麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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親もおけいこに興味を!

子供のピアノの練習について、悩みを抱えているお母さんは多いと思います。ピアノを習っていると、何度か直面する困難がありますが、早い時期におとずれるのが、「指をくぐらせること」を習った時であったと自分の幼い頃のことを思い出します。

e0143522_91537.jpgそれまでは、音にたとえるとドからソまでという5度の音域の中の曲を学ぶため、5本の指のそれぞれが5つの音にあてはまりました。つまり、深く考えなくても、鍵盤に一番近いところにある指が音を弾けば、正しいことが弾けたのです。ところが、5つの音で作られた曲が面白いはずはなく上達に合わせて使う音を増やす課題が出てきます。簡単に言うと、低いドから高いドまでというオクターブを使う曲の登場です。

音は8つに増えても指は5本しかありません。そこで、同じ指を2回使う「ハ長調の音階」を勉強します。この時、2回使う指は絶対に決まっています。親指からはじめると、3つの音を弾き4つ目で、親指をくぐらせ「12312345」と8つの音を5本の指で弾くのです。ただし、左手は小指から始まるので、「54321321」となります。さかさまにしただけで単純に見えますが、弾く方はたいへんです。なぜなら、指をくぐらせる時が異なるからです。つまり、同じ音を両手で弾くために、両手は違うことをするのです。これを頭で理解して弾けるようになるには、何度も何度も繰り返して体得するまで練習が必要です。今思い出すと、何度やっても間違えるため、幼稚園児であった私は、「ずっと5本の指だけを使う曲でいい・・・」と優しかった先生に申し上げたような気がします。

歌の練習で指使いに匹敵するのが、口型作りです。それが遅れると音の捉えも遅くなり音程を外したりします。そのため、合唱練習では、毎回、「セレヘメケテエネレ」「オトモロコホノトソ」と「カマヤラハアタサナ」という訓練を行い、それぞれが「エ」「オ」「ア」の口型であることを教えているのですが、それでも、いざ、歌唱となると、好き勝手な形で歌う子もいます。すると、やはり違う声や、違う響きになるのです。こうした子は、きっとピアノの練習でも、指使いを直さないだろうと想像できます。

こうした基本ができていないと、先々、とても困ります。素直に間違いを正せることが、どんなおけいこごとでも、上達の近道です。教本が先に進むことより、その時々、学ぶべきことを吸収することなのです。ところが、子供には「頭を使ってじっくり取り組むべき課題」は単純に見えてしまい、おざなりにしがちな課題なのです。できれば、大人が見張ってでもやらせなければならない事柄なのですが・・・。

一番困るのは、なんとなく曲の雰囲気だけ楽しんでたくさん練習してしまう子です。指使いもリズムも調合も作曲者の意図とは全く違うのに、平気で回数を練習してきます。ちょうど、幼ない子がピアノの前で自分で作っためちゃくちゃな曲を楽しむようなものかもしれません。毎日、それを聞かされるお母さまに、音楽勉強の経験がなければ、それが正しい曲だと思い込んでしまします。そして、「うちの子はたくさん、練習をしているのに、全然、合格がいただけません」と言われたりもしますが、それは創作であってピアノの練習ではないのです。

子供がピアノのおけいこを嫌がる時には、絶対に何か決定的にできないことがあることが原因です。そして、それはもう子供の力だけでは改善不能なのだと思います。そんな時には、レッスン室に一緒に入っていただき、お母様も一緒に学び、家庭でアドバイスをしてやっていただきたいと思います。「自分は音楽は分からない・・・」と思うお母様もあるでしょう。しかし、全盲のピアニストである辻井伸行さんのお母さんも、最初は楽譜も読めなかったそうです。が、「わが子の特技はこれだ」と思ったと時に自分も勉強したといいます。自分の子供が何を習い、何ができないのか、やはり、お母様にも興味を持っていただく必要があります。分からないのに、子供にアドバイスをして、先生に叱られると、お母様もうらまれてしまいます。そんなことのないように、たまには、子供のピアノ教本も開いてみてください。世の中の流れなのか、年々、子供たちが幼くなって自立する年齢が先延ばしされていると感じます。もう、「小学生だから自分で練習できて当たり前」は当たり前ではなくなっているのかもしれません。
by k-onkan | 2010-05-31 09:00 | 音楽 | Comments(0)

そんなことしないで!?


