麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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楽院の子が光るものは・・・~合気道合宿5日目~

合宿最終日の朝は、疲れている子供たちを少しでも、長く寝かせたいと思いました。睡眠不足になると、注意散漫になり、怪我が増えるからです。しかし、道場には、一般の方が朝稽古に来られます。ギリギリまで寝かせ、純子先生をはじめ、大人が汗だくになりながら、布団を片付け、その間、小学生には用意をさせ、幼児部は寝かせ、何とか6時半に間に合わせました。

e0143522_14361215.jpgただいまコンサートで、演舞を披露する予定の高島先生は、熱心に朝稽古で合気道を教えてくださいました。いつもなら、マラソンや体操に私たちもつきあっていますが、その間の時間が、有効に使うことができました。朝食の後は合唱練習です。こちらも、合気道に負けないよう、披露する歌の練習と、曲目紹介を確認しました。また、前日、保護者に見せるチャンスを得た班はスタンツの練習を行いました。

スタンツの難しさは、出し物を考えてきた班長の構成力と指導力にあります。何が起きているのかが分からない1年生を上手に組み込み、出し物を成功させなければなりません。今回、選ばれたのは、3年生の甥Y率いる1班の組体操と総班長率いる3班のダンスです。こうした指導では、木下式の「先導」がたいへん役に立ちます。次の動きに変わるタイミングを見計らって、「扇!」「ブリッジ」「ダンス」と声をかけると、低学年も次の立ち居地が理解できるのです。低学年が上手にできないと、叱られるのは班長です。「もっと、聞こえるように教えなさい」とYは指導力の無さを指摘されていました。

3年生のYは、平素、学校ではリーダーシップを発揮していると言われますが、私たちの前では、中途半端な甘さを見せます。組体操でも、1年生に声を荒げる代わりに、自分が全てを負担して、次の場所まで、押して動かしてあげて解決しようとします。一見、優しさのある行為に見えますが、これではいつまでも、自分でできるようになりません。はっきりと声を出して、「次は、ダンス」「足上げ」「扇」と声をかけ、1年生が意識を持って取り組めるようにすることこそが、本当の指導力であり、優しさです。

午前中の練習を終え、荷物整理と掃除をして、昼は楽しみにしていた流しそうめんです。道場のテラスにテントを張って、レンタルした流しそうめんセットを組み立てました。楽院で一番、ワイルドな純子先生は、「これなら、竹を買って、木下先生と作れると思う」と言い出しました。来年は流しそうめんセットも楽院の手製になっているかもしれません。子供たちは、箸でそうめんをせき止めても、いざ、それをつかもうとすると、全て流れてしまいます。流しても、流しても下に落ちてしまいます。最初に、とり方を教えるべきだったかもしれません。

群衆心理なのかもしれませんが、子供たちは、流しそうめんをいくら食べても、「お腹いっぱいになった」といわず、ひたすら食べ続けました。また、流しそうめんのほかにも、みかんやさくらんぼ、ナタデココやミニゼリーなど、楽しいものも流していただき、子供たちは、大満足でした。最後に、小学生の高学年が、私たちのために、そうめんを流してくれましたが、これも修行を積まないとうまくならないようです。1回だけ流していただき、後は、流さずにいただきました。

しばらくお昼寝の時間を作り、いよいよただいまコンサートの時間です。最初に野外活動班長から、高島先生にお礼の言葉がありました。少し、震えた声でしたがやり遂げました。その後、合気道の演舞を披露しました。合気道は礼に始まり、礼に終わると言われ、正座をして神前に礼をして、先生に「押忍」と言って、始まりました。基本の型に始まり、それはたくさんの技を保護者の方に見せることができました。楽院の子供たちは、声を出すことと、一斉口答をすることを、平素、音感教育を通して学んでいます。そのため、合気道の型は、不出来でも、声だけ聞くと、すばらしい演舞会でした。たった4回のお稽古で年中から5年生まで20名の子供が演舞を披露できたことに、保護者の方は、驚かれましたが、これも、高島先生の熱心な指導のお蔭です。ありがとうございました。

合気道が終わると、合唱です。子供たちが、平素、習っている合唱が、合気道の演舞に負けるわけにはいきません。子供たちも、本番になると、急に本気を出します。また、道場は音響がすばらしいので、とても、上手に聞こえました。5日間、子供たちと生活を共にされた高島先生は、楽院の子供たちの行動の遅さや、自立していない姿をご存知です。しかし、合唱を聞くと、ふだんからは想像できない上手さで、「やはり、歌がとても上手で、すばらしい」とお褒めの言葉をいただきました。普段の生活が情けなくても、何か一つ光るものがあれば自信を持て、それが、その人の生きる道になったりします。「何か一つ光るところがあればいい」と、木下先生はよくいいます。楽院の子供たちの光るところは、やはり、その歌声にあるようです。5日間、情けない姿ばかり高島先生にお見せしてしまいましたが、うちの子供たちの光るところを見せ会を終えたことをうれしく思っています。そして、何より、事故も病気もなく、お預かりした20名全員を無事にお返しできたことに胸をなでおろしています。
by k-onkan | 2012-07-31 23:34 | 楽院だより | Comments(0)

