麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
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親は奴隷になってはいけない!

「親をいたわれる子どもなんているのでしょうか? 教育でそんな風に育てられるものでしょうか」。と50代の女性から質問を受けました。私は自分が関わる子供に「親をいたわれない不幸な子どもに育てたくない」と思っていますし、一般論なら、「子どものころの教育や関わり方で親をいたわる子どもに育てられる」と断言することができます。

e0143522_13231815.jpgしかし、私はこの女性に「教育でどうにかなる」とは強くいえませでした。なぜなら、その女性は30代になる息子さんについて話していたからです。残念ながら、30歳を過ぎたわが子に教育をし直すには、お互いに刺し違える覚悟がなければ無理だと感じます。そして、何より、このお母さんが息子と対峙する覚悟はないように見えるのです。

問題の息子は、初孫であり、長男であったことから、祖父母、親戚と、みんなが大切にして、母親が手を出す必要がないほどだったそうです。その上、生まれたときに体が弱く、家族がみんなで、とても大事に育てたそうです。お母さんは特に甘やかしたつもりはないといいますが、外に出る息子が恥ずかしくないように専業主婦として衣食住を完璧に整えたようです。息子は自分が願えば何でも手に入るのが当たり前と思って育っていったのかもしれません。成人して社会に出て働くようになったものの、外面と反して、家庭内で暴力を起こすようになり、一家は離散状態になり、問題は、現在も継続しているといいます。

どんな好ましい教育を与え、愛情いっぱいに育てても子どもが思春期や反抗期の時期になれば、親子間でうまくいかなくなることは多々あります。この時期は、子どもが親を嫌うのが当然で、親に対してうらみごとや失礼な言葉を口にすることもあるでしょう。それでも、その時期に親子で苦しんで乗り越えれば、いつか、「この親の子であってよかった」と親に感謝するときがくるものです。もしかすると、それは、子ども自身が大人になり、親の気持ちを真に自分も感じるようになるまで、こないこともありますが。

「教育によって、親をいたわる子に育てられるか否か」は、幼児期、児童期から20代前半までにどのように育てられたか、また、どのような体験をしたか、また、道徳的な観念を知らされたかによって異なると感じます。

人の子の親になると、つい自分の子どものことだけを考え、よいものを全て与えてあげたいと考えるのかもしれません。しかし、子ども自身が「自分は特別で、愛情は与えられるだけが与えられることが当たり前」と思わせることで子どもを暴君に育てあげ、親が奴隷の関係になることもありうるのです。そうならないように、教えるのも、親の大切な使命であると感じます。私は、たくさんの愛情を与えたいと思いますが、その愛情は自分だけでなく、他人のために与えたり、使ったりできる人にするために、たまに、激怒するのも、愛情なのかもしれません。
by k-onkan | 2013-03-31 23:21 | 子育て | Comments(0)

どんなことも役に立つ

数日前、3歳のKと暇つぶしに白玉粉でおだんご作りをした際に、思い出したことがあります。それは、ちょうど1年ほど前、国立の療育センターで発達障害の子どもの支援教室のお手伝いにいったときのことでした。子どもたちはコースの最終日にあたり、「自分でおやつを作って成功間を得る」ということで、おだんご作りをしたのです。

e0143522_19113778.jpg当時、年長だったお子さんたちが、手渡されたのはすでに練ってあるお団子のもとでした。それを、小さくまるめましたが、沸騰したお湯にお団子を入れるのも、別室のキッチンで先生が処理されたはずです。小学1年生になる直前のお手伝いにしては、少々、簡単過ぎると思いますが、これも、預かる子どもたちに危険がないようにとの配慮だったのでしょう。

