麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子供の涙は可哀相!?<2>

教える立場から見ると悔し泣きをしてでも取り組む子供は、意欲にあふれた優秀な子供といえます。できれば、なるべく早い時期に「物事は泣きながら取り組むべきでない」ことを教えれば、涙の力を借りなくても困難に立ち向かえる人間に成長するはずです。

e0143522_14375796.jpg私が心配になる子は、「何かをするのが面倒」「何もしたくない」と言って泣く子供です。こうした子供は「自分のため」に学んでいること、自分のために生きているという当然のことを知らされないまま成長しているといえます。今日も、新しいクラスに進級して泣き続ける子供がいたので、私はこんな質問をしました。「皆は、だれのためにご飯を食べるの?」。たいていの子供は「ママのため」と答えます。一生懸命、ご飯を作ってくださるお母様に対する感謝の表れかもしれませんが、その答えでは正しくありません。私は必ず「エ~ェ???」と大げさに驚いて見せます。「○ちゃんがご飯を食べると、ママのお腹がいっぱいになるの?ママの体が丈夫になるの?」「ううん」「自分のため・・・」「そうでしょう?ご飯は自分のために、食べているのよ」

「じゃ、トイレは誰のためにいくの?」「ママ・・・」。小さい頃にトイレトレーニングが成功してママが喜んでくれた時と気持ちは変わっていないのです。「え~??ママのためにトイレにいっていたの?」「うん」「違うのよ。トイレも自分のために行っているのよ。トイレに行って体の悪いものを外に出さないと、病気になってしまうでしょ?」。思えば、必ず、毎年、この時期に違う子供に同じ質問していますが、「トイレは誰のために?」と聞いたのは今年が初めてです。年々、子供たちの危機感は薄くなっている証かもしれません。

「お歌は誰のために勉強しているの?」「麻奈先生」「えぇ?△くんは、麻奈先生の子供なの?」「違う」「△くんが、お歌を勉強すると、麻奈先生が上手になるの?」「違う。自分・・・」「お父さんは会社にいって泣きながら、お仕事をしていると思う?」「思わない」「ぼんやりして話を聞いていないと思う?」「思わない」「仕事をしているふりをしていると思う?」「思わない」「そうでしょ。今、やっていることは、全部自分のため。大人になった時、パパやママのようになれるように、子供の頃に、勉強したり、おけいこに通ったりしているの」。話しが分かる子供は目を輝かせて「うん、うん」とうなずきます。

大人の私たちにとっては、「子供にさせているのは、将来、本人のためになること」と思っているはずですが、それを子供が知らされていないことが多いような気がします。小さい頃は「大好きなお母さん、お父さんが喜ぶから頑張る」という理由で勉強をしたり、おけいこごとを頑張ることができましたが、自我が芽生えてくると、そうはいかなくなります。「親のために」努力してきた子は、将来、「親のために学校で勉強してやっているから、小遣いをよこせ」などと言ったり、「学校に行くのが辛い」と不登校になったりしてしまいます。ご飯を食べるのも、勉強するのも、おけいこごとで特技を身につけることも、将来、子供が自立する時に、少しでも多くの助けになって欲しいとの願いを親も子供も際認識する必要があるのかもしれません。
by k-onkan | 2010-09-30 14:36 | 子育て | Comments(0)

子供の涙は、かわいそう!?<1>

望クラスで、楽しみながら親子で勉強(遊び?)をしていた頃と違って、3歳を過ぎると、音感授業は親子には「修行的要素」が強くなります。赤ちゃんの頃は、我が子が「笑った」「返事した」「うなづいた」だけで喜べましたが、3歳を過ぎると、よその子との成長の差を感じ、心中穏やかではいられなくなってくるからです。

e0143522_12172389.jpg親は、「よその子ができること」は「わが子もできて当たり前」と思うものですが、実は、それまでの親子の関わり方の結果でしかないのです。「挨拶ができる子」は、家庭で挨拶をすることが当たり前に育った子供であり、特技がある子は、そのための努力をしてきたのです。何にしても、ただ自由に放っておかれただけで子供は普通には育ちません。何もしていないように見える幼児ですが、実は周りを真似て学んでいるのです。大人がそれに気付き、子供がいろいろなことができるように導いてやりたいものです。

