麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

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みなさまに感謝をこめて

「アリとキリギリス」という寓話があります。冬に備えて食べ物を蓄えたアリは、夏の間、バイオリンを演奏していたキリギリスに「ずっと、遊んでいたんだから」と食べ物を恵まずキリギリスが餓死してしまうというものです。このストーリーの寓意は、将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良いというものと、アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ、というものがあるようです。

e0143522_22461867.jpg私は、どちらかというと、キリギリスタイプの子どもだったので、この話を聞いても、「アリにならなくちゃ!」とは思えませんでした。無知は罪と言われますが、もし、「冬になったら、食べ物が手に入らなくなる」と誰かが教えてくれていたら、キリギリスは餓死することはなかったかもしれない、とも思ったのです。子どもは、「教えてもらっていない」と思うもののようで、冬の厳しさを知らなかったキリギリスが、気の毒に思いました。ですが、大人になった今は、キリギリスも、少しは自分からまわりの様子を観察できたらよかったのに、と思います。

さて、11月7日に早川書房より「折れない子どもを育てるーこの時代にこそ木下式音感教育法ー 」が発売されることになりました。その見本が出来上がり、私のところにも送られてきました。私は木下式という幼児、児童の音楽教育に従事していた両親に育てられ、子どものころから、知らず知らずのうちに、いろいろな親子の子育てやしつけ、教育のあり方を見てきました。その経験をまとめたのが、この本です。

世の中には、私よりずっと、勤勉で優秀な方が多くいます。私などが、子どものしつけについて口を出さずとも、どなたか、えらい方は問題を解決してくくださるだろうと、若いころは思っていました。ですが、8年ほど前、私の気持ちが根底から変わりました。それは、私より優秀な方、高学歴な方でも、私ほど親御さんと子どもたちの失敗例も成功例も見てはいないことを知ったからでした。そして、私は私が知っていることを、少しでも、お子さんを持つ親御さんと共有しなければ。子育てやしつけについてキリギリスのように備えのないまま、子どもを社会に突き放してしまわないように。そんな思いでまとめさせていただきました。これまで関わった全ての方々との出会いがなければ、この本は書けないものでした。みなさまに感謝をこめて。
by k-onkan | 2014-10-31 22:48 | 自分のこと | Comments(0)

無駄に見えても脳は使われている!

音楽祭の視察のために、富山に出かけました。その際、「幼稚園で鼓笛をさせることは、親御さんを喜ばせるだけで、何の意味もなく、無駄なこと。子どもは、のびのびと好きなことをさせておくのが子どもらしい」という幼児教育の専門家がいるというお話をうかがいました。いろいろな考えがあるのは当然ですが、子どもや先生が一生懸命、取り組んでいることを全否定して「子どもらしく、ありのままに」を正当化することには抵抗を感じます。

e0143522_11131192.jpg幼児らしくさせたい方は、自己責任で子どもらしくさせていただいてよろしいと思いますが、小学校に入ってから、「なぜ、こんなに集中力がないのだ」と責めたり、「団体行動ができない子」と決め付けたり、「どうせ、何をやらせてもダメ」と見ないふりをせず、社会に出られる人間に育てあげていただきたいとは思います。

小学校に入ってからの子どもの能力差は、それまでの生活や環境の異なりによるものです。残念ながら、幼児期に「のびのびと子どもらしく」だけでは、身に付かない能力があるのも事実です。また、誕生日が来て、一歳、年齢が増えたからといって、いきなり、その年齢にふさわしく変化したりはせず、日々の積み重ねが大事です。

「鼓笛」については、音楽を教える立場で言えば幼児にとって、簡単ではないだろうと思います。それは鼓笛を習得する基礎―音感、リズム感や集中力、理解力、協調性―が必要だからです。富山の登録幼稚園は、どちらも鼓笛でよい評価を受けていますが、その基本は日ごろの音感教育だと思います。また、何もせずに、鼓笛をする園とは、教えるときの「たいへんさ」が異なるはずです。