私の楽院にも、発達定型でないお子さんが多く通ってきます。そのため、いろいろな場で、支援について勉強に出かけます。しかし、共通して感じることは、私は発達障害の専門家ではなく、音感教育が専門いうことかもしれません。たとえば、目の前にいる子どもに木下式感を教えるために不足していることがあれば、数でも、言葉でも、体の動かし方でも、手をかけて教えます。こうした総合的な活動が、結果的に発達に凸凹があるお子さんをバランスよく発達させ、音楽面以外でも、成長させているのだと感じます。公共の支援教室で、お友だちと一緒にお団子作りをするのも、大切な経験です。しかし、それだけに頼り、安心してしまうことは、心配です。子どもに必要なことは、単一的なことだけではないからです。

4月から年少になるKは、ひらがなや数字も教えていますが、全身を使う遊びや運動、手指を使うピアノなどにも取り組みます。これは、特別に優秀な子どもに育てるためでなく、興味を持った適時に、バランスよく、総合的な訓練をしておくことが、役に立つと実感しているからです。たとえば、白玉粉に少し水を足しながら、粘土遊びのように手で団子の感触を確かめたり、沸騰するお湯の中で団子が浮き上がるさまを観察しながら、多少、汚れたり、熱い思いをして本物を間近に感じることも、これから、幼稚園という社会で生活するKには、必要な学びになるはずです。コンビニに行けば、手も汚さず、後片付けの面倒もなく、きれいに包まれたお団子を買うことはできるでしょう。しかし、自分では何もつくりださず、与えられるものばかりを口にするのが当たり前になるのは、人間として、何かが欠如しているように感じるからかもしれません。
by k-onkan | 2013-03-30 23:10 | 教育 | Comments(0)

親しき仲にも礼儀あり

楽院の春休みの初日は、甥たちを5時間ほど、預かることになりました。昼は、約束していたレストランのランチに出かけ、落ち着いた店内で、3人で食事をしていたときのことです。60歳前後の母と、30歳前後の息子が来店し、レストランの雰囲気は一転しました。お母さんは、自慢の息子と一緒で嬉しかったのでしょう。お店のマネージャーに「うちの息子なの」と自慢げに紹介していました。ところが、その息子が、お母さんに向かって暴言を吐きだしました。お母さんが口を開くと、「うるせー。話しかけるな」とすごみ、自分はスマートフォンをながめています。息子の声は低くてよく響くのです。近くに座ったお客さんは相当、気分が悪かったはずです。その後も何かあるたびに、「てめーが・・・したんだろう。うるせーな」と喧嘩腰です。成人した大人が公共の場でするべき態度ではありません。

e0143522_335452.jpgその態度は、思春期のぐれた高校生を髣髴させますが、少なくとも、17歳の不良少年は、レストランで、親と言い合いをしたりしないはずです。「うざい」と言って親とは行動しないからです。「もしかすると、この息子が、一緒に食事をするのは、母親からお金を無心するためかもしれない。よい年をして仕事もないのかもしれない」と私の想像は膨らみます。

背中を丸めたお母さんは、始終、無言で、いたたまれない気持ちで食事をしていることがわかります。その背中は他人ごとではなく、悲しい気持ちにさせられます。なぜなら、傍若無人で憎らしい息子にも、小さくて可愛い無邪気な時期があったことを、誰より、この母親が知っているはずだからです。

目の前にいる甥たちを見ながら、私はこんなことを思いました。「この子たちも今は可愛くとも、大人になって、身内にこんな傍若無人な態度を取るようにならないとは限らない。どんなに可愛くても、可愛いからこそ、嫌われても、小さいうちに、ダメなことはダメという怖い大人でいなければ・・・」と。

最近、講習会などで、甥たちの力を借りることが多かったため、私も父も、少し機嫌をとりすぎたのか二人とも調子に乗って生意気な発言が多く見えます。その都度、現行犯で叱っていますが、それが当たり前になって、右の耳から左の耳へと通りぬけているようにもみえます。これは、母親の前で、本気で叱っておかなければと思い、迎えにきた瑠音先生の前で、甥たちにお説教しました。

