麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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えぇ?中卒になるのぉ?

今日、3年生の甥Yを伴った瑠音先生が私に「残念なお知らせがあるの・・・」と口にしました。「Yは勉強が嫌いだから、中学を出たらすぐに働くみたい。でも、中卒でできるのは、新聞配達くらい。だから、Yが豪邸を建てて、麻奈先生の住む所も作ってくれる話は、なくなりました」。

e0143522_20524730.jpg何でも、算数が苦手なYが、練習問題をダラダラと、不満ありげにイヤイヤ取り組む姿が見つかり、瑠音先生に叱られたようです。「イヤイヤ取り組むなら、勉強などしてくれなくても結構。勉強は、お母さんのためにしているのではない。勉強したくないなら、中学を出て働きなさい」。そう伝えたようです。

私は、「あら~。中卒なんて、かわいそうに・・・」と声をかけました。Yは自分のことだと思ったようですが、私は、「お母さん、かわいそう・・・」と続けました。「小さい頃から、一生懸命、Yに苦手なことがないようにいろいろと努力してきたのに、中卒の息子のお母さん・・・・。かわいそうだなぁ」。そして、私たちが子供の頃の後悔を伝えました。

「私たちが幼稚園の頃は、小学校に入って困らないようにと、ばぁばはいろいろなことをと教えてくれたの。でも、学校に入ってから、仕事も忙しくなって、どんな風に勉強をしたら学校で困らないかまでは、考えてくれる余裕がなかったの。でも、音楽だけでなく、学校の勉強についても、いろいろと教えてくれたら、私もお母さんも、もっと偉い人になっていたかもしれない。だから、Yたちには、勉強のことでも困らないようにと問題集を見つけたり、苦手なことが得意になるように、いろいろ工夫してきたのに、勉強嫌いなYには、迷惑なことだったんだね・・・」。姉妹二人で、残念な口調で事情を種明かしします。

ついていない時はなにをやってもついていないのです。児童部の授業になるとYが独唱の曲目紹介を正確に覚えていないことまで見つかってしまいました。「やっぱり、中卒でいいと思っているから、得意の記憶力まで悪くなっているじゃない・・・」と更に悲惨な声で、追い討ちをかけました。合唱団の中には、他にもお母さんから、「勉強が嫌いなら、中学を出てすぐに働きなさい」と言われているお子さんがいます。合唱団の子どもみんなに、「勉強は自分のためにするもので、勉強が嫌いなら、働かなければいけないのよ・・・」とまとめてお説教です。

3年生の甥に「中卒になるの?」と私たち大人が追い詰めることで、「子どもなのにかわいそう」という批判の意見もあるでしょう。しかし、楽院の長い歴史の中には、いろいろな親子が存在して、私たちにそれは多くのことを教えてくれているのです。幼児期から児童期に、子どもが嫌がっても、「勉強は自分のためにするもの」「学ぶからには一生懸命、取り組むこと」「自分の責任を果たすこと」を教えることが、いかに大切か、失敗談も見てきました。

楽院に在学している間、わが子に「自分の責任を果たすこと」も「嫌なことでも、頑張って取り組むこと」を教えないまま、子どもの気分に任せて通い、結局、中途退学した兄弟がいました。楽院を辞めた後、中学、高校と、学校も、途中で退学をしてたいへんな思いをしていることを最近、耳にしたばかりです。この子たちがかわいそうだったのは、在学中、音楽会や合宿など、努力や忍耐を強いられる場面で必ず、病気になり責任をまっとうすることがありませんでした。親御さんは、その時は病気を理由に、子供の「休みたい」という希望を受け入れる優しいお母さんに見えますが、実は、児童期こそ、苦手なことでも、何があっても責任を果たすことを教えることこそ、親御さんの責任であり、子供への愛情であると思うのです。なぜなら、子どもの頃に、赦されたことは、大人になっても通用するうと思うのが子どもです。成長したからといって、急に責任を果たすようには育ってはくれません。