泣いてすまないことがある~合気道合宿4日目~

今朝は、合気道の朝稽古の後、武蔵五日市の自然人村へ出かけました。電車の移動は、2回目だったので、前回、「お腹が痛い」と歩けなかった子も自分から歩くようになりました。さて、自然人村は、バンガローのあるキャンプ場で、脇には川があり、絶好の場所でした。また、男性の先生が、川遊びの相手をしてくださり、アウトドア専門の先生が、たくさんご馳走をご用意くださり、子どもたちはとても良い思いをしました。

e0143522_843120.jpgしかし、残念なこともありました。野外活動班長Tくんがお世話になる方々への挨拶をした時のことです。プレッシャーに負け、涙ぐみながらの挨拶となってしまいました。昨今は、高校球児でも、バッターボックスに立つと、その緊張感から涙を流す人がいるそうですが、子供であっても与えられた責任に涙を見せると、楽院では、とても叱られるのです。

「先生が挨拶を当てるのは、お母さん、お父さんに少しでも良いところを見せてあげたいという親心なのに、涙でごまかそうとするとは・・・」と叱りました。これでは、せっかく、ただいまコンサートに挨拶をさせても、プライドを持つより、プレッシャーに負けてしまうでしょう。急遽、挨拶の変更を発表しました。救いは、初参加の妹が、何事にも意欲的で幼児部の挨拶をすることですが、せっかくなら、兄妹そろっての成果を見せたいところでした。

洋平先輩が「麻奈先生に、「やらせてください」って言うべきじゃないの?」と後から助言してくれたそうですが、本人は当たらなくて内心、ホッとしていて、「いい」と答えたそうです。「僕らの頃は、挨拶をもらうと嬉しかったものなのに・・・」と若い先輩も時代の変化に驚いています。平等教育の弊害は、こんなところにも、現れています。選ばれた人しか挨拶ができなければ、それがステータスになったり、プライドがもてるでしょう。しかし、努力せずとも、みんな平等に何でも手に入ると、ありがたみが分からなくなるだけでなく、自分の道を切りひらくという気概は失われます。何にしても、男の子を男の子らしく育てるのは、現代の日本では、本当に難しいと痛感しています。

さて、川ではただ遊ぶだけでなく、子供たちが真剣に、泳ぎを勝負する時間も作りました。本来、泳ぎを習う最大の理由は、水害時に自分の命を守れる力をつけるためす。水がきれいなプールの水なら、たくさん泳げても、にごった水に顔がつけられないようではお話になりません。3年生のRくんに「どれくらい泳げるか、先生に見せて」というと「何で泳げばいいんですか?」と種目を聞かれてしまいました。けれど、災害時は、種目を考える前に、泳ぎ始めなければなりません。こんなところにも、今の子供たちの受身の姿勢が見え隠れするのです。

そんな中、泳ぎが苦手に見えた1年生のMくんが、「寒い」と言い出し水に入ろうとしなくなりました。班対抗で、泳ぎを競うことになったのが、苦痛だったのでしょう。Mくんは、得意なことは喜んで取り組めるのですが、苦手なことに怒ったり、泣いたりして逃げようとするのは、泳ぎについてだけではありません。班対抗の競技には、好む、好まざるに関係なく、全員に参加させました。楽院の行事の特徴は、それが、何であっても、必ず、目的や責任をまっとうすることです。肝試しなら、お札を持って返ってくること。泳ぎの競争も、誰一人「気分が乗らないからやらない」との言い訳はたちません。楽院の合宿では、「ただ、なんとなく楽しく過ごしたり、無感情に過ごす」などということはできません。だから、どこの合宿より、楽院の合宿はつらいのです。

夜は、恒例のキャンプファイアーの代わりに、お楽しみ会をしました。お世話になったビルのオーナーにもご参加いただき、合気道や暗誦、各班のスタンツを見ていただきました。明日、保護者の方に見ていただく出し物も選び、最後に、各班のリングの数を集計しました。子供たちは、良い行いをしては、「リングはいくつくれるの?」とねだり、他人の悪い行いを見ると「いくつ、マイナス?」と人を陥れるようなことを言って、私たちを怒らせました。リングでポイントを競うのは、各班が団結し、仲良くなったり、先輩が後輩を育てるためです。スーパーマーケットの「ポイント集め」とは意図が異なります。

班長は、リングが数少なくなると、後輩が悪いことをしないように「ダメだよ」「気をつけて」とよく指導します。反対に、たくさんリングがあると、気持ちが大きくなるのか、多少、悪いことをしても、「リングを返せばいいんでしょ?」という態度になります。お金がないと、節約して、お金があると無駄遣いをする感じに似ているかもしれません。私は班長たちに「リングを返さなくてすむようにしつけをしなさい。今、これが、できないと、大人になって、自分の子供を持っても、言うことをきけない子供に育ててしまうから・・・」と。

「Aちゃんが、勝手な行動をすると、班のみんなで一生懸命ためているリングがなくなってしまう。悪いことをしては駄目だよ」と幼児にも分かる説明が必要です。ここでの、「リング」は社会的地位や、自尊心などを現しているかもしれません。たとえば、実社会で子供が社会的な罪を犯せば、その親の社会的地位や信頼、職が失われることがあります。リングの収集は単なる足し引きの計算ではなく、自分がしたことで、班員に迷惑をかけるlことが、あるということを教える意味もあります。

