麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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音楽祭の前日を迎えて

音楽祭を明日に控え、朝から楽院の子供たちをはじめ、支部教室の生徒さんと最後の練習を行いました、毎年、音楽祭に出演する楽院の小学生は前日でも、なかなか本気にはなりません。衣装を着ることで、緊張したり、本気になるよう仕向けましたが、舞台慣れした子供は、少人数の観客の前では本気にならないのです。明日、舞台の上で別人のような姿で、大役を果たすことを期待しましょう。

e0143522_2348194.jpg夜は、会場の新宿文化センターに出向き、幼稚園の先生方とのミーティング、その後、舞台が出来上がる様子を見てきました。昨年に比べ、たいした問題がないことは喜ぶべきことですが、「何か忘れていることがあるのでは?」と不安にもなっています。そういえば、昨年は首都圏で30年ぶりの大雪が降り、多くの緊急事態に見舞われました。それに比べれば、少しくらい寒さが厳しいのも、たいした問題ではないと思えます。

さて、遠方から参加の保護者をはじめ、お子さんたちにとって、東京合同音楽祭がよい思い出になりますように。どうぞ、気をつけて、会場までお越しください。
by k-onkan | 2015-01-31 23:51 | Comments(0)

愛も子育ても、いろいろ!

10人の親がいれば、それぞれの愛の形も子育ての方法も異なります。我が家のように「親ができることを子供にもできるようにして、自立できる強い子に育てること」を愛情だと思う家もあれば、わが子にお金や物などほしがるものを全て与えることが愛情だと考える家庭もあるでしょう。また、子供の自由を尊重して、何でも子供のしたいようにさせることこそ、愛だと考える人もいるかもしれません。愛情の形に正解はないのだと思いますが、「子供の頃に手にしたもの」がその人の基本となり、それが、子育てに影響するのは、確かなようです。

e0143522_755854.jpgたとえば、自分の子供にお金を与える親御さんは、自分も子供の頃、お金をたくさん与えられたのかもしれません。もしくは、お金がなくてさびしい思いをしたから、わが子にはお金の不自由をさせないと潤沢にお金を与えていることもあるでしょう。子育ては、親が「子供だった自分にしてやりたいこと」をすることかもしれません。ですが、子供はまったく別人格で、また、別の感じ方をしていたりもするから、おもしろいのです。

思えば、私も若いころは、「これがしてもらえなかった」とか「もっと、違う方法が良かったのに」と親をせめたり、批判する時期がありました。しかし、実際、育てる側になると口でいうほど簡単ではないのです。また、親が与えてくれたプラスもマイナスも全て、現在の自分を作るためになくてはならなかったとも実感できるのです。

たとえば、子供が「お金より、無償の愛がほしかった」と、与えられなかったものが尊いと思うものかもしれませんが、親が一生懸命、働き与えた「お金」もまた親の愛の形であることは忘れてはならないように思うのです。また、子供時代にお金を与えられたから、お金のために一生懸命、働くモチベーションを持っていたり、無駄遣いをしないように気をつけたりできるのかもしれません。

何でも手作りで育った私は、若いころは「お金で買えるもの」にあこがれましたが、最終的には、手をかけて、時間をかけて、自分のために何かをしてくれることに愛情を感じるのです。そして、これも、子どものころの育てられ方に影響していると言えるかもしれません。
by k-onkan | 2015-01-30 23:53 | 子育て | Comments(0)

大事なのは、本気になること!!

今年も、恒例の東京合同音楽祭が近づいてきました。この音楽祭は、木下式を学ぶ各地の幼稚園の園児たち450名が東京に集まり、日ごろの勉強成果を発表するものです。私が、ブログでいくら「木下式が素晴らしい」と言っても、誇大広告に感じる方もあるでしょう。ぜひ、音楽祭で子供たちの姿をご確認いただければと思います。

e0143522_2215612.jpg手前味噌ではありますが、木下式がすごいのは、音楽に才能のある天才児を集めて教育しているわけではないことにあります。幼稚園で音感教育を受ける園児たちは、音楽が好きな子供ばかりではありません。しかし、日々、幼稚園で「どろんこ遊び」をするように、音感教育に取り組み、歌が上手になるからすごいのです。

