麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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手がかかるほど面白い

楽院の授業が始まり、一般の方の見学がありました。木下式の授業を見学すると感想はそれぞれですが、「見ているだけで、自分が教えているかのようで疲れる」とか、「先生のようにはとても、子供の相手はできない」いう方がほとんどです。ところが、今回、見学された方は、「子供との付き合い方で勉強になることが多かった」と言われ、私の方が驚いてしまいました。その方が、一番、驚いたことは、「同じことを、何度でも繰り返し、繰り返し、逃すことなく、指摘すること」だったようです。木下式を実践する私たちにとっては、当たり前のことですが、世間一般の教え方は、そこまでしつこくないのかもしれません。

e0143522_13354850.jpg年齢の低い幼児や児童と付き合う時は、何かが「当たり前」になるまで、何度でも、褒めたり注意したりを繰り返し、概念づけを行う必要があります。よく、「幼児は柔軟である」と言われるのは、年齢が低い子どもは、何でもすぐに覚える分、忘れるのも早いということをさしているのです。たとえば、音階の「レ」の声は、「エ」の口型、ニッコリ笑った口の型で歌わないと、音程が外れます。しかし、「エ」の口をさせようと思ったら、一緒にいる大人が何度も、飽きずに、繰り返し教えるしかないのです。一緒にいる先生が、何も言わなかったら、決して、自分から、その口型をすることは、ありません。

木下式を受けている子どもは、年齢が幼くても、言葉がはっきりしていると皆さんから、感心されます。これも、楽院では、大人が、「口型を正しく」と、口うるさく言うことを知っているので、教室の中は、自然と言葉が鮮明になります。しかし、外へ出て、「幼児の言葉は不鮮明なのが当たり前」という大人に囲まれれば、他のお子さんと変わらない稚拙な話し方に戻っていきます。これが幼児の柔軟なところです。

他にも、ふだん、私たちが気がつかないことに指摘がありました。それは、授業の中で、「挨拶をする」とか「すぐに返事をする」ということを徹底されてりうということでした。木下式で実践する「音感かるた」や歌唱訓練では、先生が合図をしたら、幼児は間髪をいれずに、答えたり歌ったりしなければなりません。「すぐに従うこと」をできるようにするためには、「何か言われたら返事をする」「人の顔を見たら挨拶をする」挨拶や返事も、私たちには、同じ意味を持っています。「今は、気分が乗らないから」とか「相手によって、従うかどうかじっくり決めよう」ではなく、瞬時に、何か言われたら反応することが、聴いた音をすぐに正しい音程で再現することに役立つためです。

一人の人間に、考えや能力を定着させるためには、幼児の頃から、長きにわかって、「それが正しいこと」と教え込む作業、つまり、概念づける存在が必要です。それは時に親であったり、社会であったり、教育であったりします。そうしたことに気づかず、自分ひとりで大人になって立派になったような気がするとしたら、それは、大きな間違いであることを子育てという作業は教えてくれるのかもしれません。自我が芽生えた子どもや、大人を教えるのに、比べると、手間もかかり、大人が神経を使うのが、幼児教育や子育てですが、ものづくりは、手がかかるからこそ、楽しいものしれません。
by k-onkan | 2012-08-31 23:33 | 子育て | Comments(0)

縄跳びも木下式で教える!

甥が通う小学校は8月いっぱい夏休みです。そのため、毎朝、瑠音先生と一緒に出勤して、ピアノの練習や勉強、工作や外遊びなどをして兄弟、楽しく過ごしています。今朝は、兄甥のYが夏休みの課題である「縄跳び」の練習をするといいます。なぜなら、Yの縄跳びは、「運動神経を駆使してもここまで下手に縄を跳べるのか?」というほどのひどさなのです。

e0143522_14363130.jpg縄跳びは子どもの頃、私も苦手で木下先生(父)の特訓を受け幼稚園の間に、500回、止まらずに跳べるようにされたものです。自分ができるようになったことは、その通り、教えることができますが、一度、教え始めたら、最後までつきあわなければなりません。教える大人も遊び気分ではつきあえないので、忙しさを理由に私はこれまで、なるべく関わらないようにしてきたのです。ところが、今朝は職員室で跳んで見せたため、私以外に、居ても立ってもいられなくなった人がいました。木下先生です。

「じぃじは、麻奈先生が子どもの頃にも教えて、500回も跳べるようにしてやったんだ。じぃじが教えれば上手になるぞ」。その声を聞いたYは、内心、とても迷惑そうです。顔色が曇ります。木下先生から物を習っている時に、悔し泣きなどするとひどく叱られることをYは経験から知っているのです。

