麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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泣いてもいい。自信になれば

最近、わが子の幼稚園に出かけたYくんのお母さんから、「幼稚園に学芸会の練習を見に行きました。誰よりも自信を持って歌っている息子の姿が本当に嬉しく、今更とは思いますが、楽院で教えていただけたことに感謝しています」と言われました。

e0143522_1044622.jpgYくんは入学して1年8ヶ月の男の子です。他の年長児に比べると、キャリアは短いのですが、他の子と一緒に、独唱や聴音、音符の読み書きなど、楽院の年長児として遜色のない音楽能力を身につけました。特に、彼の歌には独特の魅力があり、歌好きであることが分かります。そのため、幼稚園で誰よりも自信を持って歌うYくんの姿が私には想像できるのです。

そんなYくんですが、入学時は、日常生活にできないこと、分からないことが多くあり、その不安からか、レッスンの度に何時間も泣き続け、お母さんをてこずらせた子供です。お母さんにとって、Yくんが他の子と同じことをできるようになるなどことは、夢のようなことだったに違いありません。この1年8ヶ月、地道な訓練の成果で、音楽会の独唱を体験し、4泊のお泊り保育も経験しました。そうした体験によって、最近は、嬉しそうに楽院に通ってきます。

子供に自信を持たせ成功体験をさせることは、子供にバランスよく発達を促すために重要であると、最近、専門家の先生から教えていただきましたが、Yくんは、楽院で、自信と成功体験を得たのかもしれません。とは言っても、いくら大人がどんなに自信を持たせたいと思っても、子供に受け入れる素地がないと成功しません。

卒業生に会うとみな共通して、入学当初、泣いて先生たちを困らせたことを記憶しているといいます。そして、誰もが、「自分だけ泣いた」と記憶しているのですが、実は、私たちにとって、幼児が泣いて抵抗するのは、いつもの風景であったりするのです。どんな優等生も、社会性のある子も、聞き分けが良い子も、必ず、泣いて抵抗するのが当たり前なのです。

たいていの幼児は、楽院のレッスンを始めるまで、「自分の我が通らないこと」が世の中にあるなど知りません。「喉がかわいた」といえば、「飲み物」が出てきて、「抱っこ」といえば、抱っこしてもらえる環境で育っています。「おもちゃ」を望めば、おもちゃを与えてくれる優しいお母さんがいます。乳児期には、望んだものを与えてくれるお母さんの存在がとても大事なことです。

しかし、一生、家庭の中で、自分だけを中心に暮らせるものではありません。幼稚園に入れば、他の人のペースにも合わせなければなりません。物を習う時は、素直に従うことも大事です。時に、自分ができないことも頑張って取り組まなければならないこともあります。思い通りにならないことに、涙が出てしまうのです。

この涙を克服して初めて、成功体験と自信につながるのだろうと思います。子供が泣くのがかわいそうだからと、大人がすべてのストレスを取り除いていると、子供は、自分でストレスに対応することができなくなってしまいます。生きていれば、大人も子供も、思い通りにいかないことばかりです。それとどう対峙するかは、子供の頃の成功体験によるものではないかと最近思います。その第一歩が初めてのお稽古事であったり、初めての幼稚園なのかもしれません。
by k-onkan | 2011-11-30 23:03 | 幼児 | Comments(0)

子供の意思?親の意思?

最近、フェースブックのお蔭で、何年も会っていなかった卒業生に会う機会が増えています。一人は30歳になったY先輩で、高校生の頃は楽院の尾瀬合宿の手伝いに来てくれたりして、男の子から慕われていました。そんなY先輩ですが、子供の頃は楽院も木下先生も大嫌いだったといいます。

e0143522_2326518.jpg特に卒業の一年前は、お母さまから「1000円をあげるから、レッスンに行きなさい」と言われて、通い続けていました。子供も、10歳を過ぎると、「親が言うから」との理由だけでは素直に言うことをききません。「どうしても行かせたい」と思うお母様と、「気が進まない」という息子の間で「1000円」という交換条件が成立したのかもしれません。私たちの記憶は、その後、何年も「お母さんに1000円もらって通っていたYくん」として記憶に残ったのです。

