麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

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お母さんが怖い!?

年少のKちゃんには、物静かなお母さんがあります。声も穏やかでとても静かな方です。ところが、娘のKちゃんは「お母さんが怖い」と私たちに言うのです。最初は、「家に帰れば、大きな声も出して、叱ることもあるのかもしれない」と思いました。しかし、お母さんとお話しをすればするほど、そうは思えないのです。なぜなら、お母さんの声は、どんなに張り上げても、私たちのような大きな怖い声はならないと思うからです。

e0143522_21182974.jpgその日もレッスンに来られたお母さんから、「今日は娘が全然、口をきいてくれない」と聞きました。子どもにも虫の居所が悪い日や機嫌の悪い日はあるでしょう。しかし、口を開かないと、「なぜ、気分が悪いのか」「なにを怒っているのか」、誰にも分からないでしょう。「怒っているのかもしれないけれど、何も言わないと、誰にも分ってもらえないから、口を開きなさい」と教えなければなりません。

お母さんはこれまで、Kちゃんに何かをきちんと説明をしたことがなかったようです。Kちゃんには4歳上にお姉さんがあって、何事も見覚えたり、真似たりしてなんとなく理解しているように見えたからでしょう。しかし、Kちゃんの理解力に合わせて、大人がきちんと説明したことはほとんどなかったようです。同性の兄姉を持つ二番目の子の多いのですが、常に不機嫌そうに見えたり、かんしゃくを起こします。しかし、子どもは、わけが分からないことで、お母さんに叱られるから、「お母さんが怖い」と感じるのでしょう。

両親にとっても、まわりの大人にとって、長男、長女が生まれたときには、何事も新鮮で、喜びがあったはずです。しかし、二番目も同性となると、何事も経験済みで、親は良くも悪くも慣れがあります。子どもにとっては、初めてのことで分らなくても、なんとなく「知っているのが当たり前」という様子で過ぎています。その不安や心配を取り除けば、不機嫌さもかんしゃくも減っていくはずです。

よく、「兄弟姉妹の仲が悪い」と悩む親御さんに出会いますが、原因の一つは親御さんや周囲の大人によるものです。子どもたちそれぞれを比べあったり、大人の気分で、構うのでなく、それぞれの子どもが必要としていることを観察して見極める必要があります。そして、兄姉には、「弟や妹を守るのが役目」と教えて、弟妹には「兄や姉を頼りにするように」教えることです。

長子は、親御さんと一番、長い時間を過すことができます。最初の子は、二番目が生まれるまでは一人っ子です。しかし、弟妹は、生まれたときから、兄や姉と両親の存在を分け合っています。それだけに、弟妹を可愛がるように仕向けていただきたいと思います。くれぐれも、「お姉さんばっかり構われている」「妹にばかり優しくして」と思わせないように、親御さんも気をつけたいものです。親がいないときに、助け合えるのは兄弟姉妹です。そんなときに、お互いを嫌いあったりしない育て方をしたいものです。
by k-onkan | 2013-10-31 23:16 | 子育て | Comments(0)

悲しいけれど、頑張って!

たいへん悲しいことがありました。瑠音先生の幼馴染で二人のお子さんを楽院に通わせるIさんが亡くなったのです。入退院を繰り返すお母さんが、少しでも穏やかに過せるように、また、ご家族の苦労が少しで軽くなるように、瑠音先生をはじめ、楽院も微力ながら、できることをしてきました。しかし、こんなに早くお別れが来るとは思っていませんでした。

e0143522_23423317.jpg連絡をいただき、自宅にうかがった瑠音先生は、二人の子どもたちに、「ママがいなくなって寂しいと思うけれど、ママがいないからと言って、ママが悲しむようなことは絶対にしてはいけないわよ。ママはいつでも見ているのだから」と話したそうです。お母さんが亡くなっても、「子どもにはいつも通りの生活をさせてやりたい」というお父さんの希望で、翌日、Mくんはレッスンにやって来ました。

