麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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<   2015年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

嬉しい報告、ありがとう!

今日は卒業生のNくん(18歳)が慶應義塾大学に合格したとの報告にきてくれました。Nくんは兄姉がいる末っ子で、子供のころは三人仲良く通ってきたものでした。Nくんのライバルは常に、兄のKくんでした。そのため、兄と同じ大学に合格したという報告は感慨深いものがありました。

e0143522_1242575.jpg長く野球をやっていた身体は大きく、たくましくなっていましたが、小学生のころ、オペラの大役を与えられたのに「思うように高い声が出ない」と涙をこぼしていた面影がそのまま、残っていました。卒業生がどんなに立派になっても、私たちが思い出すのは、幼いころに涙ぐんでいたり、ふてくされていたりなど、少し情けないけれど、可愛い姿だったりするのです。

嬉しい出来事はもう一つありました。私の本に登場した少女が何年も前から希望していた企業で働けることになり、その報告にきたのです。これまで、いろいろと紆余曲折がありましたが、やっと堂々と木下先生に報告することができると、とても嬉しそうでした。大学合格も就職も長い人生の中では一つのスタートラインに過ぎません。ですが、自分を信じて、折れないで頑張っていってほしいと思っています。
by k-onkan | 2015-02-28 23:37 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

オドシでは躾はできない

先日、年中の甥Kの幼稚園ではお泊まり保育がありました。お泊まり保育園で子供が留守の間に、クラスのお母さんで懇親会をするのも恒例行事のようです。そこで、瑠音先生はよそのお母さんから、「Kちゃんはとてもいい子だから、家でも、全然、叱る必要などないでしょう? 瑠音ちゃんも優しいお母さんっていう雰囲気だし…」と言われたそうです。

e0143522_12101035.jpgですが、楽院に通う皆さんはよく知っているはずです。優しそうな雰囲気はしていても、瑠音先生も怒らせたら相当、怖いのです。木下式仕込の叱り方はふだんニコニコしていても、ある一線を越えた時の豹変ぶりーメリハリとも言いますーが怖いのです。そして、甥たちは、それを知っているから、幼稚園や小学校などで叱られない子だろうと思います。

幼稚園や小学校でいい子でも、家庭生活の中では、まだまだ、叱られることは多くあります。たとえば、自分中心にばかり物事を考えている時、約束を守らなかったり、粗末な取り組みをしたり、自分のすべきことをしなかったり、など等です。

兄甥のYがまだ低学年だった頃のことですが、「自分の部屋のおもちゃはきちんと、片付けなさい。片付けないなら捨てる」と妹が言ったことがありました。Yは「はい」と返事はしたものの優しい声だったので、何日か、そのままにしていたようです。

妹は妹で、優しい声で言われてもやるかどうかを、何日かにわたって観察していたのかもしれません。ですが、部屋はいっこうに片付きませんでした。そして、ある日、Yの部屋のおもちゃを全部、ゴミ袋に詰めて隠したようです。

学校から帰ってきたYは、自分の部屋の大切なおもちゃが全てなくなっているのを見て、静かにホロホロと涙をこぼしたようです。ですが、「おもちゃ、どうしたの?」とは聞かなかったはずです。自分が片付けていなかった結果だと知っていたからでしょう。ですが、無くなったおもちゃのことも聞かずに諦めたその様子にも瑠音先生は激怒したと記憶しています。泣くほど大事なら、きちんと片付けなさい。と。

結局、ゴミ袋に入ったおもちゃは、Yの手元に戻されましたが、「うちのお母さんは、捨てると言ったら、捨てる」と理解した瞬間だったはずです。と同時に「うちのお母さんは、結構、性格悪いよね」と気づいたのもこれがきっかけだったのかもしれません。

「片付けなさければ捨てる」と言ったら、大人にも捨てる覚悟があることを子供に示す必要があります。ですが、たいていの親御さんは「結構、高価なおもちゃだったから」「おじいちゃんに買っていただいたものだから」など等の理由で、ゴミ袋に入れる代わりに、おもちゃ箱に片付けるようです。そのとき、部屋はきれいになりますが、子供は「お母さんは、捨てる捨てるといっても、やっぱり捨てないんだ」と理解しますし、掃除も「我慢できなくなればお母さんがする」と思うでしょう。

