麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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お父さんになった友人へ

久しぶりに連絡をとった学生時代の友人が一児の父になっていました。最後に会った時には、「親になる話」は聞いていなかったので、それだけ、ご無沙汰してしまったのでしょう。私が目にした写真は、お母さんがとても幸せそうで、赤ちゃんも穏やかな顔をしていました。こうして、自分のまわりに新しい命が誕生すると、本当に明るい気持ちになってうれしくなるものです。

e0143522_8495075.jpg新しい命が誕生すると、親御さんはどのような気持ちでしょう。きっと、元気に自分たちのところにきてくれただけで幸福なはずです。けれど、実際に赤ちゃんと共に生活をすると、衣食住を整えることに追われ、その幸せをかみ締める余裕はなくなっていきます。また、どのように育てていくか、何を教えたらよいかを考える時間もないかもしれません。ふと不安になってお父さんに相談しても、「自分たちの子どもだから大丈夫」という漠然とした答えが返ってくるかもしれません。
 
私は大勢の子どもたちとつきあってきた経験から、3歳だった子どもが18歳に成長するまでがいかに速いか、そして、子ども以前に、親が自分の教育観や価値観、考え方を持たないと、子どもたちに迷いが生じたり、後で問題が起きることを実体験で見てきました。子どもに問題が起きてから悩むのではなく、わが子成長の一歩先を見て、子育てや教育、しつけのことを考えていただきたいのです。

「自分の子だから、大丈夫」と信じることも大事ですが、自分の子だからこそ「自分が感じた悩みを持つかもしれない」「自分がした間違いをするかもしれない」「自分が親にかけた心配をかけるかもしれない」ということは心の片隅に残しておきたいものです。

親戚のKくんに赤ちゃんが生まれたときのことです。私たちは、「これもさせて、あれもさせなければ・・・」と少し気負ってしまいました。Kくんのお嫁さんは、「そんなにいろいろとさせなくてもいいんです。うちの子は、天才じゃなくていいです。ふつうの子でいいですから」と。けれど、私たちは知っていました。Kくんが、小さい時に、どれだけ手がかかり、お母さんがいかに苦労をして一人前に育てあげたかを。

もし、今の時代にKくんが育っていたら、まちがいなく発達障害に認定されていたかもしれません。授業時間に校庭に目をやると、一人遊んでいるのがKくんでした。それでも、お母さんは決して諦めませんでした。小さな頃から、漢字を教え、算数を教え、わからんちんにピアノも教えていました。算数は足し算の概念がどうしても理解できませんでしたが、ある時、お母さんは、つきとめました。それは、数はできなくても、「お金」で考えれば、よく分かるということでした。小学校、中学校、高校と、お母さんにかけた苦労は、ふつう以上でした。でも、今は一人前の社会人となり、他人さまの会社のお金についてアドバイスをする仕事につきました。そして、結婚して父親になりました。

Kくんを「ふつう」に育てあげたのは、お母さんの努力です。Kくんの赤ちゃんも、同じだけ努力をすれば、ふつうになれるはずです。でも、何もしなかったら、ふつうは遠いみちのりです。親御さんが「ふつうに」という時、その基準は自分自身です。もし、四年制大学を卒業して企業で働いているなら、自分の子もその程度にはなると思っているはずです。親が医師なら医師、弁護士なら弁護士、先生なら先生になって、やっと、基準が満たされるのです。

しかし、自分と同じに育てるためには、自分が与えられた家庭環境、人との関わり方、学校やお稽古事、人生体験など、さまざまな要素を全て満たしても、同じ人間には育たないでしょう。子どもは親とは別人格だからです。けれど、一つ確実なことがあります。それは、子どもは親が育てたとおりに育つということ。子どもが言うことをきかなかったり、問題を起こしたりする原因は親御さんは分からないことが多いのですが、ご自身にあります。そして、その救いは親が気づいて、変われば、子どもを変えることができるということかもしれません。
by k-onkan | 2012-11-30 23:48 | 子育て | Comments(0)