YもKも、「まぁちゃんにつきあってあげているから、レストランでご飯を食べさせてもらうのも、公園で遊ばせてもらうのも、当然」と思っているかもしれないけれど、「甥だから」といって、かわいいとは限らないのよ。甥でも失礼なことをすれば、「こんな憎らしい甥はもういりません」って付き合うのを辞めることもできるのよ。伯母だから、親戚だから、何をしてもゆるされるなどと思ったら大間違い。親しき仲にも礼儀があるんだから、感謝のない人はダメよ・・・。

今日、私が何か質問をしたとき、Yは「そんなの別にいいじゃん!」と言ったわよね。どんなに学校の成績がよくても、運動が得意でも、音楽ができても、自分より目上の人に、そんな失礼な口を聞く人間は最低よ。Yは4年生だから、友達同士で生意気な口をきくことは、あると思うけれど、Kちゃんがそれを真似て、「もぉ、早く買ってきてよ」と語尾を強くして命令したり、自分の思い通りにいかないと怒ってばかりいると、4月に幼稚園に入って、「Kちゃん、意地悪だから嫌い」ってお友達から言われる人になるわよ。それはYにも責任があるのよ。

お母さんは「Kちゃんは、よその人には、そんな失礼なこといわない」ってかばうかもしれないけれど、よそでだけよい顔をして、自分を可愛がってくれる人に悪い態度をしていると、YもKも、今日、レストランで見た男の人のように大事な人に悪い口をきく大人になってしまうわよ。本当に気をつけなさい。

たった3歳と9歳の甥たちには難しい話ですが、年齢が低くても、伝えるべきことは、伝えておきたいと思っています。外面だけよくて、身内に甘えて、身勝手な人間に成長させるために、幼い頃から、手をかけて育ててきたわけではありません。彼らが将来、社会人として自立して、他人の役に立つ人間になるためにこその教育です。そして、その「他人」の中には、彼らを、愛してやまない身内や近しい人も含まれているのです。こうした人への感謝を教えないまま、勉強だけさせ、能力を高めたり、偏差値の高い学校に通っただけでは、決して幸せにはなれないことを知っているから、私は甥たちに口うるさく言うのかもしれません。
by k-onkan | 2013-03-29 23:03 | しつけ | Comments(0)

何事も幼児期が大事!

Yが学校の成績表をいただいてきました。一番、感激したのは、体育に関する三項目の全てが「とてもよい」であったことです。運動音痴の我が家では、目にしたことがない評価であるため、誰より木下先生が喜びました。それは、勉強の成績がよかったからではなく、「勉強も音楽も体育も」バランスがよかったからです。これからの時代は、勉強だけ、音楽だけでは、体育だけでは、生き抜けないと痛感しているのです。瑠音先生にしてみれば、どんなに嫌がっても、どんなに運動音痴でも、幼児期から諦めずに、運動幼稚園に通わせ、プール、剣道、体操をさせた甲斐があったといえるかもしれません。

e0143522_1353549.jpgスポーツマンの義弟は、Yが小さい頃は、その運動神経の悪さに気づかなかったようです。男性は、自分の子どもは、「そのうち、自分と同じことができるようになって当たり前」と信じているものかもしれません。妹は、私たちの運動神経が好ましくないことを誰より分かっており、なおかつ、大勢の幼児を観察する機会があるため、Yの弱点をいち早く見抜いたのです。

ボールでも、マット運動でも、見よう見真似で兄のすることができる弟甥Kの天性の運動感覚の良さを見てはじめて、「Yの運動能力が低いこと」に気づかされ、義弟は心配するようになりました。学校の体育の成績評価がよいといっても、Yの姿は冷静にみて、運動万能には見えません。幼児期から訓練してきたから、私のように、体育の授業が大嫌いになっていたでしょう。下手でも継続してきたから、やっと人並みなのです。そんなYの学校での評価がよいとしたら、日本の小学生の運動能力も学力と同様、私たちが子どものころより、かなり劣っている証でもあるのかもしれません。