何か失敗をしてしまったら、班長に「リング5つ返して」ではなく、「もう二度としません。ごめんなさい」と思える人になってほしいのです。初めて、聞いてから15年以上経ちますが、最近は、「子供の保険」があるようです。子供が、他人の物や友達を傷つけてしまったりした時のために、加入すると、医療費や相手に大しての賠償をするようです。怪我をさせたり迷惑をかけた相手に支払うお金の心配をする以前に、人を傷つけない子供に育てることが大切であると私には思えるのですが。私たち大人は、子供に「間違いや失敗もお金で解決できる」という考えをすでに与えてしまっています。

さて、挨拶の度に、涙を流したTくんですが、一つ、とても感心したことがありました。それは、夜中にトイレに起きた時、無意識にスリッパをそろえていたといいます。これは、リングを稼ぐためでなく、家庭生活から身についていた行動でしょう。Tくんには、格好悪くても、ただいまコンサートに挨拶をさせようと思っています。本人が、「挨拶をしないこと」に安心しているのでは、「挨拶を取り上げても、教育意義はないからです。世の中には、泣いてもすまないことがたくさんあります。失敗しても、つらくても、情けなくても、やり遂げなければならないことを子供のうちに知らせておきたいのです。
by k-onkan | 2012-07-30 23:03 | 楽院だより | Comments(0)

卒業生が宝なのか!?~合気道合宿3日目~

今日、ある方から、「明日の水遊びを手伝いたい」とのありがたいメールをいただきました。私たちは頑張っている子どもたちの様子を垣間見ていただくために、外部のレクリエーションには、保護者のお手伝いも受け入れるつもりでした。しかし、やはり、合宿中は、親御さんにも我慢していただき、見学は、最終日が、一番好ましいと考えるようになりました。それは、理由がありました。

e0143522_7282965.jpg実は、昨日の高尾山の登山には、年長のKちゃんのお母さんが参加してくださったのです。早朝、落合駅でグループに合流していただきましたがが、娘のKちゃんは、お母さんを見つけると、不機嫌そうに「お母さん、なんで来たの?」と言うのです。どうも、自分だけが赤ちゃん扱いをされたと思って、プライドが傷ついたようです。

その上、お母さんに他の子の引率のお手伝いをお願いすると、今度は、自分のお母さんを人にとられたようで、かえって切なそうになりました。結局、山登りの1回だけお手伝いいただき、水遊びは、Kちゃんから「来ないで」といわれ断念されました。

そんないきさつを、メールをくださった方に、お知らせしました。楽院の合宿は、幼稚園や他のおけいこの合宿と比べれば、厳しく、自分の思い通りにならないことが多くあります。平素、家庭内なら、許されることが、許されないことが多いものです。そんな中で、少しずつ、自分のわがままを是正し、他人と協調するようになってきています。ここで、ご両親にあって、反対表現で、「なんできたの?」と可愛くないことを言ったり、甘えが出てしまうのでは、せっかくの合宿の意味がありません。そんなことから、お手伝いをお断りしました。

保護者の方々は、私たちが、慣れない首都圏での合宿に、いろいろとご心配くださっていることと思いますが、仙元館の高島先生は、子供の指導に慣れた方です。また、そのお人柄から、大勢の協力者がおられます。山登りや水遊びなど、それは、大勢の方に恵まれた私たちは、幸せです。

そして、わが楽院も大勢の卒業生が、かわるがわる顔を出してくれます。今日は、高校2年のMちゃんが朝稽古から茶の湯体験まで、丸一日、子供たちの世話のボランティアに来てくれました。朝稽古が終わると、「うわ~、この急かされるような緊迫感が懐かしい」と嬉しそうにいいます。そして、「こんなに楽しいことをしていたんだ・・・」と昔の合宿を思い出します。どうも、肝試しや合唱など刺激的なことの印象が強く、楽しいレクリエーションについては、あまり記憶にないようなのです。後輩たちに、それは優しく良いお姉さんをしてくれました。

また、合唱練習には、大阪で木下式を勉強した茜先生がピアノ伴奏の手伝いにも来てくれました。そのほかにも、中学校の野球のコーチをするWくん、音楽大学の1年生となったYちゃんなど、それは大勢の人が、合宿の成功を祈り、訪ねてきます。卒業生たちは、長年のつきあいなので、どんなに長く離れていても、楽院の生徒としての感覚は、すぐに思い出し、私たちをよく理解し、上手にサポートします。

卒業しても、楽院をたずねてくれたりする卒業生がいることが、私たちの喜びです。そして、何より驚かれるのは、来てくれる卒業生が、在学中は、みな共通して、楽院を嫌いだったこと、それなのに、大人になっても、楽院を帰る場所として、位置づけるのは、やはり、楽院での生活で得たものが、何かの宝になっているということでしょう。
by k-onkan | 2012-07-29 23:25 | 楽院だより | Comments(0)