幼児期は感覚をきたえて

世の中には、百花繚乱のおけいこごとがあります。小学生にでもなれば、自分の好みで選択することになりますが、幼児期は親御さんが子どもに代わって選択することになります。その時に大切なことは、見た目の華やかさや流行より、基礎や感覚を高めるものを見極めると、将来、子どもが専門を選んだ際に、より深く打ち込めるからです。たとえば、フィギュアスケートの選手にはバレエを習っている人が多いはずです。これは、氷上で優雅に舞うために舞踊のセンスが必要だからでしょう。そして、バレエを習っている人は音楽の能力も必要です。バレエを踊る際に、音楽を感じて情感やリズム感が求められるからです。フィギュアスケート、バレエ、舞踊、ダンスなどと音楽は切っても切れない縁があります。日本舞踊を習って、音感を勉強したことが役に立ったという人もいました。

e0143522_3371528.jpg卒業生でフィギュアスケートを頑張るMちゃんという高校生の女の子がいます。彼女は、楽院に通っている間、とても真面目でしたが、楽しそうには見えませんでした。一緒に通う兄弟が歌好きだっただけで、Mちゃんは音楽が好きではなかったのでしょう。しかし、小学校の高学年でフィギュアスケートに出合い、やっと自分が好きなものを見つけられたのです。数年前、久しぶりにMちゃんに会うと、「フィギュアを習って楽院の良さが理解できた」と言われたのです。一つは、一緒にフィギュアを頑張る仲間が音楽を聴いてその拍子を感じられず、楽院で音楽の基礎を学んでおいてよかったことでした。そして、もう一つは楽院の指導陣が、何があっても、絶対にできるようになるまで指導したことを認めてくれたのです。

実は、感覚的な事柄は、幼児期にこそ身につくものであり、コーチに厳しく怒鳴られてできることではありません。楽院の私たちでも高校生の女の子のリズム感を養うより、2~3歳のわらかんちんに教える方が簡単のです。これが、幼児期に感覚教育が必要だといわれる理由です。最近は、母子同伴クラスでお母さんが、リズムに合わせて行進したり、ジャンプができないことがありますが、2歳の子どもの方が上達は早いだろうと思います。

さて、幼児期は、感覚教育、そして、いろいろな科目の基礎となる能力を高めるものを見付けてください。運動なら、サッカーや野球など種目を限定する前に、基礎的な運動能力を高めることです。幼児期に十分に体を動かしておくと、知的教育をさほど与えなくても、後から開始した学習で追い上げが可能です。それだけ、運動が脳に好ましい影響を与えることを意味しているのです。

音楽ならバイオリンやピアノなどの楽器を選ぶ前に、音感能力や歌唱力、音符の読み書きなど、音楽の基礎が何より役に立ちます。外国語を習得したいと思うなら、まずは自分の母語の国語力を高めるために、文字の読み書きから読書、作文へと順序だてて発展させながら、時期を見て、外国語に導入したいものです。また、外国語の発音は、音楽を通した聴覚訓練で代用することもできるのです。こうして、考えると、音感教育は、いろいろなことの基本となるのですが、あまりにたくさんの効果があり、一つに絞れないから、訴える力が弱いのかもしれないとも思うのです。
by k-onkan | 2012-11-29 19:35 | お稽古事 | Comments(0)

言葉の教育が基本

我が家は、家族団らんに動物のドキュメンタリー番組をよくみます。木下先生が、昔から、動物が好きなのです。影響を受け、甥たちもそうした番組を良く見ます。その上、3歳4ヶ月の甥Kなどは、象の国ばかり行っていたせいか、「将来、象使いになりたい」というほどで、最近は、「星になった少年」という象使いの男の子のビデオで、象使いになるためのシュミレーションまでしていたりします。

e0143522_3345847.jpgさて、動物の子育てには、人間が学ぶべき「大切なこと」がたくさんあります。もちろん、人間の親も我が子の衣食住を整え、安全を守り、良い教育を与え、好ましい環境を与えようとしますが、子どもが一人で生きるために、必要な基本「親ができることを、子どももできるようにすること」を忘れがちです。これが、動物とは違うところかもしれません。もしかすると、親が自然にできることは、子ども、できて当たり前と思っているのかもしれません。けれど、鳥に生まれても、羽を使って飛ぶ環境になければ、飛べるようにはならないように、日本人に生まれても、誰からも日本語で話しかけられなければ、流暢な日本語を話せるようにはならないのです。