さて、春休みには妹一家は毎年、スキーに出かけます。運動音痴のわが家出身の妹が、スポーツマンの義弟に唯一、勝てるのは、幼い頃に出合ったスキーかもしれません。義弟はスポーツ万能であるのに、子どものころに、ウインタースポーツをする機会がなかったそうです。大人になってはじめた義弟は、スキーだけは妹にかなわないようです。これは、何ごとも幼児期、児童期に始めて、継続することが上達の秘訣ということであり、甥たちにも、基本だけは子どものうちに教えておきたいと思う理由のようです。
by k-onkan | 2013-03-28 23:34 | お稽古事 | Comments(0)

よそで学ぶのも楽しい

3年生のYが10歳を目前に、男児特有の無口な状態になりつつあり、きちんと話をしないことがとても気になっています。もちろん、歌詞やせりふ、司会進行など決められた言葉であれば、木下式仕込みの話し方で滑らかに話します。しかし、問題はふだんの話し言葉です。私たち大人がいないとき、よその方に、挨拶や返事なども聞こえないような声でしていると感じます。

e0143522_9194382.jpg私も子どものころ、大人の人とはきちんと話ができず、「どうしたら、自信を持って話せるのか」とよその人に会うたびにドキドキしたものでした。Yをはじめ、楽院の子どものためにも、なにか良い方法があるのではと思いネットで「子どもの話し方教室」を検索したのです。しかし、子どもの話し方教室はほとんどなく、あったとしても口の開け方や声の出し方など、平素、私たちが音感教育で教えていることと重なっており、それ以外に、話す内容やその考え方まで教えてくださる教室はありません。瑠音先生は、「大人と話すときは、音楽会で曲目紹介のようにはっきりと話さなくちゃいけない」とYに伝えていますが、自分でそれをするには、お互いの共通の話題を探す知識や作文力などが必要です。やはり、平素から、こつこつ、勉強して知識を増やすしかないのでしょう。

Yのためにと探しはじめた「話し方教室」でしたが、大人のための「話し方講座」の体験授業を見つけ、自分が興味を持って受けることにしました。もしかすると、Yのためになることが見つかるかもしれません。また、平素、大勢の方の前で木下式についてお話していますが、もっと、分かりやすい話し方ができたら、とも思っていたからです。実際に、体験授業を受けると、平素、木下先生が、幼稚園の先生に伝授する「音感かるたの説明」のあり方が、いかに理に適っているかが分かります。話し方セミナーの講師の先生から、スピーチで大切なのは、「間」そして、「言葉に表情を付けること」、また、見た目の印象、笑顔、声などの第一印象で判断されること。そして何より一番、大切なのは、相手を思う心とのお話がありました。

音感かるたの説明も、幼児に強調して知らせたい部分では、間を取り、声を高め、ゆっくりと噛んで言い含めるように伝えます。また、先生らしい態度で自信を持って臨むのは、子どもに与える印象が大切だからです。また、音感かるたの説明を、幼児が理解できるように、一字いちじ聞き漏らさずに、受け止められるように「教えよう」という心を持って丁寧に教えます。


ただし、音感かるたの説明は取り決められた用語であるため、きちんと記憶して、練習さえすれば、上手に説明できるはずです。問題はそれ以外の言葉がけです。スピーチで言ったら、「用意は周到に、練習すれば、落ち着いて話すことができる」という部分です。幼児の指導をするための、いろいろな場面を想定して、褒め言葉や注意する言葉など、たくさんの言葉を引き出しに用意しておくと良いのだと思います。

最初の一時間は、スピーチの奥義を学ぶ講義、次の一時間は、発声練習から始まり、受講生の方のスピーチを聞いて学びます。それぞれ、皆さん、上手に話をまとめていらっしゃいました。ただし、個々人の声をさらに向上させるための発声練習については、木下式の訓練の右に出る教室はないとも再認識できました。

道場やぶりをしたつもりはありませんが、「最後に体験授業の方も、興味を持った経緯を一言づつ・・・」といわれ、前に出て木下式で自己紹介をして、お話をさせていただきましたが、とっさに順番が回ってくると、いつものような余裕は持てず、一瞬、あがってしまいました。ぜひ、12回コースを受講できたら、と思いながら、帰ってきました。
by k-onkan | 2013-03-27 23:19 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

始めるなら、今!?

