麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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教えられる幸せがある

最近、乙武洋匡氏の「だから、僕は学校へ行く!(講談社)」という本を読み、たいへん感激しました。乙武氏が公立小学校に通って直面した「公立小学校」の「ジレンマ」に正面から立ち向かう姿が心を打ったのでしょう。

e0143522_0503121.jpg楽院は木下先生の「教育は情熱をもってすべき」という教えによって、子供たちの指導にあたることができます。ところが、公立小学校には、私たちには理解できない「ルール」や「決まりごと」があり、どんなに「情熱を持って教えたい」と思う先生でも、公立にいる限り、それをできない「見えない力」が存在すると感じます。教育の現場にありながら、「情熱を持って教育をしない先生」の存在が信じられませんでした。

そのため、乙武氏が区立の小学校に通うと聞いた時、「この人も公立小学校の先生と同じになってしまうのか・・・。なぜ、自由に教えられる私立の小学校に行かなかったのか・・・」と残念に思ったものでした。しかし、本を読み進める内に、いろいろな問題を解き明かしながら、自分の考えをしっかり持ち続ける姿に、「やはり、真剣に教育について考えていることに感激したのです。

この本の中に、「叩いてはいけない」という章があるのですが、その中で、小学校の高学年の頃、自分がクラスメートと共にある女の子をからかったことが書かれていました。今でいう「イジメ」です。その時に、当時の担任の先生が悪さに参加した男子全員にビンタを張ったそうです。体に不自由がある乙武さんも特別扱いせず、同じ強さで叩いたそうです。体が小さい分、車椅子から吹き飛んだといいますが、「その痛みで、初めてからかった女の子の心の痛みを知った。その後、もう誰もその子をいじめる人はいなかった。あの時、口で「だめだよ」と諭されただけでは、僕たちは悪乗りを止められなかったのではないか。叩かれて初めてわかることもある・・・」。

ところが、公立では、何がなんでも「体罰」はいけないのです。なぜなら、「教室は子供が安心して通える場所でなければならない。だから体罰はいけない」。忘れ物をしても、ものを壊しても、人を傷つけても、叩いてはいけない。クラスから追い出してもいけない。廊下に立たせてもいけない。大声で叱ることもいけない。なぜなら、子供の心を傷つける可能性があるから・・・。しかし、そのリスクを心配しすぎて、選択肢を失ってはいないか・・・。乙武氏の冷静な目がすごいのです。そして、問題は「体罰」だけではなく、さまざまなことが教育の妨げになっているようです。

この本を読んで、私は小学校の先生に少し同情的になったように感じます。小学校の先生が、クラス全員に等しい能力を身につけさせるのは、不可能でしょう。なぜなら、教科書には多くの単元があり、それぞれの子供に能力差もあるのです。その上、叱ってはいけない。大きな声を出すこともいけない。そんな中で、全員に同じ能力をつけさせるのは不可能です。学校で優秀だと評価される子は、よほど勉強好きか、教育熱心なお母さんがいるか、塾に通える経済的な余裕のある子に限定されるのも当然といえば、当然なのです。

私たちが、「音感かるた」を使って、預かった子供たち全員に「歌唱力」と「音感」をつけるべく、時に厳しく、時に優しく、情熱を傾け教育に取り組める環境にあるのは、とても幸せなことなのです。「音感かるた」で言葉作りをして歌唱曲を教え、その後に、「かるた取り」をする。「音符書き」も「音符読み」も、皆「音感かるた」と関連があるのです。幼児たちは同じ事柄を幾重にも教わることで、「以前、記憶した事柄」を引っ張り出し、新たな課題と合致させたり比較することで、頭の使い方まで教えられるのです。このことを世の中の人にもっと知られるようにしなければと思っているのです。
by k-onkan | 2010-03-31 00:49 | 教育 | Comments(0)

普通の子じゃない!?