数日前、そのことを再認識することがありました。それは、50名近い園児のいる幼稚園に指導に行ったときのことでした。園児が全員、背筋を伸ばし、堂々とした態度で歌っていたのですが、私にはその姿がとても感慨深かったのです。

なぜなら、1年前、2年前の子供たちの姿を知っているからです。50名の中で、歌が好きな子はほんの数名、後は人の話に興味が持てない子、立ち歩く子、ぼんやりしている子など、いろいろでした。ですが、音楽祭に向けて、地道にコツコツ、日々頑張ってきたから、クラス全員で「本気」で取り組むことができるようになったのです。

実は、11月に出版した本にも書いたエピソードですが、25年前、この幼稚園が木下式を採用したばかりのころ、父とともに、この幼稚園に初めて指導に出かけたときの思い出があります。当時は、今よりも、もっと音楽に興味がない子供ばかりで、どうやっても「本気にならない園児」を相手に本気になっても仕方ないと、私が諦めたとき、父から拳骨が飛んできたことがあるのです。その当時の姿と比べると、別人のような姿です。そして、大人も子どもも、何かを成し遂げるには、本気になることが一番、大事なのだと、全身全霊で歌う小さな子供たちの姿を見ながら、一瞬、涙ぐみそうになったのでした。
by k-onkan | 2015-01-29 22:02 | 教育 | Comments(0)

自己肯定感を育てる!?

最近、いろいろな場所で「自己肯定感が大事」という言葉を目にします。確かに、幼稚園や保育園にも複雑な事情のお子さんがおり、「自己肯定感」を育むことがいかに重要かを感じます。ですが、どんな複雑な事情があったとしても、三食、体にいいものを食べさせ、清潔な衣服を着せ、子どもの話に耳を傾ける親御さんなら――たとえ、時々、「今は忙しいから後で」と怒鳴ったとしても、子どもは自己肯定感を持って育っていくと感じます。

e0143522_14462141.jpg反対に、お腹が減っているのに、わざと食事を与えなかったり、何かをしようとすると「あんたみたいな子にはできない」と否定したり、汚れた服しか着るものがないとしたら、どんなに、支援者や先生たちが褒めて育てても自己肯定感は育たないだろうと思います。

子どもはいろいろな経験を通して、気づくと自己肯定感が育っているものではないかと思います。その一番に必要なのは、絶対的に自分を守ってくれる存在があること。そして、社会に出たら、守ってくれる人がいなくても、自分のすべきことができること。これができれば自己肯定感を心配する必要はないと思います。もし、いろいろな事情で、わが子にできないことがあるなら、努力の方法を身に付けさせるのも自己肯定感への早道です。これは、誰かが、表面的に優しい言葉をかけたり、誉めそやしたからと言って身に付くものではないのです。

私がこれまで出会った親御さんでわが子の「自己肯定感」について心配する方には、共通点がありました。それは、子ども以前に、お母さんに自信がなく、いろいろな情報に左右されてしまうこと。また、不安さが優柔不断となり、わが子の気持ちからどんどん離れ、その結果、子どもの問題行動につながっていました。どんなにわが子を「自己肯定感」のある子に育てようと思っても、育てる親御さんが自分を肯定できないまま、子どもだけ幸せにすることはできないように思います。

私もですが、一般に支援や教育をする立場の人は、平均的な一般論を話すものです。ですから「自己肯定感が大事」と言うのは、あくまで一般論であり、その言葉を聞いたからといって、「うちの子は自己肯定感が育っていないのではないか?」とビクビクする必要はないと感じます。専門家や肩書を持った人も、ピンからキリまでいます。専門家だからといって、すべて信じる必要はないのです。一番、大事なことは親御さんが、「自分の感性にあったもの」を見つけることです。そして、その際に生きるのが「親御さんの自己肯定感=自分がいいと信じられるものがあること」ではないでしょうか。
by k-onkan | 2015-01-28 23:45 | 子育て | Comments(1)

「傾聴」に物、申す!?