最近、卒業生の2歳になる男の子が入学することになりました。今日はそのお姉さんの体験授業をさせていただきました。今から3年前、3歳の弟が入学する際、「自分はよそでピアノも習っているから、大丈夫・・・」と言った1年生になるお姉さんが2年後、弟の上達とその活躍ぶりを見て泣いて悔しがったことがありました。あまりに気の毒になり3年生になったお姉さんの入学を受け入れたのです。入学して1年が経ち、弟に負けることの方が多くても、一緒に練習に参加して、同じ舞台に立てることを喜んでいます。何より、一番、変わったことは、物事に全力で打ち込むようになったことだと聞きます。

e0143522_0165526.jpg楽院は、これまで「適時に音感能力を確実に付与するため」に、入学制限は4歳6ヶ月までとしてきました。それが、音感が確実に備わるギリギリの年齢だからです。そのため、残念なことに弟妹が入学できても、兄姉をお断りしなければならないことも多々ありました。同時期に勉強を開始しても、最終的に低年齢ではじめた弟妹の方が鋭敏な音感が備わり、兄姉にかわいそうな思いをさせることになるからと、受け入れてこなかったのですが、大人の心配をよそに、子どもたちは、弟妹と同じことをしたいと思うもののようです。

そんなこともあり、もうすぐ2年生になるお姉さんをお誘いしたのです。お姉さんは、少し恥ずかしそうに弟が受ける音感かるたの授業を受けました。お姉さんは他の音感メソッドで、ピアノや聴音を勉強しているそうなのですが、お母さんのお話では、歌だけは上達しなかったといいます。体験授業を行なうと、大きな声を出したり、歌うことに苦手意識があるため、恥ずかしがって大きな声をだしませんが、音程がすごく悪いわけではありません。その証拠に心を許して取り組んだときには、模範唱に合わせて同じ高さの声を出せるのです。お母さんも、「ピアノに合わせられて驚きました。もっと、外れると思っていました」とうれしそうです。

子どもの歌唱指導は、最初から一般的な速さで歌わせるのではなく、カメの歩みのように一つひとつ、確実に耳が音をとらえられる速さに落として、模倣させれば、どんな状態の子どもでも、やがて、自分の耳に音高の基準を備えさせ、音痴から脱出させられるのです。このお嬢さんが入学するかどうかは分かりませんが、もし、開始すれば、2歳の弟さんが一人前になるまでに、お姉さんらしく歌えるようにできるはずです。あとで悔しい思いをさせるくらいなら、今、始められるのがベストだと思っています。
by k-onkan | 2013-03-26 23:15 | お稽古事 | Comments(0)

幼児期に与えた記憶力

講習会の最終日は、検定試験があります。木下式には、たくさんの用語や指導体系があるため、指導する先生に研鑽必要であるからです。木下式を実践する幼稚園、保育園では、東京の講習会に来るまえに、先輩から必要事項を教えられているはずです。けれど、昔に比べ、若い先生たちにとって、いろいろな用語を記憶するのも、たいへんなことのようです。これまで、当たり前に覚えたかるた説明を覚えさせるのも、一苦労です。

e0143522_1756119.jpgちょうど、学校が休みで楽院にいた3年生の甥Yが、木下先生に呼ばれ、かるたの説明を渡され「今すぐにこの場で記憶してみよ」といわれました。1分後、「覚えたか?」ときかれると、すぐに大きな声で「さぁ、しかさんが出てきましたよ。しかさんが、目から涙を流して泣いていますね。お父さんか、お母さんにしかられたのかな。だからこのかるたは、しかられたのシといいます。じゃあ、みんなでしかられたのシ」といおう」と暗誦してみせました。

