麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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切なさと、寂しさと、喜びと

5歳の弟甥Kは、木下式の実践園の園長先生が、「あんな声で大丈夫なの? ずいぶん、声にがさつきがあるよね」と心配してくださるほど、1~2歳の頃、汚い声をしていました。多くの指導書の中でで、「子ども時代に耳にした声が子どもの声のよしあしを左右する。だから幼児と長時間、関わる幼稚園、保育園の先生は、高くて美しい言葉で話しかけなければいけない」と木下式の鉄則を書いているにも関わらず、なぜか、赤ちゃんのKに恐ろしく低音で「ウゥーウゥー」と怪獣のような声を聞かせ、からかったのが木下先生でした。瑠音先生は、「じぃじが、あんな低い声を聞かせたからKの声が汚くなった」とすいずん、怒っていたものでした。

e0143522_1243973.jpgそんな怪獣の声Kも音楽祭の開会宣言をしてから、少し美しい声になりました。正しい声の出し方を習得するためには、深く息を吸って一字いちじを丁寧に大きく声を出すことが大事です。Kは、開会宣言の文言を繰り返し大きな声で練習するうちに50音のすべてを満遍なく響かせることを身につけたのです。

実は、私たちも、子どもの頃から、木下式の発声を鍛えてきたので、他人さまより、遠くまでに通る声を持っていますが、もともと、私も瑠音先生も美声タイプではありません。声の美しさを持っているのは木下先生、そして、唯一、父の声を受け継いだのは弟だけでした。中でも、瑠音先生は、子どもの頃は「七色の声」と呼ばれ音色が混じった不思議な声をしていました。きょうだいの中で、一番、音感が鋭敏であったため、絶対的な音程のよさで声のマイナス面をカバーしていたのです。七色の声から脱皮したのは、5年生のとき、嫌々、オペラの主役に取り組んだ後のことでした。ちょうど、今のKと同じです。

生まれながらに美声の持ち主でなくても、音感を鍛え、喉を鍛えることで、自分の個性的な声を使って美しいハーモニーを聞かせるのが、木下式の幼童唱法であり、合唱団の特徴です。兄甥Yも、決して美声の持ち主ではありませんでしたが、変声期に入るまで合唱団の重鎮として美しい歌声を披露してきたのです。

弟にとって兄はいつも、手本であり、ライバルです。時に、自分の劣等感も刺激され、「にぃにの声はきれいで、Kちゃんの声はばっちぃ」と言っていたものでした。しかし、最近、自分の変化に気づいたKは、「なんか、Kちゃん、高い声になってきたんだよ。にぃに、ちょっと、どこまで声が出るか、ためしてみようよ」と兄を誘ったといいます。

変声期の兄は、最初から乗り気ではなく、「にぃには、今、声は出ないんだよ」といったようですが、可愛い弟から「大きな声じゃなくて、柔らかい声でいいからさぁ」と頼まれて、高音域の音階を「ド、ド」「レ、レ」と、互いに呼応させたようです。そして、兄の声が掠れて音程にならなくなったところで、「えぇ?にぃに、もう出ないの?」と驚くと同時に、少し嬉しい声も出してしまったのでしょう。

兄は「Kちゃん、なんか、にぃに、悲しくなって本当に泣きそうになってきたよ」とその遊びをやめたようです。その話に私の方が切なくなり、目から涙がこぼれそうになりました。弟は悪気なく、誰かを傷つける体験をして、兄甥は、努力だけではどうにもならない挫折感を味わった瞬間なのかもしれません。

長く生きていると感じることなのですが、人生は、誰か一人だけに都合がいいように物事が進むこともなければ、誰か一人だけに悪いばかりが起き続けることもないと感じます。そして、それは、子どもであっても同じです。切なさも、寂しさも、喜びも、あるのです。

私たち大人は、子どもを愛しく思うあまり、子どもに「切ない思いをさせたくない」「悲しい体験はさせたくない」と感傷的なことを思ったりすることがあります。ですが、子どももやがて大人になって、いろいろな問題に直面して、自分で解決しなければならないときがきます。そのためには、少し切ないことも辛いことも悲しいことも、自分で体験しておくことだと思うのです。ちょうど、私が自分の変声期の切なさを覚えているから、兄甥の気持ちが手にとるように分かるように。
by k-onkan | 2015-03-31 23:01 | 児童 | Comments(0)

津でお別れレッスンをしました!

毎月、通う津の教室で6年生のお子さんたちの最後のレッスンに出かけました。はじめて出会った時は6歳だった子どもが中学生になるのですから、月日が流れるのは本当に早いものです。卒業生の中で特に印象深いのがMくんです。当時、保育園児だったMくんはレッスン中、気づくとよく机でうたた寝をしていたものでした。Mくんにとって音感は決して楽しそうではなく、同級生の中で一歩、後ろを歩んでいたのです。しかし、彼には美しい声と音楽に対する憧憬がありました。そのため、いつか眠りから覚めたら能力は開花するとひそかに期待していたのです。ただ、それがいつか、分からないのが子どもなのですが―。

e0143522_2143336.jpg昨年、Mくんが教室の代表として、音楽祭に出演したとき、私は彼の目覚めを確信しました。その後、県内一の進学校に合格したと聞いたときも「そうだろう」と驚きもしませんでした。幼い頃に人の後ろを進んでいてもいいのです。ただし、自分が「これがしたい」と思ったときには自己の力を最大限、発揮できることが大事なのだと思います。そのためには闇雲に「勉強、勉強」と目先の成果を追い求めるのではなく、自分のことを自分でする、他人と協力する、忍耐力を育むなど、勉強とは直接、関係ないことが大事だと感じます。

