麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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<   2009年 04月 ( 30 )   > この月の画像一覧

嬉しいご報告!!

今日はとても嬉しいお便りがありました。それは、三重県のO学園の理事長先生から私宛の速達で、「三重県T市の私立幼稚園の教諭80名の1日講習会開催」のご依頼でした。ちょうど、昨年の今頃、「木下式を世の中の方に知っていただくためには、もっと営業努力をした方が良い・・・。自分から動かないと誰も気づいてくれない」など等。多方面の支援者から励ましやご教示をいただき、ついに意を決して出かけた初めての「営業活動」がこの学園だったのです。

e0143522_2325044.jpg初めての営業活動に緊張しながら、木下式についての説明をして、横浜さがみ幼稚園の子供たちが木下式を公開学習で披露したDVDも見ていただきました。そして、「木下式の子供たちの声は護摩を焚くお坊さん(高僧)のような声」とお褒めの言葉をいただきました。と同時に「いざ実践するとなると現場の先生の協力が必要なので簡単にはいかないが、来年度、木下式の啓蒙を兼ねて、幼稚園教諭の勉強の場を設けることはできるかもしれない」との言葉をいただいたのです。帰京後、「私でできることがあれば、ご協力させていただきたい」と御礼の手紙に書き添えました。世間知らずな私とは言え、最初の営業で良い結果が出るほど世の中は甘くないと思っていましたが、今日、速達が届いたのです。本当に天にも昇るほど嬉しくなると同時に怖くもなりました。それは、木下式の予備知識のない方に講義をするのは初めての経験になるからです。

木下式の実践園の教諭のための三期講習会や、地方における支部講習会なら、皆、「木下式を実践する仲間たち」です。私たちが顔を知らなくても、皆さん私たちの顔はご存知です。そして、それぞれの園の先輩から木下式の予備知識も授けられています。しかし、今度は、そういうものが一切ないのです。そう考えると、身が引き締まる思いがしますが、同時に、どんな出会いがあるのかとても楽しみにもなります。営業活動を応援してくださった皆さんに良い報告ができて嬉しいです。ありがとうございます。これからも、いろいろお教えください。
by k-onkan | 2009-04-30 23:03 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

どうせやるのなら・・・

「木下式を実践する幼稚園は就職の時に敬遠されることが多い」と園長先生たちが嘆かれます。もちろん、中には、実習でその幼稚園の良さに惚れ込んで「絶対に、ここの先生になりたい」と就職する人もいますが、躊躇する人の方が多いようです。音感教育は新任であってもすぐに実践しなければならないため、「講習会や園内研修で勉強しなければならず、たいへん」と噂にでもなっているのかもしれません。本当は園の経済的負担によって、勉強させていただけるのは、とてもありがたいことなのですが・・・。

e0143522_1444920.jpg私がはじめて講習会に参加する幼稚園の先生たちに必ず話すことがあります。それは、こんなことです。「皆さんの勤務する園は木下式を特長にしています。そのため、保護者は先生方が正しく音感教育を実践されることを当然だと思っています。新任だろうが、ベテランだろうが関係ありません。親御さんにとっては、全員、それぞれの大事な子供たちです。どの先生が受け持ちでも成果を出さなければなりません。中には、「私は音楽が苦手で・・・」と思う人もいるでしょう。しかし、意欲をもって努力できれば、必ず結果はついてきます。反対に、音楽が得意でも、ベテランでも、不誠実に取り組むと上手い指導はできないのです。だから、全員、意欲を持って取り組みましょう。

子供の頃の私は決して意欲的ではなく、良く母に叱られものです。「どうせ、やるなら一生懸命やりなさい。ダラダラやっても1時間、一生懸命やっても1時間なら、一生懸命の1時間の方が良いのだから」と。そして、それでもダラダラしていると、「嫌々やるなら、辞めなさい」と怒られたものです。音感だって同じです。どうせやるなら、一生懸命取り組む方が、教える側も教わる子も気持ちがいいはずです。音感は感覚的な能力や本人の意欲がものをいうため一生懸命、取り組めば新任のクラスからでも優秀な子供は育つのです。音感の実践を通して、良い教育者になって欲しいと思います。

