麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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どんな声出して歌っているの!?

三年生の甥Yは、今週末に、お世話になっている合気道の演舞会で国歌を独唱させていただくことになりました。ところが、学校から帰ってくると、高い声がまったく出なくなっているのです。びっくりして、発声練習をすると、徐々にもとの声に戻りましたが、いつものような艶がありません。「もしかして、学校で、怒鳴ったり、がなり声を出してきたのでは?」と怖い声で問いただしました。学校の音楽の時間に、「Yくんの声は10人分」と言われて、調子にのって、大きな声を出しているらしいとの疑いがありました。

e0143522_14382751.jpg最近の公立小学校は、私たちが子どもの頃と違って、「地声発声」をさせるようになったからです。しかし、正しい発声法を教えずに、ただ「大きな声」を求めると、決して美しい歌声にはなりません。昨年、甥の学芸会のビデオを見て、「こんな声で歌わせたら、喉をつぶしてしまうのでは?」と心配していたところでした。

一般の子供たちが歌う地声発声は、「そば鳴り」の声と言って、近くで聞くと、大きくうるさいのですが、遠くまで、飛ばない歌声です。しかし、そば鳴りの声でがなる友達に、対抗しようと歌ったら、正しい発声法を訓練している子どもは喉をつぶれしてしまいます。自己防衛のためには、競って声を出したりさせないことなのです。

木下式の発声法を学ぶと、幼児でも、声が遠くまで通るようになるため、「声が大きい」と思われますが、実は、声量が大きいわけではないのです。それぞれの子供が持つ声をお腹の底から出して、よく通る声に変質させているに過ぎません。決して、怒鳴ったり、不自然な声の出し方をさせていないのです。

「学校にいって、こんな汚い声になって帰ってくるなら、もう音楽の時間に歌を歌わないで!」と甥Yを取り締まっていますが、児童部に通う全ての子に共通することかもしれません。子どもは集団に入ると、つい頑張ってしまうものだからです。

最近も、2年生の美声の持ち主Sくんがかすれた声でやってきたので、私は、「学校に行って汚い声になるなら、先生が学校に電話して「音楽の先生の指導が悪いから、声が枯れるのではありませんか?」と文句を言う!」と断言しました。すると、びっくりした顔で首を横に振り「とんでもない」という表情をします。「いやでしょう? だったら自分の声は自分で責任を持ちなさいね」。男の子は、音楽の時間だけでなく、子ども同士で遊ぶ時の声にも気をつけなければなりませんが、これは、大人が口うるさく言ってどうにかなることではありません。自分から、気をつける必要があるのです。

(楽院の先生なら、口に出したことは実行するかも…)との恐怖から、学校の音楽の時間や遊ぶ時に、少しでも気をつけてくれたらと思います。実際は(口に出したことはする)私たちであっても、電話をかけて学校の先生に文句を言ったりはしません。それでは、まるで、モンスターペアレントの先生版ですから。あくまでも、子どもに「自分のことは自分で責任を持たせる」ためのちょっとしたおどしです。どんな指導をされても、自分の身を守れるようにしておきたいと感じます。一生、電話をして、先生に文句を言って、子どもを守るわけにはいかないのですから。
by k-onkan | 2012-05-31 23:36 | 音楽 | Comments(0)

落語のような本当の話2

テレビの番組への「新人の失敗」という投稿で笑うに笑えない話を聞かされました。飲食店勤めの新人が、「ピザを見ていて」と言われると、本当にじっと見ていて、ピザを焦がして叱られて、「見ててといわれたから、みていた」という落語のような話から始まって、電話を受ける際は社内の人間に対して「部長の木下さんは、今、おりません」と応えたことから、先輩が「敬称略」を教えると、「ハイ。木下ですね。お待ちください」と保留にして「木下、木下、電話」と上司を呼び捨てで取り次いだ話。

e0143522_1222417.jpg取引先へ挨拶に行くために1万円の菓子折りを買ってくるように言われた新人は、駄菓子を1万円分、購入してきた話など、驚く話ばかりですが、こうした人は共通して、パソコンなどの作業は、たいへんよくできるのだそうです。中には、教育係の先輩に対して、「自分は、『長』とつく人のいうことしか、聞くつもりはないですから」と自信過剰な態度を取る新人もいるそうです。長年、子ども中心で、何事もお膳立てされる教育環境に育った若者にとって、「自分中心」に物事がまわるのが当たり前と思っているかもしれません。