Cちゃんも、6年間、おつきあいしたお子さんなのですが、姿を見せると唐突に私に紙袋を差し出し「これ…」というのです。私が「なぁに?先生にくださるの?」というと恥ずかしそうにニコニコして何も答えません。私は「お母さんには、なんていわれたの?」と聞きましたが、恥ずかしそうに下を向いています。「もしかしても、お母さんも「これ」と差し出しただけなの?」と聞くとクスクス笑いながらコクンとうなづきます。「自分の言葉で言うことが決まってから、もう一度、渡して」と紙袋をCちゃんに返しました。そして、子どもたちにこんな話をしました。

みんなは4月から中学生です。この中には難しい中学に合格した人もいると思います。でも、どんなに勉強ができても、きちんと挨拶をしたり、御礼を言ったり、自分の考えを言葉にすることができないと、将来、社会に出て困るでしょう。だから、学校の勉強ができるからと安心せずに、もっといろいろなことを学んでいってください。そして、自分の考えを持った大人になってください。

これからは、お母さんやお父さんのことも『少しウザイ』と思う時期になります。だから、よその大人の意見に耳を傾けてください。でも、大人の中には、子どもをだます人もいます。だから、いい人か悪い人か、自分で見分けられるように、ぼんやりせずに暮らしてください。


ためになる大人というのは、決していいことばかりは言わないかもしれません。たとえば、小西先生はこれまで、みんなに「口をききなさい」とか「挨拶しなさい」と色々と口うるさい(失礼!)ことを言われたと思います。その時は、「うるさいなぁ。また始まった」と思ったかもしれないけれど、いつか自分に子どもができると、小西先生のありがたさが分かると思います。だから、自分が大人になってお母さん、お父さんになったら、ちゃんと、自分の子どもにいろいろなことを教えられる人になってください」。そして、ささやかなお祝いとして図書カードをプレゼントしたのです。

レッスンが終わると、Cちゃんが紙袋を持って再度、私のところにやってきました。「何を言うか、決まった?」と聞いても、まだニコニコして恥ずかしそうなのです。仕方がないので、「何年間、先生を知っているの?」「…6年?」「そうね。そして、今日が最後だから、お母さんはこれを持たせてくれたんじゃないの?」「そう」「じゃぁ、なんていうの?」「六年間、ありがとうございました」「それだけ?何か感想は?」「……」「じゃぁ、『音感のレッスンは怖くて嫌だったけれど、教えてくれてありがとう』でもいいのよ?」というと本当に「音感は怖くて嫌いだったけど、教えてくれてありがとうございます」と、そのまま返してきました。たぶん、それが本心だったはずです。ですが、Cちゃんにとって長く続けたお稽古は「音感」だけなので、それがいつかCちゃんの自信になってほしいものです。

最後に、Nちゃんがお母さんと一緒にご挨拶に見えました。Nちゃんは他のお子さんより2年遅く木下式を開始しましたが、お母さんに音楽を勉強した経験があり、ピアノもよく練習させたことから、他のお子さんと同じことができるようになっていきました。しかし、一つだけ気の毒なことがありました。それは、幼児期から始めたお子さんと違って、大事なときに全力を発揮するという「思い切りの良さ」が足りなかったことです。そのことを注意すると涙をこぼすため、年齢があがるに連れて指摘しづらくなっていきました。

Nちゃんの手紙にはこんなことが書いてありました。「先生に言われたことができないと、悔しくてよく涙を流したけれど、それは音感が嫌いだったからではありません。先生に「やっていない」と言われると「やっているのに」とずっと思っていたけれど、「やっているつもり」ではいけないんだと学びました」。

小学生の子どもたちに、私はとても手厳しいことも言っているのかもしれません。しかし、子どもに嫌われたり、恨まれたりは厭わないのです。それがいつか子どもの力になれば、それが子どもたちとと関わる私の役割だと思うからです。

子どもたちが帰った後に、一つだけ、言い忘れたことを思い出しました。それは、「家に帰ったら図書カードをもらったと、ちゃんと親御さんに報告してね」ということです。これは、私が親御さんからお礼の言葉をいただきたいからではなく、どんな少額であっても保護者が預かり知らぬ金品を未成年の子どもに持たせるべきではないと思うからです。子どもたちがきちんと家で報告しているといいのですが…。
by k-onkan | 2015-03-30 23:13 | 児童 | Comments(0)

ニキ・リンコさんの講演をききました!