ピアノ室で「お母さんが昨日、死んじゃったんだ」と言うMくんに、まゆみ先生は、「たいへんだったね。でもね、先生のお父さんも子どものころ、病気で死んじゃったのよ」と話をしたそうです。「自分ばかりがかわいそうな子ども」と思わせてはいけないと思ったからでした。「病気は痛くてつらいから、生きている方が苦しいということもあるのよ。だから、ママは楽になったのだと思う・・・」。そういうと、Mくんは、「うん、うん」とうなづきました。「ママはいつもMくんのそばにいると思って頑張ろうね」と話しました。お母さんの話をしてすっきりしたのか、「みんな(ママのお別れに)来てくれるかな」と言ったそうです。

今回の出来事で、私は、Mくんだけでなく、お姉さんのMちゃんも楽院でお預かりしておいて本当によかったと思いました。3歳だったMくんは「幼稚園でじっとしていられない」との理由から入学してきましたが、お姉さんは年齢が大きかったため、一度は入学をあきらめられた経緯がありました。しかし、2年後、音楽祭で立派な姿で独唱を披露したMくんの姿に、「弟だけでなく、姉にも同じ教育を」とお姉さんを託されました。お母さんの病気が分かったのは、そのすぐ後のことでした。

生前、Iさんは、「勉強だけできれば良いと思う人間には育てたくない。自分のことは自分でできる子、他人の気持ちを思いやれる人に育ってほしい」と瑠音先生によく話していました。二人のお子さんを楽院に通わせたのも、音楽能力の向上だけでなく、そうした理由もあったのでしょう。だからこそ、私たちは、「お母さんを亡くしたかわいそうな子」として特別な扱いをするのではなく、二人の心により添いつつも、「ダメなことはダメ」と言える大人でい続けなければと思います。それがお母さんの意思を継ぐことだからです。

死はだれにも平等に起きることです。悲しいことですが、事実は事実として、小学生の子どもたちとともに、Mくんのお母さんに黙祷をささげたいと思っています。もしかすると、幼い子どもは軽々しく「自分でなくて良かった」と思ってしまうかもしれません。しかし、不幸と遭遇する人は、私たちの分の苦しみや悲しみまで引き受けてくださっているのかもしれません。「他人に起きた関係ないこと」と思うのでなく、命の大切さ、そして、生きている私たちは、自分ができることを一生懸命、取り組むこと教えたいと思うのです。Mくん姉弟のお母さんの代わりにはなれませんが、みんなで、少しずつ、悲しみを分け合って、二人を支えたいと思っているのです。
by k-onkan | 2013-10-30 23:42 | 児童 | Comments(0)

音楽祭にはドラマがある

来年2月の音楽祭のために、各地に視察に回っています。木下先生は、子どもたちの話す言葉から、口の回転、話声位、気構え、声質を聴いた後、一人ずつ、メロディーを歌わせるのですがその際、必ず、子どもたちに、模範唱を聴かせます。

e0143522_2250711.jpg声の艶や大きさは、その人の元気のバロメーターです。子どもたちは、木下先生の容姿と、その声のギャップにとても驚きます。その上、「先生はおじいさんか?」と聞かれるのですから、子どもたちはブルンブルンと、首を横に振って「おじいさんじゃない」と言うのです。もしかすると「おじいさんじゃない」と子どもたちに言っていただくのも、木下先生の元気のもとかもしれません。

一般的に、幼児期は、男の子より女の子の発達が早く、大人びています。「独唱に選ばれたい」と意識を持ってのぞむため、女の子が断然多いのでしょう。もちろん、兄姉が音楽祭を経験している弟妹も、意欲を持って取り組むので、選ばれる可能性が強いようです。

