麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

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良いお年を

1年間、お世話になりました。
e0143522_033446.jpg今年は東日本大震災をはじめ、心が折れそうになる出来事が、続いてしまいましたが、来年こそは良い年にしようと思います。
皆様も良いお年をお迎えください。
by k-onkan | 2011-12-31 23:59 | Comments(0)

先導と動物の子育てと

今日は、昨日の疲れでブログの題材を見つけることができなかったので、引き続き、次男坊Kとの交流で分かったことを記しましょう。私は、幼い子供が我が家にいる時、なるべく無口にならないように心がけています。子供が大好きなことに熱中していれば、あえて、話しかけないこともありますが、一緒に何かをする時は、常に、質問をしたり、言葉をかけ、記憶が鮮明になる手助けをします。子どもは、「~をした時、まぁちゃんが「~と言った」など、行動と一緒にいた人の会話を取り混ぜて覚えることが多いからです。

e0143522_13194331.jpg私が、レンジの掃除をしながら、対面カウンターで紙粘土をさせていた時のことです。子供は料理の真似事が大好きなので、長く伸ばした紙粘土を野菜に見立て、バターナイフで切らせることにしました。「手は切れないナイフだけど、気をつけて使ってね」と声をかけると、「大丈夫よ。切ったら、バンドエイドはってね」といいます。「うちには、バンドエイドはないから、切らないように気をつけて」「オッケー」。

2歳5ヶ月の子供とは思えないほど、会話が弾むのは、年の離れた口がまわる兄の影響と、平素、たくさんの大人の中で育ち、多くの言葉が耳に入る副産物に過ぎません。きっと、何日か経ってから、急に、「ママ~。まぁちゃんのうちには、バンドエイドがないんだよ」と会話に出たりするはずです。

Kは、今、動物の名前や働く車の名前など、覚えたことを披露するのが、大好きです。中には、私たち大人よりよく知っているものもありあす。これはKが特別に優秀なのではなく、2歳の子供は誰もが「天才か?神童か?」と言われるほどの記憶力があるのです。これを引き出すことで、学ぶことを遊びのように「楽しい」と感じ、いろいろなことに興味を持つようになるのです。反対にこの時期、ただ静かに寝かせておくだけでは、後でかわいそうな気がします。

もちろん、言葉を知らせることによって違う苦労はあるのです。何でもよく知っているため、小手先のごまかしがきかないこともあります。「あ、いちごだ!食べたいなぁ」とはっきり意思表示されると、「これは、高いから、また今度」などとは、言えません。家に帰って「いちご、高い?」と言ったりするのです。よく気がつく子供に育てるリスクも、もちろん、ないわけではありあせん。分不相応な生意気な口をきいたら、その都度、取り締まる必要もあります。

「Kちゃん、さっきの果物、食べる?」。スーパーから帰り、紙粘土、絵の具、砂場、お風呂と、何時間も経過した頃、連想ゲームをしました。幼児にとって、スーパーに出かけた記憶は遠い昔のことかもしれません。まったく思い出せないようなので、「忘れちゃったの?赤くて、い・・・がつく果物よ」。目に見えるものは、理解しますが、目の前にないものを思い起こすのは幼児にとって、難しい課題のようです。

そこで、「い・ち・・・?」と二語におわすと「あ、いちご!」と思い出しました。どんなに慣れ親しんでいる果物の名前も、目の前に見えなければ、「い・・・?」という「一語先導」より「い・ち・・・?」という二語先導が妥当であることが分かります。

大人は、「いち・・・」より、「い・・・」で分かることが賢いと思うため、早く手杖を取り除くことばかり考えてしまいます。しかし、幼い子供には、「いち・・・?なんだった?」と言う手助けで躊躇なくこたえられ、「よく分かったる。おりこうちゃん!」と褒められる方が嬉しく、「また、質問して欲しいなぁ」とこのゲームを楽しむようになるのです。このくり返しで、「もうヒントはいらない。自分で分かるから」と自立するようになっていくのです。