私たちが母国語を話せるようになるには、二〇〇〇時間、その言語を聞く必要があるといわれます。一日二~三時間、言葉を聴き流して、最初の単語を発するのが約二年後、一歳後期です。しかし、言葉を聞く機会がなければ、三歳を過ぎても言葉は出ないのです。赤ちゃんは口をきけない頃から耳に入る言葉から学んでいます。しかもそれは両方向のコミュニケーションこそ効果があるため、忙しいからと言って、ビデオやテレビなど、一方通行の機械任せでは発達不全を招く恐れさえあるのです。

乳幼児が鋭く反応する声は少し高めの声、つまり若い女の人の声です。少し緊張感があるため、幼児の耳に届きやすいものなのです。これは「Motherese(母親語)」と呼ばれていて、世界共通の現象であることが分かっています。木下式で、音感教育を行う際、私たちをはじめ、幼稚園の先生たちが、少し高めの声で話すのは、幼児に意識を持って、言葉に耳を傾けさせるためでもあるのです。そして、言葉を発達させないと、歌も決して上手にならないのです。

幼児期の言語教育は重要ですが、これを曲解して、赤ちゃんのうちから、外国語に重点を置くことは好ましくはありません。外国語の早期教育の理由は、耳の臨界期を越えると美しい発音が習得できないことにありますが、これは音楽による聴覚訓練でも代用が聞くのです。私自身、大人になってから英語を学んだ時に、発音を真似るのが容易な人は幼少期に音楽を専門的に勉強しているのだと実感したことがありました。

ただし、両親の母語が異なる場合はこの限りではありません。幼児期から二ヶ国語をネイティブの両親から話しかけられるバイリンガルのお子さんは言葉を貯める期間が長くなる分、発語は遅くなる傾向もありますが、話し始めると、双方を理解していると感じます。二ヶ国語を流暢に話せる子どもがいると、私自身、うらやましいと感じることもありますが、彼らの理解の仕方は、私たちの理解とはまた異なり、特有の苦労もあることを忘れてはなりません。
by k-onkan | 2012-11-28 23:35 | 教育 | Comments(0)

愛して慈しんで育てて

最近、立派になった卒業生が、「子どもの頃に通った楽院の力になりたい」と言って、会う機会に恵まれました。一人は私が中学生のころに、楽院に入学してきたHくん。そして、もう一人は、私が指導者になった頃に幼児だったMちゃんです。二人とも、とても立派になっていましたが、Hくんは、何十年前ぶりで、今やすっかり立派になり、会社で責任のある立場で頑張っているようです。小学生の頃の男の子は無口で、楽院に通っていても楽しいのかどうか、よく分からなかったりするのですが、木下先生が怖かったことも含めて、いろいろな思い出があるようです。

e0143522_1229548.jpgMちゃんは、最近、お母さんになったばかりで子育てに奮闘しています。娘のIちゃんには、布オムツを使い、オーガニックコットンの洋服を着せる、そんな子どものためを考える模範的なお母さんです。Iちゃんはオムツがぬれても、泣いて教えたりはしないそうです。そのため、Mちゃんは、いつも「ぬれていないかな」「大丈夫かな」と神経を張り詰めてオムツをチェックするそうです。

ところが、お友達の同じ世代の若いお母さんは子育てがつらく、少しでも、赤ちゃんから離れたいと思いながら、子育てをしているのだそうです。Mちゃんは、私に「なぜだろう?」と言います。それは、きっと、Mちゃんの親御さんが、Mちゃんたち姉妹を育てる際に、喜びを感じながら、向き合ってくださったからだろうと思います。また、楽院で、幅広い年齢で活動する経験も、人の世話をやく練習になったかもしれません。

「母親になって子育てをすること」は親自身が犠牲になることも多く、子どもに縛られているようで、つらいと感じることが多いかもしれません。一生懸命、仕事をしてきた女性にとっては、社会から取り残されたようで辛い気持ちかもしれませんが、子どもを一人前に育てあげるのは、とてもたいへんで立派な仕事です。

子どもが生きる社会のことを知るためには、新聞も読まなければなりませんし、政治や社会情勢にも無頓着ではいられません。何より、子育ては、子ども以上に、親が成長するチャンスです。子どもが親を必要とする時期は、限られています。少しでも楽しい気持ちでお子さんに向き合い、子どもとの時間を楽しんで欲しいものです。

