麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

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絶対に叱られると思うけど

お稽古事から帰ってきてからずっと様子が変だった3年生の甥Yに、「どうしたの?」「何かあったの?」と、私たちは、代わる代わる声をかけました。いつもに比べ、無口で、おやつもほしがらなかったからです。けれど、本人が「なんでもない」というので、あまりしつこくしてはいけないかと思って、みんな、それぞれ見守っていました。

e0143522_10271567.jpg自宅へ帰り、晩御飯になっても、チビチビと食事を口に運ぶ様子に、ついに母親の瑠音先生が、「本当にどうしたの?誰にも言わないから言ってごらん?」と声をかけたそうです。平素、我が家は誰かに話すと、楽院のスタッフみんなに筒抜けになるので「内緒にする約束」をしたのでしょう。

「お母さんに言ったら、『そんなたいへんなこと、心配じゃない。どうして言わなかったの?』って叱ると思う・・・」というYに、「絶対に怒らないから言ってごらん」とよくある母子の会話が繰り広げられました。すると、どうも、合気道の稽古が終わったあたりから、耳が痛かったようなのです。しかし、病院に行って痛い思いをするなら我慢して過ごそうと決めていたため、いつもと様子が違ったのです。

それは、もう近所の耳鼻科に行く時間ではありませんでした。「楽院に居た時に行っていたら帰りに病院に寄って帰ってきたのに、ダメじゃない」と結局、Yの予想通りしかられたようです。それでも、秘密にしておけないほど痛くなってしまったことを、母親に告白して、それまでとは、打って変わってすっきりとした明るい表情になったそうです。「心配をかけるためにわざと、暗くしていたのでは?」と思うほどの変貌だったようです。救急の病院で、応急手当の方法を教えて」いただき、その日は、ぐっすり寝たようです。

翌日、近所の耳鼻科に行くと、「こんなにひどかったのに、よく一晩、我慢できたね」と驚かれたようです。一般的に、男性より女性の方が、痛みに強いと言われます。これは、出産の痛みに耐えられるためと聞いたことがありますが、Yは男にしては痛みに相当、強いようです。これは、我慢強い父親の血なのかもしれませんが、我慢し過ぎが症状を悪化させることもあるという良い教訓になったかもしれません。そして、どんなに「怒らない」と言っても、お母さんは、予定通り怒ることも分かったでしょう。怒られないように、自分で何でもできるようになるまでは、怒られても、やはり、親に自分の心配ごとを親に解決してもらいたいのが子どもなのだと、元気そうに楽院にやってきたYを見ていて、思ったのでした。
by k-onkan | 2012-10-31 23:26 | 児童 | Comments(0)

観察眼が子供を救う

幼い子供は、自分の感情や気持ちの全てを言葉では言い表す力はまだ、持ち合わせていません。そのため、時に、生活のリズムが変わったり、不安なことが多いなどによって、ストレスが体の症状によって現れることもあるものです。チック症もその一つで、何年かに一度、楽院でもそうした症状を出すお子さんと出会うことがあります。

e0143522_15383825.jpgお子さんに症状が現れると、親御さんはとてもショックを受けるものです。「親が悪かったのではないか」「どうやって症状を改善させるか」「習い事をさせすぎたのでは」と考え、親としてのあり方を反省することになります。自分の心が理解され、口にはできなかったストレスが取り除かれると、たいていの子供の症状は落ち着くようです。しかし、子供の変化に気づかずに、同じ生活を続けていくと、症状がもっと悪化することもあるようです。子供の様子を見て、毎日、何か変わったことがないかを観察していただきたいと思います。

子供にさまざまな症状を出るのは、可哀相なことではありますが、体を通して大人にSOSを出す術があるのは、救いでもあります。なんらかの症状を出せば、大人が手を差し伸べることができるからです。一番、怖いのは、何も言わず、症状も出さず、一人で心の中にいろいろなことを溜め込んでいくことです。子供に症状が出ると、親御さんにもストレスになり辛いこととは思いますが、病気は子供の心の叫びです。どうか、家族みんなで受け止めて、改善できることは改善していただきたいと思っています。

