麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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心も精神も音感は鍛える

2学期が始まり、お泊りに来た子供たちの授業がありました。お泊りにきたことで、楽院に馴染んだ子は、私の膝の上に乗ってアルバムを見たりするようになりました。しかし、長い夏休みを楽しく過ごし、緊張感ある楽院の授業を思い出して、授業前に涙をためる男の子もいます。同じ年齢でも、子供はいろいろな反応を見せるものです。

e0143522_11182354.jpg長年、幅広い年齢層の子供たちと付き合って実感していることですが、「将来のため」を考える時、子供には、音楽能力を高めると同時にそれに見合う心の成長を促すこと、精神の鍛錬が必要であると感じています。音楽は、記憶力、言語力、運動能力、など一科目で、幅広い能力を求める科目です。そのため、昔から、音楽を勉強した子は頭が良くなると言われます。しかし、せっかく音楽勉強を受け、音楽能力や知的能力を高めても、精神が弱かったり、心が幼いままでは、その力は十分に発揮できないでしょう。

木下式は、音感教育を通して、音楽以外の「行儀の悪さ」や「涙」を厳しく取り締まる教育です。それは、行儀が悪いのは、集中していない証拠であり、涙を流すのは、精神の弱さを表しているからです。先日、大学1年になる卒業生が「子供の頃、麻奈先生には、「とにかく泣いてはいけない』とよく言われた」と口にしていました。涙を流しながら、歌ったり、聴き分けをしたり、音符を読んでも、それは身にならないから、私たちは、子供にまず、涙を止めさせて、学習に臨ませてきました。それが、正しかったと思うのは、最近、テレビなどでよく聴く、ストレス解消に涙が効果的であるという話です。つまり、一生懸命、何かに取り組む時には、涙は禁物なのです。

私たちは、子どもたちの歌が上手になったり、聴き分けがよくできるようになったら、指導者として嬉しいものです。しかし、それを可能にするためには、幼い子供であっても、年齢に見合った精神面の強さや、心の成長が重要なのです。

木下式は、全ての課題が、確固たる体系が確立され教え方が決められています。しかし、それを機械のように覚え、なぞっただけで、子供に教えても、あまり効果はありません。「子供の心まで汲み取って教えよ」とする木下式だからこそ、成果があがっていくのです。

若い幼稚園、保育園の先生が、音感教育を学び、その指導が上手になるとすぐにお嫁に行ってしまいます。これは、音感教育を指導する中に、他人の気持ちを汲み取るという、人間として大事な訓練が潜んでいるからに違いないと私はひそかに思っているのです。
by k-onkan | 2011-08-31 21:16 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

行きたくない日もある

楽院の授業が始まった25日、甥Yの小学校も始まりました。最近は同じ都内の公立小学校といっても、地域によって二期制を採用したり、授業始まりもそれぞれ異なるようです。甥の小学校は中でも、特に始まりが早かったようです。

e0143522_21564596.jpg長い夏休みに家族と楽しく過ごすことに慣れた甥は、学校が始まり少し気鬱なようです。別にいじめられたり、嫌なことがあったりと特別な理由があるわけではないようですが、毎朝、「お腹が痛い」「気持ちが悪い」と訴えているようです。弟甥のKも「ニィニ、がっこう、いっちゃうの?さみし~」と床につっぷすという芝居がかっています。普段、愛情の取り合いをする兄弟も夏休みでお互いの大切さが分かったのかもしれません。そんな心の葛藤を経て、また日常生活に戻っていくのです。

さて、私たち大人にも「なんとなく仕事に行きたくない」という気持ちの日があるものです。しかし、一日休んだら、その翌日はもっと足が重くなり、出社拒否になってしまうかもしれません。子供も同じです。「学校いきたくない」といったからといって、理由もなく、休ませれば、そのまま家に居ついてしまいます。他の人に合わせる学校より、自分の自由がきく自宅の方が居心地がよいはずですから。


