麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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男の子こそ教育を!

日本海側の大雪のニュースが流れる中、木下先生と共に、大阪の千里丘学園幼稚園の歌唱指導に出かけました。途中、日本海側に近い関が原のあたりで東京の晴天が嘘のような雪景色となりました。線路が凍っているのか、新幹線は徐行を始めます。指導時間に間に合わないでのは?と心配しましたが、無事に到着してホッとします。

e0143522_1150134.jpgさて、千里丘学園で独唱児の指導をしていた木下先生は、何度も私に「レスリングと同じだ・・・」とつぶやきます。行きの新幹線の中で、「男をきちんと教育しないと、日本はダメになる」という話と、九州の有名な保育園園長、横峯氏が、男の子にはレスリングを教えても、女の子には教えないという話をしたばかりだったからでした。

この話を「男女差別だ」と不信に思う方もあるかもしれませんが、それには「実践に伴う理由」があったのです。「女の子は放っておいても教えなくても、うまくなるが、男の子は教えなければできるようにならない。だから教える」ということなのです。そして、木下先生の歌唱指導もまさに同じなのです。女の子は一度、教えたことはすぐにできるようになって、どんどん上手になります。しかし、声の素晴らしさで、選ばれているにも関わらず、男の子は何度も何度も教え、やり直しをさせ、また、教え、やり直しをさせて・・・の繰り返しをして、やっと女の子に負けないほどの歌声を聞かせるようになるのです。そして、能力が定着すると、女の子にはかなわない何かを見せるのが男の子です。

幼稚園教諭の前で、ヘラヘラ笑ってやり過ごしていたという独唱の男の子も、妥協ない木下先生の指導では目に涙を浮かべ真剣に取り組んでいました。その顔つきが全く普段と異なっていたと園長先生が言われます。木下先生は現場の教諭に、「女の子は、誰が教えても、上手になる。男の子を上手に教えられるようになって、はじめて指導者として一人前だ」と言います。それだけ男の教育は難しいのです。

「男の子を上手に教育する」というと、母親が好むもの分かりの良い優等生に育てると勘違いされるかもしれませんが、そうではありません。男の子が本来持つ能力、強さを、将来、発揮できる男に育てるということなのです。勉強だけさせて、精神面の強さを育まないと、将来、頭が良いだけのひ弱な男性に育ちます。男の子に、肉体的な強さ、精神的な強さを育てるためには、男も女もみんな一緒の教育は好ましくないと感じます。

楽院の男の子たちもみな、本当に可愛い性格の男の子ばかりですが、どちらかというと女性的な優しさのある子が増えています。それを心配する木下先生は「本当は、スカートをはいてみたいと思ってはいないか?」と男の子たちがあえて嫌がる質問をして、「そういう風になるまい」と思わせているようです。

チャンスや権利は男女平等であるべきだと感じますが、その教育のあり方が同じだと、どんどん、女性ばかりが活躍する世の中になってしまいます。何しろ、日本の社会を見回しても、活躍している人は女性で男性が弱って見えませんか?
by k-onkan | 2011-01-31 11:48 | 教育 | Comments(0)

受験を斬る!

家族で一致した教育観をもって、子供の受験を真剣に考えるなら、それも必要なことだと考えます。とはいえ、それに伴う「受験産業」には賛成できない点が多いのも事実です。友人が我が子の小学校受験のために学校附属の教会に通った話は、今から20年前のことです。当時はそんな家庭はその家庭ともう一つくらいしかなかったといいます。それほど珍しいことだったのです。ところが、「教会に通っていた人でコネもなく入った」との事例ができると、その翌年から、「教会に通ってご縁を頂いた人がいるから、あなたも行きなさい」と受験塾から指導されるようになるようです。20年経った今では、その私学を受験する親子が教会に通うのは当たり前の光景のようですが、我が子のためとはいえ、教会に嫌々通う精神や姿勢を親が見せることは、学校も望んでいないだろうと思うのです。

e0143522_1255651.jpg受験の定番といえば「紺のお受験スーツ」ですが、それについても同じようなことではないかと思います。本当は、良識があって、TPOさえわきまえてさえいれば、「皆、同じでなければならない」などとは、誰も言っていないのかもしれません。しかし、受験シーズンになると、どこの百貨店でも「お受験のための売り場」ができて、紺のスーツなどが並びます。我が子の合格を望む親御さんは、皆「落ちてはいけない」という集団心理で、売り上げに協力することになるのです。

