麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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自由を与えるということ

若い頃、アメリカに留学した私は、個々の考えを尊重するアメリカの自由にたいへん魅了されたものでした。日本に居ると、「親に恥をかかせないようにする」とか他人の目を気にすることが多く、閉塞感や鬱陶しさを感じていたからだろうと思います。日本にいる私は、「物事をはっきり言い過ぎる」とよく批判されるのですが、アメリカにいると、「とても日本人的で丁寧、繊細」といわれたものでした。ところ変われば、評価もかなり変わるのです。そんな場所ですから、私は現地の生活がとても気にいっていました。しかし、長く生活をすると、自由の後ろに存在する厳しさも見えてきたのです。

e0143522_14241069.jpg滞在中に出会ったアメリカ人の友人は、みな、学費も生活費を自分でアルバイトをして稼いでいました。日本人の中にも、何年か日本の会社で働いて、そのお金で留学していた年上の人たちもいましたが、ほとんどの日本人留学生は、親掛かりで、20代にはもったいないようなプールやジャクジ付の高級アパートに住んで高級外車に乗っている人も大勢いました。我が家のように、月々、定額を振り込んでくる家庭は、少なかったように思います。

日本でも、この20数年、子供の意志を尊重して自由を許す家庭が多くなりました。ところが、自由を得るための責任や義務がないために、誰にも感謝せずに、自己中心の考えだけを持って成長していきます。これが、アメリカを真似たことで、日本人が弱くなって、自殺率が高くなった理由ではないかと、個人的には考えたりしています。どこの国に出かけても、日本ほど恵まれた国はないと思いますが、それを幸せだとは思えないようです。

確かに、アメリカは自由の国といわれています。大学に行くか、どうかを決めるのも、自分ですし、どこの学校へどのように通うかも、友人たちも自分で決めていました。ただし、その自由を得るためには、全て自分たちでなんとかしていました。時に、休学してアルバイトをして学費を稼いだり、軍隊に入ることで学費を免除してもらうなど、自分の自由のために、自分で考えて答えを出しており、日本人が「アメリカは自由でうらやましい」とあこがれを持つのは間違っているのではないかと思うのです。

アメリカにいる方が、周囲から、評価が良いと感じた私でしたが、アメリカで一生、生活を続けられるほどは、強くありませんでした。自分で何か目標を持って、誰にも頼らずに物事に立ち向かう強さはなかったからです。日本にいれば、家族や仲間が一緒になって、努力します。しかし、個人の国アメリカは、自分が強くなければ、生き残れないと感じました。たいていの留学生が、どんなにアメリカの暮らしが気にいっても、最終的には、帰国して就職したのはアメリカの厳しさを耐え抜くには、つらかったからではないかと思うのです。

子供の意思を尊重して、「自由」を与えることは、最初は、好きなことを好きなだけできて、天国のような話です。ところが、社会に出たら、自分の意志が通らないことの方が多いものです。その時になって、「義務や責任」を教えようと思っても、難しいものです。そう考えると、自由に伴う義務や責任を教えるアメリカが正しく、なんでも、子供の意思を尊重するだけの日本の自由は、困難に打ち勝てない若者を育てあげていると思ったりするのです。困難にぶつかった時に、自由に玉砕するより、困難にぶつかる前に、多少、不自由でも、打ち勝てる知恵や強さを与えておくほうが、私は個人的には、親切な育て方だと思うのですが・・・。
by k-onkan | 2012-09-30 23:23 | 自立について | Comments(0)

子離れ中のお母さんたちへ

親御さんにとって、子供に「彼女(彼)ができた」「運転免許を取った」「アルバイトで自由なお金を持つ」「子供だけで旅行に出かける」など等、保護者がいなくても行動するようになると、うれしい反面、寂しいものかもしれません。私も可愛がっている甥たちに、その時が来るときに、果たして、冷静に対応できるかは定かではなく、今から、心配しているところです。

e0143522_1045876.jpg子供の彼女(彼)は、どんなに申し分のない相手でも、何かしら難癖をつけたくなりますが、だからと言って、誰からも見向きもされないと嫌なものです。免許を取れたら取れたで、事故にあうのではないか、他人を巻き込むのだけは・・・とドキドキします。アルバイトをしたら、失敗をするのではないか、人に迷惑をかけるのではないかなど等、想像も広がるでしょう。

