麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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負けるのは悔しい

最近は、甥Yの方が、図書館で仕入れたこと知識で、私たちの能力を試すようになってきました。「卑弥呼って、いつの時代の人だか知っている?」。「卑弥呼は邪馬台国の人でしょ?何時代だったっけ?昔、覚えた気がする。やまとじゃなくて、うーん。絶対に覚えていたことなのに・・・」。

e0143522_1811526.jpg平素、日本の歴史とは程遠いところで暮らす私たちは、誰もパッと思い出すことができませんでした。すると、「や、は合っているよ」「や、からはじまる時代だよ?」と部分先導をされてしまいました。しかし、頭が固くなった大人は部分先導でも、遠い昔の記憶を取り出すことができないのです。「分からない?本当に?教えて欲しい?」。

ここまでくると、こちらがイライラしてしまいます。「教えて」。ちょっと不機嫌になってしまいます。年若い甥から全先導で教えられれば、恥ずかしいので、二度と忘れないはずです。「「や・よ・い・・・」。「あぁ、そうだったね・・・」。悔しさでいっぱいです。手をかけて教えた子供に追い抜かされるのは、喜ぶべきことですが、私としては、3年生の甥にもうしばらく、偉そうにしていたいと思います。昔覚えたことは、甥が学ぶより先に思い出しておこうと思いました。

もし、タイムマシンがあったら、中学生の頃、「テストの点数さえ良ければよいんでしょ?」と一夜漬けで勉強して、調子に乗っていた自分に、「勉強は深い知識を得るためにするのよ。このままだと、将来、子孫にばかにされるよ」と教えにいきたいものです。これが、大人が若い者に口うるさく苦言を呈する理由なのかもしれません。
by k-onkan | 2012-03-31 22:09 | 児童 | Comments(0)

経験から学び理解する

今日は、一日ベビーシッターの日でした。まず、水泳教室に出向き、レッスンを受ける2歳8ヶ月の甥Kを見学しました。数週間前、激しく泣いてレッスンに行くのを抵抗するとのことでしたが、私がのぞくと、ちょうど、Kがあおむけで水上をスッーと移動されているところでした。最後に水の中にザブンと入れられても、余裕の表情です。ガラス越しに私の姿を見ると、背泳のような格好で、手をふって見せたりします。あんなに嫌がったことも、できるようになれば、忘れてしまいます。有難かったのは、兄甥Yがプールまで迎えにいき着替えをさせ、サウナに入れて戻ってきたことでした。慣れないことはたいへんです。

e0143522_1354117.jpgその後、Kのリクエストで井の頭動物園へいきました。吉祥寺は親戚が住んでいることもあり、子供の頃、両親によく連れていかれたようです。断片的ですが、今だに、井の頭公園のそこここに、子供の頃の記憶を垣間見たりします。動物園が好きな父は、3歳になった私を連れていきましたが、臆病者の私は、何を見ても「こえーこえー(怖い、怖い)」というばかり。唯一、喜んだのは、我が家の庭に居たあひるだけだったそうです。幼児ってそんなものです。経験したことしかできないものです。

1ヶ月近く前、甥たちを連れて、名古屋の東山動物園に行ったときよりは、Kがお兄さんになっていました、なぜなら、前回は、私が「先にトイレに行きなさい」と言っても、「いい。大丈夫」と言って全く、従いませんでした。そして、唐突にトイレのない場所で、「おしっこ」と言われ、何度もあわてたものでした。

ところが、今日は、「先にトイレにいきなさい」という言葉に「いい、大丈夫」というので、「何かをする前にトイレを済ませるのは、ルールなのよ。それができない人は、動物園にはいってはいけない」と説明すると、「うん。わかった」と素直にいくではありませんか。ただの「イヤンイヤン怪獣」が人間らしくなってきて、連れ歩きやすくなってきました。