木下式は音楽教育なのに、なぜ「しつけ」や「行儀」をこんなにうるさく言うか疑問に思ったことはありませんか。しかし、木下式が音楽能力で効果をあげる最大の理由は、この「躾の厳しさにあるのです。

e0143522_2357467.jpg私たちが子供の頃、おけいこごとや学校の先生に従うという「物を学ぶ上のルールや礼儀」がありました。おけいこごとで「怖い先生」と言ったら、私は、一番最初に「ピアノの先生」をあげるでしょう。十分な練習をせずに、レッスンに出かけようものならば、「練習してこない人を見るような無駄な時間はない」とすぐに追い返されたものです。そして、家に帰れば、「先生にそんな失礼なことをするなんて・・・」と叱られるのは子供でした。

ところが、今、練習してこない子供を追い返したりしようものなら、「月謝を払っているのだから、うちの子供に教える義務がある。追い返した分のレッスン料を返金してください」。などと言う親御さんもいるかもしれません。専門的なことについて教えを請うことと、サービスを受けることは、異なるのですが、最近は、教育もサービス業と同じ扱いになってしまったようです。子供は、家庭でも、学校でも、自由意志を尊重されています。これでは、教える先生がどんなに素晴らしい「専門知識と技術」を持ってしても、おけいこごとに成果は出ないでしょう。「ぼくはやりたくない」と子供が言えば、レッスンは、そこでおしまいです。

木下式は保護者からお預かりしたお子さんに、音感教育で成果をあげさせることが一番大切であると考えています。そのため、子供が「やりたくない」といっても、それは通用しないことから知らせます。一つずつ、善悪の区別やおけいこごとのルールを教えることが、真面目に取り組むことにつながるのです。

木下式の音楽会を見学した方は、年齢が幼い幼児が舞台で行儀良く、一生懸命、歌う姿にとても驚かれます。中には「北朝鮮のよう」と褒め言葉とは思えない感心の仕方をする方もあるほどです。しかし、子供たちは、「きちんとすべき時に、きちんとする」という当たり前のことをしているだけに過ぎません。つまり、好ましい姿勢を教えられたその結果なのです。

その証拠に、4歳から中学生までの幅広い年齢層の子供たちを集めて、特別練習をすると、よく分かります。練習中は、一生懸命取り組みますが、ちょっと隙を見つけると、隣の子にちょっかいを出したり、おしゃべりしたり、公園にいる子供たちと変わらない様子になります。そんな子供たちの姿を見た幼児部の保護者は、最初とても驚くのです。「舞台ではあんなに立派なのに、こんなに普通の子たちだったのね・・・」と。

「オンとオフの切り替えができること」。これが木下式を学ぶ子供と、世間一般で「優秀な子」と言う子供たちと違うところかもしれません。幼児教育は、子供を必要以上に、小利口に見せたり、優秀な仮面をかぶらせるためにあるものではありません。一番大事なことは、将来、大人の手を借りずに、独り立ちできる人間に育てること。そのために、「子供らしい時間」を持つことも大事なことです。そして、聴音や歌でどんなに難しいことができるようになっても、まだ幼稚園、小学生の子供たちです。精神的にも未熟な面がたくさんあります。私たち、大人は、それぞれの子供が克服すべき課題を捜し、それを乗り越える手伝いをして、少しずつ外の世界へと送り出しているに過ぎないのかもしれません。
by k-onkan | 2010-03-30 23:56 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

母国語を大事に・・・

「自分の子供には英語が話せるようにしたい」という親御さんの希望を耳にします。しかし、わが子に「正しい日本語を身につけて欲しい」と希望する人はいないのです。なぜなら、日本の国に生まれ、日本人の両親の下で育てば、誰でも日本語を話せるようになるのが当たり前と思うからでしょう。ところが、私たち日本人の全てが、美しい発音と正しい文法で日本語を話しているかというと、実はそうでもないのです

e0143522_22582172.jpg日本語のネイティブスピーカーである私たち日本人の発音は訓練を受けた人以外は、美しくないという事実に目を向けなければと思うのです。わが子に「外国語を身につけて欲しい」と思うなら、わが子の母国語、つまり、日本語力に目を向けなければと感じます。なぜなら、外国語の基本は母国語だからです。母国語にセンスがない人が、外国語に対してだけセンスが良くなるとは、私はどうしても思えません。