「学校の成績さえ良ければ、他は問題ない」とうい考え方や、「先生に対しても、正しくないことを見つけたら、反抗したり、批判するのが当たり前」の子どもにとって、社会に出たら、上司に反抗したり、偉そうな態度を取るのも当たり前のことかもしれません。社会に出る前に、人から物を教わる態度は知らせておく必要性を感じます。教育現場で、先生と生徒が平等になって、久しいですが、社会に出れば、何一つ平等ではないことを思い知らされます。新人の内から偉そうにしていると、大きな挫折を経験することもあるかもしれません。

長年、子どもたちとつきあって思いますが、生徒が成人して社会に出て、本当に役に立つように育っているかと問われると、「知らないことがたくさんあるだろう」と想像します。もちろん、中には、すぐに役立つ優秀な子もいるでしょうが、そうした人は、家庭で、勉強以外に、生きた教育を受け、また、道徳的なことも知らされていると感じます。

家庭で十分なことをしているつもりでも、社会に出たら、知らないことはたくさんあるものです。そんな時に、素直に教えを請うたり、他人の姿から学ぶことができる人間に育てておきたいものです。
by k-onkan | 2012-05-30 12:01 | 子育て | Comments(2)

落語も笑えない時代かも!?

「魚を見てて」と言われた人が、猫が魚を加えて逃げても、「ただ見ていただけだった」という落語は昔からありますが、最近、似たような話が、実社会で起きているようです。これは、便利な世の中で、さまざまな体験が減っていることにも一因があるかもしれません。何年か前に、「言われたことの真意を考えよう」という話を子供にしたことがあります。先生から「口の型をしなさい」と言われたら、それには意味があり、それを考えて実行する必要があります。簡単に言うと、口型を作らないと音程が外れるのです。

「木下先生に言われた時だけ、口の型をする人」は、本番は成功しません。なぜなら、自分で口型を作る必要性を感じていないからです。反対に、指導を受けて、その意味を真に理解した子どもは、大事な場面で、自分から、ふだんの注意を「自分のこと」として、受け止め、実行するのです。子どもたちは、音楽を学んでいるのですが、音楽に留まらず、いろいろな意味が含まれています。

e0143522_11262253.jpg「やかんを見てて」と言われたら、お湯が沸いたら止めたり、沸いたことを知らせなければなりません。また、小さい子が近づいたら、怪我をしないように注意するのが、「見てて」の真意であるのだと話をしたことがあります。その時、この話の面白さ、おかしさが分かったのは、中学生の子ども数人だけで、私はとても驚いたことを覚えています。昔は、小学校も高学年になると、それぞれの体験から、この話の意味が理解できたと思うからです。

もちろん、この話にクスっと声をあげた中学生たちも、最初から、「お湯を見る」という言葉の裏にある意味を理解していたわけではないはずです。実は私自身も小学生の低学年の頃、母から「お湯を見て」と言われて本当にじっと見ていたら、「沸いているじゃない。見てて!と言われたら沸いたら止めるものよ」と叱られて初めて、言われたことだけをするのではないのだと、自分が大人扱いされている責任を感じたものでした。

ある種の発達障害があると、言葉を文字通り受け止めると説明されたことがあります。たとえば、「顔を貸せ」と言われたら「どうやって貸したらいいんでしょう?」という落語のような話ですが、最近は、発達障害の有無に関係なく、文字通りの言葉でしか考えられない人が増えています。

小学生のお子さんと接するお母さん。お子さんが、学校の勉強やお稽古事で、良い成果を出しているだけで、安心しないでください。人間として、当たり前に生きるための知恵は学校の成績やおけいこごとの成果だけでははかりしれません。子どもが体験する、色々なことの中で、家族とは異なる考えを持つ人と関わったり、失敗したり、傷ついたり、驚いたり、緊張したりの体験の中から、成長していく学びも、本来はたくさんあるものです。
ただ、危険がないように、守っているだけでは、いざという時にどうしたら良いか分かる子には育ちません。気の利く子どもに育てるためにも、やはり、大人も子どもの様子に目を配っていなければと思うのです。
by k-onkan | 2012-05-29 11:25 | 子育て | Comments(0)

