麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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やり直しがある音楽祭

1週間前の音楽祭には、津市からも鑑賞に足を運ばれた方がありました。高校で音楽教諭を務めるTさんです。「どこの幼稚園もとても上手で、うわさに聞いた通りの音楽祭だった。楽院の合唱を聴いて、「しかられたのシ」は、美しい歌声を作る通過点に過ぎないことに気付いた。自分は、あの歌声に近づくために発声を学んでいると思う」と話してくださいました。

e0143522_2158368.jpgTさんの話の中には、音楽祭で一番、驚いたこととして、「独唱で伴奏とずれた子供」の話があがりました。「客席にいた木下先生がオーケストラピットに出向き、演奏を中断し、やり直しをするのを見て、子供のために、ここまですることにとても驚きました」と言われました。木下式の感性では、当然のことなのですが、音楽会の途中に、やり直しをした「事実」に驚かれたようです。通常の音楽会ならソリストと伴奏がずれて失敗に終わったとしてもチャンスは1回だけで、諦めるのが当たり前だからでしょう。

木下先生が演奏を止めた時、舞台袖にいた私たちもすぐに「やり直しに違いない」と思いました。長年、木下式に関わった人であれば、木下先生の考えはすぐに分かります。ミスは、園児ではなく、オーケストラ、つまり、大人の責任でした。運営委員長の廣野先生は司会者に「やりなおし」と伝え、私は舞台袖からオーケストラピットまで走りましたが、木下先生によってやり直しが命じられた後でした。

午前の部を鑑賞された方は、皆、口をそろえて、「あの失敗が音楽祭を心温まる会にした」と言われます。中には、「大舞台であんな失敗をした後、すぐに気を取り直して、再度、歌えることがすごい。普通は、動揺して何もできなくなるものなのに・・・。木下式の底力を感じた」と言う幼児教育関係もありました。

子供が上手にやり直しをして、凛とした姿勢で舞台を降りた後、舞台袖では小さな事件が持ち上がりました。それは、園児が所属する園の先生が、「あの子はこれまで練習で失敗したことなど一度もありません。何とか司会の方から、「子供の責任ではない」と会場にもう一度言って欲しい」と私に直談判をされたからです。私は「無事にやり直しの演奏も済ませました。本人もすっきりとした顔で舞台を降りています。司会者も「手違いがあって、やりなおしをします」と会場に伝えました。あの時、できる最善のことをしました。これ以上のことはできません」と伝えました。

演奏するオーケストラも、プロで大人だとは言っても、人間です。いつまでも、責めることが、残りの音楽に集中できなかったり、気持ちよい演奏ができなくなることもあるのです。これからの子供のミスまで、オーケストラの責任と会場に思わせるかもしれません。すでに、やり直しをして、きちんと歌いきったら、その話は終わり。先に進まなければなりません。客席にいる木下先生もきっと同じ判断であったはずです。しかし、その先生はあきらめきれず、結局、司会者に壇上で再度の謝罪をさせてしまいました。その様子が「木下式の音楽会らしくない違和感を残した」との感想もありました。

津から楽院に帰って、スタッフと1週間ぶりに顔を合わせると、その話になりました。木下先生曰く、「あの女の子は憮然とした顔で、「間違ったのは自分じゃない。大人だ」と私に目で訴えた。誰が聞いてもあれは、オケのミス。第一、自分が作った曲だ。間違えるわけはない。だから、止めに入ったのだ・・・。あの子は何にも動じずに堂々と歌って戻っていった。親御さんも涙を流して御礼にきた。過剰の反応して、再度、謝罪する必要などなかった。子供もそんなことは望んでいなかったはず・・・」。

ちなみに、通常、音楽会では失敗をしても、演奏のやり直しなどしないことは、木下先生が百も承知です。しかし、「自分の音楽会」だから、大人のミスで失敗した子に再度、やり直しのチャンスを与えたのです。但し、子供自身のミスで失敗した際には、木下先生はとても厳しいので、やり直しはさせないことを、あしからず、ご了承ください。
by k-onkan | 2011-02-28 23:57 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

一人と、みんなと

週末は三重県津市に出かけました。1ヶ月半ぶりの小西先生の教室の指導でしたが、日々、ブログを読む小西先生は、私のまわりの出来事をよくご存知で、第一声は、「Yくんの話は心が痛みますね」。私は心遣いに感謝をしながら、大人の想像以上にたくましい甥Yの言葉を伝えました。「大勢で一人を攻撃するのは、あいつらが弱虫だから。本当に強い男はそんなことはしない」。この問題を全クラスが知って、同じマンションに住む同級生のお母さんが声をかけた時のYの言葉です。

e0143522_12303184.jpgこれは、「どんなことがあっても両親は自分を守ってくれる」という裏打ちと自信からくる強気の発言だと思います。9年間、いじめを我慢した私とは大違いです。私の両親は瑠音先生のように学校まで出かけていって守ってくれることはありませんでした。当時、親で学校に物申す人は多くなかったと記憶しています。また「一生懸命、身を粉にして働く親に心配かけてはいけない」。イジメを知ったら、親の方が心を痛め傷つくことを子供心に知っていたのです。