Y先輩以外にも最近、会った女の子の卒業生が3人いるのですが、皆に共通点がありました。それは、3人がそれぞれ、5年生になるかならないかで楽院を辞めたことです。受験や家庭の事情などと共に、自分「辞めたい」という意思もあったようです。しかし、後から、「やっぱり、続けておけばよかった」と思ったことが何度かあったといいます。その理由として、一つのことにあれほど真剣に取り組み続けた経験が他になく、たった1年なら、最後まで続けておけば良かったと思ったのは、時間が経ってからのようでした。子供たちの話を聞きながら、「子供の意思を尊重するのは、難しいことだな・・・」と思いました。

6年生の頃、辞めたくても、お母様に「1000円」というご褒美を出され、自分の意思に反して、継続したY先輩ですが、「1000円で釣ってでも、通わせてくれたお母様に感謝している」というからです。それは、その時いやでも、辞めずに続けたことでよかったと思えることがあったという意味でしょう。

子供の意思を尊重する教育が主流になって、久しくなりますが、大人は、人生経験の少ない子供の判断や意見だけを尊重したり、判断してはいけないのだなぁと思わせられる話でした。人生経験が少ない子供には、長い目で見たり、考えたりすることができなかったりするものです。大人が経験を生かして、「こうした方が良いのでは?」と導くことも、やはり、とても必要なことなのではないかと思ったのでした。
by k-onkan | 2011-11-29 23:26 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

霧の中で光を探す・・・

楽院の入学は、4歳6ヶ月という年齢制限がありました。しかし、昨年から、「楽器を学ぶために基礎能力を身につけさせたい」という際には、年齢を越えてもお預かりしています。先日、1年生のMちゃんのお友達である7歳の女の子が体験授業に来られました。幼稚園の頃から、バイオリンを習いソルフェージュも勉強しているとのことでした。

e0143522_218385.jpg7歳ともなると、音感かるたに気恥ずかしさがあったりしますが、このお嬢さんはとても素直で楽しくかるたの勉強に取り組んでいました。しかし、舌を使う「ラ行」の発音は慣れていないようでした。木下式は日本語の母音や子音の発音を正して美しい歌声と正しい音程を作るため、50音の発音訓練が必須です。音感かるたの意味づけ訓練が発音訓練となっています。

小さな頃からバイオリンを始めたのは、お子さんの希望だったそうです。幼稚園の頃は、音楽を楽しむことを目的にしたレッスンに喜んで通っていましたが、音大の先生から専門的に習うようになると、曲が進まなくなり、お稽古が辛くなってきたそうです。一般の音楽教室の先生の言葉によると「音感も音程もなんとなく分かる」とのことですが、「「なんとなく」というのは、霧の中でぼんやりと見える中で、前に進むような感じです。強固な音感があれば、一筋の光が見え、前に進むことができるのですが・・・。

楽院で勉強する子供は、3歳から楽譜に書かれた音を自分の声で表現することを訓練しています。一つひとつの曲は難しくありませんが、簡単なことの繰り返しによって、正しい声を出す習慣を備えさせ音感能力を育てるのです。お子さんに楽器の演奏ができる人になって欲しいと考える際には、楽器導入以前に、正しい声で歌う、音を識別する、楽譜を読んで歌うなどの基礎が必要です。そして、それは、何歳になっていても、避けて通れないものなのだと痛感したのでした。
by k-onkan | 2011-11-28 21:08 | 音楽 | Comments(0)

どんな声も美しくする木下式

昨日、2年生の甥Yの学校で学芸会がありました。Yの学年は音楽劇を行ったのですが、先生方はとても力を入れて取り組んでいるとのことでした。ビデオを見ると、最近の学校の音楽は裏声ではなく、地声発声になったことが分かりました。ミュージカルのアニーなどの影響もあるのかもしれませんが、正しい訓練を受けず、ただ大きな声を出す地声は、声に透明度がなく、言葉も不鮮明で、木下式の発声とは異なることを感じます。特に、力んだどなり声や乱暴な声が、美しい声や正しい声をかき消してしまうことが残念です。

e0143522_15564612.jpg甥Yは8人いるうちの主人公の一人でした。前日、校内で演目を披露したというYに、「自分の出来は何点だった?」と聞くと「分かんない」と答えます。「何も考えずに演じてきたのね~」というと、「何も考えてなかったら歌詞を忘れちゃうでしょ・・・」と生意気な言葉が返ってきたので、私が言わんとすることを説明しました。「自分の力が100だとすると、何点くらい発揮できたと思う? 楽院の音楽会なら、自分の出来を点数で考えるでしょ?よそで何かする時も、目標を持って取り組まなければいけないのよ。私が考えなかったと言った意味は、目標を考えなかったという意味よ」と説明しました。