しかし、一つだけ分かっていることがあります。それは、どんなに心配しても、もう親の力ではどうすることもできないということ。そして、親も“子離れ”をするしかないということです。私は過保護なので、子供のうちは、与えられるだけのこと―しつけ、知恵、考え方、教育―を与えておきたいと思っています。そして、年齢が大きくなったら、目にあまること意外は、うるさく言わないように心がけています。「先生と生徒」という間柄であっても、高校生、大学生の子供たちが、私に知らないことを教えてくれることもあります。だから、卒業生とのつきあいは、たいへんですが、楽しいのです。

そして、大人になった卒業生とつきあう時に、気をつけていることがもう一つありました。それは、どんなに生徒が、彼(彼女)の悪口を言っても、それに決して乗らないこと。どんなに「あいつはバカで・・・」とか「お坊ちゃんで頼りない」と口にしても、それは、(オレ(私)がいないとダメなのだ・・・)という“のろけ”であったりします。また、反対の意見を求めていることもあるのです。

どうか、親御さんも子供の尻馬にのって、「そうね。本当にバカよね」とか「私も頼りないと思ったわ」などとは、言わないように気をつけましょう。親子は親しいからこそ、些細な一言が、大きく発展したりします。相手を愚痴ってよいのは、つきあっている自分だけであり、自分の親だからこそ、余計に腹が立ったりします。親は親で「長く生きている大人が言うことは、正しいから、言うことを聞け」と思いますが、そこはぐっと我慢です。そのうち、子供自身が自分で気づくしかないのですから。

若い頃、尊敬していた年上の友人が教えてくれたことがあります。それは、「男女間の悩みごとは、どんなに親しくても、絶対に真剣に聞いたり答えたりしてはいけない。自分が損をするから・・・」と。友人のためを思ってアドバイスをしたり、一緒に相手を悪く言った後に、仲直りをされて、自分だけが悪者になる経験は、誰にでもあるはずです。友達と自分がお腹を痛めた大切な子どもは、別だと思っても、親離れを始めた子供は、“大切な親友”くらいのつもりで話を聞いた方が良いのかもしれません。

親友のことであれば、その人が好きな相手の悪口を言ったりはできません。良いところがなくても、それなりに「優しそうな人ね」とか「あなたが幸せであることが一番」と認めるでしょう。そして、万が一、親友が傷ついたら、何も言わずにそこにいて、慰めて相手の幸せを願う・・・。親友に対して、できるのは、それくらいでしょう。そして、大人になったわが子にも、親ができるのは、幸せを願うことだけなのだと思います。
by k-onkan | 2012-09-29 10:42 | 自立について | Comments(0)

離れて暮らす子供たちへ

私は、大人になりつつある子供たちに、必ず、教えたいと思っていることがあります。それは、「感謝を忘れない」ということ。子どもが、自分の努力で難関を突破していても、好きな勉強ができるようになったのは、陰になり日向になって、育ててくれた人の存在があるからです。これを教え忘れると、反抗期になって、その時期特有の「俺様ルール」を振りかざして道を踏み外すこともあります。

e0143522_1119610.jpg「感謝する」というと、力を貸してくれた他人にばかり目が向きますが、近い存在も忘れずに教えたいものです。親子は親しい間柄だからこそ、お互いの弱みも分かり、時に、他人には絶対に言わないことを遠慮なく口にする不愉快な間柄でもあります。しかし、どんなに力強く、自分を守ってくれた親であっても、一生、守れるわけではありません。やがて、先に逝くものです。その親に感謝できずに、他人にだけ感謝できるようにはならないと思うのです。

親から離れて暮らしてしばらく経つと、子供は、「自分で何でもできる」と自信をつけ始めます。自立した大人になる第一歩で、大いに結構なことですが、真の大人になったわけではありません。「20歳を過ぎた成人だから自分で何でもできる」と生意気を言っても、親の扶養にあるあら納税する必要がないだけなのです。もし、何か問題を起したら、親が頭を下げたり、責任を取ったりすることを求められることもあるでしょう。何よりの証拠に、自分で部屋を借りようと思っても、親の保証がなければ、貸してもらえないでしょう。

切っても切れない縁だからこそ、どんな喧嘩をしても、親の存在を否定することは、自分自身も否定することを忘れないで欲しい。遠く離れた親子の喧嘩で、捨て台詞で互いに傷つけあって、分かれたりは、しないで欲しいと思うのです。