学校側は、「今、起きていることは「いじめ」ではない。なぜなら、ターゲットは安藤くんなのではなく、誰にでもなりうる」と説明します。確かに、いじめっ子は、これから6年間、いえ、長ければ9年、そのターゲットを捜すために、ちょっかいを出しているのでしょう。校長先生にでさえ論理的に批判する「口うるさい母」がいるYに対するいやがらせは、その内、「あいつの家はうるさい」とおさまるのではと推測しています。

さて、この問題を私がここに書くのは、単に甥Yの心配をしているわけではありません。この問題をどのように対応するかが、大人として、音感の先生として、一番大事なことだと思うからです。大人数の子供に音感教育を指導する私たちには、一人の子供の気持ちや考えだけを主観的に捕らえ、物事を判断すると、他の子供の信頼を逸してしまいます。公立小学校の対応は、私たち指導者に「反面教師」として、とても大事なことを教えてくれていると、私は小西先生に伝えました。

木下式を教える際には、「個人発声」という1対1の時間と、「グループレッスン」で、先生が生徒全員に対峙する時間があります。双方に共通するのは、個々の能力を高めるために、長所を引き上げ、短所を是正することですが、個人発声が、その子を主観的に指導するとしたら、「グループレッスン」が個人と大勢を比較する客観的な指導となります。子供がたくさんいると、先生の前では、失敗をしないように気をつける優等生もいれば、失敗してでも、大人に構って欲しい子もいます。いろいろな事例が、子供たち全員に「何が良くて、何が悪いのか」を明確に知らせることになるのです。これが、個人レッスンでは教えられない相乗効果といえます。

このグループレッスンで、いつも誰が特定な子供だけが褒められていたら、子供たちは意欲を失うでしょう。そのため、木下式の訓練では、子供の立つ位置を変えることで、「今は、この子の声の出し方は、一番上手。みんなも真似をしよう」「これは、いけない」とそれぞれの良いところを引き出すのです。それでも、誰か特定の子が一番になる際には、クラスを変えて、他の子に日が当たるようにしているのです。

小学校で突出した子供を次学年に進級させることは物理的に不可能です。しかし、担任がYだけを過剰に褒めたり、特別扱いをすることで、Yが子供の世界で立場を失くしているのも事実です。Yに感情があるように、他の子供にも感情があります。子供が何か悪さをする時は、「何かを訴えている時」だと思います。それに大人が気付かなかったり、穏便に済まそうとすると、もっと悪化してしまいます。本当の意味で子供の傷を広げないというのは、はやく表面化させて、きちんと叱って、反省させたら、いつまでも、グチグチ言わずに、愛情を持って受け入れてやることだと思っています。

瑠音先生は、お腹をいためて産んだ我が子の問題に、時に母親として「主観的」になる面もありますが、大人として、社会人としての客観性をもって、「いじめている子」の気持ちも推測してYに伝えています。特に、しつこくいじめる子は、毎日、学童保育でお母さんを待っているお子さんです。「Yは学校が終わると、電車に乗って教室にきて、お母さんに会えるでしょ? でも、Xくんはお母さんになかなか会えなくて、寂しい気持ちでいじめちゃうのかも・・・」。いじめる相手に対して悔しい気持ち以外に、他人が持つ感情も推し量ることも、生きる上で必要な勉強だと思っています。
by k-onkan | 2011-02-27 22:29 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

どんな風に育てれば?

「どんな子育てをすれば、良い子に育つんだろう?」。スキー場でインストラクターのアルバイトをしているという卒業生のHちゃんは、スキー合宿で「良い子」を見つけると、お母さんがどんな子育てをしているか質問するそうです。私は、「愛情をいっぱい与え、適度に期待して、子供の気持ちを理解して、でも、調子にのったり、鼻持ちならない様子を見せたら叱ること。自分だけが特別で何でも思い通りになると思わせないこと。欲しいというものを闇雲に全て与えないこと。そして、親の気分で子育てをしないこと。きちんと芯の通った考えを持つこと。問題がある度に、ぶれないこと」等など。たくさん親子を見て、一番、大事だと思うことを口にしました。

e0143522_23121021.jpg「楽院だったら、誰のお母さんが良い?」と聞くので、「瑠音先生が目指しているのは、Gくん三兄弟のお母さん。男を男らしく上手に育てるのは難しいのに、あんなにすごいお母さんは他にいないと木下先生のお墨つきよ・・・」。Gくん兄弟はスポーツ万能で勉強もよくできる優秀な兄弟です。もちろん、男の子らしいいたずらや悪さをして、お母さんを困らせることもありましたが、若くて美しいお母さんは、腕白坊主に負けない強さで真剣に立ち向かっていました。何より、彼らほど、物事に意欲を燃やした子には未だにお目にかかったことはありません。そこには、ご先祖が外国出身で苦労されたことも影響していただろうと思います。他人さまに後ろ指をささせないために必死だったともいえます。

時によそのお母さんから、「あんなに、厳しくしてかわいそう」とか「外国人だから、日本人に負けないように教育しているのだ」と陰口を叩かれたと後に聞きましたが、誰に何を言われても、お母さんにはしっかりした考えがあり、何事にも筋が通っていました。もし、「よその人から、白い目で見られてうちの子がかわいそう」と甘さを見せたり、わが子中心に考える子育てであったら、あそこまで、男らしく、精神的に強い子には育たなかっただろうと思います。子供の話をよくききつつ、わが子が間違っていたら、容赦なく叱る。主観的になりがちな女親が、冷静に客観的にわが子を育てられたことが、何より素晴らしいと感じます。