さて、Yを「中卒、中卒」といじめたのは、私たち姉妹だけにとどまりませんでした。木下先生も、「なんだって? Yは中卒になるのか。それは、かわいそうだなぁ。中卒では高級な果物も食べられるようにはならないなぁ。よし最後に、じぃじが、おいしいものをご馳走してやろう」。いただきもの珍しい果物を与えていました。自分が「勉強が苦手だから、したくないのだ」と口にしてしまったYは、静かに、私たち大人の反応を観察していました。

Yが明日から、まだイヤイヤ勉強するのか、心を入れ替えるのか分かりませんが、勉強は大人がお願いして、「してもらうもの」ではありません。いつか、自分の身を助けてくれるから、するのです。これを履き違えさせ、「親のために勉強してあげている」と思わせるのは、大問題です。とりあえず、小学生の間くらいは、私たち大人は嫌われても、子どもに、苦手なことも逃げずに取り組めば、力になることを教えておきたいものです。そのための“嫌われ役”は厭わないつもりです。
by k-onkan | 2012-06-30 22:51 | 児童 | Comments(0)

お花、買ってきたよ!

「ほら、見て、今日、まぁちゃんに、お花を買ってきてあげたんだよ」と2歳11ヶ月の甥Kが黄色いカーネーションの花束を私に手渡しました。「どうしたの?何か特別な日なの?」と聞くと、「まぁちゃんが喜ぶと思って、お母さんがお金を出して、Kちゃんが買ってあげたんだよ」と胸をはります。

e0143522_19224143.jpg「どうして?」と聞くと。「まぁちゃんが、「ウワ~」って喜ぶかと思ったから。まぁちゃんのうちにお花がないでしょ?」と女性が喜びそうな言葉を口にして調子が良いのです。しかし、瑠音先生は、いいます。「きっと、今日がおけいこの日だから、ご機嫌を取っているのよ」と。ちょうど、その日はKの音感の授業の日でした。子どもなりに「優しくしてくれるように・・・」という気持ちがそうさせているのかもしれません。

思えば、音感を教えるようになって、20年以上経過しますが、いつの時代も、授業に慣れてしばらくすると、「麻奈先生にあげる」と幼稚園で作った折り紙や、道でつんだ草花、木の実などを持ってくるお子さんはいるものです。たいてい、気が弱い女の子で、一緒に勉強する友達が叱られるだけで、一緒に震えてしまうような子が多いのです。子どもなりの気遣いによって、「先生、これをあげるから、みんなに優しくしてね」という意味かもしれません。

私も、お子さんから、何かいただいたからと特別扱いをするわけではありませんが、私が受け取ることで、お子さんの気持ちは安定するようです。子どもなりに「嫌っていませんよ」というサインを送ってくれているのかもしれません。とはいえ、まさか身内から付け届けを受けるとは思ってもいませんでした。

子どもは、どんなに幼くても、大人のミニチュア版で、大人のしているとおりにするこものです。そして、それが、子どもの面白いところであり、怖いところかもしれません。子どもに真似られて恥ずかしくないように、大人は気をつけなければと思うのです。
by k-onkan | 2012-06-29 23:21 | 幼児 | Comments(0)

目配りは、し過ぎることはない

今日は、楽院では、たいへん怖いことがありました。それは、レッスンまでの時間をロビーで待つ年中の男の子が、施錠を外し、ドアを開けて外に出てしまったのです。これまでも、レッスンまでの時間、何度もロビーでお預かりしていたお子さんだったので、私たちもお母さんも安心していましたが、偶然、ふだんはない授業があったことで、ロビーに目を向ける大人の目が十分ではなかったのです。

e0143522_16565375.jpg純子先生がロビーの様子を見にいき、「Kくんの姿がない」と職員室に連絡があったのは、ちょうど、近所のコンビニの顔見知りの方から、「そちらのKくんをお預かりしています」との電話があった頃でした。走って迎えにいくと、悲しい顔をしたKくんの姿がありました。「無事でよかった。一人で外に出たら危ないのよ」と注意して、抱っこして帰ってきましたが、いつもは明るいKくんがすっかり暗い表情になっていました。大人にとっては短い時間でも、子供のKくんには、きっと長い時間であったことでしょう。つくづく幼児の周囲は、大人が注意してし過ぎるということは、ないのだと再認識をさせられる出来事でした。

