麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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幼児の能力は大人次第!

幼児期は、子どもが何かを身につけるか否かは、大人の関わり方次第といえます。そのため、私たちは、つい、子どもの気持ちが伴っていなくても、一方的に勉強をさせたり、何かを練習させたりしてしまうかもしれません。しかし、子ども自身に、モチベーションが持てなければ、何も身につかないことを忘れないようにしたいものです。

e0143522_0412899.jpg幼児期の学習は、子ども自身が「楽しい」とか「頑張ろう」と思える工夫が必要です。時に「友達に負けないように」「誰が一番になれるかな?」とか「ちゃんと頑張らないと、おやつの時間にならないよ」など、子どもの競争心をくすぐることも大事です。一番、大切なのは、子どもが楽しいと感じて、自分から取り組むことです。また、勉強や練習をする際には、子ども自身が、「自分のため」と実感していないと、努力をした割りに成果があがらないことがあります。

先学期は毎月、指導に出向き音感の指導をしていた園児たちに、久しぶりに会う機会がありました。園児たちは、行儀よくたくさんの曲を歌っていましたが、1つだけ、残念なことがありました。それは、毎月、うかがっていたときに比べると、会話力、コミュニケーション力が下がっているように見えたことでした。

音程正しく上手に歌うことも行儀よく取り組むことも、とても大事なことですが、それと同じだけ気をつけるべきことがあります。それは、大人に何か質問されたときに、自分の言葉で、思ったこと、感じたことを答えられる力を養うことです。

これができないお子さんは、受身で物事に取り組んでいるだけの可能性があります。「大人が言うから」「みんながやっているから」と集団に従うのではなく、個々人が、それぞれに、取り組み意欲を持つことで、それぞれに良い影響があるのです。

そんな園児の中で、一人だけ、私の言葉にすぐに反応する男の子がいました。独唱に選ばれたFくんで、以前から、一度、注意すると、自分から「『あ』のところを強く歌わなくちゃいけないんだけど、なかなかできないんだ」などと、自分で反復できる子でした。意識をもって、物事に取り組む子どもは、教えれば教えるほど、うまくなります。反対に、受身であったり、大人の応援の力によって力を引き出されていると、応援する大人がいなくなると、下手になってしまうこともあるのです。

木下式は、幼児の能力を最大限、指導者が引き出す教育です。そのため、「幼児の能力を引き出したい」と思って取り組む指導者か、「これくらいでよいだろう」とそのときの状態に安心する指導者かで、同じ子どもであっても、発揮する能力には雲泥の差が生じます。だからこそ、幼児期の学習は、幼児本人の能力ではなくて、関わったすべての大人の成果だと感じるのです。
by k-onkan | 2014-01-30 22:41 | 教育 | Comments(0)

いっぱい褒めて、いっぱい叱って

最近、「子どもの良いところを褒めてもいいのでしょうか?」という質問をいただきました。私は、自分の子どもを贔屓目で見られるのは親くらいだと思っています。ですから、「良いところ」が見つけられたら、どんどん褒めて欲しいと思います。

e0143522_11136.jpg「長所を褒めてよいのか」と疑問に思われる方は、「褒めすぎると、子どもを調子に乗せてしまうのではないか」とか、「増長して嫌な性格になるのでは」と心配されているのかもしれません。しかし、私たちは、人から褒められたり、認められて、はじめて自分の長所に気づくものです。自分で自分の長所に気づかないまま成長したら、大人になって、どのように自分の進む道を考えたらよいのでしょう。たいていの人は、子どものころに長けていたことに関連することを仕事にしたりするものです。自分のことが分かる大人に育てたいものです。

もし、子どもが自分の長所を褒められたことで、「ぼくって、すごいでしょ?」と横柄な口をきいたり、不遜な態度をしたら、そのときに「長所があることは、すばらしい。けれど、調子に乗ったり、えらそうにしていいわけではない」と教えればよいのです。

