麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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反復は苦労もあるが力になる!

毎週、通う保育園で3回目の指導を行なってきました。木下式の訓練に慣れた園児たちは、私が教室に入るのを行儀よく待っていました。最初のころのような「刺激」や「楽しさ」ではなく、「先生が来たら話を聞く」「行儀をよくする」など、ルールを理解して取り組んでいます。しかし、実は、ここからが難しいのです。

e0143522_957532.jpgなぜなら、音感かるたの勉強が、「楽しい訓練」から「鍛錬の時間」に移行したからです。たとえ、何であっても、初めて出会うことには、「新しさ」「魅力」「興味」が生じるのは当たり前です。しかし、2回、3回、と続けていくと、」「あぁ、知っている、知っている」と慣れから関心を失う子どもも出てきます。

「楽しさがないと学べない」という子どもの能力は、残念ながらある段階で向上がとまります。楽しさは、先生や社会に与えてもらうものではなく、子ども自身が、見つけ出せないと、何事も長続きはしないからです。


私は、クラス20名の園児の「声域狭少と不鮮明な言葉」という大きな課題を克服するために、「一つひとつの音程」を地道にコツコツ、長い時間をかけて正していくことを最終目的にしています。その作業の中には小さな喜びがあっても、いつも楽しいものではありません。それは、私にも、子どもにも、同じことです。子どもに苦労をかけないように、なるべく上手に教えていくつもりですが、葛藤は生じます。がんばりシールでは、我慢できずに、泣いて逃れようとする知恵ものが出ることも心の中では覚悟しています。でも、それが何かを本気で教えるということでもあります。

20人の中には、1~2人、正しい音程で歌っている子もいるようですが、ほとんどの子はピアノの音を聴かずに声を出すため、クラス全体では、相当、音程が外れます。このクラスの歌声を改善するためには、歌が得意な子も、そうでない子も、一人ひとりの音程を改善していくしかないのです。

私は一人ひとりの声を「高い」「低い」「口の型はこうよ」と正しく歌えるまで教えます。20人の子どもがいたら、20人に同じことをします。そうして、はじめて、全員が一つの音を正しく歌えるようになるのです。これを、単音発声やメロディーパターンの矯正など、いろいろな場面で機会を見つけて行ないます。子どもたちは、自分の番が終わっても、残りの19人の友達の発声を静かに待たなければなりません。

「6歳にもなったら、待つだけなら、簡単」と思うかもしれませんが、何の教育もしつけも受けていない子どもは、静寂に耐えられず、授業の妨害をしてしまったりします。私語をつつしみ、隣の人に寄りかかることなく、静かに待てるようになっただけでも成果ですが、私の目的は、このクラスの子ども全員が木下式によって、正しい声で歌えるようにすることにあります。

指導する側も、指導される側もお互いに、たいへんな苦労です。決して「音楽は楽しいもの」というきれいごとは口にできないほど、お互いに疲労します。子どもたちは、友達が歌うのを静かに聞いて、順番を待っています。このことも、子どもの脳や精神の発達を促すことになるのです。

中には、飽きてくると、ピアノの音を聴かずに、ただ大声を出して、済ませようとする男の子が出てきます。そんなときは、「ピアノの音を聴かずに歌ったから、もう一度」と見逃しません。保育園で始めた音感教育は、少しずつ、楽しい時間から、真面目な時間へと移行しています。ここから子どもたちを進歩させられるか、訓練を嫌いにさせるかが、私の腕の見せ所であり、試練なのだろうと思います。
by k-onkan | 2014-04-30 23:52 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

5月11日(日)講演のお知らせ

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日時:平成26年5月11日(日)午後1時~3時
場所:木下音感楽院 
講師:木下麻奈

今や、公立小学校のクラスに2~3人は、発達障害を持つ子がいると言われますが、発達障害があっても、好ましい環境で育てられたお子さんは、幸せに自立した人生を送ることができますし、反対に、定型発達でも、家庭教育やしつけが欠如すれば、社会に迷惑をかける可能性があります。すべての子に教えなければいけないことは、同じです。社会のルールと特技を見つけて頑張ることです。