侵入者を防止するロックは、外部からは子どもを守ることができても、ロックの外に出ると、もう守ってくれません。小学生であれば、呼び鈴を鳴らして、大人に知らせ、中に戻ることもできますが、体の小さい子にはそれもできません。なんでもお兄さんのする通りを真似てきた第二子のKくんにとって、こんなに怖い思いはなかったでしょう。軽い気持ちで鍵を開けて外に出たら、自動ドアの鍵が閉まってしまったのですから。

教室に入れなくなり、階段を登り泣いているところを通りがかった人が見つけ、楽院の前のコンビニに預けてくださったとのお話でした。事故や誘拐など事件に巻き込まれなくて本当に良かったと思う一方、お子さんをお預かりするのは、大人の手が十分にあるときでなければいけないと、反省する出来事だったのでした。
by k-onkan | 2012-06-28 23:55 | 幼児 | Comments(0)

可愛い井戸端会議

「私、音感、嫌いなのよぉ」。授業前に愚痴をこぼす年少のAちゃんに、純子先生は、「それは、Aちゃんだけじゃないわよ。ねぇ?みんなだって、音感は好きじゃないわよね。でも、頑張っているのよね~」。一緒にいた年中の女の子たちに、声をかけると、「そうだよ。音感が好きな人なんて、いないよ」「私も音感、嫌いだけど、頑張っているんだよ」。次々に、同意の声があがります。

e0143522_839395.jpg4歳の女の子たちの井戸端会議のように、お互いを慰めあう姿は、微笑ましいものがありますが、幼児期に「音感が大好き」という子どもはまずいません。たいていの子は、「たいへんで嫌だけれど、しなければいけないこと」という位置づけで頑張っているのです。正しい声を出すために、集中して、脳、目、耳、喉、全身を使うことは、容易い作業ではありません。しかし、この訓練を継続すると、他人から能力を認められるようになり、そして、初めて、その子の特技となるから、音感が好きでたまらなくなるのです。基本作業を学ぶ過程で「音感が大好き」というお子さんは、よほど音楽の才能に恵まれた音楽の神様に見出された特別な子どもかもしれません。

子ども同士でも「井戸端会議ができること」は重要なことのようです。自分以外の人のことを知る情報収集の場を持ち、他人のことを知ろうとするのは、成長の証であるからです。こうして、年下をなだめるお姉さんたちも、つい半年前までは、「お稽古がいや」と泣いたり、ぐずったりして、お母さんを困らせた時期がありました。年下の子に「嫌いだけど、頑張ればなんとかなるよ」と断言できるのは、それが、自分も乗り越えてきた道だからです。そして、こうして先生を前にして「音感、嫌い」と本音を言っても叱られないと分かるほど、楽院がなじみのある場所になった証でもあります。楽院に通う子どもたち3歳でも4歳でもこうして本音を口にします。それは、私たちが、よくも悪くも、本当のことを言って、子どもたちを指導するからだろうと思います。

一般に「幼児に、本当のことを言うと、かわいそう」と言って、お金の話、生死の話、障害の話など、複雑な事情があることは、幼児には話さないようにする傾向があります。しかし、幼児であっても、大人が言わないことに、何かあることを察知くらいはしているのです。また、幼児だからこそ、本当のことを知らせておかなければと思うことは、たくさんあります。なぜなら、幼児の時に基本的な考えが備わるのですから、隠し事をしたら、一生、隠していかなければならなくなります。