同じ格好をすることは、それぞれの家庭、教育観、育てられ方、教養などを、平たくして、みなを平等に見せる効果があるのかもしれません。とは言え、どんなに同じ高級な紺のスーツを着ても、見る人が見れば、それぞれの人間性は分かるものです。同じ格好の中から「キラリ」と光る何か、また、反対に「この家族はダメ」という本質を見極められていることを忘れてはならないと思います。

何年か前に、どこかの私立幼稚園の園長先生が、「子どもの試験に際して、動き易い格好が好ましい」と発言すると、「指定してください」と保護者から言われたので、「ジャンパースカートなどがよろしいのでは?」と言ったとたん、「ジャンパースカートでなければいけない」という話が流れて困りはてたという笑い話のような話まで出てきます。それだけ、私たち日本人に「自分で判断する力」が弱ってきているのかもしれません。

何にしても、「我が子のため」に大事なことは、「受験」そのものというより、親が我が子の教育に対してしっかりとした考えを持つこと。そして、将来、親がいなくても、一人立ちできるように育て上げる、受験はそのための一つの方法でしかありません。親子で背伸びをして有名校に入学したものの、後は何もせずに怠けるのだとしたら、受験は何の意味も持たないと思うのです。
by k-onkan | 2011-01-30 23:53 | 教育 | Comments(0)

女が怖いのは、賢いから?

女の子の声のピークは、3年生から4年生で、その後、少しづつ、声が出にくくなっていきます。体の成長と変化によって、体内の何かが変わることで起きる「女の子の変声期」と言えるかもしれません。男の子のように可愛いボーイソプラノがいきなり、大人の男性の声になったりはしないのですが、女の子の声も、子供から大人の声に変わっていきます。子供の頃には深く考えなくても、元気にのびのびとした声で歌えていたのに、この期に入るとそうはいきません。簡単に「できたこと」が、ある日、突然、できなくなる。一番、ショックなのは本人です。私たちが子供の頃は、女の子の声が出にくくなるのは5~6年生になってからでしたが、今は体の成長が早いのが、その時期はずいぶん、前倒しされてきたと感じています。

e0143522_055985.jpgとはいっても、全く声が出なくなるわけではありません。意識してブレス(息)を取り、腹筋を使った腹式呼吸で歌うことができれば、自分の成長に合わせた、新しい声を見つけることができます。ところが、それが、なかなか、難しいのです。そのため、4年くらいになると「思うように声が出ない」と涙を流したりするのです。さて受験で長く休んだ中学生の先輩たちも、変声期の時と同様、自分の声とのつきあい方に戸惑っています。解決方法は、意識的に腹式に切り替えて、頭脳的に口型や口を動かすしかないのですが、合唱団の重鎮だった子ほど、年若い後輩がいとも簡単に美しい声で歌うと、辛いようです。

楽院は縦割りなので、能力があれば、先輩に声の手本を聞かせる機会があります。つまり、第一声部にいた子なら、誰でも一度は、先輩にお手本を聞かせ、内心、不愉快に思われた経験があり、お互い様のです。しかし、中学生といっても、まだ子供。そんなに物分りよくはなれないものです。

「出るくいは打たれる」ではありませんが、絶好調の後輩が、生意気な態度をしたり、悪い態度をすると、女の先輩は黙っていません。「その言い方は感じが悪い」とピシャリとやりこめます。先輩たちも、そのまた先輩から、ピシャリとやられた経験があるのです。

もちろん、私たちもただ見ているだけではありません。後輩がやり込められ過ぎていると感じれば、その子に加勢して助け舟を出すこともあります。反対に、先輩の言うことが正しい時には、「先輩の言うとおり。それは、やめなさい」と教えます。大勢子供がいれば、それぞれの我のぶつかりあいは、存在します。時に「良いものは良い。悪いものは悪い」と判断する大人の存在は欠かせません。