「鼓笛は保護者を喜ばせるだけの無駄なこと」と専門家は言われるそうですが、「無駄」といわれることこそ、子どもの体験には大事なものです。私が、この夏、お目にかかった著名な精神科医の先生は、「人間、無駄なことをしないとだめになる」と言われますが、クラスみんなで一つのことに取り組むのは、それが、どんな無駄に見えても、その子の人生の中で大切な経験だと感じます。

さて、富山に滞在しているときに、NHKで「昔ながらの遊びが脳を発達させ、集中力を高めたり、認知症の予防になる」という番組を見かけました。いざというときの集中力が高めることから、柔道や学習塾で、剣玉をさせていました。

人間は、できないことに取り組んでいるときに脳の司令塔である前頭前野が活性化して、それができるようになり、集中していると必要なところだけが働き、後は抑えられるのだそうです。新たな技に挑戦するたびに、脳の前頭前野が赤くなり、できるようになると青くなる、その様子を見ながら、「これは、楽器で新しい曲を習得するのと同じだろう」と感じました。

たぶん、鼓笛でいろいろなことを学んでいるときも、脳の中ではこれと同じことが起きているだろうと思います。耳で聴く音楽と共に行進しながら、異なるリズムを叩く、この協働作業は、なれるまでは、とても難しいことでしょう。もしかすると、「やりたくない」と泣き出す子もいるかもしれません。ですが、一度、できるようになれば、その後は、何でもないことになる、その繰り返しが、脳を鍛えていることになるはずです。そう考えると、やはり、鼓笛は無駄ではないと思ったのでした。
by k-onkan | 2014-10-30 23:11 | 音楽 | Comments(0)

見込みがあるから注意できる

発表会の独唱練習が始まり、毎週、年長のYちゃんが、泣きながら、通って来るようになりました。お母さんは、「独唱の練習で注意されるのが嫌いみたいです」と困った顔をされていました。

e0143522_21183560.jpgそこで、レッスンを始める前に、幼児たちにこんな説明をしました。「みんなの中には、叱られたり、注意されるのが嫌いな人もいるよね」。すると、次男次女は「叱られても平気」「別に大丈夫 」と打たれ強さをみせます。ですが、一人っ子と長子は、「うんうん」と首を振ります。

そこで、こんな話をしました。「先生は誰のことでも注意すると思う?たとえば、お母さんには?」「しなーい」「その通り。じゃぁ、なぜ、しないと思う?」「大人だから」「そうね。じゃぁ、なんで大人には注意しないと思う?」「わからない」

「大人になってから音感の勉強をすると、簡単には声が出ないの。どんなに先生が「ア」とお手本をしても、同じ声で真似をするのは難しいの。注意しても上手にならないのは、かわいそうでしょ? だから大人は叱らないのよ。でも、みんなは先生が注意したら、もっと上手になる。だから注意するのよ」。

泣きながら通うYちゃんもその話に目を輝かせて聞いていました。私は「それでも、注意されるのは、いや? 上手にならなくてもいい?」と聞くと、「直した方がいい」」と言います。「注意されたら、それを直せばいいだけだから、泣かずに直そうね」。そんな話をしました。

大事に育てられたお子さんは、「注意されたり、失敗すること」を嫌います。ですが、生きていればうまくいかないことはたくさんあります。その時に、すぐに放り出すか、踏ん張ってみるかで、結果が違います。

注意されて悲しいのは、一瞬のことですが、できないことは一生、そのままで、自分に返ってきます。そして、それは、音楽のマイナス以上に、生きていく上での、習慣にもなります。少し難しいことを乗り越えることは、脳を活性化して、必ず本人のプラスになります。そのように仕向けるのは、まわりの大人次第であり、私は、子どもと関わる大人が、子どもにしてあげられることだと思うのです。

楽院で子供達に厳しいことをいうのは、幼児期に手ををかけて十分な基礎を教え、できる能力は与えているからです。つまり、叱ったり、注意できるのは、その子に見込みがあり、幸せに育っているからかもしれません。万が一、子供に不憫な事情があったら、注意することも、叱って恥をかかせることも、できないだろうと思うのです。
by k-onkan | 2014-10-29 21:18 | 教育 | Comments(0)