そういえば、講習会の期間中、まゆみ先生が、ルームに迎えにいって「手をつなぎましょう」という言葉に「いい、大丈夫」と言って、走り出して、とても早い自転車に轢かれそうになったそうです。乗っていた男性に「こら、なにをやっているんだ」と怒鳴りつけられたといいます。自転車に乗っていた男性は、あまりに小さい赤ん坊に本気で怒鳴ったことを申し訳なく思ったのか、「ごめん」と言って去っていきましたが、Kには有難いことでした。なぜなら、それ以来、「手をつなごう」とまゆみ先生がやさしく言っても、素直に手を出すようになったからです。

大人の言うことをなんでもよくきき無難な道を好む長子と違って、第二子にははっきりとした自分の意思があり、大人の言うことは全然、きかないように見えます。しかし、自分が経験を通して「大人が言うことは正しい」と理解することは、できるため、もしかすると、長子より真に物事を理解しているのかもしれません。Yと比べ頑固で損をしているKですが、少しずつ、成長しているようです。途中経過はどの道を通っても良いのです。最後に、人前に出ても恥ずかしくない自立した人間に育てることが大事なのだとKを見ていると思うのです。
by k-onkan | 2012-03-30 23:52 | 幼児 | Comments(0)

音楽は癒す力がある

「音楽は癒しだから、癒しが必要な人が集まってくるのは、当たり前」。最近、発達障害を持つお子さんが増え、「木下式で、何とかして欲しい」と言われるようになったことを話すと、音楽を生業にしている先生から、こんな答えが返ってきました。

e0143522_8352988.jpg両親が音楽家だった私にとって、音楽は生活そのものであり、修行であり、真剣に取り組むもので、怖いものでした。しかし、心が追い詰められると癒してくれるのも音楽でした。私の日常に音楽は存在することが当たり前で、逃げたいと思っても、やはり、そこへ戻りたいと思うものでした。しかし、それは、我が家で育ったからであり、他の人にとって、音楽が何かを深く考えたことはありませんでした。

確かに、障害を持ったお子さんに、音楽を通した訓練を与えると、音楽以外でも、良い影響を与えているという手ごたえを感じます。また、卒業して何年も経った子が、「子供の頃のように叱られたい」と思うからか、私のところにやってきます。これも、音楽の力かもしれないと思います。もし、私たちが幼児期に教えたのが音感ではなく、他の科目であったなら、これほど、人は集まってこなかったかもしれません。

その音楽ですが、ゆとり教育の中で、一番、最初に削られたものの一つでもありました。芸術系の科目は、成績がよくても、「学歴や就職には関係ない」と親御さんからはあまり喜ばれないものですが、人間の心を健康に保つためには、なくてはならないものだと感じます。

震災から1年、普通の生活を当たり前のように暮らしていますが、当時は、電気をつけることも、娯楽を楽しむことも、あってはならないような重い雰囲気がありました。薄暗い一人の部屋で、私の心はすさんでいたのだろうと思います。そんな中、「娯楽はいけない」という批判に負けずにライブを開いた人が、私に「音楽は癒しだから、癒しが必要」と教えてくださった方でした。応援に行くつもりで出かけたのですが、自分が癒されてかえってきました。

当時、中止にした東京の講習会の代替講習に、私は一人で地方回りをしていました。忙しければ、何も考えずに済んだので、出張は有難かったのですが、終わってしまうと気分が沈んでしまいました。新学期に授業が開始できるかも定かではありませんでした。多くの外資系企業が、西日本に本社を移すという、それまで、経験したことがないことばかりでした。そんな時、学生時代から友人たちと4人で6時間、歌い続けました。普段、声を出す仕事をする私は、プライベートのカラオケは自分から好んではしませんが、歌うことに夢中になったことで、心が晴れやかになっていました。その時に感じた癒しこそ、音楽の持つ力だったのだと思います。
by k-onkan | 2012-03-29 23:21 | 音楽 | Comments(0)