楽院では子供たちに、目的意識を持って取り組むことを教えています。だからこそ、一般より完成度が高く、子供なりに達成しようという気概が生まれているのでしょう。そのため、外の世界に出た時に、楽院と変わらない意識を持って物事に取り組んだ卒業生は大成しています。しかし、私も含め、木下式で恵まれて育った子供は、外の甘い世界に出ると、安心して油断することがあるのです。最近、Yにもそういう点が見え隠れするようになっていたのでした。

昨日、保護者が参観した本番から帰ってきた甥Yに「何点だった?」と聞くと「ダメだった」と残念な顔をしています。前日とは打って変わって暗い顔の理由を聞くと「声が小さかったから20点くらい」と言うのです。ビデオを見て、Yの言葉の意味が分かりました。一人で歌ったソロは木下式独特の発声で伯母の私が見ても、「教育を受けた歌声は違う」と思える良いできでした。本人も「ここまでなら90点だったんだ・・・」といいます。しかし、その後、「一人では目立ちすぎる」という理由から、友達4人で歌うことになった歌があったのですが、大きく元気に歌う他の友達の声に、Yの歌声はかき消されて「20点」なのでしょう。時に、他の子の手が届かない高音部分から、繊細なYの声が漏れ聞こえましたが、子供のYではどうすることもできないことです。「20点」というYに、「いや、ソロもせりふも上手だよ」と木下先生が慰めていました。

木下先生がポツリと「こんなにたくさん子供がいたら、もっと良いものを作れて、楽しいだろうに。なぁ?」と私に同意を求めます。ここ数週間、木下式を実践する幼稚園をまわって、音楽祭のために声部分けをしていますが、正しい訓練を受けた子供が大勢いると、多少、だみ声の子がいても、良い声の子供に感化されて、美しい音楽を作ることが可能なのです。

8人いる主役の中で、ただ一人ソロをいただいた甥Yですが、楽院の中では決して美声ではありません。子供たちの中には、親御さんからもらった、生まれながらの美声の持ち主が大勢いるためです。しかし、学芸会の舞台のYの繊細な歌声は、会場の遠くまで届く張りのある「美声」でした。これは、木下式の幼童唱法が地声発声ではなく、鍛えればどんな声でも美しく変質させることができるという理論によって、鍛えられているからなのです。
by k-onkan | 2011-11-27 23:18 | 児童 | Comments(0)

小さなお父さん、お母さんに学ぶ

木下音感楽院の成果発表会は、12月10日午後1時より角筈区民ホールにて行われます。

e0143522_1322582.jpg今日は、ピアノの試聴会がありました。二週間後に控えた発表会の前に「後、ひとふんばり」するために、保護者の方に聞いていただく会です。数日前、お兄さんの学校行事のため、参加できないと3年生のKくんのお母さんからご連絡がありました。一生懸命、演奏しても、家庭からどなたも参観してくださらないのは、とても残念です。子供は何歳になろうが、どんなに生意気盛りであっても、自分のために応援に駆けつける家族の存在は有難いものです。

実は、私は、最近、少しKくんのことを心配していました。注意される前から涙をこぼしたり、褒められても涙ぐんだりします。優等生で気弱な男の子にならよくあることですが、Kくんは、やんちゃで子供らしい男の子です。いじめられるよりいじめる方が多く、厳しくしてきた子に弱い面を見せられると、「自信を失っているのでは?何かあったのでは?」と心配になってしまいます。

Kくんには高校2年のJくんと、中学1年のRちゃんという兄姉がいて、共に楽院の名誉団員です。そこで、お母さんに、「お兄さんでもお姉さんでもいいので、どなたか来て演奏を聴いてくださるように」とお願いしてあったのです。試聴会当日には、二人でやって来て、まるで小さなお父さんとお母さんのようにKくんの演奏を見守っていました。Kくんも嬉しいのか、以前のように悪ふざけをするやんちゃな姿も見せていました。いたずらも、愛されている自信がなければできないのかもしれません。

