麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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叱り時を見失わない!

子どもと付き合っていると、心を受け止めるべき時、そして、叱り時があると感じます。いつも、子どもの気持ちを受け止めていたのでは、その子はわがままになってしまいますが、だからと言って、いつも叱ってばかりではいじけたり、荒んだりするでしょう。

e0143522_2355556.jpg絶対的な信頼を培うためには、まず、その子どもの立場に立って気持ちを理解し、子どもが「この人は絶対に自分の味方だ」と思ってわがままを通そうとしたときには、「だめなことはだめ」と叱ることが大事なのです。この時期を逃して甘い顔を見せれば、その子に正しいことを教えることはできないでしょう。

3ヶ月前に入学した6歳のKくんは、乳幼児期に身近な大人から優しい言葉をかけられたり、スキンシップを受けたりすることが足りないまま、成長したお子さんでした。そのため、年齢に対してできないことを指摘されたり、プライドが傷つくと、暴言を吐いたり、悪い態度を示しているようでした。

最初に楽院に来たときは、手負いの小動物のような様子が見えたので、私はKくんが好きな課題をして過ごしました。少しずつ、Kくんが好きなことをしたら、私のしたいことをするということを繰り返し、最初に機嫌をとったり、遊んだりしなくても、音感の授業ができるようになっていきました。

最近、Kくんのクラスを進級させたのですが、女の子ばかりのクラスが嫌でたまらないようです。男の子に比べて、女の子は発達が早いため、たとえ年齢が低くても、真剣に取り組まないとかなわないことを感じるから、面白くないのでしょう。

ウジウジして、中々、本気に取り組まないので、ついに雷を落としました。「男の子のクラスがいいと言っても自分より小さな女の子に負けているうちは、絶対に、男の子のいるクラスにはしないのよ。ちゃんとやりなさい」。これまで、Kくんの気持ちを絶対に受け止めてきた私が、豹変して怖い声を出したので、Kくんはびっくりして、すぐに真剣に取り組みました。

ふだんは優しくても、甘くても良いのです。しかし、「これを逃したらダメ」という叱り時にはきちんと叱る大人でなければ、と思います。子どもにとって、甘いこと、優しいこと、楽しいことだけを言って、その子がいい子に育つなら、耳に優しいことを言いましょう。しかし、残念ながら、叱るべきときに叱られなかった子でいい子に育った人に私は出会ったことがないのです。どんな立派な人も失敗したり、反省したりして、成長しているのですから。
by k-onkan | 2014-02-28 23:06 | しつけ | Comments(0)

資質を高めるために!

最近、ある保護者の方から、「自分の子どもの資質はどうしても分からない」との質問があり、数年前、中国で子どものDNAだかを検査してその子の「才能」を見つけるのが流行ったことを思い出しました。この検査は、その子がもつ一番、秀でた才能を見つけ、その科目だけ集中させて勉強させるということでした。個人的には、一つのことしかできない気の毒な人間を育てるための検査のようで、私は賛成できないと感じたものです。

e0143522_2333643.jpgたとえば、「音楽の才能」があるという結果が出たとします。だからといって、音楽だけを勉強したら、その人の音楽は面白くはならないでしょう。音楽には、演奏者の人生そのものが現れるものです。音楽の道で名を残すためには、音楽以外の無駄に見える学びの中に、音楽を高める必要もたくさんあります。もちろん、人として当然の知識を得るためには勉強しなければなりません。演奏するための体力を得るためには、運動も大事でしょう。また。人生の苦悩や体験、遊びなど、その人の音楽を作るためには、何一つ無駄なことなどありません。

お子さんの資質や才能は、その子が持つよいところ、できることを地道な努力で伸ばし、悪いところ、できないことは、気長に改善していくーー。これしかないと感じます。才能は、宝くじに当たるように、どこからか降ってきたりはせず。努力して高めるしかないのかもしれません。

子育てに悩むお母さんや、子どもの資質を高めたいと考えるお母さんには、わが子の長所や短所を書き出すことを勧めています。長所と短所では、漠然として分かりにくい際には、「わが子ができること」「わが子ができないこと「わが子にできるようになって欲しいこと」「わが子の好きなところ」「わが子の嫌いなところ」などを項目に書き出します。

