麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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わが子に期待できるのは親だけ

e0143522_224525.jpg最近、「わが子のいいところが分からない。何を期待していいかわからない」という親御さんが増えています。過剰な期待をして子どもを追い詰めてはいけませんが、子どもは、大好きなお母さんから期待されたいと思っていることは忘れないようにしたいものです。

自分の友達が、みんなお母さんに応援されているのに、自分だけ、お母さんが期待をもてないと、子どもは「愛されていない、自分に価値がない」と寂しい気持ちになってしまいます。こうしたことが、心の成長も妨げると感じます。親ばかでもよいのです。「私の子どもだからできる」と信じる愛情が、子どもの能力を引き出します。

人間にとっていちばんつらい所業は、無視をされることです。わが子に自信が持てなかったり、期待できないということは、子どもの可能性を無視しているように、私には思えるのです。

1年生のKくんは、8ヶ月前、大人の指示に素直に従えないことから、楽院に入学してきました。その後、別人のように取り組んできましたが、まだ自分に自信は持てません。そのため、せっかく、歌が歌えるようになったのに、「音楽会には絶対に出たくない」というのです。本人が、音楽会に出るには充分な自信が備わっていないと思っているように、お母さんも、まだ自分の子に自信が持てないのかもしれません。しかし、以前は、まったく、大人の言うことをきけなかった子が、みんなと一緒に、長時間、頑張っているのです。それだけでも、大好きなお母さんに認めていただかなければ、子どもにそれ以上の自信も進歩も望めません。

幼児期は、愛する親が期待してくれることが大きな意欲につながります。特に男の子の能力を伸ばすか否かは、お母さん次第です。「私の子だからできなくても仕方ない」とあきらめるのではなく、「私の子だからがんばって」と、子どもを応援していただきたいと思っています。親の期待が子どもの能力を押しつぶすこともありますが、一方で、期待されないと、「期待してもらえない」といじけるのも子どもなのですから。
by k-onkan | 2014-06-30 22:00 | しつけ | Comments(0)

音楽がコミュニケーションを育てる

一般に、発達障害を持つ人は他者の気持ちを理解するのが難しいとされていますが、定型発達であっても、年齢が幼い子どもには簡単なことではありません。楽院に通う生徒たちは、音楽の訓練を通して、他者の気持ちを想像する力を身につけています。

e0143522_21242969.jpgたとえば、楽院に通う発達障害の子や、幼い子に「人の気持ちを考えなさい」と言っても、答えられないと思いますが、「先生が手を広げて、ゆったりと振ったら、どういう気持ちだと思う?」「先生の手が上がったら、どうすればいいの?」と聞けば、「もっといっぱい声を出して、ということ」「声が下がらないように高くする」など、正しい答が返ってくるはずです。言葉が未熟な幼児であれば、自分の声で答えを表現するかもしれません。子どもたちは、自分の感覚を通して覚えたことを使って、他人の気持ちを理解しているのです。

指揮者は手指の動きから、音の強弱や、歌い方、音楽の構成を知らせ、演奏者に最良の状態を作り出します。指揮者の思い通りに演奏できると、自分が素晴らしい音楽家になったのではと錯覚するほどですが、演奏する側に、指揮者の気持ちを想像する力がなかったり、指揮に応えるだけの技術がなければ、せっかくの指揮も意味を失ってしまいます。

それは、昨日書いた小学生の「うんてい」の話に共通点があります。うんていを上手に渡るためには、介助する人の気持ちやタイミングを汲み取って心を合わせることが大事です。どんなに、「渡りたい」との思いが強くても、悪いタイミングで手を放せば、落ちてしまいます。それは、素晴らしい指揮をする指揮者がいても、その思いを感じ取る想像力がなければ、素晴らしい演奏にはならないのと、よく似ているのです。
by k-onkan | 2014-06-29 21:23 | 音楽 | Comments(0)

音楽も運動も感覚を鍛える

楽院ののぞみクラスでは、ドーマン法で使用するブレキエーションという「うんてい」を使用しています。今から、15年ほど前になりますが、3歳で音感教育を始め、身体的動作と表現というピアノに合わせたリズム活動をさせると、子どもたちが行進もジャンプもできずに、運動能力の低下に疑問を感じたことから、導入したのです。

e0143522_12626100.jpgお子さんが1~2歳のころは、お母さんに抱いていただき、手指で棒を持ってぶら下がることからはじめ、少しずつ、手を前に出して、進むことを憶えさせていきます。感覚を鍛えるためには、年齢は幼いほど効果的であると感じます。運動や音楽など、感覚的な能力を求められる科目は、頭で考えるよりに、体で覚えることが、大事です。小さいころは、何の勉強をするよりも、体を動かすことが一番、大事な理由もここにあります。