さて、意識のある子供は、他の子供ができて自分にできないことがあるのに気づくと涙を流して悔しがることがあります。そんな姿を見ると、「こんな気持ちにしてまで取り組まなければならないものなの?」とお母さんは心を痛めるかもしれませ。しかし、泣きながらも挑戦する子は意欲のある子どもです。物事に真剣に取り組むからこそ、涙が出てしまうのです。その壁を越えれば本人の力になります。ところが、子供の気持ちが分からないと、「泣かせてまで取り組ませたくない。かわいそうだからやめて」と途中でやめさせたりしてしまいます。何かに挑戦するチャンスを取り上げられた子供は、途中で放棄するのが当たり前になってしまいます。

わが子が泣くのを見るほどつらいことはありませんが、それを我慢して静かに見守り応援して、成長を見守ることで親も成長するのだろうと思います。まゆみ先生が、昔から子育てに悩む親ごさんに「「親」と言う字は「立ち木の陰で見る」と書くのですよ」と説明してきました。子供が泣きながら頑張っている姿を見守るのが親の役目です。立ち木の陰から出てきて、子供の困難を取り除いてはいけないのです。<つづく>
by k-onkan | 2010-09-29 11:02 | 子育て | Comments(0)

自分だけやらされている!?

幼かった子供も5~6歳にもなると、「勉強をさせられている」「おけいこをさせられている」という気持ちを持つようになります。それまでは表現力が不足して言葉で言い表せなかったに過ぎません。大人はそんな子供の反抗的な様子やふて腐れた態度を見ると驚き、「そんなに嫌がるなら、勉強を辞めさせれば、また、もとの可愛い子に戻るのでは?」と思います。しかし、残念ながら子供の言いなりになったからといって、可愛かった頃には戻れません。それどころか、それを許したら、永遠にわがままが続くことも覚悟しなければなりません。甘い顔にどこまで増長するのが私たち人間の弱さなのでしょう。

e0143522_18445118.jpg「貧しい国に育ち食べる物もなく、教育も受けられないという子供がいることを考えたら、勉強できることやおけいこごとをする余裕があることはどれだけ幸せなことか・・・」。私も子供の頃、よく大人から説教されたものですが、世界の国に何の予備知識のないと、「他国で起きていることは自分に何の関係もない」と思ってしまいがちです。特に昨今の世の風潮は、「子供は特別で守られるべき存在」であり、辛いことや怖いものからも目を背けさせる傾向にあります。そんな環境で育ったら危機感なく成長します。

私たち大人も、「やりたいことだけして生きられればどんなに幸せか」と想像しないわけではありません。しかし、実際、生きる上で、やりたいことだけをしたのでは成り立ちません。お腹が空いたら何か食べなければなりませんが、食べ物を買うためにお金も必要です。料理が好きだと言っても、食べたら洗い物も出ます。実際、自分の好きなことだけ暮らして生きられる人などいないでしょう。

子供が生意気な口がきける年になったら、「自分だけが嫌なことをしている」との考え違いをさせないように、いつまでも子供扱いせずに、「一人の人間」として世の中のルールやしくみを知らせる必要があると感じます。

私は平素、7歳の甥を講演に連れ歩いていますが、同じ年頃の子供を持つ人は必ず、「子供が長時間、大人の仕事につき合わされて可哀相」という感想を持たれるようです。しかし、私たちはこれで生活しているのだと子供に知らせる「生きた教育」だと思っています。小学生になってからは、小袋に「出演料」として、ほんの少しですが私から小遣いを与えています。本が1冊買えるか買えないかの小額ですが、労働の意義と意欲を知らせる良い機会であると思っています。子供は自分のために使われているお金は、知らない内に銀行から湧いて出てくる信じていたりします。しかし、本当はお父さんやお母さんが労働の対価に得たものです。そうしたことを知らせるのも大事な教育だと思っています。
by k-onkan | 2010-09-28 18:43 | 教育 | Comments(0)

子供の答えは親!