最近、瑠音先生は、生後10ヶ月になったKの握力や、腕の力を高めるために自分の指を握らせてぶら下がる練習をさせています。まだ手が小さいので、長い時間、ブレキエーションを掴むことはできないため、自分の指を握らせているのです。子供は大好きなお母さんの指なら、一生懸命に掴もうとするため、ずいぶん長い時間しがみついていみせます。

e0143522_772533.jpgそんな様子を見た兄のYが、「どうして、最近、その練習ばかりしているの?」とたずねると「Yの小さい頃には、あまりしてあげなかったら握る力が弱くて、なかなか、逆上がりができるようにならなかったから、Kちゃんには小さい内からやらせてあげようと思って・・・」。それを聞いたYは、「やめてよ。ぼくにしなかったことは、Kちゃんにもしないで!!」と不満を口にします。「子育ては前の失敗を生かすと決まっているのよ」と瑠音先生。

「兄弟だから、何でも一緒にして!」というYの気持ちも分からないでもありませんが、どんなに一緒にしているつもりでも長子は親と一番、長く時間を過ごし、いろいろな恩恵を与えられる存在です。もちろん、面倒なことも多いのですが・・・。どんなに下の子を特別扱いしても、結局は、長子が特別だったりするものです。YとKは6歳違いなので、最初の6年間は、Yは親を独り占めすることができました。しかし、その後、生まれたKはどんなにたくさんかわいがられても、いつもYが横におり、親を独り占めはしていません。そんな環境に生まれるから、0歳でも強い自我とはっきりとした性格を見せるのかもしれませんが、いざ、外へ行くと気弱で、やはりYとそっくりだったりもするのです。何だかんだ言っても兄弟は似ているってことでしょうか・・・。
by k-onkan | 2010-05-30 07:02 | 乳児 | Comments(0)

アメリカからのお客様

今日はアメリカで一番古い音楽大学「New England Conservatory」の学長さんと経営のトップの方が天使のこえ合唱団の見学に見えました。これは、「天使のこえ合唱団を育てる会」の顧問・堀新太郎先生のご尽力によるもので、子供たちは、ふだん練習している童謡や日本古謡「さくらさくら」の変奏曲、山田和樹先輩を称える歌詞をつけた「ラデッキー行進曲」などを披露しました。

e0143522_14461990.jpgほかにも、楽院の特徴的な教育が分かるようにということで、独唱や和音分離唱もお聴かせしました。通常は4~5名で一緒に行う和音聴音は、学校行事で欠席者が多かったこともあり、模造紙の上をリレーのように一人づつで交代で聴音をして見せました。4つ音でできた和音やシャープ、フラットがつく課題、開離課題など、いろいろな子供が違う課題を行うことができ、子供たちもいつもとは違う方法に真剣な表情を見せていました。

お客様は、「こんな声は聞いたことがない」と木下式にたいへん興味を持って帰られました。しかし、誰より驚いたのは私たちです。なぜなら、ふだんは手を抜く高音の部分も、張り切って声を出す子供たちの豹変ぶりが分かるからです。子供にとって緊張する場があるというのはいかに大事なことであるかが分かります。お別れに「ミソド」の和音をパートに分かれ「Thank you for coming」と三声で歌うと、「my pleasere」と歌って返されるユーモアのセンスのある先生でした。