数週間前になりますが、自閉症当事者である二キ・リンコさんと浅見淳子さんの講演を聴きに静岡まででかけました。楽院をはじめ、幼稚園、保育園にも発達障害を持つお子さんが増えています。音感教育を教える中で、プラスになればと勉強にでかけました。

e0143522_2343198.jpgニキ・リンコさんは、30代で自閉症スペクトラムと診断され、その後、翻訳、著作、講演活動を通して、自閉症の内面を楽しく伝える活動をしている方です。たいへん律儀な方なので、講演内容が公開されると「お金を払って講演を聞いた方に申し訳ない」と思われるようです。そこで、内容は花風社から出版されている「自閉っこシリーズ(ニキ・リンコ)」を読んでいただくとして、私が感じたことをまとめてみました。

私はふだん2歳児から6年生の生徒に音感教育をするという職業柄、成人の方に出会っても「この人は幼児期、児童期は、どんなタイプで、私が音感を教えるとしたら、どのように教えるか」を想像します。簡単にいうと、「頭で考えるタイプ」か「感覚で理解するタイプ」かを観察するのです。

「頭で考えるタイプ」は、大人の言葉を素直に受け止める真面目な子どもです。恐怖心が強いので事前に大人から説明されることを好みます。説明がないとお母さんから離れられなかったりする人見知りタイプです。このタイプは、他の子が叱られることにも抵抗があるため、音感のレッスンは慣れるまでは涙、涙で抵抗を示します。しかし、自分ができるようになれば全力を尽くしてよい評価を得ようと頑張ります。ただし、できるようにならないと卑屈になって、叱られたりすると、しつこく恨んだり、長く記憶します。また小心者ゆえに、他人の間違えが気になったり、指摘して正そうとする鼻持ちならなさも持っています。その多くは長男、長女であり私はこのタイプです。

「感覚で理解するタイプ」は、言葉より自分の感覚を優先し、怖いもの知らずです。楽しそうなことがあれば何にでも果敢に挑み、大人に心配や迷惑をかけることも多くあります。子どもらしい面白さもありますが、先生からは嫌われるタイプかもしれません。音感のレッスンは嫌がらずに取り組みますが、自分の好きなやり方をして怒鳴られるタイプでもあります。ですが、叱られたからといって卑屈にはならず、「違う声を出すと他の人が困るのよ」などの事情が理解できれば、案外、素直に耳を傾けます。ただし、不当な叱り方をされると、逆ぎれもします。また、コンプレックスをバネに、何かを成し遂げたりもします。このタイプは女児より男児に多く、長男より次男、女児なら次女に多いと感じます。

「頭で考えるタイプ」を甘やかして育てると、知恵を使って自分に都合よく物事を運んだりします。たとえば、やりたくない時に仮病を使ったり、自分に都合よくまわりに話したりすることもあります。反対に、「感覚で理解するタイプ」を甘やかして育てると集団行動を乱す首謀者になり得るかもしれません。自分の道を貫くためには、まわりを威嚇することもあるでしょう。本人にとっては正しい道ですが、穏やかに収めたい頭で考える人には苦手な相手かもしれません。

子ども時代のニキさんに木下式を教えるなら、絶対に、感覚で理解するタイプとして扱ったことでしょう。大人になった今、多くの言葉でご自身の行動をコントロールするのは、まず体が動く自分の個性をよく理解されているからではないでしょうか。

ニキさんは私と同世代ですが、私たちが子供のころは、親はわが子を正しくしつけることに責任感を持っていたと感じます。そのため、感覚的に行動する女の子を授かったら、たとえ、定型発達児であってもお母さんの苦労は並大抵ではなかっただろうと想像します。また、その助言の数々が、ニキさんの自閉っことしての特性を最大限に引き出し、物事をもっと曲解させるとはお母さんは夢にも思われなかったことでしょう。こうした誤学習ゆえに自閉の世界の面白エピソードを語るニキさんですが、「親は何度も何度も、諦めずに事前に言い続けるべき。たとえ聞いていなくても」と言われたことが印象的でした。

音感教育を行っていると、定型発達の子どもの中にも、頭で理解する子と、感覚で理解する子がいます。どちらのタイプにも、必ず事前の説明を徹底しています。頭より体を使う「感覚タイプ」は、「そんなことはいいから、早くやろうよ」と言葉の説明を嫌います。それでもあえて、説明を聞かせることで、後で言葉に意味が生まれます。

たとえば、幼児なら誰もが音感かるに興味を持ち、触れたいと思うものです。その際、必ず、「これからかるた取りの勉強をしますよ。先生の話しをよく聴いて声を出して歌った人がかるたを取れますよ。勝手に触ってはダメですよ」と事前に説明します。かるたに心を奪われ、話が耳に入らない子は説明をされても、いきなり触れて、叱られることもありますがそのうち、「音感かるたは声を出して歌わないととれないんだよ」と人に説明するようになっていたりします。言葉が後から受け止められるとは、そういうことではないかと思います。

ニキさんがこうして、自閉の世界と私たちの世界の双方を理解できるのは、たとえ、誤学習の原因であったとしても、いろいろな情報を耳に入れてくれるお母さんをはじめ、大人の存在があったからだろうと感じます。また、書道、そろばんなど、当時は苦手だったお稽古事も、現在のニキさんの頭脳や体を形成していると感じるのです。

多くの自閉症支援者が「もっと発達障害のことを理解して。脳の問題であって、お母さんの育て方が悪いのではない。社会に理解を!」と言われます。その気持ちも分からなくはありません。なぜなら、発達障害が認知されていなかった時代は、どんなに一生懸命、関わろうとしたお母さんであっても、周囲から「お母さんのしつけが悪い」と決め付けられたり、責められたからです。しかし、現代は、「発達障害」のことも認知されるようになり、昔ほど、「お母さんが悪い」と言われることはなくなりました。中には、「発達障害があるから仕方ない」と、親としての責任をまっとうしない人も、残念なことですが、存在していると感じます。

