麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

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最善を尽くして天命を待つ!?

楽院の成果発表会がありました。家では上手に弾けるのに、試聴会、リハーサルという場に立つと必ずボロボロだったお子さんが、本番では上手に弾けて、お母さんは、さぞ、ホッとされたことでしょう。反対にリハーサルで上手に弾けて、本番でミスをした子もいます。いろいろな長所、短所、気質、性質を持ったそれぞれの子どもたちが、いつでも、どんな状況でも、少しでも自分の力を出しきれる練習が音楽会と思っています。

e0143522_2254098.jpg私も子どものころ、音楽会や講習会など、発表の場が大嫌いでした。しかし、大人になって、いざというときに、たいして緊張もせずに、冷静に人前に立てたり、何かあったときに、自分で問題を解決しようと思えるのは、小さいころから、発表の場を多く与えられたからだと思っています。と言っても、私も、子どものころは、練習の詰めが甘く、本番で失敗することが多く、後に、失敗を上手に隠すタイプになっていきましたが・・・。

わが子が、舞台に立つと、一番、ドキドキするのが、お腹を痛めたお母さんのようです。一緒に頑張って練習してきたからこそのイライラドキドキも理解できますが、舞台に立つ本人がリラックスできないほど、お母さんの眉間に深いしわが入ると私の方が心配になります。

「そんなに怖い顔をしたら、子供がうまくできません。リラックスしてください」と声をかけます。私たちも、本番に最良の状態を出すために、ビシビシ鍛えますが、本番が始まったら、子どもの世界です。うまくいくか、いかないかは、その子が持つ気質、運次第です。「もし失敗しても、人生の終わりではない」とおおらかな気持も、必要です。

2年生のKくんのお母さんも「家ではうまくいくのに」と本番前に、とても心配そうでした。その姿に、こちらに緊張が伝染しそうだったので、「これから、人生のもっと大事なときに、失敗しないために音楽会をしているのですから、失敗したら失敗したときと思ってリラックスしてほしい」と慰めました。家でできることが、本番できないとしたら、本番での成功の確率をあげるための修行が、音楽会です。

さて、ふだん、コツコツ練習しているのに、臆病な気持から、本番がボロボロになる子もいます。子どもには気の毒ですが、精神を鍛えているのだと思って、長い目で見て欲しいと思います。反対に、大して練習もしていないのに、練習以上の成果を出す子もいます。それも、その子の持つ気質や運ではありますが、それが一生、続くかとは限りません。努力することを覚えさせなければなりません。何にしても、音楽会は、それぞれの子どもの長所、短所を浮き彫りにするのです。
by k-onkan | 2013-06-30 22:53 | お稽古事 | Comments(0)

挨拶していますか?

挨拶をしていますか? 幼稚園入園、小学校入学のころは、子どもは、挨拶や返事を意図的にするように子どもをしつけるはずです。けれど、それが過ぎると、親御さんも、子どもも、挨拶も返事もどんどん、しなくなっていくようです。あたかも、挨拶や返事は「試験で通るために必要なこと」とか「大人の常識だからするのが当たり前」というように。

e0143522_0245122.jpg実は、私も、それに気づいたのは最近のことです。、仕事がら、私は年中、受験準備をしているような幼児たちと付き合っているため、「挨拶はしている」と自負していました。たまに甥の幼稚園に代理でお迎えにいくと、「お姉さんって明るいわよね」と驚かれることもあります。自慢ではありませんが、木下式仕込みの声はよく通るのです。しかし、挨拶は、ただ、大きな声ですればいいというものではありません。

挨拶は、「私はあなたを受け入れていますよ。あなたに悪い気持ちを持っていませんよ」というメッセージを、瞬時に表すことができるものです。ただ、「おはよう」と言うだけの挨拶と「おはようございます。お元気ですか。今日も良い一日にしましょう」との気持ちが込められているのでは、全然、意味が違います。もし、家族なら、「おはよう。今日も愛しているよ」という気持ちがこもっていると、子どもの一日は、きっと明るくなるはずです。

情けは人のためならずといいます。これは、「情けをかけるとその人のためにならないから、かけてはいけない」という意味ではありません。「情けは相手のためにかけるのではなく、いつか、自分に戻ってくる。つまり、自分のためである」という意味です。挨拶も、返事も、相手のためにとしているように思いがちですが、実は、自分に良い影響があるように思います。相手の心をひらくには、自分から・・・。そう思って挨拶したいものです。
by k-onkan | 2013-06-29 23:20 | しつけ | Comments(0)