一般に、過小評価されがちですが、幼児も発達障害を持つお子さんも、実は、大人が思う以上に理解していることは多くあります。ただ、それを自分の言葉で「わかっている」と表現できないに過ぎません。「なぜ、私にそんなことが分かるか?」、それは、私にもまた、子ども時代があり、音感の勉強が嫌いだったり、先生が怖かったり、物事を理解するのが、容易ではなかった経験があるから、今指導する子どもの気持ちを察したり、どのような説明に納得がいくかが、分かることが多いのかもしれません。

私にとって、音感を教える相手は、幼児であっても、発達障害があっても、一人の人間として、音感を教える対象でしかありません。その際に一番、大事なことは、「本当のこと」を遣って教えることです。幼児だからと言って、お世辞を言ったりすると、かえって分かりにくいことが多いからです。素直な幼児だからこそ、率直に伝え、一日も早く、「嫌い」から「好き」にしたいと思っているのです。
by k-onkan | 2012-06-27 23:37 | 幼児 | Comments(0)

授業見学がありました

ある幼稚園で合唱の指揮をされる方が、木下先生の「わたしの音感教育」を読み、インターネットを探し、「幼児の合唱指導について学びたい」と楽院の幼児部の見学に来られました。1時間半に及ぶ幼児の音感授業を見学されて、寄せられた感想は、その発声法にまずとても、驚かれたこと。そして、子どもを飽きさせることなく集中させる指導法、幼児たちの音感の良さ、集中力の長さに驚いたことが書かれていました。最後に、「幼児に、こんな大きな声を出させて大丈夫なものか」とのご質問もありました。

e0143522_022855.jpg質問の答えとしては、木下式の幼童唱法は、指導者によって正しい声の出し方を教え、少しずつ、話声位(話す声の高さ)を高め、声域を広げて、声を出せるようにしているため、決して、のどを痛めたりすることはありません。また、本来、幼児や子どもが日常生活の中で話す言葉を改善して、歌声に切り替えているため、大きな声を出したからといって、声が悪くなったりすることは、ありません。声は正しく出せば出すほど、出るようになるものですから。

とは言っても、幼児たちは最初から、このような声が出たわけではありません。年少の頃は、声域も狭く、また、行儀や集中力も、最初から良かったわけではありません。何事も地道な訓練の反復でしかありません。地味な作業ですが、一般の幼稚園で合唱を教える人にも、「音感がよい」と言われたことは、「歌う音程がよい」という評価だと思い、胸をなでおろしました。

新学年が始まり、初めて外部のお客様を迎えたモデルクラスの子どもたちは、途中、行儀が悪くなったり、集中できない姿もありましたが、それでも、木下式を勉強した成果は、披露することができました。少なくとも歌唱力、聴音能力は、一般の幼児には負けないと思います。

願わくば、年中の男の子たちが、授業の前に泣いたり、ぐずったりすることをやめてくれると、助かるのですが、女児に比べ、男児は繊細で、気弱なところがあるようです。人は必ず。長所と短所がありますが、長所は短所に、そして、短所が長所になり得るものです。授業前に泣くこの繊細さが、その子の進歩を遅らせることもあれば、この慎重さが音楽に細やかに取り組ませることもあるものです。今後も、子どもたちの短所を長所に変える指導をしながら、次回、外部からお客様がる時は、もっと、良いところを引き出したいと思った、今年度はじめての一般の授業見学だったのでした。
by k-onkan | 2012-06-26 23:21 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