昔から、日本人は、リスニングが苦手とされていますが、「文法」と「読解力」は長けていました。これは、「受験英語」で詰め込まれた賜物でもありますが、昔は、日本語教育がもっと丁寧に行われていたと記憶しています。しかし、「グローバルな世界で英会話もできない日本人は恥ずかしい」といって、日本語教育よりも英語教育に目を向けています。これでは、母国語も外国語もいい加減な人が増えてしまうように思うのです。幼児期から英語を勉強することで、欧米人のような発音は身につくでしょうが、文法や語彙が少ない、つまり、知識や教養を感じられない英会話をする人が量産されても、活躍する人はあまりいないだろうと思います。なぜなら、世界の舞台で活躍している日本人は、英語以上に日本語力に長けていると感じます。

乳幼児の子供を持つ親御さんなら、きちんと正しい日本語によって、なるべくたくさん言葉を話かけていただきたいと思います。もちろん、何歳でも、正しい日本語で話すことは重要ですが、乳幼児に対する言葉がけが減少して、幼児が口を開く時期が遅くなっているのではと感じるのです。

最近、「2歳になっても言葉が出ない子には、知的障害を疑え」という衝撃的な本が出版されたといいます。しかし、私は、2歳になって言葉が出ない時は、病院に駆け込む前に、まず「親が十分に言葉がけをしてきたか」「本の読み聞かせを日々、行ってきたか」を考えるべきではと思います。もしかして、「子供がビデオを見せると機嫌が良くなるから」と、長時間、見せたりしなかったでしょうか。テレビから流れる言葉からは言語力は身につきません。

昔は、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが、「ほら、おっぱいよ」「おむつ、かえましょうね」と話しかける微笑ましい姿をよく見かけました。ところが、今は、お母さんと子供が一緒にいても、一言も口を聞かない姿を見かけます。相手が口をきかないため、「話しかけること」が馬鹿らしく思えるかもしれませんが、乳幼児はお母さんの言葉を聴いて語彙を貯め、日本語を学んでいるのです。おしゃべり上手な子が、賢いのは、十分な親の語りかけによって、子供に充足感と愛情が与えられて。それだけ、言葉に対しての理解も高くなるのだろうと思います。

さて、音楽教育の木下式が、日本語の美しさにこだわるのは、理由があります。子供に、ピアノと同じ高さの声を出させるには、母音「アエイオウ」をはっきり鮮明にしなければならないからです。音程を作り出しているのが母音だからです。これを鮮明にするには、口の回転を速くする必要があります。これを言葉の具現化と呼びますが、口の回転と頭の回転と関係があります。口が速く回る子供は頭の回転も速く、歌う際にも、瞬時に鮮明な音声を表現します。同時に、音程を捉えるのも俊敏になります。音を捉えるのが速い子供は、音感能力も鋭敏になるからです。木下式が、まず、音感かるたで言語訓練をする理由はここにあるのです。
by k-onkan | 2010-03-29 22:56 | 教育 | Comments(0)

抑制力がない時もある・・・

甥Yと共に三重県津市の講演を終え新幹線で戻る頃、私の堪忍袋の緒がついに切れました。「ちょっと、いい加減にしなさい。ダメと言ったことはダメなのよ!」と低くて怖い声で一撃を与えます。それは、甥が何度目かに、必要もないのに新幹線のゴミ箱のふたに手を伸ばして触れようとした時のことでした。甥Yは、講習会や音楽会で、直立不動で音感能力を公開したり、歌を披露する「おりこうそうな姿」とは別に年齢相応の「いたずら坊主」の姿を持っています。いえ、そちらの姿がほとんどの時間を占めているかもしれません。

e0143522_9193460.jpg男の子はいろいろなものに興味があり、新しいものを見ると触ったり、動かしたりする生き物です。反対に女の子は、動くものより美しいもの、きれいなものの方を好む傾向があるので、男の子ほどいたずらはしませんし、一度、「ダメ」と言えば、他の物も同じという理解力を持っています。

男の子が好奇心旺盛であることは、とても重要なことです。なぜなら、それが男が深く物事を追求して専門的な知識を身に付ける原動力となるからです。私も男の子の好奇心のすべてを規制しようとは思ませんが、新幹線のトイレ便器の蓋が自動で上がり下がりするボタンを何度も押したり、ペットボトルを捨てるゴミ箱の蓋がバネの力で自然に戻ってくると知ると、捨てるものもないのに何度も手をつっこんだり・・・。新幹線の自動ドアにセンサーがあると分かると、何度も近くに寄り、頭上の「ランプが赤く光った時が開く合図」ということまで解明してくると、止めないわけにはいきません。好奇心からとはいえ、ドア近くに座る人にはたいへん迷惑な話なのですから。また、泣きわめいたり、走り回ったりしなくても、車内に子供がいるだけでわずらわしいと感じる人がいるのも事実です。

