麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子どもの質問って怖くない!?

子供の言葉に大人が、ドキドキさせられることはよくあることです。たとえば、子供に「洋服の脱ぎっぱなしはダメ」と教えているのに、身近なお父さんが、「脱ぎっぱなし」にしたとします。そんなとき、お母さんは、どうしますか?

e0143522_19553094.jpg「お父さん、ダメじゃない。ちゃんと片付けて」と子どもがお父さんにいわせるのは、あまり好ましくはありません。子どもは親に養育されている立場であり、親子の関係は対等でないからです。かといって、お母さんが「お父さん、ダメじゃない」とお父さんを叱る姿を子供に見せるのも考えものです。お父さんを尊敬できなくなってしまうからです。

実は、職員室でも似たようなことがよくあります。3歳の甥Kが木下先生を真似して、純子先生を「おーい」と呼びつけたり、食べっぱなしで後片付けをしていないことを注意すると「だって、じぃじだって・・・」と言うのです。ですが、「おじいちゃまが悪いお手本を見せるから」と注意するわけにはいきません。そこで、「じぃじは、立派な仕事をしているから、特別なの。でも、Kちゃんは子どもで、まだ何もしていないでしょ。だから、ダメ」と教えました。以来、Kは、よその大人の男性の悪癖を見つけても、「仕方ない」と見逃すようになりました。もし、相手がお父さんなら「家族のために、頑張ってくれるお父さんの悪いくせは、赦してあげよう」と言って、代わりに片付けることを教えるほうが、家庭円満の秘訣かもしれません。

どんなに、子どもの言葉が正論であっても、目下が目上への偉そうな態度を推奨する結果になると、子どもが、他人の動向にばかり気が向き、自分のことをおざなりにしてしまうとも限りません。子供の質問はハラハラドキドキさせられますが、子供が「知りたい」と思ったときに、すぐに適切な答えが出せるように、大人も、子どもとの生活を通して、心の準備をしておきたいものです。
by k-onkan | 2013-05-31 23:53 | 幼児 | Comments(0)

配慮しつつ本人の意識も育てる

甥兄弟にはアレルギーがあるため、妹は、幼稚園の給食では、家庭で気をつけることがたくさんあります。たとえば、メインのおかずがオムレツであれば、それに代わる食べ物を家庭で用意し持参します。最近も、かぼちゃとじゃがいもで、オムレツにそっくりなものを作っていました。メールでその写真を見た私の脳は、「卵の味」を想像しましたが、Kも「これは、かぼちゃでできているんだよ」と説明されました。

e0143522_14471585.jpgここまで、色や形状を似せるのは、理由があります。それは、「アレルギーで食べられない」との理由でその子だけ、「子どもが好むおかず」を持っていくと、他のお子さんがうらやましくなったり、「自分も家から持ってきたものがいい」と思うかもしれません。この幼稚園は、アレルギーを持つ子も、そうでない子にも、双方に教育的配慮が行われていて、素晴らしいと感じます。

こうした配慮をすることで生まれる心配もあります。それは、形状が似ている「同じようなもの」を食べている本人も、まわりの子どもたちも、いつしか「アレルギーの存在」を忘れてしまったり、「食べて良いニセもの」か、「アレルギー反応を起こす本物か」が分からなくなってしまうかもしれません。数ヶ月前になりますが、1年生の牛乳アレルギーのお子さんが、間違って配られた牛乳を飲んでしまったニュースを目にしました。幸いなことに、大事には至りませんでした。

アレルギーのお子さんへの配慮も大切ですが、同時に子ども本人も自分が何でアレルギー症状を起こすか、そして、「他の子とは違うものを食べている」という意識を育てることが、子どもが身を守るために必要なことであると感じるのです。
by k-onkan | 2013-05-30 14:47 | 乳児 | Comments(0)