Yの気持ちも分かるのです。夏休み中は、家族がみんな自宅にいましたが、学校が始まれば、家に帰っても誰もいません。自宅にランドセルを置いて、一人で地下鉄に乗って楽院に通うという日常が待っています。甥の「気持ちが悪い」「お腹が痛い」というサインは、夏休み前の生活に戻るために勇気が必要であることを母親に知らせるものなのだと思います。Yのサインを受け止めつつ、「先生に連絡しておくから(本当にするかは各自の判断ですが)大丈夫よ。いってらっしゃい」と軽く背中を押して欲しいのだと思います。学校に行って、皆と行動していると、結構、楽しく過ごせているのだと思います。もし、学校に行きたくない深刻な理由があるなら、Yはきっと瑠音先生に逐一報告するはずですから・・・。
by k-onkan | 2011-08-30 21:54 | 児童 | Comments(0)

言葉は使って身に付くもの

最近、2歳1ヶ月の甥Kがとても面白いのです。言葉が豊富になってきて、いろいろなやり取りが可能になったからです。私がKの口調を真似て「ポンポン、痛い」と口にすると、「まぁちゃん、トイレ、行きんしゃい(行きなさい)」と瑠音先生そっくりの口調でいったりします。2歳の幼児が「~しんしゃい(しなさい)」というのは、少し生意気で、でもとても可愛く感じるので、顔を見る度にいろいろな質問を投げかけ、最近、少し鬱陶しいと思われているようです。

e0143522_1063512.jpg知識が豊富な大人なら、「~しなさい」という言葉を一つ覚えたら、そこに単語を入れ替えて使っていくでしょう。「頭が痛い」と言われたら、「薬を飲みなさい」。「お腹がすいた」と言ったら「何か食べなさい」。「喉が渇いた」なら「何か飲みなさい」等などです。ところが、2歳のKの言葉の基本は、平素、自分が母親から言われている言葉であるため、時に、大人の私が予想しない答えが返ってきます。

「お腹が痛い」は「トイレ、行きんしゃい」なのですが、「お腹がすいた」と言うと「そこ!」とまゆみ先生が食事を並べるテーブルに行けと指さしするのです。テーブルに何か食べ物があるという意味のようです。「頭が痛い」と訴えると、「お母しゃん、痛いの、痛いのとんでけ!」と瑠音先生に頭を撫でてもらえと身振り手振りで指示します。「喉が渇いた」というと「お茶チャ」と水筒を指差します。良くも悪くも、平素、瑠音先生に言われている通りを私に教えます。幼児の語彙というものは、周囲の人に話しかけられた言葉によって構築されていくものだと感じます。

それで思い出したのが、夏の特別クラスの英語の時間のことです。お父上がアメリカ出身のTくんも参加していたのですが、バイリンガルのTくんにとって、絵カードを使っていろいろな単語を学ぶなど、簡単すぎて面白くないのではと心配していると、結構、興味を持って楽しそうに取り組んでいる姿がありました。その理由を聞くと、「野菜カードの中に、知らない単語があった」というのです。瑠音先生が「なんで英語を話せるのに、知らない単語があるの?」と興味をもってきくと、「ボクはナス嫌いだから、家では、出てこないから」というのです。バイリンガルの子であっても、身近に存在しなければ、知る術がないのでしょう。

幼児期の子供は、自分から興味を持っていろいろなことを覚えていく生き物です。その期の学習は、イヤイヤ、勉強に取り組むというより、生きるために必要な知識を土が水を吸うように吸収していきます。しかし、子供の周囲に学ぶ存在がいなければ、無表情になり、無言に育っていきます。そして、学ぶ素材は無機質な機械からではなく、親やまわりの大人でなければと思います。私たちが、何気なく口にしている言葉も、何気ない行いも、幼児にとっては、お手本であり、それが知識となっていきます。そう考えると、やはり、子供と一緒にいる時は、携帯でメールのやりとりをしたり、他のことに興味を奪われたりするより、子供との会話を楽しみ、その様子を観察したいものです。子供が可愛い時期は、本当に短いものです。後から悔やんでもその時期は戻ってきません。幼児の可愛いしぐさを見逃さないでいたいものです。
by k-onkan | 2011-08-29 23:05 | 子育て | Comments(0)