「音感ができる先生は他の何をさせてもよくできる。クラスのまとめ方、保護者との対応、絵画指導、子供のしつけ・・・。なぜでしょう?」。ある園長先生に質問されました。音感教育を行う際には、ピアノを弾く、声の手本を与える、先導をする、アドバイスを与える、子供の活動を手助けする、子供を集中させる、子供の行儀を良くするなど、注意しなければならないことがたくさんあります。その上、子供たち一人ひとりを観察し、その時々、いろいろなことを見極め指導するのです。誰が良いか、誰が違う声が、誰が集中しているか、誰が気が散っているか・・・。常に頭はフル回転です。そんな音感指導が上手にできるようになれば、他のことは、本当に簡単に感じるはずだと思うのです。
by k-onkan | 2009-04-29 23:40 | しつけ | Comments(0)

可愛いかもしれないけれど・・・

今日は、大阪府にあるS幼稚園に教諭指導のためにうかがいました。新任をはじめ、ベテランの先生まで15名が一生懸命勉強して有意義な時間となりました。その中で、今日はこんなお話をしました。木下式は歌上手な子供に育てるために、「はっきりと鮮明な言葉」を覚えさせます。つまり、子供っぽい話し方を放置しないということです。それは、どんなに美声の持ち主でも、口の回りが遅いと軽快にリズムに乗ることができず、音程を素早く捕らえることができないからです。そのために大事なことが言葉の具現化なのです。大人の話す言葉をすぐに鮮明に真似できる子は具現化能力のある子供であり、そういう子から歌唱力は身につくことになります。

e0143522_021689.jpgさて、若い女性が少し甘えたような声で話すのは男性には受けるかもしれませんが、幼児教育に携わる先生にはお勧めできません。なぜなら、先生の話し方をそのまま、子供たちが真似ることになるからです。先生の舌たらずの話し方を、担任する子供たち全員に広がっているなどということもありうるのです。

話が飛びますが、甥は今、少し赤ちゃん返りをしています。もうすぐ生まれる赤ん坊に自分の居場所を取られるようで、口に出しては言いませんが不安なのかもしれません。これまでは、「~しても良いのですか」「~はどうしますか」と大人の口調を真似たがっていたのに最近は甘えた話し方を好むのです。最初は、「子供も苦労があるのかも・・・」と見ないふりをしていたのですが、最近、レッスンの時に、音程の捕らえが微妙に遅くなったことに気づき、「甘えた言葉を使っていると歌が下手になるから、赤ちゃん言葉は禁止!」と言い渡したのです。

幼い子供が一生懸命、話す言葉に幼児音が混じっているのは、健気で可愛いものです。だからと言って、大人まで一緒になって幼児音を話してはいけません。なぜなら、小学校にでも入学する頃には、「きちんと小学生らしく話して欲しい」と思う時期が来るからです。子供にとって、「幼稚園の間は幼児音がかわいいが、小学校では小学生らしく話せ」などというのは無理な注文と言えます。大人の都合で急に直すことはできません。大人は正しい言葉、情報を与え続けなければと思います。

実は、幼児音については私たち家族にも失敗談があるのです。妹がまだ1歳頃だったでしょうか。「好き」という言葉をなぜか「ふき」と言うのです。「ママ、ふき」「パパ、ふき」という具合です。その響きが微笑ましく皆で一緒に「まぁちゃんのこと、ふき?」「ぼくのこともふきでしょ?」と使っていたのです。家族みんなで、からかって「ふき、ふき」と言っていたものですから、「好き」は「ふき」が正しいと覚えてしまいました。それを反省することになったのは、それから何年も後、小学校で「す」の代わりに「ふ」と書いた妹の答案を見つけた時でした。小さい内に覚えたことは深く概念づけられるのです。母が驚いて、「す」が正しいと教えた時の妹の憮然とした顔・・・。物を教える時は最初から正しいことを教えておかなければならないのです。
by k-onkan | 2009-04-28 23:56 | 教育 | Comments(0)

小学校の先生だったの!?