男の子のしつけは難しい

自分自身が素直に育ったお母さんが男の子を授かると、そのしつけに悩むことがよくあります。一般に、女の子は場の雰囲気を察知し、周囲の大人の言動や態度などから、「自分がどう行動したらよいか」を察知していい子にすることができますが、好奇心が旺盛な男の子は、女性のお母さんが「自分なら絶対にしない」と思う悪いことや危険なことも、興味があれば突き進んでしまいます。「男の子」の子育てが難しいからといって、しつけを放棄するわけにはいきませんし、だからといって、力でねじ伏せると、後で大きな反抗に合うこともあります。

e0143522_22484355.jpg子どもが提示するいろいろな問題は、親子で体験して、その都度、説明したり、諭したり、注意したり、いろいろな手法を使って「何が正しくて、何が正しくないか」を気長に教えるしかありません。残念ながら、子育てにおいて、問題が瞬時に解決する特効薬はありません。何事も計画通り、都合通りにいかないのが子どもなのです。

最近も、5歳のわが子に「遠足の準備をしなさい」と言っても準備をしないため、「遠足の準備をしないなら、ママもお弁当を作らない」と言ったお母さんの話をうかがいました。「ちゃんと用意しないと遠足にいけないよ」と息子にいうと、「いいもん」と言われて、お母さんは、内心、困ったはずです。結局、最後はお母さんがお弁当を作り、「お母さんを怒らせてはいけない」とお兄ちゃんが「弟の遠足の用意」をしたそうです。ちゃっかり者の次男坊は、上手にまわりの人の手をかりて遠足に出かけていきました。

さて、このお母さんは、毎朝、家族の誰より早く起きて朝食を作り、家事を行って、子どもを保育園に預け働きに出ます。夕方は帰宅してすぐに食事の支度、お風呂の世話、宿題のプリントや本読みをさせ、それだけで頭が下がる思いがします。そんなお母さんが少しでも楽になるように、一日も早く、子どもが協力できるように育って欲しいと思いますが、そうなるには、もう少し、大人が手をかける必要があるのです。

たとえば、問題の「遠足の用意」ですが、もしかすると、その子は一人ではやらないのではなく、できなかったのかもしれません。誰か一緒にプリントを見ながら、「ハンカチ、入っている?」「長袖を入れて」「おやつは入れた?」と声をかけて確認するだけで、もう少し簡単に取り組んだかもしれません。また、弟思いの優しいお兄ちゃんに「弟の遠足の用意を手伝ってあげて」と責任を持たせ、本人は本人で「自分もやってみよう」という気持ちになる可能性もあるかもしれません。

このお話の中で、失礼ながら、私が違和感を持ったのは、「遠足の用意」と「お弁当作り」を交換条件にしたことです。遠足の用意もお弁当作りも、「遠足にいくためには必要なこと」です。また、子どもが保育園の遠足に行かなかったら、困るのは子どもだけでなく働くお母さんも一緒です。そう考えると、お互いに、協力して、遠足の準備をするために、手を貸しあう必要があったと思うのです。

たとえば、私が、「音感の勉強をしないなら、おやつはなし」と子どもに言うときは、本気です。ですから、最後まで何もしなければ、本当に「今日のおやつは約束だから出しません」と帰す覚悟はあるのです。万が一、「いいもん。おやつなんか、いらないもん」などと悪態をついたら、「そんな口をきく人は、ライオンの部屋」と、子どもが心を入れ替えるきっかけを与えます。

「あなたが、自分の用意をしないなら、お母さんもお母さんの仕事をしない」とお母さんの覚悟を示すなら、「遠足の弁当ではなく晩御飯」にしておいた方がよいと思います。晩御飯なら、子どもに反省させ、その後、食事をする十分な時間があるからです。しかし、遠足のお弁当は、「どうせ、ただの脅しじゃない」と思わせる結果になります。