思いがけず英会話を披露する機会となりましたが、20年間、日本語ばかりを使う生活をしているので、かなり衰えたと感じます。しかし、こんな風にお客様をお迎えする機会があると、「アメリカに行かせてもらってよかったなぁ」と思うのです。当時、18歳だった私は、どうしても親元を離れてアメリカに留学したかったため、父に土下座をしてお願いしたのです。ところが、そこにはまだ私が知らない逸話があったようなのです。実は、私がお願いしてから「行ってよい」と言われるまでに、少し間があったのですが、その間、ずっと反対していた父を、「いつか、楽院のために役に立つことがあるかもしれないのだから」と母が説得したというのです。そんなことは、今日の日まで聞いたことがありませんでしたが、とりあえず、楽院の役に立つ機会があって良かったなぁと思います。
by k-onkan | 2010-05-29 14:44 | 楽院だより | Comments(0)

久しぶりの達成感

アメリカで最も古い音楽大学の学長が楽院の見学に来られることになり、木下式が考案された背景や教育体系、理論などを英訳することを始めてから2週間が経過しました。あけてもくれても英語で考えるようになったら、夢に英語が出てくるようになりました。

e0143522_815688.jpg外国語で文章を書くのは慣れ親しんだ日本語よりもずっと難しいものがあります。特に日本語の表現なら当たり前のことが英語では「意味を成さない」と言われたりします。たとえば、日本語で「妻と出会って音感能力の存在を知った」と書いても全く違和感がありませんが、その通り文章にすると、「出会った当時は、妻ではなかったでしょう?」と先生から指摘されます。そこで、「後に結婚する女性に出会って音感能力の存在を知った」という文章に訂正することになります。先生につきあっていただき、7時間かけて細かい訂正作業をしました。さすがに、休憩のない7時間は辛いものがありましたが、このいざという時の私の集中力こそ木下式で培われたものだと感じます。

確認作業をして出来上がった英文を日本語の原稿と照らし合わせたことで、日本語の文章も長くなり、英訳前は原稿用紙16枚分であった文章が24枚に増えていました。その原稿にホッチキスをとめて、きれいにファイルにして、お客様の準備は万端です。久しぶりに何かを「やり遂げた気持ち」でいっぱいです。
by k-onkan | 2010-05-28 07:49 | 自分のこと | Comments(0)

話せば聴こえる!?

幼児は年中児ともなれば、ひらがなの存在に興味を持ち学びたがります。しかし、いざ、「あ」「い」「う」と練習させてみると裏返しに書いたり、枠からはみ出したり、読むのが困難なミミズのはったような字を書く子もいるでしょう。しかし、読ませることなら、もっと低い年齢から可能なのです。これは、日本語だけでなく全ての言語において、文字を書く前に読めるようになるのが当然であり、書ければ、言わなくても読めることを物語っています。ところが、木下式の音符の読み書きはその反対の手法をとっているのです。先に音符書きを開始して、書き方が分かったら音を読ませるのです。もちろん、幼児が簡単に書けるように「音符」は「全音符」という単純な形にとどめていますが、丸さえ書ければ、誰にでも音符書きができて、それを読めるようにすることで、一般の人が敬遠する「楽譜」が幼児にも読めるようになるのが、木下式の読譜指導のあり方なのです。

e0143522_8471798.jpg最近、こんなことを英語で説明できるために勉強中です。英語によって異文化を持つ人に説明する文章を考えることで、自分にとって「当たり前」であったことが違うことに気づきます。それがとても面白いのです。たとえば、「日本人の子供は、学ぶ時に、間違ったりするのが嫌でとても内気な様子を見せる」と発言すると、「アメリカ人の子どもだって、同じですよ」と教えられます。でも、私には幼児なのに、はっきりと「I think・・・」と発言する子供がどうしても内気だとは思えないので、「特に日本人の子供は学ぶ時に、必要以上に内気になる」と書き足したりすることになります。

不思議なもので、自分が英語を常に喋る環境になったことで、流れてくる音声や人の会話が英語であると、より鮮明に聞こえてくると感じます。自分の耳が英語の波長にひきつけられるのかもしれませんが、友達と一緒にお茶を飲んでいる時に、隣に英語を話すアメリカ人などいると、たいへんです。友達との会話より、お隣の人が話す会社の人の噂話の方が鮮明に耳に届くからです。すると、もうお友達の言ったことなど全く耳に入りません。音符は書ければ、読めるようになりますが、外国語は話すことで意識を持って聴こえるようになるのかもしれません。
by k-onkan | 2010-05-27 08:45 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

泣かれるとかわいい!?