どんな些細なことでも、いいのです。書き出したら、それを一つずつ、確かめていきます。「できること」は「なぜ、できるようになったのか?、どれくらいの時間でできるようになったか?」。「できないこと」は「何が問題でできないのか?」など等、「好きなところ、嫌いなところ」に関しては、お母さんがそう思う理由も書いて、お母さん自身が頭を整理することが大事です。

たとえば、本が読めない子がいたとします。私なら、文字が読めないのか、目が悪いのか、集中力がないのか、言葉が理解できないのかを確かめるでしょう。ただ「本を読める」と言っても、実にいろいろな要素が含まれているのです。その子の問題点が分かり、それを解決できれば、ただ「できない」と悩んでいるより、建設的です。

親御さんにとってわが子を相対的に見るのは難しいことです。しかし、自分の子どもだけを長年、見てきた親だからこそ、分かることもたくさんあります。ただし、家庭内の判断だけで子育てをしてしまうと、後に社会に出られなくなることを忘れないでください。

どんなに家族を愛し、家族で助け合えても、家族だけとつきあって人生を終えることはでいません。万が一、親に何かあったときに、他人から、助けてもらえる人間に育てるためには、子どものころから、家庭以外の場所でも子どもを受け入れてくれる相手を大切にすること、また、親御さん自身が、他人の言葉を受け入れられるようにすることも大事と感じます。

私のもとには、成人してもなお、悩みを相談にくる教え子がいます。共通しているのは、「お母さんがとても自信を持って、子育てと教育をしたこと」にあります。教え子たちは、成人しても、お母さんの呪縛から抜け出せないときに、私に連絡してくるのです。

幼児期はお母さんの言うことが絶対に正しくても良いのです。しかし、児童期、思春期と、少しずつ、親だけが正しいのではないことを子どもが実感して、社会から教えを受けられるように育て、後に社会に出られるようにする。これが、子どもに与えたい一番の資質だと私は思っています。
by k-onkan | 2014-02-27 02:31 | 教育 | Comments(0)

親のする通りにしているだけ!?

「先生と言われる人の中にも、教え方がうまい人とうまくない人がいます。麻奈先生は、とても教え上手ですが、どうやって、その力は培ったのですか?」。最近、出会った方から聞かれました。一つは、教えるのが上手い親に育てられたから。二つ目の理由は、教えるのが難しい相手が、私の良い先生になってくれたと感じています。

e0143522_1165071.jpg父は人一倍、子どもに「教えてやろう」「理解させてやろう」という気持ちが強く、できるまで妥協しない人です。母は母で、どんなにワカランチンの子であっても、様子を観察して「絶対にできる方法」を見つける人です。最近も、算数で倍数の問題に悪戦苦闘していた4年生の甥のために、「算数の問題」を作っていました。

教えることが上手い親に育てられると、自然も自分がされたように、教えるものです。これもまた、「子どもは親の言うとおりにはしないがする通りにする」という例かもしれません。

最近、見たテレビ番組の中で、母親からの育てられ方がトラウマになり、自分が親になって困っている女性が多いという話をよく聞きます。ある女性芸人は、子どものころ、支配的なお母さんに「勉強、勉強」と口うるさく言われたそうです。従順だった子ども時代が今もトラウマのようです。

ところが、自分に娘が生まれ、母親のようにならないように心がけてきたのに、気づくと、自分が母親と同じことをしているというのです。それは、勉強が好きな娘に、「勉強なんかしなくていい、もっと、遊びなさい」と強制してしまうことでした。

「勉強をしなさい」と押し付けた母親も、自分の娘に「勉強するな」と言うその人も、「自分が苦労したこと、嫌だったこと」を娘にさせないために娘の意志を無視して、親の気持ちを押し付けている点が同じです。

どんなに母と娘は近い存在であっても、別の人格です。勉強も遊びも十分にした方がよいと思いますが、親の気持ちだけを押し付けたのでは、うまくはいきません。もし、わが子のためになると信じて、子どもに何かをさせたいと思うなら、ただ口で強制するのではなく、親御さん自身が、いっしょにそれをして楽しむことだと思います。

また、親御さんに、「子どもにさせたいと強く願う気持ち」があるなら、それも、きちんと、言葉に出して子どもに伝えてみることが大事であると思います。親御さんが、きちんと言葉で説明できれば、その子も自分の考えや意見を口にすることができるようになるからです。