また、長所をたっぷり褒めるついでに、苦手な課題について「これで、~ができるようになったら、もっとすばらしいと思うよ。頑張ろうね」と新たな課題も与えれば、長所を褒められただけでは図に乗ったりはしません。自分のことをよく見ている相手の言葉に、背筋がシャキンとするかもしれません。

子どもは、たっぷりの愛情をかけると同時に、「どんな理由があっても、いけないことはいけない」と毅然とした厳しさをもって、接することでまっとうに育つのだと感じます。褒めずに叱ってばかり。叱らずに褒めてばかり。褒めることも叱ることもしない。この三つのどれでもが、子どもに好ましくない結果を導くと感じています。

どうか、自分のお子さんには、たっぷり愛情をかけながら、「いいことやいい、悪いことは悪い」ということを教えて、自己制御能力と、社会対人関係能力のある子どもに育てようではありませんか。
by k-onkan | 2014-01-30 17:27 | 子育て | Comments(0)

傾聴と自己主張のはざまで・・・

話し方教室の修了式には、「傾聴」を学びました。これは、話を聴くボランティアや、ご病気の方、年配の方から、お話を聴くためのもので、一切、自分の意見を述べたり、相手の意見を批判したりせずに、同調することが大事です。

e0143522_2335381.jpg実際に「傾聴」を実践してみると、私はこれがとても苦手であることを再認識しました。もともと、「迷惑な伯母ちゃん役」で生徒や親御さんに、「こうしたらもっとよくなる」とか「その方法ではいけない」と苦言を呈することが多いので、その癖が傾聴の実践でも出てしまいます。せめて、仕事関係でない方には傾聴ができるようになりたいものです。

さて、この傾聴を学んで気づいたことがありました。最近の若者は友人同士も、傾聴の気持ちで付き合っているのかもしれないということです。教え子の若い子が「敵を作らないように、友達の意見を受け入れて、自分の意見は出さない。そうでないと仲良くいられない」と話していたことを思い出したのです。

若いお母さんの中には、ママ友だちのつきあいがつらいという人がいるそうです。力のあるママ友に全面的に従い、相手に踏みにじられたり、利用されたりに疲れてしまうようです。これもまた相手の意見を傾聴しすぎなのかもしれないと思うのです。

思えば、子どものころ、いじめられっこだった私は嫌われないために、何でも相手の言葉を受け入れようとした時期がありました。しかし、敵を作らないようにするほど相手に侮られたと記憶しています。やはり、自分の意見をはっきり相手に伝えることが、自分を守る一助になると思います。そのことに気づいたのは、単身、アメリカに出向いたときのことです。自分の意見を求められたら、きちんと答えられなければなりません。

さて、「教科書改訂」で竹島、尖閣諸島について記載するようになったとのニュースが流れました。諸外国からはいろいろな反対意見もあることと思いますが、日本人として、周辺諸国との関係や領土問題などは、教えられておくべきだと感じます。

外国でいろいろな国の人と話をすると、日本人の歴史認識が自虐的であると感じます。どんな歴史的な背景がある国の人も、自分の国のことを悪く言う人はいません。唯一、日本人だけといっても過言ではないと思います。謙遜は日本の美徳といっても、外国では自分の考えや主張がないと、相手から侮られてしまいます。

長年、頑張ってこられた年配の方、病気で入院する方と、意見を戦わせる必要はないと思いますが、自分の身を守るためには、自分の意見を主張できることも大切です。何事もバランスです。相手を受け入れるといっても、自分のすべてを隠して相手に合わせることはできないのですから。
by k-onkan | 2014-01-29 23:35 | 自立について | Comments(0)

いろいろな愛がある!