先日、お祖母さまが授業見学されたご家庭から、「家でも驚くほど穏やかに生活できるようになって嬉しい」とのご報告がありました。普段時間を過ごす大人の方が子供の長所を認め、悪いことをした時にはメリハリある対応をしていれば、「どこに行っても問題児」という状態は改善されると思っていたので、ご家族に「子供はそんなに悪くない」と理解されたことは何より嬉しいことです。

e0143522_14263632.jpg家に帰って、これまでの子供への対応を反省されたそうです。こう書くと、「麻奈先生を見習ってもっと厳しくすることにしたのね?」と思われるかもしれませんがその反対です。「家でも褒められることを見つけて、褒めるようにした」とのことでした。これまで、お母さんだけが口うるさくなり、「そんなに言ったらかわいそう」と思うお祖母ちゃまが何事も容認する形となり、子供は「何が良いことで、何が悪い」のかが分からず自制心のなさを助長させていたようにも思えます。

楽院は「厳しい教室」で「スパルタだ」と言われがちですが、一言で言うと「ダメなことはダメ」「良いことは良い」に過ぎないのです。「ダメなこと」に対しては、どんなわがままを講じても動じませんが、良いことは惜しみなく褒めています。「叱り上手であり褒め上手であること」が年齢の幼い子にルールを理解させやすいのです。

見学されたお祖母さまの第一声は、「ここは厳しいのではなくて当たり前のことを当たり前に教えてくれる教室。先生の厳しさは愛があって勉強になりました」。楽院の教育理念をご理解いただけるのは何よりもありがたいことです。お母様は「自分の子供なのに、先生の方が子供扱いが上手で恥ずかしい」と嘆かれましたが、私が子供扱いが上手だとすると、それは、長年、たくさんの子供と関わってきたからに過ぎません。この仕事をするようになって今年で20年。楽院で年80人、のべ1600人の子供たちとつきあったことになります。他にも木下式を学ぶ園児は全国に大勢いて、「この子の長所はこれ、短所はそれ」と教えられてきました。一般のお母さんより、はるかに多くの子供たちと接するのが私の専門職ですから、お母様が引け目を感じる必要はないのです。

子供の問題は、本人より一緒にいる親御さんが変わることで改善することが多いものです。今は、他の子と同じことをするだけで喜ばれているTくんですが、音感教育を通して、自分に自信を持てる子に育て欲しいと思っています。幼児教育のゴールは、今日、明日の目先の成果ではなく、大人になって生き抜く力を身につけさせることなのですから。
by k-onkan | 2010-09-27 14:25 | 教育 | Comments(2)

基本は他人のせい!?

数日前、瑠音先生の家族と純子先生を誘って、近郊のアウトレットに出かけました。山の見える空気の良い場所にお弁当を持って出かけるだけで行楽気分になれると思い、子連れで出かけたのですが、あいにくのどしゃぶりとなりました。

e0143522_1923927.jpg可哀相だったのは子供たちです。7歳のYはそれなりにアウトレットの雰囲気を楽しんでいましたが、1歳2ヶ月のKは「面白いものがない」と分かるとベビーカーの中でひたすらお昼寝をして過ごしたのです。よその赤ちゃんが、火がついたように泣き叫ぶ声を聞くたびに、「Kの声では?」とドキッとしましたが、他人の泣き声に動じることなく眠り続けたKが鈍感ではなく大物であることを祈りたいと思います。

私と純子先生が子守担当の時のことです。瑠音先生から、お小遣いをもらったYが私のところにやってきて、「あのね。今、400円持っているのだけど、180円のブロック人形が作りたいんだけど、いくつ作れるの?」と聞くではありませんか。普段、3桁の掛け算や割り算を勉強しているのに、お金だとまったく応用が利かないようです。算数を勉強する目的の一つは、将来、お金の計算に困らないためなのに・・・。

「400円の中に、180円がいくつあるか考えてみたら?」「あ、分かった2つ!?」なんとなく、答えは分かったようですが、「それで、お店の人にいくら払っておつりはいくら?」と聞くと「36円?」とわけの分からないことを言いだします。10進法の理解に問題があるようです。大人にとって簡単なことでも、何かがつながっていないと難しいのでしょう。一つの事柄を多方面から理解させなければ真の理解にならないのは、音楽も他の科目も一緒のようです。

甥の様子を見て心配になったので、最近、私たちは、児童部の子供たちに九九を抜粋して質問しています。すると、みんな、すぐに答えが出なかったり、間違ったりするので驚いてしまいます。算数を習っている子供もそうなのです。「音感で九九を質問されるわけがない」という油断と、突然の奇襲攻撃に焦るのかもしれませんが、いつ何があっても間違えないようにしておかなければ、いざという時の役には立ちません。中には、「最近、かけ算はしていないからなぁ・・・」と驚くような言い訳をする子もいて、「学校でちゃんと勉強をさせてもらっているのか」とさすがの木下先生も心配しています。