思えば、楽院の卒業生は、「よその先生が何か言っても脅しだけど、楽院の先生は口にしたことは絶対にヤルと子供心に理解していた」といいます。幼いころ、レッスンに来て一生懸命、取り組まなかったり、直すべきことを直さないお子さんには、「先生のところは歌の勉強のために来ているのに、一生懸命、やらない人はいらない。いらないからはゴミ箱に捨てる!」と言って、本当に大きいゴミ箱をピアノの横にドカンと置いたりしたからかもしれません。

時々、生意気な女の子がいて、「捨てたりできるわけないじゃん」と言ったりするため、本気を示すために、ゴミ箱のふたを開けてその子を抱き上げて入れるふりまではしたこともあるはずです。もちろん、洋服や身体がゴミ箱に触れないように細心の注意は払ったものです。子供に本気を示すために、そこまでの労力を使って、大芝居を打つ大人は少ないので、授業中の私たちの真剣度だけは理解しているはずです。

親御さんも「おもちゃ捨てるわよ」と言ったら、本当に捨てる寸前までの覚悟はみせる必要がありますし、「ピアノの練習が終わるまで晩御飯はなし」と言ったら、たとえ、家族全員、空腹でも晩御飯にしないくらいの気持ちがないと、「なんだかんだ言っても、オドシだ」と思われてしまうでしょう。

ただし、「子供にだけ、ご飯を食べさせない」となると「虐待だ」と言われる可能性もありますので、お腹がすいてもお母さんも食べずに待つ心構えが必要だと思います。なぜなら、約束を守らない子を育てたお母さんは、子どもだけを責めるのではなく、お母さんも、一緒に反省する必要があると、子供にも伝えるべきかもしれません。
by k-onkan | 2015-02-27 23:09 | しつけ | Comments(0)

約束を守れるかは大人次第!

2年生の男の子を持つお母さんから、「わが子がやるべきことをまずやる」ができないという悩みを相談されました。お母さんとの約束は見たいテレビ番組が始まる前に、「宿題とピアノの練習をすること」。ですが、取り組むまでにダラダラして、どうにか宿題やピアノを始めても、テレビの時間が近づいてくると、気もそぞろ。結局、集中して取り組めないことから、「まず、テレビを先に見て、宿題とピアノの練習は後から」になるのだそうです。そして、「2年生の子どもに「やるべきことを先にやる」を定着させるのはハードルが高いのでしょうか」と質問されます。

e0143522_1934424.jpg私から見ると、「このお母さんは甘い」と感じます。子どもは、大人がどれだけ本気かを常に観察しています。もし、私が母親で「宿題、ピアノを済ませてからテレビ」を子どもと約束したら、宿題やピアノが済んでいないなら、絶対にテレビは見せないでしょう。

たとえ子どもが懇願しようが、泣こうが、約束は約束なので、私は強硬な姿勢を保つでしょう。もちろん、子どもの泣く姿に心が痛まないわけではありませんが、子どもに本気を示すためには大人も楽ではないのです。「うちのお母さんは、やると言ったらやる」を理解するまでバトルは続けます。

ですが、たいていのお母さんが、途中で根負けして「仕方ないわね」と、子供の要求を受け入れます。すると、子どもは「うちはテレビの前に宿題とピアノをやる約束だけど、お母さんの機嫌がよければ、しなくても大丈夫なこともあるんだ!」と抜け道を見つけるでしょう。子どもが約束を守らないのは、子供が原因ではなく、大人が一本筋を通っていないからかもしれません。

「たかが、テレビでそこまで厳しくしなくても」と思われるかもしれませんが、子ども時代の些細なことが、その子が働く大人になるか、ならないかを左右します。「やるべきことをやったらテレビ」が実行できない子どもは、将来、「働いて給与」より「働かずに親からお金」の方が好きになる可能性もあるのです。だからこそ、地道にコツコツ、子供時代に家庭教育をする必要があるのだと思うのです。
by k-onkan | 2015-02-26 19:29 | しつけ | Comments(0)