「先導」は動物の子育てとよく似ていると私はいつも思います。肉食獣の親は、最初に、仔にとった獲物を与え、肉の味を覚えさせるそうです。次に弱った獲物をわが仔の前に置き、捕らえる喜び、弱らせることを経験させます。手取り足取り教えた後に、子供を狩に出すのです。何日も何日も、獲物が取れない日が続き、お腹を空かせ、死に物狂いになって、はじめて、獲物をとらえるのです。それは、親から離れ、自立の時を意味しています。動物の世界は生々しいですが、人間も、小さい頃には十分に手をかけ、成人したら、一人で生きられる力を備えさせることが、子育ての原点であることを忘れてはならないと真剣に思うのです。
by k-onkan | 2011-12-30 23:18 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

木下家の生きた教育

「お年玉は自分で稼げ」。小学2年の甥Yが、千葉の庭掃除に借り出されたのは、楽院の仕事納めの日でした。2泊3日、手伝ったら東京に戻り、家族で年始回りの後、また、千葉を訪ねることになりました。父は、「電車に乗せるから、東京駅までYを迎えにきてやってくれ」と心配していましたが、Y本人は「地図(路線図)を見れば帰れるからお迎えはいいよ。山手線か丸の内線で池袋に出られるでしょ?」と有難いことを言ってくれます。こんな時、年中の頃から一人で地下鉄に乗ることを知らせ、漢字や地名など、学校で教えないことも教えた甲斐があったと思うのです。幼児期に行った先取り教育は、どれもこれもYが一人で生きるために必要なことに過ぎなかったのですから。

e0143522_1862974.jpgさて、木下家では、毎年、恒例で父がお頭つきの鯛を焼き、お正月料理を作ります。子どもの頃は家族みんなで庭掃除や料理の手伝いをして、お客様を迎えましたが、千葉に移ってからは、純子先生の手伝いによって、私たちが訪問するようになりました。今年から、手伝いに加わったYは、木下家恒例の庭仕事の修行を体験することが父からの生きた教育なのだろうと思います。長男Yは、大人の言葉を真面目に聞き、よく働き、父から重宝がられています。一般的に、二番目以降は、それほど、大人の言うことに忠実ではありません。

さて、この決定に困ったのは母親の瑠音先生です。子どもは一人でも二人でも、世話をする手間は変わらず、「どうせなら、二人セットで連れていって」というのが本音です。そこで、白羽の矢が立ったのが私です。Kを預かりつつ自宅の大掃除をする一日となりあした。前日から、片手間でKの相手ができるように紙粘土や水彩絵の具、食事の準備をして、次男坊Kをじっくり観察することになったのです。

これまで、次男のKが癇癪もちで、わからんちんなのは、大人が1対1で相手をしたり、彼のペースで物事を進める余裕がないからだと思っていました。そこで、とことん彼中心に過ごしてみましたが、どんな風に相手をしても、次男の特性には何の変化もないことが分かりました。兄というライバルがいなくても、いつでも、自分のペースで動き、自分の考えが通らなければ、相手が大人でもかんしゃくを起こし、床に転がって泣いたり、「もういい!」と言って、部屋から出ていってしまうこともあります。

今日も、自分が悪いことをして叱られたのに、「そんなこというなら、まぁちゃんのことはもう嫌いになっちゃうよ。好きなのはママだけよ!」と脅しをかけてきます。ふだん「朝の挨拶ができない人はライオンの部屋よ」という私たちの叱り方をアレンジした言葉に違いなく、本当に、子どもは育てられたように育っていると思います。

もちろん、私もそんな言葉に動じたりはしないほど、子どもの扱いに慣れています。「悪いのはKちゃんでしょ?そんなことで嫌いになるなら、嫌いになって結構です」というと、急にシュンとして、2歳の子供に戻ります。叱る時には、大人は自信を持って叱らなければと思います。少しでも、「嫌われたくない」という気持ちを見透かされると、子どもに侮られてしまうからです。

最近、遊びにきた卒業生が教えてくれたのですが、大人になっても成長過程のトラウマで心が子供のままの人を「中二病」と呼ぶそうです。今のKは、まさに中二病のようです。「大人になったら何になるの?」と聞かれると「お兄さんになる」と兄甥Yをライバル視したかと思うと、急に「ぼくは~、まだ~赤ちゃんだから、靴は一人で脱げないのよ」と甘えてきます。「1本手伝うから、1本は自分でやってみたら?」と機嫌をとると、私より先に脱いで見せるのですから、2歳にしては、自立しているのです。