「子どもが本を読まない」と悩むお母さんで、実際に、本を読むのが好きな方は多くありません。つまり、本を読む子どもには、本を読むお母さんがいるのです。親が本を読まずに、子どもだけ本を好きになるのは無理な話しです。親子で苦手なら、「お母さんも今日から、本を読む時間を作るから、あなたも何か選んでいっしょに読書の時間を作ろう」と互いに努力する方が建設的でしょう。

たとえば、わが子が、学校で友達と関わるのが苦手なら、きっと、そのお母さんも誰とでも仲良くするタイプではないはずです。もし、子どもに「こうあって欲しい」と思うなら、大人も少し、我慢して、苦手な人と、ことばを交わす様子を見せたら、「あぁ、お母さんも努力しているのだ」と気づくかもしれません。

親がわが子のためを思って心配したり、いろいろなことをさせる気持ちはたいへんよく分かります。しかし、それが、子どもだけに一方的に押し付けてはいけないと感じます。まず、親自身も、自分の世界で努力する姿を見せれば、その子どもも向上心にあふれた人間に育つと感じるのです。
by k-onkan | 2014-02-26 23:15 | 子育て | Comments(0)

できるようにするのは大人!

先日、木下式を学ぶ子どもの姿勢がよい評価をいただいた際に、「直立不動で、手指をピンとさせ、音感かるたや発声などの訓練でお腹の底から声を出しているだけ」と説明しました。しかし、実は「ただ声を出させているだけ」ではありませんでした。

e0143522_22303074.jpg年中のNちゃんは、体の小さな可愛い女の子です。年長児といっしょに勉強するには、体も声も小さいと本人は思っているようです。そのため、年長児に負けまいと思うと、頭を振り、上半身に力を入れて一生懸命、声を出してしまうようです。

豊かな声を出すために必要なことは、自分の体をまっすぐにして、お腹の底から一瞬で素早く声を出すことです。体が小さくても、余計な力をいれずに素早く声が出せれば年長に負けない声に磨かれていきます。Nちゃんに、そのことを教えるために、最近、私はNちゃんの頭の上に、私の手を重石のように乗せて、頭を動かさずに歌うことを教えています。体に力を入れて一生懸命、力んで声を出すよりも、私の手が頭の上にあって、動きが取れない方が、良い声が出ると気づいたNちゃんは、少しずつ、頭を振ったり、肩を傾ける癖がなくなってきました。ただし、大人が目を放すと、頭を振ってしまうため、「頭を動かさないで」との声は、毎回、かけています。

木下式を受けると姿勢がよくなるのは、指導者が「姿勢が悪いときには姿勢が悪い」「手指が動いているときには、動いている」と指摘して、子どもが自発的に直すように言葉がけをしているからです。最初のレッスンでは直立不動でじっと立ていられなくても、それが習慣になれば、必ず、まっすぐに立って歌えるようになるのです。

ただし、親御さんが、「うちの子供は、体の軸に生まれつき問題があるので、ありのままを受け入れて欲しい」と言われる際には、残念ながら、直すことはできません。親御さんはお子さん一番の理解者ではありますが、お母さんの「わが子を守ろうとする気持ちによって、子どもの挑戦意欲を妨げないようにしなければと思います。習って、すぐにできることが大事なのではありません。たとえ、長い時間がかかっても、確実にできるようにすることが一番、その子どもの力になり、大切なことだと私は思うのです。
by k-onkan | 2014-02-25 22:31 | 教育 | Comments(0)

楽しくないことを楽しくする

いろいろな療育の現場で「楽しい気持ちが大事」という言葉を聞きます。確かに、その通りなのですが、私は少しだけ、一般の方と「楽しい」の捉え方が違うかもしれません。なぜなら、大人になってから、「楽しい」と感じることが、幼少期から楽しかったとは限らないと実感しているからです。たとえば、最初は、それほど得意でなかったことが、身近な大人たちから褒められたり、喜ばれたことで、幸せを感じて「また頑張ろう」と長く続けたことが、後に「楽しいこと」「得意なこと」になっていくことが結構、あるからです。

e0143522_16522686.jpg楽院で4年間、勉強したYくんは、今でこそ、歌唱も音感もとても得意で、「自分の良いところは、耳が良いことと声が良いこと」と自信を持っていいますが、入学当初は、本当によく泣いていました。「グレープジュースを飲みたい気持ちだったのに音感の時間になってしまった」とか、「幼稚園でHくんといやなことがあって音感の勉強の気分じゃない」など等、直接、音感の勉強に関係ないのですが、自分の気持ちを切り替えられないことで抵抗を示すことは多くありました。