「それで、瑠音先生の子供は、どうなの?」と聞かれたので、数日前に、1歳児検診に出かけた甥Kが「大人の言葉が理解できてすごい」と褒められたことを話しました。なんでも、身長を測るために、ベッドの上に寝かされる際、他の赤ちゃんは不安で泣きさけぶそうですが、大人の言葉を理解するKには「これから、背の高さをはかるから、じっとしてね。手はピンよ!」と瑠音先生が声をかけます。すると、背筋を伸ばして静かにすることができます。体重計の台が小さくて体がはみ出しそうになれば、「お尻をあげてキュッとして」。おむつ替えの時にする格好になるのです。

「1歳で、それは、すごくおりこうなんじゃないの?」とHちゃん。しかし、生まれてすぐから、親が子供の気持ちを察して、よく話かけていれば、誰でもそれくらいの芸当はできて当たり前です。まゆみ先生曰く、私も瑠音先生も、1歳の時は同じくらいの理解力があったそうです。私が子供の頃は、お母さんは自分の赤ちゃんにたくさん言葉がけをして子育てをするのが当たり前でした。少なくとも、叔母や知人など、教育に知識のある人にとっては当たり前だったと記憶しています。それを見て育った私は、6歳年が離れて生まれた赤ん坊の瑠音先生に多くの言葉を教え、指示行動を教える良い姉(もちろん、たまにいじめたりもしましたが・・・)だったと思います。

最近の母子手帳は、「~歳になると~ができる」と書くことで、「できないことがお母さんのストレスになるといけない」といって、昔の基準からずいぶん引き下がっているようです。しかし、子供の時に自分ができたことを、わが子にできるようにするのは、「動物として」、当たり前のことではないかと感じます。昔の「ふつう」が、今の「特別優秀」になってしまったら、日本の未来は相当、危ういと思っています。
by k-onkan | 2011-02-26 23:04 | 子育て | Comments(0)

大人になるために~卒業生がやってきた~

私にとって、この休日は中高生とのつきあいが活発になる時期だったようです。受験のために上京した大阪の千里丘学園幼稚園出身のAさんに楽院のピアノを貸しているからです。日々のメール連絡の約束はしましたが、自分のペースで受験に臨めるよう、必要以上の干渉はしないようにしています。「今日は良い天気だから、きっと、気持ちよく弾けると思います。行ってらっしゃい」。物分りの良い伯母のようなつきあいです。とは言え、親御さんからお預かりした大事なお子さんなので、何かあったら厳しく取り締まらなければなりません。

e0143522_11223560.jpg木下式は、幼児、児童には過保護なほど、手をかけ、目をかけ指導しますが、大人になりかけの中学生、高校生にはしつこくしません。あまり干渉すると反抗されるのが分かっているからです。中には、「子供の頃のように叱ってもらえないので、寂しい」という卒業生もいますが、そこは大人として自立心を尊重しています。こんなつきあい方をするので、休みになると、卒業した生徒たちがが集まってくることになります。

今日の夜には17歳から23歳までの卒業生が6人、我が家に遊びにきました。就職活動まっさかり(通称、就活)の大学生もいれば、法学部に進むために頑張る高校生男子もいます。偶然なのですが、「アウシュヴィッツのように真っ暗で水が出ないシャワールーム」を体験したモンゴル滞在を共にしたメンバーでした。とは言え、モンゴル公演の思い出話は一切しなかったのですが・・・。

今回は、女の子たちの平均年齢が高く、男の子たちはいたずらばかりして叱られた悪ガキ軍団。そのため、お姉さんたちからの厳しいメッセージにも頭があがらない姿がありました。「世の中には、悪い女性がたくさんいるから、気をつけてね。格好つけているKなんか、特にだまされるよ。女性にもてるのはJだと思うけれど・・・」等など、かつての仲間は歯に衣着せずに言いたいことを言う間柄です。以前、「彼女ができても、絶対に楽院の先生にだけは紹介しません。自分を否定された気になりますから・・・」と言っていたJくんは、一転して「紹介できる良い彼女を見つけますから」と考えが変わっていました。これも、幅広い年齢層で集まる効果かもしれません。楽院の子供たちは、経済的に恵まれた家のお子さんが多いため、物事に対する考えが甘いこともあります。特に、自分の意思に関係なく生まれながらに莫大な財産を受け継いだ子にとって、「一生懸命、生きる」ことを教えることが、いかに大切な教育であるかを教えられました。

現在、海外留学の中休みにある23歳のYちゃんは、大企業の大株主の娘さんです。当然、先祖から受け継いだ財産があります。「自分が与えられた財産を見たら、普通に、アルバイトしたり、仕事をしたりする理由が分からなくなった。これまで頑張ってきたことが無意味に感じられて、生きている感じがしない・・・」。数年前まできちんと就職して毎日、働いていたYちゃんの悩みは深いようです。私たちは、経済的な心配がないことをうらやましいと思いがちですが、「一生懸命、打ち込める人生」がある幸せを確認したのでした。

「私だって親の会社の株くらい持たされている。でも、それはご先祖さまが残してくれたもので、それをあてにしたり、使ったりするのは恥ずかしいことだと思っている。就活もコネを使いたくないと思っているけれど、それがどんなにたいへんか、自分の非力さに落ち込んでいるんだよ。そんな考えではダメだよ。お金は必ずなくなるものなんだから・・・」就活中の大学生Hちゃんがお姉さんのYちゃんをお説教です。子供の頃、泣いてばかりのワガママ娘(ごめん!)のHちゃんは、親御さんから厳しく、「お金を持つ人の心得」を教えられていると感じました。