弟妹たちは、「できると損」という思いもあるのでしょう。できることが増えると、大人が手を抜くことをよく分かっているのかもしれません。一緒にいる大人は、Kが「できないフリ」をしているのか、「本当にできないのか」を見極めていかなければと思います。弟妹は、兄姉と同じことができることを基準に物事を考えています。できるだけ、子どものうちに、同等の力をつけておかないと、その劣等感から親に反抗したりします。

親は、下の子に対して、「まだ小さいから」「ふざける姿が可愛いから」「上の子どもほど頑張らせるのはかわいそう」と弟妹に甘さを出してしまいます。しかし、上の子も下の子も、いつか、自立して、親から離れるという意味では、条件は同じです。親元にいる間に社会に出る力をつけるためにも、親は子どもに厳しく、愛情を持って、対峙してやりたいものです。

さて、弟妹が兄姉に劣等感を持つと、たいてい、親のせいにしがちですが、私はそれだけではないと最近、感じています。弟妹には、彼ら特有の感覚のよさがあり、不器用な兄姉にはうらやましい限りです。しかし、兄姉は、大人に従順であるがゆえに、素直に地道な努力を受け入れられます。反対に弟妹は自分が嫌なことはしないので、兄姉ができることが、できないこともあるのです。

上の子と下の子で特性はありますが、それぞれの長所を引き出し、短所を是正するという点では、子育ては同じです。同じ親から生まれたからこそ、競争心もあり、兄弟姉妹はライバルなのです。お互いを尊敬できるようにするために、何人目でも、手抜きはできないという「下の子育て」のたいへんさを再認識したのが、Kとの1日だったのです。
by k-onkan | 2011-12-29 23:06 | 我が家のこと | Comments(0)

歌の持つ力はすごい

2年生のTくんから、「学年でたった2人しか選ばれないソロの1人に選ばれた」と報告を受けたのは、今から1ヶ月以上、前のことでした。キリスト教を主体にした私学の小学校では、クリスマス礼拝があり、その中で聖劇が行われるのです。Tくんのお母さまは、その練習を通して、歌の持つ力がいかにすごいかを再認識されたと言われます

e0143522_1363437.jpg1ヶ月かけて行う練習が始まると、他のクラスの子供が絵日記に「Tくんがとても上手だった」と書いたり、練習を聞いたお父さんの中には、家に帰って「ウィーン少年合唱団というのはTくんのような声の子の集まりなのだ」と説明されたりするようになったといいます。また、学校では、直接、担当されていない先生からも激励の言葉をかけられるようになったTくんに、お母様は低学年の子が自分の能力をアピールするのに、歌ほど適したものはないということを感じたそうです。何より、歌うことで神様に近づいた気持ちになれることが音楽の素晴らしさです

礼拝がある学校は、合唱に力を入れているため、歌上手が賞賛される機会が多いのだと思いますが、ふだん、おっとりしているTくんには、他人さまから歌声を認められることで、自分の特技を認識できたことは、私たちにとっても嬉しいことです。楽院に通う子どもたちは、誰もが音程正しく歌うことが当たり前に求められているので、それが世の中に出れば、特技になると気付くまでに長い時間がかかったりするものだからです。

最近、読んだ五嶋節氏の本の中に、「いじめをなくそうと思ったら、打ち込める何かを持たせるしかない」という一節がありました。いじめをなくすために大人が手を貸すより、子どもが打ち込める何かを持ち、それを尊敬しあえたら、いじめはなくなるという考え方だと思います。これは、私の父と全く同じ考え方なのです。

子どもの頃、私が学校でいやな思いをしてくる度に、私はピアノの練習をさせられたものでした。当時、まわりには私程度にピアノが弾ける子が何人もあり、「なぜ、自分ばかりがこんな目に・・・」と不満に思っていましたが、学年を経て、ピアノを習う人は一人減り、二人減って、中学生になると、私程度にピアノが弾ける子は数人いるか、いないかまで減っていました。あまりに長い時間がかかったので、いじめ対策になったかどうかはわかりませんが、自分に自信を持てるようにはなったものでした。