1年ほど前に通った会話教室の最後の課題は「傾聴」でした。自分の話を人に聞いていただくためには、自分もまた人の話に耳を傾けることが大事、ということで、傾聴を教わったのだと思います。傾聴が、一般の会話と異なるのは、とにかく、相手の話に耳を傾け、共感すること。その際、相手の言葉を否定することや、他の考え方、アドバイスは、一切せずに、ただ、相手の気持ちを受け止めることに重点を置くことにあります。たとえば、老人ホームなどでボランティアで傾聴をされる方もいると思います。

e0143522_1194983.jpg実は、私はこの傾聴が苦手でした。仕事柄、私が誰かと会話をする際は、音感教育や子育てについて、必ず「答え」や「アドバイス」を求められます。そのため、傾聴をすると自分のすべきことしないような不完全燃焼に陥るのです。それだけ、教育の仕事は「傾聴」から程遠いところにあるのかもしれません。

そんな私が、久しぶりに「傾聴」という単語を目にしたのは、ツイッターでした。「自閉症の人の自助会のスタッフをする方が「傾聴を重視しすぎる自助会では、自閉症の人が真意を理解できず、かえって混乱を生んでしまうことがある」という書き込みをしていました。そして、「自閉っ子に必要なのは、うんうんとうなづく相槌マシーンではなく鋭い突っ込み」。この言葉で会話教室で学んだ「傾聴」への違和感を思い出したのでした。

傾聴していけない相手は自閉っ子だけではありません。定型発達であっても、子供の言葉をただ傾聴していたら、「ダメなことはダメ」を教えられず、とんでもない子供が育つことでしょう。一般に子供というものは、「何が悪いか」を教えないまま、調子に乗らせると、どこまでも図に乗ってしまいます。子供の話をただ静かに耳を傾ける時間ももちろん必要ですが、だからといって、子供の言葉の全てを傾聴するのは危険だと感じます。

ですが、傾聴の精神を求める人は、いろいろなところにいるようです。最近、音楽レッスンの世界でも傾聴の似た姿勢が求められていると感じます。これは、音楽に携わる親戚から聞いた話なのですが「楽器を習いたいから先生を紹介してほしい」ということで講師を紹介すると、「先生がちっとも評価してくれない」とクレームが来るというのです。

本来、レッスンの目的は自分の技術向上のために、自分よりも上手な先生に習いに行くのですが、先生に自分の気持ちを受けいれてほしいがために、レッスンに行く方も増えているようです。これも、「傾聴」を求める気持ちに似ているのかもしれませんが、やみくもに「いいね。いいね」「上手、上手」と受け入れるのが、いい先生とは言えないのですが。

どんなに「傾聴」が尊いことであっても、それをすべきなのは、ご老人の方や尊敬する人の話を聴く際、または、深く踏み込んではいけない相手の話を聞くときに限られるのであって、発展途上の子供や、生徒の言葉を傾聴だけすることは、百害あって一利なしに感じるのです。
by k-onkan | 2015-01-27 23:18 | 教育 | Comments(0)

みんなと一緒という意味

幼い子どもにはいろいろな「自分ルール」があるものです。たとえば、5歳の甥Kは、自分が叱られたり、気に食わないことがあると自ら姿を隠します。空いたダンボールがあれば入ったり、柱の影に隠れていることもあります。そうして自分の気持ちを落ち着かせているのでしょう。2~3歳の頃と比べると、最近はその回数も減ってきました。これは、幼稚園という集団に入ったことで、機嫌を害する度に、逃げたり、隠れたりはできないと、子供ながらに学んだのかもしれません。

e0143522_9114073.jpgそれぞれの子供には、程度の差こそあれ、「自分なりのルール」や「こだわり」があるものです。しかし、それが、あまりに深刻で、集団の中で普通に生活できないとか、そのルールやこだわりを最大限に尊重すべきと考えるなら、「他の子と一緒」にこだわるより、「配慮してくれる環境」に身をおくことを考えるべきだと思います。反対に、「みんなと一緒」を求めるなら、みんなと一緒にできる方法を探し、そのための努力を、大人が身をもって教えなければと思うのです。