子どもたちを独唱に選ぶために、何度も、何度も、いろいろなメロディーを歌わせ終わったあたりで、木下先生は、その子がどれくらい独唱に出たいと思っているのかを推し量るために、「独唱に出たい人は、東京の先生のところにお泊りしなくちゃいけないんだけれど、こられる?」と聞きます。お母さんと離れらたくないからか、男の子は必ず「出なくていい」と言います。ところが、女の子には、「行きます」「大丈夫です」という子が結構いるのです。それだけ、自分から「独唱をしたい」と意識を持って向かっているのです。女の子が自分の願いをかなえるために、何でもしようとする姿に、木下先生はとても驚くようです。

私は、子どもが家に帰ってから、「木下先生から家に誘われた」などと言って保護者から「木下先生は、可愛い子を家によぶために独唱者を選んでいる」などと思われては困るので、「今のは冗談よ。ここに並んでいる人は、幼稚園の代表として、独唱に出るのだから頑張ってね」と解説しています。

さて、木下先生は男性として、なんとか同性の男児独唱者も見つけたいと思っています。最近も、ある男の子の声を聴き「君は候補だ」と選びました。しかし、優等生タイプの男の子は失敗が怖いのか、目に涙をためたりします。臆病さによって、いつまでも涙を流して、結局、力を発揮できませんでした。木下先生も「残念だなぁ、でも、やめておこう」とあきらめたのです。音楽祭では、毎年、大勢の子どもたちが独唱に選ばれます。しかし、舞台に立つまでには、いろいろなドラマがあるのです。
by k-onkan | 2013-10-29 22:49 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

かわいそうだからこそ・・・

大人の目から見て「かわいそうな子どもに出会うと、周囲の大人は不憫になって、つい、悪いことをしても叱れなくなったり、過剰に甘やかしたりしてしまうものです。

e0143522_23153857.jpg何年か前になりますが、テレビで、若い女の子が、番組に助けを求める姿がありました。幼いころに、不治の病を宣告された兄についての相談でした。病気の子どもを不憫に思った両親をはじめ、親戚は「残り少ない人生だから」とわがままのすべてを聞き入れたそうです。ところが、予想外に完治してしまい、わがままや浪費ぐせがあり、一向に働こうとしない兄に、両親が苦労しているとの話でした。

世の中には、かわいそうな環境に育つ子どもは大勢います。先日、読んだ本に登場する産院で取り違えられた子、幼くてして事故や病気で親御さんを亡くした子、障害を持って生まれた子など、数えたらきりがありません。

しかし、どんな事情があっても、一番、かわいそうなのは、甘やかして育てて、将来、社会の中で、受け入れられない人間に育ててしまうことです。本当に、その子どもを思うなら、無闇に優しくするだけでなく、世の中は自分を中心に動かないことを教えておくことも、大人が知らせるべきことではないでしょうか。
by k-onkan | 2013-10-28 23:14 | 子育て | Comments(0)

愛情あふれる親が必要

「ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年-」を読みました。これは、第二次ベビーブームに多発して社会問題になった「赤ちゃん取り違え事件」を25年間、取材し続けたノンフィクションのドキュメンタリー作品で、最近、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した映画の参考文献でもあります。
映画やこの本の評判で、6年間育てたわが子を、手放せるか、など、いろいろと議論されていましたが、実際にドキュメンタリーを読むと、子供にとって大切なことは、実の親か、育ての親か以上に、「どんな親」に育てられたかが一番大事であるかを改めて感じさせられました。

e0143522_1544958.jpg取り違えられた女の子たちは、経済的には大差ない家庭の子供でした。しかし、決定的に違うことがありました。それは、Aの家庭には、子供の将来を思って、悪いことは悪いと叱り、教育を与えることが子供の財産になると信じた愛情深いお母さんがいました。Bの家庭には、育児放棄のお母さんがいて、それを親族の女性の手を借りながら父親が4人の子供を育てる家庭でした。

教育熱心なお母さんは、幼児のうちに、ひらがなを教え、絵本を読めるように育て幼稚園に送り出しました。しかし、小学校入学に際して、子どもの交換をすると、実の子としてやってきた女の子は、野生人のようで、ひらがなも読めず、自分の名前も読み書きできず、部屋の片隅で震えていて、なかなかなつきませんでした。小学校に入るまでに、なんとか、自分の名前だけは分かるようにしたといいます。