音楽の基礎を

「将来、ミュージシャンとして身を立てられるようにして欲しい」と、高校生の男の子がお父さんに連れられて通ってくるようになった話を、ピアニストであり、作曲を教える先生からうかがいました。小学生の頃から独学でピアノを勉強して「素晴らしくセンスの良い曲」を作れるお子さんなのだそうです。しかし、残念ながら、音符の読み書きなど、基礎の必要性を感じないまま、高校生になったようです。「久しぶりに、教える高校生は、自分の子を育てた頃の気分を思い出すほど、気長な作業…」とのことでしたが、高校生になってから、「音符の読み書き」という作業を覚えるのは、教える人も、教わる人もたいへんな苦労だろうと思います。

e0143522_13551619.jpg音楽的な感性やセンスがあっても、音楽の基礎を知らないと困ることは多いものです。特に、日本で音楽大学に入って、自力で食べられるまでには、相当な時間がかかるかもしれません。「30歳まで親が養えっていけるかどうか」を確認して、生徒として受け入れることになったのだとか。「どうして、子どもの時に、麻奈ちゃんのところに通っておいてくれなかったんだろうって、正直、思う…」。というその言葉に、その昔、父がなぜ、「音感教育を全ての子供に与えておくべき」と幼稚園、保育園で提唱した理由を切実に感じました。
by k-onkan | 2012-05-28 23:55 | 音楽 | Comments(0)

棚上げにしてでも・・・

自分より若い人とつきあっていると、自分自身が若かった頃を反省させられることが、多くあります。たとえば、3年生の甥Yが、義弟に横柄な態度をする姿を見ると、「私自身も、そういう姿を甥に見せているのかもしれない」と心配になります。また、卒業生の身勝手な言動は、自分が若かった頃の不遜な態度を思い出させられるものがあります。

e0143522_2304120.jpgそんな自分が、子どもに「えらそうなことを言ってよいのか・・・」と思わないわけではありませんが、先に年齢を重ね、大人になった経験者として、「自分のことを棚上げ」にしてでも、自分のような失敗を繰り返させないために、伝えるべきだと思っています。

さて、子どもに偉そうなことを言う時、私たち大人にも責任が生まれます。なぜなら、若い頃はともかく、現在の姿勢を子どもは冷静に観察しているから。子供に「しっかり勉強しないと苦労する」と忠告しても、大人自身が学ぶ姿がないと、せっかくの忠告も台無しになります。大人の言葉に真実が見えないからです。

中には、「自分の若い頃のことを考えると、子どもに偉そうなことは言えない」という謙虚な人もいますが、今、大人としての責任を果たしているのなら、子どもに伝えられることは、たくさんあるはずです。子育ては自分の失敗をわが子に繰り返させないために、自分のことを棚上げしてでも、言うべきことを言わなければならないのかもしれません。
by k-onkan | 2012-05-27 23:00 | 子育て | Comments(0)

苦手なことが力をつける!

成人した卒業生が選挙の度に、「選挙演説はそれぞれ聞いていると、どれも正しいと感じて、結局、誰にいれてよいか分からなくなる・・・・・・」といいます。その都度、「自分の考えがブレないためにも、新聞を読んだり、本を読んだり、自分でできることがあるはず」と答えてきました。その子が、久しぶりに連絡をしてきて、「長年の知人から、「素直なところ優しいところが長所。だから、人の言葉に流され、自分の考えを見失う。それが短所」と言われたといいます。なるほど、選挙演説を聴いて、立候補者の言葉が全て正しく感じる理由が少し分かります。ただし、これは、たいへんな問題ともいえます。この上、選挙権が18歳に引き下げられたら、物事の真意を理解できない若者が、もっと「ノリ」で投票することが増えていくのかもしれません。

e0143522_8332222.jpgよく長所と短所は表裏一体であると言います。私は、平素、おつきあいする相手が、年齢が低い子どもたちなので、余計にそれを感じます。なぜなら、長所を伸ばし、短所を隠す努力をする以遠であるからです。たとえば、優しいところが長所な子は、他人にいやなことをされても、はっきりNOといえない気弱な面があったりします。また、自分から意欲的に取り組み、個人プレーが得意な子は、まわりのことに気が回らず、協調できないことが短所であったりするのです。私たちは、音感教育を通して、長所を伸ばし、短所は、最小限になる努力をします。なぜなら、子どもの長所、短所が、音楽の能力を左右するからです。最近は、「長所があれば、短所は気にしなくてよい」と考える傾向がありますが、短所の存在が、せっかくの長所までマイナスにすることは多々あるのです。短所を是正するのは、大事なことなのです。