「学校に通っているから」「塾に通わせているから大丈夫」との安心は禁物です。実は、子供は先生の話を聞かずに友達とふざけていたりすることもあるからです。やはり、10歳までは、我が子の言動や様子以外に、勉強や言葉に対する理解も観察する必要が家庭にあると感じます。過保護といわれるかもしれませんが、大事に育った子供は、大きくなっても小さな頃と同じ気持ちで暮らしていると知っているからこそ、こんなことを言うのです。

最近、高校生になる卒業生が、「どうして、もっとちゃんと勉強させてくれなかったんだろう。世の中に、自分よりよくできる人がこんなに一杯いるなんて・・・。俺は世間をなめていた。これまで学校に通ってきたのは、何だったんだって思うよ」。責任は全て学校と大人にあると言わんばかりの発言に私の方が驚いてしまいました。「これまで良い学習環境を整えていただいたのに、それを無駄にして勉強をしていないのは、他の誰でもない。その責任は自分にあるのよ。この期に及んで他のもののせいにしていると、将来、まともな芽がふかないから、そろそろ、心を入れ替えなさい」とお説教をしましたが、子供が「何でも他人のせい」にするのは、実は私たち大人がそうするのを見ているのかもしれません。子供とつきあうと、自分を省みさせられることばかりなのです。
by k-onkan | 2010-09-26 19:21 | 児童 | Comments(0)

昨年の公演を思う

私たちが合唱団の子供たちを連れて、中国まで公演旅行に出かけたのは、昨年の9月の5連休のことでした。ちょうど、全世界で新型インフルエンザが流行しており、「万が一、合唱団のメンバーから新型インフルエンザを出したなら、当局の指示に従って隔離されることもあり得る。その際には、日本ではどうすることもできない」との説明が旅行会社からありました。私たちは、「何があっても、子供たち全員、元気で日本に連れ帰らなければ・・・」と滞在中、手洗い、うがいを神経質なまでに徹底したのが昨日のことのようです。「あの公演旅行が、今回の尖閣諸島の漁船追突事件と重なっていたならば・・・」。想像するだけで、いかに私たちが幸運であったかがわかります。

e0143522_22573165.jpgテレビでは今回の中国について、「急に体が大きくなった子供のようなものだから・・・」と言ったコメンテーターがいましたが、体が大きくなって生意気になった子供も、大国の理不尽な要求も一度でも甘い顔を見せたら、要求がエスカレートするのは同じなのに・・・と思います。何事も同じかもしれませんが、相手の言動にゆるぎない信念を持っていないと事態が悪化するように見えてならないのですが・・・。
by k-onkan | 2010-09-25 22:55 | 発達障害 | Comments(0)

これだけできれば大丈夫!!

今日は2ヶ月前に入学したTくんのお祖母さまが見学に見えたので、教室の中に入っていただきました。たかが、幼児の音感授業とあなどるなかれ! 楽院の授業はたとえ年少児クラスでもみっちり2時間。その間、子供たちが集中できるように指導者が情熱を持って指導にあたるため、見学者も背筋が伸び緊張感があって、見ているだけでも疲れるのです。

e0143522_1153464.jpgTくんは入学時、既に5歳でした。「幼稚園でも他のお教室でも恐ろしく行儀が悪い」。お母さまは、「どうしても、今何とかしないと将来が心配」との理由で入学することになったのです。楽院は本来、入学可能年齢が4歳6ヶ月までとなっています。聴覚育成は6歳までに完了しないと音感が身に付かないからです。しかし、Tくんは、音感能力以前に、学習態度、意欲、行儀など、小学校に入ってから困らないための基本を木下式によって学ばせることを目的に入学を許可したのです。

7月の終わりに入学し、夏休みは時間が許す限り毎日、レッスンを行なってきました。その成果として最近、「楽院」と「サッカー教室」では真面目な態度ができるようになったところです。ところが、家庭と優しい先生のおけいこごとでは相変わらずで、そんなことから、「Tくんが真面目に勉強しているなんて、信じられない」とお祖母さまが見学に来られたのです。

そんな事情もあるため、楽院だけは真面目な態度ができるようになっていたTくの様子がおかしいのです。私の前でもおふざけを止められずに落ち着きません。子供の目線に立って考えれば当然です。「ちゃんとできるわけがない」「ふざけるのが当たり前」と思われている人の前で、全く違う自分を見せるのは難しいからです。子供は、大人の期待通りの姿を見せているに過ぎないともいえます。