最近、独唱をする小学生の親御さんが、次々とすばらしい衣装を持って、「これでいいですか」と木下先生に確認に見えるようになりました。そんなとき、妹から、昨年、着たスーツのパンツをはいた甥の写真が携帯に送られてきました。そこには、「足が短い。ベストも小さい」という文言とびっくりマークがありました。4年生の甥Yは服装に頓着しないので、「これでいいよ」といったそうですが、今年は、イタリア歌曲の恋の歌を歌うため、あまり幼稚な格好も似合いません。そんなことからYと妹と3人で買い物に出かけることになったのです。

e0143522_211565.jpg実は、男の子にとって、洋服を買うのはまったく楽しいことではないようです。Yにいくら聞いても、「いい」「こっちは?」「いい」「どっちがすき」「うーん」と張り合いのない返事しかありません。男の子にとって、大事なのは、布が柔らかくて動きやすいかどうか、くらいなのです。私たちだけが「この色は木下先生の趣味に合わないかも」とか「色味が暗いからシャツだけ明るい色にしたら」と一生懸命に探して、Yは文句も言わずに買い物につきあってくれました。

「女の子なら「こんな服が着たい」という意思もあり買い物も楽しそうですが、男の子は張り合いがない」。そんな話をすると、まゆみ先生は「Yはいい子よ。麻奈は小学生のころ、洋服を買いにつれていっても、ちっとも喜ばずに、試着はいつもふてくされていた……」といい出したのです。子どものころ、同学年の中で体が大きい方だった私は、高学年には大人用の服を着ていました。年齢相応の可愛い服の選択肢がないことを試着をするたびに思い知らされ、ささくれ立った気持ちになったことを思い出しました。

また、幼いころから、ベージュや紺などの色の服を多く着せられていたのは、母が女性的な色を私に着せるのを嫌ったのだと長年、疑いませんでしたが、「2歳年下の弟にも使えるようにと、女の子らしい色は選ばなかった」と知らされました。そういえば、私はいつも怒っていたのです。「どうして、まぁちゃんの服はばっちい色で、ママだけ可愛い服を着て、ずるいじゃない!」と。

結局、買い物は、買ってもらう子どもより、「これはどう?」「あっちは?」と購入する大人の喜びなのだと思います。Yにしても、「立派なスーツを買ったのだから、しっかりやりなさい」と余計なプレッシャーをかけられて良い迷惑かもしれません。それでも、期待をかけられるのも愛情の一種であり、それにこたえるのも、愛情の返礼なのです。
by k-onkan | 2014-01-28 23:58 | 児童 | Comments(0)

生意気なところも愛しい

妹が美容室に行くというので、数時間、甥たちを預りました。その間に何度か、私の携帯にメールが入りました。4歳6ヶ月のKはめざとく「誰?お母さん」と私を問いただします。「お母さんじゃないわ」。「じゃぁ、誰?」「お友達よ」「どこのお友達?なんていう名前?」とどんどん踏み込んできます。

e0143522_23573465.jpg「Kちゃんの知らない人よ」というと、「知らなくてもいいから、ちゃんと教えておいてよ」。まるで父親が娘の行動をチェックするかのようなしつこさです。生まれてから、たった4年半しか一緒にいないのに、わが家の知りたがりの性質を受けついでいるようです。

幼稚園に入園したばかりのころに、わからんちんの次男坊が先生の話が理解できているか、クラスメートと仲良くできているかなど、大人は心配で、「幼稚園は楽しかった?どんなお友達がいるの?」「男の子と女の子は同じ人数なの?」など、いろいろなことを聞き出したものでした。今になって、そのお返しをされているのかもしれません。

Kは最近、大人びた言葉遣いに憧れているようで「コーヒーはブラックでいいですか」「じぃじ、紅茶をいれましょうか」と言っては、お茶を入れてくれるのです。その様子は、さびしいですが、もう乳児のころの面影はありません。子どもの成長はうれしい反面、寂しさもありますが、幼かったころの可愛さがあるから、生意気に自立していくことも愛しいと思えるのかもしれません。
by k-onkan | 2014-01-27 23:56 | 幼児 | Comments(2)

