麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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音感を教えるとわかるんです!

エセ占い師みたいですが、幼いころから預かっている生徒の発声する声や目つきや態度を見るだけで、私には、なんとなく感じるものがあるのです。特にそれが、「悪い雰囲気」であったりすると、その勘は妙にさえてしまいます。

e0143522_1665875.jpg最近は、5年生のTくんがとても気になっていました。Tくんは小さい頃から賢く、学校の勉強もよくできるタイプです。優等生の男児にはよくあることなのですが、彼らは理屈で論破できない野生の勘を持つ木下先生タイプをとても怖がる傾向があります。そのため、少しでも注意されそうになると、目に涙をためて、「注意しないでオーラ」を出すのです。上級生になって自信が備わったといえ、いまだに唯一、怖い相手は木下先生だから、私たちの前でも一見、いい子風ではあるのです。

ですが、歌声を聴けば、「本当にいい子」か「いい子のふり」か、「心に何か思うことがあるか」など、すぐに分かるのです。Tくんも、何か言えば「はい」と返事はしますが、相当、後ろ暗い何かを感じます。きっと、学校や他のお稽古ごとでは、もっと生意気な態度で先生に挑んでいるはずです。何を隠そう、私も中学生のころにそんな態度で、先生を侮ったから分かるのです。ですが、その一方、木下先生の前では、弱さをアピールする。これは、かなり巧妙に自分の賢さを使って、努力や挑戦を回避しているように見えます。そんな気持ちで受験準備のために休学しても、よい結果は出ないでしょう。

昔なら、高学年の男児が反抗的に入り、どうにも許せない態度をとると、木下先生がポカンと一発、手を出して観念させることもありました。ですが、最近は、木下先生自身、そういう気持ちになれないといいます。現代の子どもたちは、ポカンと一発、手を出しても、そこから何かを得る感受性を感じないからかもしれません。

唯一、手を出す可能性があるのは身内である甥たちですが、5年生のYは低学年の頃、すでに、レッスンを始める前に涙をこぼしたことで、木下先生の逆鱗に触れた経験があります。そのため、どんな困難があっても、涙でごまかしたり、言い訳に逃れることはなく、自分で立ち向かっていく打たれ強さが身についてきました。Tくんに必要なのは、そうした力強さであり、それを教えられるのは社会で生きるお父さんだけ、とお母さんにお伝えしたのです。

後日、お母さんから報告がありました。それは、塾でも、自分が1番になれない科目に対しては、「どうせ、ぼくはできませんから」と無気力な態度で授業に臨む姿に、塾の先生からもお叱りがあったのだそうです。一つの場所で指摘されるマイナス点は、よその教室や学校でも、同じ態度をしていると思った方がいいのかもしれません。

Tくんのお母さんは、「昔から、『このままだと、こんな風になる』と麻奈先生が言った通りになってきたので、問題を先に教えていただけてありがたいです」と言ってくださいましたが、幼児期から、恵まれた環境で適時教育を受けた大勢の子どもの落とし穴は、それほど、バリエーションはないということかもしれません。ですが、できれば、悪い予測は、外れてほしいと、私は思っているのです。
by k-onkan | 2014-11-30 16:08 | 思春期・反抗期 | Comments(0)

卒業生がパーティーをしてくれます!

私の本の中には、大勢の卒業生や教え子が登場します。一つひとつのエピソードはどれも、その時々、真剣に関わった子どもとの大切な思い出です。そして、それを証明するように、卒業生が「本の出版記念パーティー」を企画してくれました。場所は、これまで私たちが、音感や合唱に取り組んできた楽院のホールです。卒業生や在籍児とそのご家族が参加してくださるようです。

e0143522_623214.jpgふだん、音楽祭や定期公演を開催すると、大勢の卒業生が顔を見せに会場に来てくださるのですが、主催者である私たちは卒業生からじっくりとお話を聞いたりする余裕がありません。現在、楽院で育つ小さな天使たちとともに、楽しいひと時がもてたらと思っているところです。