甥のKは、私たちが授業がある午後は近所のベビールームに預かっていただいています。楽院においておくと、大人の手がなく泣き泣き眠ってしまい、かわいそうなのです。物事に一番、興味を持つこの時期に、ふて寝ばかりさせるのはあまりに不適切な環境といわなければなりません。

e0143522_8493338.jpgKが利用するベビールームは、子供1人に対してシッターさんが1人ほどの手厚さがあります。ところが、通い始めは、せっかく出かけても「ずっとお昼寝をしてお迎え時間になりました」という報告ばかり、なかなか、大人の思惑通りにはいきませんでした。楽院で、寝てばかりいないようにとルームに行かせているのに、ルームで寝ていたのでは同じこと」。出かける前にお昼寝が済むように生活のリズムを調整するようになりました。

その結果、ルームでお昼寝はしなくなりましたが、未だに、毎回行う儀式は続いています。それは、ルームの茶色のドアに近づくと、顔をゆがめて「ウェ~ン」と泣くのです。ところが、ドアがバタンと閉り、親がいなくなった瞬間にケロッと泣くのを止め、ニコニコするのだそうです。親がいなければ、よその人に可愛がられようとするのが、子供です。

さて、ここまでは、以前にも書いたことがあるのです。あれから、ずいぶん経ちますが、未だに、Kはお約束のように泣いています。ところが、最近、瑠音先生がこんな本音をもらして、ビックリ。「泣かれると、少し嬉しい・・・」。私は耳を疑いました。「だって、Yはどんな目に涙をためてウジウジしながらでも我慢して出かけて、「お母さん」と泣いたりはしなかったから・・・」。Yには「泣いてもやらなければならないことだから、頑張りなさい」と強い姿勢を保てたからに過ぎないのですが・・・。

出かける前に「ルーム行っても泣いちゃだめよ」「今日もまた、泣いているのを置いてきたのよ」と言う本人が、「嬉しい」と思っているのですから、子供たちはその期待に応えて、毎回、泣いて見せているのでしょう。道理で最近、地下鉄を何本も乗りかえて楽院まで来るYが「お母さん、エスカレーターで転んでたくさん血が出て、どうしたらいいの?」とか「途中で気持ちが悪くなっちゃった」などと言っては、泣いて電話をかけてくるようになりました。「お母さんが優しいことを言うと、泣きたくなるから、優しい言い方のメモは残さないで」とY本人も言いますが、一度、泣くことに慣れると、どんなことにでも、簡単に泣いて対処するようになります。まして、「泣いた方が心配してくれる」「可愛がってくれる」と知ったらなお更です。このままでは、大人になっても、「お母さ~ん」と実家に帰ってくる男に育ってしまいます。そろそろ、「男は親が死んだ時以外に、泣くな」と教えるべきところなのですが、つくづく男をダメにするのは、母親なのだなぁと思います。
by k-onkan | 2010-05-26 08:48 | 我が家のこと | Comments(0)

怖がっていてね!?