しかし、私は、どうしても、「Tくんがおりこうになった姿」「やればできる姿」をお祖母さまに見ていただきたいと思っていました。お祖母さまが認めてくだったら、家庭での様子はもっと変わるはずだからです。そのため、いつも以上に厳しいレッスンとなりました。実は、私も見学者がある時くらい、よそ行きの態度をしたい気持ちがないわけではありません。しかし、幼児期の子供は大人の表の顔と裏の顔を理解できません。よその人がいるからと態度を変えるのは「善悪の区別」を教える時の弊害となります。「よその人がいても、いなくても、麻奈先生には、ダメなことはダメ」。これを理解させるためには、よその人がいらしても、態度を変えないのです。だから、初めて楽院の見学をされた方が、「厳しい」と恐れおののくのだと思います。一般のお教室は見学者がいたら、いつも以上に子供に優しく接するでしょうから・・・。

帰り際、お祖母さまが言われました。「この子の落ち着きのなさは病気じゃないか、病院に連れていった方がいいのではないかと心配してきましたが、今日の様子を見て安心しました。こんなにちゃんとできるなんて、信じられません。これだけできれば大丈夫。素晴らしかった」。いつもの数倍、行儀が悪かったのですが、お祖母さまには喜んでいただけたようです。お母様は、「まだ、麻奈先生の前だけしかできないから・・・」と心配されていますが、Tくんは大好きなお祖母さまに認めていただき、きっと変化があるはずです。

Tくんの次の課題は「厳しさを見せない大人の前でも自分を抑制して物事に取り組めるようになること」です。まだまだ遠い道のりではありますが、諦めずに努力すれば必ず変化はあるということが幼児教育のやりがいなのです。
by k-onkan | 2010-09-24 11:52 | 幼児 | Comments(0)

おけいこも仕分け!

幼児期のお稽古ごとには二つの意味があります。一つは、「芸は身を助く」。小さな頃に身につけたことが、その子の特技として将来、助けてくれることがあるのです。たとえば、仕事でデザインをしたり、物を作ることをする人は、子供の頃から絵を描いたり物を作ることが好きだっただろうと思います。

e0143522_15123181.jpg
そして、お稽古ごとのもう一つの意味は、それに向き合う母子の姿勢が、将来の親子関係を暗示しているということです。「ひきこもりや非行少年の更正」で有名な長田百合子先生の最新の本には、ひきこもりは幼稚園時代に既に兆候があると書かれていますが、私もまったく同感です。

私はおけいこごとに連れて来る親子の関係から、その親子の5年後、10年後も想像できます。たとえば、小さな頃、ピアノの宿題の譜読みをお母さんが弾いて聞かせて覚えさせた子は、冗談のような話ですが、大学生になってもお母さんが代わりに宿題をして学校へ行かせていました。「おけいこを頑張ったらジュースを買ってあげるから、おけいこをしなさい」と言われた子は、大学に受かった時に、ご褒美にといって驚くようなお小遣いをもらっていました。勉強だけすれば、あとは何もしなくて良いといって、勉強をすれば欲しいものを何でも買い与えられた子供は、大人になっても仕事以外は何もできないでしょう。幼児期の親の教育の結果が良くも悪くも成長した子供の姿であり、お稽古事に対する姿勢はその後の親子関係を反映する鏡です。

幼児期のお稽古事というと、「好きなら続ければいいし、嫌いなら辞めればいい」と親は安易に考えがちです。しかし、これが「学校」「や「会社」であったら、「好きなら続ければ」とは決して言わないでしょう。ところが、幼児期のお稽古で観念できない子供は、学校や社会に入った時にも長続きしないのです。小さい頃に、お稽古をいつまでも嫌がった子は、嫌がればしなくて済むことを知っていので、大人になっても、自分がいやなことに取り組めるようにはなりません。いつまでも泣いている子は泣けば許されているため、大人になったら、涙の代わりに病気になってしまったりします。反対に、お稽古に意欲のある子は、そのお母様もお稽古事について真面目に考え意識を持って通わせています。子供は、お稽古だけでなく、いろいろなことを一生懸命、全力投球できるよう育っていきます。

だからこそ、おけいこごとを決める時は、「なぜ、このお稽古をさせるのか」「子供にどういう風に育って欲しいのか」を持たなければならないのです。「みんながやっているから」とか「音楽をすると頭がよくなるかも」などという「何となく」の理由では、子供は一生懸命、頑張ることはできません。意味なくたくさんのお稽古をさせるのは教える先生にも通う子供にも可哀相です。お稽古事も親がきちんと「仕分け作業」をして、「これだけは絶対に我が子のためになる」。そんな信念を持てるものを与えるべきだと思うのです。
by k-onkan | 2010-09-23 23:10 | お稽古事 | Comments(0)

真似が学びになる!