アイスクリームに怒っても・・・~合気道合宿2日目~

合宿二日目は、高尾山の登山へ出かけました。朝は道場に敷いた布団を片付け、朝稽古はせず、すぐに朝食をいただきました。今朝は、手作りチーズとコーンのおいしいパンにフルーツに飲み物です。食事が終わり、最寄り駅から地下鉄、JRで高尾駅に向かいました。途中、歩くのが得意ではない年長のHちゃんが、「具合が悪い」と言い出しました。混雑する電車の中、木下先生がひざに座らせると、すぐに、吐き戻し、木下先生の洋服もぬらしてしまいました。けれど、朝食後は、全員、検温もしています。吐いた理由は精神的なものであることも、見れば分かります。

e0143522_68121.jpgしかし、途中、他の子に迷惑をかけるわけにはいかないので、結局、Hちゃんは、最年少のKくん、最年長の木下先生と、ケーブルカーで頂上に向かいました。電車の中で、具合が悪かったことなどなかったかのように、すっかり元気になったHちゃんは、友達を待つ間、Kと二人、サル園を見たり、景色を見たり、楽しく時間をつぶしました。合流後、みんな一緒に薬王院を参拝し、幼児はそこでお弁当です。幼児は、おにぎり二個と、持参した缶詰をほぼ、全員が食べきったことにとても驚きました。

体力的に幼児部は限界が近づいていたため、帰りの幼児は、ケーブルカーを使うことにしました。足手まといがなくなった児童部は、コンクリートで舗装された道ではなく、険しい山道を下りることにしました。山歩きと、小学生の会話を楽しむことができたそうです。こうした登山の活動は、仙元館の皆様のお力を借りなければ、実現できないことでした。この場をお借りして御礼申し上げます。

さて、ふもとに一足先に戻った幼児部は、おやつを食べたり、虫を見つけたりと楽しく過ごしました。すると、Hちゃんが、「全然、楽しくなかった」と不平を口にするのです。きっと、みんなが楽しそうな様子がつまらなかったのかもしれませんが、みんなが一生懸命、登山をしている間、ケーブルカーに乗り、特別扱いをされた上に「楽しくなかった」というのは、いくら子供とはいえ、許してよい言葉ではありません。「楽しくなかったなんていう人は、もう山に残りなさい」と叱りました。自分が苦手なことがあったとしても、「まったく楽しくなかった」などということはなかったのです。楽しそうに、みんなで、「だるまさんが、転んだ」のゲームにも興じていました。小さな幸せを忘れ、不平不満ばかりを口にしていたのでは、決して、それ以上の幸せは手に入りません。

子供たちと、寝食を共にすると、平素、いかに、子供たちが自分中心に大切にされ、何事もお膳立てされて、生活しているかが分かります。たとえば、小学生になっても、どれが自分の物かが分からなかったり、物を探せないこともあります。それほど、意識なく暮らすことが可能なのでしょう。ただ、物を差し出して、口をきかなくても、自分の思い通りになるのが当たり前のようです。しかし、世の中は、自分中心に物事が動くことの方が少ないものです。幼児たちの中には、お小遣いで買ったアイスクリームが、夏の暑さで溶けることに対して、「もう、どうして、溶けちゃうんだよ」とアイスクリームに文句を言い出す5歳の男の子もいました。夏にアイスクリームが溶けるのは当たり前です。私たちが、できるのは、一生懸命、溶ける前に食べるのみですが、アイスクリームにさえ、怒りをあらわす子供は、暑い山頂で、アイスクリームを買える幸せが理解できないのでしょう。こうしたことがあるから、「自分が中心ではない」と理解し、神妙になる、肝試しが必要なのだとつくづく考えさせられました。

さて、予定通り、道場に帰りつき、子供たちは、シャワーを浴びて、夕食です。冷やし中華に餃子、おにぎりもありました。子どもたちは、一生懸命、お皿を空にしていました。その後は、怪談です。幼い子供たちには、言葉の意味が分からず怖さは理解できなかったかもしれませんが、3年生のYの嗚咽とも思える泣き声が響きわたると、さすがに、、「何か怖い話を聞かされている」と感じたようです。

怪談が終わり、「全然、怖くなかった。もっと怖くても平気だったのに・・・」という小学生がチラチラありました。子供たちが、終わった安心感から、軽口が出ることも見逃しません。そこで、「さて、怪談の後は、一人ずつ、暗い廊下を歩き、カードを取りにいきます」と説明しました。「尾瀬の山でなければ、肝試しはしない」と思っていた子供には、不意打ちでした。何も感じない顔をしていた子どもも、突然の肝試しに、急に怖がりはじめました。

幼児部は4人ずつ、先生が引率して、カードを取りにいきました。お化けに出会った子供たちは、とても神妙になりました。戻った後、「怖かったでしょう?明日から、いい子になろうね。憎らしいことを言ったり、先生に話しかけられているのに無視したり、しては駄目なのよ」というと、幼児部は全員「いい子になる」と言い出しました。Hちゃんも「今度から、お腹が痛くても、みんなと一緒に登る。」「可愛くないことも言わない」と言い出しました。肝試しの効果は、何事も自分の思い通りになると思っている子どもに、世界の中心が自分ではないことを知らせる儀式かもしれません。たとえ、泣いても、一人ずつ、カードを取ってくると、やり遂げた顔になるものです。こうして、少しずつ、怖いものを克服したり、人間の非力を学ぶのです。これは理屈ではありません。怖いものを怖いと感じないのは、恐ろしいことです。自分の命を危険にさらさないためにも、想像力や心の目、感性を養っておく必要があるからです。