注意されるのも大事な経験

大勢の子どもたちが合唱していると、間違ったり、飛び出したりする子がいます。そんなとき、きちんと、「間違っているのは、あなた」と指摘する必要があります。

e0143522_233305.jpg間違いを指摘すると、「子どもが傷つく」という大人もいますが、子どもはさまざまなことに対して、「知らないこと」「気づいていないこと」が多くあります。合唱で間違っても、当人は「間違っていない」「自分はうまくやった」と言い張ることもあります。

子どものうちだから、叱られたり、注意されたりを経験して、間違いを正したり、注意されないようにと気をつける経験が大事だと思います。

音楽祭の練習に取り組む幼児部の子どもたちは、小学生と一緒に指揮を見ながら歌うと、つい目線をはずしたり、他のことを考えたりして、集中できないこともあります。しかし、たった数分間の曲ですが、毎週、毎週、繰り返し練習しているうちに、少しずつ、声がそろってくるのです。

音楽会の舞台に立つのは、数分間という短い間でも、そこに行きつくまでの努力が一番、子どもたちの力になっていることが分かるのは、大人より、取り組んでいる子どもたち本人なのかもしれません。
by k-onkan | 2014-01-26 23:02 | お稽古事 | Comments(0)

本気になれば男の子!!

毎土曜日、日曜日は、音楽祭のための特別練習に子どもたちが集まってきます。それぞれ、独唱や指揮、挨拶など、自分が与えられた種目に真剣に取り組んでいます。その様子を見ると、女の子より男の子の方が、根は真面目だと思うのです。一般の人は、男の子がふざける姿を見慣れているので、「女の子のほうが真面目で優等生」に見えるはずです。確かに、女の子は物事を処理するのも早く、何事も失敗は少なく優等生に見えます。しかし、その分、「なんとかなる」と楽天的に考え、いい加減に済ませてしまうところがあるのかもしれません。それに反して男の子は、何かを成功するためには小器用には処理できません。そこで、自分の意思で「これ」と決めたり、「絶対に失敗したくない」と思うと、真剣に取り組むしかないのでしょう。それは女の子には、少ない生真面目さに見えるのです。

e0143522_18112350.jpg合唱練習の合間の休み時間には友達とふざけて駆け回っている3年生のYくん合唱練習になると別人のように顔が変わり真剣に第一声部の中心として頑張っています。それには、理由があるのです。昨年の音楽祭で、Yくんは、合唱団の曲目紹介という大役が回ってきました。自分に大きな役が回ってきたと気づいてから、真面目に練習に取み始めましたが、残念ながら、それでは遅すぎたようです。本番は「お腹が痛い」「具合が悪い」と言い出しました。そのため、肝心の曲目紹介は泣いているような声でした。家に帰ると元気になったことから、精神的なものだったことが分かり、「もっと、鍛えておくべきだった」と後悔したのです。

今年は、難しい曲を独唱することになったため、本人も去年のようなことがないように、音楽祭のことを常に考えているようです。日記には歌の練習を頑張っていること、木下先生に褒められたこと、そして、「練習でうまくできても、敵は本番だ」と自分を戒めることを書いているようです。また、夢の中でも、音楽祭で歌っている様子が登場するほど、真剣に取り組んでいます。

男の子は、10歳を過ぎると、自分から「これがしたい」と思うことに、自分の才能を発揮できる可能性があります。幼児期は、女の子に遅れをとっていても、いざ、本気になれば、強いのは男の子です。ただし、自分で「これがやりたい」と思ったときに、理解力や記憶力が不足していると、打ち込めません。そのためにも、最低限の基礎能力は、幼児期から、コツコツと積み上げておく必要を感じます。何より大事なのは「苦手でいやだ」ということから、逃げずに継続させておくことが重要です。どんなに能力が優秀であっても、物事を途中で投げ出す人は、どんなことに出会っても、あまり良い結果は出せないのですから。
by k-onkan | 2014-01-25 23:09 | 児童 | Comments(0)

孫にも手作り教育!!