新学年が始まって1ヶ月半が経過しました。今年の年長児は心配なことがあるとまだ目に涙を浮かべる幼い面があります。とは言っても幼児部の最上級生であるため、一般の方に公開授業ができるようにしなければなりません。なんとか本気にさせようとして奮闘していますが、今年は去年の年長と勝手が違います。その学年によって子供の性格と特徴が異なるのかもしれないと思います。

e0143522_1437146.jpg昨年の年長児は、全体的に真面目で繊細で学習をさせる苦労はほとんどありませんでした。「叱られること」を極端に嫌ったため、自分から気をつけて行動していました。自分以外の子が叱られても震えあがるほど繊細なので誰も私を「本気で」怒らせようとはしません。もちろん、中には調子にのって叱られる子もいるのですが、「コラ!」と少し声を荒げれば、すぐに態度を改めたものです。

ところが、今年の年長児は違います。「大物の兆し」かもしれませんが、どんなに怖い声で叱ってもどこ吹く風です。もちろん、「叱られること」は好きではないので目に涙はためますが、「時間が過ぎれば災難がやがて通りすぎる・・・」と思っているようです。衝撃を最小限にするために静かに身を縮め決して全力は出しません。こちらが一生懸命指導しても、目をやると誰かが手を抜いています。一人を注意する間に、他の子の行儀が悪くなっています。子供と同じ人数の大人の手が必要なほどです。「全員が一生懸命取り組まないと終わらない。これを「連帯責任」というのよ」と教えたのは先週のことですが、子供が理解しなければ意味がないので、今日は、「ドレミはみんなの仲良しさん」の音名唱の訓練を借りて「連帯責任」ということを体験させることになりました。

木下式の「ドレミはみんなの仲良しさん」は、「音感教育のための歌唱曲」という別名があります。この曲の歌詞(どろんこだ)と音名(ドミレドソ)の両方を歌わせながら、頭の中に「歌詞」と「音名」という入れ物を作らせ、該当するものを整理させることによって、幼児たちに頭の使い方(記憶の仕方)を知らせ、これが音感付与へとつながるのです。

ところが集中しないまま歌唱に取り組むと、心のおもむくまま口ずさむため、歌詞と音名の区別がつかないのです。「ドミレドソ、レファミレド、ミドシラシシシ・・・」と歌っていたのに、急に「そらまでとぼう」と歌ったりします。これを放置しては、頭の整理がつかず、音感も身に付きません。通常の訓練では、間違った箇所を歌いなおさせ、「次は間違わないように」と改善するのですが、今年の子供たちは変化がありません。

「今日は間違えたら、最初に戻ってやり直しです。誰も間違えないように気をつけてね」と約束をして訓練を開始しました。案の定、集中が途切れた子から順に間違え始めました。間違えたところで止まって前奏に戻ります。これを繰り返すことで子供たちの顔は真剣になりました。もはや他人事とは言っていられません。結局、4回やり直しを行なって全員が「一音一音、気をぬかずに集中すること」が徹底された頃、木下先生が教室に顔を出されました。「みんな、上手になってきたなぁ。数週間前と比べると全然違うよ」とお褒めの言葉がありました。「先生が怖いから、おりこうになってきたのね・・・」と言うと、木下先生が「麻奈先生は怖いかい?」と聞きます。すると、いつもは、様子をうかがってばかりいる子供たちが、間髪をいれずに「ハイ!」と手をあげます。私を怖がっている時の方が集中することを考えると、当分は、たくさん怖がられていたいものです。
by k-onkan | 2010-05-25 14:37 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

10ヶ月だってわかるよ!

甥のKが生後10ヶ月になり、ずいぶん、意思の疎通ができるようになりました。大人の質問に「手をあげること」によって、「イエス」と表現できるようになったからです。「ご飯食べる人?」「おむつ替えてほしい人?」「眠たい人?」、その時の質問によって、「イエス」なら手をあげます。本当は、眠くないのに、「眠い人?」と聞かれても絶対に手はあげません。もともとは「やさしい声」「強い声」の調子で意味を聞き分けていましたが、最近は、単語の意味で判断しているようなのです。

e0143522_22295732.jpgこの手を使った「サイン言語」を使えるようになり、Kの自我は益々、はっきりしてきたように思います。特に慣れ親しんだ家族の前になると、威嚇するような声まであげて大人を操るのです。たとえば、床で自分の欲しいものがあると、「ギャー」と声をあげます。すると、誰か大人が振り向き、「これが欲しいのね?」といいます。違うものを与えようものなら、「ギャーギャー」声をあげ、「それじゃない。なんで、分からないんだ!」とまるで頑固おじいさんが怒っているような態度です。