どんなに嫌なことがあったり、気分が乗らなくても、「楽院にきたら、音感の勉強をする」。このことが分かってからは、Yくんは泣かずに授業を受けられるようになりました。時々、本人の予想外の出来事がおきて、涙を止められない日もありましたが、「気分を切り替えることは難しいことじゃない」と覚えたことで、できることが少しずつ増え、歌うことが楽しくなりはじめました。しかし、まだまだ、手や指を伸ばして止められなかったり、目があわせられないなど、苦手なことはたくさんありました。

さて、今年の音楽祭はYくんにとって、3回目の音楽祭でした。舞台の上では、Yくんがどこにいるのか、全然、分からなかったそうです。これは、彼にとって、何よりの褒め言葉です。なぜなら、平素の練習では、目線や体が動き、集中しない様子がどこにいても分かったからです。また、木下先生の指揮の意図に反して、急に大きな声を出してしまい、叱られることも多くありました。しかし、本番では、とても集中し、なんでも、心臓がドキドキするほどだったとか。

私は、彼の口から、「ドキドキした」などという言葉が聞けるとは、思っていませんでした。なぜなら、彼らの特性はどんな状況下でも「いつも通り」だから。そのため、人前の演奏でもあがらずに、普段どおりにできるのですから。心臓がドキドキして緊張したというのも、Yくんにとっては、大きな変化であり、成長だったと思うのです。

さて、楽しいことは、最初から楽しくないと、気づいたのは、昨日の講演会で出会った発達障害を持つ子のお母さんの「教え子が卒業してからも、尋ねてくるなんて、きっと楽しい教室なのですね」という言葉でした。

「楽院は楽しい教室」などといったら、卒業生みんなから、大ブーイングでしょう。言われた私も、穴があったら入りたくなりました。実は、卒業生の思い出は楽しいこと以上に、たいへんだったこと、辛いことの方が多いはずでした。それでも、卒業生が尋ねてくるのは共に困難を乗り越えた戦友のようなものだからです。そして、それは、親子の関係も同じではないでしょうか。ただ、子どもにとって楽しいことを探すのではなく、楽しくないこと、苦手なことも、大好きなお母さんが味方して、応援してくれれば、頑張れるのが子どもなのですから。
by k-onkan | 2014-02-24 16:52 | 発達障害 | Comments(0)

木下式から見る療育の効果

今日は、お世話になっている花風社の創立18周年記念の講演会に出かけました。花風社は、発達障害関連の本を出版する会社で、障害を持つ人が必要な支援を受けつつも、それぞれの能力が改善され、幸せに暮らせることを目的に本を出版しています。そのため、発達障害に携わる専門家や、当事者のご家族など、いろいろな方が出席され、私もとても勉強になりました。何より、木下式について、新たな気づきを発見したのが、一番、大きな収穫でした。

e0143522_1613267.jpg楽院には、これまで、発達に凸凹があるお子さんや認定を受けたお子さんが多く通ってきました。私たちには、発達障害の有無に関わらず、それぞれの能力を最大限、引き出しているに過ぎませんが、木下式は発達障害を持つお子さんの特性や生きづらさまで改善する成果となっているのです。

これまでは、漠然と、木下式の音感かるたを視覚、聴覚、体感覚を使って教える方法が、発達障害のお子さんの理解の仕方に合っているのだと思ってきました。しかし、この会に参加して、新たに実感したことがありました。それは、当事者もそのご家族も、みなさん、とても良い声で、声がよく通り、木下式の発声訓練が向いている声を持っているのです。ただし、1つ気になることがありました。それは、ご自身で声のボリュームをコントロールをすることは得意ではなさそうでした。

これまで、発達障害を持つお子さんを教えた経験を振り返ると、皆、とても声が良く、聴音も得意になったと感じます。しかし、それは、彼らの持つ耳が、過敏なほど感度が良いためでもあります。そのため、訓練の最初のころは、大きな音を怖がり、訓練そのものが不快に思う時期もあるのです。しかし、自分の喉で正しい音程を捉えることを覚え、音の聴き分け訓練をすることで、自分に必要な音だけを選んで聴けるようになっていくのではないかと感じます。