しかし、最初は動物のように震えていた実の娘は、愛情深いのお母さんのもとで、少しずつ、心を開き、最終的には、育児放棄の母がいる育った家には帰りたがることはなくなっていきました。しかし、最初にこのお母さんに育てた娘は、この家庭を「自分の家庭」と思い、実の親の家では、自分の知恵を最大限、駆使して、いかにして、育った家に帰るかを考えて暮らしました。実の父親に機嫌よく、育った家に送ってもらうために、愛想を使い、年齢が大きくなると、バスに乗るために、小銭の計算をして、お金をためて自力でバスを使って、育った家に行ってしまいます。

周囲の大人は、取り違えられた子供たちを、「かわいそう」と思い、週末になると、互いの家への行き来を続けていたのです。それが、当時、数多く起きた取り違い事件の中でも、異例だったのかもしれません。通常は、まったく別の生活をする、遠いところに別れて、いつしか、子供は新しい生活になれていくようです。そのときは、心が引き裂かれるようであっても、時が解決してくれることもあるのかもしれません。

しかし、沖縄の事件は、実の親から逃げ出しては育った家に帰る娘と、次第に新しい家庭に馴染んでいく育ての子を見て、同じ敷地内に住めば解決するのではと思い、お互いに近くに住むことになったのですが、結局、実の子も、育ての子も、愛情にあふれる母親のいる家庭になつき、片方の父親はとても悲しい思いをしたようです。もし、取り違えられた二つの家庭のどちらにも、子供を可愛がるお母さんがいたら、交換した直後は苦しくても、最終的には、子供は実の親もとでなんとか育っていったのかもしれません。実の親か、本当の親か、どちらが正しいは、その子供が成長して、大人になるまで分からないものです。しかし、子供には、厳しくても、愛情あふれる親が必要だと再認識させられたのでした。
by k-onkan | 2013-10-27 23:00 | 子育て | Comments(0)

親になるということ

「そして父になる」という映画が話題だそうです。産院で出産時にわが子が取り違えられたことを知らされた二つの家族の葛藤が描かれているようです。血縁に重きを置いて、子どもを交換するのですが、それまで育ててきた重さにはかなわず、決断を迫られるという話のようです。この映画を鑑賞されたお母さんが「なんだか、ピンとこない点があって・・・」と感想を教えてくださいました。ご自身も年長の男の子の母として、それまで手をかけてきたわが子が、無抵抗によその家庭に引き取られるはずがないと、肌で感じたからでした。私も自分の子どもでなくても、愛情をかけて育てた子どもとは、そう簡単に、引き離されられないように思います。子どもと関わる機会がある人には、いろいろと納得がいかないのは、映画の中で「子どもの気持ち」が軽く描かれていたからかもしれません。

e0143522_1315744.jpg実は、どこの国にも新生児の取り違えはいあるようです。実際に日本でも42年前、沖縄で6歳の娘が自分の子どもではないことに気づき、血縁を重んじて子どもを交換した家族があったそうです。しかし、簡単にはうまくいかず、わが子に愛されない苦しみ、本当の親を愛せない苦しみに、長年、翻弄されたといいます。親というのは、育てた子も、本当の子も、一緒に手元に置きたくなるようです。沖縄の件は最終的には、隣同士に住みいつでも行き来できるようにして解決したようです。「ねじれた絆―赤ちゃん鳥違い事件十七年」

さて、今日の作文のお題は、「もし、自分が取り違われていたらどうしたい?」というタイトルにしました。産院で取り違えられるのは、子どもたちですが、こうしたことが起きたときに、子どもの意見は重要視されないそうです。しかし、子ども自身がどんな風に考えるのか、興味もありました。子どもを不安な気持ちにしたいわけではありませんので、「みんなは、どう見ても、それぞれのお父さん、お母さんの子どもだと一目で分るほど、よく似ているから取り違いはないと思う。でも、万が一、そうであったら、どうしたいか、考えてみて」と解説しました。