思うのは自由、でも・・・

幼い頃から、さまざまな刺激を与え教育を施した子どもは発達が早く、小学校高学年になると大人に批判的なことを言うようになったりします。1~2歳の可愛い時期を知る親御さんなら寛容に受け止められても、他人の目からは一番、小憎らしい時期かもしれません。

e0143522_18395064.jpg楽院の生徒も同じく、高学年になると、大人扱いを望んで反抗的な態度をしたかと思うと、急に小さな子のような顔を見せて、子どもと大人の間を行き来しているように見えます。私自身、その時期の記憶があるので、生徒の気持ちを尊重しつつも、善悪の区別だけは忘れないことを心掛けています。

幼い頃から音楽の英才教育である木下式を受け、生意気盛りに突入した子どもにとって、一番、つらいのは学校の音楽の時間ではないかと思います。音楽の先生に対して批判的な気持ちを持つことも多々あるからです。私も中学、高校と音楽の先生にずいぶん憎らしいことをして、悪い成績をとったものでした。

たいていの親御さんは「先生に批判的な考えを持ってはいけない」と指導するのかもしれません。しかし、私は「思うのは自由。でも、自分の行動の結果、損をすることもある」と教えています。

実際に音楽能力が高くない先生に尊敬するフリを教えることも違和感がありますし、その事実を見ないふりを教えることにも抵抗を感じます。だからといって、音楽能力だけを比較して、子どもの方が偉そうにするのも小憎らしさがあり、先生から内申で悪い点をつけられても、文句は言えないでしょう。

楽院の生徒が小学校の音楽の先生より音楽的な力が高いとしたら、それは親御さんが幼少期から木下式を受けさせてくださったお蔭であり、そうした環境に育ったことは幸運なことではありますが、生意気な態度を許す理由には絶対になりません。

何より、親がかりで生活する子どもより、納税している学校の先生の方が社会人として一人前です。また、現在の職に就くまでの努力は、子どもよりされていることもあるはずです。そうした目に見えない部分を考えさせることで、子どもが、反抗的な態度を改めたりすることもあるはずです。何気ないことですが、こうしたことを話し合う大人が身近にいるか、いないかで、子どもがどこへ向かっていくかが変わるのかもしれません。
by k-onkan | 2015-02-25 23:37 | 児童 | Comments(0)

他人にスリスリナデナデはダメ!

私が指導に通っている保育園での指導も残り2回となりました。子どもたちから「あと2回だって」と寂しそうな声を聞くと、1年間、木下式を行ったことが、この子たちに何らかの意味があったのだと、少しほっとします。

e0143522_13482429.jpgですが、1年間、通って不憫だと思うこともありました。それは、保育園に通う園児たちは、敵意がない相手には本当に人懐こいということでした。たとえば、音符書き教材をする際、一人ずつ、赤ペンで丸をつけようとすると、必ず、誰かが私の手をナデナデ、スリスリするのです。カスタネットの入ったかごを差し出した時に、私の手をさする子もいます。それだけ、スキンシップに飢えているのかもしれません。年長児と言っても、まだ、ひと肌が恋しいのでしょう。

ですが、一人の子のナデナデスリスリを容認すると、「私も」「ぼくも」とレッスンが進みません。そこで、「音感の時間は先生にナデナデ、スリスリはダメ。お稽古する時間がなくなってしまうから」と禁止しています。それでも、気づくと私の体に体をこすりつけてくる動物の子どものようなお子さんもいます。

長時間、親御さんから離れているのだから、少しくらいスリスリ、ナデナデさせてあげてももいいのでは、「減るものでもないし」と思わないわけではありませんが、さみしいからと言って心の赴くまま、誰にでも体をスリスリすることを許したら、大人になって本人が困るかもしれません。

やはり、「麻奈先生にスリスリ、ナデナデはダメ。してもいいのは、お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんまで」と教えることにしています。家族なら、大人になっても、犯罪にはならないのですから。ですから、親御さんはどんなに仕事が忙しくて、たまの休みにはぜひ、わが子をスリスリ、ナデナデ、スキンシップをしてあげて欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2015-02-24 23:45 | しつけ | Comments(0)

叱られても大丈夫!