私は子どものころから、理数系より文系が得意な子どもでした。もちろん、幼児が数字に興味を持つ早い時期には、簡単な算数の訓練は、母が始めたため、気分さえ乗れば人並みにはできるのですが、苦手なことには腰が引け、つい数字に明るい妹を頼ってしまいます。私と特質が似ていると感じるのが4年生の甥Yです。本を読んだり、文章を書いたり、物事を記憶したり、スピーチを考えるなどは、自分から意欲を持って取り組むのですが、数字を感覚的に理解するのは小さいころから、苦手な様子がありました。

e0143522_150023.jpg音楽も、他の課題にも共通するのですが、先を急いで難しいことをするより、基礎を確実に身に付けることこそ、あとで伸びる秘訣です。特に、苦手なことは基礎をしっかり覚えさせないと、「やりたくない」という気持ちが先に立ち、もっと苦手になっていきます。

そんなことから、Yは、自分でタイムを計って問題を解き、自己採点をする添削式プリントに毎日、取り組んでいます。計算問題は継続すれば少しずつタイムもあがり、確実にできるようになりますが、初めて習う単元になると、まゆみ先生から、「Yは算数ウツになっている」と心配されるほど、苦悩しているようです。

Yの名誉のために書き加えれば、小学校のクラスメートには「Yは計算が得意だ」と思われているそうです。これは幼いころから、隠れてしてきた努力の賜物ですが、続けてきた努力を怠れば、すぐに、「計算は苦手」になるでしょう。Yもそれを知っているから、苦手でも取り組んでいるのだろうと思います。

ここ数ヶ月、最大公約数、最大公倍数の問題に取り組み、苦悩するYのために、まゆみ先生は、自分で問題を考えて与えているようです。なんでも、「数字の特質だって、全先導してやらなければわかるようにならない」と、木下式の方法を応用して、高学年の算数を教えるつもりのようです。

まゆみ先生は、私たちが幼いころは、漢字教育をはじめ、いろいろな手作り教育をしたものでしたが、父の仕事が忙しくなるにつれ、よその先生にお願いすることが多くなりました。私たちも、学校から帰って両親の職場に行くより、よその先生の方が素直に習えたのだと思いますが、Yは私たちと違って、毎日、職員室に帰ってくるので、まゆみ先生の「子どもに手をかけてやりたい」とい思いに火がついたのかもしれません。

さて、最近、「子どもにどうやって楽しく勉強させたり、理解させたらよいか分からない」というお母さんによくであいます。まず、自分の子どもの特性をよく観察するところから始めましょう。わが子が何が好きで、何が嫌いで、何をするときに喜び、何を嫌っているのかが分からないまま、難しいことをいきなり教えて、「どうして、できないの?」」と押し付けるのでは、あまりにかわいそうです。同じ年齢なのに難しいことができるお子さんには、必ず、教え上手の大人が子どもの特質を見極めて、地道な努力を積み上げてきたはずなのです。先を急がず、確実にできることを1つひとつ、先をあせらずに、取り組んでいくしかないのですから。
by k-onkan | 2014-01-24 23:48 | 教育 | Comments(0)

子どもの成長が嬉しい

楽院は音楽の教室ですが、1対1で楽器などの一般の音楽教室を想像すると、ずいぶん、印象が違うはずです。子どもたちは、一人ひとり個別に歌やピアノを習い、個々の音楽能力を高めていますが、それだけではありません。みんなで歌う合唱活動を通して、コミュニケーション能力や協調性など、音楽以外の力を身に付けています。社会に出てから、厳しかった合唱練習が役に立ったという卒業生は大勢いるのです。

e0143522_23561098.jpg合唱は自分勝手に歌うと成立しません。大勢の人間が一斉に演奏する際には、必ず、お互いに協調しあう必要があります。そこで、指揮を注目して、その指示を見守るのです。一瞬たりとも、目を放す余裕はありません。しかし、これが、低学年の子どもたちには、とても難しいことなのです。つい無意識でメロディーを口ずさんだり、気分散漫になって指揮者から、「集中せよ」と叱られてしまいます。