もう大昔のことになりますが、父は一時期、東京都立川市のA小学校で音楽教師を勤めていたことあるのです。ちょうど、私が生まれるか、生まれないかの頃で、祖父の「堅気の職につくべき」という希望に従った結果でした。同僚の女性教師に、「義務教育は専門家を作るところではないので、むきになって教える必要はありませんよ」と常々、言われていたそうです。けれど、当時から、子供を指導することが嫌いではなく、また、音楽に決して妥協をしないことから、情熱をもって取り組んでいただろうと思います。その様子や職員室で浮いている姿は容易に想像できます。
 
e0143522_01131.jpg当時、受け持っていた子供たちが卒業を控えていたため、最後の思い出に謝恩会で何か心に残る演奏をさせたいと考え「禁じられた遊び」を選曲したそうです。「禁じられた遊び」はギターの名曲として知られていますが、それに縦笛や独唱などを加え趣きの変わったアレンジにしたそうです。楽院で勉強した子供たちなら分かると思いますが、「禁じられた遊び」は声域が高く、美声でないと聴き栄えがしない曲で、誰にでも与える曲ではありません。そんな難しい曲に独唱を入れたのにはわけがありました。それは自分の受け持ちのクラスに「こんな美声な子がいるのか」と驚くような声の持ち主がいたからでした。木下先生自身も中学校の音楽の先生に「美声」を認められ「この子を音楽の道に進めなさい」と家まで両親を訪ねた恩師がいたそうです。その小学校で自分も同じように美声の子を見つけ、恩師とわが身を重ねていたのかもしれません。

さて、その子が独唱をすることは、謝恩会当日まで内緒にしておくはずでした。しかし、風のうわさでそれが他の先生にも伝わり、「子供の評価は先生によって違うのですね」とたいへん驚かれたそうです。きっと、その子はあまり目立たず自信のないタイプだったのでしょう。しかし、独唱に選ばれたことで何事にも一生懸命取り組み、見違えるように変化したことで、他の先生はもっと驚きました。

さて、謝恩会の当日、その子が美しいメロディーを自信にあふれた声で響かせると、会場からは「あんなに歌がうまい子だったかしら」とのささやきがもれたといいます。演奏後、少年のお母さんは涙で顔をクシャクシャにして飛んできたそうです。一番驚いたのは校長先生をはじめ、他の先生たちでした。「やはり、教育は指導者ですね。特に音楽のような科目は専門家でないとできませんね」とお世辞ともいえるような賛辞をいただいたそうです。そして、謝恩会の後、校長先生はさかんに父を教師の職に引きとめようと説得されたそうです。しかし、父はその少年の歌う姿から「自分は音楽家だ。小学校の先生になりたいのではない」と数日後に辞表を提出したそうです。

父が小学校に勤めていたのは、短い期間だったと思います。そのまま小学校の先生を続けていたら、現在の木下式の体系は出来上がっていなかったかもしれません。けれど、今でも、子供たちの声を聴き分け、音楽祭の独唱児を選んでいることを考えると、小学校に勤めた経験を生かしているのだろうと思います。人生は長く、その間、いろいろなことが起こるものです。何が正しくて、何が間違っていたかは、その人が人生を終える時まで分からないものなのかもしれない。そんな風に思うのでした。

*私が生まれてもいない時のことを見てきたように書いている理由は、25年前に機関誌「みちびき」(現在の「おんかん」)にこの話を掲載したからです。
by k-onkan | 2009-04-27 23:59 | 教育 | Comments(2)