とりあえず、ひたすら頑張れ

8月最後の日曜日、我が家に高校1年生から大学1年になる卒業生が遊びにきました。海外の学校に通う子供は、9月になると出発するので、その前に集まることになったのです。先週、千葉にやってきたのでHくんとWくんは、珍しくないメンバーですが、OちゃんとMちゃんは楽院を卒業以来ほとんど会っていないので、6~7年ぶりかもしれません。二人とも自分の意思をしっかりと持ったお姉さんに成長していました。

e0143522_13484293.jpg三人姉妹の末っ子であるOちゃんは、外見は甘えん坊な妹役という様子ですが、3人の中で、実は一番、はっきりとした自分を持つ女の子です。中学からイギリスの学校に通っていたのですが、昨年、病気で帰国し、日本で高校卒業程度認定を取るため、8教科の勉強をしていたそうです。

私が、18歳で海外留学する際に、常識ある方に心配されたことがあります。それは、あまりに若い頃から海外に出ると、留学した国ばかりが良く見えて、自分の母国のことを悪く思ったり、母国のことを何も知らない非常識な日本人になることが多いということでした。留学先でも、日本でも、恥をかいた私は、初めて自分から本を読んで、勉強するようになったのが、この頃でした。日本に滞在中に他の高校生が知っている事柄を学ぶことができたOちゃんは、幸運だったのだと思います。

卒業以来会っていなかったMちゃんは、スラリとした清潔感のある女性に成長していました。現在、アイススケートを頑張っています。最近、新しいコーチと出会い、自分の中に好ましい変化があったようです。そんなMちゃんが「することがないと飽きちゃう・・・」と言ったのが印象的で、木下式で育った子供らしいと感じます。

楽院の子供たちは、常に何か目標を与え努力させてきました。子供の頃は、目標を与えられないと自分からはなかなか頑張ることができないからです。しかし、女の子は、成長すると、自分で目標を作ってどんどん頑張るようになっていきます。その反面、目標がなかったり、忙しくないと、時間を無駄にしているような焦燥感にかられたり、何をすべきか分からず抜け殻のように感じたりもするようです。

人生は一生懸命、努力して走り続けることも大事ですが、じっくり落ち着いて考えたり、物事を反省したりする時間も必要だと私が実感したのは、20代後半か30代になってからだったと思います。一度しかない10代は、ただひたすら一生懸命、自分のしたいことやすべきことに打ち込んでよいのだと子供たちの話をうなづき聞いていたのです。

子供たちは大きくなっても「麻奈先生」と甘えた声を出してくれますが、立ち上がると、私よりも背丈が高くなり、並んで立つと怖いくらいです。しかし、テーブルを囲んで、昔話に花を咲かせたり、冗談を言ったり、ゲームに興じる姿は、子供の頃とまったく同じです。6年も会っていなかったとは思えないほど、すぐに打ち解け、楽しく過ごせる懐かしい人がいるのは、不思議な気持ちにさせられます。

今日は料理の段取りが悪く、少々、失敗した揚げ物も「美味しい」と残さず食べていった男の子たちも低い声で怖いですが、やはり可愛いのです。このブログに少しでも良いことを書かせようと、思いつく限りのお世辞を言って帰ったHくんには、親元を離れても、心配をかけずに頑張ってほしいと思います。また、「1学期の成績が悪かったぁ」と反省していたWくんは、自分がやる気になった時だけは、最大限の力を発揮する子供でした。予定通りに大学進学をして欲しいと思っています。

大学受験で猛勉強中のAちゃんは、「忙しいけれど、皆に会いたい」と言っていたのですが、高熱のため、出席できませんでした。「せめて、みんなの声を聞きたい」と電話がありました。そして最後に、「麻奈先生。次は私の「受験を頑張った会」をしてね」とリクエストがありました。「頑張ったら、ご褒美」というのも、木下式で育った子供の証かもしれません。そして、大人も一生懸命、頑張った子に出すご褒美は嬉しいものなのです。
by k-onkan | 2011-08-28 23:47 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