下記の内容で講演いたします。

講演内容

木下式の誕生
一般の音楽教育との違い
木下式を受けた卒業生の声と現在の活躍
発達障害のクラスを新設した理由
木下式はなぜ機能改善の役に立つのか
発達障害に対する理解と現状
木下式で育っている発達凸凹の子供たち:その成長と現在
定型発達の親子も無関心でいられないことがある
混合教育の成果
定型発達の子供もしつけをしなければ同じこと!
教育は、発達障害だけ、健常児だけのものではない
自立を目指す教育しか生きる力にはならない
熱心なお母さんほど、子供から離れられない
本当のこと~お金、障害のこと、死についてなど~を子供にきちんと知らせよう
本気で向き合う人が子供を救う!

等など、です。
by k-onkan | 2014-04-30 00:00 | 楽院だより | Comments(0)

本気になれる大人が大事!

子育てをするお母さん、教育現場で働く先生方の中で、子供に対して「本気になること」を恐る人がたいへん多いと感じます。「子供に嫌われたくない」「子供を傷つけたくない」「苦情を受けたくない」「学校としての立場」「主体性を重んじる」など、理由はいろいろだと思います。

e0143522_8315946.jpgしかし、幼児期、児童期の子供に本気で何かを教える際には、表面的な優しさと、相手に対する配慮だけが先行すると、弊害が生じます。年齢が低い間は「本気で子供に向き合う場所や先生」を与えて欲しいのです。もちろん、お父さん、お母さんにも本気で子どもに向き合い、関わっていただきたいと思っています。

子供が大勢いれば、いろいろな性質の子がいるはずです、とにかく、敏感で叱られたくないお子さんもいれば、叱られなければ本気で取り組めないお子さんもいます。また、自分が納得しないと取り組めない子もいます。

それぞれの個性に合わせた対応を望む声が教育現場でも増えていますが、私は、幼児期、児童期の子どもに対しては、いろいろな場面を体験させることで、子供の柔軟性が育っていくと感じています。最初は苦手なことも、段階的に経験していくことで、受け入れられるようになることも多くあります。人は経験から学べるものなのです。

しかし、お母さんが「この子は叱られるのが、苦手です」と過剰に保護して、叱られた経験がないまま、大人になったとします。成人して社会人になったからといって、叱られることが受け入れられるでしょうか。受け入れられないから、お母さんが「職場に電話して、訓練が厳しい、上司が厳しいなどという」ことが起こるのです。

叱られた経験がない人が大人になって叱られると、頭の中が真っ白になってショックを受けるといいます。しかし、子供のころに叱られた経験がある人は、その気配や苦手な相手を事前に察知することができます。自分の行動に気をつけたり、心が折れそうになっても、そこから立ち直る方法も身につけています。

もちろん、叱られるのが好きな子にも注意が必要です。その子は、自分の力だけでは本気になれず、誰かに口うるさく言われるのを待っているからです。一緒にいる大人は知らず知らずに過管理になってしまいますが、後に大きな問題に波及するため、叱られない場所で子供に自分の責任で行動させる経験も大事です。

他にも、子供特有の性質はたくさんあります。「納得しないとできない子」も同じです。初めて何かをするときには、もちろん、事前に説明は必要でしょう。しかし、「いつでも、自分が望めば説明されて当然」という習慣を持たせるのは危険です。「納得がいかないから、できない」ではなく、納得がいくように、自分で答えを模索できるようにすることです。社会に出れば事前に説明がないことや、納得がいかないこともたくさんあります。そのときに、自分で対応するしかないのです。

卒業生の多くは、他人の気持ちに敏感です。それは、喜怒哀楽が豊かな場所で、長年、育てられたからではないかと感じています。今は、残念ながら、感情表現が苦手な人がお母さんや先生になっています。しかし、感受性が豊かでないと、子育てや教育には向かないのです。感受性が豊かというのは、ただ、優しくて敏感ではなく、相手のことをよく観察し、相手が何を思い、何を求めているかを理解した上で、相手のいいなりになるのではなく、相手に必要なことを与えられることではないかと思うのです。
by k-onkan | 2014-04-29 23:30 | 教育 | Comments(0)

きれいごとじゃ伝わらない!