自分の短所を是正するために、必要なのが、自分と異なる存在を知るために、行きたくない学校で、つきあいたくない人間とつきあったり、自分と合わない考えに遭遇したり、読みたくない本を読んで勉強することではあいかと思います。教育現場は、「勉強は楽しい方がいい」と楽しさばかりを追求しがちですが、生きていく上での知恵は、「苦手なこと」「いやなこと」「コンプレックス」から生まれることが多いと感じます。

と言っても、若い頃は、私も、「感性があわない学校も、先生も、友人も、勉強」も避ける傾向にありましたが、20数年、子どもの教育に関わって、「いやな経験」の方が大事であることに気づかされています。なぜなら、今の子どもたちは、気の毒なくらい、いやな経験をする機会がなく、その分、自分自身に考えを持つ機会を取り上げられています。

「危険な目にあわないように」と保護されていることで、危険なものを察知する動物的な勘も失われつつあります。厳しいこと、いやなことを乗り越える前に、存在しないので、それを乗り越えた快感も知りません。そこから、回避する知恵も生まれません。便利な生活の中では、工夫をする必要もありません。そんな「ないないづくし」の中で、たくましい人間は簡単には育たないだろうと思います。せめて苦手なこと、いやなことを意図的に与え、親がいなくても生きられる子に育てをしなければと思います。
by k-onkan | 2012-05-26 23:30 | 子育て | Comments(0)

難しい時代だから・・・

今日は、とても懐かしい人に会うことできました。私たち姉妹が子どもの頃、一緒に音楽の勉強をしたNさんが、お母さんになって3歳の男の子Kくんを連れて体験学習にこられたのです。Nさんは、楽院がとても懐かしいようでしたが、Kくんは初めての場所に緊張したのか、お母さんの足にしがみついてなかなか離れてくれませんでした。

e0143522_18304647.jpgしかし、同じ年頃の幼児たちが、「ぎんなんの色分け」や「型はめ」に興じる姿を見ると、少し、「お母さんと離れてもいいかな…」という気持ちになったのでしょう。みんなと一緒に課題に取り組み始めたのです。しかし、お母さんが安心した様子を見せると、「お母さんも一緒……」とお母さんのもとに帰ってしまいます。「一人でも大丈夫」と考えていたお母さんは少し驚かれたのかもしれませんが、初めての場所では大人の予想に反する行動をするのが子どもなのかもしれません。

さて、音感かるたの説明が始まると楽院の生徒は2~3歳の子でも、皆、行儀よく取り組みます。普段から「話を聞く時は、手をピン、目は先生の目を見る」と訓練しているからです。しかし、初めてのお子さんには、それは難しいことです。お母さんのNさんは、息子のKくんが動くことが気になるのでしょう。行儀よくさせようと、後ろから注意します。さすが、卒業生です。しかし、初めての場所で注意されると幼児は嫌になってしまいます。他の子は、年齢が幼くても、長く勉強しているから行儀が良いに過ぎません。私は「最初から、行儀よくしなくてもいいですよ」と優しく伝えました。

体験授業があると、嬉しいことがあります。それは、以前から勉強してきた生徒たちの成長を感じることができること。レッスンの始まりには、「いやだぁ~」と泣いていた3歳のNちゃんも、初めて参加する子がいると、木下式のはっきりとした言葉で自己紹介をして見せます。最近、入学したYちゃんは、2ヶ月で、ずいぶん、行儀よくなりました。またわからんちん甥Kも、2歳にしては、十分に頑張っていました。きっと、お客さんの存在が、「格好いいところを見せたい」と幼児たちに思わせたのでしょう。