大人が心配しながら、大切に、大切に育てた臆病者の第一子に比べ、下の子供は生きる力に溢れています。何しろ、心配や不安は全て長子で体験済みなので、周囲の大人も余裕があります。また、兄のする通りにすれば、何事も感覚的にできるようになりますから、本当に下の子は得なのです。気をつけなければならないのは、「小さいから」と躊躇して「意欲のある時期」を見逃してしまわないことかもしれません。頑固者の二番目は、自分が望む時期を逃すとへそを曲げて何もしなくなることもあるからです。

e0143522_2359205.jpg1歳2ヶ月の甥Kは、年端もいかない赤ん坊の分際で、自分を一人前だと信じ何でもみんなと同じことをしたがります。そのため、最近は、自分からオマルに乗るようになってきたので、オムツ卒業は兄より早いかもしれません。今日は、望クラスの体験授業にデビューしました。「自分はまだ小さい」と思って甘えていた2歳の子供たちが赤ちゃんのKが登場したことで顔つきが真剣になったといいます。

さて、お手本があると上達が早いのは赤ちゃんだけではありません。数ヶ月前から開設した大人の発声クラスでも同じことが起きています。このクラスには、現在10名のピアノの先生が話声位の近い5人ずつのグループで勉強しています。毎月1回、数日前、3回目のレッスンを行いましたが加速度がついて発声が進歩しています。木下式の発声の習得に8年の歳月を要した小西先生には申し訳ないことなのですが、同じ条件の人がたくさんいる中で、お互いに真似しあうから習得が早いのです。

小西先生は、たった一人で、「本当に自分も幼稚園教諭のような若々しい声が出るようになるかしら?」と不安をもって手探りで学ばれましたが、他の方は、同じ条件の仲間たちと共に他人を真似たり、人の声と聴き比べたりして、楽しい雰囲気の中、学んでいます。その上、小西先生の存在が他の先生の励みになります。

子供の頃から木下式で育った私がいくら上手なお手本を聞かせても、できて当たり前だと思うでしょう。しかし、私の母ほどの小西先生が素晴らしい発声を披露すると、「小西先生が努力してできるようになったのだから、自分も」と希望につながるのです。Kがまわりの人間をお手本にどんどんいろいろなことを習得するように、大人の先生たちも小西先生のお手本から変化していきます。木下式の訓練は感性を呼び覚ますため、訓練の成果を観察するのは本当に面白いのです。真似ることで学びを得るのは年齢に関係なく学習の基本ということかもしれません。
by k-onkan | 2010-09-22 23:59 | 教育 | Comments(0)

勉強より大事なこと

この連休は甥Yのしつけの悪さが露呈する出来事があったと瑠音先生からため息交じりに聞かせられました。それは、大きな家具屋さんに家族で出かけた時のことだそうです。そこは大人がじっくりと買い物ができるよう、子供を1時間預かる託児施設があるそうです。ところが、45分しか経っていないのにビーパーで呼び出されてしまいました。慌てて迎えにいくと「何度も注意したのですが、やめてくださらないので、お子様をお引取りください」と言われたというのです。

e0143522_1591677.jpgそこには、子供用プールがあり、水の代わりにたくさんのボールが入れてあったそうです。子供たちがボールと戯れて遊ぶために用意されているのですが、Yはやんちゃぶりを発揮してそのプールに飛び込んだというのです。「危ないからやめてね」と注意されたにも関わらず、未熟さから何度も飛び込み、親への連絡と相成ったのです。普段から躾はしているつもりですが、口うるさい人がいなければ態度を変えるのが子どもです。「優しい人だからといって、侮ってはいけない。実は優しい人が一番怖いのだ」と普段から言っていますが、その意味が分かるには、未熟でありました。目先の面白さが先立ち、欲求のまま飛び込んだのでしょう。他の子供に怪我をさせなかったことが幸いでしたが、瑠音先生の怒りは爆発しました。

