受講生の見守る中、壇上でかるたの説明をしたり、ピアノを弾いて実践する試験の様子に「厳しい講習会ですね」という人もありますが、木下式を実践する園の教諭には正しい指導法を身に付けて実践して欲しい。そうした願いから試験制度が作られているのです。

e0143522_22305913.jpg今回は4名の先生が初級検定に挑戦しました。それぞれ美しい声になり、勉強の後が見られたのですが、改善すべき課題もあり、次回までの「宿題」つまり追試となります。こういうと、「わざわざ、東京まで講習を受けにきているのだから、受講者全員に免状を与えても良いのでは?」と思われるでしょう。しかし、いい加減な基準で免状を出して、一番迷惑をこうむるのは、指導を受ける子供たちです。

木下式は指導者が研鑽をつんで努力をすれば、幼児に素晴らしい能力を培うことができる教育です。しかし、効果を出すためには、指導力が求められます。子供を大勢集めて観察すると、必ずしも意欲ある子供ばかりではないことが分かるはずです。先生の目を見て姿勢を正し話を聞く子もいれば、そうでない子もいます。長時間、集中する子もいればすぐに飽きてしまう子もいるでしょう。そうした中で、幼児を集中させ能力を定着させるには指導する教諭に先生らしい態度が求められるのです。先生らしさの裏づけは自己研鑽にあります。「真に優しい指導」とは表面的な優しさを見せることではなく、短時間に子供を良い方向へ転換させられることにあると思います。今日、追試になった先生にもそんな先生になっていただきたいので残念な結果になったことを話したのです。
by k-onkan | 2009-03-23 22:29 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

大切なものってなんだ?

今朝、ある教諭から相談があると声をかけられました。これまで公開学習を経験した幼稚園のベテラン教諭でした。若い頃は声もよく出て楽しんで音感をやっていたのですが、時に力任せに声を出すため、「そんな声の出し方を続けるといつかポリープになってしまうから直しなさい」と厳しく注意した先生でした。

e0143522_0173183.jpg「実は、前に麻奈先生が言われた通り、本当にポリープになってしまいました。お医者さまには幼稚園を辞めたほうがいいと言われましたが、私は絶対に辞めたくありません。腹式を覚えたら治りますか?」目に涙をためて訴えます。医者でもない私が、無責任に「ポリープが治る」などとは言えません。けれど腹式を身に付ければ喉に負担がかからなくなることは分かります。とりあえず、信頼できる良いお医者様を見つけること、そして、自分にとって一番大事なのは何かを考え、その上で園を続けるなら、今度こそ腹式を鍛えて声を出すことを覚えるように伝えました。

この発声法は、子供の頃に身に付けると簡単なことなのですが、大人になるまで大きな声を出したことがない人には非常に難しいようです。昔は、広い場所で大きな声を出して友達と遊んだりする機会があり、歌唱の経験がなくても、大きな声くらいは誰でも出せたものです。しかし、この20年、都会はマンションなどの共同住宅が増え、大きな声を出す必要がなくなりました。その結果、子供の話声位(話す声の高さ)はとても低くなったと問題になっています。教諭の中にも、そんな子供時代を送った人がいるのかもしれません。

木下式を実践する中で喉を痛める人がいることはとても残念なことです。健康な体は何より大切な宝です。そして、それは失った時にしかありがたみが分かりません。持っていることが当たり前のものが一番大切なものです。声も同じで、出せて当たり前と酷使していると、喉に負担をかけてしまうこともあるのです。みなさんの大切な宝もの、大事にして欲しいと思っています。
by k-onkan | 2009-03-22 23:53 | 木下式音感教育法 | Comments(0)