発達障害に対する理解は必要なことですし、発達障害で生まれたことも親御さんの責任ではないでしょう。しかし、わが子に教えるべきことを教えずに、社会に迷惑な行為を行ったら、発達障害でも、定型発達でも、その責任の一旦は親御さんにあると思うのです。

私がこの講演で一番、感激したのは、自閉症当事者であるニキさん本人が「困っているのは当事者だけでない。もしかすると、まわりが当事者に迷惑していることもあるはず」と言われたことでした。障害があるのは発達障害だけでない。たとえば、視覚障害、聴覚障害もあれば、車椅子を使う障害者もいます。自閉症当事者だけが特別に配慮を求めているわけではなくみなそれぞれにお互い様であることを、おもしろく口にできるユーモアにとても救われたのでした。

そして、私が気持ちを新たに再認識したのは、たとえ、子どもが発達障害あっても、健常児であっても、大事なのは、大人がよく観察して、子どもが本当に正しく言葉の意味を理解しているかどうかを見極めながら物事を進めていくこと。そして、どういう事情があっても、身の回りのことを自分でできるようにして、親がいなくても生きられるように育てるといううことでした。
by k-onkan | 2015-03-29 23:49 | 発達障害 | Comments(0)

反省させずに、反省できた!!

私たちのために、講習会の後片付けをしてくれた甥たちですが、そんな可愛いことをしても、時々、大きな雷を落とされることはあるのです。それは、ちょうど、2週間前のことでした。甥Kは、はじめてのダンス発表会に出るというので、見に行った帰りのことでした。

e0143522_114039.jpgリハーサルに本番と、疲れて虫の居所が悪かったのだと思いますが、私が話しかけると返事をしないのです。Kは私に絶対的に好かれているという自信があるため、時々、私にだけ失礼なことをするのですが、その日は見逃せないほどの態度でした。

その日、私は朝からKのために夕食の準備をしていました。甥たちは、アレルギーが多いので、外食が簡単ではないからです。その上、兄甥の「美味しい牛肉が食べたい」というリクエストに答えて、前の晩から買い物をしたりしていました。そんなことも知らずに、不愉快な態度に、私の怒りは爆発しました。ちょうど、その頃、読んでいた本が「反省させると犯罪者になります」であり、Kは反省させてはいけないタイプです。

私は、車の中で静かな声で、「私はKちゃんのことが大好きだけど、失礼な態度をする人とはつきあいたくない。今日は、Kちゃんのために、お肉もたくさん買って晩御飯の用意もしてきた。でも、Kちゃんには私のご飯を食べさせたくない。一人でおうちに帰ってください」と表情も変えずに冷静に伝えました。そして、何も言わないで静かにしていました。ふだん、うるさく怒る私が静かだったので、無視されたような気になったようです。強く叱られたら逆ギレもできるのですが、冷静な私の怒り方に、どうしたらよいか分からなくなったようです。私たちにとって、大きな声で叱られるより無視される方が居心地が悪いことのようです。

私自身、あまり長くは無視できず、Kをひざに乗せて、「Kちゃんのために朝から御飯の用意をして楽しみにしていたのに何度、呼んでも返事をしないのは悲しいのよ」と情に訴えました。すると、何も言わずに抱きついてきました。見捨てられないようにスキンシップを図ったのかもしれません。私は「何か言うことがあるんじゃないの?」と水を向けると小さな声で「ごめんなさい」が聴こえました。これが、無理に反省させるのではなく、反省したくなるように仕向けるということなのだと、思ったのでした。
by k-onkan | 2015-03-28 23:00 | 幼児 | Comments(0)

小さな小人と大きな小人

講習会が終わった翌々日のことです。甥たちがなにやら言い合いをしていました。「お母さんに言ってもいい?」「ダメだよ。絶対にダメダメ」と、聞き捨てならない内容です。「絶対にお母さんには言わないでよ。にぃに」と言ったのは5歳の甥Kです。

e0143522_0483043.jpgやんちゃなKが言えないことは、きっと「悪いこと」に違いありません。「なぁに?どうせ、また、まぁちゃんのことを『うざ!』とか失礼なことでも言ったんでしょう?それとも、何か壊したの?」。考えつく悪さを並べてみましたが、絶対に口を割ろうとしません。私たちも忙しかったので、その時は深く追求しませんでした。

それが分かったのは、その夜のことです。兄甥が黙っていられなくて告白したようです。なんと、「内緒」にしていたのは、講習会の後片付けを子ども二人で全て終わらせたということでした。

瑠音先生は、「そんなに、いいことをしてくれたのに何で内緒なの?」と聞くと「だって、子どもだけで高いところの机や椅子をおろしたって言ったら、『怪我をしたら危ないじゃない。何で、そんな余計なことをするの?』って怒られるでしょ?」。確かにその通りです。

三期講習会の開催期間は、ふだん、子どもたちが使う40個ほどの机と椅子は望クラスの教室に積み上げています。それを5年生と年中の小人さんが二人で下ろして運び出し、教室仕様にしたというのです。私たち大人でも、この作業は手間がかかり、嫌なものです。それをたった二人でやり終えたというのですから、想像以上の働きぶりです。ガラスクリーナーは少々、つけ過ぎでしたが、鏡やガラスまで拭いてありました。