Hちゃんはアルバイトしたお金でみんなにお土産を持ってきました。「これは、汗と涙のたまものは、お参りして食べなくちゃいけない」と冗談をいうと、「シュークリームくらい、俺だって買ってこられる」とKくん。「親御さんからのお小遣いで買ってくれても、全然有難くないのよ」「分かっているよ・・・」。なんだかんだ言っても、可愛い子供たち。先輩のすることを見て、後輩は大人の世界の作法を学んでいます。

恵まれた卒業生たちに、、「お金があるというだけで、人生がうまくいくほど世の中は甘くない。真剣に生きている人には適わない。お金があっても、一生懸命、頑張って欲しい」と、前出のAちゃんの話をしました。「年長の時に地方の幼稚園で、木下先生に抜擢され、音楽祭で独唱をしたこと。ピアノを始めて、いろいろなコンクールでよい成績をおさめたのに、経済的にお金がかかる音楽勉強を諦めるように、周囲から説得されたこと。それでも、一生、ピアノと関わるために奨学金を勝ち取って、努力をして頑張っていること。レッスンは、深夜バスで8時間かけて上京してくること」等などを話ました。真剣な顔で聞く子供たちの心の片隅に大事なメッセージが残ってくれることを願っています。

帰り際、「あぁ、手作りピザ、うまかったぁ。俺、麻奈先生の作るスパゲッティーが好きなんだ」。女性の心をくすぐるような発言をしたKくん。高校生男子は、自分のお母さんに、こんな歯が浮くようなせりふは言わないでしょう。たまに、作って有難がられる私は本当に良い役をさせていただいていると思います。でも、今日、食べさせたのは、スパゲッティーでなく、ちらし寿司だったのですが・・・。

帰宅してしばらくすると、かわるがわる子供たちからメールが入ります。「連絡しないと私に叱られる」という、「3つ子の魂、100まで」、教育の成果はあったのだと思います。「自分で頑張ろうと思っていたはずなのに、いつの間にか甘い考えに流された自分に気づいていませんでした。これからまた、頑張ります!」というYちゃんに、「一生懸命、生きても、一生、無気力に生きても、一生。だったら、一生懸命、生きる方が気持ちが楽しい」。私は、子供の頃に何度も繰り返して、母に教えられた言葉を返信しました。そうそう、「今日の出来事がブログに載るのを楽しみにしています」というメッセージもありました。さすがは卒業生、ブログにおもしろ、おかしく書かれるのはお見通しです。
by k-onkan | 2011-02-25 23:21 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

ズル休み後、雨

このブログを読んでくださっている方は、小学校をズル休みした甥Yがその後、どうなったか、気になることでしょう。「1回、ズル休みを許したら、そのまま不登校になってしまうのでは」と心配されているかもしれません。お蔭さまで、浅草寺詣りの効果なのか、翌日から出かけていきました。しかし、事後対応の悪さは現代の日本社会を反映したようで呆れることになったのでした。

e0143522_029191.jpg登校した日の夜、瑠音先生宅に電話がありました。相手は担任の先生。「今日、安藤くんに嫌なことをした子供たち全員が再度、謝りました。安藤くんもその子たちに、「冗談のつもりでも、相手が怪我をしたり、死んでしまったりしたら、たいへんなことになるんだ。だから、二度としないと約束してください。もし、同じことをするなら、ごめんなさいと言われても、ぼくは許せない。これは、ぼくだけのことでなく、他の人にも、しないでください・・・」。そう話してくれました。本当に、精神的にずっと大人ですね。安藤くんは・・・」。先生のお世辞のような言葉が続きます。

その言葉に私たちは実はもっと不安になりました。Yの発言は、「先生や親」など子どもを指導する立場にある大人が言うべき事柄であり、木下式の感性では、絶対に、同じ年齢の子供同士に言わせないと思うからです。偉そうなことを言ってもYは所詮小学1年生の未熟者です。先生が言うような「精神的発達も、倫理観」も持ち合わせてはいません。ただ、これまで受けた教育によって信念や価値観、自分の考えらしきものを備えさせられつつあるに過ぎないのです。未熟な子に過剰な褒め言葉は「百害あって一利なし」です。何より残念なことは、たった1年生の子供でさえ言う「大人の受け売り」の説教を、なぜ、50歳過ぎのベテラン教師が子供たちに言ってやれないのか・・・。これでYは益々同級生から煙たがられるか、はたまた、悪知恵を働かせて裏番長になるのか・・・。瑠音先生は、今後、更にYの行動に目を光らせなければと心がひきしまるのです。

更に困ったおまけがありました。それは、公立の「何事も穏便に済ませることが最良」という体質を垣間見たことでした。いやがらせをした11人の中、学校から連絡がいったのは怪我をさせた家庭のみ。つまり、いやがらせをしても、傷さえなければ、証拠がないとでもいうのでしょう。親は自分の子が関わったかどうかさえ知らされないのですから、家庭教育をしようにも、できないのです。