さて、症状を改善するというと、その症状を出さないことだけに重きをおいてしまうことがあるので、それも注意が必要です。症状を改善するために、全てのわがままを受け入れ、幼稚園にも行かず、何もせずに、毎日、テレビを見て暮らしてしまうと、症状は治まっても、いつか本人も家族も困る日が来てしまいます。表面的に症状を落ち着かせることばかりを考えるのではなく、何がきっかけで、どうすることで症状が出なくなるかを長期的に、見ていく必要があります。

また、症状が出た子どもにばかり注意を払っていると、家族の中で他の人や、兄弟姉妹が我慢を強いられる結果もあるものです。人は、皆、関わりあって生きています。症状が出た子供だけを特別扱いしたり、救おうとするのではなく、それぞれが、快適に暮らすために、互いに我慢したり、ゆずりあったり、理解しあったりが必要であることを忘れてはいけないように感じるのです。
by k-onkan | 2012-10-30 23:37 | 幼児 | Comments(0)

子供もいろいろ、大人もいろいろ

とある幼稚園に出かけてきました。年長児19名が12月の木下式の講習会で公開学習を行なうための指導です。幼児が19名いると、一人ずつ、異なる性質も持っていることが分かります。同じ両親から生まれた兄弟姉妹でも、一人ひとり性質が違うのですから、親御さんも家庭環境も異なる子供は、同じ年齢でも、一人ひとり異なるのは当たり前でしょう。

e0143522_14154538.jpg「さぁ、みんなでやりましょう」と言われて素直にできる子もいれば、特別に構ってもらわないと何もしない子もいます。また、大人の指示に従えない子供もいるものです。けれど、大人の指示に従わないのは、そこに悪意があるからではなく、自信が持てないことや不安の表れのこともあります。

若いお母さんや先生が、「こうあるべき」という考えを持って子供に接すると「何でも良いから、大人の言うことをききなさい」と強制してしまうことが多いかもしれません。かつて私も若い頃は、そういう時代がありました。私は長子だったこともあり、幼少期は、大人に素直に育っただろうと想像します。そのため、子どもは、みんな同じように素直だと思っていたのです。ところが、子供が100人いたら100様であり、導かれ方も喜び、人それぞれ違うのです。

どんなに良いことを教えようと大人が思っても、その子供自身に自分から取り組む気持ちや心がないと、強制だけでは身に付かないことが多いものです。そこで、幼児期に大人に求められるのは、その子供が自分からやりたいと思わせるための工夫が大人に必要なのです。子供と対等に喧嘩をしたり、腹を立てるのではなく、その子が問題行動を起こしている背景を考えるのも、必要なことかもしれません。そうして、大人は子供によって、成長させられるのでしょう。

担当の先生は、以前にも、公開学習を実践したこともあり、声も美しい先生です。教えたことをきちんと実践できる優秀なところがあるのです。しかし、それを子どもに喜びを持って取り組ませるためには、子供たちにとって、時に、面白い先生であったり、楽しい先生であったり、厳しい先生であったりを使い分けて子供の心をひきつけることを憶えなければならないのだと思います。若い頃に、ただ一生懸命、公開学習を行った時から、長いときを経て、先生自身が人の子の親となって、更に、良い先生になった姿を見せられるように、頑張って欲しいと思っているのです。
by k-onkan | 2012-10-29 23:14 | 子育て | Comments(0)

最後は忍耐が勝負!?

ここ数年、楽院では年齢制限を越えたお子さまであっても、入学を受け入れることになりました。音感教育を開始する最良の時期は2歳8ヶ月から4歳6ヶ月です。しかし、この時期に、音感能力や木下式について、ご存知なかった方のお子さんで、将来、音楽を楽しめるようになりたいと考えるなら、木下式の基礎教育は有効です。

e0143522_124393.jpg木下式を実践する幼稚園、保育園の先生は、成人してから、木下式の発声を学んでいます。そうした若い教諭方と比べれば、4歳6ヶ月を過ぎても、児童期の開始であっても、まだ早い出会いと言えますが、それでも、適時に開始する方がお子さんの負担にならないことは覚えておいていただきたいと思います。

楽院には下のお子さんが木下式を開始して、兄姉の成長が心配になり、入学をされる方もあります。後から入学した兄姉は、長年、うらやましかったので、最初はとても頑張るものです。けれど、どんなに頑張り屋で頭が良くても、遅くからの入学によって、超えられない壁があるのも事実なのです。それは、発声の問題です。幼児期に訓練を開始したお子さんは、自然に木下式の発声を身につけることができます。深く息を吸って、お腹の底から声を出すことも、何の疑問も持たずに、先生の真似をして身につけるからです。