私には、41歳の若さで幼い息子を二人残して他界した友人があります。子供たちは7歳と9歳で、それは旅先での出来事でした。子供たちは、旅行の途中でお母さんが亡くなることも、帰りの飛行機では小さくなっていることも予想はしていなかったはずです。そんな運命もあるのです。運命の前では私たちは非力です。

最近、ある卒業生が、こんなことを私に言ってきました。「震災の後の津波で、亡くなった人も、その日に、自分が死ぬなど考えてはいなかったと思う。明日もいつも通り、くると思っていたはず。私たちは当たり前に暮らせることが、当然だと思っているけれど、明日、何が起こるか分からないんだね。もっと、一日、一日を大切に暮らさなくちゃいけないんだね」と。普段は、お説教ばかりしている相手ですが、その言葉に、「そのとおりだね。よく気がついたね」と褒めたくなったのでした。
by k-onkan | 2012-09-28 23:18 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

親から離れたら自己責任ー2-

反抗期の子どもはみな共通して、「自分で経験しないと分からない」と口にします。これは、親がどんなによい考えを与えても、それは、「親の考え」であって「子供の考え」ではないと子供たちは私に教えてくれているのです。親の思いを理解させるためには親が「いけない」ということでも、それをして、「親の言うことが正しかった」と感じさせるしかないのです。「悪いこと」を何も体験させずに、親が保護して続けることなどできないのです。

e0143522_14551979.jpg私は18歳の頃、ひとりでアメリカに渡りました。滞在したのはアメリカの北西部にあるオレゴン州で緯度は北海道とほぼ同じところでした。しかし、その荷造りをしたのは蒸し暑い夏の盛りだったため、母に「冬物も持っていきなさい」と忠告されても、その言葉を無視して身近にあった夏服だけを詰めて出かけたのです。現地に到着したその日に私は間違いに気づきました。昼間は暑くても、朝晩はとても寒いのです。私は、早速、母に連絡をしたのですが、荷物は一ヶ月経ち、二ヶ月経っても一向に届きませんでした。

後で親戚から、「自分で置いていったのだから」と母は、頑なに荷物を送らなかったそうです。私の手元に荷物が届いたのは、それから数ヵ月後の冬の最中であり、荷物は船便で送られてきました。大人の忠告に耳を傾けない私に、「何でも自分の思い通りになると思ったら大間違い」と母は身を持って教えたのです。

もし、母が心配症で過保護な親であったら、すぐにも、洋服を持って、アメリカまで飛んできたかもしれません。もしかすると、「風邪をひくといけないから、すぐに服を買いなさい」と銀行口座に多額の金額を振り込んでくれたかもしれません。しかし、そんなことをされたら未熟な子供は、親の忠告に耳を貸さなかったことを反省するどころか、親に頼めば何でも叶うのが当たり前、親は自分の尻拭いをするための存在と思い違いをして、感謝もしなかったでしょう。他人さまに頭を下げて服を借りたり、自分の力で問題を解決する方法を学ぶことがでました。そうした経験が今の私の基本となっているはずです。

反抗期の頃は、親を悪く言うこともあるでしょう。それは、決して正しいことではありませんが、“反抗期”が言わせているのであり、本人に悪気はなかったりします。しかし、ある年齢を超えても、いまでも、親に対する恨み言を口にしているのでは、本当に「子育て」を間違ったのかもしれません。親に対して、他人に対して、感謝できる人間にするためにも、親ができることを全てしたら、世の中を見せるしかないのです。
by k-onkan | 2012-09-27 18:54 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

親から離れたら自己責任-1-

最近、親元から離れて暮らすわが子を心配するお母さんの相談ごとに耳を傾けました。私は、その昔、一人で渡米した当時のことを思い出し、未熟だった自分の言動や行動まで反省する時間となりました。幼い頃は、親の力がないと何もできなかった子供でも、やがて自分の足で人生を歩むことになります。反抗期はそのための準備です。

e0143522_14211488.jpg中でも、中学、高校と、目に見える反抗期がなかった子には、親から離れて暮らす時期こそが反抗期なのです。親に守られていた頃は、決して口にしなかったよその家庭に対するあこがれ、親に対する批判などを次々と思いつく時でもあります。子供が口にする罵詈雑言によって、親の方が傷つけられることもありますが、反抗期が言わせているのであって、我が子が言っているのではないと思った方が良いかもしれません。また、いつか、昔のように、親子親しく過ごせる時が戻ると信じて、上手につきあいたいものです。