話を耳にした警察関係の保護者は、「怪我をさせた云々ではなく、関わった者全員に指導してこそ、意味があるのでは?」と提案されました。しかし、「これ以上、傷口を広げるのはいけないので、今回は9人の家庭には連絡をしないと校長先生が判断・・・」。この言葉に瑠音先生はすっかりモンスターペアレント化してしまったようです。「傷口を広げないとは、誰の傷口でしょうか?」「安藤くんとお母さまです。お忙しいのに、謝罪の電話がたくさんかかってきても、お困りでしょうし・・・」。「私は謝罪をしていただきたくて申しているのではありません。自分の子供が悪いことをしたら、親にはそれを知る権利と、わが子を指導する義務があると思っています。それを知らずに、親はどのように子供と向き合えと言われるのですか・・・」「対応が悪く、申し訳ありません。それならば、もう一度、校長と相談・・・」。

これが、楽院で起きたことなら、私たちは怪我をさせた3人以上に、扇動されて悪事を働いた9人の指導に重点を置くだろうと思います。なぜなら、怪我をさせた子供は、常日頃、率先して悪さをする目立つタイプの子であり、そういう子は、何かと大人に叱られる機会が多いはずです。つまり、行ないを改善できるチャンスも多いのです。しかし、「みんなもやっているから」と一緒に悪さをする子供には、「面白そう」という軽い気持ちしかないので罪の意識などありません。大人から叱られなければ、今後も周囲に流されていくことでしょう。はっきりとした主義主張を持たず、強いものに流される子供こそ、早期に「善悪の区別」を知らせなければならないはずです。

とりあえず試しに行動して、問題がなければ、先へ進み、問題が起きてから、事後、対応を考える・・・。これが、今の日本全体の体質なのかもしれませんが、そんなことを教えられるために、毎日、学校に行っているとしたら、手放しで喜ぶことはできないのです。
by k-onkan | 2011-02-24 23:55 | 教育 | Comments(0)

ズル休みさせちゃった・・・

音楽祭のお疲れ休みの日。私は1年生の甥Yを伴って、半日、遊びに出かけました。コースは、江戸東京博物館と浅草・浅草寺です。体が大きくなっても、小さな頃と同じように私の腕に手をからめる甥の姿に「いつまでこうして歩いてくれるのだろう」と思いつつ、その昔、「高校を辞める」と言った私を無言で、映画や寄席に連れ歩いた父を思い出していました。

e0143522_1192362.jpg実は、音楽祭の代休の私たちとは違って、甥には小学校がありました。しかし、私の判断でズル休みをさせたのです。それには、理由がありました。音楽祭の翌日、甥Yは元気に学校に出かけていきましたが、休み時間に友達と問題が起きてしまいました。

「今日、学校で嫌なことがあった。もう二度と学校に行きたくないようなこと。口にも出したくない・・・」と電話の声が沈んでいます。瑠音先生から成り行きを聞くと、みんなで遊んでいる中で、いつの間にか、「Yがモンスターだ。やっつけろ」という流れになり、遊具の上から突き落としたり、みんなで執拗に攻撃するという嫌がらせとなってしまったようなのです。その後、先生が「11対1で攻撃するのは、卑怯なこと、絶対にしてはいけない」と話してくださり、子供たちは「ごめんなさいを言いなさい」と言われ、事は収まったようでした。

「ボクは「いいよ」と言ったけど、許したわけじゃない。先生から「安藤くんも、友達が「ごめんなさい」と言ったら「いいよ」と言わなければならない」と言われたから言っただけ。心の中では、許していないんだ」。11人の中で、体に傷を残してしまう執拗な嫌がらせをした子は、3人いたようです。夜になって、お父さん、お母さんに伴われて、泣きながら謝りに来た子もいたようです。「謝りにいく」と言われたのをお断りした相手もありました。なぜなら、これまで何度も謝罪をされているのですが、行為は一向に改善されない。口で謝るだけなら、わざわざ足を運んでいただく意味がないとの判断からだそうです。

話を聞いた私は、Yに「許していないのなら、たとえ先生が「許しなさい」と言われても、心にもなく「許す」などと言ってはいけない。自分の言葉に責任を持ちなさい」と伝えました。とは言え、音楽祭の大舞台の翌日に、こんな目にあった甥が少し憐れになりました。なぜなら、数日前に、「音楽祭が終わったら、お母さんたちがお休みになるから、学校をお休みして、4人でどこかに遊びに行っちゃおうか?」と声をかけると、「平日は、学校がある日だから、遊びに出かけたりしてはいけないって先生に言われているから、ダメだよ」と真面目な顔で断られたばかりでした。

「二度と行きたくないほど怒っているなら、物分りの良いふりして学校に行くことなどない。音楽祭のご褒美に、博物館にでも行こう」。瑠音先生は、下の子の定期検診があったので、私とYは池袋駅で待ち合わせをして出かけることにしたのです。博物館の中には、江戸時代から、明治、東京と移り変わる様子が展示されており、偉大な昔の人の様子が気晴らしになったようですした。最後に浅草寺で二人で手を合わせると、「明日から、いじめられませんようにって、お願いしてくれた?」と甥が聞きます。「したわよ。どんなに嫌なことがあっても、Yが負けない強い男になりますようにとお祈りしたのよ」と答えました。これで、また明日から学校に行けると良いのですが。