ところが、ある年齢を超えたお子さんは、自分が持つ知識によって、真似をするため、大人がする通りを真似るのではなく、力任せに大きな声を出して、他の子に負けまいとしてしまいます。頑張れば頑張るほど空回りしてしまうことがあるのです。この時期、それに耐えて、少しずつ、学ぶしか、解決方法はありません。早く始めた子は少なく見積もって2年、余分に勉強しています。その差を埋めるためには、やはり、地道な努力と、我慢しかないということなのです。

適時にレッスンを始めた子も、大きくなって開始した子も、お稽古を始めれば誰もが、カベにぶつかる時期があります。幼い頃は、「やりたくない。でも、やらなければいけない」と自分のわがままとの闘いです。しかし、遅く始めた子の壁は、頑張っただけではどうにもならない能力差の存在を知ることにあります。幼い時期のカベは、乗り越え可能ですが、頑張ってもどうにもならないことを知るのは、可哀相なことでもあります。

また、幼児期と児童期の開始の差は、子供の忍耐力に差を生み出すようです。幼児期に自分で心を決めて「やるべき時は嫌なことでもやる」ということを学んだ子供は、“ここぞ”という時には本気を出せるのです。それだけ、地道な努力を求められた結果でもあります。反対に、大きくなってから始めた子供はよほど、「大好きなこと」でない限り、すぐに結果を求めてしまいます。こうしたことを考えると、適時に開始することで、子供の負担にならないことが多くあるのです。もちろん、小さい頃から始めても派手な結果ばかりを求め地道な努力を怠れば、忍耐力も音感も身に付かないこともあるため、いつ初めても、最後は、努力できる人が一番、良い結果を出すものなのかもしれませんが・・・。
by k-onkan | 2012-10-28 23:02 | お稽古事 | Comments(0)

親の考えがブレないで!

五歳の男の子が体験授業に見えました。ちょっといたずら好きな、子供らしい賢い男の子でした。事前に、お母さんから、「個人授業だと大人のいうことをきけない」とか、「リズムに合わせられない」などとのお話がありましたが、そんな様子は一切、見せずに体験授業はスムーズに終わりました。

e0143522_21423229.jpgなんでも、幼稚園に入る以前の幼い頃に、20個ものお稽古事に掛け持ちして通い、幼稚園も二度かわるなど、その男の子の心には、いろいろな負担があったようです。そして、たくさん通ったお稽古事も結局、やめることになったようです。いろいろな問題が表れているのは、そうした結果であり、能力的に問題があるわけではないと感じました。

親御さんにとっては、「どんなことをしても、わが子に良い教育を与えたい」との切実な願いによるものではありますが、それが、子どもの問題として、表れてしまったことは、とてもかわいそうなことであり、お母さんもとても申し訳なさそうな様子でした。そして、
木下式のカリキュラムによる体験授業を一生懸命、取り組んだ様子をたいへん喜ばれ、「すぐにでも入学したい」という様子を見せられました。しかし、私は「一度、おうちに帰って、家族でよく相談してからにしてください」とお願いしました。

たった5年の間に、大人の考えや感情に振り回され、いろいろなお稽古事を渡り歩いたことで、どこの教室のどの大人の言うことを聞けばよいか、そして、だれとの関係が長く続くか、まったく分からない不安な状態で5年間、暮らしてきた男の子です。もし、楽院に入学して、一生懸命、音感の勉強に取り組むようになって、また、大人の都合で辞めるようなことがあるなら、年齢が大きい分、さらに大きな問題となって心に現れる可能性もあるでしょう。そんなことにはさせたくないのです。

実は、以前、短期間でしたが、この母子とそっくりな生徒を楽院でお預かりしたことがあるのです。その男の子も、やはり、入学制限を超えた年齢で入学してきたのですが、その理由は、どこへ行っても誰の言うことも聞かず、幼稚園や家庭でお母さんが困り果ててしまったからでした。そして、「木下式なら、しつけもできるらしい」との理由から、音感の勉強を始めたのです。