スタッフが高尾山へ行きました

私が岐阜で園内の講習会を行なった日曜日、純子先生と瑠音先生一家は夏の合宿の下見のため高尾山へ出かけました。幼児の歩くペースで登りながら、どこで休息をとり、昼食はどこで取るかなどを実際に確かめてきたそうです。体力に余裕があった兄甥Yは、女性陣を残し、一人先に頂上まで登って戻り、また一緒に登ったそうです。小学3年の男児ともなると、私たち大人にはかなわない体力があるようです。弟甥Kは、ケーブルカーを使うコースを使いました。当日、体力のない幼児はKと一緒にケーブルカーを使うこともあるかもしれません。そのための下見も欠かせません。

e0143522_22365759.jpg合宿では、子供たちに自分で握ったおにぎりを冷凍させ持参することを考えていたので、瑠音先生たちも冷凍おにぎりを持って上りました。しかし、その日は、予想外に涼しく、現地では、まだ、解凍されておらず「まずくて、食べられなかった」と、発案者の私は叱られてしまいました。そして、「冷凍おにぎり」ではなく、登山の日は、購入したものを持参する方が良いのではとの考えに至りました。

高尾山には、途中、急な坂があり、私が子どもと一緒に登るのは無理ではないか、Kと一緒に、ローブウェイに乗った方が良いと純子先生は心配してくれます。「登山の翌日に、合唱練習ができなくなっては困る」との配慮もあるのでしょう。実は、私は17年前に腰の手術をして、半年以上寝たきりになったことがあります。手術をして、すっかりよくなっていたのですが、7年前、オペラ公演が終わると、再発して数ヶ月、寝たきりになってしまいました。どうも、子どもたちに付き合って、飛んだり跳ねたり、オペラの振り付けの練習につきあったことで、腰が悲鳴をあげたようです。その時も、いろいろな方に、迷惑をかけてしまったのです。体が丈夫なため、つい過信してしまいますが、腰は自分の弱点として、気をつけて付き合わなければと思った出来事でした。楽院のスタッフは、その時の苦労があるので、私の腰を気遣ってくれます。毎年、合宿前には、散歩をしたり、マラソンをしたり子どもに負けないための努力をします。そろそろ、体力づくりを開始しなければならないようです。
by k-onkan | 2012-06-25 22:34 | 楽院だより | Comments(0)

良薬、口に苦し

今日は、東海地方にある幼稚園で園内の講習会がありました。先生たちは、日曜日を返上して、木下式の体系と発声を勉強しました。木下式を幼稚園、保育園で実践するに際して、難しいことは、担任の先生、それぞれが異なる音楽環境で育っていることがあげられます。学生時代ブラスバンドなどに取り組み比較的音楽になじみがある人もいれば、幼稚園の先生になるために、始めてピアノを習った人もいるため、それぞれの音楽能力は異なるのです。

e0143522_113608.jpgそれでも、通ってくる幼児にとって、「先生は先生」なのです。そこで、先生であるために、東京で行われる講習会に参加したり、園内に認定講師を招聘して、学ぶ努力が必要なのです。教諭に勉強させて、能力を向上させるというのは、地味な作業ですが、手間は幼児の何倍もかかります。幼児は感覚的に物事を受けとめますが、大人には既成概念があり、簡単には、上手になりません。そのため、園は、長い時間と経済的なバックアップをして、教諭を育てる気持ちが必要です。園長先生に「幼児のためになることを」という強い信念がないと、木下式を採用して、実践し続けるのは難しいことなのです。

真に、子どものためを考えた教育をしようと考えると、教育関係は決してお金がもうかる業種ではありません。「耳に優しい言葉でその場しのぎの生徒集めをして、なるたけお金をかけずに、親御さんのニーズだけに応える方が、人気が高くなり、生徒が集まってくる。「子どものため」などという難しいことを考えずに、ニコニコしていた方が、幼稚園経営がうまくいく」。最近、こうしたアドバイスが多いのだとK園長はため息を漏らされます。

地方における幼稚園の存続は、とても苦しいのが実情です。保護者は長く預かってくれる保育所を好むからでしょう。K先生は、生徒集めのために社会のためにならない教育現場を提供するのでは、幼稚園をする意味がないといわれます。若い人に嫌われても、言うべきことは言って、子どものためになることを続けたい。と言われていました。