親が反抗期にある子供に必要以上にしつこくしたり、子供の世界を踏みにじったり、過剰に干渉したりすることは、火に油を注ぐ結果となることがあります。反抗期の子供をもったら、上手に子供に譲りながらも、親として大人として、「正しいことを正しい」と言う自信を持って、我が子を見守り、必要があれば手助けをするという距離のある愛情を示す必要があります。

売り言葉に買い言葉で、子供の暴言に大人が乗ると、取り返しがつかない親子関係に発展して、これまで、大切に育ててきた事実まで、否定されかねません。反抗期の子供との付き合いは、終わりのないジェットコースターのようですが、長くても3年から5年と思って、私は生徒たちの反抗期とつきあってきました。

小さな子を持つ親御さんの中には、反抗期をことさら恐れる方もありますが、子供が反抗できるのは、親から愛されて育った証でもあります。幼少期に親から愛されなかった子供は、あえて親に反抗などしないものです。親子が近い存在だからこそ、抵抗してでも離れなければならないのです。どうか、親御さんは、「これまでの育て方を間違った」と心を痛めるのではなく、「これまで一生懸命、育ててきた自分の子だから大丈夫」と信じて見送ってください。過剰な心配は相手に「自分のことを信じていないのか?」と逆襲される原因になるものです。

親は我が子に「これをしなさい」「あれをしてはいけない」と知恵を与えるのは、子どもになるべく、幸せになって欲しいと願っているからです。しかし、親から離れた子供には、残念ながら、「あれもしなさい」「これをしてはいけない」はもう“余計なお世話”なのかもしれません。

どんな失敗をしても、親が尻拭いはしてはならないのです。子供自身に「自分で責任をとること」を教える良い機会です。社会に出た子供が他人や社会に迷惑をかけたら、親ができるのは、もう、頭を下げること、そして、必要があれば、賠償を求められることもあるかもしれませんが、子供本人は、社会に関わる大人として、社会のルールに従って、時に厳しい教えを受けることもあるでしょう。

社会は、親ほど優しくはないため、時にはとんでもなくひどいことが起きて改心を迫られるかもしれません。それでも、子供の人生は子供のものであり、親が肩代わりはできません。だからこそ、子供を手放すまでの幼児期から思春期までは、できる限りの愛と厳しさと、教えを与えることしかないのだと思います。<つづく>
by k-onkan | 2012-09-26 14:19 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

何にでも理由づけはある

恵まれた環境で、日々、暮らしていると、私たちは知らないうちに、受身で過ごしてしまっているような気がします。少し、何かが不足したり、挑戦しなければならないことがあった方が、一生懸命、頑張れるものかもしれません。実は、幼い子どもたちも同じです。勉強をしたり、お稽古事をしたりする環境が、当たり前のように用意されていると、自分から進んで学ぶより、受身で時間を過ごすことを好むことがあるのです。その上、子供の世界には、コンピューターゲームなど、頭を使わずに時間つぶしができる遊具は、たくさんあります。気分転換で時々、取り組むのなら良いかもしれませんが、それが子供の楽しみの全てにならないように大人は気をつけたいものです。

e0143522_13343727.jpg今日は、年中、年長児のモデルクラスがありました。年長児は、小学校受験で忙しい時期ですが、元気に楽院に通ってきています。さて、受験についても、ただ子供と一緒に、塾やお稽古ごと通いをするのではなく、何の目的で勉強しているかなども、きちんと話し合うことで、子供の意識を目覚めさせることがあるのです。親御さんは、受験がうまくいかなかった時に、我が子を傷つけたくないとの思いから、子供に情報を与えないのかもしれませんが、子供の立場から考えると先が見えない事に「あなたのためよ」「これで後が楽になるから」と言われるだけでは辛いものがあります。受験が済んで希望の学校に入ってからも、勉強は続けなければならないのですから。

さて、今日のクラスでも年長児の中には受験に取り組んでいる子がいます。中には、受験のストレスなのか、少し、ぼんやりしている子もいます。可哀相なことではありますが、他の子も同じ条件で楽院に通っているので、その子だけにことさら優しくするわけにはいきません。特に、夏休み前にできるようにしたことを全て忘れていたため、私の声も怖くなってしまいます。