同じ両親から生まれた子どもであっても、それぞれ性質が異なり、子育ての正解は一つではありません。けれど、一つだけ、どんな子どもにも共通することがあります。それは、子どもには親御さんから愛され、慈しまれ、そして、真剣に向き合い、時に叱られたり、褒められたりしながら、親に導いてもらう権利があるということかもしれません。
by k-onkan | 2012-11-27 23:27 | 子育て | Comments(0)

幼児期には基礎能力を

サッカーのエリートを育てるアカデミーについて書きましたが、一つだけ、誤解がないように書いておきたいことがあります。それは、もし、私に小さな娘がいたら、「サッカー」に限定して習わせることはないということです。たいてい、子どもが幼いうちは、本人の意思より、親の選択によって、お稽古事を始めます。そして、それは、将来、子どもが何を選んでも役に立つ基礎能力を高めるものであって欲しいと思うのです。

e0143522_1431468.jpgたとえば、10歳を越えて、自らの体験から、「どうしてもサッカーがしたい」と言うのであれば、その意思を尊重するでしょうが、子どもが小さい頃から、専門を一つに絞って精進するのは、なかなか、難しいものがあります。これが可能なのは、親も専門家である場合と、イチロー選手のように子どもの頃から、自分の目標が明確な場合に限られると思うのです。昨日のアカデミーに登場した少女たちは、「親元を離れてでもサッカーを学ぶ場所が欲しい」という強い意志があるから全身で打ち込めるのでしょう。運動でも、音楽でも、何にしても、親の願望だけで、子どもに何かを続けさせることはできないということを忘れてはならないと思うのです。

さて、音楽にもさまざまな分野があり、楽器にもいろいろな種類があります。将来、子どもが何を選んだとしても、絶対に必要なのが、音感能力と歌唱力なのです。特に音感能力はある年齢を越えると、身につけるのが難しいため、音感がないことで、音楽を諦める人もいるものです。木下先生は、そんな思いをする子どもがいなくなるように、幼児期の音感教育を提唱しているのです。また、自分の喉を使って表現する歌なら、将来、特別に楽器を習わなくても、一生、音楽を楽しむ素地が育まれます。

一般に、子どもに音楽を学ばせたいと考える親御さんは、自身が音楽に対して、あこがれや造詣のある人です。音楽に興味のある人の子どもでも、基礎的な能力を持たないまま、いきなり、楽器を習い始めると、途中で挫折してしまいます。まず、正しい音程で歌うこと、音を聴き分ける能力、音符の読み書き、リズム感などを備えることが一番、大切なのです。

さて、音楽にしても、運動にしても、言語にしても、数学にしても、幼児期に子どもに与えるものは、将来、子ども自らが学ぼうと思った時に、自分で問題を解決できる基礎能力を高めることが一番、大切なのです。幼児期はサッカーではなく体育、バイオリンではなく音感教育。外国語を学ばせるなら、親御さんが外国籍でないなら、それ以前に母国語の国語力を高めることを考える必要があると思うのです。
by k-onkan | 2012-11-26 23:29 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

サッカーのエリート教育に学ぶ

日曜日の夕方、何気なくテレビを見ていると、サッカーの才能がある少女たちを集めて寮生活をさせながらサッカーを学ぶ環境を与えるアカデミーがあるというドキュメンタリーが放映されていました。このアカデミーでは「世界基準」を目指し、中高一貫教育によって、より良い環境を与え、サッカーのエリートを育成するのが目的のようです。

e0143522_13152371.jpg「女の子にサッカーなんて・・・」という意見もあると思いますが、ある年齢を超えた子供が、「これがしたい」と強い気持ちを抱いたら、それに全力で打ち込むことしか幸せと感じることはないのだろうと思います。サッカーに打ち込む少女たちは、みな、男の子のような様子で、「女性らしくすること」よりサッカーをすることが幸せなのだろうと漠然と感じます。