私もK先生のお気持ちは良く分かる一方で、その難しさも理解できます。若い先生を教える際に、父がその昔、行っていたように、全力投球で一生懸命、教えたいとの思いもあります。しかし、ただ、情熱を持って教えても、こちらの気持ちは通じず、空回りをすることに気づいたのは、この10年ではないでそうか。これは、「自ら一生懸命、努力する」ことを当たり前に育てられた人と、「特別な努力はせずに、とにかくみんなで平等」という育てられ方をした人で、考え方、受け止め方に差が生じているのです。新しい考えを持つ人の存在を受け止めながら、それでも、正しいことを伝えるための努力が必要なのだと、実感するK園長先生との久しぶりの時間だったのでした。
by k-onkan | 2012-06-24 23:34 | 教育 | Comments(2)

親御さん、遠慮しないで

子どもも小学生にもなると少々、叱られたくらいでは、へこたれなくなり、怠け心も出てくるものです。最近は、大学生になっても、成績表が保護者に送られるのが当たり前だそうですから、小学生が親御さんに「真面目に取り組んでいないこと」を連絡され、家庭で叱られたりすることもあってよいのだと思っています。

e0143522_0291791.jpg今日は、2週間後に、控えた成果発表会のためのピアノの視聴会がありました。子どもたちは、「いつものこと」と思っているのか、なかなか本気になりません。しかし、子どもの音楽会といっても、きちんとホールを借りて行う音楽会で、遊びの場ではありません。子ども自身の意欲や気分に任せて、子ども本位にさせるのではなく、保護者として、子どもが努力した姿を見る権利を行使して、家庭でも監督していただけるようにお願いしています。

今回の音楽会では、当日が学校行事などと重なり、「雨ならば音楽会、天気なら他の行事」と出演が未定のお子さんが何人かいるのです。子どもたちからすると、天気によっては、練習したピアノや歌が無駄になると思うのか、全力で打ち込めないようです。その気持ちも分からないわけではありませんが、教える私たちも子ども以上に、複雑なものがあるのです。

子どもは本番がないことで無気力な取り組みを見せますが、指導する私たちは、出席の確立が半分だからといって、練習を半分で済ませるわけにはいきません。万が一、出演して、他の子より見劣りがするようなことは、耐え難いことだからです。そのため、本番に出るか分からないお子さんでも、保護者の方が、「練習をさせて、できる限りのことをさせる」と決めたからには私たちは、最大限に時間をかけて教えるのです。

さて、私たちが、子どものために使う時間は、全員に平等であるべきと思われるかもしれませんが、楽院は公立でも学校でもないため、その時間は平等ではないのです。それぞれが、できるようになるまで時間を使うため、飲み込みの良い子は短く済み、なかなか、覚えない子には20分でも30分でも費やします。これは、手がかかる子であっても、手をかけさえすれば、保護者に進歩した姿を見ていただけることがわかっているからです。その労力は惜しまない教室です。

そんな中で、音楽会に出ることが未定の子が、自分から覚えようとせず、受身な姿勢で取り組む姿を見つけました。本来の実力を考えれば、もっと、簡単に覚えられるはずです。「これは、いけない」と、保護者の方に、苦言を呈するメールをお送りしたのです。私たちは、音楽を教えるのが仕事ですが、音楽以外の悪い面が、音楽の習得の邪魔をするときは、口を出さないわけにはいきません。子どもたちは、当たり前のように、お稽古ごとに通い、習っていますが、これは、とても恵まれたことであることを忘れさせてはなりません。子どもが、「あって当たり前」と思っていることは、どれも、親御さんが、わが子のために、投資して、そのチャンスを与えたものであるのです。そして、そこから何か学ぶか、何も学ばないかは、親御さんの育て方次第でもあります。