旅も終わりに近づいています。これ以上、余計なことをさせるわけにはいきません。ちょうど、その日の講演で「叱り上手になる」と言うテーマで、「子供の誤りや悪いことを見つけたら、その場ですぐに注意しましょう。子供が何度も同じようなことをする責任は、実は大人の指導力の無さ、抑制力の無さにあります。「うちの子供はいうことをきかない」と子供を責めるのではなく、指示の出し方を反省する時かもしれません。また、大人の都合で叱ったり叱らなかったりすると、子供はその人を尊敬できなくなります。叱る大人にルールが必要です」と話したばかりです。

実は、甥が「余計なもの」に触り、私が「ダメよ」と声をかけても聞かなくなったのは、前日の夜、ホテルで食事をした時にはもう始まっていました。つまり、旅行中の私には「抑制力がない」証拠です。そして、そこには、まさしく「大人の都合」が存在していました。それは、家業とはいえ、「お父さんと遊べる土曜日」に私の仕事につき合わせている」という負い目によるものでしょう。一緒にいる間、なるべく気持ちよく行動を共にしてくれるよう、母親なら「水」を与えるところを、「オレンジジュース」で甘やかすこともお見通しです。

無事に講演も終わった今、これ以上、調子にのせるわけにはいきません。男の子特有の好奇心も十分に満たしたはずです。そろそろ、音感の授業中であろうが、旅行中であろうが、「私がダメと言ったら、ダメ」ということを思い出させておかなければ!!「ちょっと、いい加減にしなさい!!音楽会の舞台袖にいろいろな機械があるでしょ?どんなに面白そうでも、舞台のものに勝手に触ると、舞台がくずれたりしては危ないから、「絶対に触ってはいけない」って教えているでしょ? 新幹線だって同じよ。新幹線についているものは備品と言って、新幹線のものなの。それを壊したら、壊した人が弁償するのよ!!Yはそのお金が払えるの?」この話には甥は相当びっくりしたようです。ちょうど、もうすぐ到着予定の「新横浜駅」で「線路内に人が進入して新幹線と接触。最大30分の遅れ」という情報が表示された後だったので、「さっき、線路に入って新幹線に接れた人がいるって掲示板に出たでしょ?新幹線に触って、新幹線が遅れても罰金はあるのよ」。

平素、Yはお手伝いをすると小銭をもらって、貯金箱に入れています。しかし、よその家庭と違うことがあるのです。それは、「大人は税金を払っているのに、子供の貯金だけ増え続けるなんておかしい!」という瑠音先生の考えで、「自分の部屋を片付けない」と「罰金」が適用されています。「新幹線」に払う罰金は、母親が取りあげる10円、100円とは桁違いであることは分かったようです。

急に静かになった甥がポツリといいます。「あぁ、早く、お母さんたちに会いたくなっちゃった・・・」。私が厳しくなったからホームシックになったのか、どうせ厳しいなら、「生みの母が一番!」と思ったかは分かりませんが、子供というものは本当によく大人を観察する生き物です。最低限、子供くらいの観察眼を持ちたいものと感じる出来事だったのです。
by k-onkan | 2010-03-28 09:19 | 幼児 | Comments(0)

話術も勉強しなくちゃ!