話し方講座で学ぶ木下式の極意

毎週、話し方教室に通うようになり、課題があるため、1週間が経つのが早く感じます。さて、話し方教室で習うことには、「なるほど」と思うことがたくさんあります。たとえば、「スピーチの原稿は丸暗記してはいけない」ということ。何でも、丸暗記してしまうと、丸忘れしてしまうからのようです。子ども時代に音楽の勉強をした私は、メロディーや歌詞などを暗記する訓練をされているので、文章の暗記もさほど苦にはなりません。しかし、そうした経験がないと、文章を暗記するのは、難しいのかもしれません。

e0143522_23364668.jpg丸暗記をせずに、スピーチを練習するためには、箇条書きメモを作るようにとのことでした。そして、それは、パソコンより手書きをすることを勧められました。なぜなら、手先は脳と口と連動して働くからです。試しに口で、「しろくま」といいながら、「そらまめ」と書いてみるように言われました。口で違う言葉を言いながら、文字を書こうと思うと、たいていの人が、正しく書けずに間違えるでしょう。昔、漢字や単語をたくさん、書いて記憶したのは、それが効果があると、誰もが知っていたからだろうと思います。

実は、木下式では、声を出しながら書くという訓練が随所に用意されています。たとえば、音符書きの教材は、必ず、音感かるたの意味づけを「みんなであそぼうのミ」と言いながら「ミ」の音符を書かせます。このとき、声が小さかったり、不鮮明だと、言い直しをさせます。意識を持って声を出すことで、記譜の場所を完璧にするのです。

また、聴音訓練では、導入期は、必ず、メロディーを正しい声で再現してから、書き取りをします。いきなり、無言で、書かせようとすると、幼児は、メロディーの違いを判別できないからです。必ず、自分の声で、音の隔たりを確認させるうちに、声を出さなくても、聴き分けができるようになるのです。目と耳と喉と手先をフルに使って、音符書きをしているので、木下式で育った子が、小学校に入って、板書が不得手という話をめったに聞かないのかもしれません。

最近、ある方から、目だけで記憶した場合、耳だけで記憶した場合、目と耳の両方使った場合、それぞれ3日後の記憶の残存率を教えていただいたのですが、目だけは35パーセント、耳だけ、10パーセント、目と耳で65パーセントになるといいます。木下式の音符書き教材は、その上、手指を動かすことで脳に記憶させるのですから、年齢の低い幼児に確実に音符の読み書きを習得させる訓練といえるのです。
by k-onkan | 2013-05-29 00:33 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

本当に子どものためかを考えて

卒業生に紹介されて、ネットでこんな話を見かけました。ある店で中学生が万引きで捕まり、親と警察に連絡がされたそうです。店長と店員、その中学生三人で警察が来るのを待っていると、そこに、母親が到着して怒鳴り込んでそうです。「うちの子の将来をどうしてくれる」「店を訴えてやる」と大騒ぎした上で、「子どものしたことなんだから」って言ったときに、黙っていた店長が「その言葉はやられたほうが許すときに使う言葉だ」 と口にしたそうです。

e0143522_21273824.jpg驚いた表情をする母親に、店長を続けました。「子どもには責任はないのかもしれないが、それは親の責任だ。本当に子どものことを思っている親なら、子どもが二度とこんなことをしないようにしっかりと叱って、 迷惑をかけたことを子どものかわりに懸命に謝って子どもと一緒に償おうとするはずだ。あんたは自分が嫌な噂を立てられたくないから喚いているだけで 結局自分のことしか考えてない。子供を守るっていう意味を履き違えているんだ・・・」。

世の中には、「子供のため」といいながら、実は、「大人」や「名誉」のためであることが多くあるように思います。万引きをした子もきちんと叱られずに、「子供だから」と許されたら、世の中のルールを知らないまま、また、同じ過ちを繰り返すかもしれません。子供が失敗するのは「よくあること」ですが、大事なのは、間違いに気づき正すことです。これが本当の「子供のため」であり、大人の都合で、「なかったこと」にして良いはずがありません。