さて、どんなに良い声であっても、一生、合唱団の重鎮でいることはできません。必ず、後輩に道を譲り、サポートする側に回る時期がきます。皆をリードした立場から、人を支え、面倒を見るという役割まで経験すれば、社会に出て、いろいろな場で対応できるのではないかと思います。巷では、「大人になってもニートにならないために」と小学校でキャリア教育を施すとのニュースが流れています。小さな所帯の楽院では、合唱活動を通して、将来のキャリア教育を与える結果になっているのかもしれません。諍いは周りの人を嫌な気持ちにさせますが、それも、子供たちにとっては、無駄な経験ではないのかもしれません。
by k-onkan | 2011-01-29 23:48 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

父親の大事な役割

数日前に、息子のサッカー練習につきあった友人について書きましたが、友人は、わが子の小学校受験にも真剣に向き合った父親です。仕事が休みの日は受験教室にも出向き、志望校の中にある教会には毎日曜日、家族で通ったといいます。最初は、「こんなことまでしなくてはならないのか・・・」と疑問にも思ったそうです。しかし、毎週、教会で牧師さんの話を聞くうちに、「息子を学校に入るため」という邪念(?)が、自分の人生に感謝する気持ちに変わっていたといいます。20年近く経過する今、たいへんだったけれど小学校受験は子供のために、自分も努力したといえる良き思い出だそうです。自慢の息子は立派に育ち、一般の人が何年もかかる資格を大学在学中に手にする優秀な青年になりました。

e0143522_17345673.jpg生まれる前から、我が子の教育を真剣に考え、親子で努力をして小学校受験を乗り越えた。これは世に言われる「受験地獄」とは違う大成功の例だといえます。友人の父親としての関わり方も良い成果につながっていると思います。しかし、残念ながら、「親が有名な受験教室に子供を託し、親は子供のお尻を叩くだけ」という、後から考えたら我が子の人格形成に好ましくない小学校受験を行なう家庭が存在するのもまた事実です。どうせなら、家族の絆が深まる、そんな受験をしていただきたいものだと思います。

とはいえ、都内に住んでいると教育に熱心な家の子のほとんどが私立、国立に通うのが現状です。楽院に通うご家庭の価値観なら、可能であれば受験をする方が好ましいと感じます。何しろ、公立で生き抜くには、よほど強くたくましく育ててあるか、善悪の区別をしっかり教えていないと、悪い仲間に引き込まれてしまいそうです。そうならないためには、親の援護と両親の教育観は大事だと感じます。もちろん、私学に通わせても、ただ預けっぱなしでは、困り物なのですが・・・。

楽院の中にも公立に通うお子さんはいます。保護者の方が口にされるのは、「ここまで悪いとは想像もしなかった」ということ。楽院の生徒たちは、公立にいれば、みなそこそこ「優秀」な部類に入るだろうと思います。しかし、価値観が異なると、周囲と仲良くするのが難しいこともあります。回りの子供たちと比べ、異色に映るとそれがいじめの原因になることがあるでしょう。昔もいじめはありました。しかし、今のいじめが怖いのは、子供たちに「これ以上やったらどうなるか」「相手がどんな気持ちかを考える」想像力がないこと、そして、「ここらへんでやめておこう」という加減を知らないことだと感じます。先生や親が、中に入ってでも、止めなければならない時もあると感じます。

公立に通う5年生のKちゃんは、毎年、クラスでなんらかのいじめにあったといいます。上手に対応する教諭もあれば、教科担任としては優秀で研究熱心であっても、クラスのトラブルはまったく解決できない教諭もいて、我が子の身を守るためには学校での出来事、子供の言動に細心の注意を払ったと言われます。そんな中で、印象に残ったのはお父様の対応でした。「学校では、ちょっと何かができるくらいの子供はいじめられるのだ。クラスの中で突出して優秀で誰もかなわいなら、文句を言えないはずだ。もっと頑張れ」と娘さんを励ましたそうです。さすがに、社会に出て活躍する男性の言うことは冷静で一理あるととても感心しました。