子どもたちは、学年があがるにつれて、合唱に参加することを「自分の問題」と考えて、指揮に集中できるようになります。すると、長時間でも、気分散漫になったり、指揮者を無視して歌うことがなくなるのです。合唱に取り組むこの様子で、個々人の成長と発達の度合いが分かるのです。子どもたちは、指揮者の手の動きが、何を意図して、その時々、自分が何を求められているかを推測するなどを感じたり、伝え合ったりして、コミュニケーションも学んでいます。

さて、合唱団の団員として、責任を果たせるようになると、自信が芽生え、私たちのことも怖くなくなっていくようです。だんだんと私たちの顔色を見て、本気で怒るまで、指示を聞かなくなっていきます。お母さんなしではいられなかった幼な子が、少しずつ生意気になるのと似ています。それだけ、子どもたちに、独立心が芽生えた証でもあります。

個人的には「麻奈先生が怖い」と言って、びくびくしていた小さいころが愛しく懐かしい気もしますが、「先生が怖いから指示に従う」のではなく、自分から音楽の楽しさを理解して、「上手になりたい」という気持ちを持つ生意気ざかりは生意気盛りで、子どもの成長と発達を嬉しく感じるのです。
by k-onkan | 2014-01-23 23:55 | お稽古事 | Comments(0)

一緒に責任をとるのは親の仕事!

子どもを持つと、嫌でも、他人に頭を下げる場面が増えるものです。たとえば、子どもが公共の場で騒いだり、他人に迷惑をかけたら、親御さんはわが子に代わって頭を下げるでしょう。このとき、「可愛いわが子のため」と思えるか、「私に恥をかかせて」と思うかで、親業を楽しめるか、苦痛に感じるかの分かれ道かもしれません。

e0143522_23154829.jpg子どもに代わって謝るからといって、お母さんが卑屈な気持ちになる必要はありません。年齢の幼い子ども、未成年の子どもは、知らないこと、分からないことが多く、知らず知らずのうちに社会に迷惑をかけるのは当たり前です。だからといって、「子どもだから、迷惑をかけるのが当たり前」と開き直られると、周りも不愉快に感じるものです。また、親御さんが、「子どもだからいいのよ」という態度では、子ども自身も、「自分は子どもだから迷惑をかけていいのだ」と誤学習するでしょう。

そんなとき、お母さんが、子どもに代わって「ごめんなさい。うちの子が~をして、申し訳ありません」と一緒に頭を下げることで、「お母さんが、自分のために、頭を下げてくれている」と思えば、その子は、自分が人に迷惑をかけたときに、謝れる人間になるはずです。子どもは自分がしてもらったことしか、できるようにはならないからです。

親になるというのは、子どものしたことの責任を取れるようになることだと、最近、強く思うのです。人に頭を下げるというのは、自分の負けのような気持ちになって、頭の良い人や、負けず嫌いの人にはたまらないことでしょう。謝るのが嫌だからと言って、「この子は悪くない」とかばったり、子どもの間違いを正当化すると、子どもは、自分のした悪いことをすべて他人のせいにする習慣を持ってしまいます。そして、やがて、物事がうまくいかないのが、「お母さんのせい」「家族のせい」と身近な人にまで責任転嫁するようになっていくのです。

私は、長年、大勢の子どもたちが、幼児期から児童期、そして、大人になっていく様子を見てきました。幼児期に、親御さんが、猫可愛がりをし過ぎたり、支配しすぎたり、一人立ちできるよう育てていないと、年頃になって、苦労するのは、他の誰でもなく親御さんです。

悪いことをしたら自分で謝り、責任を取ることを、子どもに教えるためにも、親が身をもって子どものしたことに頭を下げていただきたいのです。また、頭を下げたら、わが子が二度と同じ間違いをしないように、親子で協力して、改善したいものです。「ごめんなさい」という言葉だけでは、責任を取ったことにはならないのですから。
by k-onkan | 2014-01-22 23:14 | 子育て | Comments(0)