名選手、名監督にあらず

最近、本屋さんである本を手ににとりました。著者は二人のお嬢さんのために「教育ママ」に徹したお母さんで、娘二人が東京大学に現役合格を果たすまでの教育法を明かした書でした。母親が我が子の能力を伸ばすために、中学受験まで100パーセントつきっきりで自分自身の「ミッション」を「教育ママ」として打ち込んでいるのですから、子供が賢くなるのは当然ですし、結果を出すのも当然だと思える本でした。(「勉強ができる子の育て方」著:江藤真規)

e0143522_2152191.jpgただし、これを「自分でもできるか」と問われたら、ほとんどの人の答えは「NO」であるだろうと思います。なぜなら、たいていの人は自分の時間の全てをわが子の教育ママに徹することができないだろうと思うからです。この本に書かれる「自分から自然に学びたくなるようにする工夫」は素晴らしいことではあります。しかし子供が「嫌がらずに」とか「苦労しない」ということを第一に考えていくと、子供は意識なく能力を身に付けるため、次世代の子供、わが子に同じことは教えられないような気がするのは私だけでしょうか。

「名選手、名監督にあらず」という言葉がありますが、自分ができる人はできない人を指導するのが、難しいようです。反対に、自分ができずに苦労して学んだ人は、その時の試行錯誤が次の人に教える際に役立つのです。そう考えると、木下先生も自分ができなかったことを子供に教えてやりたいという自分のコンプレックスからこの教育法を作りました。それを教えられた私も、決して子供の頃から優等生ではなく、何でも苦労しながら学んだように思います。その分、子供ができない時の理由や気持ちが思い当たることが多いのです。

「子供には苦労させたくない」「わが子に嫌な思いをしたくない」と思う気持ちも分かります。しかし、人生は苦労して学ぶことの方が多く、そうした経験が、本当に自分の身につくようにも感じます。我が子を幸せにするため、勉強好きな子に育てるのは大切なことだと思います。が同時に、その勉強は、「ただの勉強好き」で終わらせないように、それを使って、世の中と関わりあえるようであってほしいと思わせられる本でした。
by k-onkan | 2009-04-26 21:49 | 教育 | Comments(0)

かの国ではないけれど・・・

e0143522_12484465.jpgしばらく前になりますが、宮城県で知る人ぞ知る著名なご住職・佐藤和丸先生からお便りをいただきました。和丸先生は、その昔、木下式を実践する幼稚園の園長をされており、私も子供の頃から知っている方です。今年の2月の音楽祭に、十何年かぶりに足を運んでくださったのです。

「十数年ぶりに「音感っ子たち」の歌声を聞きました。歌はもちろんですが、全員でのカスタネットは驚きをあらたにいたしました。“秘伝”ではなくオープン(公開)された『指導法』というのが凄いとおもいます。そして、その指導法でその子独自の能力(もちあじ)を引き出してもらえるということが各々を生き生きとさせるんだなぁと感じました。」

最近、衛星だかミサイルだかを打ち上げたかの国がありますね。音楽祭で400人におよぶ子たちが一斉にカスタネットを叩いたり、合唱をする姿を見て、木下式が「その国のようだ」と表現した人がいます。確かに、大勢の幼児が一斉に同じリズムをたたいたり、同じメロディーを歌っても、勝手な行動をする子供がいないのを初めて見る人にはそういう風に感じるものなのかもしれません。しかし、その大勢の子供を「一つの集団」と見るのではなく、その中の子供一人ひとりに「独自のもちあじ」をあることを感じ、それを引き出していることにすごいと感じてくれる方があることを嬉しく思いました。

「行き過ぎた管理教育」の話がでると、必ず、木下式も管理教育であると言われます。確かに、子供に違う声を出さないため、私たちは、さまざまなことを管理しています。些細な口の動かし方、口の型、声の出し方や高さ、行儀や姿勢、たった一つを見逃しても、子供が音程を外す可能性が増えてしまうからです。子供たちが「自分は上手だ」と自信を持てるように、指導者は失敗しないように見張っています。そういう意味では木下式は管理教育であり、子供たち一人ひとりの素晴らしい能力を引き出しているのです。これを継続することで、いつしか、本当に子供たち一人ひとりに能力が定着するのです。

管理する上で、一番、たいへんなのは、実はされる子供ではなくする大人です。子供の様子を一挙手一投足を見逃さずに観察しなければなりませんし、子供が間違ったことや危険なことをしないように、上手に導く必要があるのです。木下式の「管理する」とはそういうことなのです。