試聴会では、保護者の方にそれぞれの演奏について感想を書いていただきます。ご自身のお子さんだけでなく、他の方の成長にも興味を持っていただきたいと思っているからです。Kくんのお兄さん、お姉さんも感想を書いていきました。一つのミスもなく演奏した弟に対して、兄のJくんは、「よくやったと思います」と認めていました。反対に優等生のお姉さんは、演奏に対してではなく「待っている態度が悪い」と厳しいことが書いてありました。まるで男親と女親の感想のようです。男性は、「結果」に対して褒めますが、女性はそれ以外のことに目がいきます。子育てにはどちらもバランスよく必要であると感じるのです。

そういえば、私と弟も、その昔、年の離れた妹である瑠音先生を守らなければと、保護者面をして、ついて回ったことを思い出します。ちょうど、木下式を実践する幼稚園、保育園が、全国に増えて、両親ともにとても忙しかった頃でした。親に十分に、構ってもらえない妹をかわいそうに思い、二人で競って甘やかしたものでした。後になって、「子供に育てられて大人の目も届かなかったので、自分は、大人から教えられていないことがたくさんあって苦労した」と家族皆で責められたものです。

子供が大きくなるにしたがって、大人も忙しさが増してくると思いますが、それでも、子供に大人の目が必要なのです。手を離しても、目を離さずに、ポイントは押さえていかなければと思うのです。兄姉は大人としては未熟なところがありますが、それでも、家族の一員として、弟の成長を見守るという点では、来てくださったことは、Kくんにとって、本当にありがたいことだったのです。
by k-onkan | 2011-11-26 23:17 | 児童 | Comments(0)

つみき教育に教えられたこと~2~

にっしんの川野先生のお話はどれもためになりましたが、私が一番、参考にしなければと思ったことに、公開授業を行いながら見学者に「今、行っている課題の意味」を適時に説明することがありました。楽院に欠けているのは、これだろうと思います。私たちは、「子供の教育」となると、ついそれだけに一生懸命になり、保護者のケアまで気がまわらないのでしょう。大人に目を向ける間に、子供の能力を高める瞬間を失ってしまいそうで怖いのです。しかし、川野先生から言われた「有名な木下式」になるためには、こうしたこともできるようにならなければと思いました。

e0143522_193978.jpgもう一つ関心したことがありました。それは、会長先生が教育や子育ての悩みは、どなたからも相談を受けることでした。私も平素、保護者から相談は受けますが、それは楽院児とその兄弟についてまでのことです。しかし、先生は面識のない方、つみきを教えていない相手についても、相談を受けられるのです。その方は二人の男の子を持つお父さんで、下の子は小学校の低学年でつみきの授業を見せてくれた賢い男の子でした。その上に高校受験を控えた男の子がいるようなのですが、悩みはその兄についてでした。学力の高い学校を志望しながら、一日、ゲームやテレビばかりして勉強を始めるのは夜中の1時ごろで、学力と共に睡眠不足など健康も心配というお話でした。

会長先生は、「10歳までが勝負なので、それを過ぎた今、生活習慣を改善したり、素直に学んだり、親の言うことをきかせるのは無理がある。親子は遠慮がない関係だからこそ、骨肉の争いにまで発展することがある。親以外に息子が信頼する大人から言ってもらうのが一番良いと思うが、誰か信頼関係ができている人はいないですか」と訊ねられました。

そして、「子供に勉強して欲しいからと言って、「勉強、勉強」とうるさく言うのではなく、子供の趣味につきあったり、一緒に協同作業をしたり、たまには、子供の好きな食べ物を差し入れして、父子間の信頼関係を築く努力をするように」と提案されました。どんなに、「子供のため」と親が思っても、「受け入れてくれていない相手」の言うことを、子供はきかないものだと説明されます。また、何かを与えたからと言ってすぐに「これを与えたのだから、さぁ、勉強」と交換条件のように結果を求めるのもいけないと言われます。現在の子供の様子はよくも悪くも親に育てられた結果が作り出したものです。10歳を過ぎて手遅れとは言っても、親だからこそ諦めず、遅々とした歩みでも改善するよう心がけなさいと言われます。

私はこの話をうかがい、その昔、我が家に家出してきた卒業生のことを思い出しました。子供が問題を持つようになると、親はなるべく穏便に済ませ、他人には知られたくないと思うものです。しかし、子供は親以外の信頼できる大人がいることで救われることもあるのです。問題を持つ以前から楽院に通っていたこの卒業生は、「誰の言うことはきかなくても、楽院の先生の言うことは絶対に聞く」と、親御さんの言葉を無視しても、私の言葉には抵抗をせずに、素直にしていたものでした。それは、長年、楽院で歌や音感を学んだ際に、培った信頼関係によるものであったのだろうと思います。信頼できる大人は問題を持つ以前から、用意しておく必要があるのだろうと思ったのです。
by k-onkan | 2011-11-25 23:37 | 教育 | Comments(0)