最近、成人を越えた大人でも自分が目に見たり聞いたり、実際に体験したことしか、理解できない。映画を見ても、本を読んでも、その気持ちは分からないというのを耳にします。この想像力で、子どもを育てたり、人と関わるのは、難しいと感じます。子どもに、つらいことや悲しいことも、「もし・・・だったら」と考えさせることは想像力を鍛える訓練になります。

ただし、想像力を駆使する作文は、よほど文学に精通しているか、精神的に大人でないと、書けないものです。そこで3年生の以上に考えさせました。独唱の練習があり、途中で時間切れとなってしまいましたが、途中経過に目を通すと年齢や発達、そして、それぞれの性格がよく分かるのです。

3年生の男の子は、「本当の家族がいても、今の家族がいいから、本当の家族には会わない」と書きました。可愛がっているお母さんが聞いたら涙を流して喜ばれるかもしれません。しかし10歳を過ぎた子たちは、反応は異なりました。やはり、少しずつ、親から離れて自立しようとする時期だからかもしれません。

「本当の家族がいるなら、これまでの家族ともみんなで仲良く暮らしていきたい」「本当の家族がいるなら、そちらと暮らす」と書いた子もいました。4年生の子どもを持つ瑠音先生は、「こんなに大事に育てても、そんな風に思うのね・・・」と少なからず、ショックを受けていました。

「本当の家族のほうが、今よりお金もちとか、恵まれていると、思っているかもしれないけれど、いろいろな可能性があるよ」と、更に深く想像させました。楽院の少人数の子どもたちの中でもいろいろな考えがあり、それぞれの個性を表していました。けれど、私は、多くの子どもと関わる経験から、血縁が有るか否かではなく、子どもにとって親に愛されることが大事なのだと感じるのです。何しろ、世の中には、血がつながったわが子を虐待したり、あやめたりする親がこれだけ、存在するのですから。
by k-onkan | 2013-10-26 23:13 | 子育て | Comments(0)

今日もいないのか・・・

私が富山に出張に出かけている間、4歳の甥Kは、入園試験で幼稚園がお休みで、毎朝、楽院に出勤してきました。ところが、いるはずの私が不在だったため、私の行き先が気になったようです。二日目になると、「今日もまぁちゃんはいないのか・・・」と残念そうだったと、純子先生が教えてくれました。私は、内心、嬉しくなりました。

e0143522_2262991.jpg富山に出かけた日の音感のレッスンで、ダラダラと取り組んだKに「いつまでも甘えていないで少しは真剣になりなさい」と厳しく叱ったのですが、授業が終わって、Kとの別れ際、「これから、飛行機でお出かけだから、バイバイの抱っこをしよう?」と声をかけたのに、抱かせてはくれませんでした。叱られたので素直になれなかったのでしょう。私の不在を気にしたのは、そのためだと思ったのですが、残念ながら、単に鬼の居場所確認だったようです。

私の姿が見えなくなってから3日目のことです。Kは、「今日も、まぁちゃんはいないでしょ?」と瑠音先生に確認したそうです。「今日はいるわよ」というと、自分の予想が外れて不機嫌になったKの姿がありました。

その話を聞いていたので、「Kちゃんは、私が居なくてよかったでしょう?」と声をかけました。すると、可愛い声で「ううん」と言って、ひざに乗ってきたのです。「お土産があるから可愛くしているの?」というと首を横に振ります。4歳になったKは、知恵が回るようになり、「まぁちゃんとお土産、どっちを待っていたの?」と聞くと、「まぁちゃん」というではありませんか。でも、本当は、お土産を喜んでいるはずです。

甥たちにとって、私は煙たい存在です。ふだんは優しくしていても、何かの際は絶対に許さない厳しさがあり、本当ならつきあいたくない相手でしょう。しかし、手間をかけて育てられているため、ないがしろにもできないようです。そのため、呼べばすぐに「ハイ」と返事をし、頼みごとも素直に聞きいれます。子どもにとって、家族の中に自分の都合や気持ちを優先できない相手がいることで、社会に出て、人と折り合いがつけられる一助になればと思っているのです。
by k-onkan | 2013-10-25 22:03 | 幼児 | Comments(0)