長年、保育士を勤める方から、昨今の保育園事情をうかがう機会がありました。現在の日本の状況を見れば、保育園を全否定するわけにはいきませんが、それでも、3歳までは、特定の大人(両親、もしくは祖父母など)と愛着関係を築く大切な時期です。にも関わらず、生後2ヶ月からの長時間保育、病時保育、休日保育など等、親と関わる機会のないまま、大人になる子どもも増えているそうです。「たまの休みは親子で仲良く過ごして欲しい」と保育園が保護者に指導すると、「親御さんが疲れているのだから預かるように」と役所から指導があるというのです。これでは、誰のための保育園か分かりません。「子供に手をかけすぎるのは、何もしないのと同じ」という言葉を聞きましたが、愛情のかけ過ぎも心配ですが、子供と関わらずに成長させるのも、同じくらい、子供のためにならないと思うのです。
by k-onkan | 2013-05-28 00:25 | 子育て | Comments(0)

英語の前に伝える力を!

最近、「「国際的日本人が生まれる教室」(祥伝社 著:中原徹)という本を読みました。この本は、元米国弁護士であり、現役の公立中学校長である著者が、グローバル人材を育てるために、何が必要かをまとめた本です。私は以前、「小学校からの英語教育は反対」と書いたことがありますが、中原氏の推奨するバイリンガル教育であるなら、賛成です。

e0143522_1418212.jpgそのポイントは、「9~10歳までは一方の言語は、しっかりマスターさせないとどちらも中途半端に終わる」との考えを示しているからです。「小さな頃から、両方の言語を行き来させていると、日本語の日常会話が完璧でも漢字が読めず、難しい本は読めないこと、反面、英語も、米国人に劣るため、米国での仕事はできない」というよくあるバイリンガル教育の落とし穴も明確にしています。

その上で、小学校の子供にさせるべきは50音にない「音」を学習させる「フォニックス」であり、アルファベット(の組み合わせ)と英語が持つ音を合わせて覚えることで、聴く耳を育て、読めるようになる方法です。この方法での英語導入であれば、確かに、小学校の早い時期―耳が良い時期―から始めるべきだと私も思います。そして、手前味噌ですが、木下式を受けた子が、外国語の聴き分けができて、人より上達する可能性が高いことに共通しています。

ただし、忘れてはならないのは、発音の聴き分けができ読めたとしても、文章を作るためには単語力、理解力、作文力など、基本は国語能力なので、地道な積み重ねが求められます。ちょうど、音感能力がどんなによくても、譜読みも練習もせずにいたら、演奏はうまくならず、せっかくの音楽的センスは発揮できないでしょう。それと同じです。

そして、やはり、必要なのは、自分の国の言葉で、「伝えたいことを伝える力」なのだと思います。私たちは、日本人でありながら、誰でもがきちんとした日本語が話せるように育っていないのが、現状です。たいていの子供は自分から口を開かなくても、当たり前のように、ご飯があり、心地よい寝床がある生活をしています。たまに口を開いても「お母さん、のど、渇いた」「お母さん、お腹すいた」と必要最小限のことしか言いません。

愛情が深いお母さんほどわが子の気持はよく分かり、その分、何も言わずに子供の願いをかなえているものです。しかし、国際社会にはお母さんのような理解者はいませんし、上司に「仕事、終わった」というわけにもいきません。まして、母国語で二語文、三語文しか話せない中で、外国語だけ、話したいことが多くなることもないでしょう。それこそ、日本語も英語も、中途半端で、母国語が不安な成人が出来上がります。これでは、英語も日本語と母国語が流暢な外国人には、敵わないでしょう。また、国語力以上に、今の子が失っているものに、動物的な勘があります。

「大切な場面では、実際に面と向かって、相手と握手したり、顔を見たり、声を聞くなど、五感を駆使して相手を知ろうとするのみならず「動物としての第六感」を働かせる、と言ってもよいかもしれません。簡単に言葉で表現できない、人の持つオーラや雰囲気を感じつつ、この人と上手くやっていけるかどうか、信頼してよいか、を感じるのだと思います。このことは、何も商売や取引に限定されず、恋愛や友人関係に該当するでしょう。面と向かった会話の中心は、話すことです。話すことには、当然、表情や身振り手振りも含まれますが、「音声を発して言語を駆使すること」によって、自分が何を考え、どのような生き方をしている人間かを伝えようとします。外国人と接する場合、その際の言語は「英語」なのです。(「国際的日本人が生まれる教室」より)」