あまりのふてぶてしい態度に、瑠音先生が「大人を呼びつけないで!用があるなら、自分できなさい」と怖い声を出して、しばらくは、ハイハイをしてやってくるようになっていたのですが、最近、また「ギャー!!」と言って、自分の思い通りに大人を動かしている姿を目にします。特に優しい人に態度が悪いようです。ちゃんと誰が構ってくれるかを知っているようです。Kを見ていると、「人間の脳は、体の機能を使うより、頭を使っていかに、機能を使わずに物事を処理するかを考えているのかもしれない。怠け者なんだなぁ・・・」と思えてきます。たった10ヶ月の乳児でも、こんなに話が通じるのですから、3歳の子どもたちは、もっと複雑なことを理解して知恵をめぐらしているはずなのですが・・・。
by k-onkan | 2010-05-24 22:27 | 乳児 | Comments(0)

趣味だから楽しい!?

以前、「英語の勉強が楽しくて仕方ない」と書いたことがあったと思います。しかし、それは、趣味の領域で責任がないから言える軽い言葉であったと今、深く反省させられています。楽しい趣味も、そこに責任が伴ったり、苦手なことを克服するという場面が表れると、途端に、「楽しい」から「苦しい」に変わるのは、英語も音楽も同じであると感じます。

e0143522_1155859.jpg英会話の先生に、「日常会話や世間話ならば、これまで流暢にできたのだから、英会話のレッスンでは英語力は進歩しない。これからは、英語の文章を書き、それを発表するなど、もっと専門的なことを勉強すべきではないか」と提案されたのは、数週間前のことでした。私が自信を持って書けるのは、専門に行なうこと、つまり、「木下式」のことしかありません。しかし、それを日本語ではなく英語で他人を納得させるとなると、更に難しさは、増すのです。そんなことから、「木下式音感教育法」を知らない外国の人に、要約して説明するということに取り組んでいます。今の私の本音は、「英語は楽しいなんていわなければ良かった」ということなのです。

さて、「ピアノのおけいこ」についても「我が子にもっと楽しんで欲しい」と心配される親御さんがいるでしょう。しかし、学校でお友達と「ねこふんじゃった」を無責任に弾いて遊ぶことを「楽しい」という無責任な楽しさもあれば、難しい曲を音楽的に弾くために苦手な点を克服して達成感を得る「楽しさ」は、全く違う意味合いといえます。楽院の子供たちの「ピアノ」は後者なのです。

楽院では子供たちが「あるレベル」に達したら、ピアノは専門の先生に見ていただくことになります。たいていの子供は、ピアノのレッスンが新たにに自立性を求められることに抵抗を示すものです。これは、聴音や合唱のように「なんとなく自然にできるはず」という安易な考えがあるからかもしれませんが、ピアノは、その場で「どうにかなる」という類のおけいこではありません。指の動きや筋力の強さはふだんの練習によって培われるものです。その場しのぎに理解力を示してどうにかしようとしても、先生はお見通しなのです。子供はできないことが悔しくて涙を見せたり、先生に反抗的な態度をとってしまうこともあるようです。そんな時、楽院では「その子と先生が合わない」と先生を変えたりはしません。たとえ、先生が変わっても、同じ結果を生むことを知っているからです。

「音感の先生」と「ピアノを教えてくださる先生」を、例えると幼稚園と大学の先生ほどの違いがあるのです。私たちが音感を教える対象は幼児です。そのため、いかに自然に子供に意欲を持たせ取り組ませるかに心をくだきます。しかし、子供があるレベルに達したら、いつまでも、「大人任せ」の訓練だけを与えていたのでは、子供は成長できません。「自分から取り組むこと」を教える場が必要なのです。それは、これまで大事に育てられてきた子供にとっては、辛いことかもしれません。「先生に求められていることが分からない。先生が厳しい。だから先生を変わりたい」と泣き言を言うこともありますが、これは、子供たちが、「大人が手を貸してくれなくても、自分から意欲的に取り組めるようにするための階段」を登っているということなのです。