私自身も、いじめられっ子だったので、「何があっても、絶対に学校に行かせなければ」とは思えないところがあります。いじめっ子にいじめられるには、それなりに理由があるものです。自己主張が強すぎていることもあるでしょうし、出る杭が打たれているのかもしれません。また、変に、お人よしだったり、気弱な点が鼻につく場合もあるかもしれません。とは言え、一度、我慢して感情を表に出さないことを覚えると、自分から、いじめられるべく、卑下することを覚えてしまいます。子供の世界は、大人の世界に出るための練習ではありますが、未熟な子供の行動は、時に、大人の想像以上の残忍さを持っています。子供の世界に大人が口をはさみたくありませんが、時に「子供の世界の価値観が全てはない・・・」と知らせるために、別の世界を見せること、そして大人の考えを知らせることも必要だと感じています。
by k-onkan | 2011-02-23 10:08 | 児童 | Comments(0)

失くせないもの~音楽祭の反省2~

日曜日の音楽祭には、たくさんの卒業生が駆けつけてくれました。社会人になったZくんもその一人です。在学中は、木下先生に厳しく叱咤激励され、「卒業したら、二度と顔を見せないのだろう」と思っていましたが、卒業しても何年も経てば、怖さを忘れて懐かしくなるものなのでしょう。音楽祭の後の舞台裏のバタバタを知っているため、邪魔をしないように静かに帰ってしまいましたが、後から、こんなメールをいただきました。

e0143522_854396.jpg「それにしても自分が「観る」側になると、 よくこんな大きなステージに立たせて貰っていたなぁ…と感じます。 当時はそんなもんだと思っていましたが、ほぼリハ無しであの人数の幼児達が合唱しているのも信じられない事ですね。数年前、15歳離れた従妹の幼稚園のお遊戯会に呼ばれてその散々な出来(とそれを見て喜ぶ大人)に辟易したのを思い出しました。舞台の裏ではたいへんな人数のオトナが支えているのも見てきましたが、 改めて凄いトコロです。キノシタは…」 (23歳社会人 Zくん)」

今回は、外部の教育関係の方からも、いろいろなメッセージをいただきました。音楽祭のプログラムにご寄稿いただいたT幼稚園の園長先生からは、「どの幼稚園も立派で木下式の方針がしっかり、浸透しているのはさすがと感心しました。午後の部が見られなくて残念」。そして、地方で幼稚園教育に関わる方からは、「こんなに感激したのは、久しぶり。いろいろな面で考えさせられました」との感想がありました。

何より嬉しかったのは、インターネットで見つけたこのブログです。小学校で音楽を教え、子供に成果をあげていらっしゃるる先生の書かれたもののようです。

「昨日は、音感教育メソッドで有名な、木下式音感教育法の「東京合同音楽祭」に行ってきました。場所は、大宮ソニックシティーホールです。「木下式音感教育」とは、木下達也さんが、昭和42年から実践している、幼児のための音感教育です。「幼児の聴感覚は、6歳までに形成される」と言う立場から、2,3歳児~小学校入学までの幼児を対象として、聴音、読譜、記譜、発声の訓練を重ねます。現在では、指導者訓練を受けた指導者(幼稚園教諭・保育士)により、全国の幼稚園、保育園で実践されています。木下式の発声は、ベルカントではありません。しかし、生声で、元気にどなるものでもありません。「幼童唱法」というものだそうです。民謡の発声に似ていますが、それでもありません。中国の京劇にも似ていますが、それとも違います。日本語の「ことば」が非常に明瞭です。ここから、成長するに従って、どのような発声に移行してゆくのか・・・。興味のあるところです。

しかし、一番驚き、感動したのは、幼児たちの「態度」です。私は、舞台裏も控え室も、袖も見せていただきましたが、どの団体も、いかなる場面でも、静かに、きちんと待っていられるのです。私語はいっさいありません。先生の注意もありません。ロビーを移動する場面でも、2列にきちんと並んで、お友だちと手をつなぎ、サッサと静かに移動します。彼らより年上の、場内の子どもたちの方が、ロビーを駆け回り、大きな声で遊び回っていても、知らん顔です。木下式の神髄は、ここにあり・・・。この年齢で体得したものは、「一生もの」です。親もできない、大切な「しつけ」を、きちんとしている。キラキラと輝く「教育」がここにあると、強く感じました。」
http://ogatamayumi.blog46.fc2.com/blog-entry-747.html

私たちをはじめ、卒業生、保護者、実践する各園の関係者がどんなに「木下式は素晴らしい」と力説しても、それは手前味噌でしかありません。しかし、木下式に関わっておられない外部の方から「素晴らしい」と言っていただけることが、何よりの賛辞です。

各幼稚園の子供たちを指導する教諭たちは、音楽の専門教育を受けた人ではありません。そのため、教諭個人の音楽能力によって園児の能力が異なることもあり、音楽家の木下先生は、毎年、「音楽としてダメな点があった・・・」と反省することが多いのも事実です。しかし、それでも、生まれて5年~6年の子供たちにこれだけの舞台を作りあげさせることができる木下式は、貴重な教育であり、決して失くしてはらないと思うのです。
by k-onkan | 2011-02-22 16:42 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