子供たちは、肝試しが終わり、自分の目で見て、耳で聞くようになってきました。こうした踏み込んだ指導がが、当たり前の人間に成長させるために、役に立つのです。お化けの前を走って通り過ぎてでも、何とか目的を達成して戻る子どももいれば、お化けの前で座り込み、前へ進むのをあきらめること、はたまた、お化けに「こんにちは、こんにちは」と愛想を振りまき、自らお化けの仲間になろうとするものもいます。それぞれの性格はこんなところにも表れているのかもしれません。

その昔、肝試しが大嫌いだったH先輩は、今では、それは上手にお化けの役をやります。引率する私の声がけから、「やりすぎてはいけない相手」「怖い思いをさせなければならない相手」を悟り、上手に、出したり引いたりします。これも、子供の頃の肝試し体験によるものかもしれません。子供にとって、これが必要であることを、一緒に山登りをした時の後輩の馴れ馴れしい態度から感じるのでしょう。

子供の頃に生意気なことを言って、叱られた経験があるからこそ、肝試しによって、子供が神妙になったり、大人を心の底から、信頼することを知っているのです。そうした先輩に、楽院の合宿は支えられています。明日は、今年高校2年生になる女の子M先輩が、一日、ボランティアで手伝ってくれます。在籍中は、楽院がまったく好きでなかったのに、今になって、その指導が良かったと思ってくれたようです。大勢の方々によって、普段は、経験できないことを体験するのも、合宿の楽しみといえるものなのです。
by k-onkan | 2012-07-28 23:30 | 楽院だより | Comments(0)

危険な行為は失点~合気道合宿1日目~

合宿初日の今日は、団結式の後、荷物を持って、道場に入所しました。道場への入り方、挨拶の仕方などを教えていただきました。その後、楽院に戻り、合唱練習です。人数が少ない分、一人ひとりに細やかに教えることができます。ふだん、目立たなくても、合宿では、一人ずつ歌わせられるので、逃げ隠れできず、これが力となるのです。

e0143522_6482840.jpg合宿の定番の山の歌や、小さな子が初めて歌う童謡、幼児部と共に歌う曲など、10曲ほど、レパートリーを練習しました。その後は、お昼ごはんです。近所の木陰と水辺のある公園に行くことも考えていましたが、熱中症が心配だったので、急遽、机を並べてお母さん手作りのお弁当を、教室でいただきました。その後、生活班長によって、ごちそうさまの挨拶、そして、暗誦班長のRくんが全員に「雨ニモ負ケズ」を教えてくれました。

楽院の合宿では恒例のことですが、各班の班長は、首からひも付きペンをかけ、リングを集めています。良い行いをしたり、秀でたことがあると、大垣先生からリングをいただき、その数を競ったものでした。数が一番、多い班は、最終日にご褒美をいただいていました。

今回から、私の管理となり、少しルールを変えました。まず、子供たちに、「何をしたらリングがいくつ欲しいか」を考えさせたのです。たとえば、難しい暗誦を幼児に教えられた班にはリング5つ。小学生なのに覚えられない人がいる班は、一人につきマイナス5。公共の場で私たち指導者に怒鳴り声を出させたら、マイナス3。静かに整列したらプラス3などです。特に道場の先生に本気で怒らせたら、マイナス5と、多めに設定しました。幼い頃から教える私たちに対する甘えは、致し方ありませんが、よその先生へのご迷惑は最小限にしたいと思うからです。

ご褒美が加算のみであると、恵まれた子供たちはペナルティーの存在を知る機会がありません。そこで、マイナスも設定しました。最もマイナスが大きいのは、危険な行為をした時のマイナス7ポイントです。その他にも、合唱中、行儀の悪さを指摘されたら、マイナス5など、いろいろ設定しました。マイナス設定が多い分、最初に、各班にリングを50個ずつ、渡すことにしました。この中から、足したり、減らしたり、自分たちの行動に注意をさせているのです。

さて、夕飯は子供が大好きなおいしいものを作っていただきました。ちらし寿司にポテトサラダ、鶏のからあげに、小松菜のスープ。大人でも十分の量を完食した子供が10人もおり、中には、おかわりまでいただいた子もいました。残さず食べた人がいた班は、一人1ポイント加算しました。

さて、食事中に、子供たちは、箸を口につっこんだまま、なぶったり、箸を振り回して、会話をします。これは、とても危険なことで、何度も止めましたが、一向に、改善されません。子供たちには、私たちが、なぜ、お箸について、そこまで、うるさく言うかが分からず、「せっかく楽しく過ごしているのに、先生は、うるさい」くらいに思っているのかもしれません。そこで、「お箸やとがったもの」がどのように怖いか、昔の事件について話して聞かせました。