最初は、逃げたり、走り回ったりと、落ち着きのない様子に、手を焼きましたが、数ヶ月すると、ルールを理解して、他のお子さんと一緒に、きちんとした態度を見せるようになりました。ところが、「こんなに行儀がよくなって、落ち着いて学ぶことができるなら、受験勉強も夢ではない」と、諦めていた小学校受験をすることになり、楽しさのあるお稽古ごとは、一切、排除して、受験勉強をすることに方向転換されたのでした。
大人にとって、習い事は一つの科目に過ぎないかもしれませんが、子どもにとって、一生懸命、取り組む心地よさを知って、好きという感情を持ってから、大人の都合で、突然、方向転換を強いられたり、それまでの人間関係を断ち切られるようなことをすると、何かを学ぶ以前に、大切な人格形成に影を落とすこともあります。

どんな理由で入学をされても、私たちは、一度、受け入れたお子さんには、音感教育を通して、全力投球することを教えます。けれど、それが、途中放棄される可能性があるなら、最初から、始めないほうが良いこともあるのです。なぜなら、それは、お子さんにとっても、そして、教える私たちにとっても、とても残酷なことだからです。生徒は来ないより来てくださる方が、ありがたいものです。しかし、それは、もっと幸せになるためであってほしいのです。
by k-onkan | 2012-10-27 21:42 | お稽古事 | Comments(0)

親になるための予備訓練?

30代になる卒業生のMちゃんに数ヶ月ほど前に、赤ちゃんが生まれました。最近、やっと落ち着いてきたとのことだったので、お祝いを持って会いに出かけました。恵まれたMちゃんには、どんなプレゼントも珍しくないと思い、0歳児のためのクラシックの名曲CDと、音程が合っているおもちゃの鉄琴に音感かるたのシールをつけてプレゼントしました。

将来、楽院に入ったときに、音感がよくなるように、ピアノで和音を聞かせていることを聞いていたからです。赤ちゃんの頃は、面白くない和音をただ聴かせるより、美しいメロディー、きれいな音に触れることの方が大切であると感じます。和音の訓練は、そうしたことの先にあるべきなのです。ただし、世の中の美しいおもちゃの楽器の中には、音程に関係ないものも、多数、出回っていることも、知っておいていただきたいと思います。

e0143522_71563.jpgMちゃんは、もう「ちゃん付け」で呼ぶには失礼なほど、落ち着いたお母さんになり、赤ちゃんの布おむつを替えたり、あやしたりする姿がありました。子どもをいつくしみ、育てるMちゃんは、大人として、弱いものを守ろうとする母としての貫禄がありました。赤ちゃんが生まれて、一番、変わったのは、携帯と関わる機会が減ったことなのだそうです。

携帯はとても便利ですが、人と電話でやり取りしたり、ネットを見ていると、赤ちゃんの一挙手一投足を見逃してしまいます。赤ちゃんの変化が気になって、かかってくる電話やメールが後回しになるのだとMちゃんは笑っていました。携帯がおざなりになるほど、幸せなお母さんになっていて、本当によかったと思います。

赤ちゃんを持つお母さんが、だれでも、母性を持って、子育てを楽しめるわけではありません。昔と違って、家族に、大勢、人がいない分、子育てとそれに伴う雑事も、全てお母さん一人でこなさなければならない分、中にはそのイライラからわが子に手をあげる若いお母さんも最近はとても多いのです。お母さん自身に余裕がないのでしょう。

子育てを「子どもと共に成長する楽しいことがら」と思う余裕があれば、子育てほど楽しい作業はないと私は思いますが、わが子に対して、「自分を犠牲にして、わずらわしい存在」と感じてしまうと、それは相当、つらい作業になるだろうと想像します。特に、家で母子二人きりの生活をしていると、気を紛らわすことがない分、追い詰められてしまいます。世の中には、お腹を痛めて生んだわが子に、自分の感情がコントロールできずに、イライラして手をあげてしまうお母さんも相当多いようです。

Mちゃんは、腕に赤ちゃんを抱きながら、子どもの頃、楽院で経験した合宿やオペラなど、懐かしい思い出話をしてくれました。そして、毎夏、参加した合宿が、低学年がいかに楽しかったか、という話になりました。高学年になって班長という役割を持たされた途端、私たちに、叱られたり、注意されることが増えたからというのがその理由でした。

