麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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あきらめないことが教育!

1年生のYくんのお母さんから嬉しい報告がありました。それは、科目によっては、普通級で勉強できるということでした。Yくんが音感を始めてもうすぐ3年になります。最初は泣いてばかりで、何を言ってもお母さんの名前だけを呼び続けていたものでした。しかし、音に素直に反応できること、私の言葉を理解する様子に少なくとも、木下式で教えることは他の子と同等の能力を与えられると思っていました。

e0143522_1558378.jpg木下式の訓練は2~3歳の“わらかんちん”が相手でも、確実に理解できる方法と手厚い段階を経て高度な音楽能力を身につけさせる教育です。たとえると一つのものを上から、下から、前後から、左右から、斜めから、考え付くありとあらゆる方向から教えこみます。これだけ教え込まれればいやでも理解できる、それが木下式の「音感かるた」です。このかるたを言葉で、歌唱で、頭で、目で見て、耳で聴いて、指を使って、鉛筆を持って覚えていきます。その成果が歌唱力であり、聴音能力なのです。

木下式は懇切丁寧な教育法ですが、同じ時期に始めたからといって、みなが同じ伸び方をするわけではありません。それぞれに苦手なことがあり、その克服の度合いによって、総合的な習得の時間が異なります。たとえば、声を出すことが苦手な子には声が出るようになるまでが試練です。また、歌が好きでも思い通りに体が動かせないと、音は分かっても、それを書きとるのに時間がかかります。頭が良くても大きな声を出すことが苦手な子もいます。みんな違いますが、目的は、歌唱力と聴音能力の習得なのです。

Yくんは発達障害というハンデはあっても、素直に学ぶ素地がありました。声も最初はあまり出ませんでしたが、真似することは得意で、できるようになったことは忘れませんでした。自分の手や指、体を操ることも苦手でしたが、スポンジを握る練習など、家庭でお願いした宿題は協力していただき、鉛筆で音符を書くことも、少しずつ早くなりました。また、木下式で行うリズム訓練は、多少、奇妙な体系でしたがリズムに合わせることはできました。音楽に関連していることは習得が早かったのかもしれません。

彼に弱点があるとすれば、レッスンの気分になる前に楽院に到着すると、涙が止められないことでした。これは、諭したり、気分転換をしたり、時に怖い声でおどかしたりなどで、気分の切り替えを教えました。また、いろいろな行事を通して、楽院に来たら何があっても「やるべきことはやる!」ことを学びました。少しずつ確実に進歩するY くんを見ていたので、学校の勉強も絶対にできるようになるはず、と信じてきました。

楽院で育った子は、「空気を感じよ」と教えていることもあり遠慮がちで、自分の能力を、初対面でいきなり誇示するような我の強さは見せませんが、内面の強さ、忍耐力、長時間、継続でしてがんばるところが評価されると感じます。Yくんが1年生になったとき、「支援級の下の方です」というお母さんの言葉に「絶対、いつか他の人にはない長所を認められるはず」と知っていたのでこのニュースにあまり驚きませんでした。

けれど、何より嬉しかったことは1ヶ月ほど前、私の風邪がひどかったときのことでした。ピアノの伴奏をしながら、歌唱指導をしていた私がひどく咳きこむと、他のだれでもなくYくんから、「大丈夫?」との言葉がありました。「発達障害を持つ子は心の機微がわからない。感じ方が違うから」と言われますが、私をいたわるYくんに、「発達障害だからこうに違いない」との決め付けは禁物だと感じるのです。

発達定型であっても、そうでなくても、大人と子どもは感覚が違うということを私たちは忘れてはならないと思います。子どもたちにとって、社会は知らないことばかりです。子どもは好奇心の固まりです。子どもの社会で、競いあうことも、友達とのトラブルも、子どもにとっては新鮮なことで、経験しなければならないことなのだと思います。

大人は、幼い子どもが厳しいレッスンを受ける様子に(もし、自分がその立場だったら・・・)と考え、こんな風に恥をかかされたくないと「子供がかわいそう」と口にしてしまいます。けれど、幼い子どもにとっては、本当のことはとても大切なことであったりします。「子どもだから」「まだ分からないから」「この子は気が弱いから」「混乱させてはいけないから」「特有のこだわりがあるから」・・・。さまざまな理由をつけて大人がかばい立てすることで、本当は説明されれば理解できることができなかったり、本来なら、理解する可能性を狭めてしまうこともあることを忘れてはならないと思うのです。たとえ、どのようなハンデがあっても、子どもには大人にはない柔軟性や感覚の良さが秘められているのですから。
by k-onkan | 2013-02-28 23:54 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