本日は、その出欠の締め切りでした。残念ながら、当日はお目にかかれない卒業生の方から本の感想をいただきましたので、その一部をご紹介します。


丁寧ないつもの語り口で子供の教育(いわゆる英才教育ではなく、ある意味で「普通」のまっとうな人間を育てるための)に必要なことがわかりやすく述べられ、感銘を受けました。子供の頃から優しくて面倒見のよい、みんなのお姉さんだった麻奈ちゃんが、麻奈先生としてたくさんの子供たちを育て、こうして教育論を出版されるに至ったことは、ごく自然のことのように私には感じられるのですが、それでも、やはり日々悩み、勉強され、努力されているのだなぁと改めて頭が下がる思いです。(N.Aさん 某大学国際学部教授)


泣き虫だった私ですが、音感に「行きたくない」と言ったことは一度もなかったそうです。それは、幼いながらに、先生方がただ厳しいのではなく、自分たちのことを真剣に考え向き合ってくれていることを理解していたからなのかもしれないと、本に書かれている先生の思いを読みながら思いました。(N.Mさん)
by k-onkan | 2014-11-29 23:22 | 楽院だより | Comments(0)

私の本の使い道

久しぶりに大学時代の友人と会う機会がありました。若い頃から本をよく読む人で、映画や書物について話が弾むのがこの人でした。何件かの書店をめぐって、私の本を探してくれましたが、あいにく、どこも売り切れで、取り寄せ注文で「大人買い」をしてくれたようです。

e0143522_0552142.jpg友人は、本の帯の「やさしい教育を子どもを苦しめている」という文句をたいそう気にいって、ご両親にも紹介したそうです。すると、一度もお目にかかったこともないのに、私の本の出版をとても喜んでくださったのだとか。

本が届くのは1週間先ということで、「麻奈の本を読むのが楽しみ」と友人が声を弾ませるので、私は少し心配になりました。なぜなら、子どもを持つ保護者、子どもと関わる職種の人であれば、何かのヒントにはなるかもしれませんが、芸能事務所の社長である友人が楽しめるようなことを書いたとは思えなかったからです。

すると、友人は、「親しい友達が書いた本という興味だけじゃないの」と言い出しました。「(自分は)子どももいないし、子供がいる世界からも遠くにいる。ふだん、付き合うのは15歳以上しかいないけれど、明らかに、彼らは何かが私たちとは違う育ち方をしている。麻奈の本を読んだら、それがなにか分かるかもしれない」というのです。

タレント志望の若者を預かるにあたって、どんな背景や環境で、どんな育ち方をしたかは、雇い主として知る必要はあるでしょう。そういう意味でなら、私の本は役に立つかもしれません。本の中に書いた「社会の一員として責任を果たすために、家庭で教えておいた方がいいこと」が子ども時代に身に付いていない人が最近、とみに増えています。そして、家庭や学校で教えられなかったことが、企業や職場で教育しなおす話は、最近、よく聞きます。私の本には、そんな変化球のような使い道もあるようです。
by k-onkan | 2014-11-28 23:53 | 自分のこと | Comments(0)

動物の子育ては理想だけど

拙著が発売されて、いろいろな方が感想をくださります。その中に、「現代の教育現場の事情を憂いて、止むに止まれず書かれたことが分かる」というご感想もありました。確かに、音感教育を教えるのが私の仕事であり、親御さんが家庭でどんな育て方をしても、本来、口を挟む領域ではありません。ですが、音感教育を行う上でも支障が出始めたことで小言のようなブログを書きはじめ、幸運にもそれが1冊の本になったのです。

e0143522_851565.jpgはじめて私の本の中身を読んだ父は、「なぜ、こんな本を読みたいと思う人がいるのだ?」と不思議でたまらないようです。「子育ては人に習ったり、本を読んでするものじゃない。自分の感覚で「これ」と思うことをするものだ」と。

確かに父のように、はっきりと自分の考えを持ち、その上、子どもを観察するのが好きで、「こうしたらいいのでは? もっと、ああしなければ?」と一つのことを追求するタイプであれば、自分の感覚を頼りに自分の子どもを育てられるはずです。そうして生まれたのが木下式なのですから。