今日は、三重県津市で「木下式を通して学ぶ音感教育と子育て」というテーマで講演を行ってきました。津市からかなり遠い伊勢や四日市、桑名からも、ピアノの先生、声楽の先生、小学校の先生、特別支援教室の先生、リトミックを教える方、そして、子育て中のご両親、等などにご参加いただきました。

e0143522_17161355.jpg私は、ふだんから、木下式を教える幼稚園、保育園の教諭を前に講習会をしたり、音楽祭の舞台上で、解説をしたりはしていますが、木下式を全く知らない方にお話をする機会はあまりないため、「誰が聞いても分かりやすくまとめること」の難しさを勉強させていただきました。

講演の1週間前に原稿が書き上がったので、まず、瑠音先生に読んでもらうことにしました。平素、わが子が通う幼稚園でいろいろな講演を聞いたり、たくさんのママ友達がいる分、私より社会に順応していると思うので、こんな時は、年下でもちゃんと耳を傾けようと思っているのですが、いきなり、赤いペンで、「言いたいこと、伝えたいことが多すぎて、結局、誰に何を言いたいか、よく分からない感じがする。もっとまとめないと、話の流れが悪い!」と赤ペン先生のように、注意事項が箇条書きされて机の上においてありました。

5日間にわたる三期講習会の合間をぬってまとめ直して、再提出です。すると「ずいぶん良くなったと思うけれど・・・」と前置きに褒め言葉が出ます。こういう時は、木下式では絶対に何かあるのです。「整理されてすっきりした分、サラッとして、熱い思いが伝わらなくなったかも。もっと熱く訴えた方が良いとおもう!」「流れよくの後は、もっと熱く?」と怒ってしまいそうですが、本当に親切な人は、「言いにくいことや本当のことを言ってくれる人」だという母の教えなので、アドバイスには耳を傾けます。

講演内容は、父木下達也が、私のために考案した木下式の説明を交えながら、なぜ、木下式をすると音楽以外の能力が向上するか、躾がどれだけ大事であるかなどもお話しました。また、木下式の授業風景を披露するため、小西教室のお子さんに協力していただき、「音感かるた」による連合学習を披露しました。また、木下式の手法を使って、音楽とは関係ない子育てやしつけ面に用いる叱り方、褒め方、教え方なども身近な事柄を例にお話したのです。

木下式の講演で欠かせないのが、「木下式で育った子供」の存在です。子供がいると説明もしやすく、会場も和むため、今回も甥Yを同行しました。その中で、Yに気の毒な場面がありました。それは、木下式の「先導理論」を使って、一般の言葉を教える実験をした時のことです。あまり、上手にできると嘘に見えるので、何も知らせず壇上にのせ、私の言葉を理解させ、模倣させることにしたので、なるべく、Yに馴染みない単語を探すことにしました。

ちょうど、数ヶ月前に、池上彰氏の「これが「週間こどもニュース」だ」という文庫本に、「子供にニュースを理解させるのが、いかにたいへんであるか。しかし、子供に理解させられれば、どんな人も理解させられる」。そう書かれていたことを思い出し、数年前に問題になった「サブプライムローン」と言う単語を木下式の「断定・連想・思考」という3種の用語で説明することにしました。

「アメリカという国で、お金があまりない人や信用が薄い人にも、「貸してあげるから家を建てなさい」とローン会社がお金を貸す制度がありました。これを「サブプライムローン」といいます。じゃぁ、サブプライムローンと言おう。サブプライムローン、ハイ !<断定用語>→アメリカで、お金がなくても家を建てるためのお金を貸す制度は、「サブ・・・?なんだった?<連想用語>→思考:お金がなくても家を建てるためにお金を貸す制度は、何だった?<思考用語>」

大人には物足りないとですが、6歳の子供の知的欲求を満たす程度には説明できていると思います。どんな難しいことも、木下式の説明で受け止めさせられるのです。しかし、外来語を選んだことによって、母音をはっきり言わせる木下式の言い方だと「ン」が「ム」に聞こえてしまうようなのです。甥は、よく通る声で「サブプライムローム」と一生懸命言っています。会場の方に、「やらせ」でないことが分かり微笑ましい空気が流れたのですが、甥を人前で失敗させると、自分の失態に突然、涙をこぼしたりする幼い面があるため、私の方が肝を冷やしてしまいました。次に講演をする時には、難しくても、語尾まではっきりと受け止めやすい日本語の単語にしようと、私も学ぶことになりました。
by k-onkan | 2010-03-27 17:15 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

不適切な関係ってなぁに!?