たとえば、合宿に出かけ、外に出たら私たちは、子供に危険が及ばないために最大限の注意を払います。危険なことをしそうな気配がすれば、何かを起こす前に大声で注意が飛ぶでしょう。「うわぁ~。怒鳴られて可哀相」と思うかもしれませんが、大怪我をして取り返しがつかないことになる方がもっと可哀相です。危険から守るのは、一緒にいる大人の「しなければならない当然のこと」なのです。何かあってから、お説教したり、叱ったり、悲しんだりしてももう遅いのです。子どもが小さい内には、やはり大人の管理は欠かせないと思うのです。
by k-onkan | 2009-04-25 12:47 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

ライオンの部屋、知ってる!?

昔から楽院には「ライオンの部屋」があります。泣いてお母さんを困らせたり、クラスに入ろうとしなかったり、教室の中で反抗して何もしない時に連れていかれる伝説の「説教部屋」です。卒業生は異口同音、「ライオンの部屋に連れていかれるのが本当に怖かった。絶対「ライオンの部屋」はあるのだと信じていた」といいます。純真な子供がそこまで本気で怖がるのが気の毒にも思いますが、子供に怖いものの存在があること、また、その存在を「信じさせられること」が大事なのだと思います。

e0143522_1813566.jpg「ストレスやコンプレックスが卑屈にさせる」という人もいますが、そういうものを乗り越えることで成長するのもまた事実です。人間は極限状態に追い込まれると、従来の能力以上の力を発揮することがあるからです。楽院にも、そういう意味で怖いものが存在し、それが「ライオンの部屋」であり、その部屋の向こうにいる「木下先生」であったりするのです。

卒業生が信じている「ライオンの部屋」ですが、「ここ」という場所があるわけではありません。建物の駐車場に通じる暗い通路まで抱っこで連れていくと、たいていの子は観念して、「ちゃんとやる・・・」と言います。「これ以上、先に進まないで」ということでしょう。

いろいろな子供がいるので、中には観念できない子もいます。過去には木下先生につかみかかる度胸のある子もいて、そういう際には厳しく叱り飛ばされます。大人に向かって手をあげる子は親から善悪の区別を教えられていないことが多いからです。そういう際には、誰であっても近くにいる大人が「悪いことを悪い」と教えなければなりません。「え~?幼児なのに、かわいそう~」と思うかもしれませんが、我が子がよその人から叱られないためには、親が憎まれ役を買ってでも、きちんと躾をすることが愛情なのだと私は思います。

さて、年少の子供たちは、新学期が始まった頃、授業を嫌がって涙を見せるようになります。幼稚園が始まり体力的に疲れるということもありますし、相対的に他の子と比べられ見えないプレッシャーもあるでしょう。それまで、赤ちゃん扱いをされていたのに、幼稚園に入り、お兄(姉)さん扱いされ、赤ちゃんがえりをすることもあります。そうなると、急に母子分離も抵抗を示し、「疲れた。お母さんと離れたくない。帰る」と泣いて駄々をこねることもあるのです。

子供が泣き叫んでいる時はどんなことを言っても耳には入りません。まして学習させようとしても、右から左に通り過ぎるだけです。何も身につきません。一刻も早くまず泣き止ませ落ち着かせることが大切です。子供を泣かせっぱなしにしておくと疲れますし声も枯れてしまいます。良いことは一つもありません。とにかく、抱いて泣き止ませることです。

この騒ぎはお母さんにとっていたたまれないと思います。自分のお腹を痛めた大切な我が子のそんな姿は身を切られる思いがするでしょう。「それ見たことか」と思うお母さんはいないはずです。けれど、ここがお母様の我慢の時です。なぜなら、子供に「お母さんの気持ち」を明確に示す最初のチャンスだからです。子供に「頑張って欲しい」と思っているのか、それとも「泣き続ければ負けて帰るのか」が子供に示し、道理を理解させる強い姿を見せていただくことになります。そこでお母様には姿が見えない場所に隠れていただくのです。たいていの子は、お母様の姿が見えなくなると涙を止めて取り組むのです。それでも泣き続ける子は、平素から涙で自分の思いをとげる子です。道理や理屈ではなく、自分の感情が最優先。そのまま成長すると、幼稚園や小学校の中で集団生活にも溶け込めなくなることもあります。