この話を聞いた私は、公立小学校に通う甥Yに、「ちょっとおりこうじゃなくて、誰も敵わないすごく優秀な人になりなさい。変わっているなら、ちょっと変わっているのではなく、とことん変わっている人になれば、いじめられなくなるらしい・・・」と教えてみました。

さて、お腹を痛めて我が子を産んだ母親が、子供守りたいと思うのは当然のことです。しかし、父親までがただ子供を守るのでは、子供はひ弱になり、社会に順応できなくなってしまうと感じます。男親の役割は、社会で対応できる勤勉さや、強さやを知らせることだと思ったのでした。
by k-onkan | 2011-01-28 23:34 | 子育て | Comments(0)

親でなければ誰が?

久しぶりに美容院に出かけました。どこへ行っても、私の話題の引き出しからは子供や教育のことしか出てこないのでしょう。美容師のTさんから、突然、「子供の責任はやっぱり、親にあるんですか?」という質問を受けました。30歳になるかならないかの彼は、人柄がよく真面目な仕事ぶりがとても好感が持てるのですが、その質問に私の方が驚いてしまいました。

e0143522_2343675.jpg「そうですよ。だって、自分の家から犯罪者が出たら親は地獄でしょ?」「それはそうですね」「そうしないためにも、親はわが子をまともな人間に育てる義務と責任があるのですよ」「そうなんですか・・・」。どうも私の答えにピンときていないようです。少々、「口うるさい」と思われても真剣に若い人に伝えることが必要だと切実に思えた瞬間でした。

「たとえば未成年者がお酒を飲んで捕まったら、その責任は、飲ませた大人にあるんですよ」。「え~。なぜですか?」「子供には自分で責任を取る能力がないから、そして、大人は子供に正しいことを知らせる責任があるからじゃないでしょうか?たとえば、高校生が飲酒で捕まったら、飲んだ本人ではなく、未成年にお酒を出した店が罰せられます」「本当ですか?」「そうですよ。大人は未成年に飲ませない責任があるのです。だから、たとえ親が20歳になる前に、お酒を飲む練習をしてやりたいと思っても、建前では飲ませてはいけないのです。いつだったか、居酒屋で親と一緒にお酒を飲んでいた高校生が、自分の写真をネットに流して、その親が捕まったことがあったと思いますよ」。

昔は、「親がわが子を責任持ってまっとうに育てること」はしごく当たり前のことでした。しかし、そうしたことさえ、知らないのが今の日本の若者たちなのです。悪気はありません。ただ、誰からも、当たり前のことをきちんと教えられてこなかっただけです。何も知らずに大人になって、家族を作り、子供を持つ、そして、子供に教育する責任も知らずに、その子が大きくなって・・・。冗談ではなく、これからの日本は本当にたいへんなことになると私も思えてきました。おせっかいな私は、Tさんに、「子供ができたら、責任を持って育てる親になってください」という願いを込めて、「なぜ、親に責任があるか」を説明してしまいました。

実は、Tさんには、私が卒業生のAを預かっていた時、金髪を黒髪に染め直していただいたことがあるのです。そのため、よく、「Aちゃん、どうしていますか?」と聞かれるのです。昨日も聞かれたので、「Aもずいぶん、お利口になって、まともなことを言えるようになりました」と報告しました。「子供の頃、優秀だったのに、どうして、悪い方へ行こうとするんですかね?」と言われたので、「社会で「努力しない人もいる」と知って、「ならば自分も努力しなくてもいいじゃない」と楽な方へ流されたりしたんでしょうね・・・」と説明すると、「(市川)海老蔵さんを殴った子も、子供の頃は、優秀なサッカー選手だったそうですね。どうして、途中で変わってしまうのですかね~。それも親の責任ですか?」「親にも周りの大人にも責任があったと思いますよ。今はもう成人しているから、犯した罪は自分で償わなくちゃいけませんけど。親にしてみたら犯罪者で有名になるより、サッカー選手で有名になる方が名誉だったでしょうね」「それはそうですよね」