何も教えられていない、幼い子供が悪い行動をするのは、「何が悪いこと」なのか、教えていない、大人に責任があると感じます。そこで、「善悪の区別」を理解できるように教えるのですが、その際、指示は短く、子供に分かる言葉ではっきりちと知らせることが大事です。子供が同じことをしたら、何度でも、注意します。「人がいるから」「疲れているから」と見逃すことがあると、子どもにとって「守らなくていいルール」になってしまいます。子供が悪いことをしたら、「悪いことをすると、お母さんは悲しい。悪いことをされると一緒にいるのが嫌になったり、あなたが嫌いになるかもしれない」。私なら、口に出して伝えるでしょう。

e0143522_11363223.jpg先日、保育園の先生たちに、そんな話をしたら、「子供に「嫌い」などと言っていいのですか?」と言われました。しかし、悪い行動をするのが「嫌いであって、子供自身のことが嫌いなのではありません。そうしたことを説明せずに、大人がイライラして態度を見せたり、無視をしていたら、子供は、自分の存在が「嫌われている」と感じます。すると、子供も、悪い態度を繰り返し、益々、関係が悪くなります。大事なのは、子供が理解しやすいことを考慮することです。

この話で、思い出したことがあります。それは、昔、私が、「家族や友達に、嫌いなどと言う言葉を使ってはいけない」と漠然と信じていたころのことです。アメリカの留学先で、友人が、何か迷惑をなことをした弟について、「嫌い」と言ったのです。私は「家族なのに嫌いなんていうの?」と質問したのです。すると、彼女は「LOVE」と「LIKE」を使って、その感情を説明してくれました。「私は弟のことを愛している。しかし、彼が間違った行動をして家族に迷惑をかける行為が嫌いなのだ」と。

悪いことをする子供に対する感情もこれと同じはずです。わが子は何があっても愛しいものですが、子供が社会に迷惑をかけたり、人に危害を加えたりする行為は、いくら、わが子だからといって、受け入れたり、「あなたが何をしても大好きよ」ときれいごとは言えないだろうと思います。

私は、「音感を勉強するときは行儀よくして欲しい。行儀が悪くなると、体が曲がって集中できない。先生、手や足がグチャグチャ、動くのは好きじゃないの」。そう言われると、子供は、それぞれの最大の努力をしようとしてくれます。もちろん私も、大人に「あなたの癖が嫌いです」などということは、言いません。長年、その癖とともに生きてきた大人は、そう簡単には直せませんし、それほど、嫌いなら距離を置けばいいだけだからです。しかし、幼い生徒に対して「見ないふり」をして、通りすぎるわけにはいかないのです。なぜなら本気で関わらないと、年齢の低い子供は、大人の本気を理解することは、不可能だからです。
by k-onkan | 2014-04-28 23:34 | しつけ | Comments(0)

まず大人が美しい発音を!

今日は、三重県の教室に、「幼児音の治し方を教えてほしい」と3名の保育士さんが見えました。最近は、小学校に就学する年齢になっても、幼児音が改善されず、舌の手術を受ける子供がたいへん多くいますが、幼児音の原因は、十分に声を出したり、話したりなど、口や舌を動かす機会がないことにあります。手術をしたとしても、その後、一生懸命、舌を使って言葉を話す練習を継続しなければ、何の効果もありません。

e0143522_6594753.jpg幼児音がある子どもは、言葉を発することに苦手意識があります。自分が仲間と同じ発音ができないと早くから気づいているからです。家庭や幼稚園、保育園で大人が直そうと、指摘すればするほど、自分から声を出さなかったりします。そんなときに大事なのが、全員で、正しく美しい発音の練習をすることです。

木下式を実践する幼稚園や保育園は、「さぁ、音感かるた、歌唱曲の訓練…」と常に口型に気をつけて声を出す訓練があります。3年間、木下式の訓練を集団で受ける中、幼児音が解消されることも多々あります。大きな口を開けて、大きな声を出すことが、幼児音の訓練を兼ねているのです。