残念ながら、今の日本人は雰囲気やオーラを感じるという「動物的第六感」を持っていないと感じるのです。たとえば、誰かと一緒に歩いても、それぞれ、別のものを見て、別のことを考えていて、街中に不振な人物が居ても気がつかないか、素通り、無関心であるのです。その原因の一つは、携帯電話やスマホかもしれません。メールを打てば口をきかずに済み、利きたいことはなんでも教えてくれます。

少し前のCMには、一人で上京した大学生が、スマホとの会話によって、誰とも口をきかずに新生活は安心というものがありました。スマホやタブレット端末など、発達することは、障害がある人、一人暮らしのご老人などには、素晴らしいことだと思います。しかし、本来、自分で考えたり、表現する力があるはずの人の能力を奪うことも、忘れずに、新しい時代に対応することが必要です。英語も大事ですが、それ以前に伝えたいことを伝える力、そして、動物的な第六感を養うことは、絶対に忘れてはいけないと感じるのです。
by k-onkan | 2013-05-27 14:18 | 教育 | Comments(0)

想像力がないというけれど

「最近の若者には想像力がない」とよく言われます。私も、年齢の低い幼児から年若い成人まで、幅広い生徒と話をすると、私が同じ年齢だったころに比べて、想像力も、観察力も、深く考える力も弱いと感じます。けれど、それは、私が子どもの頃から、母が私を子供扱いせずに、一人前の人間として、大人の世界の事情を話して聞かせてくれたため、自分以外についても、無頓着ではいられなかったのだと思います。

e0143522_22395213.jpg私が子どもの頃は、今のように月謝の自動引き落としサービスはありませんでした。当時は、自宅で教室も兼ねており、保護者の方は、毎月、紙幣を入れた月謝袋を納めていました。あるとき、両親の様子が何か違う時期がありました。後で、それはお預かりした月謝袋の束が授業中に無くなったと、母から聞かされました。我が家でお金が無くなったとしたら、それは誰がしたことであっても、顔見知りの犯行です。どのように対応するべきか、両親は、毎晩、遅くまで深刻な声で話しているようでした。

当時4年生だった私は、母から「もう一人前だと思うから、話すけれど、実はお月謝がなくなったの」と聞かされました。そして、「入ってくるはずの入金がないことが何を意味するか」を具体的に教えられました。たとえば、助手をしてくださる方の人件費や、その他の支払いなど、当時の私が理解できる言葉で知らされました。結果的には、子供には知らせられない事情で事件は解決したのですが、私はそれから数日間、「自分が水泳教室に通うお金もないのでは」と心配な気持ちで過ごしましたが、その時、子供心に、物を盗まれると、どれだけたいへんかという擬似体験をしたのだと思います。

さて、数年前、万引き被害によって倒産に追い込まれた書店の店長が自殺に追い込まれて社会問題になったことがあります。当時、そんな話をしていると「万引きなんか、若者なら、度胸試しで誰でもしていること」と私に言った卒業生がいました。私は、その話を聞いて怒りが爆発しました。「盗まれた人の気持はどうなるの?」と叱ると、「だって、自分のことじゃないし、そんなことで死ぬなんて、馬鹿じゃない!」と言うので、さらにびっくり。

「もし、あなたの財布の中に10万円入っていて、そのお金は、家族の食費や高熱費で、そのお金がないと、明日から生きられないのに、そのお金が盗まれました。それでも、何も感じないの?」「誰かに借りればいいんじゃないの?」「誰も貸してくれる人もいなかったら?」「むかつくと思う」「むかついても、お金は戻ってこないのよ。万引きで売り上げがなくなって、倒産した本屋の店主は、収入がなくなって、明日から生活するためのお金もなくて、たぶん、追い詰められんだと思う。それでも、バカなんて言える?」「言えない・・・」