Sさんが教えてくれたこと

今日は、32歳になる卒業生Sさんと20年ぶりにお目にかかり、楽しい時間をすごしました。事前にFACEBOOKで写真を見ていなかったら、街で出会っても、たぶん分からないほど素敵な大人の女性に成長していました。

e0143522_261249.jpgSさんのご両親は、知能教育が専門の教育者で二人の娘さんには音感を身につけさせたいと、楽院に通わせられたのです。Sさんは、当時の思い出を「通っていた時は、とにかく怖くて、怖くて嫌でした」と言われます。しかし、卒業して、後になって、「受けさせてもらったことが有難いと思える」と言うのですから、立派な大人に成長していると感じます。年齢を経ても、成熟していないと、「怖かったこと」という記憶を「うらめしいこと」と捕らえてしまうからです。辛い体験も含めて、現在の自分を形成していることを理解できるSさんは、大人だと感じます。姉妹は二人とも、音感で鍛えた耳で、留学した時に助けられたそうです。

20年前、楽院にお子さんを通わせた保護者の方は、それぞれ、「音感をつけたい」「良い教育を与えたい」「厳しい教育が必要」と信念がありました。そのため、家庭の中にも確固たる教育方針があったように思います。そのため、子供を託された木下先生も、「楽院で育てた子供として恥ずかしくない音感と歌唱力をつけることに誠心誠意、打ち込むことができたのです。その真剣さが子供たちにとって、「怖い、厳しい」という印象として残っているのだと思います。

残念ながら、今は当時と比べるとちっとも厳しくなくなったと卒業生には言われるだろうと思います。なぜなら、今の子供たちは音感教育以前に、教えられていない事柄があまりに多く、私たちも音感だけに専念して子供の能力を高めることができなくなってしまったからです。昔のように厳しくするためには、家庭で十分に愛情を受け心を育て、しつけをして、精神を鍛えられていなければなりません。

幼児教育の現場にいて、私が感じる疑問や不安を同じように感じているSさんに、楽院の様子を説明しながら、私は、先日、行われた書道展で大先輩が書かれた三字経を思いだしていました。「三字経」は宋代の儒者:王応麟による儒学を基本として常識的知識をわかりやすく表現した家庭教育書だそうです。「養不教 父之過 教不厳 師之惰」(養いて教えざるは父の過ち、教えて厳ならざるは師の惰りなり)。親が子どもに衣食住の世話を十分にして愛しても、物の正しい考え方や、正しい行いについて教えなければ、親としての大きな手落ちになる。教育の際、暖かい思いやりを常に持ちながらも、厳しさにかけると、教師の怠りであるという意味です。

昔は当たり前だった家庭教育を受けられない子供たちに私たちが昔と同等の成果をあげるためには、音感から更に手を広げて補足しなければならないことが存在します。しかし、木下式を実践するために、また、当たり前のことを当たり前と思える子供を育てるためにはそれも必要なことだと思っています。お互いに幼児の教育現場にいると、自分にできることは微々たることしかないと無力さを感じますが、それでも何かしなければいられないと思う。Sさんとの教育談義だったのでした。
by k-onkan | 2012-03-28 23:05 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

評価が良くても調子にのらないで!

甥Yが2年生最後の成績表をいただいてきました。とは言っても公立小学校の2年生の成績表は、「できる」「できない」の二段階評価であるため、幼児期に大人が手をかけてきたことを考えると、人並みにできないことはないだろうと思います。そんな中でYに対して誇らしく感じたことがあります。それは、コメント欄に書き込まれた事柄でした。

e0143522_046762.jpg何でも、Yのクラスには、皆で飼っている金魚がおり、その成長を、班毎に発表したといいます。他の班は模造紙に絵や文字を書いて、金魚の成長を発表したそうですが、Yの班では、全員に台詞を与え、劇仕立てで金魚の成長を発表したといいます。班員の中には、月齢が小さいためか、言葉がとても不鮮明なお子さんがいたそうです。しかし、全員参加できるように、その子が言い易い文章に直し、皆に聞き取りやすいように真似をさせて、発表したことが書かれていました。