しかし、指導する大人自身が、自分の発する言葉の重要性に気づかないまま、好きな口型、好きな話し方をしていたのでは、残念ながら、どんなに時間をかけても直りません。幼児音を治すためには、大人自身が、生き生きとした高めの声で、鮮明に話さなければなりません。それが、幼児が聞き取りやすい声だからです。

日本語は、他の言語と違って、一つひとつに必ず母音が付随する言語です。日本語の発音を正すためには、この母音「アエイオウ」を明確に意識した言葉を大人が発することなのです。幼児期の子供は、「カキクケコ」の発音をするときには、舌の後ろだけが上がっているとか、「サシスセソ」は舌の摩擦で子音を作っているなどの知識は、必要ありません。身近な大人が、その音を聴かせてくれることで、その模倣から学んでいくのです。

平素、木下式では、「声を聴けば、その子が持つ能力や自己主張や自信がわかる」としています。幼児音がある子は、どんなに賢くても、どんなに美声であっても、自分から相手にアピールすることを躊躇します。幼児音が自信を喪失させているのです。その悪循環で、口を開けなくなりますが、舌の微妙な動きを自覚させるには、口は開けることが大事です。

木下式を指導する上では、正しい言葉の発音が、基本になりますが、残念ながら、現在、日本語の発音にそこまで、こだわるのは、「テレビのアナウンサー」や「俳優」になりたいなど、特別な職業を目指す人だけのようです。しかし、私たちは日本語のネイティブスピーカーです。私たち大人が、美しい言葉を失っていくことで、子供たちの幼児音が増えていることを、忘れてはならないようにしなければと思うのです。
by k-onkan | 2014-04-27 23:58 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

怖いからやっているの!?

先日、ある私立小学校の学校見学に出かけました。幼児期のお子さんを預かっているため、楽院にはいろいろな私立小学校から、見学の招待があるのです。どこの私学もそれぞれの特色を打ち出し、公立とは異なる魅力を打ち出していますが、私が特に、この学校を見学したいと思ったのは、健常児と自閉児の混合教育で効果をあげていること、そして、現在、楽院に通うS兄弟がお世話になっているからです。

e0143522_22594696.jpgまず、校長先生が挨拶をされると、六年生のお子さんたちが二人、作文の朗読をしました。言葉がはっきりしていてとても賢い印象を受けました。内容は、どちらも最初は難しかった自閉児との交流の中で、喜びを感じたり、自分が成長した様子が表現されていました。

この学校のカリキュラムは、単に学力を向上させるのではなく、幅広く子供に刺激を与えて、社会に出て自立できる人間を育てようとしていると感じます。健常児であっても自閉児であっても、単に頭がいいだけでは乗り越えられないことがあるからこそ、一人ひとりの能力に見合った授業カリキュラムが立てられているようです。一般に、障害児教育というと、健常児に我慢をさせてしまう印象が強いのですが、この学校は、健常児にも手厚く、真に「混合教育」を理念にしていることに感心しました。

学校公開は、1年生から順番に、授業風景を見ながら校舎を歩きます。1年生のクラスにはKくんが在籍しています。すぐには、どこにいるかわかりませんでしたが、目が合うと、少し恥ずかしそうにはにかみながら真面目に授業を受けていました。それは、ふだん、楽院で知るKくんと裏表のない姿でした。

次に探したのは3年生のYくんです。これまで、声は認められていても集中できないことが多かったのですが、最近、行儀も良くなり、第一声部に抜擢されて自信が出てきたところです。そんなYくんの学校での様子を私はおそるおそる探しました。ちょうど、習熟度別に算数の授業を受けているところでした。Yくんは、机におおいかぶさる姿勢でプリントに取り組んでいました。

担任の先生が「お客様だよ。ご挨拶をしよう」と声をかけると、生徒たちが一斉に廊下を見ました。最初は私に気づかなかったYくんですが、私だと分かった途端、びっくりして、他のお子さんが愛想よくニコニコしている中、一人背筋を伸ばして、急にプリントに取り組み始めました。私たちが通りすぎると、また、もとの姿勢に戻って机におおいかぶさっていました。