若い親御さんに知って欲しいこと

最近は若い両親が共働きなのはふつうのことで、自分の人生を大切にしながら、子どもを育てるのが、当たり前なのでしょう。しかし、子どもを育てている若い親御さん、そして、これから、子どもを生むであろう、若い方たちには、知識として知っておいていただきたいことがあるのです。それは、乳幼児期は、子どもにとっても、親御さんにとっても、一番、大切な時期であることです。

e0143522_22272774.jpgこの国は少子化に歯止めをかけるために、「支援をするから子どもを生んで欲しい」と言っています。また、親御さんも「支援がないから、子どもは無理」と思われ「もっと、保育園を増やして、働けるようにしてほしい」と思われているかもしれません。しかし、経済的に豊かになるよりも、大事なことがあることも心にとめておいていただきたいのです。

0歳から2歳の乳幼児は、幼児教育の観点から見ても、児童心理学の点から見ても、特定の人との愛着関係を築き、自己肯定感を備える大切な時期です。本来であれば、親もとで育てられることが一番幸せなことです。しかし、どうしても、預けなければならない事情があるなら、せめて、週末などは、お子さんとの時間を大事にしてほしいと思うのです。平日にバリバリ働いて、週末は子どもの世話より仕事の疲れを癒したいと思う親御さんなら、乱暴ですが、わざわざ子どもを持つ理由がないように思うのです。

この時期のお子さんと関わる大人にも注意が必要です。言葉を話さない赤ちゃんの相手は、一見、責任がなさそうに見えます。また、相手も、流暢に言葉を操れず文句も言わないのですが、その子どもが、どのように育つかは、その大人による影響が大きいのです。

たとえば、この時期には、乳幼児期が聞き取りやすい高めの声(マザリーズ)ではっきりと話しかければ脳の発達を促し、言葉のはっきりとした子どもに育ちます。反対に低い声で、ボソボソと話しかけられると、言葉の理解があいまいになり、幼児音が長く残ることもあるのです。赤ちゃんが言葉を話さないからといって、何も分からない相手だと侮ることなく、愛情をもって目を見て話しかけて、十分な運動によって、手指や五官を使いこなせるようすることは、一緒に生活する大人の役目です。そして、何より、子どもが自分の存在を幸せだと思えるように、愛情をあたえてくれる人が絶対に必要だと私は思うのです。
by k-onkan | 2013-10-24 22:26 | 乳児 | Comments(0)

親の死を考えるとき

最近、身近で、若いお母さんが病気で入院されたり、手術されたりする話をよく聞くようになりました。4年生の甥Yも、「いつ、自分の身にそういうことが起きないとも限らない」と、瑠音先生と二人で「万が一、お母さんに何かあったときのこと」について話し合っているようです。

e0143522_11203642.jpgYが5歳のころ、私の祖母が亡くなり、葬儀に参列したYは人のお骨を拾う経験をしました。お寺で生まれ育てば、死を当然なこととして受け入れ、「人間とはそういうもの。人生とはそういうもの」と考えられるように育つかもしれませんが、現代社会の核家族では、子供に人の死を正しく理解させ、命の大切さを教えることはとても難しいと感じます。

また、教育現場には、子どもに「死」について知らせることが「いけない」という大人が存在して、人の生死に目を背ける傾向があります。しかし、これは、他人に「死ね!」と言ったり「殺す」という言葉を使うことが悪いのであって、「死ぬこと」は私たちの誰にでも起こる神聖なことなのではないでしょうか。デリケートですが、子どもでもいつか、知らなければならないことだと思います。