さて、この「うんてい」は、小学生になって入学したお子さんにも、時間が許す際には、取り組ませるようにしています。先日も2年生のTくんに挑戦させましたが、運動が得意でない子には、一人で、高い棒にぶら下がって渡るのは、恐怖です。そのため、ぶら下がってみても、まったく先へは進めません。

そこで、私はTくんの体の両脇を支え、体を前後に振り、次の棒に持ち替えるちょうど良い瞬間を見つけさせることにしました。ところが、一番、手を放してはいけないときに、手を放してしまうのです。私が支えているという安心感から簡単に手を放しているようにも見えました。大人は補助はできても、本人に、渡る気がなければ、できるようになりません。

「自分一人では渡れないから、先生が渡るタイミングを作ってあげている。Tくんも、それを感じて、相手に合わせようという気持ちを持たないと、ぜったいに渡れない」。このことを体が覚えるまで、何度も、何度も繰り返しました。すると、ようやく、リズムに乗って、手を持ち替えられるようになりました。このとき、初めて、Tくんは、自分の「渡りたい」という気持ち以外に、他者の「渡してやろう」という気持ちを汲み取ることも感じたように見えました。

幼い子どもなら、余計な説明などせずに、感覚的に最善のタイミングを捉えていくものですが、運動に苦手意識を持ったまま、成長した人は、頭で考えるため、よけいに難しいようです。しかし、体を使うことは、頭では解決できず、体で覚えるしかないのです。

さて、音感の勉強に、うんていをさせたり、行進やジャンプをさせる理由が、皆さんには理解できないかもしれません。しかし、音楽の演奏は、運動とは切っても切れないものです。私たちがふだん、歩いたり、泳いだりする時に、無意識ですが、リズムが存在し、不整脈でもない限り、一定のリズムで歩いているはずです。

うんていも、水泳も、上手な人の動きを見れば、リズムの中で、自然に動いていることが分かります。そして、一定のリズムにのって動くという当たり前の運動は、歌を歌ったり、ピアノを弾いたりする際には、とても重要です。なぜなら、一定速度で、体を動かせなければ、一定の速度で演奏を続けることができないということだからです。

楽院で行なう音感教育は、音感能力、歌唱能力など、音楽能力を身につける過程で、指先まで意識を持つ、自分の声を自在に操る、他人と呼吸を合わせる、自分以外の人の都合も感じるなど、学校の成績などには現れませんが、社会に出て、自分の人生を拓くためには、有効なことがたくさんちりばめられています。それに気づいてくださった方が、楽院の門を叩いてくださるのです。
by k-onkan | 2014-06-28 23:59 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

人間に育てるということ

今日は甥の小学校で「子育ての講演」があり、瑠音先生が話を聞いてきました。その中で、一番、印象に残ったのは、「人間として生まれることと人間として育つことは同じではない」ということだったようです。

e0143522_1341552.jpg私は、子どもの頃に読んだヘレン・ケラーの伝記を思い出しました。目が見えず、耳が聴こえず、口がきけない娘を不憫に思った両親は、ヘレンのわがままをすべて許して育てました。その結果、食事は手づかみ、他人の皿にまで手を出し、社会のルールをまったく理解しない動物のような少女に育ててしまいました。しかし、サリバン先生との出会いが、ヘレン・ケラーを人間に育てたのです。

講演の中で、「子どもには、叱られるべき時に叱られ、褒められるべき時に褒められる権利がある」という話がありましたが、それこそが、ヘレン・ケラーの両親ができなかったことであり、サリバン先生が実行したことではないでしょうか。

「人間に育てるというのは、単に言葉やルールを理解するだけでなく、相手の気持ちを理解できるようにすること」とのことですが、この言葉には、コミュニケーション能力に問題を持つ発達障害の方は抵抗を示されるかもしれません。しかし、私は、発達障害があっても、定型発達以上に人間らしく発達することを実感しています。

反対に、定型発達に生まれても、善悪の区別も教えずに、好き放題を容認し続けたら、公共の場で大声を出したり、他人に失礼な口を聞くなど、問題行動を起こして、定型発達の子どもらしく育たないこともあり得るのです。