嬉しくもあり、寂しくもあり

今日は2学期最初の児童部のレッスンがありました。旅行中でお休みも多かったのですが、その代わりとでも言うように、卒業生がやってきました。一人は、最近、入籍したCちゃんです。旦那様の写真をもって近況報告にやってきたのです。子供の頃、木下先生にとても可愛がられていたので、父親に報告するような気持ちだったのかもしれません。

e0143522_221684.jpgもう一人は、ムッチーことGくんです。現在、高校1年生で、吹奏楽部でトランペットを演奏しています。幼児の頃は、「歌が好きだから」という理由で、楽院を続けていたのです。そのため、音感もピアノもイヤイヤだったようです。しかし、吹奏楽部に入ると、小さな頃から音楽の勉強をしてきたことが役に立っているようです。

Gくんが5年生の時、オペラ公演がありました。一番、難しい役柄を与えられ、木下先生に厳しく指導される姿はドキュメンタリー番組にも残っていますが、腹式呼吸ができず、床に寝転んだ上に、木下先生が乗って声を出す練習をしていたものです。それは、現在もトランペットを演奏する上の基本として厳しく指導されているといいます。腹式呼吸で楽器を演奏しているためか、Gくんは子供の頃の愛称は、全く似合わないスラリとした青年になっていました。街で偶然、会ったら、分からないでしょう。

Gくんは、「音楽の道を目指すために、幼児の頃、イヤイヤ取り組んだピアノや聴音の勉強をしなおしたい」と将来を見据え、高校1年生なりの考えを持って相談に来たのです。木下先生は、音楽の道に進むのは簡単なことではない。特に、金管楽器は演奏できる期間が限られている。演奏ができなくなった時に、つぶしがきくように、トランペットだけの勉強ではなく、ピアノの勉強もしなさい」とアドバイスしていました。

小さかった子供が大きくなって、楽院を訪ねてくれることは、とても嬉しいことですが、その反面、寂しい気がするのです。それは、大人として手を貸せることが少なくなってきている証であるからかもしれません。だからこそ、私たちを必要として訪ねてきてくれる内は、できる限り力になりたいと思うのです。
by k-onkan | 2011-08-27 22:14 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

声は周囲の影響によるもの

今日は授業の始まり直前、雷がなり大雨が降ってきました。ぬれながらやってきた年少の子供たちも夏休みを経て、いろいろな成長が見られました。中でも4歳のKくんの変化には目を見張るものがありました。1学期はがさついた声で怒鳴るように声を出していたのに、口の形を真似て声を出せるようになったのです。その結果、高くきれいな声に変化しつつあります。

e0143522_11525480.jpgこれは、Kくんのお兄さんYくんの影響であると感じます。年長のYくんは指示行動が苦手だったり、年齢に対しては言葉が少なかったりと、発達にばらつきはありますが、夏のお泊り保育で我が家にやってきて言葉が増えたり、できないことができるようになるという変化があった子供です。また、Yくんは、とてもきれいな高い声で歌うことができるのです。幼児にとって、兄姉は模範であり目標です。上の子にできることが増えると、弟妹もそれを真似てどんどん発達すると感じます。

歌上手の兄がいるのに、声が低くなった弟もいました。3歳のKちゃんです。Kちゃんは、お兄さんの影響で難なく高い声を出して、歌っていたのですが、夏休みを経て、高音が上がりにくくなってしまいました。模範唱だけでは引きあげることができず、手を持って、音の高さを感知させなければなりませんでした。これまで、苦労なく声を出していたKちゃんと同じ人とは思えないほどの変化です。夏休みで何か生活に変化があったに違いない。きっと、小学校受験を控えるお兄さんのスケジュールが忙しく、お母さんと過ごすより、おばあちゃまと過ごす時間の方が多いのかもしれないと思いました。