楽院に戻った私は、小学生のクラスで全員に、学校見学に出かけた話をして、作文の題は「もし、麻奈先生が学校見学にきたら・・・」にしたのです。すると、ふだん、合唱中に集中できず、行儀を注意される子供は、全員、共通点がありました。それは、「学校に麻奈先生が来たら、まじめに勉強すると思います。行儀が悪いと注意されるからです」。

小学生になったら、大人がどんなにうるさく言っても、本人が自分で「直そう」と思わないと直せないことはたくさんあります。口うるさいお母さんや先生の前でいい子の姿でも、それを信じてはいけないようです。また、世間では、私たちほど姿勢や行儀についてうるさく言う人はいなくなったことも忘れてはいけないのかもしれません。

最期に、Yくんが書いた作文をご紹介しましょう。「まな先生が、小学校のじゅぎょうの見学に来ました。まな先生が、来た時、やっていたじゅぎょうは算数のしゅうじゅくどの授業です。算数でやっていたプリントは、時間と時こくというプリントをやりました。まな先生が見た時は、せすじをのばしていましたが、まな先生がいなくなった時には、せすじがくずれてしまいました。ぼくは、まな先生が怖いので、いる時だけせすじを伸ばしました。もし、次にまな先生がきたら、見てほしいじゅぎょうは、音楽か体育か図工です。」

こんなにはっきりと「怖いから、背筋を伸ばして、いなくなったから、背筋をくずした」と言われると大笑いするしかありません。そこで、「勉強するときは、背筋を伸ばした方が、頭に入るし、目も悪くならないから、先生がいなくても背筋は伸ばしてね。また、いつ見に行くか分からないから、絶対よ」と優しい声でおどかしておきました。
by k-onkan | 2014-04-26 22:58 | 発達障害 | Comments(0)

子供中心の子育ては正しいの!?

最近、小さい子供の言葉で気になることが多くあります。先日も、レッスンが終わった後、3~4歳の男の子たちが、ロビーでブロック遊びを始めました。おけいこが終わって仲良くなった友達と遊びたいという気持ちも理解できますが、お母さんやお祖母さんは、帰りのラッシュを心配されているはずです。

e0143522_1293332.jpgお母さんが「さぁ、帰りましょう」と声をかけると、一人の男の子が「ママのいじわる」と言ったのです。私が親なら子供に「いじわる」と言われたら、放っておかないだろうと思いますし、いじわるで言っているのではないことを納得させるでしょう。しかし、「子供のいうことだから」と許さしてれていると、子供は何事も、自分の思い通りになるのが、ふつうだと思って育っていきます。

幼稚園や保育園、そして、楽院に通うお子さんと付き合って思うのですが、最近は「子供中心」の子育てがふつうなのでしょう。たとえば、子供が「もっとやりたい」とか「~ちゃんばっかり」と言われると、大人は子供の要求を呑むのです。これでは、子供のうちに、「ごね得」を覚えてしまいます。

もちろん、その背景には、「ふだん、働いていて一緒にいる時間が少ないから、少しでも、子供の願いをかなえたい」「おけいこ事が多くて、十分に遊ぶ時間がない」など、いろいろな理由があるでしょう。しかし、子供の都合だけ尊重されて育った大人は社会のルールにも従えないことがあるのです。

最近、交通違反で捕まると「自分よりもっと速く走っていたのは前の車なのに、なぜ、俺を捕まえるのだ。不公平だ」とから「速度違反をしているのは自分だけじゃない」と文句をいうという話を耳にします。まるで、学校の従業中に先生から叱られて「話をしていたのは、ぼくだけではないのに、なぜ、ぼくだけが叱られるのですか?根拠を示してください」とか「もっと悪い子はほかにいるのに、ぼくだけ注意しないでください」という高校生の戯言と同じに感じます。残念ながら、社会は不公平なものです。誰でも、その国のルールを破れば、捕まったり、ペナルティーが生じる可能性があります。たとえ、見つからないとしても、一生、見つからないとは限りません。