さて、このアカデミーに通う子どもたちは、寮生活をしながら、公立中学に通っています。朝の食事が終わると、自分で皿を洗って、家庭にいたら絶対にしないことも自分でして、でかけていきます。親もとを離れて自立する上では、とても良いことであると感じます。特に感心したのは、サッカーの練習以外に用意された課目です。法律、英語、コミュニケーション能力を高める授業などがあります。

法律は、将来、クラブチームに所属する際、自分の契約や置かれた状況を理解して対応できるようにするためのようです。また、外国のチームでプレーをすることも考え語学も必須です。けれど、一番、関心したのは、コミュニケーション能力を高めるためのクラスでした。たとえば、図柄を見せられて、それを他人が理解できるように言葉で説明するなどです。

少女たちがみな「サッカー好き」だと言っても、その中で、世界的な選手となって活躍できるのは一握りのはずです。中学生のこの時期に、ただサッカーの能力だけ引き出すことに躍起になってしまうと、将来、社会に出て、“つぶし”がきかなくなる心配もあります。そうしたこともふまえ、人間的な面の教育と育成も重視しているのでしょう。

そういえば国際大会で活躍した多くの選手を輩出したフィギュアスケートの山田満知子コーチは、フィギュアを教えた子どもの親御さんから、「お姑さんのいる家にいってもちゃんとやっていけるように仕込んでくれる」との評判があるほど、しつけに厳しかったそうです。これもまた、フィギュアスケートの世界しか知らずに、そこから離れた時に、社会で対応できるようにとの親心だったのだろうと思います。

木下式を受ける子どもたちも、みなが音楽家になろうとしているわけではないでしょう。けれど、音楽の勉強を通して、社会に出て自分の人生を切りひらく強さや誠実さも学んでいるのではないかと確信しています。さて、世の中はめまぐるしく変化しています。世界も、歴史も、ビジネスも。教育も、何一つとっても、昔と同じまま、変化しないものはありません。その中で、知恵を使っていかに、前向きに生き抜く強い人間を育てるかが、これからの教育には求められているのだろうと思うのです。
by k-onkan | 2012-11-25 22:15 | 教育 | Comments(0)

機内で泣く赤ちゃんの記事について

飛行機に同乗した1歳くらいの乳児が泣き叫んだことに逆上して、着陸態勢でありながら、席を立って走って乳児のお母さんに「初めての飛行機なら仕方ないけれど、もう少し大きくなるまで、飛行機に乗せてはいけません。赤ちゃんだから何でも許されるというわけではない」と告げた漫画家が書いた記事が話題になりました。

e0143522_1183990.jpgこの人は飛行機会社に対しても、「子どもが泣いたら、逃げ込める場所を用意したり、子どもが騒いだときに、寝かしつけられ薬を親に持たせるように周知徹底せよ」と要求したと書かれており、いろいろな人が、「泣いている赤ちゃんの親もつらいのだ」とか、「口がきけない赤ん坊に怒っても・・・」と意見していました。しかし、赤ん坊の都合を考える人はあまりいないようです。

機内で、赤ちゃん連れで申し訳なさそうにするお母さんも、確かに気の毒ではありますが、一番、つらいのは、ただ泣くしかない無力な赤ちゃんです。赤ちゃんは、お母さんの不安や苛立ちも強く感じるものです。赤ちゃん連れの保護者には、公共の場に出る前に、「他人に迷惑をかけて、自分もつらい思いをすること」も予測し、さまざまな準備をした上、でどっしりと構えて出かける余裕がほしいものです。

昔に比べ、公共の場で泣いている子どもの横で、お父さん、お母さんが見ないふりをしている姿を見かけるようになりました。毎日、一緒に暮らす両親には、当たり前の泣き声かもしれません。また、親御さん自身も、泣いているわが子をどうしてよいのか分からないだけかもしれません。しかし、他人には不愉快なものであることは事実です。子どもが泣くには、必ず理由があるものです。「泣くと、皆に迷惑だから我慢してね」「あと少しだから、我慢しようね」とか「お腹がすいたんだね。何か飲んで我慢しようか」と、親御さんが相手をすることで、気がそれることもあります。

赤ちゃんは、泣くことで自分の気持ちを表現しています。飛行機の中は、気圧の変化でつらいから泣いているのです。周りのお客さんの視線と迷惑そうな態度から、お母さん自身も不安でしょうが、一番、つらいのは、泣いている赤ちゃんであることを忘れないでほしいものです。