きっと、春休み前の私たちが少しでも早く仕事を終えられるように、小人さんなりに協力したのでしょう。そんなことを考えられるほど、成長した子どもたちにただ、ただ、感謝なのでした。
by k-onkan | 2015-03-27 23:47 | 我が家のこと | Comments(0)

労力も資力も愛情だと思うけど・・・

新入園を迎えるお母さんの中には、幼稚園や保育園で使うバッグなどを作る方も多いのかもしれません。忙しい中、手作りはたいへんですが、お金さえ出せばなんでも手に入る中、時間をかけて手をかけて作ったものには特別な思いがあると感じます。そして、いつか、お子さんが大きくなった頃、なつかしい思い出となるでしょう。

e0143522_23443582.jpg最近、「保育園から手作りバッグを強制されたことに納得がいない」という親御さんの話を耳にしました。確かに、それぞれの事情があるので、手作りをする時間的余裕がどうしてもないなら、どなたかにお金を払って作っていただくことも可能でしょう。ただし、お子さんに「お母さんが作ったのよ・・・」と嘘を伝えるのは切ないように思います。また、幼稚園や保育園も「絶対、手作りしか受け付けませんよ。買ったら分かりますよ」などと脅かすのはやりすぎとも思いますが。

私は個人的には手作りをお願いする幼稚園、保育園に好感がもてるのです。お母さんの愛情を一番、簡単に感じられるのが手作りだからです。そして、それぞれの教育現場は、長年の経験から子どもに好ましい影響があることを痛感しているから協力をお願いしているはずです。けれど、どうしてもそれに納得がいかないのなら、たとえ、教育内容や成果に魅力を感じていてもその園に通わせるべきではないと思うのです。まして、幼稚園や保育園の文句を言いながら、わが子を通わせたら子どもが板ばさみになってかわいそうです。

妹は、全ての持ち物を同じ布と同じマークで作る幼稚園に甥たちを通わせました。バッグ、靴入れ、エプロン、防災頭巾入れ、弁当箱入れ、きんちゃくなどなど、それは多くのものを手作りしました。そして、そのもちものは必ず、その子特有のマークをつけるのです。ひらがなが読めなくても自分のものだと分かるという配慮です。兄甥はパトカー、弟甥はゾウのマークのついたバッグで幼稚園に通いました。妹は、決して、裁縫が得意ではないと思いますが、甥たちは縫い目が多少、汚かったり、曲がっていても母の手作り作品が大好きです。

小さい頃に料理や手芸など手作りに慣れた人は他人が自分のために労力を使ってくれることに感謝をして愛情を感じものだと思います。反して、子供の頃にお金や物を与えられて育った人は、高価なプレゼントや贅沢なレストランでの食事に愛情を感じるのだと、大人になった生徒たちを見ていると思うのです。

私の友人に、服から誕生日ケーキまで、すべてお母さんの手作りで育った人がいますが、ずっとお店で買ったものがうらやましかったといいます。反対に、妹は、私に比べ、手作りを与えられておらず、買ったものばかりだったので、手作りにあこがれていました。どちらも、そこに愛情はあるはずですが、子どもに与える愛情は労力か経済力のどちらかに偏らない方がいいと思うのです。資力も労力も、常に与え続けられるとは限りません。子どもが将来、どんな形の愛情に出会うか分かりませんが、いろいろな幸せを感じられるように育ってほしいと願っているのです。
by k-onkan | 2015-03-26 23:38 | 子育て | Comments(0)

Cちゃん、幸せになってー2-

出産予定日は偶然にも、私の本が刊行される翌週でした。出来上がった本は真っ先にCちゃんに贈りました。Cちゃんのまわりには、「少しでも長くわが子から開放されるために、とにかく仕事を探して保育園に預ける。Cもそうしなよ」。驚くようなアドバイスをする若いお母さんばかりだからです。

e0143522_591535.jpg赤ちゃんが生まれると、Cちゃんはちょこちょこと写真を送ってくるようになりました。Cちゃん自身、「自分のような人間がちゃんとした親になれるのか」「お母さんがしたことを自分もしてしまうのでは?」と心配していましたが赤ちゃんの表情と目の輝きからは社会問題になっている育児放棄や虐待もしておらず(Cちゃん、すまない!)、いいお母さんであることが伺えました。

写真を見た木下先生の「C子に似てるな。賢い子だ」という言葉を伝えると、「ちっとも賢くない。ただの泣き虫のわからんちん!?」との答えが返ってきました。しかし、保健センターに行って私たちのいう「賢い子」は目に力が宿った生き生きとした反応がある子どもであることを理解したはずです。

実際、4ヶ月にまっとうな発達をしているかどうかは、当たり前のことが当たり前に行われているか否かにかかっています。たとえば、赤ちゃんが声を出したら、お母さんも声を返し、おなかがすいたと泣いたらおっぱいを与え、オムツが汚れたら世話をする、呼ばれたら抱き上げる等など、後は特別なことはありません。ですが、これをしていないと、すぐに目の輝きは失われてしまいます。

実際、Cちゃんは特別に育児書を読んで勉強するほど、教育熱心なママではなく、この4ヶ月にしたことは私が本に書いたことと瑠音先生から教わった程度のはずです。それでも、やり方は十分ではないと感じていました。それなのに、Cちゃんの赤ちゃんが他の赤ちゃんより発達が進んでいるなら、Cちゃんの赤ちゃんが進んでいることより、他の赤ちゃんの育てられ方の方がずっと気になってしまいます。