Yは幼児のころから、「しかられたのシ」という意味づけは勉強していますが、指導者が説明する用語を記憶させたことはありません。しかし、聞き覚えと幼児期に木下式を受けた者の強みである瞬時に記憶する力を駆使して覚えて見せました。3年生の甥が、目の前で記憶して見せたことで、幼稚園の先生も驚き、競争意識を掻き立てられたはずです。しかし、これは、幼児期に記憶力を鍛えられたからできることなのです。

最近、瑠音先生は3歳の弟甥Kに国旗カードを見せています。兄が3歳だったころにしたことを、与えるためです。現在、50枚ほどの国旗を自信を持って答えられるようになってきたところです。久しぶりに兄甥Yにこれを試すと、残念なことにほとんど覚えていませんでした。

「小さいころ、あんなに覚えていたのに、忘れてしまったの?」とがっかりしましたが、何度か見せているうちに、記憶はまたよみがえり、最後には、昔、覚えた100枚はなんとか答えて見せます。私自身も、そうした力を与えられ、幼児期に教育されたことの恩恵を受けていました。学生のころ、テスト前に、一夜漬けが可能な人とそうでない人がいることを知り、なぜ、できないのかと、不思議に思ったものです。

これは、物心つくかつかないかの時期に記憶する訓練をしたか、していないかで、差があるように思います。Yも、必要があれば、自分の意思で記憶したり、忘れたりできるはずです。ただし、人生の中で一夜漬けで解決できる困難は限られています。やはり、平素から、地道に勉強して生きる力をつけさせたいと思うのです。
by k-onkan | 2013-03-25 23:56 | 児童 | Comments(0)

そろそろ、飴でしょ?

講習会の間は3歳の甥の存在はとても貴重です。木下式に存在するさまざまな訓練の実践指導のあり方を受講生に見せることができるからです。しかし、講習会中は、平素の授業のように、直接、褒め言葉を与えたりはすることができません。甥はそれが不満で、時折私の顔をのぞき見ては、「どう?」と褒め言葉を求めます。私は「良い仕事をしているよ」と声をかけるのです。

e0143522_23505957.jpg褒め言葉なしで大人の期待に応えれるほど3歳の男の子は大人でありません。私は芸をするイルカにえさを与えるように、ポケットにご褒美をしのばせています。私が忘れていると、甥から「そろそろ、ご褒美の飴ちゃんじゃない?」と催促されてしまいます。遊びたい盛りに「大人のお手伝い」に協力させるにはご褒美は必需品です。

大勢の人前で、一生懸命、歌い、自分の力を披露する甥ですが、我が家に生まれたからと言って、最初から音感が得意だったわけではありません。つい1年ほど前は、「お稽古が嫌だ」とよく泣いて抵抗していました。そのたびに、諭したり、怖い声を出したりして、少しずつ、いろいろなことをできるようにして現在の甥の姿があるのです。

最近、甥に「あんなに泣いていたのに、最近は、すっかりお利口になったね~」というと、「あのときは、まぁちゃんが嫌いだったんよ」と言われてしまいました。「なんと失礼なことをいうのだろう」と憤慨すると、妹から「あの頃は、麻奈先生も、「Kちゃんは苦手でYの方が付き合いやすい」ってよく言っていたから、知っているのよ」といいます。確かに、妹の言うとおりで、お互い様だったのでしょう。

3歳の子どもと言っても大人は侮ることはできません。講習会で木下先生の指導を受ける幼稚園の先生が一生懸命、口を開けなかったり、声を出さないと、子どものKの方が不機嫌になってしまいます。音感は一生懸命、取り組むものと教えられているので、「なんで、やらないんだ」という気持ちになるのだろうと思います。