子どものころの癖はいつまでも

数日前、子どものころ、楽院に通っていたというお母さんのお子さんが、お祖母ちゃまにつれられ、体験授業に見えました。お母さんは3歳から小学校の低学年まで通い、オペラも体験しています。現在は、教諭として忙しく働きながら、一児の母となりました。

e0143522_1144361.jpgお祖母ちゃまは「試験で落とされると困るので、早めに体験に来ました」といわれます。お母さんが楽院に通っていたころは、入学希望者も多く、面接でお断りするケースも多くあったので、それを心配されたようでした。最近は、そういう方のために、母子同伴クラスを作り、親子で学べるようにしています。

その方のお家には、今でもお母さんが使った音感かるたをはじめ、木下式の教材の全てが保管されているそうです。楽院に通ったことが自分の人生に役立ったと感じ、「わが子も是非、通わせたい」と思っていただけることは、たいへんうれしいことです。

お話の中で、その子のお母さんには弟がいたことを思い出しました。しかし、お姉さんほど長くはお稽古が続かず、途中で退学されたと記憶しています。お祖母ちゃまは「今も昔のまま、相変わらず・・・」と少し恥ずかしそうに言われました。小さな頃に途中で物事を諦めることを許されると、その習慣は大人になっても続くものかもしれません。

そのときは、「自分の子が出来が悪い」と思ったり、子どもが泣き言を言ったりしても、子ども自身が、自信を持てるまで、区切りの良いところまでは、お稽古事は継続しなければ意味がないと感じます。大事なのは、その時の出来、不出来より、精神の修練であり、長い目でみた成果なのです。

幼い子どもを比べると、女の子より男の子の方に可愛さがあるものです。それは、男の子の方が幼かったり、手がかかったりして、赤ちゃんである証でもあります。しかし、可愛いボクちゃんもいつか大人になって、一人立ちして、家庭を持って、次世代を育てる強い大人に育てなければなりません。

親御さんは心を鬼にしてでも、「男としての教育」「強さを備える教育」「精神を鍛えることの重要性」を忘れてはなりません。元来、強さも意欲もある女の子を鍛えることで、男の子はもっと生きづらくなることもあるでしょう。「うちの子は、甘えん坊だから・・・」とか「私がいないと何もできない」と喜んで甘やかしていると、大人になっても、「小さい頃のまま」かもしれません。男の子の力を見くびり、つい甘やかす傾向を持つ私たち女性が一番、気をつけなければならないことは、男の子を甘やかすことなく、本来、持つ男の子特有の長所を引き出すことなのかもしれません。
by k-onkan | 2013-02-27 23:13 | 教育 | Comments(0)

子ども換え、されちゃうよ!?

「こども換えをするわよ!」という瑠音先生の言葉でとてもいい子になった甥たち。その数日前のことでした。朝から、「にぃに、Kちゃんのおもちゃに触らないで」「これは僕のだから、Kこそ使わないで」と喧嘩をした兄弟に、「そんなに悪い子供は、「子供換え」をしてもらうんだから」と言い放った瑠音先生。

e0143522_1320222.jpg「どこの子供と交換するの?」というまゆみ先生に、私が口を出し、「世の中には、親御さんがいない気の毒な子供が施設にたくさんいるから、そこで交換してもらったら?でも、喧嘩ばかりしているなら、同じ施設では交換できないから、兄弟は別々ね・・・」と、さらに追い討ちをかけました。「よその子にされたらたいへん」と思った甥たちは、「こども換え」と聞くと、とても良い子に変身するようです。

数日経って、瑠音先生はだんな様から「次から次へと良い方法を考えつくものだね。子供が言うことを聞かなかったら、叩いたり、怒ったりしておしまいにするお母さんも大勢いるのに、瑠音は子供たちが自分から良い子になるように上手に仕向けるねぇ・・・」とお褒めの言葉をいただいたといいます。