帰り際、Kちゃんのお母様に訊ねてみると、私の推測が見事、当たっていたのです。「そんなことも、声で分かってしまうのですね」とお母様に驚かれましたが、子供の声は周囲にいる人の影響を受けて変化するものです。優しい声で小さく話す大人と過ごせば、子供はも同じような声で呼応することになります。そのため、おばあちゃんと過ごしたKちゃんの話声位(話す声の高さ)が自然と低くなり、夏休みで兄Yくんと過ごす時間が多かったKくんは、張りのある声になったのです。

木下式が張りのある声で子供と接しなければならないとする理由はここにあるのです。こう書いたからと言って、短絡的に「お祖母さん、お祖父さんと過ごすと声が低くなる」とつき合いを絶ったりしないでいただきたいと思います。子供が成長する上で、いろいろな人との関わりはとても大事であり、先人から学ぶべきことがたくさんあるからです。但し、お祖父さん、お祖母さんは、親よりも甘くなる傾向があること、あふれる愛情で、子供に与えすぎたり自立できにくくなることなども、親がよく理解して上手にコントロールすることが大事なのだと思うのです。
by k-onkan | 2011-08-26 23:50 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

2学期最初の授業

e0143522_155250.jpg今日は年少・年中クラスのレッスンがありました。長い休みで忘れてしまったこともありますが、夏休みを経て成長したと感じる面もあります。1学期は、「ママと離れたくない」と言っては涙を見せ、なだめようにも言葉を理解しなかった幼児たちが、「早く終わって帰れるように、行儀よく一生懸命、頑張って先生に協力してね」というと、自分から頑張りを見せるのです。授業初日は、子供も辛いものですが、大人の私も心の切り替えが求められる日といえます。子供たちが協力的なことをありがたく感じる2学期初日の授業でした。
by k-onkan | 2011-08-25 23:04 | 楽院だより | Comments(0)

北風と太陽と

イソップ物語に北風と太陽が力比べをして旅人の上着を脱がせる競争をする有名な話があります。これは、冷たく厳しい態度で人を動かそうとすると人は頑なになるが、優しい言葉を掛けたり、温かな態度を示すことで自分から行動させるという組織行動学的な視点があるようです。大人の社会では、「太陽」が好まれる傾向を強く感じますが、子供とつきあうには、「太陽」だけでは正しく子供を導くことはできません。なぜなら、大人が思う以上に、子供が物事の本質を見極める力を持っていて、きれいごとを見破るからだと感じています。

e0143522_0312387.jpg実は、この「北風と太陽」の話には別の話もあるのです。北風と太陽の最初の勝負は、は旅人の帽子をとることでした。太陽が煌々と照り付けると、その日差しの強さによって決して帽子を脱ぎませんでした。しかし、北風が力いっぱい吹くと、帽子はあっけなく吹き飛んだのです。その次の勝負が旅人の上着を脱がすことでした。
何事にも適切な手段が必要であり、一方でうまくいったからといって、他方でもうまくいくとは限らないということのようです。

たくさんの子に音感教育を教えると、個々の持つ意欲や心構えは異なることが分かります。「叱られて本気になる子」もいれば、「叱られたくないから頑張る子」もいます。前者には「ちゃんとやりなさい」と厳しく言い渡す北風方式です。後者には「頑張るともっと上手になるからね」と太陽方式で接するでしょう。しかし、どんなに太陽方式を好む子供も、北風方式が必要な日もあるのです。

私たち大人が調子のよい日と悪い日があるように、子供にも頑張れない日があるからです。また、どんな真面目な人であっても、慣れると、力を最小限にしか出さなくなっていくのが人間です。太陽方式だけで、伸びていくのは、かなり自制心のある大人のみかもしれません。

大人の言葉をストレートに理解する幼児期は北風方式がメインで、たまに太陽が登場するのが良いように思います。年齢を経て精神的に大人になってきたら、北風には隠れていただいて、太陽方式をメインにしないと反抗されてしまいます。北風方式はよほどの時に登場するのが良いと思います。久しぶりに思い出したイソップ童話は、そんなことを思わせてくれました。
by k-onkan | 2011-08-24 23:30 | 子育て | Comments(0)