たとえば、目が悪いお子さんがいるとします。めがねをかければ何の問題もなく他の子と対等に学び、生活できるならまったく支障はありませんが、常に誰かの補助が必要だったり、何かをする度に、他の子の何倍も時間がかかる状態であれば、みなと一緒に学ぶことは、相当つらいはずです。親御さんにとって、「みんなと一緒」は「同じクラス」に所属することかもしれませんが、子供にとって、「みんなと一緒」は「対等である」という意味なのではないかと、個人的には思います。

楽院でも、障害のある子が同じクラスで勉強します。ですが、それは、楽院で教える事柄―歌唱、音感、楽譜の読み書き―の全ての能力が他の子と対等であるから、なのです。反対に、定型発達のお子さんでも、後から訓練を始めるなどの理由から、能力が十分でなければ、年齢の低い子のクラスで学ぶこともあります。それが、そのお子さんの進度に適切なクラスだからです。

万が一、子供に配慮すべき問題があるなら、その問題を解決して、集団の中で、困らないようにすることが、周囲の大人の役割ではないかと思うのです。その努力をしないまま、「うちの子は、身体的なハンデがあるから」とか「強いこだわりがあるのが、特徴だから」とまわりに理解を求めるだけでは、クラスの他の子にとって、対等ではないように思います。
by k-onkan | 2015-01-26 23:30 | 発達障害 | Comments(0)

成績がよくても、ダメよ、ダメダメ!

5年生の甥Yは私が小学生の頃に比べ、学校の成績もよく、クラスのリーダーをするなど、私とはまったく違うタイプの子供です。低学年のころは、クラスメートにいじめられたりすることもありましたが、体が大きくなって、自分の能力を発揮できるようになると、ちょっかいをかけられることも減り、問題が起きても自分で解決するようになってきました。

一般的に5年生ごろには、塾に行って勉強を始めるようすが、Yは、毎朝、学校に行く前に自分で勉強する代わりに、塾にはいかずに、合気道や水泳、体操、ピアノや音感など、趣味のお稽古事を大事にしたいようです。e0143522_18265046.jpg

半年ほど前、大手塾の体験に行くと、「問題もなく一番上のクラスに入れるから、ぜひ入会を…」とお誘いがあったようですが、妹は甥が不得手な作文力をつけるためのお稽古を増やしただけで、相変わらず、塾に通わず悪くない成績を取ってくるので、心配はしていませんでした。ところが、それは大きな油断だったのです。

先日、何気なく、甥が「オモリカイをおいのりしています、だって」というのです。職員室にいた木下先生をはじめ、私たちは一斉に「オモリカイ?何だ、それは?どこにそんな言葉があるのだ?」と大問題になりました。

それは音楽祭の返信はがきの端に「御盛会をお祈りしております」と書かれていた「盛会」という単語でした。これを「モリカイ」と読んだようです。私たちは、大笑いしてしまいました。同時に、「成績がよくても、心配なヤツだ」と気づいたのです。机上で勉強してテストで理解度の成績がよくても、日常で使えないような理解の仕方では、安心できません。

甥は5年生にしては難しい本をよく読んでいます。知らない単語に出合っても、漢字一つずつの意味あいから、単語の大意が分かり書いてあることは理解しているのです。これは、まさしく外国語の文章の大意を理解するときに使う手法なのですが、母語に対して、この方法を駆使するのは、あまりにいい加減な理解かもしれません。

本をたくさん読むなら、声に出して読むことが大事ということを、作文教室の難しい文章の音読をするようになって、再認識しています。男の子は、女の子に比べ、おしゃべりでない分、新しく覚えた単語を、実用的に使う機会はないのかもしれません。