何にしても、子どもに大人の本気を示すときは、途中で、気持ちが変わったり、くじけたりしてはいけません。中途半端に負けるくらいなら、最初から子どもの言いなりで甘やかす方がまだましです。お母さんから甘やかされていれば、楽院で憎まれ役を引き受けることができるからです。一番、困るのは、お母さんから愛されていると信じられず、他人の言葉にも耳を貸せないお子さんです。そういう状態ではしつけも教育もすごく難しいのです。

最後に、「勉強しないなら、おやつはなし」とか、「やることをやらないと、昼ごはんなし」などのおどし文句が通用するのは、せいぜい、小学生低学年までです。子どもたちは、成長と共に、どんどん打たれ強くなり、「どうせ、お母さんのいつもの脅し文句が始まった」と生意気になり、益々、言うことを聞かなくなるものです。

子どもが何かをする理由は、お母さんの「過管理」や「脅し」「交換条件」ではなく、「何か成し遂げたときの喜び」や「愛する家族をはじめ、他人から認められる達成感」であって欲しいと思います。何かを与えられる喜びは、その場は嬉しいですが、残念ながら長く継続する喜びではないからです。それよりも、大好きな親御さんから、本気で褒められて、認められた喜びは一生、子どもの心に残っていくのです。
by k-onkan | 2014-10-28 22:45 | しつけ | Comments(0)

大人の方が難しい―絵本の読み方講座2-

絵本の読み方講座は、私の話を聞いていただくだけでなく、お母さんたちに実践していただかなければなりません。そこで、日本語の基本となる「50音」を正しく発音することから開始しました。アナウンサーになるためにも似たような訓練を受けるそうですが、耳に心地よい言葉の基本は母音を形作って声を出すことです。しかし、お母さん方に最初の「ア」をまねていただき、私は「たいへんなことをしてしまった」と思いました。なぜなら、お母さん方は、発音以前に、お腹の底から、たっぷり息を吐いて声を出すことが難しいことが、わかったからです。

e0143522_213333.jpg「もし、わが子に危険が迫っていたら、あっ!危ない」と大きな声で知らせますよね?そんな気持ちで、声を出してみましょう。ア!」。それでも、皆さん、とてもおとなしくて小さな声が返ってきます。皆さんを励ましたり、笑わせたり、リラックスさせながら、少しずつ、大きな声にしましたが、それでも、十分ではありません。

すると、どこからともなく、「ア」「イ」と私の真似をするいい声が聞こえてきました。お母さんについてきた3歳の新入生の男の子でした。私の声の高さに呼応して、私が低い声を出せば低く、高い声で言えば高く、自由自在に声を出すのです。それは、まさしく、「幼児は大人の言葉に呼応して、高くも低くもなること」の証明でした。

またしても、お母さん方から苦笑いがもれました。大人がやっとの思いで、出している声を幼児が、いとも簡単に出すからです。しかし、これは特別なことではありません。幼児であれば誰でもできることなのです。これこそが、感覚の鋭い幼児期に感覚的な訓練を始めることの利点です。

50音と簡単な単語の言い方を練習した後、本読みは簡単には教えられないと感じ、急遽、「ふだん、わが子にかける言葉」を実演していただきました。そして、分かったことは、残念ながら、お母さんの言葉と感情が合致していないことが多いということでした。たとえば、顔は深刻でも、声が薄く柔らかな声であれば、子どもは、さほど緊迫感は持たないものです。また、わが子を思いやるより、大人の都合を優先した言葉がけをすれば、子どもは反感を持って、言うことをきかないでしょう。

実際に、私をわが子に見立てて言葉がけしながら、「私は『また、この子は面倒なこと言って』と非難めいた気持ちを持っていたと、気づきました」と発見される場面もありました。