つみき教育に教えられたこと~1~

勤労感謝の日、楽院の保護者Nさんのご紹介で高円寺にある「つみきのにっしん」の体験授業と説明会の見学をさせていただきました。そこでは、木下先生と同じ年頃の会長先生が教育や子育てをいろいろな切り口からお話されてとても好評とのことでした。限られた世界しか知らない私にとって外を知る機会になればと出かけました。Nさんのご紹介があったため、直接、代表の川野先生ともお話をさせていただくことができました。

e0143522_22735.jpg幼児教育の世界は狭いようで、「木下式は有名。よく知っている」とのお言葉をいただき、私の方が恥ずかしくなってしまいました。なぜなら、それは木下式が幼児教育の世界に広まった時期のことをご存知であるということだからです。その昔、木下式は全国で100近くの幼稚園、保育園が採用する教育でありました。営業を担当した方が有能だったのかもしれませんが、どんなにたくさん教材が販売されても、正しく実践されなければ、その教育に何の意味もありません。

ある時、地方の幼稚園に出かけた木下先生が、職員室に山積された教材を見つけて、「どんなにお金を出して教材を買っても、指導者を養成しなければ使いこなせず、幼児のためにはならない」。指導者養成を継続する団体にだけ、木下式の実践を許したという経緯があるのです。現在、木下式を実践する25団体は、苦しい時代を乗り越えて、賛同した志のある園といえるでしょう。つみきのにっしんと木下式が共通するところがあるとNさんが言われた理由の一つは、にっしんもまた、22の都府県の幼稚園、保育園、教室で実践されていることがあります。しかし、子供さんを使って行われた体験授業を見学すると、さらに木下式との共通点がありました。

それは、つみき教育が高度な数学を教えるための感覚教育であったからです。見せていただいたのは、年少児の課題ですが、会長先生がパチンと手を打つたびに、子供は積み木を一つ箱に入れます。そして、先生の「Aといったら1個入れる」「Bといったら2個入れる」「Oと言ったら1個出す」という言葉に反応して、積み木を出しいれしていきます。積み木を使った簡単な計算なのですが、集中して話を聞けなければ答えを間違えてしまいます。子供たちの聴覚や手指の感覚を鍛えられていることが分かります。また、拍手の速度が画一的でないことが、集中力を高めていました。人間は自ら両手指を使うことによって、脳が鍛えらるものです。木下式が高度な音楽能力を育む感覚教育であるなら、つみきは、高度な数学能力を備える感覚教育であると感じました。

残念ながら、私は数学が得意ではないため、上手く言葉で説明できませんが、簡単な計算に使った積み木が、いつしか、倍数、約数、比率や方程式、代数、十進法展開(?)などの難題にまで展開していきます。木下式が遊戯性ある音感かるたを使って、大人でも難しいとする和音や単音、嬰変音の聴き分けを可能にすることと似ているかもしれません。

もう一つ、共通することがありました。それは、音楽であれ、算数であれ、幼児期に高度な能力を身につけさせる教育を子供に与えたら、学習以上に大事なことは、心の教育、精神の鍛錬であるということでした。「この教育を受けられるのは、誰に感謝しなければいけないか」など、つい忘れてしまいがちな心の教育も施されていました。子供というものは賢く育てれば育てるほど、不遜になる可能性を持っています。大人は子供の成長を喜んでも、未熟なところがあれば指導する責任があります。手は離しても、目を離すなという言葉通りだろうと思います。

「成績が良い、学歴が高いは、それに越したことはないが、一番大事なことは、周りに愛を与える人間に育てること。その究極はノーベル賞をとれるような人材を育てあげること」という趣旨のことを言われましたが、自分の学歴や職業にのみ関心を持つのではなく、他人の役に立つ人間に育てあげなければ、難しいことを学んでも何の意味もないということなのではないでしょうか。