それでも、目に涙をためるA子ちゃんが気の毒だったので、私は子供たちにこんな質問をしてみました。「A子ちゃんは、受験勉強で音感のことをたくさん忘れてしまって、先生はすごく困っているの。あまり忘れているから、小さい子のクラスで、優しく教える方がいいか?それとも、ちょっと厳しくても、このクラスで頑張れるようにしてあげるのと、どちらが先生は優しいんだろう?」と。

すると、一番、年齢の低い4歳の女の子が、「小さいクラスで、優しくしてあげる・・・」と答えましたが、当のA子ちゃんを含めた年長の子供たちは「えぇ~?」と批判の声をあげて、「厳しくても、このクラスにいさせてあげた方がいい」と答えたのです。子供も成長に合わせて、表面的におだやかな姿勢だけが易しさではないと分かっているかもしれません。その後の授業は、私が少し厳しい声を出しても、A子ちゃんも平気な顔でとりくめるようになりました。

さて、勉強をするにも、お稽古事をするにも、受験勉強についても、取り組ませる親御さんには、それぞれの考えがあるはずです。単なる時間つぶしにさせないためには、「あなたのためだから」とただ従わせるのではなく、子供が自分から協力する説明も必要なのかもしれません。
by k-onkan | 2012-09-25 23:33 | 幼児 | Comments(0)

ただものではない祖父

連休は東京が大雨だったため、千葉に出かけた甥たちがどうしているかと心配しましたが、しっかり、マラソンの練習は雨の合間をぬって行われたようです。道を知らないYのために、木下先生が前を自転車でゆっくりと走り、先導しながら6キロを30分ほどで走ったそうです。が、本来、ランナーが先を走り、そのペースに自転車が合わせるところを一切の泣き言を言わずに、木下先生の自転車について走ったYは我慢強い少年に育ってきたと感じます。

e0143522_1974339.jpg帰ってきた木下先生から、「あんなに遅くて良いのか?」と聞かれた瑠音先生は、「歩く速度と比べればどんなにゆっくり走っても自転車が速く、自分のペースで走ることが大事なのだ」と答えていました。「そうか。「もっと早く走るか?」ときいても、「いい」というから、遅いのかと思ったが、褒めてやらなければいけなかったなぁ・・・・・・」と言うのです。

マラソンやピアノの練習などで、滞在中、兄甥に注目が集まることが多かったことで、気分を害したのが弟甥だったのかもしれません。その代わり、滞在中は大好きな「象の国」へ連れていってもらったようです。出かける前は、何度もビデオを見て、象のショーの様子を予習をして「Kちゃんは象にえさもやれるし、象にお金を渡してお買い物もできるよ。鼻の上にも乗るから」と勇ましいことを言っていたのに、いざ、「お買い物の時間」になり、お札を持たせ象の下へ近づくと、「ギャー。こわい~」と泣いてお金を放り出して、連れていった大人はたいへん恥ずかしい思いをしたようです。

中でも、木下先生は、強気な発言をする弟のK贔屓だったので、とてもショックだったのかもしれません。「口が達者でYよりたくましいかと思っていたのに、外に言ったら、(気が)小さくて、小さくて・・・」とがっかりしています。けれど、私たち女性陣は、Kが、実は気弱だからこそ、強気な姿勢を見せていることを知っていました。Kの弱さもついに木下先生に見つかったことは、実はありがたいことであったりもするのです。なぜなら、これからは、YだけでなくKのことも、甘やかさずに鍛えてくれるはずだからです。一般のお祖父さんのようにただ優しいだけでなく、時にたいへん厳しい存在であることが、木下先生のありがたいところなのですから。
by k-onkan | 2012-09-24 18:47 | 我が家のこと | Comments(0)

究極の贅沢

この二日間、寝食を忘れ、買っておいた本を読み、英語でテレビ番組を見る時間となりました。これは、「ごはん、まだ?」という家人がいないからこそできる贅沢で、「まぁちゃんは、仕事で忙しいから、千葉はダメだよ」と言ってくれた甥Kのお蔭かもしれません。読んだ本は、有名人のエッセーから、貧困についてのルポなど、ジャンルに関わらず、興味をひかれたものを読みました。

e0143522_14325039.jpgビートたけし著「下世話の作法」はテレビで見るような軽い語り口で、私たち日本人が忘れている“粋”について考えさせてくれました。佐藤愛子著の「わが孫育て」は、私の父のような考えを持つ著者が、世の中の流れについていくことに抵抗して、古きよき時代を教えられているような気がしました。