赤ちゃんを泣かせっぱなしにすることには生理的な危険もあるのです。昔は、赤ちゃんを泣ききらせると、ひきつけを起こすから可能性があるといって、泣かせないように気をつけたものです。これは、アルカリ血症といって体液の恒常性が崩れる危険性もあるのです。

もちろん、乳児を飛行機に乗せるのは、いろいろな事情があってのことで、この漫画家がいうように、「子どもに眠くなる薬を投与して・・・」というのは決して賛成できることではありませんが、赤ちゃんは、体力も精神力も、「大人と同じではないこと」は、連れて歩く大人が忘れてはならないことだと思っています。

ただし、この漫画家の着陸態勢に入っている機内で、シートベルトをはずして動きまわる迷惑行為をしたことで、正しいはずの主張も、彼女の身勝手な行為と写り、批判を受けたのでしょう。何より、彼女には、その昔、自分が、赤ん坊だった時、大勢の人に迷惑をかける存在であったことを忘れた寛容でない態度が、これだけの大きな反感を生んだのかもしれない、そんな風に感じた出来事だったのでした。
by k-onkan | 2012-11-24 23:07 | 子育て | Comments(0)

自分の国を知ろう!

今、ツイッターで注目しているのがエジプト生まれのフィフィさんという女性タレントです。両親と共に、2歳から日本に住む彼女は、私たち日本人より日本のことに詳しいようです。「日本人は、自分で考えないように教育されている。それは、外国に出るとよく分かる・・・」。そんなつぶやきで私も、自分が初めてアメリカに行った頃を思い出しました。

e0143522_021835.jpg日本に住んでいると、自分が日本人であることを意識せずに、暮らしていますが、海外に出れば、私は「日本人の木下麻奈」として認識されます。他国の人が自分の国の歴史や文化、政治、宗教などに誇りを持っている中、私たちは、自分の国のことを何も知らず、その上、卑下したりしてしまいます。残念ながら、フィフィさんの言うとおり、私たちは、確かにそういう教育を受けていると感じるのです。

多くの民族が住むアメリカという国で、自分の出身国を卑下してアメリカにあこがれても、だれも信用も尊敬もしてくれません。どんなに居住権や市民権を取っても、文化や価値観まで、アメリカ人になるには、何世代もかかります。私たちは、日本人であり、もっと日本のことを知っていないと恥ずかしいのです。

フィフィさんは「エジプト人の自分が何かすれば、日本人みんなから、「エジプト人なんて・・・」と非難され、同胞に迷惑がかかる。だから、恥ずかしくない行動をしなさいと、教えられた」と発言しています。そういえば、私も、アメリカで自分が日本人であることを思い知らされたことがありました。それは、日本を標的にしたデモが起きた時のことでした。当時、日本車の売り上げによって、アメリカ車の人気が下がっていたのか、ミシガン州で日本車に火をつけ燃やすデモが起きたのです。ニュースが流れた時、ホームステイ先の子どもたちが一斉に私の顔を覗き込みました。「ほら、あなたの国のことだよ。こんなに憎まれているんだよ」と意地悪な視線を感じました。その時に、「違う国の人間なのだ」と思ったのでした。

今は、臆病な若者が増えたのか、留学だけでなく、海外旅行に行く人も減っていると聞きます。けれど、自分の国から遠く離れたところだから、理解できることもたくさんあります。世界はどんんどん変化しています。これまで、当たり前だったことも、どんどん変わっていきます。自分の狭い世界だけに、ひきこもらずに、いろいろなことを見て、体験できる大人に育ってほしいと思うフィフィさんのつぶやきだったのでした。
by k-onkan | 2012-11-23 23:19 | 教育 | Comments(0)