今思えば、いくら「想像力を働かせなさい」と言っても、想像するためには、「こんなことをすると、こんなことが起きて、その結果、どんな感情が起きる」ということを、実際の体験や、書物、映画の中の出来事などで、疑似体験しなければ、自己中心になりがちな子供に他人の気持まで慮ることをさせるのは難しいことです。

たとえば、親が子供に「ネットは怖いから気をつけなさい」と忠告したとします。その言葉で親は、「子供に言うべきことは言った」と思いがちですが、子供にとっては現実味がありません。具体例を示し、「何を持って怖いと言っているのかを「実際に起きた事件を例に事前に知らせておかないと、大人の「ネットは怖い」という意味を子供は軽く受け止め、「毎日、ネットしているけれど、一度も、怖い目にあってないよ」と聞き流してしまうかもしれません。

人生経験の浅い子供たちは、学校へ行って熱心に勉強していたとしても、社会のことを何もしらなければ、どんな事件に巻き込まれるか分かりません。また、社会では、学校の勉強だけでは、解決できない能力が求められます。小学校高学年にもなったら、世の中で起きている事件やニュースに興味を持たせましょう。「うちの子に限って」は、昔から親御さんの常套句ですが、社会で起きている事件が「うちの子にも、起きるかもしれない」という緊張感を持って、子供と時事ニュースについて話したりする時間を持っていただきたいと思うのです。子どもの想像力を育てるためには、一緒に可能性を考えて、助言をする人生の先輩の存在が必要なのですから。
by k-onkan | 2013-05-26 22:40 | Comments(0)

子どもを変えるには、大人から

恵まれた時代を生きる子供たちは、毎日、自分がしていることに、疑問を持ったり、深く考えることがないようです。よほど、親御さんが、子供の生活態度を意識して、観察しないと、ただ、毎日、決められたことをしているだけであったりします。その上、10歳を越えると、親御さんの言うことは聞かなくなっていきます。そんな子供たちを良い方向に導くためには、まず、親御さんの意識を変えてみましょう。まず、「自分の人生が残り3ヶ月しかない」と想定して、その上で、子供に何を教えておけば親がいなくなって困らないかを考えます。

e0143522_22501712.jpg人生に限りがあったら、子供の心配するのは、学校の成績や塾の評価ではないはずです。まず、ご飯の炊き方、簡単な料理の作り方、世の中のしくみ、困ったら誰に助けを求めるか、など、生きていくために必要なことを教えるのではないでしょうか。こうしたことも知らせずに、理由も分からないまま「勉強しなさい」といわれても、子供は意欲的には打ち込めないものです。

私の母は、子供時代に戦争を経験しているため、子供を育てるにあたって、親がいなくても生きられるように心がけたといいます。思えば、小学1年生のときには、妹の布おむつの交換や、粉ミルクを作って覚ましたりしたものでした。また、高学年には、母に代わって、簡単な晩御飯を作ることもできたように記憶しています。学校の勉強も大事ですが、親がいなくても生きられる知恵をつけることも大事な学習です。

こういうことを言うと、「子供にかわいそうなことを想像させたくない」という人もいるかもしれません。しかし、私の友人は41歳の若さで突然、旅先で亡くなりました。10歳前後の男の子が二人いましたが、子供たちは、お母さんに死化粧をしてお葬式をあげて、居住国に帰っていきました。友人は、長子が生まれた時から、「10歳までは、一緒にいて、親がいなくても大丈夫になるように、全て教えておくから」というのが口癖でした。子供たちは、その通りに育っていたと言えるでしょう。

親から十分に生きる知恵を与えられた子供は、親から離れ、社会から教えを受けるようになります。時には、失敗もあるかもしれません。が、親はいつまでも、わが子を守れません。また、守ってはいけないものです。子どもが失敗するチャンスや、自分で気づくチャンスを失わせることなく、それでも、子供がどうしようもなくなったときに、絶対的な信頼を持って、助けを求められる存在であって欲しいと思います。
by k-onkan | 2013-05-25 22:51 | 児童 | Comments(0)