何年かぶりかでお目にかかったNさんは、子どもの頃の印象のまま、大人になったように見えましたが、Nさんからみた私たち姉妹も、「昔と同じ雰囲気」なのだそうです。さて、遠方に住むNさん親子が楽院に入学できるかはともかく、私たちが子どもの頃と比べて、「生きる力のある子」を育てるのが難しい時代に突入していると感じます。その昔、一緒に勉強したNさんには、どうか、子育てに尽力いただき、自立した男の子に育てあげて欲しいと願っています。
by k-onkan | 2012-05-25 23:29 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

言葉は操れると面白い

私たちが母国語を話せるようになるには、二〇〇〇時間、その言語を聞く必要があるそうです。一日二~三時間耳から入れて、最初の単語を発するのが約二年後、一歳後期です。しかし、言葉を聞く機会がなければ、三歳になっても言葉は出ないでしょう。赤ちゃんは口をきけなくても、耳に入る言葉から学んでいます。しかもそれは両方向のコミュニケーションでこそ効果があります。

e0143522_821584.jpg赤ちゃんや小さな子どもがいたら、たくさん話しかけてあげてください。忙しいからと言って、ビデオやテレビなど、一方通行の機械に任せるのは好ましいどころか、発達不全を招く恐れさえあります。お子さんの心に響き、情緒を育むのは、お母さんや周囲の人たち愛情のこもった言葉がけに代われるものはないのです。

最近、2歳10ヶ月の甥Kの言葉の成長が面白いのです。たとえば、テレビのクイズ番組のような口調で問題を出すので、それに答えると、「正解です」と言ったり、「ブブー」といってみせます。また、職員室の窓から、ゴミ収集車にゴミを入れる作業員の人を見るのが、大好きなので、それを真似て、「ゴミはありませんか。ゴミを集めているところです」と自分よりも大きな袋をひきづってみんなの机を回って見せます。“少し丁寧な物言い”が2歳児の幼い姿とマッチせず、なんとも愛しく感じます。これは、6歳離れた言葉が達者な兄がいる影響なのでしょう。

兄甥Yは、最近、こんなことを口にしていました。「ぼくは、給食の後、毎日、とても悲しくなるんだ・・・」と。何でも、給食がとてもたくさん残り、「僕には食べ物が悲しんでいる声が聞こえる」のだそうです。本をたくさん読むYは、いろいろなことを想像して言っているのか、単に給食を食べ足りなくて、おかわりができない自分に悲しい気持ちになっているのかは定かではありませんが、子どもが何気なく発する言葉は観察すると、とても面白いものです。日々、忙しいことが多く、子どもの言葉や心の動きに目を向ける機会は少ないのかもしれませんが、それでも、子どもと関わることは、大人が癒されることもあるものです。子どもの何気ない様子や言葉に目を向けてみましょう。
by k-onkan | 2012-05-24 07:58 | 幼児 | Comments(0)

何か、忘れていない?

乳児期から目を見て言葉をかけ、絵本を読み聞かせ、挨拶や返事などを心を通わせて教えた子どもは、三~四歳にもなると、かなり、おしゃべり上手に育つものです。しかし、親が子どもの気持ちに先行して、物を与えたり、身のまわりを整えたり、代弁をし過ぎると自分から口を開く機会が減ってしまいます。そうなると、ほかの人たちと口がきけなかったり、自分を表現できなかったりするものです。外の社会で人と関われるようにするためにも、時間がかかっても、子どもに口を開かせる機会を与えましょう。

e0143522_7403124.jpg子どもは知っている単語が少なかったり、言い回しが理解できないと口をきこうとはしません。正しい言葉の使い方を教え、模倣させるのも大切です。「幼稚園の先生に『明日は家族で旅行にいくので、お休みさせてください』と伝えてね。言ってごらん」など、事前に真似をさせて練習しておくと、言いやすいかもしれません。

さて、最近、2年生のSくんのお母さんが、これと似たことを、一生懸命、教えていらっしゃるようです。「レッスンが終わったら、先生に「電話を貸してください」と言って、お母さんに電話をしてね」。そう伝えてレッスンに出されたのですが、Sくんは、レッスンが終わると、そんなことはすっかり忘れてしまい、本を読みはじめてしまったようです。