それは、10年近く前のニュースだったと思います。綿菓子を食べながら歩いていた子どもが、何かの拍子に転び、棒で喉を突いてしまったのです。すぐに、救急車で治療を受けましたが、気の毒なことに、その子は、経って、命を落としたと聞きました。

子供たちは、何の根拠もなく、「大丈夫、大丈夫」と言って、危険が隣り合わせのことも平気です。それは、「もしかしたら、こんなことが起こるかもしれない」と想像するには、経験が不足しているからです。私たち、大人が子供のためにできることは、残酷であっても、潜んでいる危険について、正しい情報を知らせることではないかと思います。子供が、自らの命に対して、少しでも慎重であって欲しいと思うからです。

子供に本当の話をすることに対して、「子供だからこそ、まだ怖い思いをさせたくない」と抵抗を示す親御さんもあるかもしれません。しかし、本当に怖いことは、怖い話をして怖がらせるより、子供が何も知らずに、危険に近寄り、命の危機にさらされることだと私は思うのです。子供たちは、少しだけ神妙な顔をして、お箸の怖さに耳を傾けていました。もちろん、すぐに忘れて、危ないことをするかもしれませんが、しかし、注意しないよりすべきであり、それは班長の減点ポイントです。

夜は、班長が考えてきたゲームを行い、みんなとても仲良くなれたようで、とても楽しく過ごしました。道場の畳に、ふとんを敷いて、就寝しましたが、誰一人、お母さんを恋しがったり、涙をしたりする子もおらず、お母さん方にご報告するのが、申し訳ないような気がします。
by k-onkan | 2012-07-27 23:45 | 楽院だより | Comments(0)

楽院の講師紹介~合宿のしおりより~

明日からの合宿も、いつもの最強のメンバーです。合宿のしおりの講師紹介のページから、だれのことかわかれば、あなたも楽院通かもしれません。

e0143522_2133020.jpg久しぶりに会った卒業生は必ず「穏やかになって心配」「昔ほど厳しくない」と親しさの表れで無礼なことを口にします。確かに二十年前に比べれば、体力は弱っているかもしれませんが、音楽に対する感性は年齢を経て、益々、鋭くなっています。「子どもが一番可愛いのは、親元を離れた時である」と言います。現代社会は草食系男子ばかりとなりましたが、合宿期間中、子どもたちには未知との出会い、古き時代の父親の怖さを示し、ビクビク、ドキドキ、そして、髭ゴリゴリで可愛がっていただく予定です。

今年で楽院の合宿は34回目を迎えます。初めて合宿を行なった際、この先生に「私の代わりに息子におっぱいを触らせてください」と言われたお母さんがありました。その時、一緒に参加した5歳の女の子が今では立派なお母さんとなり、今年は5歳の末っ子を合宿に送り出します。それほど楽院の合宿は長い歴史があるのです。子どもたちはこの先生を優しいお祖母ちゃん代わりと甘く見るかもしれませんが、世の中で、一番、怖いのは、口うるさい人より静かに物言わぬ人であること教えるのが先生の役割です。

兄と弟の間に育った先生は、私たち3人の中で誰よりも男の子の気持ちを理解して甘さを見せずにつきあうコツを心得ています。一般にお母さんに大事に育てられた男の子は、自分で荷物を管理して、時間通りに行動することが苦手です。そのため、男の子はいつも探し物をしています。そんな時、男の子の気持ちになり代わって必ず必要な物を見つけ、集合時間に間に合わせてくれるのが先生です。但し、銭湯体験は、男子班についていけないので、仙元館の先生と先輩に託します。

「若い頃、あんなに優しかったのに、最近、麻奈先生より怖くなった」と卒業生が口にします。きっと、二人の息子の子育てが母として、指導者として育ててくれたのでしょう。音感の授業では厳しいですが、幼い子どもの心の動きには誰よりも敏感です。幼児部のお子さんが寂しがったり、心細くなった時には、若き日のまゆみ先生のようにお母さん代わりをしてくれるでしょう。

幼い頃、「楽院を辞めたい」と毎週、電話をしてきた先輩ですが、成長して誰よりも楽院のことを思って、毎年、合宿の手伝いを申し出てくれるようになりました。子どもたちは先輩と関わることが大好きですが、甘やかし過ぎず、責任ある態度の手本を見せて欲しいと思っています。

さて、それぞれ、どの先生のことだか分かりましたか。この他に、ボランティアやお手伝いに先輩やお姉さん先生が参加予定で、後は、道場にいらっしゃる大勢の先生方のお世話になります。
by k-onkan | 2012-07-26 21:33 | 楽院だより | Comments(0)