一般的に成績表は各教科の理解度を確かめることに重きをおいてみてしまいますが、本当は、その子供の長所、短所はコメント欄にひそんでいると感じます。昨年に比べると、今年は、お褒めの言葉しか書かれていないYに、私は、少しだけ意地悪な忠告をしたのです。「もしかすると、学校の先生は、Yの短所にまで気付いておられず、良い評価しかないのかも。だから、成績表が良いと言われて、安心して足元をすくわれないようにしなさいね」、

本当は、伯母として、良い成績表をもらってきたYを手をたたいて褒められたらよいのかもしれませんが、残念ながら、長年、大勢の生徒と親御さんを見てきたからこそ、分かることがあるのです。それは、自分が脚光を浴びていたり、物事がとてもうまくいっているときこそ、気をひきしめなければならないのです。

私が知っているお子さんで、幼い頃から、誰よりも抜きん出て優秀だった子がました。小さい頃から目立っていたため、お友達のお母さんも「Aちゃんは、特別だから」と必要以上に認めてしまいました。時に、あまり上手でなくても、お世辞を言われてしまう内に、Aちゃんは、努力しなくても、褒められるのが当たり前になってしまいました。

しばらくすると、Aちゃんの抜きん出たところは見えなくなっていきました。遅咲きの花たちが順番に花開きはじめたからです。ところが、自然と早く咲き、努力もせずに、「きれい、きれい」と言われ続けたこの子は自力で咲き続ける方法を知りませんでした。自分たちが、遅れていることを知っている遅咲きの人は、少しでも、Aちゃんのように花を咲かせようと必死です。どんな才能があっても努力ができなければ、努力する人にはかなわないのです。私はYにこの話を聞かせました。

今年度、学校でみんなからみとめられたことは、喜ぶべきことです。しかし、自分が褒められ過ぎていないか、冷静に見つめ、自分の欠点を知っておくことも大事なことです。これから3年生になるYに理解できるかは分かりませんが、大人が子供のためを思って伝えることに、何一つ無駄はないと信じて・・・。
by k-onkan | 2012-03-27 23:44 | 児童 | Comments(0)

Aちゃんが教えてくれたこと

今日、偶然に高校3年生の卒業生Aちゃんがお母様と歩いているところに遭遇し、あまりの懐かしさに思わず、声をかけてしまいました。お母さんより背丈が高くなっていたAちゃんは、ハーフタレントのようにきれいなお姉さんになっていました。Aちゃんがはじめて入学してきたのは、年少の途中です。最初は、保育園に通っていたこともあり、1対1の言葉の語りかけが足りていないように見えました。父上が英語圏の方だったことから、二ヶ国語を使うために、言葉の蓄積に時間がかかっているのかもしれないとも思いましたが、幼児期は一つの言語を深く理解させたいとの理由で日本語しか使っていないことが分かりました。

e0143522_23533566.jpgお母さんは始めての子育てということで、Aちゃんについて理解できないことがたくさんあったようでした。私は音感の授業をしながら気付いたことを「こんな風に教えると、Aちゃんに伝わりますよ」「Aちゃんは、きれいな服を着たいそうですよ」など、いろいろとアドバイスをしたことを覚えています。自分からはあまり口を聞かないAちゃんでしたが、木下式の授業にはよく反応して、強い声には強く、優しい声には優しい声、高い声には高い声を模倣し、音楽に関しては、他の子にはない感覚の良さを見せていたものでした。