子供たちは、将来、いろいろな人と出会うでしょう。必ずしも、自分が心地よいことを言ってくれる人だけとは限りません。そんな時にも、自分を律して相手を認めたり、相手に認められる努力をして、向きあえるようでなければなりません。そのためにも、いつまでも、幼児の学び方を求めるのではなく、小学生としての「学び方」を身につけていく必要があるのです。
by k-onkan | 2010-05-23 11:55 | お稽古事 | Comments(0)

音楽は修行!?

新1年生が、合唱団に加わり数週間が経過しました。初日には、緊張していたのに、だんだんとボロ―本当の姿!?ーが出てきました。先生の指揮を見ているような顔でうつろな目をしていたり、体をクネクネ動かしたり、後ろを振り返って、お姉さん、お兄さんの様子をうかがったり、等など、数え上げたらきりがありません。

e0143522_20294559.jpg幼稚園の頃は、先生から手が届く範囲にいたので、行儀を悪くしようにもできなかったのですが、先生から離れて自分で活動するようになっても、集中できることが大事なのです。しかし、初めから、いつもそんなことができる子供はいません。最初は緊張して、ドキドキ、オドオドしていた子どもも、少し自信を持つと、すぐにだらけたり、過信したりするのが、人間です。

音楽は他の教科のように、「答えが正しければ正解」というものではなく、頭脳だけ、知識だけで、要領だけでは乗り越えられないものです。頭の良さと合わせて、瞬間的に判断できる俊敏性や、物事をじっくり見極める集中力や、心の機微を察する感受性、自分で作り上げる忍耐力など、いろいろな要素が求められます。はじめから全てが備わった人は誰もいないため、それぞれ苦手な面を克服する精神修養の要素も多いのです。

たとえば、とても美声の子が記憶力が良いとは限りませんし、音感が鋭い子の声が美しくないこともあるものです。また、頭脳的であっても歌い方が情緒的でないこともあります。全てを兼ね備えている人などいないのです。それぞれの弱点を知りながら、長所を認め合うことが、小学生になってからのレッスンの意義なのです。

今日は、1年生の男の子が目に涙を浮かべながら私のところにやってきて、「先生、ボク、視唱集(読譜の教材)とピンクの本(愛唱歌集)を忘れてきてしまいました」と言います。通常は、時間的に余裕があれば高学年と一緒に勉強させる課題なのですが、合唱時間である「4時半」が近づいていたため「今日は、使わないから、心配しなくていいわよ」と優しく答えました。そして、座っていた上級生に「もう、4時半だから合唱の時間よ。立って!」と声をかけると、ほんの今、ベソをかいていたその子が、時計を見ながら「まだ27分で30分じゃないよ」と、鬼の首をとったような言い方をします。まるで、私が時計を読み間違っているのを見つけたと言わんばかりです。

「自分が忘れものをした時には、目に涙をためるのに、些細な事柄を指摘する時の態度の豹変ぶりに、「27分は、もうすぐ30分ということなの!立って用意する間に30分になってしまうのだから、「もう30分よ」は間違っていないのよ。今、弱そうにしていたのに大人にそんな偉そうに「へらず口」をいうのは、やめなさい!」。と激怒してしまいました。

低学年の頃の子どもは、まだ上手に「弱々しい自分」と「偉そうな自分」の両方を都合よく使いわけます。でも、おしゃべり上手のへらず口は、その子のためにはなりません。どんなに頭が良くても、大人に不愉快な物言いをしないことを教えるのも、合唱練習の意義かもしれません。
by k-onkan | 2010-05-22 20:28 | 児童 | Comments(0)