前述のTくんが通っているのは私立校なので、特技を披露するのも比較的、容易です。しかし、平等主義の公立小学校となると、また勝手が違うのです。数ヶ月前、2年生の甥Yが学芸会の主役8人に立候補し、その中で、1人だけソロを歌うチャンスを手にしました。しかし、私立と違うのは、「うちの子だけ台詞が少ない」とクレームをつける親御さんを配慮して、なるべく、平等を心がけます。Yのたった数小節しかない中音域のメロディーも、公立では異例のことであり、ソロがあっても、Yの出番はなるべく目立たないように終わったようです。

それでも、甥が自らオーディションで手にした役柄に私たち家族は満足でした。なぜなら、1年前のクラスでは、Y自身が嫌がらせの対象となりとても荒れていたからです。ある時、10対1で攻撃され、体中、傷と痣だらけで帰ってきた時には、さすがの瑠音先生も、「私立の編入」について悩んだものでした。しかし、どこへ行っても嫌がらせをする人間はいるとの考えから、今いる場所でうまくやる方法を母子で模索することを選んだという経緯があったので、学校で自分の居場所をみつけたYに安心したのです。

実は、この学芸会の練習で心温まることがあったのでしした。それは、1年前のいやがらせの首謀者の1人Xくんが、Yに近づき「A(Yの苗字)!前にいじめたこと。ごめんな」と声をかけたというのです。短いソロであっても、Yの歌を聞き、子どもなりに何か感じるところがあったのかもしれません。これは、いじめをなくすためには、「一生懸命、打ち込む何かを持つこと」。そして、「歌が持つ力はすごい」ということの証明なのだと思ったのでした。
by k-onkan | 2011-12-28 23:36 | 児童 | Comments(0)

お勧めの子育て本、2冊!

冬休みに時間を見つけて読みたいと二冊の本を購入しました。1冊はバイオリニスト五嶋みどり、龍を育てた五嶋節氏の書いた『「天才」の育て方』(講談社現代新書)、もう1冊もバイオリニスト千住真理子の母千住文子氏の「千住家にストラディヴァリウスが来た日(新潮文庫)」です。しかし、本が届いた先から読み始めたので、冬休みになる前に読み終わってしまいました。

e0143522_14493036.jpg五嶋節さんは、現在、日本でバイオリンを教えているそうですが、現在、子育てをしている日本の親御さんが、あまりに自信がないことを心配して、この本を書かれたようです。その昔、みどりさんと二人でニューヨークに渡った時のことから、みどりさんが遅い反抗期で拒食症をわずらってしまったこと。弟龍くんが生まれ、みどりさんと同じように、バイオリンをさせるかどうかで悩んだことなど、自らの失敗も含めて、長い子育てを通して見出した「子育て論」を披露されていました。

実は、最近、読んだ「子育て本」の中で、一番、しっくりときたのが節さんの教育姿勢と考え方でした。それは、自分ができることがバイオリンだったから我が子にそれを教えたということ。自分の子の能力を引き出すために、一生懸命、手をかけ教え、時に過保護に、ここぞという時は、厳しく、愛をもって育てたこと。自分の子どもを天才だと思って育てたことはないが、家族に困難がある時、共有する共通の事柄がバイオリンであり、それが、家族を救ってくれると信じたことなど等。この本を読んで、家族みなで共有する何かがあるというのは、本当に幸せなことなのだと実感し、差し詰め、我が家にとっての「音感教育」が五嶋家のバイオリンの役目だったのだと思いあたります。

後に読んだ千住家の話は、亡くなった父上の『近道を探すな』『自分の好きなことをするのが一番よい。30歳までは好きなことをしろ。30歳ならやり直しがきくから。但し、そのためには、その道で1番と認められる大学に入れ。その努力ができないなら、大成することはない・・・』。千住家の信念が散りばめられる中、バイオリンの名器、ストラディヴァリウスを手にいれる苦労が書かれています。ストラディヴァリウスと言えば、美術品として何億円もの値段に競りあがったとしても不思議ではない名器です。それを何の後ろ盾がなかった千住家の所有になるように、兄二人が妹のために奔走したことに感激せずにはいられません。父上の厳しさが優しい子どもたちを育てたのだと私には思えるのです。本当に優しい人は、厳しさを乗り越えられた人だと思うからです。

この本の共通点は、子育ての目的は、しつけの良い人間、特別な才能を持った人間に育て上げるのではなく、その子の持つ才能や可能性を引き出し、本人が幸せに生きられるように導く、という当たり前でありながら、忘れがちなことが書かれていました。そして、幸せに生きるためには、「何か」一生懸命、打ち込めることがあるのだと、つくづく思う2冊の本であったのです。
by k-onkan | 2011-12-27 14:49 | 子育て | Comments(0)

保育園も幼稚園も一緒なの!?