しつけや教育で大切なのは、「どうせ幼児だから、分からない」と思うのではなく、「教えれば分かる」と信じて幼児と接することだと感じます。私たちは、音感を教える際は「先生らしく」をモットーにしています。教える大人が自信がなさそうだと、子どもが不安になるからです。しかし、だからと言って、子どもを下には見てはいないのです。なぜなら、子どもこそ、私たちにいろいろなことを教えてくれる先生だからです。

書き言葉は、後で読み返して訂正がききますが、声に出す言葉は、その場、限り、そのときの感情が瞬時に表れるものです。そして、子どもはその音調から、「自分はお母さんに愛されている」とか「お母さんは自分のことを全然、考えてくれない」ととても敏感です。どうか、自己肯定感のある人間を育てるために、わが子の言葉は、悪いことも含めて、親御さんの行動から学んだものであることを心のどこかに止めておいていただきたいのです。
by k-onkan | 2014-10-27 23:12 | しつけ | Comments(0)

お母さん、頑張って!~絵本の読み方講座しました1~

日曜日を利用して、お母さんのための「絵本の読み方講座」を行いました。幼児期に、一番、大切なのは語りかけです、しかし、それが、砂を噛むように味気ないものだったり、催眠術のように眠けを誘ったら、幼児にとってありがたいものではありません。このことを、お母さん方に体感していただきたいと思いました。

e0143522_1274864.jpgそこで、講習会で幼稚園の先生たちに教えるように「音感かるたの説明」をお母さんたちに聞いていただきました。最初は、ふだん、子どもたちに説明する通り、抑揚や高低、緩急、間合いを工夫した木下式の「模範的な説明」です。次に、新任の先生が、どうにか用語を記憶して、不安な気持ちで園児の前に立った様子を真似てみました。細くてかわいい声で、少し遅めに、でも、同じトーンで、ツラツラとただ、ゴールを目指して話し続けました。

聞いていたお母さん方から苦笑いがもれはじめました。なぜなら、新任の先生を真似た「音感かるたを説明」は催眠術のようで、それを何枚も聞かされる苦痛を疑似体験したのです。同時に、新任の先生の音感かるたこそ、お母さんが絵本を読む様子と大きな共通点があります。

幼児に読み聞かせたり、語りかけたりする際に、一番、大事なのは、「幼児が興味を持って聞いているか、楽しんで理解しているか」を観察すること、そして、相手のことをおもいやる気持ちが大事なのですが、一般に、育児書に「1日20冊」と書かれていると、子どもが嫌がっていても、ノルマを達成しようとしてしまいます。ですが、そんな読み方であったら、百害あって、一利なし。たくさん読んでも、本が嫌いになるかもしれません。

子どもの言語力は、子ども自身の責任ではなく、一緒にいる大人の影響をそのまま受けるものです。たとえば、幼稚園や保育園に指導にいくと、しゃべり方のうまい先生のクラスの子どもは、言語力が高く、自信なくボソボソと話す先生のクラスは、子どもたちも同じように話します。つまり、全てが未知の幼い子どもにとって、相手の声の高さや話し方に呼応することが、その子の声域を決めることになるのです。木下式がうるさいほど、幼稚園、保育園の先生には、はっきりと鮮明で美しく共鳴した声で話させる理由は、ここにあります。そして、それは、できれば、お母さん方にも気をつけていただきたいことなのです。<つづく>
by k-onkan | 2014-10-26 23:25 | 子育て | Comments(0)

使える能力を大切に

私たちは、便利な生活をする中で、当たり前にできたことが、できなくなっていくもののようです。実は、学生時代、よく電話をかける友人の番号はすべて暗記する記憶力がありました。しかし、携帯が番号を記憶するため、自分で電話帳に書き込んだり、指でダイヤルを回す機会もありません。そんな中、突然、携帯電話が起動しなくなり、全てのデータが消失しました。唯一、思い出したのは、よくかける3人の携帯番号だけでした。不便だったときの方が、自分の能力を最大限に使いこなしていたことを思い知らされました。

e0143522_23414391.jpg現代社会に生きている子どもたちは、知らず知らずのうちに、使えなくなった能力があると感じています。たとえば、私が子どものころは、東京にもまだ空き地があり、原っぱがありました。草で手を切らないように気をつけながら、奥まで入り込んで虫を取ったりしたものです。そんな中で、手や足、体の感覚を養っていただろうと思います。