木下式の発声は、幼児に声量豊かに自己主張を持って歌わせることを重視します。だからといって、いつでも大きな声を出すわけではありません。それぞれの音階のピッチにあわせて、静かに出すものもあれば、大きく出すものもあり、正解は1つではありません。

実は、これが、発達障害のお子さんのコミュニケーション力を育てているように思うのです。音や声の強さ弱さは、音楽の表情です。どんなに音程がよくても、一本調子で大きいだけでは、人の心を打つ演奏にはなりません。そして、それは歌うときの声量だけでなく言葉にも通じるのです。

言葉は、声の強弱や高低によって、その人の表情を表すものです。たとえば、元気なときには明るく強い声が出て、調子が悪いときには自然と低く弱い声になっています。これは定型発達の人にはごく自然なことですが、発達障害があると、場所をわきまえず、大声で話してしまっていると感じます。

木下式の言語訓練から歌唱訓練へと移行する方法は、高いメロディーのものには高めに、低いメロディーには低い言い方で豊かな抑揚と語調で表現させます。これが、感情が乏しいとされる発達障害のお子さんの声だけでなく、表現力まで、能力を引き出しているのだと感じます。

発達障害の治療には、欠点を使って治療するのが良いと聞きますが、木下式の訓練は、生活する上で迷惑なほど過敏な耳を、微妙な差を聴き分けられる鋭敏な耳に作り変え、それを音楽や語学習得などの分野で長所にしているのだと再確認したのでした。
by k-onkan | 2014-02-23 23:11 | 発達障害 | Comments(0)

弱さを武器にできる大人に!

冬季オリンピックのフィギュアスケートを見ていて、つくづく、男性は繊細で、女性は大胆だと感じました。なぜなら、女子のシングルの首位争いは、オリンピックの大舞台であっても、それぞれ技を着実にこなしていたからです。多少のミスがあっても、男子のように、転倒が連鎖したりなど、お互いへのマイナスの影響はないようです。反対に、ライバルがミスしたときこそ、「今こそ、チャンス!」と感じる強さ、したたかさが女の子にはあるようにも感じるのです。

e0143522_11281426.jpgちょうど、リハーサルのときに失敗して泣いた女の子が、本番では別人のように、自信を持って、普段以上の力を出すのと、リハーサルまでは本当に上手で頑張っていた男の子が、思いがけない失敗で本番でがっかりするのが重なって見えました。人前に立って何かを成し遂げるとき、一番、怖いのは、他人ではなく自分の心の弱さです。それぞれの自分の弱みを知り、それに打ち勝つ方法を知っている人が、ことを成し遂げていくのかもしれません。

さて、浅田選手のすばらしいフリーの後で、次々と、こんな報道を目にするようになりました。それは、お姉さんでスケータの浅田舞さんが、「まわりの人が優しい言葉はかけているはず。自分はお姉ちゃんとして、かわいそうだったけれど厳しいことを言った」とか、佐藤コーチが、「ショートは70点、フリーは140点。まだ、3分の2残っているのだから、しっかりしなさい」と気合を入れたという話です。

私は、ある年のオペラ公演のことを思い出しました。シンデレラ役の女の子が、あと、何小節かで、出番のきっかけの音が流れるというときに、「うぅぅぅ。麻奈先生、こわいよぉぉ」と目に涙をためているのです。オペラの主役の責任は、それだけ重く、小学生の子どもであっても「失敗したらどうしよう」「みんなに迷惑かけたら」と想像して、体が動かなくなったのです。

子どものオペラとは言え、体が覚えるまで何百時間も練習しています。気持ちさえしっかりしていれば絶対にできるはずです。私は「こら!しっかりしなさい」と怒鳴りつけて「メイクが落ちるから、泣くな!自分で気持ちをとめられないなら、ほっぺた叩いて、正気に戻してあげようか?」。すると、その子は、「大丈夫」と正気に戻り舞台に出ていったのです。

子どものころは、大事なことの前に、泣いたり、へらへらしたりして、自分の気持ちをコントロールできなくなることがたくさんあります。そんなとき、誰かが怒鳴りつけたり、渇を入れて正気に返してくれますが、大人になったら、自分で自分の弱さを把握して、自分で正気を保てるようにならなければなりません。特に、子どものころに、大人に手厚く教えられ、精神的にも支えられてきた子どもたちには、大人になるまでに、神的に自立することを教えなければと感じています。
by k-onkan | 2014-02-22 23:26 | 自立について | Comments(0)

真央ちゃん、よくやった!