受け身学習の卒業

今日は大垣先生がアルバムを届けてくださいました。写真にはゲーム大会で飛び上がって喜ぶ1年生の男の子、闘争心を向きだしで合気道の師範にくらいつく女の子、水族館で幼児を抱き上げて水槽を見せる上級生等など、その場にいないと見られない子供たちの喜怒哀楽が映し出されています。また、「体験すること」を目的にした今回のクラスの趣旨や、子供たちの反応についても、細かに説明があり、保護者の方々にも楽しんでいただけると思います。是非、お目通しください。

e0143522_23151650.jpg今回、大垣先生のアルバムを拝見して、はじめて、特別クラスは平素の合宿とは真逆の趣旨であったことに私自身が気付きました。自然の中で行われる合宿は、山登りや川遊び、飯ごう炊飯、どれも、危険がつきものであるため、常に大人が管理します。しかし、安全な楽院内で、子供たち主体で行ったゲームや暗誦、お遊戯をはじめ、英語体験などは、大人が手を出さなくても、子供たち自から工夫して上級生が下級生の世話をしたり、教えたりが感じられました。こうしたことは、現代の家庭や学校では体験できない貴重なことであると感じます。

また、音楽勉強もいつもとは正反対であったと思い当たりました。合宿における音楽勉強は、木下先生が一生懸命、指導をして子供たちの合唱を上手にして保護者の下にお帰ししますが、これは、一部の意欲ある子供を除いて、ほとんどの子は受身なのです。その時間を我慢して、指示に従えば嫌でも上手になるでしょう。しかし、本来、そこで終わりであってはなりません。さらなら進歩を期待するなら、各自の自覚や意欲が必要なのです。今回、個々にピアノ練習や学習課題をさせたことで、各自の弱点を発見することができました。

楽院の生徒たちは恵まれた子供ばかりです。欲しいものが手に入らなかったり、空腹に涙したりした経験はないはずです。その育ちの良さが一因してか、年々、意欲的に学ぶより、時間をやり過ごすことに長けてきたと感じています。それは、昔に比べると、「生きる力」や「自分から取り組む意欲」を失った証でもあります。子供を精神的に成長させ自立させるためには、児童期は意欲を奮い立たせる学習が必要であると感じます。それは、「成績に関係ある勉強」以上に「社会に出て生きるための勉強」が有効です。

私たち日本人は、便利で豊かなことが当たり前で、受身で快適に暮らせることに慣らされています。何か問題があっても、環境やサービスなど他者の責任にすることにも慣れてきました。それによって、自身を反省することもなければ、他に感謝するチャンスもありません。そんな大人ばかりが増えれば、子供が何も考えずに受身で快適な時間だけ過ごそうとするのも無理はないことかもしれません。

私が楽院で教え始めて今年で21年になります。当時の生徒は、今ほど受身ではありませんでした。また、「音感」が苦手でも、家庭や学校、他のおけいこでさまざまな体験を通して、培った自信によって、「音感の勉強」に相乗効果が現れたりしたものです。しかし、て何が低下しているか定かではありませんが、世の風潮は、「できなくても良い。」「ありのままで良いのだ」「無理に背伸びさせてはかわいそう」と、本来、子供が持つ力さえ低めてしまう傾向があります。昔のままの能力を維持しようとする楽院とは大きなギャップです。しかし、10年前、20年前の子供に当たり前にできたことを、今は成人した大人もできなくて当たり前、そんな異常なことは私には納得がいかないのです。

木下式は指導者が技術を磨いて幼児を教える教育であり、幼児期に最大限の力を発揮させることができるものです。柔軟な幼児期だからこそ、指導者のする通りを真似れば、歌が上手になり、音感が身につくのです。しかし、そこから先はただの受身を許しているわけにはいきません。自分から進んで、学び、考え、努力できる子に育てなければせっかくの幼児期の適時教育も無駄になるからです。児童期は、過剰に手を出さずに、しかし、大人がよく観察しながら、大人も子供も少しずづ手を放す練習をする時期なのだと思います。特別クラスは、時に過保護な私たちも、子供から手を放すことを学ぶ機会となったのです。
by k-onkan | 2011-08-23 23:04 | 教育 | Comments(0)