ある時、お母さんが、「発達障害の診断がおりました」と言って「Aちゃんとの接し方」という図柄入りの取り扱い説明を楽院に持ってこられました。私たちは、その紙を持って、合宿に出かけたのでした。そこには、何が起きているか分からないとパニックになりやすいので、必ず「~ちゃん、~をする時間だよ」と声をかけること、そして、困っていたら、落ち着いた声で、分かりやすい指示を出すように書かれていました。「~をしてはいけない」ではなく「~をしましょう」とのストレートな言い方にするなど、細かな指示も説明されていました。同じ班だった子供たちも私たちも、その紙の通りに5日間を過ごしましたが、残念なことにその紙の通りにしたら、Aちゃんのおかしな行動が目にあまるようになってしまったのです。

それまでの合宿にもAちゃんには花火や肝試しなど苦手なものがあってたいへんでしたが、耳を押さえたり、目をつぶらせて手をつないで行動したり、苦手なことは皆でサポートして乗り越えてきました。ところが、私たちの扱い方が変わったことで、Aちゃんは突拍子もない行動をしてしまいます。どんな理由があっても、尾瀬の山の中で、勝手な行動をする子が一人でもいると、私たちは、全員の安全を守ることができません。合宿から帰ってお母様に、「Aちゃんに対して考慮はしますが、今後も特別な扱い方はしない方が良いように感じたことをお伝えしました。

今考えると、その紙によって、私たちが混乱したのが「「~をする時間ですよ」と穏やかな口調で伝える」ということでした。平素、私たちの言葉には、さまざまな感情が秘められています。声のトーンで、その人の心配や怒り、喜びや悲しみ、いろいろな表情があります。ところが、紙に書かれたとおりにすると、無機質で字面だけを追った文章で指示を出してしまうので、そのことがAちゃんを混乱させたのかもしれません。最近、Aちゃんのお母さんとの昔話でその話が出たのですが、「発達障害のある子に一番、足りないのが感情です。感情のない言い方はダメすよ」と言われ、いまさらながら、そうだったのかと思ったりしたのです。今、発達障害のお子さんと付き合う機会が増えましたが、そのきっかけを与えてくださったのがAちゃんだったと懐かしい姿を見て思い出したのでした。
by k-onkan | 2012-03-26 23:53 | Comments(0)

可愛がってもらった通りに

2歳8ヶ月の甥Kは、私たちが忙しい時間はベビールームに通っています。そこには、たまにKよりも小さな赤ちゃんがいることがあるそうです。すると、「赤ちゃん、これは、~だよ」と教えたり、ほっぺにチュッとしたりして、とても優しいお兄さんになるそうです。普段のワカランチンの様子からは想像ができませんが、その様子がとても可愛いとルームの先生が褒めてくださるのです。

e0143522_2344148.jpgKが小さい子と接する様子を観察すると、それは、兄甥Yが平素、Kを可愛がる通りをしていることが分かります。そして、もっとさかのぼると、それは瑠音先生が長年Yを可愛がってきた様子にそっくりなのです。甥兄弟は、喧嘩もしますが、それなりに兄弟仲が良く育っているのかもしれません。

数日前も講習会で人手が足りなかったため、兄甥YがKのプールの付き添いをした後、地下鉄で楽院まで連れて帰ってきていました。わからんちんで自分勝手なところがあるKは、兄甥の言うことをきかず、いつもの倍以上の時間をかけて、雨に濡れながら帰ってきました。楽院につくと、Yは口がきけないほどぐったりして、「全然、言うことを聞かずたいへんだった」と言っていましたが、弟にやつあたりすることなく帰ってきました。

一般に、お母さん方は、「兄弟仲をよくさせたい」と希望されますが、仲が悪い兄弟を観察すると、その原因を作っているのは親御さんであったりします。どちらか一方ばかりを褒めたり、どちらか一方を叱ったりしていると、子供は、「お兄さん(弟)ばかり!」とお互いを敵対視してしまいます。どちらも可愛いわが子です。公正に褒めたり、叱ったりして長所を引き出し、短所を是正したいものです。