今は有名な大学を卒業しても、就職するのが難しい時代です。勉強ができるとか、成績がよいだけで、生きる力が育っていないと、社会に出るのは難しいかもしれません、「勉強を頑張ってほしいから」という理由だけで、何事も子供中心に育てるのではなく、社会にルールがあることを教えるためにも、それぞれの家庭でルールを作って、守るべきことは絶対に守ることを教わらないと、本当に生きる力は育たないのではないかと思うのです。
by k-onkan | 2014-04-25 23:05 | 子育て | Comments(0)

お金も物も自然には湧いてこない!

数日前、「横浜市の元市立小学校の教諭が学校給食費のうち、約3万円を支払っていない」というニュースを見かけました。公立校の生徒の給食費を支払わないことが社会問題となって久しいですが、教諭までと聞くと何とも言えません。「まさか、学校で働いているから給食は無償で食べる権利がある」と思っていたわけではないと思いますが、「支払ってもらえるように働きかけていく」というのですから、気の長い話です。

e0143522_1332650.jpgさて、子供たちには自分が使っているお金は、両親が働いて得ているものであると、少々、恩着せがましくても知らせておく必要を感じます。当たり前のように通う幼稚園や学校も、親御さんが月謝を払っているから行けるのです。公立校なら、納税の義務を果たす大人がいるから、子供は学校で勉強できるのです。その感謝をさせなければ、「学校に行ってやっている」と思うかもしれません。

たとえ、学校で教わることのすべてが役に立たなくても、学校の先生が尊敬できなくても、相手は納税していて、子供はその恩恵を受けている、これを教えないと成長とともに、どんどん、勘違いしていきます。そのまま、社会人になったら、たいへんなことだと私は思います。

5年ほど前のことです。小学校低学年の男の子が、美しい絵具セットを持って、楽院にやってきました。私には、学校を通して業者が販売した教材であると想像がつきましたが、その子は、「学校でもらった」というのです。私は、「お母さんが申込みをして、お金を払ったから、学校から渡された」ということを、お母さんからきちんと説明することようにアドバイスをしました。

その時は、たまたま、申込みをしていましたが、学校推奨の教材はいつも購入するとは限らないものです。もし、家にあるもので用が足りれば申し込まないこともあるでしょう。そのとき、社会の仕組みを理解していない子なら、「学校の先生がぼくにだけ、いじわるをしてくれなかった」と思い込むこともあり得るのです。

何事にも興味津々の女の子であれば、幼児期から、いろいろなことに気づき、自然に学ぶことは多くあります。しかし、おっとりしている女の子や、自分のしたいことばかりに目がいく男の子は、自分の生活に支障がないと物事にとても無頓着で、気づかないまま成長してしまいます。

たとえば、お母さんがスーパーで買ってきた惣菜を食卓に並べても、お皿を出したお母さんが作っていると思うかもしれませんし、反対に、手をかけてお母さんが料理したものでも、作っている場面を見なければ、お母さんが作ったことに気づかないこともあるのです。

お金でも、食べ物でも、何の努力もせずに、自然に湧いて出てくることはありません。みな、それぞれが努力したり、働いたりした結果として、得ているものです。そのことを子供のうちに、理解している子と、そうでない子では、社会に出て仕事に対する気持ちも、他者に対する感謝の気持ちも異なるのではないかと思うのです。
by k-onkan | 2014-04-24 23:33 | 児童 | Comments(0)

涙が出そうになっちゃった

小学生の歌唱指導をしていたときのことです。2年生のSくんがどうしても口の形が直せませんでした。Sくんは、小学生になってから木下式を受けているため、他の子のように瞬時に、自然に、求められる口型を用意することは難しいのです。Sくん本人が意識を持っていれば直せても、疲れて集中できないのは、まだ定着していないということです。

e0143522_7352516.jpg幼児期であれば、大人が手をかけて、手をかけて、改善する時間がありますが、小学生になったら、自分の課題を他人ごとのように思っていてはなりません。本人が自主的に「直そう」と思わなければ、いつまでも直らないからです。