しかし、多くの親御さんは、そんなことを考える余裕もないまま、日々、子どもの成長に振り回され、子どもに教えるべき大事なことも伝える余裕がないまま時が過ぎていきます。私は本を読んでくださった方の子育てが、少しでも楽になればそれだけでいいと思っています。

著名な精神科医の先生が、「ぼくはサヴァンナの動物の子育てが基本だと思っておりますので、御説のほとんどに共感できます。愛とはなにかということですね」との葉書を送ってくださいました。父が「自分の勘を頼ってするのが子育て」というのも、木下式が「動物の子育て」だからです。動物は誰に習わなくても自然に子孫を残すために、生きるために必要な知識を子どもに教え、それが終わると離れていきます。

ですが、動物園で生まれた動物は、自然には子育てができず、育児放棄をしたり、邪魔にして攻撃することがあるようです。結果、飼育員が代わりに育てている、そんな話は、動物園でよく聞く話です。毎日、決まった時間に飼育員からえさが与えられ、身の回りも常に清潔に保たれることで、動物としての本能も勘も失われていくのでしょう。もしかすると、恵まれた現代社会に暮らす私たちも、サバンナの子育てとは遠く離れたところにいて、だから、本を求めてくださるのかもしれません。

世の中には多くの育児本が出ています。中には、「本に書いてあることは、自分の子供に当てはまらない」という方もいるでしょう。よしあしは別にして、自分の勘を頼りに「正しいと思える道」を進むのが子育てです。ただし、親が自分の身勝手だけ押し付けた子育てをすると、子どもが自分の身をもって苦しい思いをしながら親にその間違いを示すことがあります。子育ては楽しい時間もあれば苦しい時間もあるものです。たとえ、不愉快な時間が到来しても、最後までわが子に付き合うのが、子育ての醍醐味であり、親の責任だと思うのです。
by k-onkan | 2014-11-27 23:48 | しつけ | Comments(0)

叱らない子育てに思う

最近、いろいろな場所で「叱らない子育て」が提唱されて、最近も、著名な教育評論家がそうしたタイトルの本を出版されています。確かに、長年、子どもと関わり、その特性をよく理解している専門家が、子育てをすれば、叱らずにいい子を育てるのは簡単なことでしょう。

e0143522_8203697.jpgですが、子どもに関わる仕事をしたことがない親御さんは、どんな学歴や職歴を持つ立派な大人であっても、親としての歴史は、子どもの年齢と同じです。1歳の子どもを持つ親御さんは、「お母(父)さん1年生」であり、子育てについても手探り状態です。その人に「叱らずに子育てができる」と言っても、そのコツを習得するまでに時間がかかると思います。

最近、私が出会った幼児、児童の中には、やりたくないことがあると地べたに寝転がったり、身勝手な行動をしたり、乱暴な口をきいたり、人に手をあげたり、と、まわりを混乱させるお子さんが大勢いました。こう書くと、「よほど、悪い性質を持った特別に悪い子ども」を想像するかもしれませんが、たいてい、本質はとてもいい子たちです。

ただ、それまでの育てられ方や生活習慣が、子ども中心であったり、子どもの気持ちが無視されていたりなどで、社会で生きる準備ができておらず、その結果、迷惑行為をしてしまったに過ぎません。そして、それは子どものせいというより、親御さんわが子を理解したり、子どもへの指示の出し方や、関わり方を学べばたいてい解決することだったりします。しかし、その間も、子どもは、いろいろな場所で悪い子だと叱られてしまいます。大人の導き方の失敗によって、子どもが叱られるのは、本当にかわいそうなことだと思います。

子育てに悩み、わが子の問題行動に振り回されていたお母さんは異口同音、楽院にきて、子どもがいい子になったと言われます。これは、お母さん、お父さんが、わが子との関わり方が上手になったからでしょう。そう考えると、叱らない子育ては夢ではないと思います。

実際に、甥たちは成長に伴って生意気にはなっていますが、世間でいう「叱られるほどの悪いこと」はしたことがありません。甥たちが叱られるとしたら、それは物事や人に対して不誠実な対応をしたときだけではないかと思います。これは、大勢の親子を見てきた妹が、子どもがしそうな問題行動を察知して、その都度、問題が小さいうちに対応して、「叱らない子育て」と似たようなことをしてきたからです。