2歳5ヶ月の女の子を保育園に通わせるお母さまから、「保育園育ちと幼稚園育ちでどこに違いを感じるか」との質問をいただきました。そのお母様は、アメリカで長きにわたって研究された「幼稚園育ちも、保育園育ちも大人になれば、能力に差はない」という結果を信じて、生まれてすぐから保育園に預け、現在も仕事をされていると言われました。しかし、私には文化も習慣も違う異国の研究結果を鵜呑みにして、我が子を保育園に預ける決断をされたことに不安を感じるのです。なぜなら、アメリカと日本では、幼稚園・保育園制度も全く同じではないと思うからです。

e0143522_0355722.jpgとはいっても、私は保育園を全面否定するわけではありません。日本の保育園の中にも「子供の教育を考え、少しでも子どものためになることをしよう」とする園もあること、また、実の親が育てるよりも保育園に預かっていただいた方が幸せという気の毒な子どもが、この日本にも存在することを知ったからです。保育園で自分のことは自分でするなど、基本的な生活姿勢や自立心を育てていただけるのは感謝すべきことであると思います。しかし、だからと言って、保育園が幼稚園と全く同じであるとは思わないのです。

動物の赤ちゃんは最初に見た生き物を「母親」とみなして、その動きを真似ようとするといいます。保育園育ちの子にとって、一番長く時間を過ごすのは、残念ながら、お腹を痛めたお母さんより保育士さんです。また、その保育士さんも日によって、時間によって異なるのです。乳幼児は敏感なので、口がきけなくても、匂いや声で同じ人か否かが分かっています。母親という特別な相手が無条件に自分を愛し、声をかけ、言葉を教え、社会に出る力をつけられてから幼稚園に入った子供と比べる時、そこには大きなハンデが生じるといえます。

子供というものは、常に疑問を持ち、何かあるたびに「なぜ?」「どうして?」と知的好奇心にあふれているものです。しかし、保育園という集団生活の中では、疑問に思う度に解答していただけるわけではありません。幼稚園に通う子供なら、家に帰って、「お母さん、幼稚園で、今日、こんなことがあったけれど、それはどうして?」と聞くことができるでしょう。保育園に通う子供は預かり時間が長いため、いつしか「なぜ?」「どうして?」と疑問を口にすることをしなくなり、ただ、物事を受け止めていくように見えるのです。

私が音感教育を施す上で保育園育ちにハンデを感じるのは、一般の幼児にできることが簡単に習得できないことにあります。木下式の手法は、大人の手本(模範唱)を真似る内に、子どもが自然とできるようになるという動物の特性を生かしたような習得法です。正しい音程を真似たり、頭の使い方を真似たりと、全てが真似から発展していきます。これは、本来、年齢が低い幼児ほど簡単なのですが、乳児期に大人の目を見て真似るという経験がないまま、保育園に3年通って音感を始めたお子さんには、この訓練が想像以上に難しいのです。

さて、前述のアメリカにおける「幼稚園育ちも保育園育ちも大差はない」とされる研究対象は、人並みに生計を立てる一般の人の話だろうと私は推測します。決して、特殊な才能によって活躍している人の幼少期の教育についての調査ではないはずです。なぜなら、フランスでは、世の中は3パーセントの優秀な人によって動かされているとされ、その人たちは3歳までにしかるべき教育を与えられたと言われているからです。そう考えると、親は長い目で、幼児期に何を与えるかについて考えなければならないと思うのです。別に世の中を動かす3パーセントになる必要はありませんが、幼少期、児童期に、母(またはそれに準ずる特定の人)に愛されたと確信が持てないまま育つ子供は、心の成長がアンバランスであると感じます。また、幼稚園育ち、保育園育ちに関わらずやってくる思春期の難しい時期がやってきた時に、上手に乗り越えるか否かは幼児期に愛され、善悪の区別をおhしえられたかに深く関わっています。