木下先生は、何かを教えるとなると妥協がなく、徹底的に体に覚えこませることを教えます。そのため、言う通りにすれば必ず上手になります。ただし、体が覚えるまで意識を持って真剣に取り組むことは子どもにとって辛いものです。「テンポは一定だ」「ジャンプの音が重くなってきたぞ」「左右、同じ速度で回せ」・・・。その言葉には、厳しさがあります。

口で言っているだけでは、できるようにならないと知っている木下先生は、「いやだな。年をとって動けなくなったなぁ」と息を荒くしながら跳んで見せます。子どもができないことを大人がやってみせるのも、木下式です。そして、私が子どもの頃、されたように縄跳びを半分に切って、右手、左手に別々に縄を回すことを教えます。この時、左右の縄が美しく均等に弧を描かないと、ひっかかる原因となります。また、縄をまわす両手と、ジャンプする速度がずれると、縄に足をとられます。そこで、メトロノームを使って、それぞれの速度を一定にして、跳ぶ練習、手を回して縄を床に当てる練習をさせるのです。右手は上手にできても、左は利き手ではないので、腕の回転が遅れるのです。そこで、この個別練習が大事なのです。

「スポーツも音楽と同じで、リズムが大事なんだ。メトロノームに合わせろ」とついに、音楽の指導と同じになって本気で乗り出してきす。しかし、小学3年生になったYは、自我も芽生え、中々、素直に助言に従えません。一つ一つの練習が何を意味するか、納得がいかないからです。しかし、楽器の演奏もスポーツも理屈ではなく、自分の体の機能を動かせるようにするしかなく、そのためには、反復訓練で体に覚えこませるしかないのです。

悔しさと、自分の不出来な様子に、絶望的な気持ちのY。しかし、木下先生が登場すると、できるまで、終わらないことも知っています。木下先生はYが少しつらそうにすると、瞬時に優しい言葉をかけて励まし、だらけてくると、叱ります。褒めては叱り、叱っては褒めての繰り返しが、子どもを上手にするコツなのです。さて、半日経ったYの縄跳びは、まだ何百回も跳び続けられるほど上達はしていませんが、フォームが美しくなってきたところです

はたで見ていると、厳しい指導に見えますが、私が子どもの頃より、ずっと優しいと感じます。教える手法は長い年月を経て、全く変わっていなくても、我が子を教えると孫を教えるのは、心情的に違うものなのかもしれません。さて、「孫の縄跳び」の練習に、いつまで妥協なくつきあえるのか、私は密かに木下先生を観察しているところなのです。
by k-onkan | 2012-08-30 23:28 | 児童 | Comments(0)

木下式について思うこと

幼児期の子どもは、言葉を理解したり、大人の常識を知らない分、簡単に物を教えることができません。また、何か教えても、言葉を発さないので、本当に理解しているかどうかは、よほど、幼児の扱いや行動を熟知した人にしか判らないものです。しかし、これだけは確実なことがあります。それは、生後数週間から、赤ちゃんはいろいろなことを学びはじめ、その発達は、私たち大人が日々、変化する以上に速いということです。

e0143522_9193058.jpg赤ちゃんが自分の意志で、いろいろなことを自分の意志で決められるようになるまでは、保護者は一本筋が通った断定的な考えを持ち、それを伝えるのが幼児期であり、それが、将来、その子の生きる知恵、生きる力、精神力となるのです。これこそが、幼児期に与えられる教育であると私は考えています。

世の中には、たくさんの幼児教育が存在し、「生まれてくる私のために」と考案された木下式もその一つです。木下式を見学されると、大人は共通して、「全ての人に、この方法が受け入れられるとは限らない」とか「子どもが恥をかかされてかわいそう」などと言われます。しかし、生まれて数年の幼児と、何年も生きた大人では、感じ方や物事の捉え方が違うことは、忘れないでいただきたいと思うのです。

大人はいろいろな知識や常識、体得した能力がある分、「無理強いされる」「恥をかく」「つらい目にあう」などに対して、過剰に抵抗を示す傾向にあります。社会で一生懸命、働き、ストレスが多い大人にとって、これは当然のことであり、嫌な目にあわないために、日々、努力をしているのでしょう。けれど、物事の経験が少ない幼児にとっては、「恥をかいたり、友だちと競争したり、怖い目にあったり」によってしか、「傷つく」とか「恥をかく」などの感覚は養えないものです。もし、幼児にすでに、「恥をかくのがいや」「怖いものが多い」というのは、子ども自身の感覚より、親御さんを通して感じた気持ちであるかもしれません。

幼児期は、好きなことも、嫌いなことも、多少、強制されたり、無理強いされ、押し付けられる中で、本当に、自分が好きなことは何か、自分が怖いものは何か、体験を通して備えていく時期です。この時期に不愉快なことは一切、与えられずに育てても、のびのびとした良い子が育たないことは、20数年前に導入されたゆとり教育が教えてくれたはずです。私たちは、そろそろ、頭でっかちをやめて、本来、人間が持っていた動物的な勘によって、「良いもの」「悪いもの」を判断できる感覚を取り戻さなければと思うのです。