きょうだい愛は素晴らしい~音楽祭の反省1~

音楽祭の翌日には、テレユースさんの編集室に出向き、ビデオ制作の現場に立ち合いました。毎年のことなのですが、開催中は舞台袖からしか子供たちの様子を見ることができない私にとって、ビデオ編集は正面から反省する機会です。

e0143522_7391339.jpgファンファーレが鳴り響き、オープニングには中学生の指揮者Nちゃんが登場します。私はその堂々とした表情に安心します。なぜなら、出番の前に、「どうしよう・・・。先生、緊張してきちゃった・・・」とジタバタする若い女の子らしい落ち着きの無さを見せていたからです。ところが、舞台に上がれば、この落ち着きです。この切り替えこそ、自分も含めて、木下式で育った子供の特徴と言えるものかもしれません。

「ド、ド、ドレミはなかよしさん・・・」。子供たちが歌い終わると、いよいよ、開会宣言です。今年は小学2年生のKくんの登場です。普段は、男の子らしいいたずらや悪さをして、大人を心配させ驚かす少年です。その子供らしさが可愛いのですが、この開会宣言の大役は、「大抜擢」だったのでしょう。いつになく、緊張した表情で、真面目に丁寧に言葉を述べ、最後にお辞儀をする姿がありました。

私は前日、舞台袖で「あいつは心配だから・・・」と言って、Kくんの様子を見守っていた高校1年生の兄と小学6年生の姉二人の姿を思い出しました。兄弟姉妹というものは、有難いものです。親の前では、「ボクより弟の方を優先されている!」「私ばかり、弟のワガママを聞かされている」などで争うことがあっても、こんなに心暖まる兄弟愛が存在しているのですから。何でも独り占めできる「一人っ子」をうらやましいと思いますが、こんな場面を見せられると、きょうだいは有難いと感じるのです。

各園の合唱を反省しながら聴くと、あっという間に午前の部最後の大合唱です。今年は「おぼえていますか」「さあ握手しよう」の2曲を中学1年生のRちゃんの指揮で歌いました。リハーサルなしの大合唱は責任重大です。園児が失敗したら、その責任の全ては指揮者にあります。物事を真面目に受け止めるRちゃんは、どんどん物静かになり無表情になっていきます。指揮者が緊張すると子供の歌声も萎縮してしまいます。リラックスをさせるために、一言だけ、声をかけました。「オペラで「シンデレラ役」をやった時と、この指揮。どっちが緊張する?」「シンデレラ」「ならば、大丈夫よ。たいしたことないから、リラックスしていきなさい」

これまで、指揮の経験のない中学1年生に合唱団の指揮をさせたことはありません。Rちゃんが初めてなのです。そのため、木下先生は子供たちに、何度も「よその子供は何をするか分からない。君たちはR子を助けてやらなくちゃいけない。ちゃんとカバーせよ」と口を酸っぱく言ってきました。壇上の一番高いところにいる合唱団の子供の中には、Rちゃんの3歳年下でいつも喧嘩ばかりの弟の姿があります。しかし、その弟が姉のために普段の何倍も一生懸命、口を開けて歌う姿がありました。同じ目標を持って、一緒に何かを取り組める兄弟姉妹は、幸せなのだと感じながら、午前の部の反省が終わりました。「シンデレラの方が緊張する」と舞台に出ていったRちゃんに、終わった時の達成感はどちらが大きかったのかを訊ねると、「どっちも・・・」とすっきりとした表情で答えるのでした。
by k-onkan | 2011-02-21 22:39 | 児童 | Comments(0)

失敗は成功のもと

午前10時の本ベルが鳴り響くと、あとは終演まで、あっという間なのが、音楽祭の一日です。今年もいろいろなドラマがありました。一番の事件は、独唱のお子さんの伴奏にミスが出て、歌声が止まってしまったことでした。幼稚園の子供であっても、「これは、いつもの伴奏と違う」と思い、うたうのを止めたのでしょう。すぐに、木下先生の指示で、もう一度、演奏となり、無事に歌い通すことができました。司会者は再度、「ご本人のせいではない」と会場に伝え、「そのお子さんを傷つけない」ことを配慮しましたが、世の中は、「どんなに自分が正しくても、思い通りにいかないことがある」。このお子さんは、大切な音楽祭の日に、それを体験してしまったのかもしれません。

e0143522_835424.jpg昔は、オーケストラの楽譜は今のようにコンピュータ入力されたきれいな楽譜ではなく、手書きだった上に、毎年、演奏の度に「1コーラス」「2コーラス」と書いては消し、消しては書いて演奏していました。そのため、今回のように、団員の中にリピートする場所を間違えて、伴奏がズレるアクシデントは、毎年、あったものです。そのようなことがなくなるよう、楽譜を新しくしてミスは減りましたが、それでも、「人間のすることにミスはある」という教えかもしれません。これは、私をはじめ、もっと若い世代に「どんなに最善をつくしても、必ず、ミスがある。次は気をつけるように」と忠告してくれているようにも感じます。私は指導者としてこの音楽祭に関わって今年で21回になりますが、今年は、これまでの長い歴史に存在したアクシデントを思い出させられる音楽祭となりました。

今回、音感部門でも間違えがありましたが、実は私には苦い思い出があるのです。それは、今年20歳になるFちゃんが年長だった時のこと。和音聴音に代表として出演させたのですが、壇上の異なる雰囲気に飲まれたのか、どうしても書けない箇所がありました。まだ、年若く未熟であった私は、「Fちゃん、13番は、この和音ですよ」と再度、弾き与えましたが、どうしても書いてくれません。私はあきらめて「ではお願いします」と採点をお願いしました。Fちゃんは「99点」になってしまい、後になって、「壇上の子供を救ってやる方法があったはず」とある園長先生からお叱りを受けたのでした。