近い将来、親御さんの判断を仰がなくとも、自分で責任を果たす人間に育てるためにも、小学生時代のいい加減さを、どうか、大人として、保護者として、子どもに投資しているスポンサーとして、声をかけて是正していただきたいと思います。時に、言いにくいことも含めて親御さんの愛情であるはずです。子どもに過保護である必要はありませんが、関心を持たれていないと努力できなかったり、投げやりになったりするのが、子どもです。保護と自立の兼ね合いは難しいことですが、どうか、小学生になっても子どもへの興味だけは失わないでいただきたいのです。
by k-onkan | 2012-06-23 23:19 | 児童 | Comments(0)

喜ぶかと思って・・・

2歳11ヶ月の甥Kが、我が家に泊まりにきたことで、子どものいる生活がいかにたいへんかをしみじみ感じています。これまで、散々、わからんちんな様子を見せていたKが、最近、とても愛想が良いのです。音感の勉強を始めて、指示行動ができるようになり、自信が出てきたのかもしれません。最近は、「新幹線に乗って、まぁちゃんと一緒に出かけてお勉強できる」と口にするのです。新幹線とご褒美、目当てなのだと思って、「なぜ、行きたいの?」と聞くと、「頑張ったら、まぁちゃんがうれしいかと思って・・・」と可愛いことをいったりします。2歳の頃が、一番、可愛い時期かもしれません。

e0143522_1143477.jpg思えば、3年生になる兄甥Yも幼い頃から、私と行動を共にしてきましたが、Yは大人の事情を察してつきあえるもの分かりの良いところがありました。弟のKは自分が「YES」というまでに時間がかかりますが、一度、心を決めると明るくつきあってくれます。もちろん、その明るさを保つためには、大人が、褒めて、褒めて、調子にのったら叱り飛ばし、仲直りをするという労力も必要ですが。

そんなKですが、感心することもあるのです。それは、親から離れた時に、その教えを守ることです。たとえば、暑い時に自販機の前で、「ジュースを買おうか?」と聞くと、「お茶にする。お母さんは、お茶にしなさいっていうから」と答えます。スーパーに行って「お菓子、買ってあげようか?」と聞いても、「お母さんに叱られるから、いらない」といいます。2歳11ヶ月の子どもとしては、かなり理解力があるはずです。

あまりに優等生的にしていたので、「「なんで、お母さんは、ジュースがだめっていうのかな?」と聞いてみました。すると、「お母さんもお茶を飲むから・・・」と子どもなりの考えを口にしました。私は「ジュースを飲むと、虫歯になりやすいこと」「甘いものばかり飲むと、ご飯が食べられなくなるから」など、正当な理由を補足しておきました。

さて、親元に帰ったKは、瑠音先生に、「Kちゃん、えらかったんだよ。ちゃんと9時に寝たんだよ。でもね。まぁちゃんは、寝なかったから、おばけが来るよって、教えたんだよ」と言いつけるではありませんか。そういえば、兄甥Yも、私と行動を共にすると、私の不備な点を言いつけていたものでした。

さて、弟が不在だったことで、久しぶりに一人っ子の気持ちを味わったYは、とても素直でいられたようです。叱られる前に、自分から考えて行動して、手伝いをして、母親に甘えたようです。最近、Kが聞き分けがよくなったことで、兄より先に可愛くしたり、模範的な態度をとられ、Yは、素直になる機会を逸していたのでしょう。お互いに別々に、自分の良さを出せる場所があったのは、良かったのかもしれません。しかし、プライベートで子どもと時間を共にすると、決まった時間に、決まったことを教えることの方が、かなり容易であると私には思えるのです。毎日、一緒に生活しているお母さんに頭が下がります。
by k-onkan | 2012-06-22 23:14 | 幼児 | Comments(0)