車椅子の入店拒否に思うこと

数日前、車椅子の著名人がイタリアンレストランで入店拒否をされたと、ネットやテレビで話題になりましたが、それで思い出したことがあります。それは、25年前の日本が、いかに車椅子使用者にとって暮らしにくい場所であったか、ということでした。

e0143522_1010525.jpg私が20代前半だったころ、アメリカ人で車椅子を使う友人が日本に遊びに来たことがあります。当時の日本はどこへいくのも、他人の手を煩わせないと車椅子での移動は不可能でした。「車椅子シール」を貼っているタクシーでも乗車拒否され、理由を聞くと、「心象よくするために、シールを貼っているだけだから・・・」と言われ、とても落ち込んだことを覚えています。

周囲の人の口から「チッ」という舌打ちが聞こえれば、当事者でないのに、自分が「人格否定」された気持ちになり、反対に、駅員さんが大勢で協力して階段を運んでくださり親切にされれば、「他人に迷惑をかけている」という申し訳ない気持ちで日に日に外に出るのが、億劫になりました。当時の日本はまだ、「障害のある人は、社会に出てくるな」という強いメッセージがあったのです。

当時、アメリカで暮らしていた私たちには、たった2週間でも、日本の生活は精神的にきついものがありました。アメリカには、「車椅子だから」という理由で、「入店を拒んではいけない」という法律があるからです。転じると、「車椅子でも入れる作りにするか、入れないなら、みんなで快く手伝い、車椅子を使っていても、他の人と同じサービスを受けられるようにする」ということです。障害者が自己否定せずに、他人の手をなるべく煩わせずに自由に行動できるようにするために、アメリカには本当に、「みんな違ってみんな良い」を実現する法律があるのだと感じます。

「アメリカのように法律を作るべき」と言うコメンテーターもいますが、お互いを思いやることが減った現代の日本ではうまくいかないだろうと、個人的には思います。その決定的な違いは、アメリカでは、障害者の側にも健常者に対する思いやりや配慮があることです。差別されない社会というのは、弱者だけに配慮するのではなく、お互いを尊重する成熟度が求められます。

たとえば、私たち健常者は、動き出しそうな電車やバスに平気で飛び乗りますが、アメリカでは、車椅子の人は絶対にそんなことをしないと思います。何をするにも、他の人より何倍も時間がかかる彼らは、時間に余裕を持って行動します。どんなに準備しても、多かれ少なかれ、周囲に我慢を強いていることを知っているから、誰よりもその場に早く行くのは、「車椅子を使う人がいますよ」とのまわりへアピールです。他の人もそれによって心の準備ができます。

あるとき、走り出しそうなバスの最後のお客さんが乗るか乗らないかの瞬間に間に合ったのですが、友人は「そのバスはダメ」といいました。健常者の駆け込み乗車が迷惑な以上に、車椅子が最後に乗車すると時間がかかり、他の人に大きな迷惑をかけることを心得ていたからだと思います。また、運転手も、そういう状態で車椅子を乗せる際には、他のお客さんに「乗せてもいいか。時間は大丈夫か」と聞くのです。

今の日本は障害のある人が迷惑をかけても、健常者が我慢するべきという風潮があります。「健常に生まれただけで恵まれていて、障害がある人は気の毒だから」ということのようですが、それこそが逆差別ではないかと感じます。どちらであっても、一方に無理を強いると共存は難しくなるものです。車椅子で当たり前に、外へ出られるようになったのは、過去に、不愉快な気持、悲しい思いをした大勢の当事者とその家族の努力の賜物ですが、同時に、それを受け入れられるようになった社会に対する感謝も、忘れていいことではないと思うのです。
by k-onkan | 2013-05-24 10:12 | 自立について | Comments(0)