もちろん、この方法は、子どもがきちんと親から愛されていると確信がある中で使わないと逆効果ですが、しつけをするために、その時々、こどもにとって「怖いこと」「いやなこと」などのペナルティーは必要であると感じます。どんなに、かわいい子供も成長して知恵が身につけば憎らしい言動もするようになるものだから。

今日も、職員室で仕事をしていると、「トイレ~」という甥Kの声がしました。私が「一緒に行ってあげようか」と席を立つと、「おかあさんじゃなくちゃ!いや」と駄々をこねました。その言い方があまりに憎らしかったので、「じゃぁ、いいわ。私は「甥換え」をする。これからは甘いものをあげたり、かわいがるのも、よその甥にしよう!」。すると、急に驚いたKが私の手をつかんで、トイレへと向かいました。心なしか、下手に出て可愛いのです。

そういえば、昔、私たちが、子供のころ、悪いことをすると、「こんな悪い子は、うちの子じゃない。川で拾ってきたのかもしれない」と母に脅かされたことがあります。小さいころは、その言葉に涙を流して反省したものですが、後に大きくなって「本当に自分はうちの子じゃないに違いない。きっと、どこかにもっとやさしい本当のお母さんがいるに違いない」と言って、母から、もっと叱られたことがありました。甥たちもいつか、そのうちに「そんなこと言ったって、交換なんかできやしない」と気づくときがくるかもしれません。しかし、今はこの方法で、良い子になれる甥たちをほほえましく思うのです。
by k-onkan | 2013-02-26 23:18 | 幼児 | Comments(0)

過保護すぎていませんか?

津の駅前ロータリーには、「こんなにたくさん。どこから?」と思うほど大勢の人がバスを待つ長い列ができていました。そういえば、いつも宿泊しているホテルが受験生の利用で部屋がほとんどないと言われていたため、すぐに、受験生が学校へ向かう臨時便が出ていることがわかりました。ところが、列を見ると、受験生ではない年頃の大人がたくさん並んでいるのです。じっくり観察すると、どうも、受験生の保護者のようです。

e0143522_8523432.jpg私はこの様子に「最近は地方でも、宿泊して高校受験をするのか」と思い込んでしまいました。なぜなら、学生の顔つきがとても幼く、たくさんの保護者が付き添っていることから、「まさか、大学受験ではないだろう」と思ってしまったのでした。ところが、後で、それが国立大学の二次試験であったと知りました。

親が忙しく働いていた私は中学の入学式から、一人で参加するような子どもでした。また、並んでいる学生の年齢には、単身、アメリカに渡ったこともあり、親同伴で受験することに疑問も感じない日本の若者が、自分でものを考え、決断できない理由を垣間見たような気がしました。順調にいけば、4年後には社会に出て働くこの人たちは、就職も結婚も冗談ではなく保護者の助けがなければ、何もできないかもしれません。

私たちの親世代は戦争によって物資もなく、子どものためにしたいことがあっても、できない事情がありました。けれど、時間的にも物質的にも、余裕がなかった分、子どもも大人にならなければなりませんでした。その分、子どもも一人前として、頼りになるように育ったものです。

「今は時代が変わったから」「それが当たり前だから」とまわりがする通りに子育てをしていると一人では何もできない大人を育てることになりかえません。寮生活をしたり、保護者がいない場所で、困難にぶつかることで、子どもは自分で判断して解決する力を育てるものです。親は、「自分が同じ年頃に何をする力があったか」を考えて子どもに接したいものです。本来は、18歳にもなった子どもは、大人が驚く能力を持ちえるのですから。
by k-onkan | 2013-02-25 23:51 | 子育て | Comments(0)

子どもの成長が喜びに

合同音楽祭の練習が週末に続いたため、長くお休みをいただいていた三重県の教室の指導にうかがいました。お正月を越えて二ヶ月ぶりに会った子どもたちは、それぞれに成長があり、うれしく感じました。中でも4年生のMくんが美しい声で発声したり、聴音書き取りをする姿に、子どもの成長の速さを感じます。最初に会ったころ、Mくんはまだ年長児だったと思います。当時、保育園に通っていたMくんは、午後にお昼寝の時間があるとかで、音感の授業になると、すぐに眠くなってしまう、そんな男の子でした。音階の配列を記憶させようと、大人が躍起になっても、本人は今一つ身が入らず、私は、このままでは音感がつかないと、本気に心配したことを記憶しています。

e0143522_21524728.jpgそんなMくんが単音や難しい和音聴音を書き取る姿を見ると、何事も信じて継続することで本人の力になると感じます。Mくんはとても美しい声を持ち、音楽に対して、他の人にはない憧れを感じているようです。将来、趣味として楽しむにしても、音楽が彼の人生を豊かにしてくれると確信できるのです。