冬季オリンピックの見所の1つは女子のシングルのフィギュアスケートでした。日本中の人が、浅田真央選手に注目していたといっても過言ではありません。その浅田選手が、ショートで16位と信じられない結果に終わりました。私たちは、自分の教え子が失敗して、どうなぐさめるべきか分からないような、そんな気持ちで一日を過ごしたのでした。

e0143522_11245827.jpg物を教える仕事をしている私たちは、生徒の力量以上に、指導者の力で、子どもの結果に大きな差があることを実感しています。木下先生は、「真央ちゃんは子どものころのコーチと離れてはいけなかった」と感じたようです。現在のコーチが、おだやかにトントンと背中をさすってリンクに送り出すのが、力を発揮できない一因のように感じるそうです。

浅田選手のコーチは名伯楽と言われ、浅田選手のお母さんの強い希望で選ばれた方です。減点されていたジャンプ技術は修正されたのは、コーチの指導によるものだと思いますが、それでも残念な結果に終わりました。それほど、物を教え、何かを成し遂げる際には、技術面だけでなく、いろいろなサポートが必要で、難しいことであると感じます。

私たちはフィギュアスケートには門外漢ですが、演技前の選手の顔は、舞台に送り出す子どもの顔と似たところがあると感じます。本人が、正気を保っていなければ実力を発揮できないのです。浅田選手のいつもとは異なる顔で、自分を失っていることを感じました。お母さんという一番の味方を失くした浅田選手は、正気に戻してくれる人がいなかったのかもしません。

翌日のフリースケーティングでは、「メダルは無理でも、4年間、努力してきたことを発揮して欲しい」。私は親戚のおばさんのような気持ちで、夜中に正座をして、浅田選手を見守りました。最初のトリプルアクセルが決まったときには、思わず、手をたたき、涙ぐんでしまいました。

願わくば、メダルを取らせてあげたかったとの思いもありますが、浅田選手らしい高得点をたたき出し、4年間、努力してきたことが、オリンピックという大舞台で披露できたのですから、心の中は穏やかだろうと思います。何しろ、前人未到の8種類のジャンプ全てをトリプルで跳ぶことを、達成したのですから。これは、メダル以上にすばらしいことだと思うのです。
by k-onkan | 2014-02-21 23:23 | お稽古事 | Comments(0)

お母さんが頑張ったから

楽院には、「子どもに音楽を勉強させたい」という保護者のほかに、「子育てに悩んでいる」というお母さんのお子さんも通っています。「自分の子どもの子育てが分からない」というお母さんに、私は、毎日、日記を書いていただくことにしています。

e0143522_22271590.jpgお母さんが書く日記の毎日の出来事や子どもの行動、お母さんの対応を拝見すると、そのお子さんが、なぜ、問題行動をするか、私には予想がつくのです。その上で木下式を教えながら、その子に不足している能力を見極め、教えていきます。

3ヶ月前に入学した6歳のKくんは、お母さんと気持ちが通じず、いろいろな場所で荒れた様子を見せていたといいます。しかし、木下式の発声を教えると、とても素直に物事を習得できる子であることが分かりました。彼が荒れた様子を見せるのは、他人が嫌な態度をとったり、攻撃されたと感じるときだけでした。

また、6歳としては、知らないことやできないことが多く、年下の子から、馬鹿にされると、暴言を吐いていたようです。Kくんが知らないことや、できないことを手取り足取り教え、できること、わかることを増やしていくと、小さな子どもに手を貸す優しさも見せるようになりました。

楽院で少しずつ心を開いていったKくんでしたが、最後に、心を開いたのが、お母さんでした。本当は、子どもが一番、認められたい相手はお母さんなので、一日も早く、お母さんが「いい子になった」と感じられるように、心をくだきました。

また、お母さんにも「Kくんは大事な子どもである」ときちんと言葉にした上で、「いいことはいい、悪いことは悪い」と、感情的にならずに、教えたり、説明したり、叱ったりすることをお教えしました。