それは、まさしく守られる側から、守る側に移行したという意味なのです。自分のことだけ考え、自分だけが結果を出していればよかった幼い頃と違って、大人に近づくと、自分のまわりにいる小さな者を上手に導くことも求められます。そうして、自分より弱いものを守った経験を持って、自分の子どもを育てることができるのかもしれません。「子育ては親育て」といわれますが、学校の勉強やお稽古事を一生懸命取り組むのは、自分だけのことです。他者とかかわる練習、自分より弱いものの安全や健康を守ったり、自分勝手に行動しないことを覚えるのも、大人になるまでに、練習しておかないと、大人になったからと言って、親にはならないのかもしれません。
by k-onkan | 2012-10-26 23:00 | 子育て | Comments(0)

努力できる幸せ

最近、見たテレビ番組で大学を中途退学する生徒の支援のために、教員がメールを出して、大学に顔を出したり、友達と関わったりできる工夫をする姿がありました。大学の授業で分からないことがないように、アシスタントを置く大学もありました。その支援は、小学校、中学校の生徒に対するものかと、誤解するほどの手厚いものでした。

e0143522_2156439.jpg40代~50代の人生の先輩から、「若者は甘すぎる」「もっと突き放すべき」という声があがっていました。しかし、実際、中途退学して、ひきこもりやニートになってしまう人や、他人と関われず、自分だけの力では這い上がれない若者が多いのも事実だろうと思います。そして、それは、残念ながら若者だけのせいではないのだと思います。そのように育てた大人が存在するのですから。

人は育てられたように育つと言われます。大学生になって、大人から突き放されても自分で答えを見つけられる人は、そうなるように育てられてきた人です。こうした支援を必要とする人は、残念ながら、学校で勉強はしてきても、他人との関わりを学ぶ機会がなかった人のようです。他人は、競争相手であって、関わる相手ではなかったということでしょう。周囲の大人もそのことに、気づかずにきてしまったのかもしれません。

私たちが学ぶべきことは、机の上や本や学校で学ぶ勉強だけをいうのではないと、最近、つくづく思います。自分が苦手な人の意見を聞いたり、時に意に沿わぬことも我慢することも、大勢の人と共に生きるためには、大事なことだったりするのです。

楽院に長く通った卒業生を観察していると共通することがあります。それは、それぞれ、職種や生きる道は違っても、一生懸命、頑張る幸せを知っていることです。子どもたちは、幼児期に、「ここでは何があっても、本気でやらなければ」と覚悟して通うようになります。そこで、全力投球をして、自分の責任を果たすことを学んでいるから、大人になって、「これ」と決めたら、一生懸命、打ち込むことができるのだと思います。

はたから見ると、「あんなに頑張らなくてもいいのに」とか「たいへんね~」といわれることもあるでしょう。しかし、「自分がしたいこと」に全身全霊で努力できることは、実はとても幸せことです。なぜなら、世の中には、自分が「何をしたいか分からない」という人が大勢いるのだそうですから。
by k-onkan | 2012-10-25 21:55 | 教育 | Comments(0)

社会をよくするためにも教育

最近、ある政治家の出自についてある週刊誌に書かれ、政治家はその雑誌の親会社である新聞社の質問を拒否したことで、大きな問題となりました。公人として、ある程度、私生活が報道されることは致し方ないとしても、出身地や先祖によって、人間が差別されるべきではないと思います。なぜなら、それは、政治家本人だけでなく、子孫まで否定することにつながります。問題となった新聞社は、日ごろから人種差別などに強い意見を述べている分、権力者に対するこの差別は違和感を覚えました。

e0143522_1458834.jpgこの件については、いろいろな意見や考え方があると思いますが、編集や出版、販売する過程で、「何か問題があるのではないか?」とチェックする人材がいなかったことに強い心配を感じます。昔は身内であっても間違いがあったら、気づいて正すなど、自浄ができることが日本人の姿であったような気がするからです。一つの物が社会に出るまでに、いろいろな人が関わっています。その中で、間違ったことがあったら、損得ではなく、間違っているといえる人間がいたように思います。しかし、今は、それぞれ、自分の立場によって、目をつむってしまうかもしれません。私たちを含めて、昔の日本人に比べ劣ってきたことを、忘れてはならないと思う出来事でした。

そうした問題が世の中で、騒がれた時期に、私たちは、合同音楽祭の視察で仙台に出かけてきました。地方に出かけると、東京とは異なる子供を取り巻く事情を学ぶことになります。現地の園長先生から「これからは、幼稚園、保育園という枠組みに関係なく、子供の教育していかなければ、それは、社会の責任になる・・・」とのお話がありました。