久しぶりに津の教室までレッスンに出かけました。今年は、2名の1年生が音楽祭の独唱に参加しました。東京で木下先生のレッスンを体験した子どもは、楽院児の影響を受け、いろいろな成長が見られます。また、地方で音楽祭に参加していないお子さんにも「自分も出たい」など、いろいろな感情が生まれ、子どもは互いに影響しながら成長するものだと感じます。

e0143522_10501431.jpg地方の教室には、時々、「麻奈先生が怖いからレッスンがいや」というお子さんもいるため、子どもたちに、「麻奈先生は東京だともっと怖いのよ。そうでしょ?」と声をかけました。すると、東京に来た2名の女の子は深くうなづきながら「うん。こわーい」と声に出しました。そこで、「ほらね。麻奈先生は、ここの教室の子にはずいぶん、優しくしているのよ」と伝えました。

私としては、そんなに変えているつもりはなく、「悪い時は悪い、いい時はいい」と言っているつもりですが、叱り方は自然に調節されているはずです。地方の教室で月に1回だけレッスンで出会う生徒さんと、2歳から毎週、見ている生徒では、親しさが同じではないからです。

後者の子どもたちは、私たちに対して、親御さんの次に弱みを見せている間柄であるため、必然的に甘えや親しさも手伝って、私たちを本気で怒らせても、何とも思っていないかもしれません。叱られることは日常茶飯事であり、また、叱られても、行動を正せば、受け入れられることを知っています。

最近、あるブログで結婚して初めて料理して、生焼けの魚を出して、ご主人に叱られトラウマになった人が「生きづらい」と言う一節を目にしました。世の中には、「子どものころ、叱られたことがつらかったので、子どもは叱らないで育てたい」という人が少なからずいるようです。ですが、子ども時代に叱られた経験がなくて、大人になって叱られると、ほんの少し声を荒げただけで、大きな拒絶反応を示すこともあります。

私が子供時代に叱られる経験が大事だと思うのは、叱られて恥をかいても、挽回できることを子供時代に知る必要があると思うからかもしれません。そして、「子供をよくしてやりたい」という思いから、叱られたことは、子供も後で気づくことが多いように思うのです。
by k-onkan | 2015-02-23 23:49 | しつけ | Comments(0)

悲しすぎる事件

中学1年生の少年の遺体が河川敷で発見さるというたいへん悲しい事件が起きました。子供が悪ぶる時期に集団になると、大人が想像もしないような残酷なことをしでかすこともあります。この事件には、そんな恐ろしさが感じられます。

e0143522_21305077.jpg何より、心が痛むのはテレビ画面に映る少年の笑顔です。だれの身近にもいそうな人懐こい幼い顔だからかもしれません。自然豊かな島で育った少年は、都会でどんな生徒との付き合いに気をつけるべきかを知らなかったのではないか? 島の自然の中で活発に友達と遊ぶように、活発に遊ぶ相手がほしくて悪い仲間と付き合ってしまったのではないか? 誰か、この子を助けられたのではないか・・・?そんなことを思ってしまいます。

最近、いろいろなことが低年齢化しています。子供たちの安全を守るためには、私たち大人も無関心に子供任せではいてはならいと思うのです。この少年のご冥福をお祈りします。
by k-onkan | 2015-02-22 21:26 | 児童 | Comments(0)

専門家だから信じていいとは限らない!