昼ごはんの大事件ー2-

カレーを食べるKを横目に瑠音先生は、兄甥のお迎えに出かけようとしていました。それに気づいたKは、「行かないで~」と大声で泣き始めました。魚ご飯をカレーにした罪悪感から、自分が見捨てられたような気がしたようです。しばらく、瑠音先生はKを抱きしめたり、握手をしていましたが、結局、時間になって出かけていきました。

e0143522_1950509.jpg置いてけぼりのKは、悔しさから、もう食事はできません。食卓でボロボロ涙をこぼします。私はKを抱きながら、「いつまでも泣かずに、カレーを食べよう」とか「お腹空いていたんでしょう?」と優しい言葉をかけてみましたが、泣いている子供に優しい言葉をかけられると、余計に泣くのは音感のレッスンの時と同じです。子どもの気持ちを変えさせるために、厳しい言葉がけが助け舟になることもあるのです。

「Kちゃん。いつまでも泣いているとじぃじとばぁばも、不愉快になるから、そろそろ、泣き止みなさい」。私が少し怖い声を出すと、すぐに「ハイ」と答えます。ところが、まゆみ先生が、優しく「デザートがあるわよ」と機嫌を取って、Kの服が汚れないようにと、タオルを優しく首にかけました。すると、まゆみ先生の優しい言葉に、Kは、タオルを乱暴にとり怒ったそぶりで床に投げ捨てたのです。まるで、(ばぁばが、カレーをかけるなんて、余計なことしたから、お母さんが怒ってボクを置いて行ったじゃないか)と言わんばかりの八つ当たりです。その上、いつまでも食卓で涙をこぼすので、Kには甘い木下先生からも「もう食べなくていい」と言われ、結局、私の膝の上に戻ってきました。

しばらく、無視していると、だんだん気持ちが落ち着き静かになってきました。私は、「Kちゃんは、「ばぁばがカレーをかけたからお母さんが居なくなった」と怒っているのかもしれないけれど、Kちゃんのために、かけてくれたのよ。お母さんが戻ってきて、ご飯を食べ終わっていなかったら、「まだ食べてなかったの?」と今度はもっと怒られるんじゃない?」とお母さんの怖い顔を思い出させました。

わがまま者のKですが、一つ、良いところがあるのです。それは、物事の理屈が理解できることです。通常の3歳は、言葉で物の道理を説明したり、交換条件を出しても、その意味が分かりません。自分の感情ばかりが先立ち、言葉の意味が耳に入らないのです。Kは、そうした心の機微や、自分のしたことがどのような結果を招くかなどの想像は、これまでの体験から、できるようになっています。

しばらくすると、自分で「Kちゃん、食べる」と言い出しました。「食べるなら、自分で歩いていきなさい。抱っこはしないわよ」。音感のレッスンを嫌がって泣いた子が、機嫌を直した後も同じなのですが、子供が一度「やる」と心を決めたら、いつまでも大人は赤ちゃん扱いをしてはなりません。自分から食卓について食べ始めたKの姿に木下先生が、「おぉ。K、おりこうになったなぁ」と大げさなほど褒めたたえます。これも、音感の勉強の時と同じです。

私は食事の後、Kにお説教をしました。「Kちゃんは、ばぁばが優しい人だから、何をしても良いと思っているかもしれないけれど、本当は優しい人が、一番、怖いのよ。そして、ばぁばを甘く見る人は、不幸になるわよ」。Kは、これまで聞いたことがなかった「不幸」という言葉に、「ん?何、それ?」といいます。「ばぁばを大事にしなさいと、優しい人にひどいことをすると、自分勝手な人間になるってことよ」。日本の国の外交問題ではありませんが、世の中には、優しくするほど図々しい態度を取る相手がいます。子供も一緒です。子どものわがままを何でも受け入れたら、いつか、恩義を感じて、恩返しをしてくれるなどと思うのは、大きな勘違いです。

子供の頃、自分のわがままが通った人は、大人になっても、他人のわがままは聞けないものです。我が子が可愛いと思ったら、いつも言いなりになるのではなく、たまには、「いい加減にしなさい」と怖い声を出すことも子どもに生きる知恵を学ばせることになります。さて、ふだんは誰より、献身的で優しいまゆみ先生ですが、実は、怒らせると、木下先生や私よりもずっと、怖いことを楽院で育った子供たちなら分かるでしょう??
by k-onkan | 2012-11-22 19:50 | 幼児 | Comments(0)