その違いに気づいたのが一人っ子育ちで子どもが苦手な旦那様でした。「なぜ、みんなとこんなに違うんだ。うちの子は天才か?」と親ばか発言まで出たようです。Cちゃんは「全然、天才じゃない。こっちが(昔の基準で)普通」と答えたそうですが、年の近い若い友達だけでなく、年の離れた楽院の私たちや卒業生の先輩からいろいろと聞かされることが「うざい」のではなく「ありがたい」と少しは思ったのかもしれません。

実際、世の中に「乳児用マッサージに通う人もいる」と聞くと「そんなのただの金もうけでしょ?無駄じゃないの!?」と言い放ち、、毎日、人と関わる機会を与えるために、散歩や児童館に出かけたり、赤ちゃん用の教材をしている人の話を聞けば、「そこまでしなくちゃいけないのー?」と意欲のない返事がかえってきました。

お金がかかることは、個人のお財布事情に合わせるとしても、この時期に一番、大事なのはスキンシップです。また、お母さんと二人だけの生活をしていると人見知りになって公共の場が怖くて大泣きをするようになります。小さい頃から、少しずつ、外に慣れて、よその人を見慣れている赤ちゃんは外でも静かにできるのです。赤ちゃん用教材は、一日中、家でじっとしていると飽きるので、格好の遊び道具になるはずです。これもお金をかけずに手作りでもできることです。

せっかく、出産前に本を送っておいたのに、「何でテレビはダメなの?少しくらいなら、よくない?」と聞くので、一方通行の働きかけをしても、赤ちゃんにはいいことがないって書いたでしょう? 瑠音先生がいっとき、テレビをつけて生活したら、あっという間にYの喃語がなくなって、テレビは怖いわよ・・・」云々。

「いいお母さんになりたい」という割りには、他人がすることを疑い、だれかが「絶対にいい」というお墨付きを出さないとできない、それがCちゃんです。私も面倒くさくなって、「自分がやりたくないことは無理をしてやる必要はないわよ。嫌々やっても意味がないし…。でも、他人が一生懸命、頑張っていることをとやかくいう権利はないのよ!」と怒ったこともありました。怖い楽院の先生がうるさいことをいうから最低限をしていたら、「先生たちの言葉はうそじゃない」と自分のエビデンスになったのかもしれません。「もっと勉強して刺激を与えるように気をつける」と心を変えたのが、遅すぎずなかったことが一番、嬉しいのです。

脳内のシナプスが一番、活発な0歳から2歳に言葉がけもせずに寝かしていると、赤ちゃんはたいへん静かに育ちます。それが、Cちゃんが保健センターで出会った赤ちゃんたちです。世の中には、この状態を「大人に迷惑をかけずに静かにねるいい子」だと思う親御さんが大勢いるのです。しかし、実際は、本来、使うべき機能を十分に使いこなす機会もないまま、じっとしているに過ぎないのです。また、親子間で相互の働きかけやスキンシップも足りないと意思疎通の素地が育たず、1歳になっても「NO GO-まてー」を理解できるようにはなりません。1歳までに段階的に発達させれば、たとえ、言葉は話せなくても親のいうことはだいたい理解でき、叱らない子育てが可能になります。しかし、動けるようになるまで、言葉も刺激もスキンシップも与えないでいると、大人の言葉を受け入れられない荒れた動物のような幼児が育ってしまうでしょう。

楽院では、「赤ちゃんのころは静かで全然、泣かなくて本当にいい子だったのに、歩けるようになったとたん、全然、言うことをきかなくて困っている。あまりに言うことを聞かないので、つい叩いてしまい、子どもはもっと反抗的になり、さらに強く叩いてしまい、ちっともしつけができない…」。そんな相談を受けることが多くなりました。

小さい頃に順調に発達させることもせず、歩けるようになったからといって、いきなり叩いて育てるのは、あまりに不憫です。どうか、赤ちゃんを持つお母さんは、他のお子さんの成長にも目を向けてください。そして、もし、よその子の方が発達していたら、その子のお母さんが何をしているか、じっくり観察して真似てほしいと思います。

Cちゃんには瑠音先生から、きついダメだしもありました。「4ヶ月で他の子より発達しているからといって安心なんかしてはいけない。子どもに向き合わなくなったら、すぐにうつろな目になる。やり始めたことは最後まで続けなければ意味がないのだから」と。幼児期に木下先生に可愛がられた人の欠点は、うさぎとかめの「うさぎ」になりやすいことです。しかし、子育ては終わりのないマラソンのようなものです。気張らずに、コツコツと、息切れしないように、その時々に、すべきことをし続けてほしいと願っています。
by k-onkan | 2015-03-25 23:08 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

Cちゃん、幸せになってー1-

私にとって嬉しいニュースがありました。それは、卒業生のCちゃんが出産をして4ヶ月の検診に保健センターに出かけ、他のお子さんと比べ、自分たちが驚くほど他の子と違ったという報告でした。「親ばかかもしれないけれど」と前置きしたメールには、よその赤ちゃんとわが子を観察した様子が記されていました。

e0143522_3153083.jpg「みんなは鈴をならせば一応は見るけど一瞬のこと、話しかけられても無反応、無表情。おもちゃを差し出されても自分からは握らず、取られても無反応。息子は話しかけられたら笑ったり声を出し、おもちゃをとられたら「返せ!」といって大泣き。いいか悪いかは別として、まわりに落ち着き泣く興味を示し興奮して生き生きとした反応をしてた」。