中には、「お母様が自分をおいて帰るはずがない」と信じない子もいます。そういう時には、その子を抱っこして館内を見て回ります。「ここかな? いるかな? やっぱりいないね。泣かないで頑張ったら、お母さんに電話をしてあげるから頑張ろう」。機嫌をとって優しく言い聞かせ観念する子はいい子です。しかし、いつまでも泣き続けたり、他の子が不安になるほど、癇癪を見せる際には、木下先生のいる職員室に連れていきます。「だれだ?どうした。ちゃんと勉強しなさい」。会ったことのない木下先生に言われると、たいていの子は、「はい」と神妙にして教室に帰ってきます。やはり、大人の道理が理解できる子供に育てることは教育の第一歩です。
by k-onkan | 2009-04-24 18:00 | しつけ | Comments(0)

転ばぬ先の杖!

「前もって用意しておけば失敗が少ないこと」のたとえとして「転ばぬ先の杖」という言葉があります。これは子育てにも言える大切なことです。子供は日々、成長していて、次から次へといろいろなことに興味を持つようになります。危険なことや人に迷惑をかける行為にも、魅了されるのが子供なのです。悪気はありません。お母さんが悲しむとも思っていません。とにかく、何でもやってみたいのです。大事なことは、「やってはいけないこと」を親が事前に知らせたかどうかなのです。やってしまってから、「だめじゃない!」「どうしてそんなことをするの?」と叱っても、子供には何が悪かったかは分かりません。なぜなら、それまで、教えられたことがないのですから。

e0143522_122051.jpg子供に「していいこと」「悪いこと」を教えるために、便利なのが絵本です。子供は本の読み聞かせが大好きなものです。そこで、年齢に合わせメッセージ性のあるものも読んでおくべきだと感じます。子供の本といってあなどることはできません。「ひきょうなことをしない」「親の言うことをきこう」「友達を大切に」「早く寝よう」「ものを大事にしよう」「トイレにいこう」。子供は本に書いてあることを真似たがるので、しつけに関わる大事なことが書かれている絵本はたくさんあります。

大人は、「子供の時くらい、夢のあるもの、美しいものを与えたい」と考えるものです。もちろん、そういうものもたくさん与えてください。けれど、子供が本当に好きな本は、大人が思う以上に刺激的なものだったりもするのも本当です。昔、楽院の本棚に「よるのびょういん」という本がありました。あまりにたくさんの子供が好み、何度も手にとり読んだので、昨年、楽院をリフォームした際に処分しなければならないほど痛んでしまいました。

モノクロ写真で表現される夜の病院は、私たち大人には暗いイメージがあり、「どうして、子供たちはこんな怖い本が好きなのかしら?」と思ったものです。内容はこんな感じです。「朝からおなかが痛いと言っていたゆたか。夜になって高い熱が出た。お父さんは夜勤で勤め先の新聞社に行っている。お母さんは119番で救急車を呼んだ…。夜の病院の緊急手術の様子を写真と文章で描かれています。息つく間もなく話は展開します。最後に、お父さんがやってきて手術が無事に終わる・・・。日常ではなかなか経験できない夜の病院の様子、男の子なら誰もが興味を持つ救急車は、どんな働きをするのか、などなど、子供が知りたいことがその本には凝縮されていたのかもしれません。

長く子供とつきあうと分かることがあります。それは、子供は大人が幻想を抱くほど、純真なだけの存在ではないということです。大人と同じように「怖いもの」を見たい気持ちもありますし、知らない世界への興味もあるのです。本は全ての人にとって、擬似体験をさせてくれるものなのだと思います。そう考えると、説教くさい本も、何かをしてしまう前に与えておく必要を感じます。