保坂渉・池谷孝司「ルポ子どもの貧困連鎖」は、日本の貧困の実態を深く考えさせられるものでした。戦争を体験した木下先生には「戦後の貧しさに比べたら、現代社会の貧困などはたいしたことはない」と叱られそうですが、親を選んで生まれてくることができない子供たちは、教育を受けても貧困から抜け出すすべがないのです。恵まれた日本にこうした事実があることを私はとても恐ろしいと感じます。確かに、戦後の貧しさの方が悲惨ではありましたが、勉強すれば、教育の力で這い上がれる可能性がありました。そうして、這い上がったのが、ソフトバンクの創業者として、有名な孫正義氏であることを佐野眞一著「あんぽん 孫正義伝」に記されていました。

テレビでソフトバンクのCMを見る度に、犬を父親にして、黒人の兄がいる家族の像に違和感を覚えてきましたが、孫氏の胡散臭さは、彼の頭の良さにある。凡人には考えられないほど、未来の未来を見据えているのかもしれないという著書の言葉が妙に納得できたのです。これから子供たちが生きていく時代は、残念ながら、日本の古きよき時代だけを見つめていくのは難しく、色々な国の人が共存していくのかもしれません。新しいものを全て肯定することも、否定することもできませんが、古い時代の美しいものを忘れることで、心がすさむことがないようにしたいと思ったのでした。
by k-onkan | 2012-09-23 14:29 | 自分のこと | Comments(0)

一緒に走れる幸せに感謝!?

土曜日と祝日が重なると、一般のお勤めの方は損をした気持ちかもしれませんが、平素、土曜日に働く私たちには、珍しいお休みとなりました。先週から、小学生の生徒たちに、「来週、音感、ありますよね?」と何度も確認されました。「祝日だから休みよ」というと、子どもたちはびっくりした顔をしていました。きっと、「何があっても、楽院が休みになるはずはない」と思っているのかもしれませんが、それは、音楽祭やオペラ公演など特別な練習が必要な時だけです。

e0143522_2235624.jpgさて、東京に出勤する理由がなくなった木下先生は、さびしくなったのか、甥Yを脅かして、千葉の家に連れていくことに成功したようです。3年生の今年は、Yは義弟と10キロマラソンに挑戦するため、毎日、走る練習をしています。それを聞いた木下先生は、「街中を練習してもダメだ。広いところ(つまり、自分のところ)で練習しないと走れないぞ」とほぼ脅しのような言葉で、千葉に誘ったようです。「千葉なら道も広いし、じぃじが自転車で伴走してやるから・・・・・・」。最近、少しずつ大人になりつつある甥は、木下先生が言い出すと「YES」というまでしつこいことを知っているので、「うん。いくよ」と返事をしたようです。そして、何でも、兄と行動したがる弟もついていきました。

うれしそうな木下先生に、瑠音先がは少し心配をして「Yが10キロ走ることは、何の心配していないけれど、一緒に自転車で伴走している人が、怪我をしたり、転んだりして運ばれたりしないでね」と声をかけました。確かに、10キロという距離は、自転車で走るのも容易ではないでしょう。その言葉に不安になったのか私のことも誘おうと必死です。可愛い盛りの弟甥のKに「一緒に千葉に行って象の国に行こうと、麻奈先生にお願いしなさい」と私を籠絡させようとするのです。

すると、「だめだよ。まぁちゃんは、お仕事がまだあるんだからさ~」と3歳のKがうまく断ってくれるのです。この言葉に「Kはなんておりこうちゃんなのかしら!」と思ったのですが、「Kは利口なのか、それとも、麻奈が来たら、うるさくて、嫌なのか・・・。どっちだ?」と木下先生。きっと、どちらもKの本音だろうと思いますが、私も休みの日くらい、口うるさい大人の役割は、ごめんこうむりたいと思っていたりするのです。
by k-onkan | 2012-09-22 22:35 | 我が家のこと | Comments(0)