これまで、幼稚園は小学校の前段階として教育する場所、保育園は健全に子どもを育てるために保育をする場所で教育はしてはいけないなどの制約がありました。しかし、大人の事情に関わり無く、子供は日々、成長していきます。将来、役に立てる人間を育てるという教育で一番大切なことをおざなりにすると、結果的に社会が悪くなるということだと思います。

実際、若い両親が経済的な余裕をもって子育てをするためには、共働きをせずには不可能なのでしょう。それでも、赤ちゃんの可愛い時期は限られているので、なるべくなら、お母さんには、子供の成長を見届けて、愛情を育む時期を大切にしていただきたいとの思いもありますが、それでも、それぞれに事情があるなら、社会に関わるそれぞれが、自分にできることをして、将来、役に立つ人間育てをしなければならないと思ったりしたのでした。
by k-onkan | 2012-10-24 23:56 | 教育 | Comments(0)

無知は、罪!

一ヶ月ほど前のニュースだと思いますが、子どもを育てる親御さんに知っておいてほしいニュースを目にしました。それは、友人からのメールで、「荷物を持ちかえるだけで、千ドル(約8万円)の報酬がもらえる」というメールの誘いに乗った東京外語大学の女子大生が、アフリカ・ウガンダから覚醒剤約1・8キロ(末端価格1億4800万円相当)を密輸したとして覚せい剤取締法違反(密輸)容疑で今年8月に大阪府警や大阪税関に逮捕されたという事件です。

e0143522_1230611.jpg女子学生は「覚醒剤を運んでいるなど気づかなかった」と容疑を否認したそうですが、世間の荒波にもまれた大人や、世の中の事情をよく知る大人なら、「世の中にそんなうまい話はない」とすぐに気づくはずですが、ただ、勉強だけよくして世の中の恐ろしさも、身の回りの危険も意識したこともないまま、与えられた生活を送ってきた世間知らずの大学生であれば、知らない間に、犯罪に巻き込まれることもあるだろうと、年若い学生とつきあいがある私は思ったりします。

せっかく、努力して大学に入学しても、社会のルールを知らずに、気づかないうちに罪を犯したり、人生を棒に振るようなことがあってはならないと思います。ある年齢を超えたら、無知は罪です。昔に比べて、子どもたちに口うるさいことを言う大人が少なくなった分、子どもたちは、危険なものに対する危機感や「なんか、胸騒ぎがする」というような動物的な勘が衰えたように思います。特に、「子どもの人権を守る」という美辞麗句のもと、ただ子どもが快適に暮らせるようにだけ環境を整え、子どもが何も考えずに日々を送れるようにしてしまうと、自分の周囲に潜む危険にも鈍感になってしまいます。

親御さんの中には、「子どもが小さい頃は、人間の醜いところや、お金のことをなどを知らせず、美しいもの、正しいものだけ与えたい」という人もいます。もしかすると、それは、大人が「自分がいやなものを見たくない。だから、子どもにも見せたくない」という考えかもしれません。確かに、いろいろな体験をしてきた大人なら、いやなニュースを聞きたくないという気持ちも分かります。

けれど、これから、大人になって、いろいろなことを経験する子どもには、どのようなものに注意すべきか、世の中に存在する危険なことの情報は、与えておかなければと思うのです。東京の真ん中の交差点で、信号待ちをしている子どもを誘拐しようとする人もいるそうです。これは、「東京が都会だから」ではなく、今や地方都市でも、トランクにつめられて、誘拐されそうになった事件もありました。残念ながら、毎日、耳にするさまざまなニュースは、対岸の火事だと思うのではなく、いつどこの子どもにも起こりうることであり、子どもに注意を促しておく必要があるということなのだと思うのです。日本は、どこの国より平和な国ではありますが、それでも、いろいろ、悲しい事件が起こっているのは事実なのですから。
by k-onkan | 2012-10-23 09:06 | Comments(0)