最近のニュースで、区立の小学校長が保護者と不適切な関係になって、懲戒免職になった事件がありました。そのニュースが流れた次の日、瑠音先生がポツリ「こういうのが、一番、困るのよ」と言います。それは、大人と一緒にテレビ番組を見る甥が、「これってどういう意味?」や、「これって、○○と同じってこと?」と尋ねることがあるからなのです。子供は、自分の知る言葉や知識を用いて、世の中で起きていることを、「知ろう、知ろう」とします。その時、「子供にだけは知らせたくない話」が存在することが困るのです。

e0143522_22737100.jpg多少、知恵がついたとはいえ、Yは男の子なので、まだまだ幼い面をたくさん持ち合わせています。母が心配するほど、「不適切な関係」という言葉に耳が向かなかったようです。しかし、職員室にいる私たちは、万が一、子供に聞かれたら、「どうやって説明するか?」に頭を抱えてしまいました。ちなみに私は、「ちょっと無理があるけれど「校長先生が、一人のお母さんと特別仲良くなってしまった」?」。そう言うと「子供なら、「仲良くして」何がいけないの?って疑問に思うでしょ?」と瑠音先生。子供の知らない事柄は、「全先導で教えよ」とする木下式であっても、子供に教えたくない出来事を教える手法はないということなのです。

子供がテレビニュースを見て、「それってどういうこと?」と聞かれた時に、聞かれた方が恥ずかしくて説明できないような事件を起こして欲しくないと思うのです。特に、学校の先生や警察官など、他人に抑制力を発揮する職に従事する人にはなおさらです。校長と保護者の不適切な関係に始まり、靴の先にカメラを仕込んで盗撮してつかまったり・・・。一体、この国は、どこへ向かっていくのでしょうか。
by k-onkan | 2010-03-26 22:03 | 児童 | Comments(0)

何でもみんなと同じは無理!

親なら誰でも、わが子の幸せを一番に願うものです。そのため、よその子供が持っているものは、自分の子供にも同じように与えてやりたいでしょう。クラスの他の子供が通っているおけいこには、自分の子供も通わせてやりたいと思いますし、他の子供が携帯やゲームを持っていたら、自分の子供にも同じように与えてやりたいでしょう。自分の子供だけ、健康に不備があれば、他の子をうらやんでしまうかもしれません。しかし、人はそれぞれ、異なり、「何でも皆と同じ」は無理なことを子供に教えなければならない時期が必ずきます。その時、まず、最初に納得し受け入れるべきは、他ならない大人なのかもしれないと感じます。

e0143522_2101528.jpg今でこそ、不便を感じない程度に治ってきましたが、甥Yが斜視で手術を受けたのは、ちょうど1年前の春休みのことでした。当時、小児病棟で出会った可愛い坊やのことや、入院する際の病室についてなどを、ブログに書いたことを覚えています。しかし、治療中の「目」については触れられませんでした。それは、手術前、Yから「どうして他の人はまっすぐなのに、ボクの目だけ曲がって生まれてきたんだろう?」と聞かれ、私たち大人の方がショックを受けたからでもありました。

私たちも、一般の親御さんのように、「皆と同じように健康な目を与えてやりたかった」と思わないわけではありません。しかし、「目が悪くて可愛そう・・・」と一度でも、口に出せば、子供が「自分はかわいそうなのだ」と思い、「可愛そうだからいくらわがまましても良い」と思わせることもあります。しかし、人生「どうしようもないこと」は多々あり、その都度、人のせいにしたり、苛立ちを他人にぶつける習慣などを許したら、将来、不幸になるのは本人です。瑠音先生も、「目が悪くて不憫だ」と思っていないわけではありません。しかし、「目が悪くて、かわいそうだったね・・・」など、口にしたら惨めなのは本人です。また、知恵のある子なら、「可愛そうだから、いいでしょ?」と弱みに付け込んでしまうこともあります。

実は、私自身にも同じような経験があります。私には、生まれつき半身に「赤痣」がありました。小学校に入ると、クラスメートのお母様から「それはどうしたの?うちの子供にうつるのではない?」など、心ないことを聞かれたものでした。それでも、まゆみ先生は決して私に「かわいそう」などとは言いませんでした。世の中には、もっと可愛そうな病気の人もいて、「かわいそうなんかじゃない」と言い聞かされていたものです。但し、弟がこれを喧嘩の種にしたり、からかったりすることは、「人間として、してはいけない」と厳しく取り締まっていましたが・・・。そのためでしょうか。よそのお母さまに「可愛そうに・・・・」との言葉を与えられると、そこに優しさより「自分の子供はこうでなくて良かった」というニュアンスを感じてしまったものでした。