「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい』著:クリスティン・バーネット 訳:永峯涼」を読みました。作者の息子ジェイコブはアインシュタイン級のIQの持ち主。9歳で宇宙物理学において独自の理論に取り組み、将来のノーベル賞候補と言われています。ですが、その道のりは平坦ではありませんでした。なぜなら、この子は2歳のときにアスペルがー症候群との診断を受け、特別支援学級の先生からは「将来、この子は自分で靴紐を結べるようにはならないから、アルファベットカードを持たせることに意味がない」と言われていたのですから。

e0143522_1515373.jpg著書は支援級の先生の言葉にこのまま通い続けても息子は決してよくならないと直感し、「専門家の指示に反することがわが子のためにはならない」という夫の反対を押し切って支援級をやめる決断をします。夫の理解を得るためには、自力で息子を小学校の普通級に入学させなければなりません。その試行錯誤の中で、息子の才能に気づいていくのです。

この作者が素晴らしいのは、一般の特殊技能を持つ子の親と違って、「ある一分野の才能」にだけ重きを置かなったことにあります。息子が大好きな幾何学や物理学を十分にさせつつ、苦手な集団行動や他の子供との遊びとに付きあう方法も教え、「普通の子供時代」を大事にさせたのです。これが後にジェイコブが他者とのコミュニケーションがうまくなった理由ではないかと思うのです。

さて、私がこの本に強く惹かれたもう一つは、私も作者と同様の苛立ちを専門家に感じた経験があるからだと思います。ある時期、私は国立の療育センターに発達障害の幼児クラスにボランティアに通ったことがあります。そこは偶然にも当時、年長だった生徒Yくんが3歳の時、「発達障害」の診断を受けた医療センターでもありました。

支援クラスにはYくんと同学年の5名の年長児が参加していました。どの子もYくんより軽度なのに発達障害を理由に集団行動の仕方も、ひらがなや数字の読み書きも何も教えられていませんでした。反して、Yくんは4拍5日の我が家の合宿に参加したり、合同音楽祭ではオーケストラの伴奏で独唱をするまでに成長していました。医療センターに通っていたお子さんたちもどこかで、木下式を学ぶ機会があったら、もう少し能力が開花されているだろうにと、不憫に感じたことを覚えています。

Yくんを診断した先生は「3歳の頃は、確かに人前で歌えるようになる子供ではなかった」と言われました。それほど重かったということなのでしょうが、現在、3年生になったYくんが一人で電車に乗って楽院に通って来たり、地方の友達にお礼の手紙を書いたり、楽院の仲間とふざけあったりする姿を見ると、専門家が「重度だから」という言葉だけを鵜呑みにして、教育を放棄しなくて本当によかったと思うのです。

この本の作者は「自分は専門家ではないけれど、専門家よりわが子を知っている」という強さで息子の能力を開花させました。私は音感に関しては「Yくんは同級生と同じ、もしくはそれ以上の能力があるから楽院では健常児」と言い続ける頑なさがあったから、専門家の言葉に左右されずに済んだのかもしれません。ですが、初めて子供を持つお母さんにとっては、専門家の言葉は何より重いものです。中には、その言葉によって子供の些細な成長も諦めてしまうこともあるでしょう。どうか、専門家だからこそ「発達障害は治らない」「何もできないのが当たり前」と無慈悲なことを言うだけでなく、改善策を示していただきたい、それが、この本の一番の感想なのでした。
by k-onkan | 2015-02-21 23:50 | 発達障害 | Comments(0)

失敗が怖いのは誰!?

最近、坂上忍氏の「力を引き出すヒント」という本を読みました。興味深いのは自身が天才子役と呼ばれた過去を持つ著書が、大人に都合のよい子役ではなく、自ら考えて演じられる子役を育てるために、真剣に子供たちに向き合っていることでした。芸能人には、人それぞれ好き嫌いがあると思いますが、私は子供の能力を最大限に引き出すために真剣に向き合う姿には感銘を覚えました。

e0143522_0365815.jpgその中に、最近の子供は失敗することや正解を出せないことを極端に恐れ挑戦したがらず個性がないと書かれていました。そして、子供以上に個性がないのが親御さんだとも。子供が失敗できない原因は、子供以前に親御さんにあるかもしれません。万が一、失敗しても、親御さんがわが子を受け入れられるなら、どんなに臆病な子供でも少しずついろいろなことに挑戦するようになっていきます。ですが、親御さんが「失敗しないこと」「正解を出すこと」ばかりを求めれば子供は成功することしか手が出せなくなっていくでしょう。