ですが、「叱らない子育て」という理想にだけ、とらわれてないようにしなければとも思っています。なぜなら、どんなに性質や気立てのよい子ども、素直な子どもでも、社会に出たら、いろいろと見聞きして、「してはいけないこと」にも興味を持ち、「手抜き」もできるようになってくるからです。理想の子育てをするために社会がもっとよくなればと思うかもしれませんが、残念ながら、社会は一個人、一家族、一団体に都合のよくはならないものです。なぜなら、いろいろな人がいるのが社会だからです。

子どもの中には、悪いことをして叱ってもらうことで、親の愛情を確かめる子どももいるものです。また、叱られることを嫌い、上手に立ち回り、叱られた経験がない子が、後に、とても大きな問題行動を起こすこともあります。叱らずに育てることの全てが正しいとは、私には、どうしても思えないのです。そして、現代社会が互いに踏み込んだり、お互いに関わらなければなるほど、家族だからこそ、その中には、「叱られるべき適時」に「自分を叱ってくれる存在」がいて欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2014-11-26 23:09 | しつけ | Comments(0)

バイオリンの音色に思う

亡き祖父母に出版の報告をするために、名古屋で親戚の家に寄り、その足である合奏団のバイオリンを聴きに行きました。このグループはバイオリンの演奏を通して、高齢者施設の慰問などの活動を行っています。リーダーは尊敬するO先生、長年、大勢の親子の問題を解決されてきた方です。

e0143522_043698.jpg私は自分の本の中でO先生のバイオリンについて少し触れた箇所があります。50代後半に習い始めたバイオリンが好きで、楽しくてたまらないと言われるO先生。もし、幼児期に音楽と出会う機会があったら、絶対に音楽の道に進んでいたのではないか。音楽に出合うべき子どもが、その道をあきらめないために、木下式を幼稚園で採用してほしい、と私の父は考えたのだと、私は綴りました。O先生にお叱りを受けるかと心配もありましたが、先生から「本当に幼児のころに知り合えていたら、どんなにか良かったかと思いますよ」との言葉をいただき、私は救われました。

2年ぶりに聴いたO先生のバイオリンの音色で思い出したものがありました。それは、毎年、開催する音楽祭で独唱する幼児の声でした。今年も500有余名の幼児の歌声の中から、木下先生が「この声」というお子さんを独唱に推挙していますが、独唱に選ばれる声はどこにいてもすぐに分かる輝きがあるのです。それにO先生のバイオリンの音色が共通していると感じました。

一見、声と楽器の演奏は関係なく感じるかもしれませんが、どんな楽器も、演奏する人の声と楽器の音色は共通するようです。美しい声で話す人の演奏は楽器の音色も美しいのです。それは、技術習得のように努力によって培われるものではなく、親からもらった宝物といえるものかもしれません。

もし、O先生が幼児期に音楽と出合っていたら、今音楽の道に進んでいたかもしれません。ですが、O先生に救われた大勢の親子の現在はありません。そう考えると、子供のころからあこがれた音楽を学べなかったことはマイナスばかりではありません。そのマイナスを経て、今、バイオリンに向き合っているからこそ、その演奏で癒されると感じる方がいらっしゃるのでしょう。

親から与えられた環境や身体的な特徴などの諸々には、良いこともあれば、悪いこともあります。それによって否定的な気持ちになる人もあれば、与えられたものを使って、最大限、自分の人生を切り拓く武器にする人もいます。それぞれの気持ちの持ち方で生き方は変わるのだろうと思います。

O先生は、「子どもの頃に音楽に出合えたら幸せだったかもしれない。でも、子どものころに、音楽を学ぶ機会があったら、反対に、今、これほどまでにバイオリンを好きでいられなかったかもしれない。また、人の不幸に付き合うような激しい人生だからこそ、これほど穏やかな気持ちでバイオリンに向き合えるのかもしれない」。と言われます。時期は決して早くないけれど、音楽と出合うべきしてであったというO先生の思いが、高齢者をはじめ、いろいろな方を感激させる力があるのだと思ったのでした。
by k-onkan | 2014-11-25 23:42 | 音楽 | Comments(0)