たとえば、近所の庭には、びわやみかんの実がなっていて、それを叩き落そうとして、叱られたり、近所の塀を平均台代わりに歩くなど、いろいろなものが遊び場であり、学びの場でした。今のように、言葉を交わすのは家族だけでなく、見知らぬ人との関わり方も知らないうちに学んでいたように思います。

何でも、手ごろに手に入る生活の代わりに、自分の何かを作ったり、自ら行動したり、感じたりする機会を失っているのが、今を生きる子どもたちです。そうしたことを忘れないようにしないと、昔できたことは、ますます、できなくなってしまうと、衰えた自分の記憶力を通して、感じた日だったのでした。
by k-onkan | 2014-10-25 23:39 | 自分のこと | Comments(0)

足の先にも要注意!!

最近、私には、気になっていることがあります。それは、木下式を実践する際の子どもの足の様子です。木下式の実践の際は、指先まで伸ばして直立不動で立ったり、行儀よく机に座るように指導しています。これは、単に「軍隊みたいな姿勢」が好きなのではなく、手や指先などが常に動く子は、物事に集中できないことを表しているため、それを放置できないのです。

e0143522_10295324.jpg友達と一緒に歌う合唱は、単に、自分の好きなときに、好きな声を出したのでは成立しません。自分の歌う声とまわりからの音楽に集中して、ちょうど良い声を出す必要があります。その際、手遊びをする余裕はありませんが、幼いうちは、気づくとチョコチョコと動いてしまうものです。まだ集中することが身についていないのです。ただし、訓練を重ねて、音程正しく歌えるようになる頃には、自分の口型もコントロールできるようになり、本人の意思で伸ばせるようになっていきます。万が一、長く勉強をしていても手指が動くのは、そのお子さんが常に自分の意思で集中することが、まだ定着していないという意味なので、注意することで、自分のことに意識を向けさせています。。

ところが、最近、手先を伸ばしていても上靴の中の指がもぞもぞ動き続ける落ち着きのないお子さんが増えているのです。共通するのは、自動車や自転車で送迎され、自分の足で十分に歩いたり、走ったりをしておらず、子供に適した運動が足りていないことです。

夏の合宿に子どもたちを連れていくと感じることなのですが、子どもというものは、毎日、何キロも走れる体力があり、彼らが疲れるまで、相手をすると大人の方が、ぐったりします。それでも、子どもは十分に眠ると、次の日、もう元気が回復しています。それほど、幼児から児童期にかけては、上部な体をつける素地があると思います。ただ、「この子は運動は苦手」と何もさせなければ、どんどん、弱くなっていくと感じます。

私も運動が得意なタイプではありませんが、子どものころから、うさぎ跳びだ、縄跳びだと鍛えられて体力があると感じます。ですが、便利な都会の生活はよほど意識して運動する機会を作らなければ、運動不足です。運動が足りないと、音楽に合わせて、行進したり、ジャンプをする「身体的動作と表現」も上手にはなりません。音楽には合っているように見えて、何かが違うのです。躍動感や安定感がないのです。

そんな理由から、最近、足先が動く子が多いクラスでは、上靴と靴下を脱いで裸足で立って歌ったり、裸足で行進したりして、足の指先に意識を向けさせています。靴下を脱ぐと、自分の足の指がゴチョゴチョと動いていることに気づき、足の指先まで力を入れて、立ったり、行進したりしていると感じます。床は少し冷たいですが、いつも暖かい靴下で包まれていると、自分の足で冷たさを感じるのも大事な経験かもしれないと思います。

裸足で「身体的動作と表現」の訓練をすると、音楽に合わせて、ジャンプしたり、行進したりする姿に、少し鋭敏さのようなものが感じられます。自分の足の裏で直接、感じることで、何かが改善されるのかもしれません。少し寒くなってしまいましたが、現代に生きる子どもたちは、裸足で芝生の上を歩いたり、砂浜や砂利を自分の足裏で体感して、刺激を受ける必要もあるのかもしれません。
by k-onkan | 2014-10-24 23:28 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

旅先でも保育施設が要るの!?