勉強はしないよりした方がいいと思いますし、将来、自分の助けになることもたくさんあるはずです。ですが、それは、同級生と比べて成績がよいとか、偏差値の高い学校に入るためだけではありません。勉強は、社会で生きていくために恥ずかしくない知識を身につけるために一生、続けていくものということを私たち大人が忘れないようにしなければと思うYの勘違いの数々だったのでした。
by k-onkan | 2015-01-25 23:24 | 児童 | Comments(0)

一人娘だからこそ・・・

音楽祭の季節になると地方の教室から、本部に指導を受けにくる生徒がたくさんいます。今年はそうしたお子さんに「一人娘」が多くいました。共通するのは、お母さんが自分のことは二の次にして、一人娘によい教育、質のよい服を与えていることです。もちろん、大切な娘によいものを与えて育てるのは、結構なことでしょう。しかし、親御さん自身が、自己犠牲を払って、娘にだけ良いものを与えたり、自分の理想や夢を押し付けてしまうと、娘が大きくなってから、煙たがられたり、嫌われたりして、母娘の関係に亀裂が入ることもあり得るのです。

e0143522_2024865.jpg残念ながら、どんなに可愛い娘でも、お母さんとは別人格です。お母さんが「いい」と思うことを娘も「いい」と感じて、同じ目的に向かって共に努力できるうちはよいですが、娘がお母さんと違うことに興味を持ったり、お母さんの希望とは異なる夢を持つことをお母さんは想定しておくべきかもしれません。

一般に、お母さんが自己犠牲を払ってわが子に与えることで、子供が優しくいい子に育つと思われるようですが、残念ながら、与えられてばかりの子供は、いつまでたっても、与えられる側で、お母さんも含め、他者に対して与える側にはなれません。

年をとってから、「あんなに頑張って育てたのに、何もしてくれない。こんなはずじゃなかった。子育てを間違った」とお母さんが裏切られた気になっても、子供側から見ると、「お母さんが勝手に自分の夢を押し付けただけで、自分はもっと違うことがしたかった。でも、お母さんの願いを受け入れると、お母さんが喜ぶから、仕方なく付き合っていただけだった」という可能性も皆無ではありません。

どうか、一人っ子を持つ親御さんは、娘にだけよいものを持たせるのではなく、お互いに我をはったり、譲ったり、我慢したりという経験もさせてください。また、大人のお母さんにも、つらいことや苦しいことがあることを、一人の女性として、共有してください。娘は母親がいろいろな気持ちを共有する中で、子供が「自分が母親を守らなければ」という気持ちになることが大事であり、母親も、生身の人間で、一生、自分を守ってくれるわけではないと思うことにつながります。

立派なお母さんに育てられて、娘の頃の気持ちを持ったままで、子供を産んでお母さんになってしまう女性が増えています。共通するのは、親になっても、「子供のお母さん」でなく、「誰かの娘」として、自分の楽しみばかりを追及してしまいます。また、子育てさえ、自分の母親に頼ってばかりのことも多いようです。本当に娘に幸せを望むなら、娘が母親になったときに、「私の娘だから、子育てはきちんとできる」と信頼できる、そんな娘に育ててほしいのです。
by k-onkan | 2015-01-24 23:58 | 自立について | Comments(0)

愛も育て方もいろいろ・・・

10人の親がいれば、それぞれの愛の形も子育ての方法も異なります。我が家のように「親ができることを子供にもできるようにして、自立できる強い子に育てること」を愛情だと思う家もあれば、わが子にお金や物などほしがるものを全て与えることが愛情だと考える家庭もあるでしょう。また、子供の自由を尊重して、何でも子供のしたいようにさせることこそ、愛だと考える人もいるかもしれません。愛情の形に正解はないのだと思いますが、「子供の頃に手にしたもの」がその人の基本となり、それが、子育てに影響するのは、確かなようです。

e0143522_22421121.jpgたとえば、自分の子供にお金を与える親御さんは、自分も子供の頃、お金をたくさん与えられたのかもしれません。もしくは、お金がなくてさびしい思いをしたから、わが子にはお金の不自由をさせないと潤沢にお金を与えていることもあるでしょう。子育ては、親が「子供だった自分にしてやりたいこと」をするようですが、子供はまったく別人格で、別の感じ方をしていたりもするのです。