難しい年頃であっても

週末は、恒例の三重県のK教室の指導に出かけました。私が、毎月、この教室にうかがうようになって早いもので6年が経過しました。東京から来る「麻奈先生」の怖い(?)顔色を見ながら、「褒められよう」と頑張っていた幼児たちも今では小学校の高学年です。

e0143522_21572288.jpg長く付き合った子どもたちは、「麻奈先生は怒らせると怖いけれど、めったには怒らない」と本能的に感じるようです。一般的に10歳を過ぎた子どもは少しずつ大人の言葉を聞き流して、自分で物事を判断しようとします。それも成長の証ではありますが、物を習うときには好ましくはない態度といえます。

それは、来月、行う音楽会のために独唱の練習をしていたときのことです。高学年の子どもたちがダラダラと時間をやり過ごして、本気では取り組まない、注意されたことを直そうとはしない、そんな雰囲気が漂っていました。きっと、ふだんからK先生にも甘えて悪い態度を見せていることは、すぐに感じました。

幼児期から勉強した子どもは、先生のことを親のように近くに感じているからこそ、高学年になると甘えから悪い態度をすることがあるのです。親しさゆえの甘えではありますが、親しき仲にも礼儀あり、といいます。

私はK教室ではめったに本気で怒鳴ったりしません(怒鳴っても、楽院の生徒に比べると遠慮しています)。ですが、その日は「今、子どもに侮られてはいけない。叱り時」と感じて刺激的な声で子どもたちを怒鳴りつけました。

「ダラダラ、歌って、時間が来たら終わりになると思っているのは大間違い。指導されたことを直さない人は物を習ってはいけない。そんな態度で歌うなら、音楽会も出なくてよし。帰れ!」と。

子どもたちはびっくりして、その後は、「口を開けなさい」と言えば自分から素直に指導されたことを直すようになりました。本当なら、怒鳴りつけられなくても、自分から率先して行動するのが理想ですが、これが、幼児期から教育を受けた子どもの弱点でもあります。あまりに恵まれていて、自分が音楽の勉強を続けられている幸運に気づかないとでもいうのでしょうか。

それでも、「音楽会に出なくてよし」といわれると、急に驚いて「それは嫌だ」と言ったりもするのが子どものかわいいところです。「ならば、誠実に練習しなさい。それが、人前に立つ責任なのだから」とそんな話をしたのです。

今年も三重県から音楽祭に出演する子どもたちがいます。ふだんから、音感教室の先生は、よそのお稽古ごとより厳しいと思っているかもしれませんが、東京の楽院まで来てレッスンを受ける緊張はその何倍も大きいはずです。それでも大舞台で音楽祭に出演できるのは千載一遇のチャンスなので、子どもたちには親御さんや先生への感謝を忘れずに頑張って欲しいと思っているのです。
by k-onkan | 2014-11-24 23:37 | お稽古事 | Comments(0)

ママが変われば子供も

最近、嬉しいことがありました。それは、 「わが子との関わり方がうまくいかないこと」に悩んでいらしたお母さんが、わが子の小さな変化に気づく眼を身につけ、よそのお子さんのしつけもできるようになったと知ったからでした。

e0143522_346858.jpg保育園に通うHくんは、お祖母ちゃまと楽院に通っていますが、入学してしばらくは仕方なく取り組んでいる感じで、中々、音感のレッスン成果があがりませんでした。楽院での様子に変化がなければ、家庭内でもわからんちんのままでしょう。そこで、私たちは、お母さんに育児日記を書いていただくことにしました。Hくんの行動とお母さんの対応などが分かれば、楽院でのHくんへ適切な指導も考えられるのではと思いました。

日記をはじめてしばらくはが、Hくんがした悪い事柄と、それに対してお母さんがただただ困り果てた様子や誤った対応が多く見られたものでした。ですが、最近の日記には保育園で「ママ先生」をした話が書いてありました。保育園の中には、お母さんが一日、保育士さんの仕事を経験する「ママ先生」の日があるようです。

26人の子供に対して一人の先生との日常は、常に争いごとや揉め事の喧騒にさらされています。どんなに先生に指導力があっても、26名の幼児の注意を一度にひきつけ、個々人に十分なケアを与えるのは難しいと言えます。