卒業生が証明する合宿の意義

講習会が終わった楽院は、明後日から行われる合宿の準備に追われているところです。昨年3月、未曾有の大震災と原子力発電所の事故が起き、夏期合宿は中止を余儀なくされました。急遽、幼児部は我が家でお泊り保育、小学生は毎日、楽院に通う夏期講習を行ないました。そんなある日、帰り支度をしていた1年生の男の子が、「いいなぁ。ぼくも泊まりたいな」とつぶやきました。社会にどのような事件が起きても、楽院に通う子どもたちにとって、みんなで一緒に寝泊りをする夏の合宿は大切な行事であることを痛感しました。

e0143522_22505899.jpg私は卒業した生徒たちとインターネットを通して今でも交流していますが、毎年、夏になると、「今年の合宿は手伝いに行きたい」とか「尾瀬が懐かしい」との声が上がります。そんな中、毎年、宿泊していたホテルがある場所が放射能が高いスポットに指定されたと聞き、「もう尾瀬には行かれないの?」という残念そうな声が聞こえてきました。生徒たちは、卒業して20年経った今でも尾瀬に遊びにいき、懐かしのホテルに泊まり、仲間と天使館と命名された音楽ホールで歌ったりしているそうです。楽院の後輩たちが尾瀬の自然を経験できないことは、卒業生にはとても残念なことですが、私たちも、いつか、事故の処理が収束し、美しい尾瀬を歩ける日が来ることを心待ちにしています。

「子どもの頃は辛くて嫌いだった楽院の合宿が、後から考えると、自分の人間性を形成した一因であり人生の糧になっている」。「どんなに走るのが遅くてもマラソンをしたことで根性が身についた」。「連日の練習が辛くても歌が上手な先輩に憧れ、みんなで乗り越える一体感があった」。「楽院で育った仲間のつながりが、卒業してもなお強いのは、幼児から中高生までの幅広い年齢層で、単に先輩、後輩の関係に留まらず、同じ厳しさの中、何かを成し遂げる経験をしたから」と卒業生は口をそろえ、感謝の意を表します。そして、これは誰より私自身が生徒として、指導者として体験して自信を持って皆様に言えることでもあるのです。

今年は、幼児部、児童部のお子様と共に道場に寝泊りをして合気道を学び、楽院のホールで音楽の勉強をします。また、レクリエーションの登山や川遊びには、招聘講師の先生方や、楽院の卒業生の力も借り、万全の体制で臨む予定です。お子様を送り出されるご両親にとって、お子さんの声のしない寂しい5日間となりますが、成長したお子様を無事にお返しする予定です。過剰な心配はせず、でも、たまには、思い出していただければと思っています。
by k-onkan | 2012-07-25 22:49 | 楽院だより | Comments(0)

道を誤らないで欲しいから

最近、いじめをした未成年が逮捕されるニュースをよく見かけるようになりました。これは、大津の中学生の自殺事件を受けてのことでしょう。たとえ、未成年であっても、悪い行為をすれば罰せられるという制度は、未熟な若者の行動を抑制するために、必要であると思います。残念ではありますが、厳しく取り締まるべきでしょう。

e0143522_22435766.jpgしかしながら、たった13~15年しか生きていない子供が、大それた事件の加害者になるのは、まわりの大人が、それまでどのように関わってきたかにも大きな責任があると感じます。なぜなら、子供は、勝手に一人で悪事をひきおこす人間に育つわけではないと思うからです。人間は育てられたように育つものです。その子どもを育てた親や教師、回りにいる大人の責任も決して軽くはありません。

子供が悪いことをしたら、本気で叱る大人が必要です。親であれば、悪い道に進もうとしているわが子に気づき、正しい道に引き戻すことに心をくだいて欲しいと思います。昔の親は、わが子の心の変化にもっとよく気づく観察眼も厳しさもあったように思います。

先生と呼ばれる人も、もっと熱心に教えたり、本気で叱った時期もありました。しかしながら、いつしか、教育現場は、一定の時間をただ過ごすだけのサラリーマンのような教師が増えてしまいました。子供のことより、自らの保身が大事なようです。子供に道徳や人の道を教えるより、いかに自分だけが得をするか身をもって教える大人も増えてしまいました。そんな中で、子供にだけ、まともに育てというのが無理なことのように私には思えるのです。

大津の事件が起きて、テレビでは、校長をはじめ、教育委員会が事実を隠蔽する姿が問題視されました。テレビを見ていた木下先生は、「教育委員会をなくさなければいけない」と怒っていましたが、私はもっとずっと冷めた気持ちでした。なぜなら、数年前、小さな出来事でしたが、公立校の校長先生が問題解決より、事件を穏便に済ませることに本気で心をくだく姿を目のあたりにしたことがあったからでした。

私は、自分が関わる子供は、加害者にも被害者にもしたくはありません。ですから、どんなに嫌われても、駄目なことは駄目だといいますし、他人を追い詰めるようなことをしたら、同じ目にあわせることでしょう。子どもが可愛いからこそ、他人を傷つける子供にはしたくありません。反対に、他人から傷つけられても、何もいえないような弱い子にも育てたくはないのです。子供には、誰でも、幼く可愛い時期はあるものです。しかし、どちらの道に進むかは、子供がかなり幼い頃にその方向性は決まっているように見えるのです。だから、大人の責任は重大だと思うのです。
by k-onkan | 2012-07-24 22:40 | Comments(0)