今日は年少クラスの授業がありました。学ばせる上での、基本は行儀です。歌を上手に歌わせるためには、まず、集中できること、じっと立てることが大事です。しかし、年少の子供には、とても難しいことなのです。そこで、即興でこんなお話をしました。「あまのじゃくって知っている? あまのじゃくは、何でも言われたことと反対のことをする鬼なのよ。「食べてはいけませんよ」って言われたら食べてしまうし、触ってはだめよと言うと触ったり・・・。ある時、木に登ってはいけませんよと言われたのに登ってしまって、落ちて大怪我をしてしまいました。みんなの中には、あまのじゃくはいない?」「いな~い」「じゃ、先生の目を見てと言ったら見てね。手はピンと言ったらピンとしてね~」「はぁい」。こんな即興のお話でも子供は、自分の行動を省みてくれるのです。

子供が「とりかえしのつかないこと」をしてから「なんで、そんなことをしたの?」と責める前に、どんなに良い子供も、「悪いことをしてしまう可能性がある」と考え、親は先に手を打ってかなければと思います。「勉強ができる子に育てる」「音楽が得意な子にする」「人から一目おかれる能力を身に付けさせる」以上に、人として道を踏み外さないための教育をすることが親の役目だと強く思うからです。
by k-onkan | 2009-04-23 12:20 | しつけ | Comments(0)

めんどうくさくても・・・

「20までの数が分かればいいだけだから・・・」小学校受験を控えた子を持つ同級生からそう聞いたのは数年前のことでした。友人の言葉に反して私は「20までの数を子供に確実に概念づけるのは簡単そうに見えても、とても難しいことだろう」と感じたものです。なぜなら、木下式でも「ドレミファソラシ」とたった7つの音名を正確に概念づけるために、ありとあらゆる方法を駆使しますが、それでも確実な概念づけには長い時間を要するからです。

e0143522_12452616.jpg子供が口で「ドレミファソラシド」と言うことができても、本当にそれぞれの位置や並びを理解しているわけではありません。「ミの次は?」「ソの次は?」「シの下は?」と確認すると間違えることもあります。つまり、暗唱できれば概念づけが成功したと思うのは間違いなのです。数列も音階もそれぞれの基本であり記憶しなければならないことですが、それを学んだら、その世界を広げるため、応用できるように、大人は適切な助言や手助けをすることが不可欠だと感じます。

先日、「足し算や引き算ができるのにお金の数え方を知らない・・・」と父に叱られた甥のために、私は職場の机の中に1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉を持っています。暇な時に甥相手に問題を出して遊んでやるためです。「これはいくら!?」。「う~ん。158円」。1円、5円、10円、小さい数をたくさん混ぜて難しい組み合わせにします。「じゃぁ、こっちのグループと、あっちのグループ、どちらが多いでしょうか?」「う~ん。382円と383円だから、こっち!」

「舌きりすずめ」の話ではありませんが子供は「大きい方、多い方」が好きなものです、けれど、1円玉49個より50円玉1つの方が、価値は高く、これは大人が教えないと理解できることではありません。簡単な問題を与えたり、実際にお金を使う大人の姿を観察していれば1000までの概念は分かるようになるでしょう。そこまで大人が手を貸せば、その先は自分で分かるようになっていくはずです。日々、取り組んだプリントと社会生活に必要な知識が直結する瞬間だと思います。

そうそう、忘れてはいけないことがありました。幼児期の子供は吸収も早いのですが、忘れるのも本当に早いものです。春休み前に毎日、小銭遊びをして「お金の数え方」を教えたつもりでいたのですが、春休みに入院しこともあり、相手をするのを少し休んだらすっかりお金の数え方を忘れていました。始めればすぐに思い出すのですが、やらなければもとの木阿弥です。面倒くさくても、幼児期は能力が確実に定着するまで、継続と反復は欠かせないのは音感教育だけではないのだなぁと確認したのでした。
by k-onkan | 2009-04-22 12:43 | 教育 | Comments(0)

遅れてものんびり!?