翌日の休日もまた、躾の悪さが発覚しました。朝、瑠音先生が弟のKの世話をして居間に出ていくとYが父親に叱られている声がしたそうです。朝起きて「おはよう」と声をかけられたのに自分は挨拶をしなかったというのです。「挨拶をしないなんて一番、いけないことだよ。勉強ができたり、ピアノが弾けることより、人間としてもっと大事なことなんだ。今度、挨拶をしなかったら、お父さんはYを殴るからね」。普段、穏やかな父親をこれだけ怒らせるほど、Yは悪くなる盛りなのでしょう。特に弟のKが歩けるようになり、言葉も理解し始め、トイレトレーニングをはじめ、何をしても褒められる姿を見て、兄としては悪いことをしてでも親の注意をひきたいのです。しかし、それは躾の悪さの言い訳にはなりません。

話を聞いた私たちはそれぞれYにお説教をしました。私は「Yは特別なの。どうしてか分かる?全国にはジィジの教育を勉強する人が3000人いるの。その中で、楽院の子供は60人。3000人の中で60人だけが木下先生から直接習っていて特別だから、楽院の子供は厳しく教えているの。その中で、木下先生の孫はYだけ。そのYがよそで悪いことをすると、「木下式は悪い教育」と人から思われてしまう。それはお母さんや麻奈先生や、ジィジにとって一番恥ずかしいこと。だから、Yは知っている人がいても、なくても、絶対によそで恥ずかしいことをしてはいけない」。

エリート意識や過度のプライドを持たせていると批判を受けるかもしれませんが、Yが「楽院の子」として特別視されるのは紛れもない事実ですし、それに伴う恩恵も受けてきました。だからこそ、その責任の大きさを教えなければならないのです。さすがにまだ7歳のYには難しい話ですが、分かっても分からなくても幼い内から聞かせておかなければ、大きくなっても分かるようにはなりません。これは、私たち姉弟が小学生の頃、母からよく話して聞かされたことでもあるのです。

私がもう一つ付け加えたことがあります。それは、「他の人は悪いことをしても叱られなくてうらやましい!よその家の子だったら楽なのにと思うかもしれない。でも、よその人は関係ない。よその人が良いと言うことも、うちはダメなことはダメなの。それが嫌ならよその子にならなくちゃいけない」。孫の特権だけ利用して、あとは身勝手に「他の子と同じに普通に!」を許すわけにはいきません。

子供はすぐに「大人だって悪いことをしている」「学校の先生だって正しくない」「お母さんだってやっていない」「総理大臣だってダメじゃない」だから、子供の自分が悪くなって当たり前と、問題を摺りかえる術を知っています。確かに世の中には、子供に見せたくないような悪い大人もたくさんいますし、お手本にできない警官や教師、政治家もいます。だからといって、自分が精神を腐らせる言い訳には絶対にならない。このことを教えておきたいと思っています。

私がお説教をして職員室に戻ってみると、今度は、Yは木下先生に呼び止められました。「おい、Y。ジィジはなんだかYが外で悪いことをしているような気がしてならないんだ。勘違いか?」。Yは返事をしません。「聞かれたらちゃんと返事をしなさい」と母に叱られて「した・・・」「何をしたんだ?」「プールに飛び込んだ・・・」。普段、ペラペラと起承転結をつけて話す甥が、小さな声で単語しか答えません。言葉は心を表すもの、それだけ反省していると信じたいと思いますが、これだけ大人が目を光らせても光らせすぎでないのが、この時期の男の子だと思っています。「うちの子に限って」が一番危険です。誰もが悪いことに魅かれるのです。

甥の躾の悪さをかばうつもりはありませんが、我が家で「ダメ」と教えることが世の中では「普通」や「別に・・」だったり、言われることもあれば言われないことがあったりすると、その隙間をすり抜ける方法を覚えるような気がしてなりません。昔は、大人が遠慮なくよその子供を叱ったかわりに、明確な「社会のルール」があったように感じます。子供は個々の大人の顔色で判断しなくても、悪いことをすれば誰からも大きな声で叱られ、行いを正すチャンスがありました。そう考えると、今は、子供も叱られる基準が分かりづらくて可哀相にも感じるのです。
by k-onkan | 2010-09-21 15:07 | 児童 | Comments(0)