たとえば、上の子に特別な問題があって手がかかったとします。親としては、その子に対して負い目や心配があるため、そちらのばかりに手をかけたくなるものです。そして、問題がない子に対して、「問題がないから恵まれている」という理由によって十分に手をかけなかったりしてしまいます。実は、こうしたことも、兄弟間の確執になったりします。

本当に、上の子に問題が存在し、他人の手助けが必要であるなら、よけいに親は兄弟仲を良くする工夫が必要であると感じます。なぜなら、親が不在の時に、助けてくれるのは、その兄弟姉妹だからです。有事の際に助けあえるためにも、親は手がかからない子に対しても、十分なコミュニケーションをとり、信頼関係を深め、「何かあったら助けてほしい」と口に出して伝えておく必要があります。

年頃になると誰にでも家族と口をきかない時期がくるかもしれません。しかし、幼児期、児童期に仲良く遊んだ記憶があると、なんだかんだと言ってもお互いを尊重できる兄弟姉妹になれるものだと思うのです。
by k-onkan | 2012-03-25 23:04 | 幼児 | Comments(0)

楽院に入学するにあたって

楽院の授業が休みになり、三期講習会も終わったため、楽院はとても静かになり、事務仕事がはかどっています。今日は2歳の男の子の入学面接がありました。土曜日ということもあり、ご家族で見えました。

e0143522_10191236.jpg面接では、楽院の教育方針などを説明します。楽院はお子さんが、年長になって幼児部を修了されるまでに、歌唱力、音感能力など楽院の子供として恥ずかしくない能力をつけるお約束をしています。そのため、欠席なく通学にご協力をいただくことやお子さんが嫌がった時の親御さんの対応について、また、クラスが能力別であることや年度の途中でクラス替えがある理由などを説明しています。

どんなに良いお稽古事に通っていても、親御さんが不安を感じていたり、指導に納得がいかない状態で通われていると、それがお子さんの心にも反映されてしまいます。親御さんが信用していない他人に預けられるのは、お子さんにとっても不安なものです。そのため、最初に、「よくある疑問」は解消しておきたいのです。

たとえば、クラスが能力主義なのは、「頑張れば一番、手を抜けばビリ」というちょうど良いクラス作りを心がけているからです。どんなに頑張ってもいつも決まった子供が1番では、他の子がやる気がもてなくなります。そういう際には、クラスをあがっていただきます。それによって、他の子にも日が当たるようになります。また、小さい子がクラスを上がってくることで、年長者として意欲を見せたりすることもあります。

子供たちの中には、いつも1番でないと頑張れない長子タイプもいれば、常に上を見て「追いつこう」とする次男次女タイプもいます。長子タイプは、1番を好むことから、自分より能力の高い子供に出会うと急に弱気な面を見せたり、実力が発揮できなくなったりすることがあります。しかし、将来、受験をしてレベルの高い学校に入ったら、いつも1番でいるのは不可能なことです。それでも、心を強く持ってモチベーションを保つ練習は子供の頃に必要なのです。

反対に、がむしゃらな次男次女タイプが1番になってしまうと、目標にする人がいないため、急に力が出せなくなったりします。しかし、これも、社会に出たら、いつも誰かの力で引き上げられることはありません。これが、楽院で、授業中に立つ位置を変えたり、クラスを変えたりして、ゲーム感覚で、競争を体験させている理由です。「大人になったら、嫌でも競争するのだから、子供の頃からさせたくない」といわれるお父さんもたまにありますが、私たちは、子供の頃、体験したことしかできるようにはならないものです。楽院は、単に音感の授業を行うだけでなく、子供たちの精神や心を鍛えるための工夫があるのです。