5歳だったYが、「お母さんもしむの(死ぬの)?」と不安そうに聞いたときには、「じぃじも、ばぁばもまだ元気に生きているでしょ。お母さんもそう簡単には死なないから大丈夫よ」と不安を取り除いていましたが、10歳になった今、親を病気で亡くす可能性は皆無ではありません。私の親友が40歳で亡くなったとき、その忘れ形見も10歳と9歳でした。

瑠音先生とYは、「もし、お母さんに何かあった場合」を想像して、具体的に、どのようにお父さんと力を合わせて弟を育てていくかなど「親の死」を現実として考えさせているようです。時に、想像力の豊かさゆえに、二人で涙ぐんでしまうこともあるようです。そのためでしょう。優等生の仮面をかぶったYが、最近、大きな体で「お母さん、お母さん」と甘える姿を職員室で多く見かけるようになりました。事情を知らない人が見たら、かなり気色悪いのですが、「母に万一のことがあったら」と思う気持ちが不憫で、私たちはみな、見ないふりをしています。

親は一生、生きていて、自分を守ってくれる存在と思うと、子どもはわがままになり、無理なことばかり言ってしまいます。また、他人に起きる不幸な事柄も「自分にだけはありえない」と楽観視するかもしれません。しかし、大切な人との別れを経験して、私たちは大人になるものです。そして、子どもたちには、精神的に大人になってから異性と付き合って欲しいと思うのです。体だけ大人の「大人子ども」のまま、異性と関わり、自分が生んだ子を捨てたり、殺したりする事件が多くあります。体だけでなく、心や精神を大人にする必要性を感じます。そして、将来、自分の大切な女性を守る強さを身につけるために、Yは、絶対的な愛を持つ母親がいなくなる可能性を考えているのかもしれません。
by k-onkan | 2013-10-23 23:19 | 児童 | Comments(0)

木下式の保育園での役割

モデルクラスの授業が終わって、私は二泊三日の富山出張に出かけます。来年の音楽祭の視察が目的なのですが、もう一つ宿題がありました。それは、幼稚園と保育園が合併したこども園で、木下式に馴染みのない保育園の先生、木下式についてお話をすることです。

e0143522_10362782.jpg保育園の先生は、親が子どもに与えられない愛情を与える存在です。親御さんが日中、働き、手をかけてもらえない子どもを、先生方が、授乳をして、オムツをとり、身の回りのことを教えてくださり、親御さんが日中、与えられない愛情で見守り、安全を保ってきました。

ところが、この何十年間で、いろいろなことが変わりました。まず、親御さんが変わりました。昔なら、近所のお姉さんの家に赤ちゃんができたなど、身近に子育てを見る経験がありましたが、今は、子どもに関わる経験もないまま、人の子の親になります。そのため、親御さんはお腹を痛めたて生んだわが子との関わり方、愛し方、叱り方、しつけの方法も分からないようです。また、保育園が夕方まで子どもを預かったとしても、残りの時間は、親御さんが愛情をかけて、わが子に教えたいこともありました。しかし、現代の日本では、生活が変わって、子どもたちは生後数ヶ月から、早朝から夜まで、長いと12時間、保育園にいることも可能になりました。

その結果、親御さんは、自分の人生、生活を大事にできますが、長時間、労働で疲れ、週末は子どもと過ごすより、できれば、ゆっくり休みたいとも思われるようです。特定の人に愛される経験が少ないうえに、長く、保育園にいる子どもにとって、いろいろな教えを受けられるのは、保育園の先生だけしかいません。

0歳から6歳までは、幼児にとってとても大切な時期です。安全を確保されて、衣食住を整えられることも当然、大切ですが、それにプラスして、特定の大人から、愛され、褒められ、時に叱られ、知的な教育を受け、バランスよく成長させて、小学校入学に備える必要があります。その基本は、自分の頭の使い方を知っておくこと、そして、社会のルールに従うためのしつけです。木下式を実践する幼稚園、保育園では音楽教育を通して、幼児たちが、小学校で自分から、学習できるための基礎を養っているのです。
by k-onkan | 2013-10-22 10:32 | 木下式音感教育法 | Comments(0)