昼ごはんでの大事件ー1-

まゆみ先生が用意した昼食を甥Kにランチプレートにして瑠音先生が出したときのことです。お腹が空いて機嫌が悪かったせいもありますが、「えぇ?おさかなぁ?いやだぁ」と不平不満を口にした上に、魚のかけらを手に取り、ポイッと捨てたものだから、さぁ、たいへん。瑠音先生は、「カレーしか食べない人は、幼稚園で迷惑だから、「やっぱり、幼稚園は入りません」って園長先生にお断りしてくるわ」。いつも食事の用意するまゆみ先生にKのわがままが申し訳ないとの配慮と、前の晩の自宅での食事もカレーだったkとで、瑠音先生は、いつもより厳しい口調になっていきます。大好きなお母さんに叱られ、その上、「幼稚園も行かれない」と言う言葉にKは大泣きです。

e0143522_9551766.jpg来年4月からお世話になるKの幼稚園は、食生活をとても大切にしています。給食は最後まで食べ終わった子どもからお帰りになります。Kは普段から、カレーや納豆など好物ばかりを食べたがる傾向があるため、入園までに食わず嫌いを直しておかなければなりません。

長女の私は、「好き嫌いはいけない」と祖母をはじめ、大人たちからうるさいことを言われて育ったため、大人になって食べ物の苦労はありませんでした。しかし、末っ子の瑠音先生は忙しい大人に食事についてまでうるさいことを言われないまま、好物ばかり食べて育ち、大きくなってから、色々な苦労があったはずです。自分の子どもには、好き嫌いなく食べられるようにしておいてやりたいという気持ちもあるから、怖い声になるのです。

こんな時は、私は優しい伯母役を引き受けます。抱き上げて穏やかな声で「Kちゃん。あのね。そんなに、カレーが好きな人は、インドの子どもにならなくちゃいけないわ。インドなら、朝昼晩、カレーを食べても叱られないから」と少々、辛らつですが本当のことを教えます。私の話で「毎日、カレーが食べられるなら、インドの子どもになってもよい」と思わせてはいけないので、さらにパソコンでインドの様子を探しました。「でも、インドには、ゴミの山から、一生懸命、食べ物を探さないと、何も食べられない子どもいるのよ」と食べ物を探しているはだしの子どもたちや、汚い川の中にいる子どもの様子も見せました。たとえ、好物でなくても、毎日、バランスよい食事が出てくるKはとても恵まれています。

すると、さらに瑠音先生が「インドだって、お金がある人しかカレーは食べられないわよ。ちゃんと、出してもらったものを食べなさい」。Kは、お母さんのこの声を聞き、素直に「ハイ」と言って、おさかなの昼食を食べるはずでした。ところが、優しいまゆみ先生が気をきかせて、「嫌いなものもカレーをかければ食べられるわよ」とほぐした魚をのせたご飯の上に、カレーをかけていたことで、事態は急展開です。

実は、Kは魚が嫌いなわけではありません。お腹がすいた時に、みなが忙しかったなどの心の葛藤を「おさかな」に八つ当たりしたに過ぎません。まゆみ先生の肩を持つなら、昔かたぎでわがままな父が食事の席で、「これは嫌だ」と言ったら、すぐに他のものを出す感覚でKのわがままも受けいれただけでしょう。けれど、一家の大黒柱の父と子どものKでは立場が違います。父が許されることがKにも許されると思わせたら、後にKは感謝を忘れた困った男に成長するかもしれません。

けれど、母の気持ちもよく分かる私たちは、「なんで、カレーなんてかけるのよ。せっかく、嫌いなものを食べなさいって、教えたのに」と怒ることもできず、二人で顔を見合わせて静かにしてしまいました。実の母と娘でも互いに「良かれ」と思ってしたことで、こんな混乱が起きるのです。これが嫁と姑だったら、もっとたいへんです。

メソメソしながら、Kはカレーご飯を食べ始めました。「結局、カレーを食べているじゃない」という瑠音先生の不愉快な気持ちを理解しつつも、大好きな祖母がかけてくれた好物のカレーを口に運びます。私は、「こうして祖父母に可愛がられている子どもは、知らず知らずのうちに、わがままに育っていくのだ」ということを目の当たりにしつつ、それでも、世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな価値観と関わって育つことが、子どもにとって大切なのかもしれないと思って、見ていました。<つづく>
by k-onkan | 2012-11-21 23:54 | 幼児 | Comments(0)