どんなに素敵な施設で、優しい保育士さんが大勢いたとしても、子どもにとって、お腹を痛め産んでくれた母親に代わる存在はいません。それほど母親の存在は重要であり、その母親が「あなたは私の世界一」と思って接してくれる時間は、どんなに有名なお稽古事や著名な教育者の下に通わせるより貴重な時間であると感じます。たいていの子供の能力は、「世界で一番、可愛い私の子ども」と接する母親(もしくはそれに準ずる人)によって、「この子はこの才能があるのでは?」「~が好き」と発掘されるものです。同時に、子どもは母親から愛され、期待される喜びを知り、それが、頑張る原動力になるのです。

幼稚園にするか、保育園にするか、最終的な決定権は、親御さんにあります。しかしながら、我が子のために、何が適しているかを判定するべきは、遠い異国の統計や研究ではなく、自分の子どもが現在、何を必要としているか、日常生活の中で、見極めることなのではないでしょうか。
by k-onkan | 2011-12-26 23:34 | 子育て | Comments(0)

夢ははかないものだから

クリスマスの朝、瑠音先生から、プレゼントに喜ぶ甥たちの写真が携帯に届きました。サンタさんからのプレゼントの他、両祖父母、私からのプレゼントがツリーの下に山積みです。私が送った本を持って、甥たちがニッコリしています。電話をかけてみましたが、プレゼントを開けることに忙しい二人は、簡単にお礼を言うと早々に戻っていきました。

e0143522_23241686.jpg兄甥のYが自分のプレゼントで頭がいっぱいのようなので、「ところで、私の黒い靴はどうした?」と聞いてみました。すると、「あ、なかった」と急に落胆したような声を出します。「サンタさんはやっぱり、子どものためにいるのね。だから、大人のプレゼントはないんだと思うわ。黒い靴は自分で買うから大丈夫よ」と慰めました。けれど、私が触れなければきっと、自分が手紙に「できれば、24.5センチの黒い靴をください」と書いたことも忘れていたに違いありません。子供というものは、そんなものです。

さて、サンタクロースは、子どもたちの夢です。そのため、それを壊すのはかわいそうかとも思い、黒い靴を枕元に一緒に置くことも考えましたが、夢ははかないものです。ドラえもんのポケットのように、サンタに言えば何でも手に入ると子どもに思わせるのも教育的にいかがなものかと思いました。私が子供の頃は親の経済的な都合や、親の希望でプレゼントが選ばれ、必ずしも、子供が願ったものが手に入るとは限らないものでした。希望通りのものがいただけている甥たちは、幸せなのだと思います。

クリスマスの朝、サンタさんのプレゼントを喜べるのは、恵まれた子どもであると思います。しかし、それが、当たり前になってしまうのは、怖いことです。なぜなら、良い状態が一生、続くとは限らないからです。恵まれているに越したことはありませんが、たまには、我慢することを教えるのも大事な教育であると思うのですが・・・。
by k-onkan | 2011-12-25 23:26 | 児童 | Comments(0)

賑やかなクリスマス!

クリスマスイヴの今日、中学2年から高校3年までの卒業生が我が家に遊びにやってきました。クリスマスイヴに我が家にやって来るうちは、男女交際などの心配をする必要がないということかもしれません。しかし、最近、起こった金メダリストの内柴選手の話などをして、男女それぞれ、責任ある行動を取るようにと、ちょっぴりお説教もしました。

e0143522_1273649.jpg何年かぶりで会った子供たちの会話は、体は大きくなっても幼い子供の頃のままです。姉御肌でしっかりした高校1年生のMちゃんが、末っ子気質の同級生Yちゃんに、「それは、ダメでしょ!」と突っ込みを入れたりします。突っ込まれた方も、「子どもの頃から、Mちゃんは真面目でよく怒られて怖かった」と素直に言うことを聞いているのですから、微笑ましいものがあります。2歳の頃から彼らを見てきた私にとっては、いろいろな経験をして大人になったと思っても、その本質は子どもの頃とあまり変わらないのだと安心したりもします。