思えば、私も若いころは、「これがしてもらえなかった」とか「もっと、違う方法が良かったのに」と親をせめたり、批判する時期がありました。しかし、実際、育てる側になると口でいうほど簡単ではないのです。また、親が与えてくれたプラスもマイナスも全て、現在の自分を作るためになくてはならなかったとも実感できるのです。

たとえば、子供が「お金より、無償の愛がほしかった」と思うかもしれませんが、親が一生懸命、働き与えた「お金」もまた親の愛の形であることは忘れてはならないように思うのです。そして、子供時代にお金を与えられたから、お金のために一生懸命、働くモチベーションになったり、無駄遣いをしないように気をつけたりできるのかもしれません。

何でも手作りで育った私は、若いころは「お金で買えるもの」にあこがれましたが、最終的には、手をかけて、時間をかけて、自分のために何かをしてくれることに愛情を感じるのです。そして、これも、子どものころの育てられ方に影響していると言えるかもしれません。
by k-onkan | 2015-01-24 22:41 | 子育て | Comments(0)

些細なことが土台になる

子供たちが大勢、集まる特別練習の時期は、私が特に口うるさくなる時期です。「毎日、昼ごはんにファーストフードはやめて」「体にいい物を食べて」「口を開けたまま、クチャクチャ口の中を見せながら食べない!」「女の子はスカートで大股を広げて座らない」など、口うるさいおばあさんのようです。思えば、私の祖母たちも、お行儀にはうるさい人だったと記憶しています。

e0143522_1585673.jpg本来、音感を教える私たちが、音感以外のことをうるさく言いたくはありません。しかし、どんなに音楽の才能を伸ばしても、当たり前のことが当たり前にできないと、伸ばした能力も生かせない。そのことを痛感するから、うざいと思われても、しつこく言うのです。

最近、気づいたことですが、勉強やお稽古ごとの成果について、熱心に言う親御さんはいても、人前に出た際の「礼儀作法」や「よその人に対する言葉遣い」「食事の仕方」などを口うるさい家庭は残念ながら、少なくなっています。

親御さんは、「誰かに習わなくても自分は自然に身についた」と思われるかもしれませんが、親御さん自身に身についたことは、身につく環境にあったから身についたに過ぎません。残念ながら、現代の子供が育つ環境は昔と同じではないため、親御さんがよほど、気をつけないと、親御さんが当たり前に感じていることの何一つが身についていないこともあり得るのです。

最近も、音楽の才能もあり、勉強も得意に見える中学生の女の子に木下先生が「お茶を入れて」と頼むと、「木下先生がお呼びです」と純子先生を呼びにきたことがありました。どうも、急須を使って、お茶を入れた経験がなかったようです。

働くお母さんが増えて、子供たちは、お母さんが家で料理をする姿を見る機会も減っているのかもしれませんが、家で、お母さんがしていることを見よう見まねで覚えるのが、子供です。そして、子供は、お母さんが手をかけて作ったものを食べないと、食べることを大事にできないような気がするのです。

自立する大人になるためには、健康であること、行儀がよいことは大事です。そのためには、きちんと食べること、行儀よく人と関わること、元気に声を出すことなど、成績とは関係ない些細なことを大切にしなければと思います。そんなことをつぶやていたら、こんなメッセージをいただきました。

「最近のつぶやきに思い当たることがあります。職場のスタッフが体調を崩し辞職しました。二名の内、一人は若いのに脳梗塞でした。共通するのは食が細くきちんと食べられなかったようです。食を大事にしていないからなのか、挨拶も会話も声が小さかったそうです。人としての土台がきちんとしていないと、その上に立派な能力を乗せても無意味ですね」。

勉強も大事でしょう。才能を育てるのも大事だと思います。でも、些細に見えることが一番、大事なのだと思います。子供の土台を強く育た上での教育がないと、どんなに優秀でも簡単に折れる大人が増えていくのかもしれません。
by k-onkan | 2015-01-23 23:57 | 子育て | Comments(0)