ゆとり教育の一番の間違いは、子どもにゆとりと自由を与えたことで、子どもの個性を伸ばせると考えたところにあります。その結果、子どもは自分から何も考えず、与えられたことをただ受け入れるように育ってしまいました。「ゆとり世代でも、オリンピックで活躍するスターや芸術の世界で活躍する人はいる」としたら、それは、学校のゆとり教育から生まれたスターではなく、親や周りの大人が、その子の特質を見抜き、才能を伸ばす場を与えられた恵まれた環境に育った人に過ぎないのだと私は思います。

子どもは少し不自由で閉塞感がある中で嫌いなこと、つらいことを経験するから、自分が好きなこと、反骨精神を備えることになるのです。何不自由ない生活、何の辛さも知らない生活を経験して、大人になったら困難とであったら、抵抗もせずに受け入れるか、逃げ出すしか、できなくなってしまうのです。

木下式を見学して、「もし、自分がこうして間違いを指摘されたら」と考え、「全ての幼児に、この方法は合わないのではないか」と考えるかもしれません。また、音楽の好き嫌いは個人差もあるでしょう。しかし、木下式は音楽のすばらしさと同時に、その子が生きる上で、土台となる感性を与え、ルールを教えることができる教育です。また、苦手なことも継続している中で、得意になったり好きになったりすることもあり、それは、親であっても、決して分からないことです。そんな中で、「この子に合うか否か」をじっくりと考えているうちに、一番、大切な時期を逃したくはないのです。

幼児期の子どもとつきあっていて、一番、切実に感じることは、「子どもの成長はとても早くて、大人がじっくり考えたり、学者がたくさんのリサーチをしてくれるのを待っている暇は、ない!」ということです。幼児に関わる人は、「その時、その場で、その子に一番、必要だ」と思うことを信じて行うしかないのです。たとえ、後で、「間違っていた」といわれても。

これを他のことにたとえると、目の前にいる相手に命の危険があるとしたら、何もせずに、じっと、見ているだけではいられないのと似ています。その時、自分にできる最良のことをするしかないのです。「この方法でよいか、誰か学者が証明してくれるまで、待って・・・」などと、悠長なことを言っていられない、それほど、乳幼児の成長は早いのです。

そして、何より、一番、大切なこと。幼児期に受けた教育のよしあしは、その教育を体験したことのない大人に真の判断は、できません。どんなに想像をめぐらせても、それは、想像でしかないからです。唯一、この教育について、論ずる資格があるとしたら、それは、その教育を幼児期に受けて、大人になった卒業生だけであると私は思っているのです。
by k-onkan | 2012-08-29 23:17 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

環境に育てられる子ども

私が子どもの頃は近所の空き地で弟妹と虫取りをしたり、親戚の家に行けば、自然の中で、大勢の親戚の子どもと戯れることができたりしたものです。そうした中で、自然に学んだこと、できるようになったことが多くありました。しかし、便利な現代社会では、私たちが子どもの頃の意識で生活していると、子どもたちが自然とはできるようにならないことがたくさんあることを大人は意識しなければなりません。

e0143522_1326141.jpgたとえば、声を出すこと一つとっても、広い戸外で友達と大きな声で遊んだ昔ほど、簡単ではなくなりました。便利な社会は、携帯やパソコンなど、声を出すことが苦手な人でも、意思の疎通ができるようになりましたが、本来、持っている力や機能を使う機会がなくなったということでもあります。たとえ、声を出す資質はあっても、声を出さずに成長すれば、声は出なくなります。声を出す機能は未熟でれば、どんなに昔と比べて、CDを聴いたりと、音楽を楽しめる環境が整っても、真の意味で音楽能力が向上はしないのです。

動く歩道やエスカレーター、自動ドアなどは、体の機能が衰えた高齢の方には便利ですが、幼児や子どもには、当たり前に歩く体力を備えるためには、百害あって一理なしでもあります。一般に、子どもが五体満足に生まれたら、普通に歩いたり、走ったりできるようになるものと思いがちですが、現代の生活環境はそれを許してくれないのです。

さて、週末は、甥たち二人が、木下先生(父)のところへ遊びに行きました。自然の中で、庭仕事を手伝ったり、バッタをつかまえたり、海へ入ったりと、田舎の子どものように満喫してきたようです。大家族で関わり、老若男女が多く出入りする我が家では、甥たちの言葉は、他のお子さんより発達が早いと感じます。けれど、それは、子どもたちの手柄ではなく、そうした環境で生まれたことに感謝すべきなのだと思います。