「未熟な子供の頃に、何かに努力をし続けるためには、大人の協力が大きいんですよ。スランプもあるでしょう?もう辞めたいって思った時に、「お前には人にない才能があるから、頑張れ」と声をかけてくれる大人がいるとか、素行が悪くなってきたときに、「自分の才能を無駄にせずに素行を正せ。このままでは、将来、犯罪者になってしまう」と真剣に心配したり、叱ってくれる大人が少なかっただろうと思いますよ」。

「うちのAもばかなことはたくさんしましたが、その都度、お父さんが真剣に怒ったり、お母さんが泣きながら探し回ったり、私のように口うるさくいう大人がいたから、最低限、「これはやったら叱られるだろう」とか「犯罪者にだけはならない」と思っているんですよ。もし、「言っても無駄」とAのまわりの大人が諦めたら、犯人と同じようにAも転落していたかもしれません。だから、親や周りの大人の責任はやっぱり大きいんだと思います」。ここまで説明して、やっと、「そうか・・・。親に責任があるんだなぁ・・・」と納得してくれた年若い彼を見て、若い人が何も知らないのは、年長者の私たちがきちんと、伝えたり教えたりしない責任なのだと実感したのでした。
by k-onkan | 2011-01-27 23:43 | 子育て | Comments(0)

父親の愛とコーチの真意と

巷では、サッカーのアジアカップに興奮しているようです。そんな中、以前、友人から聞いたある話を思い出しました。それは、彼の息子が中学生の時、学校のサッカー部にJリーグのコーチが指導に来て、「リフティング200回できない人は、部から去るように・・・」と言ったことがあったという話です。小さな頃から、サッカーが大好きだったので「辞めさせられてはたいへん」と息子から相談され、友人は出勤前の早朝6時より、毎朝、わが子のリフティングの練習に付き合ったといいます。

e0143522_9472029.jpg10~15回くらい始め、最初は50回を目標に挑戦したそうです。48、49まではできるようになるのですが、なかなか、その壁は越えられません。けれど、それを繰り返す中で、壁を越える力を蓄えていると感じたといいます。50、100.200・・・。練習する中で加速がついてできるようにり、子供との幸せな「リフティング特訓」は数週間で終わったそうです。「何事も継続すればできるよう」になると子供に教えられたと話す友人を「良いお父さんの見本」と微笑ましく思ったものです。特に、今は、お金を使って、体操コーチが、わが子が苦手な「さかあがり」や「ドリブル」につきあう時代なのでなお更です。

さて、友人が子育てに関わったのは20年前。サッカーの話は、10年以上前の話ですが、最近の教育の実態を考えると、この話にはもっと深い意味があると気付いたのです。なぜなら、今の時代、コーチや先生が、「200回できない子は退部」などと口にしたら、まず、保護者からクレームがくるのは間違いないでしょう。「そんなことは無理」「練習する時間がない」「リフティングとサッカー技術は関係ないではないか」「できない子がかわいそう」「そんな理不尽な要求をするコーチを替えて」「やらせたかったら、コーチが時間を作って、練習を見るべき」。保護者から言われそうなことも想像できます。そして、学校側も「無理な要求をせずに、妥協するように」とコーチを指導するかもしれません。

さて、プロとして活躍した人には、彼らにしか理解できない訓練の重要性があるのだろうと思います。そして、コーチに「200回できなければ退部」と言われた時に、「ボクはできない」と諦める子供は、どんな技術を持っていても、試合中に闘争心に欠けるだろうと思います。反対に、最初はできなくても「絶対に200回できるようになってやる」という子、「やりたいこと」のために最大限の努力をして期間内に結果を出す子供こそ、コーチが求めた部員であっただろうと思うのです。

これは、物を習得する上で、素直に師の言葉に従えるかの「踏み絵」でもあると感じます。先生(コーチ)に「これをしなさい」と言われた時に、疑問を持たずに素直に練習する人と、「こんなことをやって何の意味があるの?」と疑問に思いながら、取り組むのでは、その成果はまったく違うものになるということです。物を教えてもらうということは、技術を盗ませてもらうということです。真剣に物を学ぶための奥義は、その方法を真摯に身につけるしかありません。これは、「先生と生徒」が平等になったことで、日本の教育現場に一番、失われてしまったことでもあるのです。
by k-onkan | 2011-01-26 22:42 | 教育 | Comments(0)