残念ながら、今の日本は、高学歴であっても、人とのコミュニケーションが取れなかったり、他人の心を思いやって行動できる人は減っているそうです。つみき教育もまた、能力を伸ばすという目先の結果だけでなく、長いスパンで子供の教育を見ていらっしゃるのだと分かりました。そして、木下式が、音楽教育として、しつけや行儀を求めることや全人教育を目指してきたことは、決して間違えではないのだという確信を持つことができました。
by k-onkan | 2011-11-24 23:01 | 教育 | Comments(0)

Yが教えてくれたこと

今からちょうど一ヶ月ほど前、2年生の甥Yが祖父である木下先生から平手打ちをくらうという大事件がありました。それは、小学生のレッスン日のことでした。個人の発声訓練が始まり、「これから、Yの番」という時に、涙をポロポロ流したというのです。まだ注意もしていなければ、指導も始めていないのに、涙を遣って指導を拒絶する。これは、「素直に物を習う態度」ではありません。これが、木下先生の逆鱗に触れた理由でした。「もう、お前は二度と楽院に来るな」と教室から出され、その日のレッスンに戻ってきませんでした。

e0143522_10321875.jpgその場にいた瑠音先生が「レッスンの前に涙を流したのはYが悪いのだから謝ろう」と諭しましたが、Y自身、納得がいかなかったのか、なかなか謝ろうとしませんでした。しかし、母親の職場である楽院に出入り禁止になったら、一番、辛いのはYでしょう。「どんな理由があっても、レッスン前に涙を流したのがいけないのだから」と、瑠音先生は真剣に説得しました。何とか頭を下げたのはそれから数時間が経過した頃だったと思います。

木下先生は「おぶったより抱いた子という意味がわかるか。Yはじぃじにとって、抱いた子なのだ。他の子よりも可愛いと思うから、叱るのだ」とお説教をしたようですが、2年生のYには少し難しかったかもしれません。そして、それは、腹を痛めて生んだわが子を殴られた瑠音先生にとっても、簡単に受け入れられるものではなかったであろうと思います。もちろん、普段、甥を可愛がっている私も、Yの心中を想像するとまっすぐとYの目を見ることができませんでした。子供の頃、父に叱られた自分の気持ちも重なってとても暗い気持ちになりました。しかし、誰よりも一番、ショックを受けていたのは、実は殴った木下先生でした。その日は、枕もとにYが正座をしている夢を見たとかで、一晩中、眠った気がしなかったようです。殴られたYもかわいそうですが、殴った方も相当、傷ついているのです。

話は飛びますが、私と父は一卵性父子だと言われるほど、気持ちを分かりあっているところがあります。どんなに遠くに離れていても同じことを話題にしていたり、全く違う事柄に対して、同じ考えを披露していたりするので、純子先生から気持ち悪がられています。父がYを殴った次の日は、私も一日中、胸騒ぎと吐き気がするほど、気持ちが悪くなりました。こんな嫌な気持ちになるのに、なぜ殴ったりするのだろうと、私はずっと考えていました。最近、やっとその答えが見つかりました。それは、女性の私たちが女の子たちの欠点に男性より敏感であるように、男の子の欠点は男性にしか見つけられないということでした。

よその方から、「Yくんは優等生で楽院を背負って頑張っている」とお世辞のような褒め言葉をいただいたりします。その昔、私たち兄弟も楽院に通う保護者の方から、似たようなことを言われたものですが、実は、よその人が思うほど、子供本人は気負っているわけではありません。どんな良い子も、悪い心に支配されることはあるものです。真面目に努力させられているように見えても、怠け心もずるいところもあります。大人の目がなければ、悪くなっていくのは、厳しい家でもそうでなくても、一緒です。

一般的に、男の子は、晩生なものですが、母親の庇護から離れる時間が増えると、自分に自信を持てるようになります。それに伴って、親の教えを軽んじることが増えていきます。子どもが自立しようと行動するのは結構なことですが、親は手を離しても、目は離してはならないと思うのです。子供が一人立ちする自信を見せても、未熟なところがたくさん残っているものなのですから。

実は、木下先生に殴られる数ヶ月前から、私は、Yが自分から挨拶をしなくなっていること、話しかけても何も答えなかったり、素直でなくなっていたことが気になっていました。ちょうど、ワカランチンだった2歳の弟甥Kも、話が通じるようになって可愛くなった頃でもありました。弟は返事をしただけで褒められるのに対して、Yは何をしても小言を言われることの方が増えていました。何を言われても右の耳から左の耳へ通し改善される気配はありません。そんな時に、木下先生の逆鱗に触れる事件はおきました。もしかすると、レッスン云々ではなく、Yの態度が荒んでいることを見抜いていたから手をあげたのかもしれません。