10歳の壁を超えるために

子どもには10歳の壁があると言われ、教育の世界の謳い文句として、「10歳までが勝負」などと耳にします。私も、長年、音感を教えていますが、その時期から、子どもが大人の言葉を素直に聞かなくなり、物を教えるのが、難しくなるとは、漠然と感じていました。また、10歳を目前に甥の様子が、変わってきたと感じたことから、「子どもの「10歳の壁」とは何か?~乗りこえるための発達心理学 著:渡辺弥生(光文社新書)」を手にとり読み始めたところです。

e0143522_12183289.jpgこの本によると、「10歳の壁」という言葉が使われるようになったのは、「障害児教育」の分野で言われるようになったことが始まりなのだそうです。10歳ごろが、学校の勉強についていける子、いけない子に別れるからということのようです。また、この本の中に書かれていたことではなく、長年、幼児の絵画教育に携わった先生の話では、絵画の世界にも10歳の壁があると聞いたこともあります。その時期を境に感性にあふれた子どもらしい作品が、写実的で面白みのないものに変わるのだそうです。ところが、脳科学の分野で、子どもの脳に10歳で生じるという証拠はないといいます。しかし、発達心理学の領域では、注目すべき時期が、この時期だそうです。

それまで、親が言ったことを疑いなく聞けたのに、10歳を過ぎると、親に褒められるより、友達の社会で認められることの方が大事になったりします。そのため、大人のお世辞のような褒め言葉は、話半分に聞いたり、自分のことを「嫌い」など、否定的な気持ちを持つようになる時期でもあるようです。

幼児期から手をかけて育ててきた子ども、この頃を機会に自発的に行動するように促さないと、いつまでも受身のまま、周囲がお膳立てをしてくれるのを待つ人間に育たないとも限りません。幼児教育の難しさは、大人が少しずつ、手を放していくことにあります。なぜなら、これまで、十分に手をかけた大人にとって、手助けを少なくすることは簡単ではないからです。手を放した途端、子どもが怠けて何もしなくなるという心配もあります。それでも、大人は心を鬼にして、少しずつ、手を放して自立を促す必要があります。また、自分に自立できる能力が備わっていないと、後にその怒りが親に向かうこともあります。


親は子どもが自分の責任で恥をかいて悔しい思いをしたり、失敗して問題を解決することを、除去してはならないのだと思います。子どもの頃から、自分で問題を解決させておかないと、問題が起きるたびに、逃げ出したり、親に解決してもらうことになります。それは、ずっと続いていくかもしれません。

もちろん、手を放すと言っても、未成年なのですから全面的な放任ということではありません。その家の子どもとして守るべきルールなどは決めて、その中で、少しずつ自主性を育むことが大事だと思います。大人が口を出してから行動したり、問題を全て親が助けることを減らしていきたいものです。もちろん、本当に困った時には、大人が手を貸す心積もりは必要ですし、どうしても、困ったらちゃんと言ってよいことも伝えておきたいものです。手を放して、目を放しても、時に、引き寄せて観察する必要もあります。大人びた口をきいても、まだ子どもであり知らないこともたくさんあります。大人として、人生の先輩として、教えるべきことは教える責任はずっと、続いていくのですから。

3年生の甥Yは、昨年からピアノの練習を自分でするようになりました。子ども任せにすると、音楽会で大失敗したり、先生に言われたことが分からずスランプ状態に陥ることもありますが、大人の指示にただ素直に取り組んでいることに安心していると、「大人がうるさいから」とか「やった方が楽だから」と自分の意志で動いていないことがあります。自分のために、自分で努力する力と、大人にさせられているのでは、身につく能力に雲泥のさがあります。大人の知恵でなく、子どもに気づかせることも難しい教育かもしれません。

立派になった指揮者の山田和樹先生も小学生の高学年になって、ピアノの練習がいやでたまらない時期があったそうです。ある時、練習をせずに音楽会を迎え、本番でボロボロになったことがありました。自分で恥をかいたことで、以来、練習をしなければいけないと思い知ったという話もあります。あんなに優等生に見えた人でも、失敗を通して学ぶ時期があったのです。

子どもが失敗することで親が恥をかくこともありますが、子どもが恥をかくチャンスをなくしてはいけません。子どもが気づくまで、穴があったら入りたいことも、我慢するのも、大人の仕事かもしれません。もちろん、時たま、目に余ると、「そんないい加減なやり方でいいの?」と雷を落とすこともありますが、極力、口を出さないように大人も努力していたりするのです。
by k-onkan | 2012-10-22 12:18 | 子育て | Comments(2)