ぶれない考えを持って

今日は、年中のTくんが、泣きそうな顔で「ぼく、やめます」と言いながら、教室に入ってきました。お母さんに「自分で言いなさい」と言われてきたようです。しかし、お母さんは、本当に「辞めさせてもよい」と思ってはいないはずです。なぜなら、これまでも、「やめたい」と言うわが子の説得ができず、連れてくるお母さんを大勢、見てきたからです。

e0143522_0124264.jpg「辞めます」と言って、教室に入っても子どもは、私たちに諭されると、その場は納得して授業に取り組むことになります。一緒に勉強する同級生や、真剣に教える私たちの手前、わがままが言えなくなるからです。しかし、根本的な問題が解決したわけではありません。きっと、次回も「やめたい」という言葉を口にするはずです。家庭で親御さんの教育方針や考えが子どもに提示したり、子ども本人に心を決めさせるまでは・・・。

幼児とのつきあいは、建前やきれいごとではすみません。良くも悪くも本心で向き合うしか、正しいことを伝える術がないのです。ところが、親御さんの気持ちにブレがあったり遠慮があったりすると、子どもはその隙を見てわがままを言い出すものです。幼児期の子どもは、自分で正しい選択をするには未成熟です。そこで、親は大人として、子どもを一人の人間として、社会で生きるルールを教えるために、お稽古ごとや学校で責任を果たすことを教える義務があるのです。

Tくんのお母さんにはこんなお話をしました。「お父さんは、どんなに調子が悪くて仕事に行かれますね。お母さんはお料理をしたくないほど、具合が悪い日でも、たぶん、家族のために、ご飯を作られるでしょう。Tくんだけ、「イヤなことはやらなくてよい」と許してしまうと、将来、自分の責任をまっとうできない大人に育つこともありますよ」と。1年前は、大好きだったピアノも、今では、「練習をしたら」と声をかけるだけで、「そんな嫌なことを言わないでよ」とお母さんに抵抗を示すそうです。ここで、毅然として態度を取れないと、子どものわがままは助長されていきます。

私は、「お母さんは、先生に叱られないために、「練習をしたら」と声をかけているのよ」と子どもの味方であるからこそ、教えているのだと伝えてください」とお伝えしました。さもないと、お母さんが、いやなことを押し付ける加害者で、自分は被害者と思い込んでしまいます。これでは、正しいことを伝える全ての人が悪くて、自分がかわいそうと思ってしまいます。幼児期にこの考えを持つと、先々が心配です。お母さんが子どもに教えることは、少々、恩着せがましくても、「こどものためであること」を教えなければなりません。そして、実際に、親の見栄ではなく、子どものためでなければならないと感じます。それでも、「お母さんに指摘されるのが嫌」というなら、家庭で何も言わず、直接、先生に叱られてその責任を自分で取ることを教えるのも一案です。何にしても、押したり、引いたりしつつ、わが子に最良の導き方を見出すしかないのです。

何より大切なことは、子ども自身に、「勉強をすること」が自分のプラスであることを知らせること、そして、それが自分の意思として選択させるように、導くことが大切です。親は一生、正しい道を子どものために選択し続けることはできません。自分で考え、決めて受け入れる練習もしておく必要を感じます。

たとえば、Tくんにはお姉さんがいて、歌が得意で楽院が大好きで通ってきます。けれど、お姉さんも、かつては「お稽古を辞めたい」と嫌がっていた時期があるのです。Tくんも、今は辞めたいと思っても、きっといつか、音楽が特技となる日がくるはずです。しかし、今辞めると、それはかないません。お姉さんは音楽会に出て、Tくんは出ないという寂しいこともあるかもしれません。そうしたマイナスなども想像させ、子どもがどうするのが、一番、最良かを考え、その道に導くことが大事です。

親御さんの意思で多少、コントロールがあってもこの時期はよいと思うのです。何しろ、相手はたった4歳であり、自身の意思を尊重するには未熟なのですから。それでも、自分の心は持っているので、自ら考え、決めて、責任をとることを教えることを始めたいものです。年齢の低い子どもは、わからんちんなので、大人の言葉に一貫性が求められます。例外を許すと、大人の足元を見る賢さもあるからです。大人は、幼児の能力を過小評価せず、一人の人間として観察することが大事であると感じます。
by k-onkan | 2012-06-21 23:10 | お稽古事 | Comments(0)