育てる者の責任

e0143522_1903554.jpg最近のニュースを見ていると、残念ながら日本の未来は明るくないと感じてしまいます。子供の教育やしつけ以前に、虐待や育児放棄をする親がたくさん、存在するようす。最近は社会貢献のためにと預かった里子を殺めた人までいます。20年前の日本はもっと良い国だったの思わずにはいられません。

これまで、大勢の子供たちと接してきましたが、幼児から小学6年までの楽院が預かる期間だけでは教育は完了しないと痛感しています。人間を一人まっとうに育てるためには、幼児期の教育はもちろん、それと同時に、家庭教育や社会などいろいろな場で、愛され、叱られ、認められ、教えられ、さまざまな体験を繰り返し、その中で、子供は自信や自尊心を備え、他者に対する思いやりを育まなければ信用できる人間には育たないと感じるからです。

卒業して何年かぶりに会った生徒が、家庭や社会生活の中で180度異なる人生を歩んでいることもあります。子供の頃は親に愛され何不自由なく育てられていても、何がきっかけで人生が変わるか分からりません。もしかすると、きっかけによっては犯罪に向かったり、巻き込まれることをないとは限らない。一人の子供を守って正しく育てるというのは本当に難しいことであると感じます。

千葉に滞在している間、純子先生の本棚から何冊もの少年犯罪の本を読みあさりました。これまでは残酷な少年犯罪について「特別な子供が起した特別な事件」と目をそらしてきましたが、中学、高校生と成長する卒業生と関われば関わるほど、「うちの子供には関係ない」と目を背けることができなくなってきたのです。それは、「子供が長い年月をかけて、まわりの大人が育てたように育っていく」ということを肌で感じているからかもしれません。

凄惨な事件を起した犯人を全面擁護するつもりはありませんが、「もし、幼児期からの育てられ方が違ったら」「もし、誰か真剣にこの子と向き合う大人がいたら」「もし、誰か一人でも慈しみ育てる人がいたら」。今も普通に暮らしている可能性がゼロではないと感じます。少年犯罪に共通しているのは、文字通り、親の責任下である未成年の内に取り返しがつかないような罪を犯していること。そして、一般の子供とは物事の感じ方や受け止め方が極端に違うことを感じます。

同じような不幸な環境で育った子供が、誰もが犯罪者になるわけではありませんが、ニュースになる重大な少年犯罪を起した子供には共通して知的能力に反してコミュニケーション能力が低かったり、他人の気持ちが察することができなかったり、喜怒哀楽がなかったりと、私たち、当たり前だと考える感覚や能力が十分に発達していないと感じます。そして、それは、生まれつきの障害だけではなく、時に周りの環境に起因していることもあるため、育てる者の責任を感じるのです。

幼児期からの言葉がけの不足や愛情不足、反対に愛情過多、また、大人の過保護が原因で子供の世界でうまく立ち回れないなども発達の妨げとなります。最低限の知識や能力があるのも、子供の世界で生き抜くには、必要なことです。幼児期から青年期まで時間をかけて、何事も極端ではなく、バランスよく発達させる必要性を感じるのです。

幼稚園や小学校をはじめ、最近、世の中に「発達に障害のある子」が多くなってきました。医学が発達して、昔は解明されなかった障害まで分かるようになった結果なのかもしれませんが、単に障害を受け止め、ありのままを受け入れるだけではすまない時代がきていると感じています。ふつうの子の短所を是正するために、教育を施すように、障害のある子のこだわりや特質も導き方によっては改善可能であり、単に、子供のありのままの姿をうけいれるという美辞麗句の下、大人も子供も努力しなくて良いということではないのだと再認識しているところなのです。
by k-onkan | 2011-08-22 23:13 | 子育て | Comments(0)