今からでも遅くないから

最近、自分が年をとったのか、世の中の常識からどんどんかけ離れていっているような気がします。常識が変わると、人間も変わります。若いお母さんや、若い幼稚園の先生、そして、育てられる子供も、みんな少しづつ変わっていると感じています。

e0143522_034565.jpg私が一番、変化を感じるのは、やはり幼稚園の先生かもしれません。たとえば、20年前の幼稚園の先生は音楽の経験がなくても、「こんな抑揚で語りかけたら幼児が喜ぶかもしれない」「こんな褒め言葉でやる気を引き出そう」などそれぞれ、自分で工夫して取り組んだものでした。

反して、若い先生は教わったことをマニュアル通りに繰り返すため、そこには喜怒哀楽などの表情が感じられず、ロボットのようなのです。それを注意すると、「否定された」と落ち込む人もいます。また、緊張のあまり、私の顔を見るだけで、貧血になる人も増えました。まだ、叱るどころか、一言も話す前に反応されると、こちらがショックを受けることもあるのです。しかし、彼らもまた現代の教育の犠牲者なのかもしれないと、最近、思っています。

今、社会に出てきた若者たちは好むと好まざるとに関わらず、他人と比較されることも、苦手なことに取り組むことも、他人から反対意見を聞くことも、理不尽な思いをする経験もないまま、社会に出てきました。経験が足りないことや、精神的に鍛えられていないことを誰が責められるでしょうか。

「社会人になってそんな甘いことを言ってどうする。親や学校のせいではない」という考えもあります。そして、理屈はその通りでしょう。しかし、それだけでは片付けられないほど、若者が受けた教育の問題は根深いと感じます。

木下式は年齢に関係なく未知の事柄は懇切丁寧に教える教育法です。それは相手が大人であっても同じです。ただし、幼児と決定的に違うことは、大人は自分から意欲を持って学ばないと、いつか救いの手は放されてしまうのです。

もし、自分は「ゆとり世代で知らないことが多く恥ずかしい」。そう感じるなら、これからでも遅くはありません。「どうせ私はゆとり世代だから」などと卑下せず、本を読み、多くの人の体験談から学び、さまざまな経験をしてください。楽しいこと以上に辛いこと、悲しいこと、苦しいことの方が多いかもしれませんが、その経験が自分を形成する糧となり、いつか、後輩や子どもを育てるときに役立つはずです。

教え上手になるには、子ども時代に何の問題もなく優秀である必要はありません。反対に、いろいろな苦労や失敗談を、後進に伝え、より良い解決を見出せる人こそ、人育てがうまい人だと、私は思っています。次の世代を少しでも、よくするために、あきらめずに努力したいものです。
by k-onkan | 2013-06-28 23:34 | 教育 | Comments(0)

勉強の前に愛を与えて!

年少の男の子の体験授業がありました。残念ながら、その男の子には、音感教育をする以前にすべきことがたくさんありました。たとえば、知らない単語があるなら、一文字、一文字、お手本を示したり、本や絵カードで、「これは~だよ」と教えてあげたりして欲しいと思います。幼児音があるなら、お母さんが、一文字づつ、正しい発音でひらがなを発声して聞かせてあげてください。

e0143522_18343923.jpg子どもは4歳にもなると、幼稚園やお教室で、他の子と自分を比べて、できないことがあると、かんしゃくを起こしたりします。それは、「どうして、自分だけ知らないことがあるだ」という怒りの気持ちであり、恥ずかしさの現れです。本当は、お母さん以上に、寝転がったり、かんしゃくを起こしている本人が辛いのです。

このお子さんも、体験授業の最中、できないことがあると、私に手をあげて向かってきました。私は、どんな障害があるお子さんでも、一人の人間として扱う方針ではありますが、さすがに、「これだけ、自分の気持ちを言葉で表すのが、苦手だと幼稚園などで困っていませんか?」と思わず伺ってしまいました。授業の途中でも、床にねころがったり、カーテンに隠れたりが始まりました。