その間、ご両親にもご協力いただかなければならないことがあります。それは、家庭教育です。どんなに楽院で、幼児たちの能力を高めるために、心と精神を鍛え、しつけをしても、「楽院の先生は厳しいから、楽院にいる間だけ、叱られないようにしなさい。家では、何をしても良いのよ」と教えられた子供は、表面をつくろうことだけを覚えます。それでは、せっかく教育を与えてくださっても意味がなくなってしまいます。

長年、卒業生と関わって分かるのは、楽院に身につけたことを外の社会でも、発揮できる子が社会に出て活躍できているのです。反対に、楽院で優秀でも、精神や心を鍛えられていないと、「周囲より、自分がましだから」と、努力しない理由づけをしてしまったりします。

親御さんは、愛するわが子に「良い教育」を与えるために、お稽古事や学校を吟味することでしょう。しかし、わが子の教育のほとんどを他人に任せてしまうと、子供が不遜な態度をしたり、努力できない怠け者になったり、知らないことがあっても、気付かないことがあります。親御さんは大人として、わが子の態度や取り組む姿勢に興味を持ち、褒めたり叱ったりして適度にしていただきたいと思います。小さい頃は、親御さんが感心を持って、成果を褒めてくださることが、何より子供には嬉しいことなのです。
by k-onkan | 2012-03-24 23:17 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

ご褒美はおあずけ!

3日間の講習会が終わりました。午前中は、検定試験、午後は2月の音楽祭のビデオを見て、各園の反省点を確認しました。若い先生は自分が不合格になると、そのショックから涙をこぼすこともありますが、幼児にとっては、勤続年数に関係なく、「先生」であり、尊敬されるための努力が必要です。不合格で悔しい思いをしても、与えられた宿題に挑戦することで、苦手意識を克服して、真摯に努力できるようになることもあります。今回、二度目の挑戦された二人の教諭がそうでした。前回に比べ、先生らしい姿勢と懸命に努力する姿が見えました。こうして苦労として学んでいる分、もしかすると、ストレートで合格した先生より、良い指導者になる可能性もあるのです。大事なのは、その時に、合格証書を園に持ってかえることより、幼児の前に立った時に技量のある先生になることであると思うのです。

e0143522_2229025.jpg数年前に、教員免許更新制が導入されたことがありましたが、講習に出席さえすれば、免許は更新されたことを記憶しています。それに比べると、受講生の前での公開試験を行い、結果によっては再試験もある木下式はたいへん、厳しいのかもしれません。しかし、私たちが育てているのは、人間であり、無責任なことはできないと思います。

今回、2回目の挑戦をした先生たちは、不合格ではありましたが、終わるとすっきりした顔をしていました。できる最大限のことをした結果であったからだろうと思います。そして、もう少し、自信が持てるまで努力しないと、子供に申し訳ないことを、誰より、本人たちが気がついています。夏の講習会まで、あともう一歩、頑張って自分の力量を高めて欲しいと思います。それまで、証書はお預かりしておきます。

ご褒美を預かっているのでは、幼稚園の先生だけではありませんでした。2歳8ヶ月の甥Kも、3日間、講習会の手伝いをして受け取るはずだったご褒美は、次の機会までお預けになりました。人前に立つのが好きで、はっきりとした物欲もあり、年齢よりも大人びたとKですが、中身はまだ赤ちゃんであり、自分のルールでしか動けません。そのため、約束のお手伝いは、2日間しかできませんでした。子供相手でも約束は約束です。大人のルールで動けるようになるまで、Kのご褒美は私のデスクの下に預かっておくつもりです。幼稚園の先生とKと、ご褒美を手にするのは、どちらが早いでしょう。気持ちよく渡せる日を楽しみにしています。
by k-onkan | 2012-03-23 22:28 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

声を変えるのが木下式!