殴られた当初、厳しい私でさえ、「よその子には手をあげないのに、孫という理由でYだけ殴られるのはかわいそうだなぁ・・・」と申し訳ない気持ちにもなりましたが、その後のYの変化を見ると、殴られたことが、Yにとって必要なことであったと思えるようになってきました。それは、Yが私たちの前で再び、子供らしい姿を見せるようになったからです。弟に遠慮することなく、素直に甘え、子供らしく言いたいことを言うようになりました。また、自分から挨拶をする明るさが歌やピアノの演奏にも表れるようになりました。同性の祖父から、ひどく叱られたことで、自分が非力な子供であることを再認識できたのかもしれません。これは、私たち女性が、どんなに指導しても、直すことはできなかったことであろうと思うのです。

さて、これを書いたのは、皆さんに子供を殴ることを推奨しているからではありません。普段、子供との関わりが少ないお父さんが「子供が悪いことをしたから」と言って、いきなり、殴り飛ばしたら、うらみを買うだけで何の効果もないであろうと思います。Yに効果があったのは、木下先生が、平素、誰より手をかけて教えてくれる師であると同時に、祖父として誰よりも長く時間を過ごし、音感教育以外にも、楽しい時間も共有している相手だからこそなのです。

殴ってから1ヶ月の間、職員室には、誰よりも丁寧にYとの信頼回復を努める木下先生の姿がありました。たとえば、何か美味しいものがあると、普段、溺愛するKよりも先にYの口に入れてやったり、学校から帰ってくると膝に乗せて、Yの様子を観察しています。口数は多くないのですが、守られていることを感じているはずです。最近は、殴られたことも忘れ、調子にのる姿も見かけるようになりました。子供はこうして、悪くなったり、良くなったりして成長していくのだと思います。

たとえ、時に殴られることがあったとしても、与えられる愛情の方が多ければ、子供は愛情を感じることができるものです。反対にどんなに愛情や物を与えられていても、自分が受け入れられていないと感じると、親に愛情は感じられないものです。木下家の子供であることは、端から気の毒がられることが多いのですが、大人になって、後から深い愛情を与えられたことを知るのになります。甥Yもいつか大人になって、祖父に殴られたことを懐かしい出来事として、自分の子供を育てる一助にするのではないかと思っているのです。
by k-onkan | 2011-11-23 23:31 | 児童 | Comments(0)

女はたくましい!?男は繊細?

東京合同音楽祭とは

e0143522_230645.jpg来春の音楽祭のために各地の出演団体の視察に大阪、仙台、富山、横浜、名古屋と回り、残すところわずかとなりました。木下先生は、出演する全員の話し声を聞き、言葉の組み立ての早さ、声の高さ、言葉の鮮明度、母音認識などによって、声部を分けます。そして、何度も歌わせながら独唱する子供を選んでいくのです。

オーケストラの伴奏で、1000名の観客の前で歌う子供は歌唱力ももちろんですが、精神が強くなければ選ばれません。「自分が選ばれたい」と目を輝かせる子の方が選ばれる確率は多いでしょう。反対に、どんなに声が良くても、目線を合わせらない気弱さがあると、選からもれていきます。毎年、必ず、「お兄さん(お姉さん)も独唱した」という子どもが選ばれるのは、子供であっても、「木下先生が園に来る理由」と、「独唱に選ばれる意義」を知る方が目的意識を持って競争できるからかもしれません。

どこの園でも独唱に選ばれるのは、精神的な発達が早い女の子の方が男の子より多いものです。それでも、木下先生は同性のよしみからか、一人でも多くの男の子の将来性を見据えて、選ぼうとします。上手に指導すれば、男の子の声は、女の子では敵わない力強さがあるからです。ところが、男の子というものは選ばれてもちっとも嬉しそうではありません。心配そうな顔をします。それに反して女の子はとても同い年には見えません。

どこの幼稚園でも、木下先生は選んだ子どもたちに必ず「独唱をするために、木下先生と一緒に東京に行かれるかい?」と冗談で聞きます。男の子はブルンブルンと首を横に振ったり、固まってしまいますが、女の子はほぼ全員が目を輝かせて、「どうぞ、連れていって」という意味でコクンとうなずくのです。「選んでくれてありがとう」という意味もあるのかもしれませんが、その真剣なまなざしに大人の私の方が心配になってしまいます。、「木下先生は、冗談をおっしゃっているだけよ。東京に来る時は皆、一緒だから大丈夫」と訂正します。