そして「これからもっと勉強して、ちゃんと子どもに刺激を与えて育てようと思う。楽院の先生や友達がいてよかった」と締めくくられていました。こう書くと、「よその子と比べて優越感に浸るなんていやらしい」と思われるかもしれませんが、Cちゃんが現在に至るまでの苦労を知る私には単純に嬉しい出来事なのです。

卒業生といっても、Cちゃんは悪い事情が重なって、きちんと挨拶もせずに自然消滅のように5年生で別れた生徒です。後から聞くと中学受験は乗り越えたものの、テレビドラマに出てきそうな不幸が次々と続く10代でした。その上、Cちゃんとお母さんは、私が知る親子の中で、もっとも不幸な愛情で結ばれた親子です。Cちゃんはお母さんの言葉を絶対的に信じながらも、お母さんの呪縛から逃れたいと幼いころからもがき続けていたのです。お母さん自身も不遇の子ども時代によって他人を信じたり頼ったりはできない方でした。そのため、強く娘を社会から守ろうとしたのかもしれませんが、それは財布や持ち物、携帯電話から交友関係のすべてにわたる過剰な管理となり、娘の逃げ場を奪ってしまったのでした。

当然、年頃の女の子がそんな閉塞感に我慢できるはずはありません。16歳になるのを機に逃げるように家を出たといいます。すぐに連れ戻されましたが、以来、心の中にはずっとくすぶり続けた恨みのような感情がありました。一見、強そうに見える態度とは裏腹に、お母さんの言葉に簡単に傷つくガラスの心を持ったCちゃんが精神的に追い詰められるには十分な環境でした。

結果的に、自分の結婚を機にお母さんから独立したことで、長年、悩まされた精神的な問題は解決に向かっていきましたが、だからといって、最初からすべてがうまくいったわけではありません。生みの親と良好な関係を築くのも容易ではないのに、他人で異性で年が離れたご主人との結婚生活は若い女の子の思い通りにならないことばかりです。親しい友人に愚痴をこぼせば「そんなひどいならすぐに離婚だよ。離婚!」となんとも安易で無責任な助言ばかりです。その度に私は社会で仕事をする男性の立場や言い分、結婚がどちらか一方に都合がよいものではないことを説明したものでした。

Cちゃんは子どもの頃から、大人の言葉に「わかった」と言っても、実際は自分で体験するまで、心の底からは分からない、そんな子どもでした。これも、いろいろなことを禁止されて自分で体験する機会が少なかったからかもしれませんが、体験に裏づけされた自分の考えがないと他人の言葉が何でも正しく感じて、何を信じるべきか判断がつかなくなるらしいのです。Cちゃんは正反対の意見を聞く度に、真夜中に私に電話をかけてきて「麻奈先生ならどう思うの?」と聞いてきたものでした。私は、自分の考えを伝える際に、答えに幅を持たせるように気をつけていました。独り身の私の意見と子持ちの瑠音先生では、大本は同じ考えでも、選ぶ道は少しずつ違うものです。心の中に持つ考えは、個々人の性質や事情によって変わるのだということを伝えておきたかったのです。

本当に精神的に安定したのは、たとえ、納得がいかない事柄であっても、お互いのことを考えて受け入れるべきこともあるということを身をもって体験したからのようにも見えました。そして、数年間の紆余曲折を経て待望の赤ちゃんが誕生したのです。<つづく>
by k-onkan | 2015-03-24 23:13 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

配慮はわがままを生むかも!?

最近、「配慮し過ぎると問題が大きくなる」と確信した話がありました。それは、幼稚園の入園後に高機能発達障害の診断が下り、療育に通いながら幼稚園に通う子の話です。春は卒園式や入園式など、幼児が静かに座って話を聞く行事が多いものですが、集団行動が苦手な子は長く静かに座っていられず、式典で他の園児の妨げになることから、外で先生と待つことになります。その日も途中で外に出てくると、すかさず友達の弟妹を見つけ「~ちゃん、ボクと一緒にあっちで遊ぼうよ」と言葉巧みに誘ったといいます。

e0143522_1442045.jpg知人は、「こんなに言葉が鮮明で小さな子と関われる子は、大人の関わり方次第でもっと正しい行動ができる子にも育てられるのに」と思ったそうです。そして、「障害があるから、やらなくて当たり前と周囲が受け入れることで、子どもに「やりたくないことはやらなくていい」と誤った学習をさせてしまう」と確信したのです。

楽院でも発達障害を持つお子さんを預かることが多くあります。楽院は発達障害の有無に関わらず、「その子」が理解できる方法を工夫します。その結果、発達障害があっても理解力が芽生え、それが後に大きな進歩となるのです。しかし、発達障害のお子さんをお預かりする際、私が気を付けていることがあります。

それは、「障害があるから特別な配慮を」と言う親御さんのお子さんは受け入れられないということです。楽院には、昔からいろいろなお子さんをお預かりしてきました。一見、何の不便がなくても、世界がセピア色に見える視覚障害を持つお子さんを預かったこともありますし、目は見えていても物の端が重なって見える目を持つ子もいました。また、幼くして親と死別した子もいて探せばだれでも一つくらい「配慮すべき理由」はあったりするのです。