私は、定型発達でも、発達障害でも、お預かりしたお子さんは人間として育てたいと思っています。そのため、厳しいと言われても、子どもたちは、叱るべきときに叱り、褒めるべきときに褒めてきました。しかし、最近、小学生になってから入学する生徒が増えて、正直、教えにくさも感じています。

幼児期から預かった子とは違って、私たちにも遠慮があるため、叱ることにほんの一瞬、躊躇する気持ちを見抜かれているのかもしれません。すると、「自分の失敗を他の人や者のせいにする」「友達ができないと笑ってしまう」「苦手なことに取り組む前に涙を見せて逃げてしまう」「関係ない話にすり換えて苦手なことをしないようにする」等、純真無垢だからこそ、持ちうる負の部分が前面に押し出されてきます。そうした様子を目にすると、どんな事情があっても、一度、お預かりした楽院の生徒には、うらまれても、叱るべき時に叱らなければと心新たに思うのです。
by k-onkan | 2014-06-27 23:32 | 教育 | Comments(0)

お母さんにとっても修行~2~

「子どもが言うことをきかない」と悩むを相談されるお母さんのタイプにもう一つ共通するのは、子どものころ、大人の言葉を素直に聞く娘さんだったであろうことです。女の子は、男の子に比べると、一般に周囲から自然に学んだり、雰囲気から、自分の取るべき行動を察知する面があります。そのため、娘はお母さんにとって「素直で都合のいい子」になりやすいのです。特に、我の強いお母さんに育てられると、戦って自分の自由を得るより、穏やかに暮らす方を好み、「いい子」にならざるを得ません。これが、最近、問題になっている「母娘の関係」がぎくしゃくする一因かもしれません。

e0143522_10182553.jpgそんな女性が母になると正反対のタイプのお子さんを連れていることが多くあります。お母さんは優しくて静かなのに、子どもはやりたい放題です。周囲からは、「子どもが悪い」と評価されてしまいますが、実は、お母さんの持つ穏やかな性質が、子ども本来の身勝手さやわがままを助長させているに過ぎません。

子どもの頃、素直に大人の言葉に従ったお母さんは、自分の子どもが、なぜ、悪いことをするのかが分からないのかもしれません。しかし、子どもは、大人が願う正義感や心の美しさを最初から持っているわけではありません。特に、発達の過程で、ずるいこと、悪いことも、悪意なくするものです。また、好奇心から大人が「ダメ」と言っても挑戦することもあるでしょう。

子どもは、こうした行為を注意されたり、褒められることで、「いけないこと」「いいこと」を覚えていきます。しかし、お母さんが何も言えなければ、行動は改善できません。子どもも好きで「悪い子」をしているわけではありません。集団の中で、どうやったら、「いい子」として評価されるか、実は悩んでいるかもしれません。

最近、4歳の甥Kが「お母さんが叱ってくれるから、Kちゃんはどんどんいい子になっているよ。ありがとう」と言っていました。Kは兄甥に比べると、決して、素直に大人の言葉に従うタイプではありませんが、それでも、世の中に出ると、もっとわがままでわからんちんをする同級生に出会うから、「自分がいい子に育っている」と思うのでしょう。

大人が「やめなさい」と言えば、絶対に手を出さなかったお母さんには信じられないかもしれませんが、何の疑問も持たずに、大人の言葉に従う子どもより、自分で経験して、知りたい、学びたいという子どもの方が、向学心があるという考え方もあるのです。

教育やしつけは、「お母さんの顔色ばかりうかがう気弱な子ども」に育てるために行なうものではありません。子どもが自分の頭で考え、自分で問題を解決できる大人になるためにするのです。子供の言葉の中には、お母さんがその昔、自分の親御さんには言えなかった、いろいろな本音が隠されているかもしれません。それを知るためにも、子どもの言葉にもっと耳を傾けて欲しいのです。
by k-onkan | 2014-06-26 23:15 | 子育て | Comments(0)

お母さんにとっても修行~1~

お母さん方の中には「子どもが言うことをきかない」という悩みを持つ人が大勢います。このタイプのお母さんを観察すると、子どもの気持ちを理解しないまま、自分の願望に従って子どもを動かそうとしていることがあります。

e0143522_8585467.jpgたとえば、お母さんは、子どもが将来、勉強で苦労しないように「プリントをやって欲しい」と思っているとします。適度にプリントをやりつつ、子どもが好きな「外遊び」や「おもちゃ」の相手もするお母さんなら、子どもは素直に指示を聞くでしょう。自分の希望に対しても、受け入れるお母さんには、「自分の思いを伝えていいのだ」と信頼でき、愛されているという自己肯定感も育まれるでしょう。