木下式で大切なことの一つに「反応の良さ」があります。打てば響くような感性を持つ子を育てたいのです。先生に「このかるたは何だった?」と聞かれれば、間髪をいれずに、「しかられたのシ」と答えさせるのも、「自分から反応しよう!答えよう」とする反応のよさ、感覚を育てるためなのです。聴き分けた音をすぐにノートに書き取らせることも、音が消えてなくなる前に機敏に行動しなければなりません。しかし、最近の子供たちは、急ぐという観念がなく、「親御さんの手がかかりすぎているのかしら?」と驚くこともしばしばあります。しかし、それを放置していては、感覚教育にならなくなってしまうのです。

e0143522_9275763.jpg実は、感覚という面では音楽と運動には通じることが多くあります。音楽にも反射性、運動神経が欠かせず、楽譜を見て瞬間的にその音の場所に手を動したり、リズムに合わせて演奏するためには反射神経が鈍いのは致命的です。一々、「この声を出して、その後に、指を動かして、次の音が・・・」などと頭で考え動いている暇はありません。「一つの音を出している時に、すでに次の音について考え演奏する用意もしている」そして、たいていの場合は、無意識に一瞬で行っているはずです。これは、歌でも楽器でも共通しています。

発声を教える大人の生徒Yさんから、おもしろい話をお聞きしました。それは、子供の時にテニスを学んだ人は、球が飛んでくるタイミングに合わせ、手を後ろに下げ、打つための予備行動が無意識でできる。しかし、大人になってから学んだ人は、打つ前に手を後ろに下げるタイミングをコーチに指摘されないと、自分からは体が動かず上手に球が打てないのだそうです。「テニスも発声も小さい時に身に付ければさほど難しくないのに、大人になって習うとたいへんなのです」と言われましたが、音楽も運動も感覚が求められ、その感覚を簡単に鍛えられるのは幼児期であるということなのだろうと思います。

但し、楽院で私たちが必死になってそれを身に付けさせようとしても、家庭での生活がのんびりしているのは困りものです。楽院で厳しいことを言うのは、1週間にたった一度、それも数時間だけのことです。これ以外の全ての時間をのんびり、勝手気ままに過ごしていると、楽院で求める「反応の良い子、感覚的な子」は育ちません。どんなに自分が遅くて人に迷惑をかけていても、我感せず!では、社会生活に支障をきたします。こういう感覚では音楽活動にも向きませんし、何事に対してもやる気がないように見えます。だからこそ、楽院では、「急ぐこと」を厳しく取り締まるのです。そう思って観察して気がついたことがあるのです。それは、急がない子は、そのご家庭そのものが急ぐ習慣がないということでした。

春休みのことになりますが、入院中の甥のために、妹は朝7時30分までに病院へくるように指示されていました。しかし、一度だけ時間に間に合わず「遅れてしまいます」と電話連絡をした日がありました。もちろん、連絡をしたからと言ってのんびりはできるわけではありません。「1分でも早く到着しなければ」と駅から病院まで一生懸命走り、お腹が張って痛いとこぼしていました。もちろん、妊娠中なので大目に見てくださるでしょうが、だからといって、それに甘えて悠々と歩いていたら、待っている人の心象はよくないでしょう。待たされる子供も心細いので、一刻も早く「来て欲しい」と首を長くしています。その間、よその人にも迷惑をかけているかもしれません。そう考えると、なるべく早く到着しようと努力することはとても大事なことです。そんな話をしていると、妹が「でも、よその人は、連絡をしたらもう急がなくて良いと思うみたいよ。うちの幼稚園は、遅れたら急ぐ、走る。そして、申し訳ない顔をしなさいって指導されて、最初は笑ってしまったjけれど、指導しないと急がない人がいるからなのだと思う」といいます。

子供は親の姿を見て、その通りにするものです。社会に出れば、「時間を守る」ことを求められます。子供の頃に習慣にすれば、なんということもないはずです。親の保護下にあるうちに、最低限、教えておきたい「テキパキ動くこと。意欲を持って取り組むこと」です。些細なことですが、こうしたことが、他の勉強で役に立つことも絶対にあると思うのです。
by k-onkan | 2009-04-21 09:27 | しつけ | Comments(0)