3歳の弟甥は、自分の好きなことは熱中しますが、自分の意にそわないと、見向きもしないところがあります。千葉の庭でも自分が夢中に遊んでいると、木下先生が声をかけても、返事もしなかったといいます。気づいたまゆみ先生(母)が、「じぃじに呼ばれたら、何をしていても、どんなに楽しいことがあっても、返事はしなければいけないのよ。分かった?」とお説教をされたようです。いつも優しいまゆみ先生に叱られると神妙な気持ちになるようです。ところが、後になって、こんな面白い話を純子先生から聞きました。「あのね。じぃじは、盆栽をしていると、Kちゃんが呼んでも全然、返事しないんだよ。ダメだよね~?」と言いつけたというのです。結局、祖父と孫は自分が夢中になると、人の話は聞こえないそっくりな「次男坊同士」なのでした。
by k-onkan | 2012-08-28 23:24 | 子育て | Comments(0)

音楽はやっぱり楽しい!

木下式は幼児の音楽教育であり、このブログは木下式の子育て論ではありますが、音楽以上に子育て、しつけ、教育について書くことの方が多くなりました。これは、幼児に音楽を学ばせる以前に、基本的なしつけを行ったり、親御さんがきちんとした考え方を持っていないと、せっかく音楽の勉強を始めても、何の結果も出ないお遊びのようなことになってしまうことが多いからでもあります。また、世の中には残念ながら「全ての人が、音楽を必要としているわけではない」という考え方があるものです。しかし、音楽に興味がなくても、木下式に秘められた躾と子育て論が、子どもを育てる人に絶対的に役に立つとの自負もあります。そんなこともあって、ブログはつい音楽から離れた話題が多くなります。

e0143522_18375073.jpg生まれたばかりの乳幼児は、誰でも、必ず音楽やメロディーを聞いてそれに反応し、体を動かして踊ったり、明るいメロディーを聴いて悪い、暗いメロディーを聴いて、不安になったりするものです。大人になって、「音楽が必要ない」という人も、赤ちゃんの頃のことを覚えていないだけで、絶対にそれを心地よいと感じた時期はあったはずです。しかし、その時期に、音楽を聴く環境にないと、音楽の喜びを知らずに育ってしまうこともあるようです。

人間は、太古の昔から持っていた生得的行動(教えられなくても自分からすること、歌う、話す、踊る、絵を描く等など)を、便利な社会の中で、忘れていってしまっているのかもしれません。歌うこと、話すことも、生得的行動の一つであり、どこの国にも必ず、特有の音楽や言葉が存在します。

そういう私も、毎日、日々の生活に追われたり、便利なパソコンに向かうことに追われてしまっていると、音楽を教える仕事をしているのに、それを楽しむ気持ちを忘れてしまうことがあります。それは、とても恐ろしいことです。しかし、心が追い詰められた時、苦しい時、救ってくれるものは、音楽です。一年半前の震災の後も音楽によって、人間らしい気持ちを取り戻したと感じました。

最近、久しぶりに、「音楽って楽しい」と思うことがありました。それは、長い夏休みで顔を合わせていなかった木下先生(父)が「老化防止に演奏したい」と若い頃に吹いていたクラリネットを出してきたのです。「つきあってくれ」と言われて、私がピアノ伴奏、3年生の甥Yはタンバリンを持たされて、ビートを刻みます。最初は、ぎこちなかったYも、一日、一日と、ジャズの雰囲気が出てきます。曲の感じに合わせて、大きくしたり、小さくしたり、最近は、遊び心が出てきました。

それを見て、うらやましくて仕方がないのが、3歳の弟甥Kです。「ぼくも・・・」と子ども用のタンバリンを持ってきましたが、ジャズのビートに雑音が入ると、演奏しづらいものです。ところが、3歳でも結構リズムに合わせてたたくことができるのです。これは、木下式の訓練の中に「カスタネットによるリズム奏」というものがあり、平素から、音楽に合わせて叩く訓練を行っていたことの効果もありますが、同時に、人間は、年齢が幼いほど、感覚が鋭いという証明でもあるのです。

このKですが、最近まで、とても低いかすれ声をしており、卒業生の子どもたちから、たいへん心配されていました。なぜなら、卒業生は、楽院の中で「声」がどれだけ重要な役割を持つものであり、低い声やきたない声では、音程正しく歌えるように改善するまでの苦労が人一倍、たいへんであることを肌で知っているからです。

「木下先生の孫なのに、こんな声をして、この子は大丈夫なのだろうか?かわいそうに・・・」と本心から心配していましたが、それは、同時に「こんな声でも、先生たちは、ボクたちのような美声に育てあげられるのか?」という期待感でもあるのです。これを裏切るわけにはいきません。1歳半からレッスンを開始して、最近、やっと、ハ長調の音階内であれば、音程を合わせて歌えるようになってきました。