しかし、子どもが「外で遊びたい」「おもちゃで遊びたい」「お母さんと楽しく過ごしたい」と思っているのに、勉強ばかりを強要されたら、「お母さんの言う通りにするとおもしろくない」と思い、指示には従わないでしょう。その上、お母さんから「言うことをきかない」と雷が落ちたり、ヒステリーを起こされたら、大好きなはずのお母さんも疎ましい存在になります。

しつけは、「お母さんの都合」を通すために、するものではありません。子どもが将来、社会に出て、いろいろな人とうまく関わったり、社会に迷惑をかけないために、最低限、親が教えられることを教えておくためにするのです。

もし、「楽院では言うことを聞くのに、自分の言うことを聞かない」と感じるとしたら、それは、お母さんより、楽院の私たちの方が、理不尽に厳しかったり、理不尽な無理強いをしていないと、子どもは感じているからです。もちろん、わがままが過ぎれば、「いい加減にしなさい」と叱ることもありますが、どのタイミングで叱るかは、それぞれの特質に合わせて、最善のときに行なっています。

このことを忘れて、わが子をただ支配するために、ただ怖い声を出したり、厳しく叱ったりしたら、子どもとの関係が悪くなり、子育ても楽しくなくなります。子育ては、親御さん自身にとっても、これまでの人間関係を改善する修行です。「言うことを聞く子どもにする」のではなく、「子どもが言うことを聞いてくれる親になれるか」を考えるほうが、良い関係が築けるのではないでしょうか。
by k-onkan | 2014-06-25 23:46 | しつけ | Comments(0)

叱るなら、たっぷりの愛情を

子どものころ、叱られたことがないお母さんは、子どもの叱り方が分からない、と言われます。私は、叱りたくないなら、わが子がよそで叱られないように、懇切丁寧に、いろいろなことを教えてください。また、叱り慣れているお母さんには、「叱る理由を子どもにいつも説明できる用意はしておくこと」をお伝えしています。

e0143522_10572885.jpg昔は、周囲の人たちとの関わりがあっていたので、叱り方が分からない若いお母さんがいても、誰かが注意する様子から「あぁ、子どもはこうやって注意するのだ」と学ぶことができました。反対に、叱られた子がいじけていても、誰かが「お母さん(お父さん)の本当の気持ち」を通訳して、その意味を考えさせたりができたのです。

しかし、現代社会は、お母さんがほぼ、一人で子育てをしています。子どもがまっとうに成長する上で必要だった「厳しいお父さん役、心のよりどころのお祖母さん役、おだやかで便りになるお祖父さん役」の全てがお母さんひとりの肩にかかっています。これは、相当な負担であり、現代社会での子育ては簡単ではありません。

しかし、最近、東京の真ん中で、それを実現している若いお母さんに出会いました。その方とは、ある講演に出席して出会ったのですが、女手一つで小学1年生の女の子を育てています。こう書くと、なんだか、「特別にかわいそうな女性」を想像するかもしれませんが、とんでもありません。たいへん、恵まれた女性だと、私は思っています。昼間は働きながら、いろいろなNPO法人でボランティア活動をして、趣味もたくさんあります。また、近所の畑で野菜を育て、料理も上手です。娘さんのために、裁縫をしたり、部屋の塗り替えまでして、本当に多彩な女性です。

何より、一番、素晴らしいのは、その人の子育てです。子どもは自分一人で育てられないからと、地域の方たちと助け合っているので、娘さんは、地域のお祖父さんたちに見守られ、のびのびと成長しています。その様子は、東京の真ん中の子育てとは思えない素晴らしいものです。私は、このお母さんの毎日のタイムラインをとても楽しみにしているのです。

数ヶ月前に、はじめてのお稽古事に出かけたお嬢さんが、中々、できるようにならない自分が悔しくて涙して、途中で投げ出そうとしたことがありました。お母さんは、はしっこに連れていってすぐにお説教をしたそうです。
まわりの方の反応は、「はじめてだから、涙くらい許してあげて」とか「失敗を受け入れてあげないと、子どもの性格が、云々」というものが多かったのですが、「泣いてもいいけれど、逃げるのはダメ」とそのお母さんはきっぱり表していました。