2~3歳の子どもが理解できるようにと考案された音感かるたでも、このお子さんには、内容が難しすぎているのです。冷静に考えれば4歳になって、自分の体のパーツ―目、耳、鼻、口、首―などを理解できなければ、かるたの説明も楽しくないのは当たり前です。私は、すぐに、方向転換をして、2歳の母子同伴クラスの課題に切り替え、一応、全ての課題は行うことができました。

子どもにルールを教え、気持ちを改めさせ、必要があれば叱り、いろいろなことを学ばせるノウハウが楽院にはあります。しかし、体験授業で二度と会わないかも知れないお子さんを叱っても何の意味はありません。もし、入学をされることがあれば、そのときには責任を持って、ダメなことはダメ、良いことは良いとお教えするつもりです。今日は、あまりしつこくせずに、おやつを出しました。

このお子さんをきちんと学習できる子、指示行動に従える子に育てるためは、お母さんや、まわりの大人の方にも、これまでの関わり方を見直していただく必要があります。乳児期の0歳から3歳までに教えておけば、後で役に立つことはたくさんあります。しつけもその一つでしょう。しかし、それを逃したとしても、6歳までならまだ、教えるチャンスは残っています。どうか、お子さんをあきらめないで、最後まで関わっていただきたいと思うのです。挑戦する前に「本当にできるようになりますか? まだ間にあいますか?」と聞くより、50歳になったときに、社会に迷惑をかける大人に育てないために、私たち、おとなはもっと、真剣に子どもに向き合わなければいけないと思います。何より、親御さんには、教育を与える以前に、自分の子の存在を受け入れて、愛することからはじめていただきたいと思います。目を見てにっこり微笑んだり、子どもがすることをお母さんが心から喜んで明るい声で、反応したりすることが一番、最初に必要なことなのですから。
by k-onkan | 2013-06-27 18:33 | 教育 | Comments(0)

連絡はするのが、当たり前!

数ヶ月前のことです。仮押さえをしていたホールにお断りの連絡を入れると、「わざわざ、キャンセルのご連絡をいただき、本当にありがとうございます」。それは嬉しそうな声で感謝されたといいます。私たちスタッフは、そのことにとても驚いたのです。なぜなら、「連絡しなければ、キャンセル」が世の中で当たり前の考え方になりつつあるからです。

e0143522_13284024.jpg実は、最近、楽院でも、「無断で入学キャンセル」「自然消滅的な退学」は多くなっています。私が通う話し方教室でも、「続けられなくなったら、必ず、連絡を入れてください。補講や別のクラスへの振り替えなども可能な限り対応していますから」と、大人の私たちに、それは、丁寧に説明してくださるので、「今はよくあること」なのでしょう。しかし、約束をキャンセルするには、直接、連絡を入れるのは常識であり、これをしなくなったら、まっとうなことを子どもに教えられなくなる、と私は思うのです。

最近、楽院でおきた事例をご紹介しましょう。一つは「入学金の支払いを完了しました」とのご連絡によって、シッターさんに連れられ他お子さんの初回のレッスンをしたのですが、手続きがされないまま、そのまま、お子さんも来られなくなりました。紹介者を介しての面接だったのですが、使用した教材費の代金も未納になってしまったため、その請求書をお送りすると、費用だけが振り込まれました。

他にもこんな例がありました。レッスンがある度に、無断で来なくなるお母さんに、「根無し草のようなレッスンの受け方は、子どもにもかわいそうですし、私たちも心が痛むので、これ以上、生徒として受け入れられません」とお断りしたのです。しかし、「どうしても、もう一度、いれて欲しい。今度はまじめに通う」とのお約束で、再度、入学金を払われたにもかかわらず、1回目のレッスンを行うと、次の週からは連絡もないままになりました。

楽院には、「無断欠席が四週間続くと、楽院長の権限で退学とみなすことができる」という規定があります。昔は、楽院に通われる保護者に、こんな当たり前のことを規定として、お渡しする必要はありませんでしたが、最近では、入学面接で、「手続きの書類は、明日、お手元に届きます」とお伝えした後、「なんらかの理由で、事情が変わったり、急な病気になって、レッスンを開始できない際には、どうか、ご一報くださいね。怒りませんから。手続きしないことが「いかれない」のサインにはなりませんので、どうぞ、よろしくお願いいたします」とお伝えするようにしています。