今回、面白かったのは、S家の3兄弟が集まったことです。子どもの頃は仲良く子犬のように皆でじゃれて遊んでいたのですが、最近は、男同士では口もきかなくなったとのこと。そんな兄弟が我が家に集まると、どうなるのかと興味津々でした。すると、いつもは、ニコニコとよく喋る長男のKくんは、弟妹がいると寡黙で気難しい男に変身することが分かりました。いつもと違うKくんの態度に、私の方が気を使って「お腹はすいていない?もっと食べる?温めようか?何かのむ?」と機嫌をとってしまいます。これが、長男を気にする母親の気持ちなのかと擬似体験をさせていただきました。

実は、ふだん、Kくんが来るとき、こんな風に気を使ったことはないのです。他にもっと心配をかける子供がいるため、頼りになるKくんは、放ったらかしです。けれど、弟妹がいると、Kくんが気難しそうで、なんだか心配になるのです。子供の頃から持つ本質は変わっていないのですが、兄貴のプライド、男のプライドなど、大人になったことで新たに加わったスパイスで、子供の頃とは違った面白みがあるのです。

子どもたちが大勢集まると、その昔、皆で行ったオペラや海外公演の話になります。それぞれがわがままな子どもでお互いに迷惑をかけたりしたはずなのですが、それでも、同じ時間を共有した仲間というのは、心のよりどころだったりするのだと思ったりしたひと時でした。
by k-onkan | 2011-12-24 23:08 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

職業に貴賎なし!?

講習会の3日目が無事に終わった今日は、クリスマスの三連休の始まりです。しかし、各地、悪天候の模様です。受講生の皆さんが、無事に地元に帰れていると良いのですが・・・。

e0143522_233573.jpgさて、最近、私は年をとったのか、「生きづらい」と感じることが増えました。特に「~と言ってはいけない」など、新聞等のメディアの「言葉狩り」の影響を感じる度に、子どもに真実を教えるのが難しくなったと感じます。その発端は、20代の卒業生の女の子のこんな言葉でした。「先生、水商売の人を馬鹿にしてはいけないのよ」。その子が私を諌めるような言葉を述べました。私が自分の教えた生徒に安易な気持ちで水商売の世界に足を踏み入れてほしくないという考えを伝えた時のことでした。

職業に貴賎(きせん)なし。文字通り、職業の種類に上も下もないという意味であり、自分がその仕事にプライドを持ち、他人さまの役に立っているなら、その職業に貴賎はないのかもしれません。但し、人をだましたり、倫理的に「やってはいけないこと」が含まれていれば、問題外です。けれど、「職業に貴賎なし」という言葉によって、犯罪の要素が隠された職業も全て正当化されていると感じるのです。

私を諌めた卒業生に、「ならば、自分の子供はキャバ嬢にさせたいと思うの?」と訊ねました。すると、その子は、「それは絶対に嫌!」と言います。つまり、「水商売の人をばかにしてはいけない」といっても、「夜の仕事は男性に夢を売る」という美しい言葉の中で、擬似恋愛の気分を味合わせ、男性に高額を使わせるのが仕事であることは理解しているのです。だから、「自分の子供の職業にはさせたくない」のです。そう感じる時点で、貴賎は存在していると私は感じます。

水商売の世界にも、新聞は各社、全て読み、男性のお客さんと政治経済について対等に会話できるよう、勉強する熱心な女性がいるのも事実です。そういう人は、自分の仕事に意義もやりがいも感じているでしょう。お客さんにも一目おかれ「差別されるべきではない」と私も思います。しかし、そういう人の存在によって、水商売に従事する全ての人が正当化されるわけではないと思うのです。

数年前に、女の子のあこがれの職業の10位以内に「キャバクラ嬢」が入った頃から、私は「変な世の中になった。親はどう思っているのか」と思ってきました。子どもには、表面的な言葉や建前だけを教え、真意を理解していないと、その歪みは後に子ども自身によって証明されます。ちょうど、「職業に貴賎はない。水商売の人もいていいのだ」と唱える人でも、身内となれば「娘はキャバ嬢にしたくない」「息子の嫁にキャバ嬢は困る」と思うように、言葉の裏にさらに踏み込めば、深い真意が存在するのです。そこまで伝えておかないと、子どもは、物事の真意を理解しないまま、言葉だけを受け止めます。

私が今、一番、気になっているのは、今の子供たちが大人になる頃には、娘がキャバ嬢になることも、息子の嫁がキャバ嬢であっても、「個人の自由で職業に貴賎なし」と、たとえ、他人を騙す要素のある職業であっても、お金が入れば何の抵抗もなくなる時代が来るのもそう遠くはないと恐ろしさを感じます。これは、職業に貴賎がなくなったという喜ぶべき事事柄ではなく、私たちが、何が正しく、何が正しくないかを判断する良識を失なった証とも言えるのかもしれません。口うるさいといわれても、私のまわりにいる子供たちには、「言ってはいけない」という規制に負けずに、物事の真意を伝えていきたいと思ったりするのです。
by k-onkan | 2011-12-23 23:47 | しつけ | Comments(6)

早期が良いには理由がある!