木下式の訓練で一番、大事なのは、幼児の声を高くすることにあります。そのために、教諭たちは、自分たちの声を磨き、幼児の模範となる歌声作りに余念がありません。木下式独特の幼児をひきつける話し方と共に、刺激を駆使する発声によって、幼児たちの声が改善されていくものなのです。

e0143522_1927449.jpg「声を良くする訓練」というと「低い声でも、しわがれた声でも、個性であり、そのままでいいじゃないか」という答えが返ってきそうですが、鮮明な言葉、活き活きとした声をもつことは、幼児の自信につながります。幼児期の言語訓練によって、誰でもはっきりとした日本語の発音を備えられることも、木下式の訓練が幼児に必要なものとして、幼稚園、保育園で実践される理由かもしれません。

その昔、あまりに言葉が出ずに療育に通っていた幼児が、愛知県にある実践園で3年間、音感かるたの勉強をしたことで言葉が鮮明になり、音楽祭の独唱に選ばれたことがありました。言語の療育では改善されないほどのハンデを持つ子が独唱に選ばれたことを心配してお母さんは、お手紙をくださいました。しかし、当時の教諭たちが一生懸命、努力して、その子は見事に独唱の大役を果たし、小学生になりました。今ごろは大学生でしょうか。

声は親から貰ったものですが、美声の人もあれば、そうでない人もいます。私も瑠音先生も、木下先生の子孫だからと言って決して美声ではありません。しかし、訓練によって人様に声を聞かせる仕事をしています。特に瑠音先生は子供の頃は「七色の声」と言われるほど、変な声をしていたため、その息子たちも決して美しい声ではありませんでした。

そんなことから、私は講演のたびにお見せするビデオがあります。それは、瑠音先生の長男Yの2歳から現在までの声の変質です。どんなに年齢が幼くても、訓練で言葉をはっきりとさせることで、声は変わるのです。この度、YOU TUBEにあげましたので、木下式を勉強する方には是非見ていただきたいと思います。

幼児の声は訓練で変わります。これはYが2歳の時の初めての独唱「シックス・オ・クロック」の様子です。その汚い声と若干外れながら、メロディーラインを一生懸命、追う様子が可愛いです。

3歳の時、開会宣言と独唱「はるよこい」を歌いました。言葉をはっきりさせることが歌唱力を高めることが、木下式の特長です。まだ幼児音がある言葉と音程が改善された変化を見てください。

5歳になり、息も長くなりレガートでうたえるようになってきました。自我が芽生えたためか、それまで、感じなかった緊張が生まれ、ドキドキしたそうです。この時、指揮をしてくださったのは山田和樹先生でした。「からすの赤ちゃん」

年長になって、かぜよふけふけを歌いました。今、見ると、言葉にたどたどしいところもありますが、一音ずつの音程に注意を払ってお腹の底から声を出すことは、大人でもとても難しいことです。

小学1年生になり、天使のこえ合唱団の歌い方になり、音楽的情感も求められるようになりました。ただ全力で声を出すのではなく、大事に声を出すことを覚えつつあります。この曲「そらとぶ三輪車」が難しいのは、オーケストラ伴奏にメロディーラインがないことです。音感が悪いと調子が外れてしまいます。


これが、2年生現在の姿です。2歳の頃とは別人のような成長の早さで子供は成長していきます。自分の声の中で、頭を使って美しい響きを見つけ歌うことを覚えつつあります。子供の声は美しいですがいつか声変わりがきます。その時に、これまで習得している音高感覚と音楽の基礎力によって、幅広い音楽活動が可能になると思っています。


4歳(年少)の時の画像がないのは、Yが木下先生の孫だから本人が望まなくても、上手でなくても、出演させていると本人に思わせたくなかったため、意欲が足りなかったその年は独唱に選びませんでした。たった一度ですが、出番がない年があったことで、独唱できる喜びを感じることができるようになりました。しかし、大人の都合を考えると、年少の記録があった方が、良かったかもしれないと今、おもうのです。
by k-onkan | 2012-03-22 19:27 | 木下式音感教育法 | Comments(0)