本来、ビジネスと教育は違うものです。しかし、世間一般の考えでは、教育を受けることも、サービスになってきてしまったようです。教育の場として、生徒に一定の成果をあげるためには、たとえ、「うるさい教室」と言われても、子どもや保護者の方に従っていただかなければなりません。世間の悪癖に飲み込まれなかったから、しつけができなくなった世の中でも、木下式の成果は保つことができてきたのですから。
by k-onkan | 2013-06-26 23:29 | しつけ | Comments(0)

大人が勉強する姿を見せよう

毎週、私のスピーチを聴いている甥Yが、私の真似をして最近、スピーチごっこをするようになったと妹から聞かされました。「こんばんは、安藤Yです。ぼくの学校では話し合いをするという話をいたします。ぼくのクラスでは、何かあると話し合いをする時間があります。自分の意見を発表したり、友達の意見を聞くことができるからです。毎回、話し合いがとても楽しみです。もっと、たくさん、話し合いをする機会があればいいのにと思います。ぼくの学校は話し合いをするという話しをいたしました」。まさに私が習ったとおりです。

e0143522_20371141.jpgその様子を聞いて思い出したのです。私が話し方教室を検索したのは、Yがよその人と話ができるように何か良い方法はないかと思ったからでした。しかし、子供の話し方教室は、声を出して、言葉をはっきりさせる教室一つしかみつかりませんでした。それでは、ふだん、楽院で子どもたちに教えていることです。そこで、私が大人の話し方教室の体験に参加して、子どもたちに教えられることを探そうと思ったのです。Yが私の真似をしてスピーチをしているというなら、間接的に、役立っているのでしょう。

しかし、子どもたちに一番、教えたいと思っているのは、自分から会話のきっかけをつかみ、人に話しかけたり、順序立てて物事を説明することです。話し方教室では、クラスメートと会話をして、それについて、即興で発表する時間があります。そうしたことを小学生のうちに練習する機会があれば、社会に出てから、絶対、役に立つだろうと思います。

私は自分がきちんと、日本語を説明できるようになったのは、アメリカで暮らし、英語で順序立てて物事を説明する必要にせまられたからでした。もし、英語を学んでいなかったら、今だに、人から理解される説明はできなかったかもしれません。そんなこともあって、Yには小学生のうちに、自分に起きた出来事を順序だてて説明して、自分の気持を表現できるようにしてやりたいと思ったのでした。そして、子どもの近くで勉強することで、子どもに良い影響を与えるのだと再確認しました。
by k-onkan | 2013-06-25 20:38 | 児童 | Comments(0)

なりたい自分になるための努力

津市の教室に出かけてきました。その中で、久しぶりにレッスンをした年長のKくんと、4年生のCちゃんに変化が見られ、とても幸せな気持になりました。Kくんは、前回のレッスンで甘えを見せ行儀が悪く、ほとんど集中できませんでした。お母さんもがっかりされましたが、私もとても気がかりでした。その後、K先生が、彼の甘えを取り締まり熱心に指導してくださったのでしょう。お母さんも驚くほど大きな変化がありました。子どもの変化は指導する先生の変化だから、なおさら嬉しいのです。

e0143522_194849.jpgしかし、もっと、嬉しかったのはCちゃんの成長です。彼女のことは、年長の頃から知っていますが、本当に小さい声で舌を動かすのも不得手でした。一音ずつ、音程よく歌わせようとしても、呼気の弱さから聞こえない箇所があったりします。全ての声が平均して聞こえるように、行進で反射性をカバーさせながら独唱させたこともありました。

苦労なく声がでる子の親御さんは、「あんなことまでさせられて気の毒に・・・」と思われたかもしれません。しかし、「小さな声も個性だ」と放っておいたのでは、声量も性質も改善されることはありません。他のお子さんと比べる必要はありませんが、4年前のCちゃんより3年前、1年前のCちゃんより今、と、自分の中で、進歩していって欲しいのです。

何より嬉しかったのは、フレーズをつなげて歌えるようになったことです。これができるようになって、はじめて音楽らしくなるからです。「前は、つなげて歌えなかったのに難しいことができるようになったね~。覚えている?」と聞くと、本人も覚えていました。これまでは歌わせたことがない曲調のメロディーを歌いながら、自分の声が伸びることを嬉しそうに確認していました。「他の子と同じようにはできないから、かわいそう」と、出来ないことを隠していたら、この子は、こんな風に歌えるようにはならなかったはずです。大事なのは途中経過ではないのだと思います。