「わが子だからこそ失敗させたくない。子供のことを一番に考えているのは、親である自分」。その気持ちも理解できなくはありません。ですが、子供の人生は子供のものです。子供が「自分で」失敗したり、恥をかくことを経験して、想像力や思いやりを身に付け、人間として成長するのです。3歳には3歳の失敗。10歳には10歳、20歳には20歳の失敗は、きちんと子供自身に体験させてあげてほしいのです。なぜなら、親によっていつも失敗を回避させられていたら、後にもっと大きな難問に出合った時に、解決できない大人に育っていると思うからです。

楽院の生徒に限っていうと、入学年齢がとても幼いため、何事も「できないのが当たり前」であり、親御さんも子どもの失敗に慣らされていきます。時に「少しはわが子が恥をかかないために努力をすることを家庭でも指導しましょう」とまゆみ先生から苦言を呈されるほど親御さんもたくましくなっていきます。そして、そのうち、子供自身が自分が「恥」をかかないための解決法を見出すようになっていくのかもしれません。

ただし、楽院にも例外がありました。それは、小学生になってから入学するお子さんです。彼らは失敗することに慣れていないため、入学当初は失敗しないように気をつけて導いています。最初から失敗したら苦手意識が芽生えるからです。ですが、できることが増えたら、いつまでも過保護にはせず、子供に自由を与えます。すると、ふざけたり、失敗したり、恥をかきます。恥をかいたら、なおせばよい、それだけの話です。

中には、失敗した時に「ごめんなさい、ごめんなさい」と過剰に謝罪の言葉を口にする子供に出会ったこともありました。よほど失敗を禁じられているのかと不憫に思いましたが、「ごめんなさいなんて言わなくていいから、とにかくやりなさい」と怖い声で伝えました。「ごめんなさい」と失敗を謝ることより、失敗しないようにすることが重要だからです。もっと、突き詰めると、失敗を改善しない「ごめんなさい」には意味が無いと思うのです。何より、子供に挑戦させていることがいつまでも、できないとしたら、それは、挑戦する子供の責任ではなく、挑戦させている大人の教え方が「ごめんなさい」なのかもしれないのですから。
by k-onkan | 2015-02-20 23:35 | 教育 | Comments(0)

保育園でも音感教育!?

合同音楽祭が終わった後、木下先生があるお母さんから話しかけられたといいます。それは、保育園から木下式の実践幼稚園に途中転園されたお母さんで、保育園に通っていた時とは別人かと思うほど、わが子が成長したということでした。木下式を実践する園で学習姿勢やルールを学び、自分の身体機能を使いこなせるようになったことで、家庭でも変化が感じられたのかもしれません。

e0143522_2218594.jpgしかし、実際は幼稚園より保育園が求められ、首都圏では待機児童の数が一向に減りません。ですが、保育園の数を増やしただけでは、大人に都合がよいだけで、真に子どものためにはならないと感じます。もともと、幼稚園と保育園は設置目的が異なるため、保育園では、学校教育の前段階としての教育を実現できるところは多くはありません。

そのため、自由にのびのびと遊ぶだけの保育園から小学校に入学すると、授業についていけずに立ち歩いたり、他の子の邪魔をしてしまい、「小1プロブレム」の原因になることがよく問題にあがるのです。しかし、これも子供の責任ではなく、幼児期に必要なことを教えられない結果に過ぎません。また、これまでの考え方は、保育園の先生は働く親御さんの代わりであり、教育までする責任はありませんでした。ですが、今後は少しずつ変わっていくだろうと思います。

幼稚園であっても、保育園であっても、音楽を通して、幼児期にしか身につかない体で覚える事柄、身体機能の発達、しつけ、集団行動に効果があるのは、木下式しかないと思っています。ですが、だからといって、にせものの木下式が蔓延ってほしいとは思っていないのです。子供のためになる正しい教育でなければ、何の意味もないのですから。
by k-onkan | 2015-02-19 22:17 | 木下式音感教育法 | Comments(0)