Mくんが、レッスンに来たころ、ちょうど、年中の男の子が勉強していました。私に甘えたり、ふざけたりする少年の姿を見守る姿が、とてもお兄さんらしく見えました。「君も、最初に会ったとき、こんな風に幼かったのにね」と思い出話をすると、「ここに来て、寝転がっていた」と当時のことを振り返ります。「ずいぶん、立派になったね」というと、「先生たちのおかげです」と言うではありませんか。10歳を境に生意気になるのが一般的なのですが、この子はまだ素直に感謝を表し、性質の良さを感じ、私の方が癒されました。子どもの成長を見られるのはとても楽しいものであり、いろいろな喜びがあるものです。こんなとき、自分が幸せな仕事をしていると感じるのでした。
by k-onkan | 2013-02-24 22:51 | 子育て | Comments(0)

久しぶりに子供達と会って

音楽祭が終わって二週間ぶりに子供達に会いました。音楽祭の感想を聞いてもあまり面白い返事が帰ってこないので、作文を書かせましたl。但し、私たちが知っていることは書かないという条件付きにしました。たとえば2月11日に音楽祭が開催されたこと、新宿文化センターで行われたこと、何の種目に出たかなどは一緒にその場にいた人は知っています。「音楽祭のことで他の人が知らないこと」。それが、お題にしました。

e0143522_11212049.jpg 面白かったのは、当日の朝に欠席者に代わって急遽、カスタネットの代役をしたMちゃんの作文でした。音楽祭の日についてお話ししましょう。という文章から始まるその作文は、一回しか練習せずにカスタネットの模範技となった不安、そして無事に済んだ安堵まで書かれていました。また、自分が与えられた大役が自分の一番の見せ場であり決して失敗できないという気持ちなどが書かれていました。

他には、弟の引率をした3年生のYのものも、その時の彼の本音が書かれていて興味深いものでした。一番、緊張したのが音感で、二番目が弟の引率だったという作文は、出番が近づいているのに「お母さんに会いたい。帰りたい」 という弟が楽屋に戻りたがっているが道が分からず舞台を通ろうとする弟に右往左往する様子が書かれていました。出番の寸前になっても泣き止まない弟に「誰かきて」と思っていたこと、そこへ、私が現れ喝をいれられどうにか泣き止んだこと。次回は自分だけで弟を聞き分けさせられるようになりたいことが書かれていました。そして、肝心の独唱は、一番難しい箇所の弟の声がきれいに響いていたことを兄として思いやる気持ちもありました。

開会宣言が大評判だったT君は前日、家で起きた漏水という大事件を教えてくれました。気弱な彼が不安な前夜を過ごしたのかと思っていましたが、突然の出来事で、それどころではなかったようです。子供は大人が思う以上にしなやかでたくましいのかもしれません。

自分の出番が少なかった分、天使のこえの出番に集中したというRちゃんはいつも辛辣なことをいって可愛さ余って憎さ百倍の弟の独唱が良かったことを帰りの車の中で家族で喜んだことが書かれていました。自分のことでなく弟のことをよろしくお願いします。喜ぶお姉さんらしい作文に微笑ましい気持ちになりました。

作文は三四年生が面白いようです。高学年は格好つけて書く時期なのかもしれません。そして低学年はまだまだ、それでどうしたの、なにがあったの、と聞いてくれる助手がいないと、音楽祭がありました、緊張しましたで終わってしまうようです。また、作文が得意なMちゃんが、上手に下級生の作文指導もしてくれて助かりました。ものを教えることの基本ですが、自分が得意だと思うことを上手に教えられるものなのでしょう。
by k-onkan | 2013-02-23 20:41 | 児童 | Comments(0)