最近は、車中で聴くクラシックのオーケストラ演奏や兄甥の弾くピアノのメロディーを口ずさむようになり、それがとても楽しそうなのです。

幼い子どもにとって、音程を外さずに歌うのは簡単なことではありません。特に、オーケストラの音楽は音域が広く、速度も速いものが多く、大人でも一緒にはずさずに歌うのは難しいものです。耳で聴いた音の高さを瞬時で喉で再現できなければなりません。Kも以前はお経のように口ずさんでいましたが、今では、自分の声域の中であれば、何の曲が分かるようにメロディーを口ずさめるようになりました。

幼児期に感覚を磨き、その上で、継続して音楽を勉強していると、年を経ても、演奏する楽しみがあるのです。久しぶりに聞く父のクラリネットは、年齢から考えればとても力強さがあるものですが、本人は、「年をとって、音が悪くなった。練習してないから、指が動かなくなった」とがっかりしています。しかし、何より、娘と孫と同じことをして遊べるのは、幸せなことです。なぜって、通りかかった保護者の方がみな、「木下先生のうちは、ご家族、仲が良くてうらやましい・・・」と思ってくださるようですから。
by k-onkan | 2012-08-27 18:38 | 音楽 | Comments(0)

八日目の蝉に思う

週末に「八日目の蝉」をDVDで見ました。以前に、この本を読んだことがあるのですが、子どもを失った母、子どもを誘拐した愛人、その人を母と信じて物心つくまで育てられた娘、それぞれの複雑な心境、辛さ、悲しみが文章からにじみ出てくるストーリーは、あまりにつらく、映画で見るつもりはなかったのですが、なぜか、週末に見てしまったのでした。もしかすると、ストレス解消に涙を流したかったのかもしれません。

e0143522_14421567.jpg詳しいストーリーは割愛しますが、生まれてすぐの赤ちゃんを、本気で愛して慈しみ、大切に育てる情が深い人がいるなら、たとえ血縁がなくても、その人は母親になれるのかもしれないと強く感じるストーリーでした。むしろ、血のつながりがあるがゆえに、母親のエゴを押し付け、自分の気持ちが通じないことに苛立って、娘を愛せなくなっていく実の母親の姿から、子どもがどんどん無表情、無感情に育っていくさまは、親でなくても、大切にしてくれる大人がいることこそ、子どもの心の成長には必要なことかもしれないと感じます。

「親でなくても子が育つ」というと、生まれてすぐから、他人に預け、集団で育てられる保育園で育てることも、親元で育てることも、同じと思ってしまいがちですが、そうではないことを忘れてはならないと思います。乳児期から幼児期、幼児期から児童期にかけて、自分だけを見つめ、愛をかけ、目をかけてくれる唯一無二の大人の存在は、子どもを心も体も健全に育てるためには絶対不可欠です。この映画では、残念ながら、エゴを持つ産みの母より、誘拐という犯罪に手を染めた女性が、親として、愛することを教えた人であったことが、また、とても悲しいのでした。

誘拐された娘役の女の子は、目の大きい、とても可愛い女の子でした。誘拐した女性とその子が、警察に捕まり、引き離される時、「ママ、ママ」と泣く子どもの姿が、3歳の甥Kが母親を慕う様子とだぶり、心が引き裂かれるような気持ちになりました。決して、顔が似ているわけではないのですが、年齢や背格好が同じほどだからでしょう。母親にとって子どもと別れることは、身を切られるほど、つらいことですが、それは、血縁や親子関係があるからではなく、そこに、情や慈しみの気持ちが存在するからなのだと強く思った映画だったのでした。
by k-onkan | 2012-08-26 23:41 | 子育て | Comments(0)

キラキラ差別はどこにでもある

以前、ブログで紹介したことがあるのですが、ツイッターで有名な子役に“はるかぜちゃん”という小学6年の女の子がいます。赤ちゃんの頃から子役として、CMや番組などで活躍していたようですが、芸能界もミュージカルの世界も、子役は背が伸びたり、顔が大人びてくると、残酷ですが、旬は終わります。それでも、「演じることが好き」と新たに自分の生きる場所として、どんなストーリーでもすぐに涙を流す「早泣き」や、人気アイドルグループの服装に生意気な難癖をつける役柄で、テレビにもまた出るようになったようです。

e0143522_13582298.jpg最近、朝日新聞の「いじめている君へ」という連載に、はるかぜちゃんの文章が載り、話題になっています。「子どもなのに、こんな文章がかけるわけがない。親か事務所が書いているに違いない」と心ないことをいう大人もいたようですが、平素、幼児、児童とつきあう私は、幼い頃から、一人前の人間として大人と対等に物事を知らせ、自分で考えられるように育てあげた女の子であれば、6年生になれば、大人顔負けの考えを持つことを知っています。そして、このお子さん自身の感性もすばらしいですが、それ以上に、このお子さんを育てた親御さんに興味を感じるのです。