天使と悪魔と・・・

授業が終わって廊下を通ると、甥Yがピアノの練習をしているところでした。中を覗くと、「あとバイエル1曲で練習は終わり」というYの声。「各曲を3回ずつ練習する」という母親との約束があるYですが、私に「リズムが悪い」「違う音がする」と見つかると、約束以上に練習させられることを知っているため、たまに弾いた回数より多く申告したりします。

e0143522_13172441.jpg「「本当に後1曲で終わりなの?その前の曲もちゃんと3回ずつ弾いた?」と確認する私。「本当にしたよ」と私の目を凝視するYの言葉に嘘はなさそうです。しかし、子供だった私も、大人の目を欺き練習をさぼった口なので、100パーセント信じることはできません。「これで嘘なら末恐ろしい」と思うほど真剣な目のY。私は、「わかった。私はYを信じる!でも、信じている人を裏切ることは、「罪」だからね。警察に捕まる罪でないけれど、人間として「あってはならないこと」も罪というのだからね・・・。絶対に大丈夫ね?」。「ちゃんと3回弾いたから大丈夫だよ・・・」

「罪」という重い言葉を使ったのには理由があります。その前日、Yを叱った瑠音先生は、「同じことは2回まで言葉で注意するけれど3回目は叩く!」と宣言しました。すると「ボクはお母さんに叩かれるほど悪いことをしたの?それは犯罪?」と言って、瑠音先生をもっと怒らせたと言います。学校の友人か、テレビで聞いたのかもしれませんが、覚えたてのフレーズを親に使ったことで、大きなカミナリが落ちました。どんなに好ましい教育環境を与えていると思っていても、子供は社会やメディアから悪い習慣も好ましくない言葉も学びます。その中で、正しい道を知らせることができるのは家庭や身近な大人しかいないのだと痛感します。

1年生でありながら、末恐ろしい発言をするYですが、まだ可愛い面もあります。学校公開で張り出された「ふゆやすみのおてつだい」という作文は、よそのお母さんに「こんなことを書かれたら、涙が出ちゃう!」と言われたそうです。「ぼくはふゆやすみにせんたくものをたたむおてつだいをしました。いつもこんなにたくさんのせんたくものをたたんで、ほかにもしごとをしてたいへんだなとおもいました。せんたくものをたたむのがじょうずになりました」。子どもは「天使と悪魔」の両方を側面を持っています。大人はそれのどちらかだけを見るのではなく、良いところを伸ばし、悪いところは是正しなければ、と思うのです。
by k-onkan | 2011-01-25 13:15 | Comments(0)

感謝を忘れずに・・・

先日の公立小学校の先生が保護者を提訴した事件から、テレビでは、連日のように「モンスターペアレント」と「教諭の質の低下」の話ばかりが流れています。親は我が子に嫌われたくないので、当たり前の躾もしなくなったこと。一方、教師も一人っ子で育った人が多いため、勉強はしていても部活動を経験しておらず、人の上に立つ術、他のコミュニケーションの取り方が分からない。それが教育現場の状態であると教育に従事する人がコメントしていました。

e0143522_1381937.jpgそんな中で、印象に残ったのはワタミの社長、渡邉美樹氏の言葉でした。渡邉氏は、7年前より私立校の運営に関わっていますが、「モンスターペアレントを作っているのは学校」と述べていました。不満を口にする10人中、9人は、「子供を愛しているという気持ち」が共通すれば、誠意を持って話すことでモンスターペアレントではなくなる・・・と。そして、残りの1人は、「そういう人は、どこへ行ってもモンスターなので、[「辞めてよい」とはっきりした姿勢を打ち出すことも大事だ」と言われます。私は渡邉社長のこの言葉にとても納得がいったのでした。

親が我が子を一番、可愛いと思うのは当然のこと。しかし、同時に、我が子が社会で一人立ちできるように育てる責任も忘れてはならないと思います。子育ては親だけでできるものではありません。学校や社会、親戚や、他人の手を貸していただいて行うものです。そこに、感謝の気持ちを忘れる、我が子の都合ばかりを通していると、子供もとんでもないモンスターに育ってしまいます。