今、ちまたでは、女性議員が「女性差別を受けた」と全世界に訴えています。しかし、こういうお母さんに育てられていたら、議員も単に「女であること」を利用せずに、自分の能力で社会に問題提起できたのではないか、と感じるのです。

何より、素晴らしいところは、そのお母さんが他人のために尽くす愛情を持ち、それが深いところです。先日、膝を深く擦りむいて「お風呂に入りたくない」というお嬢さんのために、老人介護で仕入れた技で脱衣場にビニルシートをはってタオルで高くして、全身を洗ってあげていました。膝小僧に触れずに体中を洗ってもらった娘さんは、「これならお風呂に入ったのと同じだね。お母さんって、優しいね。ありがとう」。

私は最近、「わが子を叱るのを怖がる人は、体力がないのかもしれない」と感じています。「叱ったら、嫌われるかも」と心配する人は、叱った分だけの愛情を子どもに注ぎ、関係を回復する余力がないのかもしれません。よく「叱らずに育てたこと」に胸を張るお母さんにも出会いますが、子どもにとって叱られた経験がないことが、必ずしも良いわけではないと、私は思っています。もちろん、「叱る」ということを誤解して、虐待まがいのことをする人もいるので、注意は必要ですが、心底、子どものことを考えて叱るときには、パワーも愛情も相当、必要です。そのパワーと愛情を受け継いだ子どもは大人になったら、それを社会に返せるだろうと感じるのです。
by k-onkan | 2014-06-24 23:50 | しつけ | Comments(0)

お小遣いに表れる個性

最近、5年生の甥Yのまわりでは、お小遣いをもらう人が多いとのことで、安藤家でもお小遣いについて考えることになりました。お小遣いは、それぞれのご家庭の教育方針によって、1か月にいくらと決めることもあれば、必要に応じて親御さんに渡されたり、お手伝いをしてお駄賃を得たりと、それぞれの特徴が出るものです。

e0143522_20145095.jpgサラリーマン家庭ではない我が家には、定額のお小遣いはなく、お手伝いをしたり、頑張ったときに「ご褒美」という名目で自由になるお金をもらっていました。働かざる者、食うべからずの考えが根底にあったのかもしれません。

子どもの頃、自分が与えられたことがないものは、親になっても与えようとは思わないようで、瑠音先生も「毎月、決まった日に、ただお小遣いを渡すこと」に抵抗があるようです。そこで、考えたのが、「100点を取ったら100円のご褒美、マイナス1点につき、10円の罰金」というルールでした。

最初は、ご褒美は10円、マイナス1点につき1円の罰金でしたが、「それでは、利益も少ない」と思い、1円を10円に変更した途端、ケアレスミスで150円を失ったYは、「もうダメだ。0点を取ったら1000円も取られるじゃない」と打ちのめされていたようです。しかし、厳しいルールのおかげで良いこともありました。それは、テストの見直しをするようになったことです。真面目そうに見えるYですが、私の甥だけあって、結構、いい加減なところがあります。罰金は、彼に真剣さを与えたようです。その甲斐あって、最近、やっと、黒字になったようです。

兄が、お小遣いをもらうのが、うらやましいのが弟甥のKですが。最近、なんでも「Kちゃんもお金がいい!」と言うのです。先日も、「プールの検定、頑張ってね」というと、「ご褒美は何?」と言われたようです。

これまでは、「ガチャポンを一回!」がご褒美だったのですが、「ガチャポンじゃなくて、お金がいい」というので「じゃあ、100円」と言ったそうです。すると「いやだ~」。「じゃ、何がいいの?」「50円」。

100円より50円が欲しくて、ガチャポンは300円もするのですが、それが分からないところが、赤ちゃんで可愛いのです。さて、生きていくためには数の概念を学ぶことは必須です。そして、それが正しく備わっていないうちは、どんなに兄を真似て生意気なことを言っても、現金を手にするのは早過ぎなのだと痛感したKの言葉だったのでした。
by k-onkan | 2014-06-23 23:12 | 児童 | Comments(0)