幼い子どもが悪いことをすると、それは、「親のせい」になりますが、子どもが立派に育った時に、「親の手柄」であることを忘れてしまうのが世の常です。しかし、未成年の子どもがどのように育てられたかのかなりの部分は、親が占めていることは、幼児教育に携わるものだから感じるのです。はるかぜちゃんが注目されればされるほど、私は、「ご両親は、どんな風に育てたのだろう」と興味を感じるのです。

私は、彼女が4年生から5年生までにつぶやいた言葉をまとめた「はるかぜちゃんのしっぽ」という本を夏休みに読みました。変な日本語(はるかぜちゃん語)を使ったり、女の子なのに「ボク」と呼んだりを嫌う大人もいるかもしれませんが、劇団に通うお子さんも、熱心に音楽を学ぶお子さんも共通することは、専門に打ち込むためには、学校の勉強くらい、ふつうに学校へ行く子ども以上にできることです。きっと、学校ではきちんとした日本語と漢字を使い、成績は普通よりずいぶん良いことが想像できます。

さて、この本の中には、子どもがつぶやくくだらないことと、子どもだからこそ気づくキラキラと輝く正論が隠れています。そして、何より、随所に、この子がご両親からいかに愛され、守られ、それによって、強く生きる力を与えられているかを感じられました。一部分だけ、どうしても抜粋して紹介したいところがあるのです。はるかぜちゃんは、ひらがなをたくさん使って、かわいく見せたいようですが、大人には読み難いので、漢字変換してご紹介します。(ごめんなさい)

「子役の旬を過ぎた」というはるかぜちゃんが、「♪はたらきたいけど、しょくがない~」と求職中の自虐ソングをツイッターでつぶやいた時のことです。「自分のことを言われた」と傷つき、「謝って欲しい」という大人が出現したようです。私から見れば、「大人」と言っても、まだ若くて心の中は未成熟で大人子どもなのだと思います。そんな情けない大人へのはるかぜちゃんのつぶやきです。

「傷つけた事実は申し訳ありません。でも、もっとしっかりしてください。大人の人がどんな状況でも、強く明るく立ち向っていく未来がぼくは見たいです。ぼくの自虐ソングぐらいで落ち込む人は、会社に入っても何かいわれたらまた傷つくと思います。ぼくが無神経だったことは謝ります。でも、なんだか、がっかりしたのも事実です。世界はもっと強く凛々しいと思っていました。ぼくのパパもママも、店が危ない時もあったり、ママもパートにたくさん断られたり、うちにお金がないときもいっぱいあったけど、ぼくのパパもママも職場で何を言われても、どんなにお金がなくても、ぼくの前では明るいです。先に生まれた人は明るい未来を、あとに生まれた人に感じさせる責任がある。どうにもならない状況になった時、大人はどうするか、ぼくたちにどんな奇跡を見せてくれるのか、ぼくたちは見ています」(「はるかぜちゃんのしっぽ)より・漢字変換以外は原文まま)

こんなところにも、はるかぜちゃんのご両親が、大人として、親として、わが子が一人で生きていける人間に育てていることが感じられるのです。さて、最近、「キラキラ差別」という言葉を耳にしました。何でも、障害者の世界では、頑張ることができない人が、頑張っている人に対して行う差別に対する言葉だそうです。障害を持っていても、一般人と同じように、社会に関わろうとして頑張る人に、このキラキラ差別があるようです最近、よく目にする「五体不満足」の著者である乙武洋匡氏への猛烈な批判も、この「キラキラ差別」にあたるのでしょう。

しかし、これは、障害者の世界に限られたことではありません。健常者の世界にも存在する「頑張る人」に対する逆いじめであると私は感じます。障害を持ちながら、健常者のように働く人に対する差別も、子どもなのに、頑張るはるかぜちゃんに対する大人からの批判も、所属する世界は違っても、同じであると感じます。

はるかぜちゃんではありませんが、大人は後進に希望を与える義務や、責任があります。私たち大人が身を粉にして働き、「人生ってすばらしい」と言えずに、子どもにだけ、いじめのないきれいな世界で、子どもらしく頑張って私たち大人を癒して欲しいなどときれいごとが、どうしていえるものでしょうか。そんなことを考えた「はるかぜちゃんのしっぽ(著:春名風花:太田出版)」だったのでした。
by k-onkan | 2012-08-25 23:55 | 児童 | Comments(0)

3歳児検診もゆとり廃止!?