巷では、ゆがんだ平等教育がまかりとおっています。そのため、我が協会にも。「独唱に選ばれない子どもがかわいそうだから、独唱部門を無くして」といわれる親御さんもいないではありません。しかし、子供の権利は平等であっても、能力は平等ではありません。また、それぞれの個性や特技は、どんなに平等にしようとしても異なるものです。自分が何を得意とするか、個々が理解するためには、幼児期からそれぞれ、得意の分野で認められる教育が行われていなければなりません。そういう意味で、音楽祭の独唱部門に意義があるのです。また、音楽祭に選ばれなかった子どもであっても、何かのチャンスには力を発揮するために目的意識を持つことの重要性を感じるかもしれません。また、それぞれに、与えられた種目を一生懸命、取り組むことを教え、幼稚園の良い思い出にして欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2011-11-22 02:30 | 幼児 | Comments(0)

教育をダメにしないために

音楽祭の視察のため、名古屋まで日帰りで出かけました。年長児85名が在籍する4クラスの授業風景を見て、教諭や園児の指導をさせていただきました。どのクラスも授業態度がよく、見学にこられる一般の方が、「これが幼稚園児なの?」と驚かれるのも納得がいきます。先生の話に耳を傾け、集中する姿、みんなで協調しながら、一生懸命、取り組む等など、しかし、これは、しらぎく幼稚園に限らず、木下式を実践する幼稚園、保育園のどこへ行っても共通する姿です。実は、こうした姿は、昔の日本の教育現場では当たり前であったことです。しかし、それが、年々、失われつつあることが残念でならないのです。

e0143522_23533199.jpg先日、久しぶりに会った卒業生から薦められて「親学のすすめ」「検証 戦後教育」(著:高橋史朗)を読んでいます。この本の中に、現在、失われつつある古きよき時代の日本の教育と、なぜ、既存の問題が生じているのかなどが分析されて書かれています。「親学のすすめ」は子どもを持つ親御さんには是非、お読みいただきたい著書でした。また、現在、読み薦めている「検証 戦後教育」には、教育の現場にいるものとして、どのように、現存の問題が教育の場に生じたかを知ることができる書かもしれません。

その中に、「戦後教育思想の混乱とその背景」と題して、戦後の教育に4つの誤謬(ごびょう)に「民主主義」「平和主義」「自由主義」「平等主義」を履き違えたことが書かれています。確かに、世の中で、先生と生徒が平等になってから久しく、教育者であっても「子供の意見を聞くこと」が、「子供に従うこと」と考える人が多いのも実情です。しかし、高橋先生は、「子供の成長のためには、親や教師は対等な関係ではなく、一段高いところに立って「児童の最善の利益」とは何かを考え、パターナリズム(父親的温情主義)とボランタリズム(自立主義)を人、時、所に応じて使い沸けていくことが必要である。その意味では決して大人と子供との関係は平等でも民主的でもないのである。現代は奇妙に甘えの充満している大人不在の社会である。現代は極めて大人になりにくい時代である。親や教師が子供を甘やかすと子供は大人に甘えられなくなる。それは、甘やかす大人が実は、子供に甘え、子供に迎合する関係になっているからである。大人とこどもの確執という緊張が欠落した大人不在の社会は、単なる「馴れ合い」の社会と化してしまうのである(「検証戦後教育」第5章より)

木下式を実践する私たちには、当たり前に感じることですが、よその世界に属する方が、ここまではっきりと書かれていることに溜飲が下がる思いがしました。木下式は、古き時代の教育なのかもしれません。園児が小学生のような態度で、合唱をしたり、鼓笛の演奏をすると「本当に幼稚園?」と驚いて感心してくださる方もあるのですが、「皆で同じことをするのは、個性的でない」「個人でそれぞれの身勝手を通したい」「他の子とのかかわりより自分の子供だけを大事に」という思いで子育てをする人が増えています。木下式の良さを理解できない人が増えるということは、それだけ、日本の教育そのものが壊れていくようで、心配になってしまいます。私一人の力は微々たるものではありますが、諦めずに訴えていかなければと思う高橋先生の本なのでした。
by k-onkan | 2011-11-21 23:52 | 教育 | Comments(0)