3ヶ月前には、できなかったことのすべてが、最近は、問題なくできるようです。お母さんは、いろいろな幼児教室に通わせていたのに、子育ては出口の見えないトンネルでつらかったと言われます。そして、もっと早く楽院を知っていたら、Kくんにつらい思いをせずに、子育てができたのに、という後悔もあるのでしょう。

でも、物は考えようです。6歳であっても、楽院に入学できたから、Kくんは、まわりの方から、「顔がおだやかになった」「幸せそうになった」という言葉をいただけるようになったのであり、もし、3ヶ月前の生活を続けていたら、今もなお、問題行動をする困った子だと思われ続けていたでしょう。

少しくらい遅くても、お母さんが、自身の子育てを反省して、変化してくださったことは、Kくんにとって、何より幸せなことだと思うのです。お子さんを変えるためには、お母さんが変わることが、一番であり、それが、一番、難しいことなのですから。
by k-onkan | 2014-02-20 22:24 | 子育て | Comments(0)

感謝を忘れないで

年長のKちゃんは、聴音やピアノに対しても意欲満々です。先日の音楽祭で、独唱に出演して、自分の力を100パーセント出し切ったからでしょう。「ピアノもいつもより練習してきたよ。和音もお兄ちゃんに家で弾いてもらったんだよ」と報告がありました。独唱による成功体験は、大嫌いだったピアノや音感にも意欲を与えるほどだったのでしょう。しかし、心配もあるのです。「得意なことがうまくいっているから苦手なことも頑張る」という考え方は、得意なことがスランプになったときに、全てがダメになるからです。

e0143522_13102920.jpg音楽祭の独唱がとても上手だったことは、十分に認めた上で、「でも、調子にのってはだめよ。これからは歌だけでなく、苦手なピアノも音感も、努力してね。ピアノを練習して、音感がきちんとできる人が、もっと難しい歌を歌える人になるのだから」と苦言を呈しました。

たった6歳の女の子に、厳しいことを言わずに、ただ「上手だったと褒めてあげたらいいのに」という考えもあるでしょう。しかし、1800人の観客の前で、大人の期待にこたえ、全力を出し切った年長児の女の子は、一般の成人女性よりも自信や驕りに満ち溢れています。Kちゃんの成功体験が今後、良い方に向くか、悪い方に向くかは、彼女と関わる大人の態度次第であることを、自分自身の経験や、幼児期に賢く育った女の子たちとの関わりから私は実感しているのです。

その矢先のことです。授業中に私が「簡単なことを間違えると麻奈先生が鬼になるから、気をつけて」と口にすると、Kちゃんが「人間が鬼のように、頭からツノが生えるなんて、実際にはないでしょう」と言うのです。頭の良い子は、大人が想定する以上の屁理屈をいいます。この屁理屈を「子どもの言うことだから」と放っておくか、踏み込んで訂正するかによって、子どもは「大人に対する態度や言動」を決めていきます。

「そうね。実際には、人間の頭からツノが生えることはないわよね。でも、鬼になるというのは、ツノが生えた鬼のように恐ろしく怒るわよってこと」。少し怖い声で説明しました。ここで、「まずいことを言った」と気付くのがKちゃんの賢いところです。「あぁ。そういうことかぁ」と納得したようです。

子どものころは、「少し大人びた生意気な言葉」や「屁理屈」を言っても「子どもだから」と受け止められることもあるでしょう。しかし、大人がそれを放置しておくと、屁理屈や余計なことを他人に言っていいと思わせてしまうことがあります。そのまま、大人になると、他人を不快にする屁理屈や難癖をつける人になってしまうかもしれません。

さて、独唱という晴れ舞台で、緊張して頭の中が白くなってしまう子どももいます。そんな中で、自分の中の最高の自分を出し切れたのはKちゃんの強さであり、彼女が勝ち取った結果です。しかし、そこに行き着くまでには、「おけいこごとを泣いて嫌がるこの子をお父さんが優しく抱っこして通わせてくださったり、娘の泣き言に負けなかったお母さんの存在があったからです。幼児期に受けた教育について、感謝を教えるのも、幼い間に、大舞台に立たせた私たちの責任ではないかと、最近、強く感じるのです。
by k-onkan | 2014-02-19 23:09 | 幼児 | Comments(0)