そのお母さんもママ先生の体験で、子供たちも先生もいかにたいへんかに気づかれたようです。このお母さんが偉いことは、自分の子供だけでなく保育園の先生の苦労も慮っていたことです。世の中には、保育料を払えば、子供の面倒を見てもらうのが当たり前だと思う親御さんも多くいますが、保育士の仕事は、苦労が多い割りに薄給で、現在、なり手がとても少ないのです。その上、保育士さんの中には、他人の子供の世話をするために、我が子を長時間、人に預けて働く人もいます。預ける側も感謝を忘れると、保育士をする人はいなくなってしまい、預けられるがわにとって、劣悪な保育環境ばかりになるかもしれません。

そのお母さんがママ先生をした日に、数人の子供の揉め事があったようです。子供が大勢いれば、悪気はなくても人を傷つけることもあります。その時は女の子が泣き出したようですが、原因を作った男の子たち全員をわが子同然に注意して、何がどのようにいけなかったかを説明して、女の子に謝らせたようです。子供に慣れている大人には当たり前に思われる対応ですが、子供と関わりが少ない女性にとって、自分の子供を含めた争いごとを上手にまとめ上げるには、上級のテクニックがいると思うのです。

それだけではありません。保育園での様子を観察して、わが子が周りの雰囲気を見て行動しているだけで、次に何をするかを理解していないから行動が遅いと気づき、家庭でも「今はなにをするの?」「次はどうすればいいの?」と子供自身が考えるように仕向けることにしたそうです。これは木下式の先導の手法であり、子どもにアドバイスやヒントという手杖を与えながら自分で考える習慣をつけているのです。

お母さんが子どもの扱いがうまくなり、我が子の気持ちを理解できるようになると、レッスンに来る顔も自信にあふれ、とても幸せそうな顔つきになります。私たちはようやく一人の人間として「いいことはいい、悪いことは悪い」と本気で教えられそうです。どんなに教育が大切とはいっても親御さんの愛情を確信できていない子お子さんは不憫で言いたいことも言いづらいからです。お母さんが子育ての上級者になって、はじめて私も本気でHくんに対峙できそうな気配がしたのでした。
by k-onkan | 2014-11-23 22:15 | しつけ | Comments(0)

いい子、いい子といえばいい子になる

私の教室は子どもにとって「厳しい教室」として認知されています。ですが、一つ、皆さんから誤解されていると感じることがあります。それは、楽院がよその教室より子どもに厳しい分、よその教室以上に、一人の人間としても子どもを尊重し甘えさせているということです。

お母さん方の中には、「楽院のように厳しい場所でビシビシ鍛えられれば、どこの場所でもいい子になるはず」と信じてしまう方もあります。ですが、楽院や幼稚園で頑張り続けるためには、家庭やお母さんなど、子どもにとって甘えられる存在は必要不可欠です。

こういうと「甘やかしていいのですね」と誤解されそうで心配ですが、お母さんには、何でもかんでも、子どもの言いなりで甘やかすのではなく、子どもの心が折れそうなときに、子どもが素直に弱音を吐いたり、くっついたりできる安息の存在であってほしいのです。

先日も、「楽院や幼稚園でいい子にできるのだから、家庭でもさせなければ」と思い、子どもに無理をさせてしまったお母さんがありました。私は、そのお母さんに、「お母さんは、妻として、母として、主婦として、全ての場所で完璧ですか?」とお聞きしました。すると、お母さんは「全然、完璧ではありません」と言われました。

e0143522_2010526.jpg「私たち大人も上手に手を抜いていますよね。子どもも同じですよ。幼稚園で頑張ったから、少し、お母さんに近くで甘えたり、楽院で頑張った後には、「頑張った、頑張った」と喜んでいただかなければ、それ以上、頑張れません。

働くお母さんの中には、子どもと一緒にいる時間こそ、「一生懸命、勉強させなければ」と頑張りすぎて、子どもとの関係が悪くなってしまう方もあります。子どもにとって、たまにしか会えない存在なら、なおさら、その時間に、親子で心を通わせたり、素直な気持ちを言える関係を作っておいていただきたいと思います。