私たちは皆、自己を中心にものを考え、自分の都合を優先しようとしますが、自分だけで生きているわけではない。たくさんの人との関わりがあって、自分が成り立っているのだということを忘れないように。自分を大切にするためには、他人も大切にしなければならない。これは、子供の頃、身勝手な私に母が繰り返し、教えてくれたことでした。とても当たり前のことなのですが、大人になってもとても難しいことです。自分が関わる子供にこれを知らせられる大人でありたいと思うのです。
by k-onkan | 2011-01-24 13:08 | 教育 | Comments(0)

そんなにバカじゃない!

先日、あるテレビ番組で若い女性が「タトゥー(入れ墨)を取るまで」のドキュメンタリーを放映していました。テレビに出てくる若い女の子たちは若気のいたりなのか、一時のおしゃれと考えるのか、簡単に安価で「タトゥー」を入れてしまいます。彼女たちは、喜び勇んで家族やボーイフレンド、会社の人に見せて、初めて、日本の社会でまともな生活を送るためには「入れ墨は受け入れられないこと」を知るのです。

e0143522_13365637.jpgある女の子は、「タトゥーを家族に見せたら、怒って口を聞いてもらえなくなった」と言います。胸に大きな星型のタトゥーを入れた女の子は、つきあっていたBFに「商売女みたいだ」と振られてしまいました。また海外留学経験があり外資系会社へ就職が決まっていた女性は出勤初日にタトゥーが上司の目に留まり、「タトゥーがあるなら会社に来ないでくれ・・・」と就職がダメになりました。他にも、当時のボーイフレンドの名前や誕生日を体中に彫った女の子は、他の男性との結婚を控え、1年近く、美容整形外科に通っているといいます。

2~3万円で気軽に入れたタトゥーを切除するために100万円近い費用がかかります。手術をしても傷は残ります。結婚を控えた女性は、「将来、子供が聞かれたらなんて答えよう。どうして、こんなばかなことをしちゃったのだろう」と後悔を吐露していましたが、私などは、「どうして、やってみる前に、この結果を想像できなかったのか?」と不思議に思います。でも、私には口うるさいことを言う両親がいたから、「こんなことをしたら、叱られるだろう」と想像できたに過ぎません。

この若い女の子たちは、小さな頃から自分がやりたいことを思うままに行動する自由を与えられ、誰からも何の規制もなく育ったのではないでしょうか。そして、やっと、世の中には自分の希望が受け入れられないこともあると「タトゥー」によって知らされたのです。

「世の中にはいろいろな考えがあり、個々の自由を尊重すべき」とは言え、日本の社会が「入れ墨」に抵抗があることに安心します。でも、物を知らない子供たちには、「金髪」も「ピアス」も「タトゥー」も同じことで、「格好いいからやる」のだろうと思います。やはり、多少、口うるさいと言われても、言っても無駄だと思っても、我が子に「ダメなことはダメ」と親は教えておかなければと思うのです。「無責任なことはダメ」「卑怯なことはダメ」。子供の頃から当たり前のことを教えていれば、若くして子供を産んでその子を虐待する事件ももっと減ると思うのです。

私はこのテレビを見て、すぐさま、卒業生のAに電話をかけ、「タトゥーなんか彫ってないでしょうね。絶対にダメよ」と言い放ちました。大学生になったAは、「タトゥーをするほどばかじゃないよ」と恥ずかしそうな声を出しますが、高校生の時に、「みんなもやっているのに、どうして、私だけダメなの?」と髪を金髪に染めたり、ピアスをしたりして、私たちを困惑させたものでした。その都度、厳しいお父上に叱られ私のもとへと家出をしてきました。私は「お父さんの言っていることの方が正しい」「親に養われている内は、親に従わなければならない」と諭し、「金髪やピアス」を辞めさせ連れ帰って頭を下げさせたものでした。