大人になるための修行

津の教室であるお母さんから、「子供がピアノの 練習をしない」というお悩みをお聞きしました。10歳までは子供の生活習慣は家庭次第です。親御さんが『練習しなさい』と声をかけてあげてくださるようにと、お話しました。小学生の低学年であれば、ピアノの宿題はさほど、長い時間はかからないはずです。親御さんも経済的負担をしてピアノのレッスンに通わせるのですから、特別な事情がない限り、「毎日、練習すること」を子供に約束させて、レッスンに行かせるのが先生に対する礼儀だと感じます。

e0143522_21525575.jpg子供は、あまり深く考えずに、「ピアノを習いたい」と言うものです。しかし、誰もが憧れる素敵な曲を弾けるようになるまでには、地道な練習が必要であり、面白いことばかりではありません。そう考えると、お稽古事は、願いをかなえるためには努力も必要ということを子供時代に学ばせることになるかもしれません。大人も「子供がやりがたったからはじめ、嫌がったから辞める」という安易な考えで、お稽古ごとを考えてはいけないと感じます。

そのお母さんの心配は、親が「練習、練習」ということで、子供がピアノを嫌いになるのではないかということでした。しかし、子供は、長時間、無駄に練習を強要されたり、「まだ同じ曲を弾いているの?」と進歩をせっつかれたり、「他の子はもっと上手に弾いているのに、なぜ、難しい曲を弾かせてもらえないのか」等など、口出しをし過ぎなければ、練習をさせたくらいで嫌いにはならないはずです。

音楽を専門的に勉強したことがない親御さんが子供のためにできるサポートは日々、歯磨きや学校の宿題をこなすように、日々の責任を果たす習慣を持たせることです。子供の中には、お母さんにつききりで練習を見てもらうのを好むタイプもいますが、あまり、お勧めできません。レッスンを受けているのは、お母さんではなく、子供本人だから、そして、親は一生、子供のサポートはできないからです。

何年か前になりますが、「最近の企業では、音楽を勉強した人が重宝される」という話をききました。音楽を勉強した経験があると、先生からのダメ出しに慣れているため、上司やクライアントからの「ダメ出し」も素直に受け入れられるというのです。反対に、ダメだしを受けたことがない人は、持ち帰って、他の方法を考えるということが難しく、「どこがいけないのですか?」「直す場所を言ってくれたら、直します」といって、相手を困らせることがあるのだとか。

将来、わが子が集団に所属するのか、一匹狼になるかは分かりませんが、どちらにしても、約束の期日を守って仕事をすること、与えられた責任を果たすことは、とても大事なことです。そして、それは、子供が成人するまでに、身につけた事柄が、その人の生きざまや姿勢となって現れるのかもしれません。「ピアノの練習は、ピアノが上手になるためだけでなく、大人になるための準備だと思ってさせなければいけないのですね」。そう言って、お母さんは帰っていかれました。
by k-onkan | 2014-06-22 22:51 | お稽古事 | Comments(0)

憧れということ

人は自分が持っていないものに憧れる。ある人は羨望の眼差しで見つめ、ある人は手に入れる方法を考える。

先日、四歳の甥が分厚い本のページをめくり、読書のふりをしていた。七歳上の兄が一人で図書館に出かけるようになった影響かもしれない。「まぁちゃんも一緒に読もうよ」。兄が見せる本は大人の私にも難しい。しかし、こちらは理解したふりではなさそうだ。

「兄に似てきた」。これが何よりの褒め言葉だ。憧れは向上心を刺激する。弟もいつか難しい本を読むようになるだろう。しかし、どんなに羨んでも、どんなに努力をしても、弟が兄に、兄が弟になることはできない。

人は自分が持てないものに憧れる。そして、手に入らないほどその思いは強くなる。それが、憧れということではないだろうか。

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最近、文章講座であたえられたのは「憧れということ」という課題でした。「文章はうまい。でも、あなた自身のことを書いてほしかった。あなた自身のことが書いてあると、もっと強
い文章になる」との評価をいただきました。

私は、こう見えて、自分のことを全て出すタイプではないようです。甥兄弟の話は、私自身が子供の頃に感じてきた私から妹、妹から私への憧れを書いたものですが、それを伝える文学的才能が、私にはないのです。しかし、もし、400文字の制限がなければ、最後にこの文章を足したかもしれません。

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甥兄弟の関係は、私と七歳違いの妹の子供時代を思わせる。唯一、異なるのは、私には甥たちほどの自己肯定感がなかったことだ。それこそが、私が長く憧れた妹のおおらかさの賜物なのだ。
by k-onkan | 2014-06-21 23:15 | 自分のこと | Comments(0)