さて、入院前は心配しましたが、小児病棟にはいろいろなお子さんがいて、「斜視の手術の心配をしたことが申し訳ないと感じるほどでした。健康な子供ばかりの中ではかわいそうでも、小児病棟では、「たいしたことない」部類に入るということを、入院生活という社会勉強から知らされたのです。子供を持つ親や、その子供本人も、とかく、「自分」のことだけを基準に考え、「もっともっと」と願ってしまいます。そんな時には、周りに目を向ける社会勉強が必要な時期かもしれないと思うのです。
by k-onkan | 2010-03-25 02:09 | 教育 | Comments(0)

日本人の美徳

私たち、日本人には、「謙遜」という美徳があります。他人さまから「素晴らしいですね」と言われたときに、「いえいえ、それほどでもありません」という、あれです。若い頃、アメリカに暮らした時、人から「素晴らしい」と褒められても、なかなか、アメリカ人のように「自分でも素晴らしいと思っている。誇りに思う」等とは言えないものでした。どんなに言語を学んでも文化的な異なりは、慣れないということかもしれません。

e0143522_8485416.jpg最近、6歳の甥Yが、「謙遜」するのを見かけるようになりました。謙遜というより、自分の能力を相対的に比較できるようになっただけかもしれませんが、「すごいわね」と褒めると、、「そんなことないよ。ふつうだよ。ぼくのクラスには、もっと上手にできるお友達がいるよ」。大人の賛辞によって、100パーセント安心したり納得できる時期は終わったのかもしれません。

そんな甥ですが、数年前には、こんなことを言っていたものでした。「どうして、よその人が「Yくんはおりこうですね」と言った時に、まぁちゃんは、「いえいえ・・・、そんなことはありません」っていうの?」。講習会などで、大勢の人に音感や歌唱の能力を見せる機会が多いため、お褒めの言葉をかけられた時のことを言っているのでしょう。私は「日本語には「謙遜」という美徳があって、自分から「おりこうでしょう?すごいでしょう」とは言わないものなのよ。でも、言わなくても、Yがおりこうになったと思っているわよ」。そういうと、「だったら、「褒めてくれてありがとう」って言えば?」。今から、1年以上前のことだと思うので、もっと幼い語り口調でしたが、そんな内容を指摘されました。

これには、「1本とられた!」と思いました。なぜなら、甥の身内である私には、「木下式で素晴らしい能力が身につく」と甥を見せても、どこかに、「まだまだ、ここがダメ!」とか「もっとすごい能力にしなくちゃ!」と反省や気負いなどの感情があって、「いえいえ、そんなことはありません」と言ってしまったのです。

でも、確かにYの言うとおりなのです。私たちが、お母様に「○○ちゃん、上手になりましたね?」と褒めた時に、「おかげさまで」とお母様が言われると、その子供は誇らしげですが、「歌は上手になりましたがピアノは全然、言うことを聞かなくて・・・」と否定的な言葉が返ってくると、せっかく褒められても、子供の顔が急に曇ります。

お母様の気持ちはよく分かります。子供は未熟で、改善しなければならないところがたくさんあるのでしょう。けれど、子供の「良いところ」は「良い」として、きちんと褒め認めていかないと、「どうせ、やっても、お母さんは、認めてくれないでしょ?」と期待に応える努力さえやめてしまうかもしれません。わが子であっても、いえ、わが子だからこそ、「良いところ」を「良い」と公正な目で認めてやってください。その上で、「いけないこと」があれば「いけない」と教えることなのだろうと思うのです。
by k-onkan | 2010-03-24 08:47 | 児童 | Comments(0)