大人が変われば子どもは変わる

ある未就園児の女の子が半年ほど前から、ある教室で木下式のレッスンを受け始めました。最初は、毎週、楽しそうにレッスンに通ってきましたが、難しいことやたいへんな課題が増えると、お祖母ちゃまの膝に逃げ帰るようになりました。そのたびに、「チョコレートがあるから、頑張って」「あなたは私の大切な孫よ」と優しく励ましたことから、その子はどんどん横柄な態度になり、お祖母ちゃまの言うことも全然、聞きません。

e0143522_21422052.jpgある日のレッスンのことです。いつものように、お祖母ちゃまの膝に戻りぐずり始めたため、お祖母ちゃまは、「帰る?」と優しく声をかけました。レッスンを途中放棄して帰るという提案に、女の子は本当に帰っていったそうです。お祖母ちゃまの気持ちは、「ぐずる孫娘が先生にご迷惑だから・・・」と思ったのかもしれませんが、レッスンの途中で帰るということは、先生の教え方に異議を申し立てていることであり、翌週のレッスンには来ない覚悟であることをこのお祖母ちゃまは気づかなかったようです。若いお母さんならともかく、稽古事を教える仕事をするお祖母ちゃまが、途中で帰ったと聞いてとても驚きました。

ある年齢を超えた児童や大人が習い事に取り組むのと違って、幼児のお稽古事は、保護者が「わが子に必要」と思ったものをはじめます。そのため、子どもが自分から意欲的に学べるようになるまでは、大人の心構えや助言、後押しなどが必要なのです。たとえば、野菜は体に必要な栄養ですが、どんなに、「体に良いから食べなさい・・・」と思っても、子どもには好き嫌いがあるでしょう。「子どもが嫌いだから、無理に食べさせない」という親御さんも増えましたが、子どもの体のことを考えれば、大人として苦手な野菜も食べられるように工夫したり、食べられるように育てることが大切です。

幼児期のお稽古事も、これと似ています。お稽古は、楽しい時もあれば、そうでない時もあります。しかし、「一度、始めたことは自信が持てるまで続ける」とか、「自分がしたくない時でも、しなければいけないことがある」などを教えるために、大人が、しっかりとぶれない考えを持つことです。何にでも、苦手な時期はありますが、それを乗り越えれば、自信となるのですが、途中で放棄をしたら、それは苦手意識となるでしょう。

私は「おばあちゃんがきちんと孫のしつけができるようになるまで、レッスンをお休みにした方が良い・・・」と先生にアドバイスをしました。どんなに熱心に教えたいと思っても、連れてくる保護者が「そんなに厳しくしなくても」とか「かわいそうだから、途中までで・・・」という考えを持っているなら、子どもの教育はできません。大人たち相違する考えの間を、都合よくくぐりぬけ、わがままを通す方法だけが長けていくでしょう。幼児期の子どものわがままを通させるか、きちんと行動できるようにするかの責任は100パーセント、周囲の大人にあるのです。

先生は、私のアドバイスどおり、「レッスンをお休みしましょう」と連絡をしたそうです。すると、お祖母ちゃんがびっくりされたといいます。女の子は、翌日のレッスンを楽しみに早寝をしたところで、お祖母ちゃん自身も、途中で帰ったことの意味を深く考えてはいなかったからでした。実は、女の子はレッスンに通うことが嫌いなわけではありません。ただ、自分が得意なことだけができるように、ゴネているだけなのです。

子どものわがままを受け入れるタイプの教室なら、その子の好きなようにさせて、お月謝だけいただくのかもしれませんが、木下式は、子どものわがままを受け入れていては、どんなに良いことを教えても、身につかないことを経験上知っているから、わがままを改心させることも、指導のうちなのです。

女の子は翌日、楽しそうにレッスンに来ましたが、やはり途中で、お祖母ちゃんの膝に戻っていきました。しかし、いつものお祖母ちゃんではありませんでした。「やることをやらないと、帰れないのよ」。そう言われて、女の子はギャオーと大泣きをしました。お祖母ちゃんの毅然とした態度に驚いたのでしょう。教室の先生も「泣いても怖くないから、やることをやりなさい」。初めて、大人たちの考えが一致したのです。結果的に、女の子は、やるべきことに取り組み、さわやかな顔で帰っていったそうです。子どもにとっても、やるべきことをやらずに途中で帰って心地よいわけはないのでしょう。たとて、途中で泣いたとしても、目的を達成することが爽快感につながるのは、大人も子どもも同じです。子どもが嫌がることをさせないというのは、問題から逃げることを教えているに過ぎないのかもしれません。
by k-onkan | 2012-09-21 21:41 | 木下式音感教育法 | Comments(0)