育てられ、育ち、また育てる

講習会の最終日に私は、とても不思議な感覚になりました。それは、楽院の卒業生であるA先生が検定試験のために、壇上でハ長調の音階を歌った時のことでした。私はピアノを弾きながら、子供だったA先生を独唱させ、親御さんに聞いていただいた時とまったく同じ気持ちになっていました。そして、A先生の横顔は、大人の顔ではなく、年長だったAちゃんの顔が見えたように思いました。教育会議のために、ご夫妻で上京された園長先生が心配そうな表情で見守っておられたのも、ご両親としての顔に見えました。

e0143522_20555480.jpg思えば、私が皆さんに、試験を受けさせる立場になりましたが、20数年前には、私もA先生のように、壇上で試験を受けたものでした。また、認定講師になるための公開学習は、このA先生たちが在籍した頃でした。あんなに小さかった子が、大人になり、子どもを指導する側になるのですから、私が年を取るのも当たり前としみじみ思います。

A先生の成長にも、自分の年を感じますが、身近な甥たちの成長もまた年齢を重ねさせます。
この3日間、講習会を手伝ってくれた3歳の甥Kに、「ご褒美、何にしようか?」とたずねると、「誕生日に、消防車もらったから~」と言葉が途切れました。私は、Kが何か他のおもちゃをねだるだろうと思っていました。ところが、とても愛しい言葉が返ってきました。「(自分も誕生日をもらったから)次はまぁちゃんの誕生日に、Kちゃんが、何か買ってあげるよ」というのです。

「でも、Kちゃんは、子供だからお金も持っていないでしょう」というと、「大丈夫だよ。お兄さんになったから、買ってあげられるよ」といいます。こんなに小さくても、心が満たされていれば、「物が欲しい」という思いより、「他人に何かしてあげたい」と思えるのかと、妙にうれしくなりました。

A先生が大人になるまで、あっという間だったように、この甥たちが、大人になり私のために手助けをしてくれるのも、ありえないことではないのかもしれません。何しろ、最近では、兄甥は、私より詳しいことが増え、「これは、こうだよ」と生意気にも物を教えてくれることが増えてきました。子育ての喜びは、教えた子供が、立派になり、教えた側を越えていくことなのだと思います。

子供として育てられた私が大人になり、次の子どもを育て、その子供がまた、次の世代を育てる大人になる。これは、もしかすると、一番、人間として、幸せを感じることなのかもしれないと思います。「自分の幸せ」「自分の夢」を考え努力し、実現することも大事なことですが、それ以上に、自分以外の人のことも考えたり、次世代を育てたり、社会にかかわり、他人のためになることができることも、子供に教えたいことだと思うのです。
by k-onkan | 2012-07-23 23:54 | 子育て | Comments(0)

卒業生だからこそ

講習会の最終日には、試験があります。そのため、試験を受ける先生は、毎日、遅くまで自主的に練習して帰っていきます。今回は、私たち姉妹以外ではじめて、幼児期に楽院で木下式を学び、指導する側になった卒業生A先生が試験を受けます。A先生は、3人姉弟の真ん中で、幼児期は毎週、仙台から東京まで、楽院に通っていました。両親が音楽の専門家であり、お祖父さまの幼稚園では、木下式を採り入れていたため、姉弟にとって、木下式を受けることに疑問を持つ前に、とても自然なことであったのでしょう。特に、次女のA先生は、「お姉さんに追いつきたい」と意欲と強さを持った女の子でした。一般に、小さい頃の長女が気弱でおっとりしているので、意欲のある次女は、何でもお姉さんと同じことします。A先生も、常にライバルは二年上の姉で、歌も聴音も、お姉さんを追いこそうという意欲が見えました。また、とても三人姉弟の中で、一番、歌が好きで舞台度胸があったのも、A先生でした。

e0143522_8561035.jpgただし、時に、その自信が空回りをして、私をとても怒らせることもありました。年長の頃だったと思います。独唱の練習をしていた時のことです。私は、Aちゃんの持つ良い声を最大限に響かせたいと思い、口を開けさせたいと思っていました。ところが、次女の強さなのか、どうしても、言うこともききません。仙台という遠いところから通っているので、帰りの時間も気になりました。結局、私が引き出したい声は、出さずに、返したように記憶しています。

今思うと、若い頃の私も未熟だったのです。何とか口を開けさせたいと思い、「口を開けて」と声をかけましたが、今なら、「なぜ、開けなければいけないのか」「開けるともっと上手になること」。指導する側と、教わる側が協力して、上手になることを幼いAちゃんに伝えることができれば、もっと違ったかもしれない、そんな遠い昔のことを思い出しました。

私の昔の記憶を呼び起こしたのは、A先生の論文でした。「幼児期に学んだ木下式から、舞台度胸、意欲、達成感を学び、その後の人生の基になりました。自分が学んだ体験を、是非、子どもたちにも感じさせたいが、まだ指導者として未熟なため、子どもから意欲を引き出すことができない。子どもたちが、真剣に夢中に音感に取り組めるように、今後も勉強していきたい」。そんな文章が、私自身にもかつて悩んだことを思い出させたのかもしれません。

さて、楽院の卒業生が検定試験を受けると、私たちが甘くなると思われるかもしれませんが、実はその逆です。その昔の教え子であるからこそ、十分な力が備わっていないのに、試験を通しては申し訳ありません。検定試験の目標は、試験に通ることではありません。幼児に好ましい指導をするためのものだからです。
by k-onkan | 2012-07-22 23:55 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)