亭助の功に感謝して・・・

講習会の中日、受講生の方が夢と希望を持てる出来事がありました。それは、これまで8年間、木下先生から叱咤激励されてきた三重県のK先生に、ついに認定講師の証が手渡されました。合わせて、木下先生からの送る言葉もみんなの前で読み上げられました。初めて出会った8年前の状態に始まり、これまで、いかに厳しく指導したかも語られました。

e0143522_6122094.jpg木下先生は、自分の理論体系を持って臨めば、どんな人でも100パーセント、素晴らしい姿に変貌させる自信があります。ところが、K先生だけはそんな簡単にはいきませんでした。木下先生は姿を見る度に、「これでもか・・・」と厳しく指導し、「やっと教えた甲斐があった」と胸をなで下ろすと、次の回にあまた同じようにひどいことを言いながら指導する、それでも決してあきらめずにK先生が勉強されたのです。

「K先生にはこれまで嫌なことばかり言ってきましたが、先生の魅力は心がとても良いところです。穏やかで笑みを絶やさず人を憎まず、そしてとても謙虚です。また、いつまでも、自己を磨き続けようとする姿はとても立派です。心から尊敬します。人間、死ぬまで勉強です。まだまだ音楽的にいろんな壁にぶつかることでしょう。それでも、頑張り続けることが、輝き続けることになるのです。今日は、これまでのあなたの努力に対して、心から喜んで認定講師の証を授与したいと思います。そして、これを受け取ったらすぐ、これまで「内助の功」、いえ「亭助の功(?)」で支えてこられたご主人によき報告をしてください」。
by k-onkan | 2010-03-23 23:55 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

声を出せ!口を開け!

三期講習会が始まりました。今年の新卒の先生は、義務教育の全てを「ゆとり教育」で育てられた人たちだそうです。「ゆとり教育」で育とうが、幼稚園の子供たちにとって、「先生」は「先生」です。その責任を果たさなければなりませんし、そんな言い訳をゆるす「木下式」ではありませんが、この20年、毎年少しづつ、講習会にくる先生が「大人らしくなくなっている」と感じていました。これは、「自分が歳をとったから」だけではないように思えます。

e0143522_9314799.jpg難しい理論の講義は、分からないことがあり反応できなくても、当然です。しかし、日常のたとえ話や、冗談さえ通じなくなっているのです。元来、「ゆとり教育」などに頓着しない木下先生ですが、持ち前の感性によって、「この言い方では分からないだろう」「もっと簡単な説明にしなければ、あの顔はダメだ。分かっていない・・・」。そんなことから、最近、いろいろな原稿を更に分かりやすく改編していたのです。

さて、ゆとり教育やのびのび教育によって育った大人は、私から見ると、「ちっとものびのびしていない」と感じます。個性を尊重され、のびのびと好きなことをして、勉強も詰め込まれないように育っているはずなのに、のびのびするどころか、不安で縮こまっています。これから、社会に出て何が起こるのか、全く想定外という様子です。

手前味噌かもしれませんが、講習会でみなの手本として、前に立たされる年長の甥Yの方が、自信に満ち溢れています。これは、音感教育だけでなく、小さな頃から、「親がいなくても、生きていけるよう」にいろいろな知識を与えられた結果、年齢相応の発表能力と、自分に対して「これは、できる」「これはできない」と冷静に分かっているための自信です。小さな頃から、「もっと、おりこうになるように」といろいろなことを詰め込まれ、「毎日、決まったことは必ずやりなさい」と育てられた甥Yの方が生きる力に溢れ、のびのびとしている、これを「ゆとり教育」を採り入れた偉い人に知って欲しい、と思うのです。

でもその差は、甥が特別に賢いということではありません。ただ、「きちんとしたこと」を教えられたことがあるか、教えられたことがないか、だけの違いなのだろうと感じます。木下式には、幼児に対して未知の事柄に対して、必ず、大人が全先導によって正しい事柄を教え、幼児に力ついてきたら、徐々に手杖を外して、最終的には、自分で考えられるようにすることを鉄則とする「先導理論」があります。落ちこぼれを出さないための教育的配慮です。

しかし、ゆとり教育世代は、暖かい手杖によって知らせる「全先導」もなくして、ただ自由にさせられてしまったと言えるかもしれません。そう考えると、成人した先生たちも、木下式を通して「全先導」から手取り足取り教えなければと感じます。木下式のすごいところは、どんな状態の人でも、必ず、大きな変化を遂げさせる「底上げ力」にあるそうですから。大人だって変化させてみようじゃありませんか。
by k-onkan | 2010-03-22 09:31 | 教育 | Comments(0)