また、Kは自分自身が失敗しても怒ってしまうのです。今日も、音感かるたを実践した際に、少し間違えた答えを言ってしまったのです。こうした幼児の間違いは幼稚園にはよくあることです。そうした際の対処を教えるために、私は「え~?」とまず、大げさに驚いて見せました。そして、その後、幼児が理解できる言葉を差し伸べる方法を受講生に見せられたのです。ところが、Kは、「麻奈先生に恥をかかされた」と思って、そのあと、すっかりへそを曲げてしまいました。

私は講習会が終わってから、Kに説明しなければなりませんでした。「講習会は幼稚園の先生が、音感の教え方を習うために来ているのよ。だから、Kちゃんが間違っても大丈夫なのよ。だから、先生「え~?」と驚かれてもいちいち怒っちゃだめよ・・・」と。Kの成長は、説明されれば納得できるようになったことでしょう。

横にいた3年生のYが「「え~?」って大げさに言うのも決まっているの?」と口を挟みました。「そうよ。子どもが「もう二度と間違えない!」と思うように、先生はおおげざに驚いて見せるのよ」。すると、「じゃぁ、ボクもKちゃんが、何か間違えたら「え~?」と言おうっと」。兄にそんなことをされたらきっと、Kは逆切れすることでしょう。

幼児が間違えたときに「え~?」と大げさに驚くのは、大事な局面だけ、そして、頻繁に行ってはならないという教えでもあります。なぜなら、ショックは継続的に与えると、慣れてしまうこともあるからです。何より、やり過ぎは幼児の気分を害して、信頼関係を壊すことにもなり兼ねません。3歳の甥Kは、私に幼児にもさまざまな感情と明確な意思があることを教えてくれる存在なのでしょう。
by k-onkan | 2013-03-24 23:51 | 幼児 | Comments(0)

新任もベテランも、勉強を!

木下式音感教育を実践する先生方のための三期講習会が始まりました。膨大なカリキュラムを限られた時間の中で講義して、新任の先生が4月から実践指導できるようにしなければならないため、話が進む速度が速く、初めて出席された一般の音楽の先生にはとても難しいようです。しかし、園児たちにとって、担任がベテランの教諭でも、1年目の先生でも、「先生は先生」です。最低限、基本となる「音感かるた」「歌唱曲」は身につけて帰したいと思っています。

e0143522_97128.jpgさて、若い先生は、自身も木下式と出合ったばかり、いわば、園児と同じ状況です。一生懸命、取り組めば、これから、理解が深まっていきます。反対に、ベテランは、「以前から、取り組んできて、これまで大勢の園児たちと木下式を実践してきた」という成功体験のような感覚があるだけに、落とし穴があることを忘れないでください。何年か前に問題になった「小1プロブレム」は実は新任の先生より、ベテラン教諭のクラスの方が多かったことからも分かりますが、これは、今の子どもと昔の子どもが全然、違うことを理解せずに、昔どおりの教え方をするから、ベテラン教諭に問題が降りかかってくるのです。

昔は、幼稚園に入る前に、家庭で、おむつをはずし、絵本の読み聞かせなどをして、多少の、家庭による差異があっても、それなりの入園準備がしてありました。特に、木下式を実践する私立幼稚園を希望する保護者の教育に対する意識は高かったはずです。しかし、今は、「自分では何もできないから良い幼稚園に預けて、できるようにして欲しい」と考える保護者が増えたのです。

音感かるたを教える事前に、動物の名前を教えたり、じっと座る習慣をつけたり、先生が言ったことを、すぐに行うなど、家庭で教えたようなことから、教える必要が出てきたのです。これまで、幼稚園に通ってきた園児たちのように、厳しくする前に、褒めたり、励ましたり、やさしくしたりして、信頼関係を築き、「この人の指示に従えば安心」と思わせてからでなければ、ビシビシ教育することなど、できません。