3歳になった甥Kが、「3歳児検診」に行くというので、急ぎの仕事に追われていた瑠音先生に代わって、「家庭で行なう聴力テストと視力テスト」をKに実施しました。通常、耳や目に異常がないかの検査は、文字を読ませたり、音が聞こえたらすぐ反応させたりして、テストします。しかし、3歳は文字が読めないことが一般的です。そこで、身近な動物や品物の絵を見せ、それを指で示させることで、幼児が見えているか、聴こえているかを調べるのです。

e0143522_1421249.jpg聴力テストの一例としては、紙に書いてある物の名前を6つ教え、1メートル以上離れたところから口元を隠した大人がささやき声で、「牛」「傘」「鳥」・・・と言って、子どもが聴こえた言葉によって、図柄を指で答えさせます。どんなに小声であっても、正しい絵を見つけられるかが、耳が正常に働いているかを判断基準となります。もう一つの聴覚テストは、子どもの後ろに大人がまわり、左右の耳の横で、二本の指をこすって、音がしたら、子どもに同じ側の手をあげさせるというものでした。これも、言葉の理解力がなければ、正しく答えられないかもしれません。

視覚のテストも似たような方法が用意されていました。あらかじめ、8種類ほどの動物や身近なものの絵柄を見せ、名称を教え、その後、片方だけ穴の空いた紙めがねを着用させ、大人が2.5メートル離れたところから、それは小さなマークを見せて、「とり」「チューリップ」「とけい」などと答えさせるのです。これも、左右、別々に検査します。

目や耳のテスト以前に、3歳児としての、物の名称を理解し、会話の意味を理解する力がないと、このテストはできません。テスト用紙には判別できたものに○、できないものに×をつけることになっていましたが、当然、「テストでききなかった」「じっと座っていられない」「騒いでしまった」などの項目もありました。

平素、兄甥に鍛えられているKは、楽しんでテストを受けていましたが、生まれてすぐから、保育園に預け、何の刺激も与えずに育った3歳のお子さんには、このテストを行なうことは、難しいだろうと、先日、視察した保育園で発達に遅れがある子供たちの顔を思い出しました。耳や目のテスト以前に、3歳までに、1対1で大人と関わり、十分に会話をする環境にあるか、ないかを最新の3歳児検診はテストしていると感じました。

もう一つ、この3歳児検診に気づかされたことがありました。それは、兄甥Yが3歳だった6年前より、検査の内容が難しくなったことでした。当時は、子どもを育てるお母さんの支援が大きく叫ばれており、幼児の能力を検査することで、お母さんの負担にならないようにという配慮があったのかもしれません。そのことによって、本来、年齢に応じた幼児の発達を確認し、問題を早期に見つけて対応するという目的から離れ、子どもに発達の遅れがあっても、お母さんにショックを与えないことが、優先されてしまいました。小学校のゆとり教育が廃止され、やっと、幼児の成長についても、私たちが子どもの頃、当たり前だったことが求められるようになったのかもしれないと思うのです。

検診やテストをして、個々の能力を調べるというと、過剰に反対する人が存在しますが、その目的は親御さんを安心させる以上に、個々の幼児に必要があれば、適切な支援や指導をすることが目的であることを、忘れてはならないのです。
by k-onkan | 2012-08-24 23:20 | 子育て | Comments(0)

見えないことの方が大切かも

大人になった卒業生や地方の先生方は、私たちに講習会や子どもたちの授業がないと「することが何もない」と思われるようです。先日も、ある先生から、「木下音感の先生たちも、一日があっという間ですか?」との質問をいただきました。一般の会社勤めが忙しいように、木下式の本部も世間並みの雑事があり、「忙しくない時期」よりは「忙しい時期」が多いかもしれません。

e0143522_16192574.jpgたとえば、合宿を行なうとなれば、計画を立て、下見に出かけ、保護者に説明を行なえるように、資料やしおりを作ります。合宿中に必要な材料を購入したり、子どもたちがいただくおやつやご褒美を選び、購入した後は包装します。誰にでもできる雑事ですが、楽院には、「いつもの3人」しかいません。最近は、3年生の甥Yが少しお手伝いをするようになり、助かっています。合宿が始まれば、寝食を共にして引率と音楽の指導をします。合宿が終われば、暑中お見舞いを出し、皆さんに合宿の様子を報告します。また、子どもたちの思い出をアルバムにもまとめ二学期に備えます。

夏休みが終わる前に、楽院の新学期に向けての授業準備や教材作り、子供たちの合宿での様子を出席ノートに書いたり、親御さんからの子育て相談メールにお返事をすることもあります。機関誌「おんかん」を作るための資料集めや、文章の下書きなどを考えます。協会の本部には、幼稚園や保育園で使用する教材を各園にお送りしたりする仕事もあります。品物があれば、在庫管理や経理の仕事もあります。