気の毒だったのは、Cちゃんの妹のMちゃんです。お姉さんと比べると、発声に苦手意識もなければ、器用な面もあるのです。しかし、なんだか、いつもおふざけモードなのです。せっかく声がよくても、頑張るべきときに頑張れないのでは、良い芽は吹きません。一つのお稽古事で、目につくときは、他のことすべてが、同じ調子であるだろうと思います。帰り際、Mちゃんだけ引き止めてこんな話をしました。

「お姉さんは、Mちゃんと比べたら決して声は良くないし、器用でもない。だけど、一つ、Mちゃんにない良いところがあるの。それは、真面目なことよ。だから、できなかったことも、できるようになっていく。Mちゃんは、良いところがあっても、ふざけてばかりだから、良いところがなくなってきている。このままだと、大人になってお姉さんだけ幸せな人生になるかも・・・」。びっくりした顔で私を見ています。

「努力する人のところには、努力する人が来ると先生は思う。だから、Cちゃんのところにはまじめな人が来ると思う。でも、Mちゃんはこんなにふざけるのが好きだから、ふざけてばかりで仕事をしない人が来るかも・・・・」。どこの子どもも、3年生くらいになると、勉強したり、お稽古事の結果以上に、その先を考えて、努力させる必要があると感じます。なりたい自分になるための勉強やお稽古事の努力なのすから。
by k-onkan | 2013-06-24 23:08 | お稽古事 | Comments(0)

人の失敗も生かして・・・

「いつやるの。今でしょ?」の林修先生が、不良少年たちに授業を行なった様子をテレビで見てから、私はとても親近感を持って、本を読みました。生まれた年代が近いからなのか、共通する何かを感じるのです。恵まれた家庭に育ち、幼児期の教育も好ましかっただろうと想像できます。自分の努力ではなく、与えられた環境によって、人より勝ることも多くあったはずです。ところが、そこで、人生をなめて失敗するあたり、耳が痛いことばかりです。

e0143522_9545286.jpg「子どものころ、『うさぎとカメ』の話を聞かされていたんです、でも、ボクは『どんなにカメがコツコツやったって、うさぎが本気になれば、追いつくさ!』と思っていたんですよ。ところが、東大へ行ったら、ピョンピョン飛んでいくウサギが、いっぱいいて、全然、叶わないんですよ。だから、ぼくは銀行だったんです。まわりがみんな官僚になる中で・・・」。(あるテレビ番組から)

私も、「うさぎと亀」の話を例に、「怠けていないで、地道な努力しなさい」といわれたものでした。けれど、実際の世の中で出合う競争相手は、亀ばかりではありません。ウサギの俊足をもって地道に跳ぶ存在に出会ったら、ちょっと優秀で、人生をなめているウサギには、手も足もでません。

最近、気づいたのですが、世の中には、自分の失敗を語りながらない先生は多いようです。私は、自分がかつてした失敗だからこそ、似た環境を与える身近な先生や甥たちは、同じ失敗をしないですむように、声をかけておきたい、と思っています。また、自分がおろかだったことは、隠しとおせない事実です。ならば、自戒の念を込めて、正面から受け止め、それをどうやって取り返すか、自分が目をそらさないでいたいのです。

たぶん、林先生も、似たような感覚をお持ちで、失敗談を面白おかしく語れるのかもしれません。いろいろと、共通する感覚を感じるのですが、残念なこともあります。それは、私より林先生の方が圧倒的に面白いというです。子どもの頃に、きちんと勉強した人特有の頭の良さ、緻密さの上に、落語を聴いたり、話術に磨きをかけ、自分の授業が常に1番、面白くなるための努力をされているからです。これが、私には足りていないと、感じるのです。そして、思うのです。さぁ、今週も、もっと頑張ろう!
by k-onkan | 2013-06-23 23:50 | 教育 | Comments(0)

きちんと説明する練習をしよう!