一般人には、同じように見えますが、保育園と幼稚園は、まったく別のものだと最近つくづく感じています。保育園の役割がお母さんの役割を担うものであるとすると、幼稚園は社会であると、思うのです。そして、その両方の役割が幼児が成長する上で必要です。どちらかだけでは、幼児はまっとうには育たないからです。しかし、幼稚園に入園する幼児、社会について学ぶために入園してきた子どもであっても、親御さんから何も教わらないまま、もしかすると、愛着関係や信頼関係を築く前に、社会に出てきていることもあります。それは、幼稚園で、お母さんができなかった教育もしなければならないということかもしれません。

これから、幼稚園と保育園が一体化していくところが増えるはずです。幼稚園の先生は、厳しく、保育園の先生は受け止めるのが当たり前なのかもしれませんが、これからは、幼稚園の先生も保育園の先生から、子どもを受け止めるすべを学び、反対に保育園の先生も、何でも子どものいうことだけをきいて、安全を守るだけでは、子どもはまっとうに育てられないことを肝に銘じて、関わっていく時代がきたのかもしれないと思いながら、若い先生たちに、木下式をお話をしなければと思っているのです。
by k-onkan | 2013-03-23 23:05 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

本読みもメロディーも幼児期が大事

幼児期に誰かに本を読んでもらうことは、とても大事なことです。言葉を知らない時期の幼児は言葉を覚えるために、言葉が分かるようになった幼児は、その意味を考えさせて読みたいものです。そこで、お母さんには読み飛ばすのではなく、抑揚をつけたり、怖色を変えたり、緩急をつけて読んでいただきたいものです。

e0143522_21174793.jpg最近、私たちの関心事は、この「本の読み聞かせ」です。なぜなら、本をたくさん読んで育てた3年生の甥は自分が記憶したいこと、興味があることは、すぐにいくらでも覚えることができるからです。また、文章を書く際も、自分の考えや書きたいことがたくさんうかんでくるようです。そして、これは、音楽にも関係があります。文章を一度で受け止めて記憶できる子どもは、メロディーも瞬時に記憶でき、反対に言葉の受け止めが悪いと、音楽も一度では覚えきれません。言語も、音楽もたいへんよく似ているのです。

私には二歳年下の弟がいますが、子どもの頃から、両親が不在な時間には、お互いによく本を読んだと記憶しています。そして、二人とも上手ではなくとも、文章を書くことが苦にはなりません。反対に姉弟妹の中で、一番、幼児期にいろいろな感覚教育を受け、一番成績がよかった妹が、本を読んだり、文章を書くのがあまり好きではないのです。子どものころ、「夏休みの読書感想文の宿題ができない」といわれて、手伝ったりしたものでした。

この違いはどこにあるかを、最近、つきとめました。私と弟は2歳の頃から、母がたくさんの漢字カードを作り、家中に貼って教えてくれました。そのため、本を読む前に漢字に親しみがあり、知らない単語に出合っても、漢字が持つ意味で文脈が分かったものでした。しかし、妹は、年が離れた私たち姉兄がいることで、なんとなく真似て、字を読み、計算するようになったため、大人に手をかけられていないのです。

また、私と弟が幼い頃、両親が不在になる際は遠い親戚のお姉さんがベビーシッターに来ましたが、子どもの相手の仕方が分からなかったその人は、それはたくさんの絵本の読み聞かせをしてくれたそうです。なんでも、その女性は当時、劇団に所属していたため、抑揚や表情をつけて、それは上手に本を読んだといいます。これに比べれば、妹は読み聞かせをしてもらったうちには入らないのでしょう。

当時、両親が一番、忙しい時期でした。また、読んでもらう前に自分で文字も読めるようになったことで、安心してしまったのかもしれません。妹は、当時のベビーシッターさんと、テレビばかり見て時間つぶしたといいます。それぞれ、子どもを預けなければならない事情はあると思いますが、子どもの相手をどのようにする相手かによって、子どもの特性に影響があることを忘れないでいたいものです。そして、長子に比べ、手を抜きがちになる第二子、第三子も、多少、手抜きがあっても、できるだけ、同じことをさせたいものです。
by k-onkan | 2013-03-22 23:16 | 教育 | Comments(0)