私は「口の型が直らないうちは、木下先生に見ていただくわけにはいかないから、音楽会にも出せない」という話をしました。「Sくんは麻奈先生や瑠音先生が厳しいと思っているかもしれないけれど、木下先生はもっと厳しいのよ」。楽院に小さな時から通っている子供たちは、幼児期から、少しずつ、木下先生の歌唱指導を受けたり、合宿で付き合うため、木下先生の「音楽に対する厳しさ」を肌で感じて育ってきました。しかし、Sくんは、教室の中で木下先生を見かけたことがある程度です。

「単なる脅かし」と思わせてはいけないので、一緒に勉強していた1年生のKちゃんに、「Kちゃんはどう思う?このまま、木下先生に見ていただいていいと思う?」と意見を聞きました。すると「もう少し上手になってからの方がいいと思う」と答えが返ってきました。そして、「だって、このまま、見てもらったら、先生たちが木下先生に叱れられちゃうよ。かわいそうだよ」」と。

平素、預かるお子さんたちは、木下先生に見ていただく前に、上手にすることが私たちの責任です。こんな小さな女の子が「楽院の先生は、「生徒を上手にする責任」を果たすために、憎まれ役で怖い声を出したり、注意して責任を果たしている」と理解していたことに思わず、涙が出そうになってしまいました。何しろ、Kちゃんは、数年前まで、誰より私たちに叱られることを嫌い、私たちのことも相当、苦手だったのですから。最近は、個人の都合で、職責を果たさなくても致し方ないという風潮があります。しかし、そんな中にも、見ている人、理解している人は、子供の中にもいる、と思わせるKちゃんの言葉だったのでした。
by k-onkan | 2014-04-23 07:33 | 児童 | Comments(0)

自主性をもってルールを守る!

千葉県の保育園に2回目の指導に出かけました。子供たちは楽しそうな顔で私を待っていました。前回の訪問から数日しか経っていないのですが、子供たちの受け答えの言葉や返事が少し力強くはっきりしていました。これは、担任の先生が、園児の言葉に意識して生活した証でもあります。私の助手をしながら木下式を学んでいる担任の先生は単に「音楽の訓練」ではなく、日常生活と同じであることに気づいたようです。

e0143522_1430228.jpgたとえば、私が「しかられたのシのしかさんから、レスリングのレのカメまで、線を引こう」と言うと、すぐに線を書ける子もいれば、人が書いたものを見て慌てて書く子もいます。きっと、日常生活でも、指示行動ができるのは同じお子さんで、一歩遅れて行動するのも同じ子だろうと思います。

授業中、私の問いかけに人一倍、目立って言葉を発しながら、気がつくと話を聞いていなかったり、友達に気を取られ、自分のことが最後までできない子がいました。これはふだんから、社会性があっても理解力や集中力に欠けていることが想像できるのです。

木下式は、目と耳と体感を同時に使って行なう協働作業が多いため、単に「音楽が得意か」より、人間としての発達「身体面、運動機能、認知、言葉、社会性」が如実に現れます。よく幼稚園の「教育に対する意識」と、保育園の教育観は異なると言われますが、木下式の求める課題は、保育園が本来、行うべき「親や家庭の代わりに幼児の発達を促す」という目的に合致するはずです。

なぜなら、木下式は「音楽」という特別な能力を鍛える以前に、人間として当たり前に総合的に幼児を発達させなければ、音楽能力は身につかないとの観点から、連合学習が考案されているからです。木下式によって、発達障害のお子さんが伸びる理由も、訓練によって相互作用で発達するからです。

残念ながら、大半の保育園では、園児の安全を見守りながら、子供が自分から発達するのを大人は「はたから見るだけ」の雰囲気があります。これは、保育の心理学の至るところに「子どもの主体性を重んじること」を重視していることから、子供自身に発達を任せる結果になっているのかもしれません。しかし、幼児の発達の個人差は、それぞれの家庭や体験など周囲の影響によるものが大きいのです。つまり、発達が早い子は、発達を促す環境に育っているともいえるでしょう。