当時、「私の体だから、自分の勝手じゃん!」「他の家の子は良いのに・・・。どうして、うちだけダメなの?」と文句を言っていましたが、今やっと、「タトゥーするほどバカではない」と言えるのは、若い頃の過ちに、親御さんや周りの大人が「NO」を唱えた成果なのだと思っています。

我が子から「みんなもやっている」と言われると、親はつい「時代が変わったのか」と思って受け入れてしまいます。しかし、どんなに時代が変わっても、ダメなことはダメなのです。なぜなら、子供の言う「みんな」の中に「まともな人」は入っていないからです。親は自分が子供だった時に、「ダメ」と言われたことは、我が子にも「ダメ」と伝える勇気と愛情が必要です。子供に理解があって、何でも受け入れる親が良い親ではないのです。時に子供に嫌われても、将来、子供が「ありがたかった」と思える教育こそ、親なら与えるべきなのだと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2011-01-23 22:36 | しつけ | Comments(0)

天知る、地知る、人ぞ知る

最近、合唱中に、モジモジしたり、話を聞かない子が増えたため、木下先生から子供たちに「大事な話」がありました。それは、木下先生が、通勤途中に通る東京駅の広場の話から始まりました。東京駅には、毎日、必ず、どこかの中学や高校の生徒が集まっる場所があります。たぶん、ディズニーランドに出かける学校や東京に修学旅行に来た子供たちが集合しているのでしょう。その子供たちを見るたびに木下先生は、「悲しいけれど、日本はもうおしまいだ」と思うそうです。なぜなら、先生がどんなに一生懸命、拡声器を使って注意事項を話していても、誰一人聞こうとしないからです。

e0143522_1263618.jpgところが、数日前、とても立派な生徒たちに出会ったそうです。先生がニコニコと注意事項を述べている中、生徒全員は、誰もおしゃべりせず、静かに先生に注目しています。木下先生はその珍しい光景に驚き、思わず「どこの学校ですか?」と先生に聞いたそうです。あまりに立派な子供たちに感激したので校長先生に手紙を書こうと思っていると、子供たちに話しました。

「誰も見ていないように思っていても、必ず、どこかで誰かが見ているものなのだ。この学校の子供たちも、誰にも見られていないと思っていても、木下先生にマナーの良さを気付かれたのだ。だから、合唱練習をする君たちも、「誰も見ていないから」と安心して、行儀悪くしている場合ではない。こういうことを「天知る、地知る、人ぞ知る」と言うのだ。「分からないと思っていても、天も見ている、地も見ている、そして、自分も、他の人も知っているのだ」と教えました。

最近、小学生の子供たちに緊張感や意欲が欠けているので、「こんなことではオペラはできない」と子供たちに発破をかけたのは先週のことでした。それを聞いた子供たちが、「木下先生がオペラをやらないと言った」と家に帰って報告したため、びっくりされた方からご連絡をいただきました。子供たちは「今年がオペラの年」だと思うと、何の努力をしなくても「オペラ公演ができるもの」と思ってしまいがちです。しかし、大勢の方の協力や、プロのスタッフの力を借りて行うオペラに、そんないい加減な気持ちで取り組ませるわけにはいきません。

恵まれた時代に暮らす子供たちは、物がなかった昔の子供に比べると、競争心も意欲も薄れています。「恵まれているから、自分で工夫したり、面白いことを探したりせずに、お仕着せのもので満足する今の子供は可愛そうだ」と木下先生はいいます。そんな時代に育った子供だと言っても、オペラを成功させるためには、個々の子供に意欲を持たせないとなりません。そういう意味で「(このままでは)オペラはできない」のです

ところが、子供というものは言葉どおりに受け取り、「木下先生がオペラをやらないといったから、ないのだ」と諦めがよいというか、納得してしまったりするから困りものです。本当は、「オペラができない」と言われたら、上手になって「オペラをやろう」と言わせてやろうという気概を持って欲しいのです。誰にでも楽にできることを表面的にこなしても、そこに自信は生まれませんが、難しいこと、たいへんなことに一生懸命、挑戦した時にこそ、自分に自信が備わるのですから・・・。
by k-onkan | 2011-01-22 23:53 | 児童 | Comments(0)