最後の数人になったロビーで一人で本を読む姿に、「どうしたの? お母さんのお迎えまだなの?」と声をかけると、初めて、「電話をかけること」を思い出したようです。お母さんは、「電話をかけさせてください」と言う練習をさせたかったのに、電話をかけることを忘れてしまうとは思いませんでした」とがっかりのメールをいただきました。子どもに教えたことを試させる楽院があってありがたいといわれます。このような失敗があっても、気がつく大人がいるからでしょう。

次のレッスンの時、「電話を貸してください」と言いにきたSくんは、終ると、「これ・・・・・・」と言って、10円玉を差し出しました。楽院には「自分の家のように電話を使うお子さんもいるため、Sくんだけにお金をいただくわけにはいきません。「お金はいいわ」と返しました。ほかのお子さんのレッスン中であったので、私もきちんと説明できなかったのですが、本当は「電話のお金は必要ないからお母さんに返してね」ときちんと話してあげなければいけなかったと反省しています。

翌週、お母さんがまたがっかりした声で、「お金を返されたら「また使わせていただくことがありますから」とお渡ししなさいと教えてあったのに・・・・・・・」と言われます。私が忙しそうにしていたので、「余計なことを言わずに帰っていったのかもしれません。親御さんが「こう言われたら、こういいなさい」と想定して、教えても、ほんの少し、状況が違うと、どうしたらいいかわらかなくなるのが、小学校の低学年の子どもです。こうして、いろいろな体験をして、失敗を重ねることで応用がきくようになっていくのだと思います。

お仕事をしながら、お子さんの自立のために、心をくだくお母さんにはご苦労なことですが、こうして、「これができた」「これができなかった」と観察しながら、自立を促す子育てをしていただけるSくんは、とても幸せであると感じます。子どもは教えられたことしかできないものです。「なんとなくできるようになること」はまずないと思います。特に、何事もとても便利になったこの世界ではなおさらです。大人が意識したうえで口を開く機会を与えたり、考えさせないと、子どもは受身のまま、大きくなってしまいます。自立できる子育てをしたいものです。
by k-onkan | 2012-05-23 23:38 | 児童 | Comments(0)

子どもって面白い!

子どもたちとつきあうと面白いことがたくさんあります。今日は、小学生の授業で笑ってしまうことがありました。小学生になると自我が芽生えるため、いつでも、大人の私たちの言うことを何でもきくわけではなくなってきます。私たちは、幼稚園の頃と同じく接していても、子どもが成長して、自分の気持ちが優先されるのでしょう。今日は特に夏日で暑かったため、子どもたちは、頭も体もなるべく使わずに個人発声をやり過ごそうとしていました。

e0143522_20204214.jpg幼児期であれば、少し厳しい声を出してピリッとさせますが、小学生になったら、自分から意欲を持たせる必要があります。私は子どもたちにこんな質問しました。「もし、自分がお母さん(お父さん)だったら、自分の子どもには一生懸命、取り組む子供が欲しいか、ダラダラしながら、イヤイヤ取り組む子どもが欲しいか?」。この質問に対して全員が共通して、「一生懸命、やる子どもが欲しい」というから、お腹を抱えて笑ってしまいます。自分がダラダラしている子どもほど、「自分の子どもには、頑張っている子が欲しい」というのですから。

「そんな立派な子どもが欲しいなら、まず、自分が一生懸命、頑張る人にならなくちゃね!」。自分のことを棚上げにできないことなど、初めて聞いたように子どもはびっくりしたように、意識を持って取り組みはじめました。
これは、子どもたちが、まだ、小学生の低学年で、自我が芽生えたと言ってもまだ可愛い盛りであるということかもしれません。もう少し大きくなると、質問に答えてくれなくなるのかもしれませんね。

何にしても、子どもの世界は、純粋です。私が「将来、お父さん(お母さん)になったら…」と想像させても、誰も「もし、結婚できなかったらどうしてくれるのですか?」とか「子どもができないかもしれないのに、人権侵害だ」などとは絶対に、言わないのですから。将来、子どもたちが、お父さん、お母さんになるかはさておき、「自分が親になったら・・・」を想像して、育ててくれるご両親の気持ちを想像できる子どもに育って欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2012-05-22 20:20 | 幼児 | Comments(0)