可愛いからこそ叱って

3歳の甥Kは私に「かわいがられている」と確信があるようです。そのため、でしょう。音感の授業以外は、私に対しても上からの発言をしたり、私が声をかけても、「今、忙しいから」とか「勉強しているんだから、邪魔しないで」と生意気をいいます。そんなとき、何度か声をかけたりもしますが、あるラインを超えたら、本気で怒ることにしています。「甥だから」と言ってわがままを赦し叱らないでいると、よその優しい人にまで悪い態度を取らないとも限りません。可愛い身内が、よその人から疎まれるのはさびしいものです。

e0143522_2235421.jpgふだん機嫌とりをする私が、突然、「Kちゃんはもういい。これからは、優しくするのも、美味しいものもあげるのをやめて、ニィニだけを可愛がることにするから」。私が怖い声で言うと、はじめて「まずいことをした」という顔になり、はじめて、私の方が主導権を持つ大人であることを思い出すようです。すぐに、私に抱きつき怒っている私の気持ちを収めようとします。自分の可愛さをよく理解しているのです。

次男、次女は、感覚的にすばらしいものがありますが、幼い面、可愛い面と同時に気難しさもあり、長子に比べ、一筋縄ではいきません。たとえば、自分の意に沿わないことがあったり、自分に非があると、反省する代わりに、怒ったり泣いたりしてしまいます。そんな「二番目の特徴」が理解できるので、私は頭ごなしに言わずに、機嫌とりをしながら進めることにしています。従わせようとすると、うまくいかないからです。

そういえば、Kと一緒に音感を勉強する年少のAちゃんも次女だからか、Kにそっくりな態度をすることがあります。たとえば、私が抜粋の課題を弾きながら、「さぁ、この音は誰がわかるかなぁ?」というと、「教えてあげなぁぁぁい」とからかったような返事がかえってくるのです。ふだん、機嫌を取って授業を進める私を冗談が通じる相手だと思って調子にのってしまうのかもしれません。なぜか、彼らは、次女の瑠音先生には、くだらない冗談でからかおうとはしないのです。怒らせてはいけない相手と思うのでしょう。

反対に、長男長女はまじめな面があるため、大人がふざけたり、過剰に機嫌をとったりされると、かえって不安になったり、軽蔑のまなざしを向けたりします。そこで、こちらも、「先生らしいまじめな対応」をすることになります。私自身も長子であるため、彼らの気持ちがわかります。緊張感をもって、教えるべきことを教えることにしています。反対に、次女のルネ先生は長子のまじめさに気を使っているようです。

さて、子どもが育つ社会には、いろいろな人の存在が必要です。子どもというだけで、機嫌をとる大人もいれば、子ども相手でも本気で叱ったり、向き合ったりする人も必要です。また、緊張感を持って接する相手も必要です。昔と比べ、人と関わる機会が減り、会話をする機会も減っている現代の子どもたち。緊張感を持つ相手とつきあうのも大事なことかもしれません。
by k-onkan | 2013-02-22 22:34 | しつけ | Comments(0)

お父さんも頑張って

子どもを育てるときに大事なのは、いろいろな人の存在であり、さまざまな意見です。子どもは大勢の人と関わり、それぞれの考えを見聞きし、その中から、自分の考えに近いものを見極めるようになっていきます。しかし、長く時間を過ごすお母さんの考えだけを正しいと信じて、それ以外の考えを受け入れられないと、大人になって社会に出てから、それが悩みとなることもあるようです。

e0143522_23354248.jpg社会に出ると、自分の考えを肯定してくれる人もいれば、そうでない人にも出会います。同じ屋根の下に住む家族のように同じ価値観や考えを持つ人とだけつきあうのは、心地よいものですが、社会では、それがかなわないことも多くあります。

そんななときに重要なのは、社会で働くお父さんの目線ではないでしょうか。男親は、社会と関り働いています。女性に比べ、自分の回りの幸せよりも、社会で認められるために頑張っているように思います。子どもをバランスよく育てるためには、社会の一員として、大きな目でものを見ることも必要です。最近は、男性であっても忙しくない総務部への配属を希望する人もいて、個々人の幸せを重視する人も増えているのかもしれませんが、男性だからわかることがあるはずです。