東京合同音楽祭が近づけば、視察の準備をして各地へ出かけ、木下式を学ぶ園児と先生の指導を行い、出演者と曲目が決めることになります。それぞれのご家庭に資料をお送り、出演されるかどうかを確かめ、プログラム作りが始まります。

音楽祭では、プロの演奏家に伴奏をしていただきますが、事前にオーケストラの演奏を録音して、各園に送る必要があります。100曲以上ある楽譜をパートごとに分けて、演奏順に並べ変えるという面倒な作業は、授業の合間に時間を作って担当します。本番で演奏の順番を間違えては、たいへんなことなので、何度も何度も見直しをします。楽院の子どもたちが音楽祭に出演させるための練習も特別に日程を組み、練習も始めます。それに伴う雑事も少なくはありません。音楽祭で使用する台本や進行表も作り、当日は、舞台にも立ち、反省会の進行も行ないます。

音楽祭が終われば、ビデオの編集にも立ち会い、来てくださったお客様にお礼状を出します。当たり前のことではありますが、この諸雑事を、“いつものメンバー”で行なっていますので、一般の会社と比べると、皆さんにご迷惑をかけていることもあると思います。

大きな行事の間にも、楽院では、定期的に小さな音楽会を行ない、子どもたちの能力を高めなければなりません。日々のレッスンはとても大切な時間です。また、音楽会や公開学習を行なうためには、その指導も必要ですし、ホールも借りなければなりません。しかし、希望日が借りられるとは限らないのが、東京のホール事情です。早朝から、申し込みに出かけ、確実に希望日を抽選で当てるのは、純子先生が一生分のくじ運を使っているからかもしれません。

木下先生は、自身が考案した指導体系に常に目を通して、何度も、何度も加筆訂正を加え、若い先生でも理解できるためには、どうしたらいいかの試行錯誤の繰り返しです。この作業は、40数年間、変わらずに続いていることでもあります。木下先生が訂正したものを打ち込みなおし、印刷して、また、打ち込むという仕事もあります。最近、この作業を瑠音先生が一手に引き受けてくれるようになって私は助かっています。

その分、私は、一般の方に木下式を知っていただくために、時間を使えるようになり、派手な場面が増え、私だけが忙しくしているように思う卒業生もいますが、実際は、いつものメンバープラス、木下先生、まゆみ先生、そして、有志の方のお力をお借りして、皆で頑張っているのです。
by k-onkan | 2012-08-23 23:16 | 楽院だより | Comments(0)

同じ教育を与える意味

夏の休暇、最後の日、「夏休みらしいことをしていない!」と思いたった私は、甥二人を連れて遊びに出かけることにしました。今年は私の出張と甥一家の家族旅行が重なり、夏休みの間は、一度、我が家で晩御飯をしただけだったからです。私が「どこかに連れていこうと思うけれど、どこが良い?」。すると、3年生のYは「流れるプール!」と即答です。

e0143522_1354967.jpg3年生ともなると、親には「申し訳ないかな?」という高額なものは、祖父母や伯母など、余裕がありそうな親戚に頼むという処世術を心得ているのかもしれません。私が一瞬、躊躇すると、「あ、近所の普通のプールでもいいよ」というので、大盤振る舞いをすることになったのです。もしかすると、これも甥の策だったのかもしれません。

結果的に、私たちは5時間、水中で流れただけなのですが、泳ぎに自信があるYは、気がつくと、一人、水中で回転をしたり、逆立ちをしていたりと、恐ろしい動きをします。3歳の時は、『水が怖い』と泣きながら幼稚園のスイミングを嫌がったのは、嘘のようです。

もし、あの時、『この子は怖がりで、水泳は向いていない』と諦めていたら、こうはならなかったでしょう。深さ1.9メートルで足がつかない競技用50メートルプールを何度も、クロールや平泳ぎを披露する姿に、伯母バカですが、かなり感激しました。私より上手になった甥に、もう何も言うことはありません。

次男のKは兄がすることは何でも挑戦するので、水を全然、怖がりません。兄甥Yが3歳だった頃と比べると、スイミングに通わせなくても、自然と泳げるようになるかもしれません。しかし、資質が異なっても、兄弟は同じチャンスは与えておきたいものです。

よく「兄弟、同じ、教育を与える」というと、その結果が同じになるようにと考える親御さんがありますが、子どもは個々、それぞれ、特性が違うもので、同じことを学んでも、その結果はそれぞれです。しかし、「同じ心構えを学ぶ」ということにおいては、子どもが小さい頃は、その機会が平等であることは、兄弟が、親の愛情を確かめるためには、とても大事なことなのかもしれないと思った甥たちとのプールの一日だったのでした。
by k-onkan | 2012-08-22 23:53 | 子育て | Comments(0)