今日は、児童部の子どもたちに、「みんなにこの一週間にあった面白いことを教えて」と声をかけました。1対1で話すのと違い、幅広い年齢の友だちの前で話をするためには、出来事を順序立てて説明して、その場の情景を伝える力が求められます。当たり前なのですが、話しに起承転結があって説明上手だったのは、ふだんから、作文上手な5年生のMちゃんでした。

e0143522_23532433.jpg小学校で真っ暗な体育館にみんなで走って入ったときの痛かった話をしてくれました。なんでも、クラスメートのAさんと、Mちゃんは、思いっきり走って体育館に入り、Aさんの目とMちゃんの頬がぶつかったそうです。すぐにMちゃんは、ボール遊びをしているクラスメートに蹴飛ばされてはたいへんと思い、脇に避けたそうです。ところが、Aさんの姿が見えません。「どうしたのかな」と思って探しにいくと、Aさんはその場で声を押し殺して泣いていたそうです。結局、授業の後、保健室に行って、湿布をしていただいたのですが、とても痛かったという話でした。

自分の周りに起きたできごとを、その場に居なかった人に理解させるには文章力や説明能力が求められます。そして、こうしたことは、平素から、順序立てて物を考えて、口にする習慣があってはじめてできるようになります。今日は、4~5年生の話を聞きましたが、「水泳のタイムが下がった」という残念な話なのに照れ隠しで笑って話お子さんや、自分だけ理解できて聞いている人には、何が伝えたいか分からないお子さんもいました。

弟とゴーグルをつけてお風呂にもぐって遊んでいると、弟が自分が死んだと思って、緊急ボタンを押して、大騒ぎになったという話も面白く、子どもたちには大うけでした。しかし、私には「弟が自分が死んだと思った」という文が、「弟は弟自身が死んだと思った」と理解したため、意味が分かりませんでした。すると「弟が死んだと思ったのは話し手である兄だったと説明されて、やっと、話が理解できました。つくづく、日本語は難しいと感じます。これからも、子どもたちが自分から口を開き、何かを説明する機会を与えようと思ったのでした。
by k-onkan | 2013-06-22 23:53 | 児童 | Comments(0)

宿題をチェックする甥たち

毎週、水曜日になると4年生の甥Yは、「あ、今週、まだ、聞いてないよ」と私のスピーチを聴きにきます。まるで、音楽会の前に「Yのピアノ、たまには聴かなくちゃね!」と親が言うようなことを私に言うので、立場が、逆転したかのようです。

e0143522_725477.jpg「そこの言葉はない方がいいんじゃない?」とか、「もう少し説明を入れたら?ぼくは分かるけど」と大人びたことを言います。内心、「生意気になってきた」と思いますが、スピーチの先生からも小学校高学年から中学生が理解できる平易な文を心がけるようにとご指導を受けたので、Yは絶好の先生です。

先日は、自由課題が出たので、甥たちの話をしました。最初はどちらを主人公にするかで、しばらく迷いましたが、どちらを選んでも「どうしてボクじゃないの?」ともう一人が不満を口にするのは目に見えています。そこで、2つ作ったのです。一つは、6年前にYと一緒にアメリカの結婚式に出席して誓いの口付けに興味を持った話。もう一つは、最近、妹とスーパーに出かけたKが「欲しい、欲しい」と大泣きして叱られた話です。

さて、作ったからには練習しなければなりません。どちらを発表するにしても、最低、100回は練習しないと、私は怖くて発表できないのです。そこで、スピーチを聴きたがる甥たちの手前、両方、練習もしました。すると、兄だけでなくKまで、「『欲しい、欲しい』は手だけじゃなくて、足もバタバタするんだよ」と演技指導が入ります。

いくら、スピーチは音調を変えて登場人物になりきると言っても、3歳のKがわがままな姿のなりきりは、恥ずかしいものがあります。しかし、本気でやらないと、真意は伝わりません。仕方ないので、甥の指導の通りに話ています。すると、一ついいことがありました。

それは、K本人が、「可愛いけれど、馬鹿っぽい」と言い出したのです。「だって、Kちゃんがこういう風にやるって言ったのよ。スーパーや駅でやっているでしょ?」。「もうしないよ」と落ち着いているときは言いますが、暑かったり、眠かったりして、感情が崩れると、「アイスが食べた~い」「ジュースが飲みた~い」と、手足をバタバタして、「ほしい、ほしい」が始まります。

さて、最初は楽しく聞いていた二人ですが、お互いに恥ずかしい話だったと見えて近づいてこなくなりました。私は、地方に指導に行く際に、若い先生の心をつかむための雑談のストックが出来て、話し方教室の宿題は、たいへん役に立っているのです。
by k-onkan | 2013-06-21 07:25 | 我が家のこと | Comments(0)