たとえば、お母さんの特質は「自分の子どもの」を守り、自分の子どものことを一番に考えることにあります。そういう愛情も必要ですが、行き過ぎたときには、お父さんが、「それだけではないよ」と、子どもがお母さんから離れる手伝いもしたいものです。

わが子のことを自分の命をかけて守ろうとする母の内包の愛は、たいへん素晴らしいですが、それが、子どもの自立を妨げたり、子どもの考え方を偏ったものにする可能性も決して忘れないでください。子どもを幸せに育てるということは、親がいなくても、生きられる自立した人間に育てることです。そのためには、お父さんの考えを無視して、お母さんの思いだけが先行した子育てにならないようにしたいものです。
by k-onkan | 2013-02-21 23:35 | しつけ | Comments(0)

ただ見せるだけでなく

先日、ある保護者の方から、一冊の本をいただきました。「普通の家族が一番怖い~崩壊するお正月、暴走するクリスマス 岩村暢子著」(新潮文庫) です。この本は、クリスマスとお正月の食卓を用意する現代のお母さんの気持ちや心のありようが細かく分析され実例と写真が紹介されています。

e0143522_13173728.jpgクリスマスに派手さを求め、子どもが喜ぶ行事を祝う理由は、実は、「子ども」ではなく「子どもが喜ぶこと」によって、「親自身が心地よくなれるから」のようです。これはクリスマスに限らず、子どもの教育、おけいこごと、学校やし.つけについても、同じような考え方が根底に持つ人が増えているとういことかもしれません。

おせち料理は自分では作りたくないので、どちらかの実家でお正月を過ごし、子どもに「御節料理の存在を見せること」を重要と考えるようです。しかし、ただ見せるだけではなく、その作り方や何で作られているかなどを伝えることまではしません。子どもが何を感じ、何を求めるかは子どもしだいなのでしょう。

最近、子どもたちと接していると、表面的なことができていても、物事の真意が伝わらないと感じることが多くなりました。料理も、しつけも、教育も、道徳も、物事には、その背景に成り立ちがあり、理由や意味があり、それを伝える方法があるはずです。そういう一見「どうでもいいように見えること」が大事であったりすると思います。そうしたことまで、深く理解しているから、次の世代を教え、育てることができるのですから。
by k-onkan | 2013-02-20 23:15 | 教育 | Comments(0)

何かを成し遂げるまでには

「音感はやめてピアノのお稽古だけ続ける」。息子のお稽古事について両親がきめたのは、その子が二年生の終わりのころのことでした。その子は、頭が良く器用でしたが、それゆえに、地道な努力が得意ではありませんでした。ちょうど、2~3年生の頃は、自分を過信して態度が悪くなる時期でもあり、先生からよく注意を受けるようになりました。幼児期は褒められることが多かった息子の変化に親御さんはとまどい、大好きなスポーツに専念させたら、一生懸命、取り組むと考え、音感を辞めることにしたのでしょう。

e0143522_0265699.jpgところが、音感の勉強をやめても、大好きなスポーツにはそれほど身が入らなかったようです。同学年の友だちは、音感の勉強を継続し、音楽会になると難しい歌を歌うようになっていきます。そんな様子がうらやましくなって、「自分も歌いたい」と先生にお願いするようになったそうです。

親御さんも、「自分たちが選択を間違えたから」と後悔の念があるようですが、一度、諦めて、他を選択したなら、心移りせずに、今、手の中にあるものを一生懸命、取り組ませなければ、何をやっても、うまくいかないと他を探す習慣がつき、物事に対して中途半端になってしまいます。

大人は、「得意なものならやるだろう」「叱られてばかりだから、一生懸命取り組めないに違いない」とわが子をかばいたくなるものですが、苦手なことを一生懸命、真摯に取り組める人は、好きなものはなおさら、一生懸命、取り組めるものです。反対に好きなものしか取り組めない人は、気をつけなければと思います。なぜなら、好きなもの、得意なものにもスランプは存在するからです。

結局、何かを成し遂げるには、一朝一夕ではすまないこと、そして、一度、あきらめると、失われた時間を取り戻すのは簡単ではないことを忘れてはならないと思います。なぜなら、その時間も、まわりの人は、苦手なことをコツコツと取り組んでいたのですから。
by k-onkan | 2013-02-19 23:25 | お稽古事 | Comments(0)