以来、そのようなことがないように、音感部門の際には、「もう一度、よく見てご覧」とか「場所を書き間違えていますよ」と小さなミスに気をつけるようにしていますが、やはり、人間のすること。今年は、一番、遠くにいる子の様子を十分に見てあげられませんでした。しかし、子供のために、一つ、言い訳をすると、舞台上で行う聴音は、平素の授業とは異なり、ピアノから遠くにいくほど音の伝わり方が変わって難しいものなのです。平素、確実な子供だからこそ、遠くに配置したことをご理解いただけたらと思います。そして、この失敗を次回の成功につなげられれば、失敗そのものにも意味があると信じています。

私たち大人にも反省が多い音楽祭でしたが、子供たちにも反省があったようです。「先生たちが、どんなに良かったと言ってくれても、自分では最善の出来ではなかった」。舞台が終わって、後悔する男の子が二人いました。一人は音感部門で私の手伝いをしてくれた6年生のYくん。そして、午後に独唱をした甥のYです。二人のYは、それぞれ、木下先生から「良かったよ」と褒められていましたが、当人たちはそれぞれ、「あれはダメだった・・・」と悔しさにイラついたり、「上手じゃないところがあった」と涙を流して反省する姿がありました。女の子と比べ決して強くない男の子ですが、その「繊細さ」こそ、男の子が素晴らしいところなのだと感る子供たちの反省だったのでした。
by k-onkan | 2011-02-20 23:59 | 音楽 | Comments(0)

難しいお年頃??

明日の音楽祭を控え、打ち合わせと準備のために、夕方から大宮に入りました。舞台では、明日、子供たちが立つ舞台のひな壇を組んだり、子供たちの声が、会場の隅まで届くようにと、音響を確かめる等、舞台スタッフの方々は、午後10時までかけて準備をしてくださっています。たくさんの方に支えられて、この音楽祭は、開催できているのです。

e0143522_504919.jpgリハーサルの今日は、子供たちとこれまでの練習を確認する最後のチャンスとなりました。合唱団の第一声部の子供たちには、「1番(第一声部)は、野球の3番バッター、4番バッターであり、その人たちが打たないと点は入らないのだ。責任を持て」と叱咤激励をし、第二声部の子供には、「頑張っている1番の足を引っ張るような無責任な声を出してはいけない」。そして、名誉団員の中学生には、「先輩として花を持たせているのだ。絶対に汚い声を出してはいけない」。平素の練習では言いにくい「もう一言」が木下先生から、朝一番にありました。

「嫌な一言」を耳にした瞬間、中学生のXちゃんが「そんなことを言われるのだったら、別に出なくてもいいのですけれど・・・。学校を休んでまで練習に来たのに・・・」とつぶやく「捨て台詞」がピアノの椅子に座っていた私の耳に届きました。中学生になってすぐは、子供の頃のような可愛い声が思うようには出なくなったり、後輩に追いあげをかけられて不安になったり、いろいろな場面で、面白くないことが多いようです。体だけが大人になる中、心は未熟なままで、一番、扱いにくい時期でもあります。何しろ、半人前の癖に大人としての自由を主張し、かつ、子供として守られたいという願望も備えているのですから・・・。

難しい時期は、私自身にもあったので、その感情はとてもよく理解できます。だからこそ、メッセージは「早く一人前の大人になって、頼りにされる人になりなさい」ということしかありません。しかし、心が子供とは言え、「口にして良いこと、悪いこと」はあるものです。嫌なことを言われたら、捨て台詞をはいて自分の感情を浄化するのではなく、嫌なことを言われないように努力するしかないのです。「汚い声を出してはいけない」といわれたら、「汚い声しか出ないから、歌わなければ良いのね」ではなく、汚い声を出さない最善の努力をすることなのです。

「さっき、「練習に来なくても良かった・・・」とひねくれ発言をしていたでしょ?麻奈先生には、ちゃんと聞こえたわよ。中学生がひねくれ発言したら、1年生のYと一緒じゃない。Yは、昨日、「ピアノなんて弾けなければ良かった」と心にもないことを言って、瑠音先生から、「自分の言葉に責任を持ちなさい。そんな人はピアノも勉強もやってくれなくて結構!」と追い出されそうになったのよ。中学生が「練習に来なければ良かった」なんて言って、本当に練習に来ていなかったら、本番に失敗するかもしれないでしょ。そんなことを言ってはいけない」「それは、私が失敗するという意味ですか?」。「難しい年頃」は、「ああ言えばこう言う」のです。

「こんなに練習したんだから、失敗なんかするとは思わないけれど、練習に来たから、「絶対に失敗しない」と思えるんでしょ?「来なければ良かった」ではないでしょ?。だから心にもないことを口にしてはいけないのよ。分かる?」。子供のように叱ったらもっと反抗するのかと思いきや、追いかけて叱られたことに嬉しそうな様子を見せるので、「まだ、子供でいたい」という気持ちの方が強いのかもしれません。本当に「難しい年頃」とは良く言ったものです。私もたくさんの方に、この時期を見放されずに導かれたから、今の自分があるのだと思い知らされた瞬間だったのでした。
by k-onkan | 2011-02-19 21:59 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)