「楽院ではいい子にしていますが、私の前では、反抗的です」といわれるお母さんもありますが、楽院でいい子にしているのは、私たちが、その子の反抗的な面も知っている上で、「いい子、いい子、優しい、優しい」と声をかけているから、子どもは「いい子」にしようと思っているだけだろうと思います。

「あなたは、きつい性格ね」とか「どうして、そんなに頑固なのかしら」と言われ続けたら、子どもはその言葉通りに、どんどん、打たれづよくなってしまいます。子どもは、育てられたとおりに育つもの、そのことを、大人は心にとめておきたいものです。
by k-onkan | 2014-11-22 20:10 | 子育て | Comments(0)

体罰はいけない、でも・・・

先日、「体罰は是か非か」について討論する番組がありました。出演者は「体罰は絶対にダメ。法律違反だから」という教育評論家と「体罰によって札付きの学生たちを長年、甲子園に連れていった」という強面の元教師の激論が繰り広げられました。

e0143522_1484928.jpg「体罰は禁止」と大勢の教育関係者が言うのは、学校教育法第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」に則っての発言でしょう。しかし、外国の中には「学校での体罰が許されている国」もあれば、家庭内の体罰も禁止する国もあり、その意見が大きく分かれるほど難しい問題であることが分かります。

私も、体罰ばかりで抑止しても、子どもを管理、支配されるだけで、子ども自身が自分で考えて正しい行動をしたり、自己肯定感や自信のある人間には育たないと感じます。体罰などなくても、善悪の区別や物の道理が分かるように育ててあれば、体罰を受けてまで学ばなければならないことは少ないだろうと感じます。

そして、この著名な教育評論家も教育現場で出会えば誰より子どものことを考えるよい先生だろうと推測します。なぜなら、生徒からは「一番、優しい先生も一番厳しい先生もこの先生」と認知されていたというのは、それだけ、子どもと真剣に向き合っていなければ出ない言葉だからです。ですが、「法律だから、体罰は絶対にダメ」と言い切ってしまうことには、私にはやはり違和感があるのです。

残念ながら、世の中には誤った育てられ方をして、とんでもない誤学習をして成長する子どもが多くいます。そうした子どもに「どんなに悪いことをしても、法律だから、先生は絶対に手を出せない」となめさせるのはとても危険だと思うのです。たとえ、法律で禁止されていても、いざというときは手をあげる覚悟は大人には必要かもしれません。

善悪の区別を教えずに育てた低学年の子どもが遊び半分で、大勢の友達と一人の子どもに乱暴してしまったという話を聞いたことがあります。相手の子どもは入院するほどの大怪我を負いましたが、実は、その子は教育関係者の子どもであり、ふだんから「体罰は絶対にダメ。叩かれると、他人に暴力をふるう子になる」とどんなに悪いことをしたときも、親は手をあげたり、厳しく叱ったりしないまま、成長した子どもでした。

兄弟同士で取っ組み合いの経験もなく、何をしても親から叩かれたこともない子は、叩かれたときの痛みも、加減も理解できないでしょう。軽い遊びで、友達をつっついたことが、それほど大きな事故になるなどとは、本人も想像だにしなかっただろうと思います。

私なら、自分の子供が友達を入院させるほどの怪我をさせたら、「体罰は法律で禁止されている」と言われても、「相手がどんなに痛かったかが分かるか」と手をあげてしまうだろうと思います。もちろん、体罰は受ける側も痛いでしょうが、手をあげる側も、手も心も痛みが伴うものです。情けなくて涙を流して手を出すだろうと感じます。体罰はしないにこしたことはありませんが、人間として許しがたい行為をした時には、親だからこそ、手をあげることはあると、私は思うのです。

「体罰」も「叱ること」も効果があることの全ては諸刃の刃であり、それぞれに、いろいろな意見や考えがあるでしょう。ですが、それは、個々人が自分の責任で判断すべき事柄であり、みんな一律「法律だから禁止」と何の疑問も持たずに、まわりに従うことが、私には、一番、怖いと感じるのです。
by k-onkan | 2014-11-21 23:46 | 子育て | Comments(0)