講習会の二日目が終わりました。今日は、増田教室のお子さんたちが、独唱の練習に上京されたため、講習会が終わった後に歌唱指導が始まり、長い一日となりました。今回やってきたお子さんは、1年生の男の子と女の子です。

e0143522_0411163.jpg女の子は指導されればされるほど、上手になっていくのですが、男の子は、女の子と比べ、精神的な幼さがあるため、なかなか、本気になれません。それでも、時間が経てば上手になるのが子供の持つ柔軟性です。残念ながら、大人は、子供ほど感覚的は物事を習得できないものなのです。木下式の本部である楽院に入学年齢に制限があった理由も実はここにあります。年齢が幼いと簡単に習得できることが、大きくなるにつれて、難しくなるためです。

さて、最近の世の中の一番人気の音楽教室は、楽譜を持たずに先生のところに行くだけのピアノ教室であり、そこは行列ができているそうです。専門家の間では、ついに、音楽レッスンのモラルハザードを越えたとも言われています。それは音楽のおけいこは、本来、各自が家で練習して、先生のところで欠点を指摘されて上手になっていくのが当たり前であったからです。しかし、家で練習もしない。楽譜も手元に置かない。もしかすると、家に楽器もない状態で、先生のところに通うだけで、ピアノを習う雰囲気を味わう。これは、ピアノを学ぶ雰囲気を味わえても、将来、自信を持って、「ピアノの演奏が趣味」と人に言える腕前にはならないことが想像できます。

最近は、真に音楽を勉強したいと希望される人は減った代わりに気軽に音楽を楽しみたい方が増えました。すぐに楽器を手にして、たとえ、上手でなくても、とにかく楽しい気持ちで通える教室が一番、好まれるようです。楽院のように幼児期に、歌唱力と音感能力を備え、音符の読み書き、リズム感を養ってから、専門的に楽器を勉強させるというのは、長い時間を要するため、受けが悪いのかもしれません。しかし、どちらが、真に力を備えさせるかを考えると、やはり、効率が悪いと思っても基礎を備えることが、先決なのです。

一月ほど前、7歳のお子さんが体験授業に見えました。幼稚園からバイオリンを習いソルフェージュも受けているため、音楽には自信がありそうなご様子で、歌やピアノを習う場所を探していらっしゃるとのことでした。私たちも、年齢制限を越えていても、音楽を勉強したことがあることで、途中から入学しても追いつかせることが可能かもしれないと、前向きに考えていました。

しかし、体験を通して、楽院で音感の勉強を初めて、半年経過した3歳の年少児より音程をとらえることが苦手であることが判明したのです。楽譜は読めても、棒読みになり、音程を自分の喉で現せないのです。それでも、一般の教室であれば「なんとなく音感も音程もある」という評価だそうですが、その状態で、自分の耳で音程を確認して演奏するバイオリンを弾くのは、不可能に近いだろうことが想像できます。

お母さんの悩みは、CDを聴いて弾けるようにしてきたため楽譜が読めないこと、そして、調性が備わっていないことから、短調の楽譜を見ても長調に置き換え弾いてしまうということでした。算数の問題を例えると、引き算を指示されたのに、同じ数字を使って、足し算の計算に置き換えるような間違い方かもしれません。些細な誤りですが、結果には大きな違いが生じます。

早期の音感教育に対して、「なぜ行わなければならないか」という質問をいただきますが、将来、音楽を楽しむためには、目先の楽しさを求めるのではなく、基本が必要であること。そして、基本を身につけるためには、精神的な忍耐や我慢を覚える必要があるのです。これが、音楽云々ではなく、将来、生きていくための糧となるのだと思うのです。
by k-onkan | 2011-12-22 00:41 | 音楽 | Comments(0)