10年ぶりの沖縄は、私たちの記憶とはずいぶん異なっていました。一番、驚いたのが空港から那覇市内に抜ける海底トンネルで、あっという間に市内に到着しました。沖縄には観光客も増えて、暮らす方にとっては便利で住みやすくなっているのだと思いますが、沖縄ならではの美しさは失わないで欲しいと勝手ながら思うのです。

e0143522_23574881.jpg今回の旅で驚いたのは、宿泊したホテルで見かけた案内でした。それは、近くの大型ショッピングセンターの保育施設を紹介したもので、常時、10名の保育士の資格者がいて1時間800円で観光や宿泊をする親御さんの子どもを優先的に預かるというのです。唯一の救いは、長くても3時間しか預けられないことでした。

とはいえ、どんな資格を持っていても、旅先で見ず知らずの人にわが子を預けて、親は観光をしたり、買い物を楽しんだりできるものなのでしょうか。もし、「普段から他人に預けられ慣れているから旅先でも大丈夫」ということであれば、何のための家族旅行なのか、私には理解できないのです。

せっかく家族で旅行をするのなら、良いことも、悪いことも、家族で対応する機会にしなければ、子どもにとって旅行の意味はないように思います。面倒なところを全て、別行動では、何の経験にもならないのではないかと思うのです。

また、旅先で、わが子が足手まといになるのがいやなら、普段から親子で気持ちよく過ごせるように、お互いによく説明をして意思の疎通を図ったり、道理を理解させられるように教えて、はじめて飛行機に乗って、家族で遠くまで旅行できるのではないか、そんなことを思った沖縄のホテルロビーの案内だったのです。
by k-onkan | 2014-10-23 23:55 | 子育て | Comments(0)

沖縄へ行ってきました

音楽祭の視察と園児の歌唱指導のために、木下先生と沖縄に出かけました。私たちが、最後に沖縄に出かけたのは9年前のことです。以来、沖縄の園児たちはDVDを使って歌声と能力を審査してきたのです。けれど、一生懸命、講習会で勉強して音楽祭に園児を参加させている教諭に木下先生が「今年は沖縄まで出向いて指導する」と約束したのでした。

e0143522_23221889.jpg空港に着くと幼稚園に直行、すぐに指導が始まります。園児たちと挨拶をして、最初に木下先生が子どもたちに言うことがあります。それは、「木下先生はおじいか?」ということです。沖縄では「おじいさん、おばあさん」のことを「おじい、おばあ」というのですが、髪の毛が白い木下先生を園児はみな「おじいに見える」といいます。

「そうか。じゃぁ、先生の声は、おじいの声か」と「模範唱」を聞かせるのです。子どもたちは一斉に首をブルンブルンと振って「おじいじゃない」と否定してくれます。「そうか。じゃぁ、みんなも先生のような声で歌え」。園児たちは驚いて、声を出すのです。

一般に、幼稚園児を集中させるのは長くても30分程度が限界と言われますが、この日は、途中で1回、おやつ休憩を取りましたが、約4時間、レッスンに取り組みました。幼児の歌唱指導は、手をかければ手をかけただけ、上達するため、木下先生は情熱を持って教えます。また、園児が休憩している間は、教諭の指導を行い有意義な時間となりました。

とは言え、木下先生も実際、「おじい」と呼ばれておかしくない年齢です。その疲れは、指導が終わってから出たようです。特に東京の朝は15度だったのが、沖縄では一転して27度で、その寒暖の差が結構、きつかったようですが、夜には、昔、楽院に勤めていたKさんと、10年ぶりの再会を果たした密度の濃い1日となったのでした。
by k-onkan | 2014-10-22 23:20 | 木下式音感教育法 | Comments(0)