相手を思う気持ちがあれば心は通じる

先日、ある幼稚園に指導に行ったときのことです。昼休みにお寺の境内にある蕎麦屋に入りました。そこには車椅子に乗った重度の知的障害だろう思う人が二人、そして、付き添いの女性二人が食事をしていました。

e0143522_23275079.jpg突然、車椅子に乗った人が「ウワーウワー」と怒ったような声を出しました。しかし、一緒にいる女性は気にせず、おしゃべりを続けています。その人は疲れると諦めて静かになりますが、また、しばらく経つと「ウワーウワー」と声を出すのです。

車椅子の彼らは、きちんとした言葉を話せないのかもしれませんが、言われていることは理解できる幼ない子どもと同じ存在なのではないかと感じます。乳幼児が、親に構ってほしいと思う、泣き声で自分を表現しますが、彼らは怒鳴り声で、自分を表現しているように見えました。

もし、付き添いの人たちが彼らの気持ちを推し量るような言葉―「どうしたの?喉がかわいたの?~が欲しいの?」と声をかけたり、騒ぐのを制止したら、怒鳴るのをやめたかもしれません。しかし、まるで、彼らの存在を無視するかのように、おしゃべりを続け、最後に、「本当にうるさいんだから、よその人に迷惑だから、そろそろ帰りましょう」。こう言い放った女性に、「この施設の人たちは優しくない」と憤りを感じました。言葉が未熟なまま、外国へ出かけ暮らした経験があるからこそ感じることですが、人間の良し悪しは、言葉ではないもので感じるものです。きっと、障害があっても、自分に対しての負の感情は、理解しているから、怒っていたのかもしれません。

公共の場で子供を泣かせっぱなしにする親御さんも、知的障害の人が騒ぐのを止めない付き添いの人も、少しだけ相手を理解しようという気持ちを持てれば、状況が変わるのではないかと思います。子どもの泣き声も、大人の怒鳴り声も、愉快なものではありませんが、それ以外に自分を表現できない本人が一番、いらついているだろうと尾も増す。もし、一緒にいる大人が「迷惑」と感じるなら、彼らが問題行動を起こさずに済む方法を見つける努力はしたいものです。言葉が分からなくても思いやりがあれば、心は通じることもあるのですから。
by k-onkan | 2013-05-23 23:28 | しつけ | Comments(0)

長所と短所は裏返し!

甥たちと付き合うと、いろいろな発見があります。兄甥Yは、小さいころから、大人の言葉をよく理解し、自分が納得のいかないことや苦手なことも、大人がいうと、受け入れられる聞き分けのよさがありました。講習会などの席で内心、嫌でも、突然、木下先生から、「Y、歌え」といわれると、目に涙をためて歌う姿がありました。

e0143522_13545436.jpg反対に弟甥は動物的な感覚だけでまわりの様子を理解しても、言葉の理解は、兄甥が3歳だったころほど、深くありません。自分が嫌だと一度、思ったら、大人がどんなに諭しても、長く泣き続けます。講習会で、木下先生が、「K、歌え」と言うと気分が乗れば喜んで手伝いますが、気分が乗らなければ床に転がって抵抗する強さがあります。

長所と短所は表裏一体といいますが、兄甥は大人の話を理解できる分、困難にぶつかったときに、「もう、いいや」と諦めが良く根気が足りません。反対に、弟甥は困難があっても、一度、やり始めると、執念深く頑張るのです。これは、自分の要求を通すためには何時間でも泣ける我の強さによるものかもしれません。

長所と短所は裏返しで、見方や見る人によって、評価は変わるものです。親御さんには、わが子の悪いところばかりに目を向けるのではなく、短所を見つけたら、いかに長所に変換できるかを考えて欲しいと思うのです。とは言っても、社会に迷惑をかける短所は、長所に変える以前に、きちんと言い聞かせ少しでも、改善する努力は必要だと思いますが、長所と短所も出所は同じなのかもしれません。
by k-onkan | 2013-05-22 13:55 | 子育て | Comments(0)