しかし、「配慮が必要」という理由から道徳的な事柄ややるべき課題まで大目に見ると「自分は特別な存在でなんでも受け入れられるのが当たり前」と思ってしまいます。そして、一度味わった特別扱いの心地の良さは、定型発達でも発達障害でも抜け出すのは容易なことではありません。まして、「わが子は特別扱いされるべき」との考えを持つ親御さんに育てられたら、「やるべきことはやる」「苦手なことでも少しは努力する」を教えるのはどんなプロでも難しいため、楽院はお預かりできないのです。

拙著にも書きましたが、「できない子ども」がかわいそうなのは、できないからではなく、できるように手を貸したり、努力の仕方を教える存在がいないことがかわいそうだと思うのです。柔軟な幼児期から児童期だからこそ、社会の一員になるための教育をするのは決して早すぎることではありません。そして、それは発達障害だろうが、なかろうが同じことだと思うのです。
by k-onkan | 2015-03-23 23:01 | 発達障害 | Comments(0)

いろいろなことを教えてくれてありがとう!

一年間、お世話になった保育園の卒園式がありました。私はこの保育園に通って、20名の園児から、たくさんのことを教わりました。一つは発達差を持つ大人数の園児になるべく短時間で効果的に音感を指導する方法です。そして、もう一つは、テレビのニュースになるような出来事―ネグレクト、虐待などは、私たちの身近でも起こり得るのだということでした。

e0143522_8412925.jpg卒園した園児たちは、一人ずつ、通った年数を卒園証書の中で読み上げられます。中には、6年以上、通ったお子さんもいます。6才7カ月で6年5か月、つまり、生後2か月から毎日、11時間、この保育園に通ったことになります。園児たちが、大きな声で泣いて保育園と別れを惜しむのも分からないではありません。育ての親のような存在なのですから。

さて、卒園式が始まると、園児が名前を呼ばれて「はい」と返事をし、その後、卒園証書を受け取ると「ありがとうございます」。その後、お母さんに証書を手渡しながら「おいしいごはんを作ってくれてありがとう」「私たちのためにお仕事してくれてありがとう」「毎日、洗濯ありがとう」などと感謝の言葉がありました。それぞれ、はっきりとした言葉で言う姿に、来賓席からは「みなしっかりして素晴らしいですね」との声があがりました。ですが、9カ月前には、誰一人、声も出なかったのです。その変化に密かにホッとしていました。

その後は、木下式を受けるか否かでどれだけ、歌声が違うかをじっくり観察する時間となりました。まず年中児の送る歌です。1~2名、正しい音程で歌う声がしたもののほとんどの子は調子が見事に外れていました。それは、まさしく、私が教えた園児たちの1年前の姿ですが、現在は、大きく調子を外す子どもは一人もいません。

一つ、残念なことがあるとすれば、卒園式ということで担任の先生も緊張され伴奏の速度が練習の時より、ずいぶん、早かったことでしょうか。子どもたちは、その中で、一生懸命、母音を意識して歌っていました。途中、一瞬、止まりそうになっても、子どもたちは先生の伴奏に合わせようとする健気な姿がありました。木下式の音楽祭はプロのオーケストラ伴奏を使って、贅沢とのご批判を受けることもありますが、その理由がまさにここにあります。大人が一生懸命、頑張る子どもの足をひっぱってはならないということなのです。

歌の中で、園児たちは、保育園でお世話になった先生にコメントつきでお礼の言葉を述べる場がありあした。「~先生、課外保育の時に、片づけを褒めてくれてありがとう。片づけの時間が楽しみになりました」など、何十名もの先生へのコメントを、一人ずつ、記憶して発表しました。その中で、思いがけず、「まなせんせい、おんかんでほめてくれてうれしかったです。きれいなこえにしてくれてありがとうございます」とある女の子が発表しました。そのお子さんは、1学期に音感の授業の途中、突然、貧血で倒れた女の子です。その日は朝食がとれていなかったのです。

他にも、音感を始めた時には、かすれ声でまったく声が出なかったお子さんや、発達の遅れを心配されて市から調査が入るお子さんたちも、みんなと一緒にピアニカを吹いたり、歌を歌い、ニコニコと表情豊かな姿に涙ぐみそうになりました。また、幼児音があって、「さしすせそ」がすべて「たちつてと」になっていた子たちも、音感かるたの成果で、「さしすせそも、もう言えるようになった」とわざわざ、最後に聞かせにきてくれました。

さて、現在の日本には、保育園に通わなければならない事情のお子さんは実際にたくさんいることでしょう。また、待機児童も問題にされていることから、市議会議員、民生委員、自治体など、それぞれの立場で「子どもたちのために最良の教育現場を与えよう」としていらっしゃることは理解できます。

ですが、保育園があまりに充実してしまうと、本来、「わが子をいつくしんで育てる」という親心まで忘れさせてしまいそうな心配もあります。「朝食をたべてことない子どもがかわいそうだから」「夜遅くまで保育園にいるとお腹がすくから」と、朝昼晩のすべてを保育園で用意すると、親御さんの味を知らない子どもが育ってしまいます。親として子どもを愛し、成長をどのように喜ぶか、幼児だけではなく、親御さんの教育もしていく時代なのかもしれない、と思った保育園の卒園式だったのでした。
by k-onkan | 2015-03-22 23:40 | 木下式音感教育法 | Comments(2)