さて、初めて見学した担任の先生が「最初は驚いたけれど、意図が分かると納得した」との感想がありました。直接、何に驚いたかをまだ聞いてはいないのですが、個人的には木下式の「刺激の強い模範唱や発声開始合図」、そして、独特の導き方ではないでしょうか。

たとえば、私は、自分が教えていないことができなくても寛容です。よく一般の先生やお母さんは、「どうしてできないの?」とか「みんなと同じにやりなさい」と子供を叱りますが、幼児期の子供ができないことがあるのは、本人ではなく、できるようにしなかった大人の責任です。

万が一、3年間、木下式を勉強した年長児がピアノに合わせてカスタネットを叩けなければ、その理由は、集中力の欠如であるため、「こら!ちゃんと音を聴きなさい」と怖い声を出します。しかし、これまで、リズム訓練を受けたことのない年長児が簡単なリズムでもピアノに合わせられないのは仕方ないことなのです。

但し、「ダメ」「やめて」「こら!」など強い口調や厳しい怖色を使うこともあります。それは、子供たちが他人に迷惑をかけたり、危険なことをしたり、最初に伝えたルールを守らなかったりするときです。そんなときは、子供の気持ちを慮るよりも、「ダメなものはダメで例外はないこと」を知らせることの方が重要です。

初日の音符書きの際、子供たちはとがった鉛筆をお互いに向ける場面がありました。私はすぐさま「こら、とがったものは相手に向けるな!」と命令形で叱りました。悪気はないと思いますが、優しい叱り方をすると、子供は何度も同じことをすることがあります。叱った後には、「先生のところで、鉛筆を持ってふざけていたら、友達のお尻に芯を指してしまって救急車を呼んだことがあるのよ。先が尖ったものはとても危ないから絶対にやめてちょうだいね」と説明もしました。

最近、「子供を叱れない」という親御さんに多く出会いますが、共通するのは口うるさく言うだけで、「ダメなことは何があってもダメ」を貫けないことにあります。こうした「妥協のないダメ」が一般には「厳しい」と思われるのだと、最近、やっとわかってきました。自分では子供がよそで危険な目にあったり、困らないための親心ですが、それを理解してくださる大人は、最近、どんどん少なくなっています。

しかし、子供たちは、私がどこに寛容で、どこに厳しいかを感じているようです。実は、知識や概念が少ない子供の方が、相手の言葉が「優しさからのものか、嫌がらせか」を的確に感じられるのかもしれません。子供たちは、授業を終わるころになると、「まだ、疲れていない」「もっとやりたい」と口にします。そこはメリハリが必要なので、「今日はおしまい、また、来週くるからね」と伝えます。

叱れないお母さんに共通することが、もう一つありました。それは、子供が「やりたい」と言ったら、子供の意思を尊重し過ぎることです。私は、「約束」を守って活動している間は子供の意思を尊重しますが、「おしゃべりをしない」というルールを破ったら、たとえ「やりたい」と言っても、「今日はこれで、おしまい。おしゃべりをしない約束なのに、うるさくなったから、また今度。次はおしゃべりをしないでね」。子供たちは、私が言ったことは必ず実行する相手だと分かれば、うるさく言わなくてもルールを身につけていくはずです。また、机に向かうこと以上に、勉強のためのルールが大事だと理解していきます。

さて、付き添いの担任の先生は木下式を受ける子供と共に何度か楽しい気分になったと言います。そして、「自分も音感かるたをしてみたい」と相談を受けました。そこで、最初は1枚程度から、子供に「先生も勉強をしたいから、付き合って」とお願いして実践してみることを勧めました。その際には、必ず、断定用語は暗記しなければなりません。いくら、「勉強中」であっても先生が「あんちょこ」を見ながら教えられたのは、子供たちの反応を見ることができないからです。私が実践すると簡単そうに見える「音感かるたの説明」ですが、いざ、自分で実践するとなると、簡単ではないはずです。しかし、自分から「やってみたい」という気持ちになったことが何より素晴らしいことだと思うのです。
by k-onkan | 2014-04-22 23:28 | 木下式音感教育法 | Comments(0)